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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2007-04-14 今時土曜日に学校とか
2007-04-13 嫌な気
2007-04-13 最近の流れ
2007-04-05 愛媛と島根の旅 1日目
2007-04-03 リベンジ一人旅
2007-03-30 女の浮気
2007-03-22 アルバイトと頭痛と物語
2007-03-15 エニアグラムと心理学
2007-01-02 そうだ ナンパ しよう
2007-01-01 初日の予感だけ見て家に入った元日


2007-04-14 今時土曜日に学校とか

〜だめんず・うぉ〜か〜〜
漫画喫茶で気晴らしに手を出した「だめんず・うぉ〜か〜」の現代の恋愛事情を自分を汚すことなく体験できることにハマってしまって(痛い目を見れないということはいい目も見れないのかもしれないから、私は幸せじゃないかもしれないが,SAKURAドロップスのように,みなさんと同じように,私も痛い目は一つでも多く見たくない)昨日なんか350円も出して単行本買っちゃったし、今日なんて105円と時間を与えて(つまりブックオフの旅という実に生産性の無い金の亡者の反感を買う行為をした)また買っちゃったし、それに載ってたせとうちじゃくちょーさんの話にちょっと感動しちゃって、おかげで刹那の日々がなんとなく人生楽しんでるB型ぽい感じ(つまりめでたい奴)に評価を変えた。要は,すごおく惚れることができて,ついでに付き合えてるのなら,それ以上の幸せは無いわよ。例え別れても。みたいなことだ。これは本当の人間らしく生きてる人(=強い人?)だから言えることだろうなと思った。別れたらやはりあれらの楽しさや嬉しさは偽者だったのかなって思っちゃうだろうなと思ってきたけど,でも恋愛部門プラス自分の世界があった人なら、それは一個の生物らしく一生懸命生きてそして結果楽しさにつながてんだろなって思ったから。それって本当に「めでたいやつ」だけど、実は自己満足で終わってなくて,他の人にも勇気とか元気とか活力とか楽しさとか与えてるんじゃなかろうかと思った。そして負の力も振りまいてないんじゃなかろうか。そんな世の中,七色じゃん!最近林真理子のテネシーワルツ(「女の幸せ」を考える話)を読んでいたから,ていうか読みきってないけど、「女の幸せ」なんていう相対の例の俗っぽさなんてのと対極に位置する、絶対ってものは新鮮だった。(やっぱり、人生の先輩っていいなぁ)

〜朝チュン〜
昨日は漫画が止まらなくて深夜に紅茶とか飲んじゃったらやる気の失せていた原稿のやる気がプワハァーと溢れてきた(近い未来、報われない原稿のため息の散文を読むがよい)上に好みのタイプについて不完全な分析に悦に入っちゃったりして(明後日の日記参照)あまり寝ていないで友達に会いにいっちゃったので、楽しかったけど眠かった。私の友達に暗くてナイーヴな奴が多いのはそうじゃない奴が嫌いだという結論に至った。世間話とかに価値を持てなかったけど(世間話てのは内容でなく二次発生物であるノリとかLIVE感とか予定外に手に入れた知識とかに価値があるものなのだろうか)、未来の世間話欲をひっぱりだして消費しといた。楽しいは楽しいけど体の欲望とホルモンには勝てない…ことにしといた。ついでにくっつくまぶたも太陽のせいにしといた。把握できない校舎が自分を新入生気分にさせて、わくわくしながら痛々しさを確認した不思議な感情だった。あと猫と同じように春がそうさせるのか、それとも入学シーズンであることがそうさせるのか(おそらくもう人間はこっちだろう)雄の目が昼からギラギラしていた!

