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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2018-03-27 処置のこと 海辺の生と死
2018-03-24 退院3日目
2018-03-23 退院
2018-03-16 入院40日目
2018-03-06 分娩の記録2
2018-03-06 分娩の記録1
2018-03-06 入院30日目 術後19日目 産後4日目
2018-03-02 死産なう
2018-02-27 入院23日目 術後12日
2018-02-13 入院1日目


2018-03-27 処置のこと 海辺の生と死

牛乳じゃなくて牛肉の間違い。牛乳買って高いと思うとか、そんな世帯は今あるのだろうか。そういえば今日はお肉屋さんに行ったらスーパーと同じか安くて驚いた。そこはコロッケ類がおいしくて有名だったりやや高いおいしい焼肉屋さんとかやってるので肉が安いことに驚いた。というのも、最近は療養と言う名の専業主婦をやらせてもらってるので(期限あと1カ月)このスーパーは日曜に卵が100円になって水曜に野菜とかが安くなるとか、このドラッグストアは毎月この日にポイント10倍になるとか、そんなの学んだりしている。普段はそういうの大事にできない。両立できる人もいるんだろうけど

そういうわけで入院中の夢だった弁当作りだが、弁当は夜のうちにほぼ詰めて(寝坊したら嫌なので)、6:30頃に起きて準備して結局自分もご飯を1時間近くかけて食べて食休みするというのが今一番の仕事でもあるのでそんなことしてたら結局睡眠時間がわたし的にかなり減っていて、それでも平気だったんだけども今日は昼下りにものすごい眠くなったので筋トレ的なことをして本読んですぐ寝てしまい、目覚まし虚しくそのまま6時間寝てしまった!夜より長く寝てしまった!だから夕食準備しておかず作って満島ひかりのDVDをしっかり見て夫とゴロゴロして排便してシャワーしてスキントーンテープ貼り替えて3時になってしまったが眠くない…夜更かしは妊娠中体調に影響本当にあった。なのに夜勤もするし、でも全部日勤も今の部署は体がしんどいし、本当にしんどい。

処置は採血や末梢ルートからPICC、もちろんイレウス管挿入や手術前後の麻酔やら傷のことやら。
処置について、主治医はすごく丁寧でこだわりを持ってやってくれて本当にありがたかった。傷のことは途中からWOCも入って2人でやってくれて、幸せだなあと思ったし、なかなかお腹が動いてくれないまでも傷は良くなっていってくれて励みになった。まあ、傷として良くなったとはいえもちろん満島ひかりや新井貴子にようなスッとしたお腹はもう手に入らないのだが、あんなお腹を持っていた自分だって、こんなに綺麗な体をもっていても愛でてくれる相手がいなくて虚しいことだな、と思ったのは14歳か17歳くらいだっただろうか、本当に思ったのを覚えている笑 だからSNSで投稿してしまう少女の軽率さは分からないが危うい心理は分かる。

処置の後は、30分くらいは何もせず横たわってしまう。髄液検査の介助の時、エビデンスは無いが処置後1時間安静、と医師に確認して説明したりする。エビデンスが無いから、動いたっていいのだ。でも自分だったら1時間安静にしちゃうだろうなと。PICC抜いた後でさえ、動かしたり血圧上がることで刺入部が綺麗にならなかったら嫌だから横たわっって念入りにおさえちゃううし、硬膜外麻酔抜いた後も自分で軽く圧迫して横たわって過ごしたし、じゃあ別にすぐ動いて問題ないですよって、その動く理由にもよるだろうし、その人の性格であの医者には30分て言われてこの医者には1時間って言われて、いいんですかそれで?とか言う人との対応の仕方
そしてとにかくチューブ類のストレスはなかなか。シャワーも色々な意味でなかなかできず、退院間近のシャワーの時に初めてこれはシャワーをした、と思った。それまでの何回かのシャワーはあくまで汚れを落とすという作業だった。この日は、シャワーという気持ち良いことをしたと感じた。それにはチューブや痛みや体調という問題が無いことが必要だった。もちろん、作業的に体拭きやシャワーができただけでも違うのだが。

