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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2018-02-27 入院23日目 術後12日
2018-02-13 入院1日目
2018-02-11 入院6日目
2018-02-05 23w
2018-01-21 問題だ
2018-01-19 21w
2018-01-14 20w
2018-01-04 2017
2018-01-02 職場の様子
2017-12-31 最近の職場


2018-02-27 入院23日目 術後12日

立ってた目処は崩れ去った!
その後、手術。術後も未だ目処立たず。
赤ん坊はそれでも元気そう、まあまあ大きくなった様子 手術侵襲にもよく耐えてくれてると思う
しかし体重は妊娠前+6kg(出産までに+12kg目標)だったが現在-7kg!
どうなるんだというところ
創感染もしてます(治りかけ)
これからに最悪のシナリオも、順調なシナリオも、なかなか最悪だけど何とかなったねのシナリオも。描いています。
唯一泣いたのは(嘔吐時の涙鼻水を除く)
術後一度イレウス管クランプしたのが失敗に終わった時(1000ml嘔吐した)夫に早く帰ってきてと、がんばろうというラインを見たとき。
こんな、ボロボロの嫁でも、家事適当の嫁でも、家族になれてたんだなーと実感した。
傷病手当、使うだろう。大きい職場で良かった。クビも怖い。それも想像するシナリオ。
しかし自分の病院は疎通がとりやすい…

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2018-02-13 入院1日目

まだ分からないが目処が立ったので記録し始めることにする

2/5
朝まで、特に異常なし。
大雪だったので早起きしてみんなで早く着いていた。
今思えば安定期に入った頃からお腹は張っていたと思う。でも子宮は硬くないし痛くない。そういうものだと思っていた。むしろすぐ脳貧血(適当な言葉がない)になって困っていた。とはいえ動く方が楽なこともあるので、じっとしていたわけでもない。ただ数学にハマって胡座で上体90度くらいで座る姿勢は子宮の上の腸を圧迫していたと思う。そして食欲がこんなにあるのが嬉しくて(普段そこまで欲が無いので)やや多めに食べてはいた。
ちなみに23w3d
10時 腹痛 持続して、腸閉塞的な嫌な予感はした
11時頃から休みながら勤務続ける 上司に産科的心配をされるが腸閉塞な気がすると言い、食べ過ぎただけでなるかよ、とむかつく
14時 早退 産科に電話 上腹部痛なので内科を指示される が午後診療時間がまだ空いてないとこだったので一回帰ることにする 受診も辛いので軽快したらそのまま明日まで家にいたいと思う が大雪だし夜間受診は人手も無いし日中に蹴りをつけたいなと思う
夫が休みだったので迎えを待つ 大雪なので時間かかる
17時 嘔吐開始となる 吐いてもすぐ痛くなるので腸閉塞だろうなと思い始める
内科近医へ電話し受診許可もらい(産科行けよと言われる地域もあるので)向かう 大雪なので道が最悪で気持ち悪い
X線設備はあったので覚悟するが
問診と聴診で腸閉塞と診断 症状強くなれば救急外来に行くよう説明受ける ラックビー処方 飲水くらいにした方がいいか聞きそうしといてと言われる
18時 嘔吐 以降は腹痛がスケール8/10で耐えられない時間になると嘔吐すると楽なので腹痛のために嘔吐するという形
18:40 嘔吐
19:30 嘔吐
20:10 嘔吐
21:00 嘔吐したいが出ず
21:30 嘔吐 救急外来受診を決める
22:00 受診 嘘のようにすいてる 大雪のくせにまじかよ すぐ受付 リストバンドここで受付医事課のおっさんに巻かれる だから巻き方が変な患者が多いことが分かった ゆるすぎずきつすぎず、余りは外側に来て切らなきゃいけないのに
すぐ待合室で看護師トリアージ 今日の当直医に消化器の医師!これで大分違う!
すぐ研修医診察 当たり前だが何度も同じこと聞かれて辛い 診察中トイレに失敬して嘔吐 トイレつったら嘔吐だっつってんのに最後に嘔吐したのはいつか聞かれて今だと言う
中のベッドへ通される
採血 ソルラクト
腹部エコー
消化器医師登場 かなり当たりだ 寄り添い心配し考えてくれる6年目医師 これくらいが一番満足感高い
アセリオが相当効く 1/10に
胃管サンプチューブ12Fr 55cm 20ml引ける むせるのは喉頭侵入じゃなくて咽頭反射やでと進めてと促す
胸部レントゲン 下め 妊婦だし胃液が吸えたからなしでもいいかというところだったが、20mlと少なめで胃内留置が重要ということでとることに 0.6mGy被曝
絞扼性イレウスの鑑別CTは診察と相談から一晩様子を見ることにしてくれた
12誘導心電図 妊婦になって動悸するから心配だったがSRだった様子
ソルラクト2本目
23:30 夫帰宅

