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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-07-07 「それもこれも今は日常ーー」
2006-06-28 ことばは消えるんだよ。
2006-06-24 ベリ研入会者募集中
2006-06-23 カタカナは黙っていない
2006-06-23 感嘆詞
2006-06-21 楽観視線
2006-06-13 渋谷の写真屋にジャイアンがいた
2006-06-03 まるで昔の自分を見ているよう
2006-06-03 今日の講評会
2006-05-24 死んだ魚の目


2006-07-07 「それもこれも今は日常ーー」

美大の男って「耳をすませば」とか好きだよなぁ…つまりは純粋。

忙しいなあ。
まるで日常になってないし。(まぁまだ数ヶ月だから…。)
昨日は身体とともに精神を崩したし。あれ以上のどん底を見るとしたらそれは戦場だ(甘いかな)。


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2006-06-28 ことばは消えるんだよ。

例え素敵ないくつもの言葉を貰ったって気安めにしかならない。(<だからムリに求めても後に残るのはうっとうしさばかり>)
コトバ(目に見える)⇔シンライ(目に見えない)
シンライヲシンジテミヨウヨ。
タタカッテミヨウヨ
『他のことに夢中になるのは、それは逃げでしかない。
本当の勝利にはなってない。結局又、繰り返すだろう』


       See ya!!



yaが何なのか、事細かに教えてよ。




絵は残るけど貰った時のきもちはもう残ってない。
写真はあるけどそこに命はない。


この絵は関係ないyo


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2006-06-24 ベリ研入会者募集中

一日何度まではメールってしていいのかな。
前髪はどんくらい切っていいの?

好みはどんなタイプ?
ミニとか履いてもいいの?
名前はあだなでいい?

どうしましょ

      


                /Berryz工房

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2006-06-23 カタカナは黙っていない

カタカナが黙っていないと言ったのは谷川俊太郎だったか。それを15歳の時に知ったがために、20歳でそう思ッテ私もカタカナヲ愛用シハジメルト谷川俊太郎がそう言っていたのを思い出して、つまりこれはパロディで終わる運命だった。今これをパロディを呼んだのは宇多田ヒカルのパロディなわけで。

この終わった運命を、この一応のゴールが次のスタートであると言うこれは、Kくんのパロディなわけで。





「(略)でもだから何をしたという。ただの小さな人間が何をできるという!」
『子供にわかる物理を教えとく必要がある。深遠なる自然界の一部である人間もまた深遠なる存在である。一体全体、何処の誰が光、土、水から人間(生き物)が創造されると創造できたであろう。正物質だけでも多種多様である。正物質が存在すれば反物質が存在する。』



(これがあの普段一文語(?)しか使わない彼なのだろうか。)



ここでまず問題なのは、私が唄っているのは彼の見つけたこと(たとえそれはパロディでも)なのではなく、それを見つけた彼という人間であるというところだ。



ねえ、
それは、そういう私という人間は、もう望みがないのだろうか。



真に深い所へ行ける未知数を持たぬ、私よ。
<そして又人間を唄うろくでなしめ。>


君は何かを残したのか?本人が死んでも忘れ去られない絵を?多くの賛同者を集める物語を?鳴り止まない音楽を?美しい道具を?


「このどれかを選ぼうとしても違和感を感じる」せいにしてきたのは正しいの??




…という疑問符も、本当はただの、世界に慰められたい媚びであるくせに。

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2006-06-23 感嘆詞

離れていても、うまくできないのに、
だからといってずっと一緒にいたいわけじゃないんだ。
都合の良い時だけいたらいいのにって
      何度も想ってしまう。


…それを彼の心の中に問いかけたら、その根本論理が外れてるって言われた気がした。そして、正しいことを言葉で教えてくれた気がした。




彼を失いたくないよ。




と又泣いていた。

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2006-06-21 楽観視線

ここ数日何かにつけて涙が出てくるのが何をきっかけだったのか、確認したはずなのに思い出せないし思い出す働きが鈍い。それは、ゴキブリに脅かされているあの部屋に帰らないといけないせい……

望んでいた似非遊牧民生活は、今も解けていないけれど。


遊牧民という言葉は不適切だな。
自由民てヤツも甘い感じがして嫌だな。(実際、3食健康的なものを食べられて学校に通えて身体労働以外の時間がメインである私の生活は甘さに満ちているけれど。)

つまり何を書こうかとしたかというと、新鮮フィーバーもフィーバーじゃない時があるから新鮮なわけで、新鮮が続けば新鮮は停滞になるんだよね。と、新鮮フィーバーの幕開けに感づかされていた予期を、今実感しているということをとりあえず残したかった。(感づかされていた予期という二重表現は正しいですか、世界?)春の次の夏の後には秋が来て、冬が来る。とりあえず私の生まれた世界では。

しばらく自分のことで泣いていなかったのに涙を分泌する私は今、冬なのかもしれない。休みたがっているのかもしれない。休みながら、足場を固めたがっている。


kくんとの4本目をろうそくを手に入れた。
それはやっと外に出れたということ。今までただ内ばかりを唄ってきて、いわゆる自己完結していて、…つまりはそれはあればあるだけ遠くまで出掛けられるはずのものを蓄えていたはずなんだ。


って、悲観にならない物語は物語以外の何になれるのだろう?