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2018-03-24 退院3日目

今日も過ごせている。ありがとう。
一個前の日記を書く動機になった、夫が家を整えて待っていてくれていたことの喜びを書くのを忘れていた。久しぶりの家は違う匂いがして、部屋に入った瞬間にこんな家だったっけと思った。ちゃんと片付いていて、ゴミ袋もかえてあって、トイレもきれいで、洗濯物も畳んであって、ベッドのところも片付いていて、ほこりもなくて、ガス台も綺麗に拭いてあって、そ一つ一つを感じる度に迎え入れてくれた感覚を覚えた。退院初日は久しぶりの夫との距離の近さもあって本当に幸せを強く感じた。
あさイチにユーミンが出てて雨の街をという曲を知った。悲しい曲調なのですぐ子供さんの感覚を覚えた。次の日は聞くのが怖かったけど何度も聞いてメロディを覚えるくらいになって麻痺させるのもいいなと歌った。

弁当とか人の朝ごはんとか、ほぼ初めて作ってみている。常備菜があると昼とかにとりあえず食べるものを探さなくていい。今日は百均で弁当グッズを買った。その前に隣の店でお見舞いのお返しを買った。その前にスーパーで果物を買った。アガーで作りたかったけど消化を考えてゼラチンにした。うっかり牛乳とオリーブオイルを買ったので安いスーパーだけど高くなってしまった。その前にしまむら系列の店でサコッシュとジェットストリームの換えインクとノートを買った。やっすいサコッシュで夫に見つかったら笑われてしまうけどうっすいので気に入った。車の中で雨の街をを覚えた。なぜか車のオーディオにBluetoothで繋げられなくなってたのでそのままスマホで聞いた。

短期目標は特に根拠はないが3日間何も無く過ごすことにしていた。次はゆっくり食事を一般に近づけていこうかな。

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2018-03-23 退院

今日も過ごせました。8年前の前回の腸閉塞退院後、日々思った言葉だ。あの時は退院直後から調子が悪く(お腹の声を聞く)、外来日に結局再入院したこともあるが、今回は今のところお腹の声は悲鳴をあげていない。だから忘れそうになる、今日が何も無く過ごせて当然ではない、という声を思い出して、今日も過ごせました、と思うようにする。その始まりの退院当日。

夫は休みの日だった。というか全粥軟菜食になって2、3日で退院かなというところ、夫の休みにあわせて翌日にしてもらった。翌日を2日と数えるのか1日と数えるのか分からないが。まあ、お腹の様子だってほぼほぼ動いてなかったらその日のうちに気配があって翌朝嘔吐みたいな日もあったし、ちょっとおかしいなで数日後来ることもあるし、それこそ腸閉塞食というのではないからとうもろこしとか入ってるので何か食材でだめになる時が来るかもしれないし。今日退院でも明日でもどっちでもという感じはする。というわけで今日帰った。

帰るまでに色々と寄って、なかなか外食も怖いのでまたスーパーで色々と買って帰る。とりあえず横になる。横になって夫とくつろぐことができるのが本当に幸せだった。先の見えない入院中、早く帰りたい、という思いにはただ家に帰りたいのではなく、また元気になりたい、なれるのか、色々な思いがこもっていた。痛みや苦しみが強い時期は、疲れ果てて頑張ろうという気力を失い、人は死ぬゆく時にこういう感覚なのかもしれない、と思ったりもした。そして帰れたね、と夫と喜びを分かち合った。女の子、育てたかった、と言って泣いて、夫も育てたかった、と言った。夫は普段運動をするのだけど今日は夫はちょこんとそばにいてくれてゴロゴロした。休みの日にゴロゴロしているとたまの同じ休みなのになーと思ったりするけど、今日はそれが尊く感じた。