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2018-02-11 入院6日目

幸せだなあと思って寝た翌日、腸閉塞で入院した。また色々とうまくおさまったら記録したい。ここの記録が大分役立った。4回目かと思ってたけど5回目だった。8年ぶり、手術後は初なので意外すぎた。そして文藝春秋とか読んで、久々に上界を知った。忘れてた。下界の些事にもまれて。そしてやっぱり東京はセミナーとか多くていいなあ。まあそれが嫌だったんだけど。

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2018-02-05 23w

数学にハマった。小さい頃の漢字ドリルとか、足し算掛け算のドリルとか、そういうものが大好きだった。公文がそういうものだと知ってから通いたいと親に言って、小4の時に通って楽しかった(引っ越したので1年で終わった)。その時の気持ちにまた戻れるとは思わなかった。白チャートをやっている。本当は、統計をやりたい→時々出てくる数学が十分理解できない→統計のプロに協力はしてもらえるけど、自分もしたい→放送大学の統計心理学ってのがあって、それを深く理解するには微分積分をとってからにしよう→分からない→数3やるがまるで分からない→数1aからやり直そう→すげ楽しい という段階を踏んだ。まだ6日しか経ってないけど、帰って早く数学やりたい…って思って仕事終わらしてる。しかし半年で微分積分の試験が受かるまで行けるか。周産期だし。

日本人には不安遺伝子のある人が多いらしい。私は絶対あると思う。投資とかたぶん本当にしない。子供が生まれる今頃には服とか色々揃えるらしいけど、でもダメかもしれないじゃん?って思うとその時が虚しいからまだ揃える気にならない。産休に入れた頃で十分と思っている。ミシンは大好きなのでよだれかけ(スタイとかいうらしい)とか小物とか服とか作りたいけど、それもその頃でいいやと。もしその頃切迫入院とかになったらそれはそれで仕方ないかなと。通販もあるし夫もいるし、それこそしばらくはずっと家にいなきゃいけないんだから見ながらミシンすればいいしとか。そもそも布代とか安くないからそんなに無駄なほど作りたくないしとか。まあそれよりも、私は子供が生まれたらと考えると小学生以降のことを考えてしまう。要はきちんとある程度以上は健康に育てられることをクリアした後のことだが、そしてきちんと愛着形成できた後の話だが、だって小学生以前のことなんて大して記憶にないし。そして学資保険とか世間のやり方を見てそもそもFPとかに相談した方がいいのかとか考えてしまうけど、なんか通帳貯金の方で十分かなと、出産祝いとか受動手当とか全部通帳に入れたら全然いけるんじゃないかと思い、今回も保険というものから逃げそうだ。ただし私の生命保険は見つけたいなあと思っている(入れる保険が分からない)。とにかく、親に頼れないことが分かりそしたら小学生以降の子供なんてちゃんと育てられるのかと思うと、今の働き方以上の収入は見つけられないと思うので保険とか嫌なのだ。

しかし23w。中絶可能というか倫理的にも関わってくる期間は22wかららしい。23wだと思っていた。白衣も妊婦用に変わり、あれだけ嫌だった妊婦面で歩いてるのだろう。妊婦は幸せなもので、若いママさんとかは同じ苦労を知ってるから労ってくれる。未婚の若い人はたぶん迷惑は少なからず感じてるとおもう。一番負担のある年代なので。そして不妊の人もきっといる。妊婦を見るのも嫌だった私は、妊婦として見られるのが嫌だった。でもなってしまえば、気遣ってくれる声しか直接は聞こえない。幸せなものだなと思う。そして、お腹の中で動いてて、夫も可愛がってくれて、幸せだなあと思う。循環の負荷は相変わらず辛いが。