〜「人生、美味なり」(とは何歳で言ってもいいだろう)〜
ちなみに、去年の今頃付き合ってた人の学校だったので少しイベント的に連絡したら、夜勤明けで学校きてないという話で、私の物語はこう来たかと思った(なんて恥ずかしい言い回し)。その数十分前、駅で似た人を見かけて動いた心を確認して、あ、やっぱりあの好きな感情は在ったんだなぁって思って(なぜなら今は皆無だから)ちょっと人生の蜜すすってるような感傷に浸る演出として、そのホームに走って行ってみたらいけすかないただのチャラ男だったのが、またなんとも言えぬ美味さだった。

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2007-04-13 嫌な気

わりと、色んな人と喋れるようになった。相変わらず心を完全に開けずにはいるけど、今まで苦手だった「グループの中の一人」という楽しさも知った。まあグループっていうか、仕事場でだったけど。そういえば仕事中は、仕事じゃなきゃこんな社交で自分を抑えたりしねぇな、あ、だからか。と思ったんだった。

そしたら、いつの間にか私も快楽主義者要素を手に入れてしまって、心を通わせられることでなく、その場の楽しさに重きを見ているような気がした。それは、半年ぶりに、初めての親友と会った時に思ったことだ。結構、(あ、しっくりくる言葉を知らねぇ)批判タイプであったから(まさにそこで気があったんだろうが)、楽しい楽しい語を使わない相手には、結構気を遣った。

ここに一つの図ができた。社会の一部を楽しむ人間は、一人(プライベート)の世界も楽しむ。社会の外にいる人間は、同じ仲間を見つけた時、世界を築く。

「会社」で働くようになったら、前者になるだろうな、と思った。でもその仕事場では、両方に足をつっこんでるような人の集まりだった。そして、後者の大人は、大人で、完全な後者は「<友達>になりたいとは思われない人」とか大人に言われたりするんだろうなと思った。

私は忙しい中だったから、早く一人になりたかった。そう思う自分が、高校生の時に読んだなななんキリコの漫画のそういう人っぽくて、なんかすごく嫌だった。それを表現しちゃだめだと思った。けど、表現したら面白いだろうなと思ったから、それも仕方ないかと思った。でも酔ってもだめだと思う。やはり表現は、人を楽しませるっていう二次要素がないとだめなのかなあ?

でも、また明日会いに行く。愛媛のおみやげの坊っちゃん団子を持って。学食を食べに。他校を詮索しに。なんかすっごく素敵な予定。でもその坊っちゃん団子には、彼女が今夏予定しているドイツのおばさんち行きに便乗できるかなっていう欲があって、実は、なんか、すごくいやなんだ。

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2007-04-13 最近の流れ

4/10
旅から帰ってきた。当初の目的であった「丁寧に生きたい」という欲望には、新幹線、リッチホテル利用が似合うと思った。18切符鈍行、漫画喫茶泊まりにはなかなかきついものがあった。そのしめくくりに相応しく、新橋から上野への乗換で都会での大荷物移動にうんざりしたためタダで乗れるJRまでも諦めて自転車を広げて実家に帰ることにした。自転車にロープで荷物をくくりつける作業に苦労した。何度も失敗して、うまくいった時の至福の瞬間とそれまでの苦労のセットと、のらりくらりと生きる道と、どっちが幸せか、あるいはどうせ終わる命なら、自分は出来る限り頑張りたいのか、なるべく頑張りたいのか、適当に平凡で幸せでいいのか、そんな最近の思考をしめているものと被って見えた。でも抽象的すぎて、よくわからなかった。現実はすぐ来ることも知ったのに。
意外と都心は狭かった。今は東京が実家気分でいるけど、もう1年で家はなくなるのでその変化の心構えをしておかなきゃならない。なんて思うくらい、家族が精神安定剤になっていることに気付いた旅だった。