入院中食事量を多くとりづらかったので間食が出ていて、その習慣で同じような間食をし、その後午睡した。そして起きて弁当用のおかずなんかを初めて作り始めて、夕食には親子丼と野菜の炒め煮を作って、またおかずを作って、シャワーして、ロジックしてるうちにニュースチェック11が終わって時論公論が終わって今日はNHKの予算について内閣や国会の人達を交えた会議を流すというので聞いていたら興味深く、こんなに政府とつながりがあったらそりゃ色々あるわなと実感したり、本当の議論はどこで行われるんだろうかと思ったり、野田女史の聞きやすさを知ったりして、夜が更けてしまった。でもお腹はしっかり動いている。夜更かしに反省。

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2018-03-16 入院40日目

昔卵巣がんになった時も、今回子宮内胎児死亡が分かった時も、時々見かける感情「なんで私が?」とは思わなかった。なにか原因はあるんだろうし、どこか偶然があるんだろうし、原因の全てはいつの時代でも分からないだろうし、それがただ私に起こったということ。産科で看護師さんが貸してくれた本にはそういう「なんで私が」という反応をする方が多く載ってて、そういう方はその意味を考えると心穏やかになれるらしい。意味、それよりも原因と対策を知りたいと思う。胎児に問題は無さそう(解剖はしなかったが)。胎盤は病理に出した。不育症検査は保留。だって、専門の病院ないからね、したところで新幹線もない土地から2県先に出産まで通う覚悟はまだ無い。

「何で私が」とは考えないにしても、よく思い出しては「あの時ああすれば」「あの時に戻りたい」とはどうしても思ってしまう。あの時はまだお腹で元気そうだった。あの時に言っていれば(でもこの34週からしかみれないNICUで26週は見れないだろう!搬送?緊急帝王切開?障害?そのシナリオも大変そうだ)。大建中湯をもらっていれば。腸閉塞の前兆が無かったからと油断してなければ。あの日ご飯をやめて絶食してれば。
それはよく思うし、思う自分も嫌だ。死産後も時間はかかったがやっと今食事が始まっている。それでいいじゃないか。ストマも回避できた。重篤な合併症も起こらなかった。
これからずっと思い出しては後悔し、涙するのだろうか。それは嫌だと夫に助けを乞うた。夫は、それだけこどもさんを大切に思っているということ、時々そうやって思い出して忘れないようにしてあげるといいんじゃないか、と言った。私はそれでいこうと思った。その夫を大事にしようと思った。

「何で私が」と思う方には、その意味を考えるといいらしい。さしあたり私の場合、あの時こどもが諦めてを救ってくれたというのだろう。私もいつか意味を考えることがあるのだろうか。