そういえばインフルだった。イナビル吸入した。

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「不安」と「慎重」は違うのか。。妊婦のナースは白いタイツと白いソックスをはいている。 / しん ( 2018-02-06 14:17 )

2018-01-21 問題だ

体調崩してしまった。To catch a cold or influenza, that is the question.
しかし今日は隣町の新しくできたビジネスホテルに来ている。駅前なので、ホームの音や電車の音、政治演説や学生の走る音などが、どこか懐かしい。田舎に引っ越して、駅なんてまず行かないから。そのうち国道沿線風景が懐かしいなんて言うのだろう。
なぜ来たか。無駄に連休が合ってしまったのだ。なかなか無いからなんかしたい。妊婦だからと色々できないことを見つけて、ホテルで勉強や散策というふざけた独身時代の趣味を。夫は練習に行った。ホテルに行っても安いとこは大体が薄汚くて、ふるいながらも小綺麗にされている、が関の山。しかし新ジャンル 新しくできたホテル という穴場を知った。すごくいいで。向かう途中で発症というか…寒気がしてきたので早速風呂で温まって維持しています。一晩で治すぞ。
風邪ひいた理由は…感染源は職場だろう。宿主の抵抗力として夜勤明け残業労働の15時間労働して帰って 温野菜で暴食して もたれて 消化まで起きてて夜更かしとなり こたつで寝た 妊婦 という要素だろうか。

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2018-01-19 21w

昨日は、職員に助けられた。
最近はほぼ毎日脳虚血っぽくなって倒れそうになるので、シャカシャカ動けない。まあでも一番ひどいときでも5分横になって休んで再び仕事に戻れた時が一番ひどい時で済んでる。血の気がひいて、動悸、呼吸が荒くなって、気持ちが悪くなる。今部署にいる妊婦3人(3人もいるのかよ、30人中)みなそれはあるみたいで、それなりに対処しているそう。こんなんで働き続ける自信が無いのと、医者にこう言われたという免罪符のために妊婦健診を早めて受けたけど一蹴された感じでシュンとなった。一般的には当帰芍薬散とか出してくれるらしいけど。こんな産科を選んでしまって、義母(助産師で同じ総合病院で働いていて、こちらで産むことも可能)に対して情けない申し訳ないという感情が湧き赤子の元気なエコー見ながら泣いた。とりあえず酸化マグネシウムは出してくれた。240円。健康保険が効く薬とか久しぶりで安い。国ごめんな。

で昨日も最近の異常事態の例に漏れず忙しく(職員2名体調不良、カテーテル治療がある日でスタッフ不在)、朝からてんやわんやになるはずなんだけどもうできることしかできないという考えで色々諦めて動いていた。そして午前から介護施設の人とカンファレンス。しかも準備されてないやつで、情報収集から。大体ならわかってるので、ここ聞かれるだろうなという細かな情報を収集。そこで面倒くさい事実に気づき、他部署に関わることだったので慌てて師長を巻き込んで準備。いい仕事できたと思う。ただその間ほかの11名の患者さん(看護師2人で担当)のことは進まず。転院の対応、外出の対応のフォローをリーダーに頼んで不在にしてきたので、相方看護師主導で滞りなく進んだ様子。そしてカテーテル治療の準備が一番気がかり。でも他の看護師が介助に降りることもあって気にかけてくれてて準備してくれていた。本当に助かった。しかも降りる時に準備する薬剤、機械、この辺も。そして実際に患者さんと一緒に降りる時、ただおろせばいいんじゃなくて色々準備があるんだけどもそれもできていて、しかも以前自分で教えてた人だったから自分も嬉しかった。そして滞りなく、患者の血管の状態も良かったようで早く終わった。
午後は午後でカンファレンスやらあったがいつも後回しになる自分の仕事もやらせてもらって(他部署に提出書類など部署を離れることはすごく心の負担)、そして忙しいのはいつも通りやって、事務ごとが残り残業。どうしてもやらないといけない仕事だったので結局15時間労働。なかなかキツく、達成感はあるけど体には悪いとしばらくやってはいけないと心に刻んだ。