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2006-06-13 渋谷の写真屋にジャイアンがいた

ある日
「現像とプリントで1450円になります」
※現像500円 プリント1枚=50円
「…これおかしいですね。9枚しかプリントされてません」
「9枚と19枚を間違えたみたいですね」



また別のある日
「1250円になります
 1500円頂戴しましたので250円のお返しです」
「…これおかしいですね。プリントしか頼んでいません」
「本当ですね。では750円になりますので、
 ええとさっき250円を返しましたので
 1250円との差額である250円を返せば……」




ジャイアソ「おいのび犬、お前の持ってるアイス譲ってくれや」
のび犬  「100円のアイスと50円のアイスがあるけど」
ジャイアソ「安い方でいいや。ほれ50円。」

ジャイアソ「ちょっと待った。やっぱり100円のにするから50円のアイスは返すわ。
      じゃあな」
のび犬  「…ちょっと待ってよ。あと50円くれよ」
ジャイアソ「どうして?
      はじめに50円払ったよな。それで今50円のアイス渡したな。
      合わせていくらだ?」
のび犬  「ちょうど100円!」

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2006-06-03 まるで昔の自分を見ているよう

求められるのは好きだ。その弱さ。求められるのは嬉しい癖に、それに応える気が無いという点がここで言う弱さだ。この弱さはたぶんそのうち強くなる。

蟻くんはちょっと話しかけただけで女の子を好きになっちゃうみたい。ちょっと微笑んで話しかけただけで。微笑むのは未知人を警戒してほしくないからだよ。というかかわいくなく見られたくないから。それすごくかっこわるい。というか馴れてない人と話す時は微笑んでしまうのさ。それは円滑にすべき社会にまみれなければ生きてゆけない私達のマナーかもね。だから蟻くんはつまり。つまりは愛するよりも愛されたいお年頃なんだね。まるで昔の自分を見ているよう。そしてその思惑通り、話しかけなかったら私の周りウロつくのやめたみたい。人はこの時の私をナルキッソスと呼ぶ。

弟と同じ年齢のクラスメイト里芋はまるでその年齢の時の自分を見ているよう。いわゆる、誰にでも好かれたいお年頃らしい(でもその時はお年頃どころの話じゃなく、真剣にそんな自分が苦しい)。むしろ、私も同じ年齢の時に今の私の年齢の人と話して、里芋と同じだった。今の私になりたかった。いやむしろ。ムシロ全然可愛くない年下であった私。それをここの日記で確認した。その年齢の時に書いた日記の脈絡の無さも里芋のうつメールと似ていた。そのメールに惚れ込んでいた私なのに(真似できないと思ったから)。ああ私は何をべらべらと打ち込んでいるのだろう。予定外にこれからKくんが来ることが26分前に分かってから(ああ、あれから26分も経ってしまっているとは)、何にも手をつけられなくなりつつある。


ああ
Kくんよ
左脳を持たない者よ
その評価していた特性を
今物足りなく感じる私よ


私は自分の花壇を
つくる。そこにまくための
肥料と、そこでできた
花を見て能動的に
なる者になってほしい


ここで言葉の浪費をしている自分を、カントのように沈黙を守って大業を成し遂げる人を比べてみる。そして「比べる」というのは「考える」ことであるということを思い出す。その逆である[思う」は複数の事柄を並べ立てないことであることを。それは全て習ったこと。ただアメリカが日本に強いた教育に沿ってるだけのこと。そしてこれまでもが。

キてる。これまでプラスやるべきことやってしまえばこれからの人生がキてる。
昨日の27時、やっと終わった課題を置いてこれからの人生の不安と期待とを想いそして今現在の自分の送ってる日々を想い。そして側にKくんという人間がいたから口から言葉が出た(私は独り言が出ない)「人生…楽しいねぇ……」。寝ていたKくんは頷いた。


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2006-06-03 今日の講評会

よい芸術家(になりえるべき人間性の持ち主)は
日本美術教育の中で埋もれていく
良さが、可能性が、矯正されていく

見てられない
この中からは生まれない(今までのように)
(生まれるとしたら、メシアを手に入れた人だけだ)

既成概念に評価される
自分に甘い者たちに評価される
それがよしとされる社会で
多くの普通人はつまらない人間に矯正されていく
そこを踏み出せないでいる目の前のくだらない者たちよ
多くを知よ。

いや
この言葉のあてはまらない者よ。
私はあなたを救いたい。


満足気に立っている「プロ」たちの隣りにあるどの絵にも
何も感じない(感じえない)


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2006-05-24 死んだ魚の目

「僕は浪人生や就職活動生と話すのが好きです。なぜなら彼らの目は輝いているからです。大学に入れるんだろうか、就職できるんだろうかという不安定な状況が彼らを強くします。
でも悲しいことに、彼らが大学に入ったり就職してしまうとその輝きは失われてしまうのです。サラリーマンなんか死んだ魚の目をした人がよくいたりします。」

嬉しいことに、こないだ見たサラリーマン風のmiddle ageの目は生きていた。
人間の赤ちゃんや小動物なんかの目も完璧なる輝きを放つけど、生きてる魚は…どうなんだろうね…
教務課の人は死んだ目の人が多い↓


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