4/11
母の用事に便乗して一人暮らし宅まで車で連れてってもらった。その母の用事の帰りにまた乗せてもらって渋谷まで連れてってもらった。その途中、ちょっと(自分的に)高い和食レストランで食べさせてもらった。うちの母は、値段を気にせずにものを選べる環境を得たことを感謝しなければならないのに、田舎者だから分からないようだ。私は、お金に困らない子供時代を送らせてもらったけれど、これからはそうはいかないことをちゃんと知っとかなきゃいけないと思った。雨が降ってきた。洗濯物がびしょぬれになるだろう。でも今日は街に出て、彼氏のプレゼントを買わなきゃいけない。本屋さんで男の子が喜びそうな服を売ってそうな店を調べるため雑誌を立ち読んだが、いまいちピンと来ないので、お店リストに住所がよく並んでてここから近い「神宮町」に向かおうと思った。デパートはいやだった。なんだ、裏原ってやつか。とりあえずひととおり回った。ピンと来た服屋さんに何度か入ったが、粋がった奴らが店員の所で買う気は起きなかった。金持ちでいわゆるおしゃれな人が好きだった「BEAMS」は店員さんの感じはよかったがいい服がなかった。結局、ABAHOUSEというところで納得のいく買い物ができた。でも予算の2倍した。おかげで自分の服は買えなかった。サイズに微妙に自信が無いのと期待してた「真っ青なシャツ」がどこにも売ってなかったことが気がかりだった。なんか今の自分がすごいむずむずした。いつまでむずむずすればいいんだろう。

4/12
大学の二年目の初日にもった感想は、「なんだこの変な服装の人達は!」だった
それと同じように、TVの中の女が言ってたような、男の腕と少し見える胸元なんかに今まで感じなかったものを感じるようになって、自分がどんどん平凡な人になっていく気がした。平凡は心地良かった。少したくましくなっていて、サイズが合わない気がしてきた。
すごく平和な世界がそこにあった
恋愛経験0の弟が私の恋愛の的確な分析とアドバイスをくれて、実に楽になった。ここまでの人になってくれたのは私の数年の教育の成果もあるだろう、と鼻が高かった。うちの親じゃだめだ。あるいは、親の位置はそこだ。

4/13
学校へ行く途中おそらく同じ目的地だなという若者と目が合った。雄だった。でもその表層を見て、違う星の人だと興味を失った。
外でスケボー(遊び)をする男女を見て、その堂々と歩むドーパミンタイプを見て、違う星の人だ…と思った。そう思えば、割とうまく生きられると思ってる最近だ。

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2007-04-05 愛媛と島根の旅 1日目

(10時)家を出る。昨日セットしておいた折りたたみ自転車を持ち歩き始めると結構かったるいことに気づき、ほどいて駅まで乗る。駅まで行ってまた折る。時間がやばかったけど予定より2分前の特快に乗れた。熱海くらいまで家の屋根に至るまでの観察を楽しむ。途中大島弓子みたいなすすき野を見て本気でなきそうになる。(大島弓子の漫画は読んだ事ないが。)(昼)吉原と言う駅を通る。あれか?遊郭の吉原か?いやでもまさか江戸で山梨は無いだろう。と思って山梨の友達にメールしてみる。携帯が嫌いなのは何も人に構われるのが嫌だからじゃない。メールは楽しい。返事も嬉しい。でも返事が来ない時の感覚がいやだから。だから返信してすぐ電源を切った。来るも来ないも無くなるからだ。(昼過ぎ)彼氏の地元である静岡入りしてちょっとどきどきする。ちなみに会うのは断られている。ヤツの涼しい目のルーツは静岡にあったことを知る。5,6回乗り換える。乗り換えと言ってもホーム降りて向かい側とか同じところで待つとかなので、構えてたよりまるで余裕だ。(夕方)名古屋辺りでこう主張の激しい感じへの嫌悪感が沸き始める。根はいい人だとわかっているのに…。主婦が子供を座らせるためだった席を寄ったのを近くの壮年が勘違いして座りそうになったのを「違うんです」と遮った一連を見た。私が席を譲ったのは壮年のためじゃない。あの主婦が気に入らなかったのでもない。その俗っぽい空気が嫌だったからだ。主婦の顔を見たくなかったし子供の顔も見たくなかったからだ。譲られていいですいいですというのに私が去れば座るその文化も嫌だ。そこで微笑むしかない自分も嫌だ。だからすぐ逃げる。(20時)目的地の神戸に着く。自転車をほどき、この爽快感たまんねえ。ライフに寄って携帯醤油を買う。一通り回って漫喫が無いことに気づき弟に電話して調べてもらう。途中ピンク的な通りの明かりを見つけ安心し寄っていく私は虫だ!やはり無い。三宮って近い?近いね。そこにある あ ないかも 近いけど戻るんだよね。姫路は?2こある。料金は?あるけどよくわからない。新神戸って近い?近いけどJRじゃないね。じゃあ加古田は?aioi…相性のあいに生きるって書いて相生は?ない。(21時)とりあえず電車に乗って移動。途中まんきつの看板を発見する。そこでは降りなかったけど…さあ私はどこの町にいるでしょう?