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2018-03-06 分娩の記録2

処置3日目
今日は天気よく春の到来
夫はこの日休んでもらった
8時 バルーンは降りてきている このまま足に固定してバルーンが外に出たら胎児が出てくるとのこと 膣錠1個
9時 重だるくしんどい 助産師内診でまあまあ開いてるので分娩室へ 寒気すごくシバリング 電気毛布で30分後に暑くなっt
嘔吐 イレウス管から引けているのか口からは出ず助かる
11時 膣錠1個
尾てい骨あたりが痛く、骨が広がらんのか…と
痛くて小さい声でうなる
骨盤位だし進みが遅いかも、長期戦かなと言われる
まじかこれが何時間も…
あまりに痛くてコール
12時 内診 バルーンが痛いのだろうとバルーンの水を40mlにして抜去される
そして退室された直後にものすごい便意 ちょっときばったら出てきそうな感覚 これを長期戦?無理!とナースコール
出るーーーと叫んでいたと思う
先にたぶん声を聞いてかけつけた主治医 袋がもう出てるからと助産師の準備を待ち抑えられてる 押さえられてるということはきばったらいけないということか 辛い辛い はよ着替えてー
少し波がおさまる 主治医も準備 立会いでいいんだよね?と確認される ここまで付いていて立会いしないは無いだろう とお互い心の中で思う
また波が来て、あまり力入れずともずるずるなにかが出て行く感じ 途中破水なのか透明な液体がピシャッと飛んでいた お腹の中が楽になっていく感じがあった しかしまだみたい いつのまにか夫母(助産師)いる
まだあるということはこれ頭なのか きばればいいのかとあーー!と叫びながらものすごい便秘で痔になる要領で出すことができた ひりひりしたがそれまでの痛みとお腹の中の物がなくなった
すぐ胎盤が出てきたらしい 目視ではきれい、臍帯の位置も形もいい、首にマフラーのようにからまって出てきたと一報受ける
夫が可愛い顔してるよって言ってくれる
夫母が赤ん坊を抱っこさせてくれる ごめんねごめんねと泣いてしまう 温かくてきれいな顔した女の子だった 手も足もきれいで目は開かないけど口は夫に似ていた ここまで育ってくれたんだなあという思いとここまで育ってくれたのにと 夫は泣いていた 後で聞くとよくわからないが感動してとのことだった この時暖かかった赤ん坊はこの時だけで次第に冷たくなっていく 貴重な時間だった
カーテンをめくってもらうとこの土地に珍しい雲ひとつない天気
名前を決めていなかったので、それまでの候補とは別に感覚でつけることにした これがいい、って口に出したら泣いてしまった
痛みが去って赤ん坊がそばにいて幸せな4時間を分娩台で過ごす
出血は1000ml(羊水300ml含む)
産後のオムツとさらしを巻いてくれる ありがたい…
15時 赤ん坊を保冷剤とバットに入れてくれる 皮が剥けてきて既に傷んできている
安静後トイレ歩行促され、歩けるがトイレ終わりに立っていられず座っていてもしんどく車椅子を待つ間も必死で足踏みする ベッドで臥床 寝る前にはトイレ歩行できるようになったが
へその緒もらう
18時 兄来院 消化器の主治医も様子見にこられる
夫が見てくださいよって赤ん坊を紹介してくれて なんかとても嬉しかった 父っぽかった
20時 夫母が手形足形を夫とともにとってくれる 服とオムツもつけてくれる しかし管理職なのだが毎日遅くまでお仕事されるなあ…
21時消灯するが なんとなく24時まで起きて過ごした

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こどものおもちゃという漫画に出てきます / ヒポコトリ ( 2018-03-23 02:04 )
名前がとても気になる。 / しん ( 2018-03-07 19:42 )

2018-03-06 分娩の記録1

処置から3日目に産んだ
処置当日 10時に消化器病棟から参加病棟へ転棟 個室となった 個室代は入院時に入っていたので更にかかるとなると痛手だが、個室以外選択肢は無かっただろう 1日6480円 都会より安すぎるだろう 産科の個室はかなり広く、長椅子もあった 窓も久々に見れて、TVも冷蔵庫も無料になるので改めて個室はいいなあーと思った
処置1回目は12時 たぶんラミナリアだろうか 商品名を聞かなかったが細いのが5本入ったとのこと 途中痛かったが、まあ我慢できるな程度 最後に奥に押し込んだ感じがして、そしたら違和感すらほぼ無く歩いて帰室した
処置2回目は17時 内診で1横指開大と 太い方8本に入れ替えてこの日は終わり
明日の朝バルーンが入れば誘発していくとのこと
そんなに痛いというわけでもないが、痛み出てきたなあと休むためにアセリオ使ってくれる
すぐ効いて夜も休めた
夫は休みだったので朝から大体ついてくれている 明日は仕事だが、生まれそうであれば早退、間に合わなくても早く合流できればいい、というこの日は余裕かましてた
この頃は赤ん坊のことを考えると辛いので、イラストロジックばかりやっていた イレウス管も入っていて張りは無いので食欲も旺盛で、インスタの食事画像ばかり見て食事漫画を借りてもらっていた
処置2日目
予定日のちょうど3ヶ月前。外は春の嵐。
8時 内診でやはり1横指 バルーンに入れ替えて80ml入れたそう
誘発剤のプレグランディン膣錠1個 中期はこれを使うとのこと
処置中は不快感はあるがそれでも歩いて帰室
生理痛っぽいのは出てきた
ここで私の創離開中に対しWOCと主治医来室 今までスキントンとガーゼ保護にしてじゃいのうしていたが大分引いたのでピコ開始 陰圧がかかる 離開部分は2箇所なんだけど 長いやつで全体を覆い、かなりの安心感が得られた
ここで仰臥位をとっていたが、なかなか下腹部重だるさが出てきて辛い
腰も痛く、これが何時間かかるのか聞くと早くて午後と
夫にヘルプを出し、早退してもらえた(院内勤務)
夫の部署はサビ残ばっかで夜も遅くなかなかブラックなんだが、早退とか休みについては融通が効きやすい。私のとこは逆。今日休む、とかなったらスタッフ数足りずかなり厳しい。日にもよるが。でもサビ残はほぼなし、申請大体通る。まあ委員会の仕事とかグレーゾーンは多いが、今の上司はそういうのも無くしていこう派。
11時、薄い出血あり 膣が広がる時に出るものと
膣錠2個目
寒気(膣錠で熱が出るらしい) 冷たいドリンク画像見る
とにかく痛い 痛くて疲れた 嘔気
12時 どれほど耐えればいいか聞き、内診 バルーンの量減らすか検討されるが3横指開大とのことでこのままいってみることに
座薬許可ありジクロフェナク50mg なかなか効く
14時 膣錠3個目 今日はこれで終了
寒気なくなる
15、16時 あれだけ出ない便ガスが沢山出る
座薬が効いたのでこのまま夜も座薬対応で休むことになる
発熱38℃
21時 座薬使い休める

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2018-03-06 入院30日目 術後19日目 産後4日目

4日前にイレウス管クランプ 2日前に抜去したものの お腹の張りはあり
昨日ガストロ飲んでから造影効果もいまいちで調子悪く
今日の午後に1000ml以上はリバースしたかと そのまま胃管入れて200ml引いてもらい それで一旦抜去となった
その後は張りも落ち着き
今日は赤ん坊さんを家に連れて帰る日で 病棟の計らいで沐浴などさせてもらった 昼の調子だととても起きて動いてがしんどく無理そうと思ってたが 大分楽になったのでさせてもらえた でも車椅子
アルブミンも2.7
産後の血液検査でヘモグロビン9台(いつも15)
大分弱りました
とにかく周りが優しいので
辛い人を見るのは辛いことと思いますが 夫も静かに優しく居てくれて
早く元気になりたいなーと
今日は昨日から調子が悪いと言えど
赤ん坊さんの着物を作るという仕事があって
すごい頑張りました でもすることがあって良かったかも
なんとか間に合って 着た姿を見て泣いてしまいました
病棟と医師には大分迷惑かけましたが 夫の仕事終わりに沐浴とエンゼルボックス(棺のようなもの)にいれてお見送りしました
週末に火葬があるので 外出許可はあるんですが 今日の昼の感じだと行けないなと
何となく思ってたんですが 看護師さんに 絶食中でも大建中湯だけ飲むというパターンもあるのかと聞いて そういう時もあるとのことで 主治医に無理しない範囲で飲んでいいと言われたので 夕に一包飲みました 少量のお茶で 何かなってくれると嬉しいですが あんまり治療にとやかく言うのも嫌ですが 期待もしてみます

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2018-03-02 死産なう

なんと子宮内胎児死亡が分かったのが何日か前
さっき産んだ
悲しかった悲しかった
けど今はとても幸せな気持ちです
へその緒が首に巻きついていたかもと
それなら不育症をあんまり考えなくていいかもという現実的希望と
そしてごめんねごめんね
苦しかったね
とても可愛い女の子が目をつぶってそばにいます
私はあんまりかわいそうじゃない気がする 扱いづらいとは思うが
また元の生活になってベテラン看護師目指して小金稼いで不妊治療して美味しいもの食べられますように
そしてありがとう
こどもさん
現代医療
社会保障
夫や家族
職場
今日は嵐が去っていいお天気みたい