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2007-04-03 リベンジ一人旅

17くらいの時一人旅ってから「もうやんねえ」と思っていた一人旅。たぶん今なら楽しめるんじゃないかなあ。ああたしかこの日記を始めた頃の話だこれは。
一応電車の時間くらいは決めとこうとネットで調べてよく行っていたお店が潰れたとか知っちゃったのが、経験無しに知識を得た感じがやな感じ。そんなだからムーンライトながらの指定席とか数日前に買おうとするこの初心者感もアレだ…(皆がそんなに生き急いでるとは知らなかったよ)。ついでに510円の指定席券がヤフオクで数千円になってるのも…この世の冒険をどこまで奪うつもりさ!だからあれだ、今季いつもより3500円安い18きっぷも私はおそらくそれより3000円多く払うと思うよ。ついでに折り畳み自転車の折り畳み方が微妙によく分かんなくてちょっとどうしようかと思ってるよ。風呂敷に包んでおくよ。たぶん迷惑にならないと思うよ。ちなみにJRのルールは守られてるよ。

明日から島根のおばあちゃんちと小学生の頃住んでた愛媛県にいってきます。

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2007-03-30 女の浮気

30歳と40歳の私にとって、とるにたらないことを書いてみよう。21歳と11ヶ月と6日の私にとって、重大なことを書いてみよう。例えばそれはさっきの出来事のように、後ろから鳴った自転車のベルに対して2007年3月28日の私は、よけてあげながらもそいつをバカにしたことなどである。歩行者に対してベルを鳴らすチャリンカーなど、どれほど適当に生きてるのか理解の外、あるいは理解の底辺に存在しているような種族なのでそんな奴に譲る道はないと聞こえぬフリをしてきていたはずなのだが(大体、元々邪魔にならないよう歩いているし狭い道では常に気を配っている)、21歳の最後のビッグイベント、造形屋バイトを経た私は横の砂利道によけていた。なぜか。それはボランティアである。

小野寺さん(仮名)は誘ってくれないだろう、小野寺さんは、結婚可能期まで3年以上かかる私を、外国に逃げようとしている私を、世界の秩序を変えるのではなく自分の欲望を変えるように努める人のように、つかまえようとしないだろう。そして私はそんな人ばかりを好んでしまうので、いまいち遊べない人生なのだろう。「遊ぶ」や「浮気」のメカニズムを理解してしまった私は、過去と未来のつながらなさを想う。いや、相変わらず雑誌のファッションを楽しむ人達の群れは動物を見てる時のような目つきになってしまうが。

21歳の女はどれだけ幸福な生き物だろう!
男にちやほやされ、気に入ったおやじ(あそこのお兄さんたちは実に魅力的だ)を手に入れようと思えば可能であって(ただし、それが偽物だった場合、泣くくだらない女が残る)、1000円を自由に遣うことができき、花を育てることができ、食事はきばらなくてよくて、いつでも、人を、小バカにできる。