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2018-02-27 入院23日目 術後12日

立ってた目処は崩れ去った!
その後、手術。術後も未だ目処立たず。
赤ん坊はそれでも元気そう、まあまあ大きくなった様子 手術侵襲にもよく耐えてくれてると思う
しかし体重は妊娠前+6kg(出産までに+12kg目標)だったが現在-7kg!
どうなるんだというところ
創感染もしてます(治りかけ)
これからに最悪のシナリオも、順調なシナリオも、なかなか最悪だけど何とかなったねのシナリオも。描いています。
唯一泣いたのは(嘔吐時の涙鼻水を除く)
術後一度イレウス管クランプしたのが失敗に終わった時(1000ml嘔吐した)夫に早く帰ってきてと、がんばろうというラインを見たとき。
こんな、ボロボロの嫁でも、家事適当の嫁でも、家族になれてたんだなーと実感した。
傷病手当、使うだろう。大きい職場で良かった。クビも怖い。それも想像するシナリオ。
しかし自分の病院は疎通がとりやすい…

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2018-02-13 入院1日目

まだ分からないが目処が立ったので記録し始めることにする

2/5
朝まで、特に異常なし。
大雪だったので早起きしてみんなで早く着いていた。
今思えば安定期に入った頃からお腹は張っていたと思う。でも子宮は硬くないし痛くない。そういうものだと思っていた。むしろすぐ脳貧血(適当な言葉がない)になって困っていた。とはいえ動く方が楽なこともあるので、じっとしていたわけでもない。ただ数学にハマって胡座で上体90度くらいで座る姿勢は子宮の上の腸を圧迫していたと思う。そして食欲がこんなにあるのが嬉しくて(普段そこまで欲が無いので)やや多めに食べてはいた。
ちなみに23w3d
10時 腹痛 持続して、腸閉塞的な嫌な予感はした
11時頃から休みながら勤務続ける 上司に産科的心配をされるが腸閉塞な気がすると言い、食べ過ぎただけでなるかよ、とむかつく
14時 早退 産科に電話 上腹部痛なので内科を指示される が午後診療時間がまだ空いてないとこだったので一回帰ることにする 受診も辛いので軽快したらそのまま明日まで家にいたいと思う が大雪だし夜間受診は人手も無いし日中に蹴りをつけたいなと思う
夫が休みだったので迎えを待つ 大雪なので時間かかる
17時 嘔吐開始となる 吐いてもすぐ痛くなるので腸閉塞だろうなと思い始める
内科近医へ電話し受診許可もらい(産科行けよと言われる地域もあるので)向かう 大雪なので道が最悪で気持ち悪い
X線設備はあったので覚悟するが
問診と聴診で腸閉塞と診断 症状強くなれば救急外来に行くよう説明受ける ラックビー処方 飲水くらいにした方がいいか聞きそうしといてと言われる
18時 嘔吐 以降は腹痛がスケール8/10で耐えられない時間になると嘔吐すると楽なので腹痛のために嘔吐するという形
18:40 嘔吐
19:30 嘔吐
20:10 嘔吐
21:00 嘔吐したいが出ず
21:30 嘔吐 救急外来受診を決める
22:00 受診 嘘のようにすいてる 大雪のくせにまじかよ すぐ受付 リストバンドここで受付医事課のおっさんに巻かれる だから巻き方が変な患者が多いことが分かった ゆるすぎずきつすぎず、余りは外側に来て切らなきゃいけないのに
すぐ待合室で看護師トリアージ 今日の当直医に消化器の医師!これで大分違う!
すぐ研修医診察 当たり前だが何度も同じこと聞かれて辛い 診察中トイレに失敬して嘔吐 トイレつったら嘔吐だっつってんのに最後に嘔吐したのはいつか聞かれて今だと言う
中のベッドへ通される
採血 ソルラクト
腹部エコー
消化器医師登場 かなり当たりだ 寄り添い心配し考えてくれる6年目医師 これくらいが一番満足感高い
アセリオが相当効く 1/10に
胃管サンプチューブ12Fr 55cm 20ml引ける むせるのは喉頭侵入じゃなくて咽頭反射やでと進めてと促す
胸部レントゲン 下め 妊婦だし胃液が吸えたからなしでもいいかというところだったが、20mlと少なめで胃内留置が重要ということでとることに 0.6mGy被曝
絞扼性イレウスの鑑別CTは診察と相談から一晩様子を見ることにしてくれた
12誘導心電図 妊婦になって動悸するから心配だったがSRだった様子
ソルラクト2本目
23:30 夫帰宅

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