小野寺さんや中尊寺さん(仮名)のような表情に、ただ何よりも、惚れる。惚れれば、だらしのなさや、向上心のなさや、性格の悪さも、カバーできるのだろうか?小野寺さんには、昨日75年の何月生まれなんですかと聞いた。5月だっていう答えはとりあえずどうでもいいだろう。そのあとの、少し穏やかになった感じ(尾形光琳(仮名)などのいる社会で、あの種族は心の中でつぶやいて表層の心は消える)。そして今日の、住んでいるところの話。出身もここら辺なんですか。はい、フッサ。ふっさ?知らない?ひびきだけは知ってる。ひびきだけは、を繰り返したそれと、そこを面白いと思った人格と、何よりも、あのときの、穏やかな表情。そんな31歳がいるという全知の一部は、私に希望を持たせた(中尊寺君は、一生そうかもしれないね)。そして最後に、やっとした会話らしい会話。18から家を出てるのかという質問と、今も家族と住んでいるというこたえ、ひとりぐらしですかという質問と、そうですというこたえ。家族とは仲いいですかという質問と、2度の聞こえないという動作と、そんなこと聞かれたの初めてという、、、、ああ、「貴方」と世の中を歩きたいね。中尊寺君のように、壊れないように大事に扱うからと無茶ができない人とでなく、「貴方」と、2人の分かり合える空間を、作りたいね。私は快楽の道具として、あなたに抱かれてみたいね。貴方と、中尊寺君くらいだ。・・・なんていう間におばさんになるわけだから、「私の青春返して」のような生き方もしないように、いきおくれもないように、したいものだ(私の実力はそんなところだ)。そして、このお腹は…その始まりか!

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2007-03-22 アルバイトと頭痛と物語

年末から今にかけてわりとアルバイトしました。前からのやきとり屋と試食、販売促進、コンサートグッズの売り子、造形屋。何も生まない仕事をやっていたら半月で心が病んできたので、最後の頼みの綱である作る系の仕事を選んだら、これがまた今までの悩み全て解決してくれる世界で、びっくりしました。普通がいちばん、という言葉が理解できました。このままこの世界に身を置いて死んでもいいなと思ったけど、今までの野望が消えるのも勿体無いなぁということで、欲求不満をかきたてる環境をあえて選びつつあります。(何を言ってるんだ?)あそうだ、何となく世渡りできるようになってきたけど、やっぱり苦手だなあといいたかったんだと思う。


おととい天井のでっぱりに5、6回頭をぶつけたら翌日頭痛がしました。「24時間待てない病気」を読んだら待ってもよさそうな症状だったのでほっておきました。電話をかけてきた昔の情人に今それで頭いっぱいなんだよねと言ったら、大いに笑われたので、そうだよな取り越し苦労だよなと思っていました。笑ってくれたので心理的原因ではなくなるはずです。(この人は明るいので逆に自分の口調が棒読みになります。繊細じゃないので話の裏側を読んでくれません。誤解だらけになっていきます。あ、もう美術系以外とは付き合えんかな、と思いましたが、美術系同士の離婚率って高いんだよな。という感想の会話でした)しかしさらに軽く吐き気がしてきたので、図書館にむけていた自転車の車輪を脇に停め、公立病院に電話して救急で見てもらいにいこうと再び車輪は30分走りました。薬を薦めて来ないお医者さんにはあまり当たりません。CTとレントゲンをとってくれたおじさんと、診てくれた若いお医者さん(若い人がこのように祝日出てくるわけか)と会計の人たちなど、病院は嘘をつく必要があまりないみたいなので(わるいやつらのような世界もあるでしょうが)その優しさにびっくりして泣きそうでした。いや、少し泣きました。6500円でした。国に10/3倍負担して頂きました。

竹宮恵子。
昔の少女漫画家だそうです。鏡の国の少年という画集のようなものを100円で手に入れたので読みました。少年愛には惹かれませんが、が、が、が、が、
はまりそう。うまい。うまい。うまい!!!

村上龍の本をやっと読みました。デビュー作は数ヶ月前に手を付けたんですが入り込めませんでした。10冊100円で手に入れた69とコインロッカーベイビーズは当たりでした。硬貨式物入生赤坊の方も気を抜くと卓上の俗悪原稿用紙の世界に引き戻されますが、たまんねえほどおもしろいです。


など、物語と現実の価値が等しくなってきました。

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2007-03-15 エニアグラムと心理学

左、エニアグラム 右、心理学者の誰かが言ってたやつ

自分は世界と共にある:循環型
自分は世界の外にいる(タイプ4とか):分裂型
自分は世界の中心にいる(タイプ5とか):粘着型

でいいよね?



嘘、悪口、グチ、これが無くなれば「精神病」はただのその人の「性質」に変わるのに、なぜホモサピエンスは嘘をつく?理解不能!人間が2人以上で構成される所にどうしても生じてしまうものなんて、なんで言えよう。でもそういう人が存在してる限り、「世界は知らないことだらけ」…。そういう人はきっと快楽主義者だな、と思っている。嘘をつく顔の持ち主の前では私も嘘をつくけど、純粋なやつらとは握手するぜ!そして世の中を征服している快楽主義者達はそんなやつら生ぬるいんだYO!とつばを吐いて今日も嘘をつく。

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2007-01-02 そうだ ナンパ しよう

予算通り想像通りのコートを買えてまぁまぁ満足気に渋谷から原宿に移動。それは百人一首を作ろうと材料仕入れにダイソーに行きたかったから(笑)そして着いた竹下通りでダイソーが見えてきた瞬間、その男がいた。
人は、目の前を歩いていた人を抜こうとしていた所を急に同じ方向に動いたために避ける時、「動作:おっと」をする。その動作ひとつでその人の本質のようなものを勝手に判断してしまったりするけど、そう、その男は倍率1000を突破して目にとまった。


こ の 男 を 知 り た い 


俗に言う「直感2〜逃した魚は大きいぞ〜byモーニング娘。」だろうか。今まで『尾行ごっこ』に叶う対象を吉祥寺で探しては見つからずに休日が終わったりしていたというのに、昼飯のために帰宅を急ぐこんな時にふりかかった魚。尾行を開始した。
尾行ほど退屈なことはあまり無い。ここで、好きな人間を「常に観察していたい」なんて思っていた割に、きっとそうしたらすぐ飽きてしまうだろうことに気づいた。あぁ、退屈だ。どうしよう。あぁ、そうだ。思いついた。「ナンパ」しよう。
竹下通りを抜けた頃、裏原へさしかかる所で声をかけた。シナリオはできていた。そして男はついてきた。私はナンパについていくような人間ではなく、その男もナンパするような人間ではなかっただろう。でもナンパ文化に縁の無い者の中でも同じことは起こるものだろう。それはまるでリーダーの抜けたグループで新たなリーダーが誕生するように。
話を聞いてやはり想像通りの本質の持ち主であったことを知った。そして絶対数60億の知の域に、1/60億近づいた。つまり、やはり「こんな人間がいるかでか」と思った。そして苗字だけ聞いて、別れた。関係あるか無いか、その直後のひどい孤独感。(無いか。)

この原動力はどこにあるか。それは結局今付き合ってるアイツを理解したいからなのであった。(ダイソーと百人一首のことは、もう、いいよね。)

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2007-01-01 初日の予感だけ見て家に入った元日

どうも、あけましておめでとうございます。

2007年を迎えられたことを改めてありがたく思ったりしないほど健康になってしまいました。おかげで漫喫で一夜明かしたり舌に異常な症状が現れるほどお菓子を食べたりしまったりしていました。このような「チョイ悪」をして湧き起こりそうなストレスを解消しているみたいです。平和でごめんなさい。

2007年の野望は、すごく小さいですが小さな生活をしようということです。昔から寝坊症で或いは早く起きても遅刻症でギリギリでいつも生きてきたから、今年は午前の授業を埋め尽くして夕方には自由時間を手に入れようという魂胆です。アルバイトはやるとしたら日曜だけで平日は運動やら臨時イベントを楽しむやら知識つめこみやら課題やらあとはまぁなんか創ろうとしています。…すぐ停滞しそうなスケジュールなんで変化好きとしてすぐぶっ壊しそうですが、基本ということで。本当は世界を見に行きたいんですが食生活にやられてがんになりたくはないので、そしてまだ腸閉塞の予感も落ち着いてないので、地味に日本の中でうろうろしようと思います。

どの環境を選んでどういう人になろうかなあ。なんて。

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