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2018-01-14 20w

ついに6カ月。嬉しい。そして半分過ぎた。しかし最近は自分の体の変化についていけない感じ。Hbは13あるし貧血ではないようだけど、血の気がひいていくことが時々ある。大体仕事中、立っている時。スタッフが多い時ならうまくさぼれる(?)けど、夜勤とか人数少ないととてもごまかせない。もちろん理解ない人もいるし。こないだは冷や冷やして帰って胎動も少なくて心配でたまらなかったけど、翌日の休みの日に何もしないで横になって過ごしてたらいつも通り元気な動きを感じられたしお腹も硬くないし膣の奥も痛くないし血の気も引かないし安心した。果て最後まで持つだろうか。今日なんかは、雪なので不要不急の外出は避けてたけど、午後には溶けたので喫茶店に行って論文をやって3ヶ月ぶりに指導教官に提出できた。明日も休みなので、放送大学の試験勉強をしようと思う。英語です。イギリス文学を歩くというやつなんだけど、なかなかイギリスのこと好きになれません。音もいいと思わないし。

職場では、係長が相変わらず気に入らなくて、この人と仕事したくない、と認識してから少し楽になりました。気に入られるのを諦めたというか。あとは委員会でしか会わない人で、なんか面倒そうな人だなーと1年かけて遠くから眺めていた人が、やはり面倒な人だと別の同僚からも思われていることが分かり、共感できた嬉しさとか。委員会の仕事がわらわらと流れてくるけど、とりあえず多くは期待されてないし(もちろん時間外にやられたくないと思ってるだろうし)でぼちぼちなんとかこなしてるのと、一個しんどかったやつはなんとか年内に終わらせて提出したら一番早く認証されてて上手にまとめてました、と言ってくれてたし、まあすっきりとはしている状態。義母は管理職だが、普通に交代勤務のある役職なので、休みの日に会議だとか研修だとかになってしまうという現状を知り、よくやるなーと思って眺めている。でも私は正月の挨拶が無かったり、旅行にも行けない、かといって会社を背負ってるわけでもない(替えの効く?)、未成年の子育ても満足にできそうにない、働き方はしたくない。

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2018-01-04 2017

夕方には帰れて、肩こりがしたから風呂に浸かった。いつものぼせる。そういう時はそのまま裸でベッドで休むのが幸せだ。そしてフルーツを食べたい。つわりの時は果物にだいぶ助けられた。そういえば今日は何をしたわけでもないのに仕事中急に血の気が引いて気持ち悪くなってドキドキしてきて、血圧低下でもしていたのだろう。トイレで座ってたら治った。でも夕方にはまたその前兆みたいなのが来て、さりげなく定時+20分で帰った。家で寝てたら治った。別に家で寝てるのは治すためではなくて、大体に寝ている。
2017年について、私も月別に振り返ってみたい。

1月 論文佳境。年末正月はずっとRとエクセルと格闘してた。そのおかげで余裕生まれる
2月 変わらず論文やってたかと。あれだけ行ってたスケートに行ってないから。院内発表だったか?
3月 院内発表終わり学会投稿に向け変わらず論文 香港一人旅
4月 論文の目処がつき不妊治療に通い始めるも、元々だつってる卵巣腫瘍の方の再度精査やらしながら膝のトラブルで救急車に乗る
5月 膝の手術 術後自宅療養期間中に働かない生の喜びを見出してしまい、復帰後憂鬱に 不妊治療を振り出しからスタートできる
6月 不妊治療 読書の夏
7月 不妊治療 学会発表
8月 不妊治療
9月 不妊治療 胚移植にて授かる 幸せすぎる
10月 つわり最悪 母うつ病再燃で危機
11月 つわり
12月 無理せず働く

つまり論文と妊娠しか覚えてないのだろうか。

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2018-01-02 職場の様子

年末年始は6日間あって、私は2日間働いた。勤務表見たら大体みな1〜5日働いている。前後で休みつくので、月の休日は平等。正月は手当がつくし、家族が子供を見てくれるし、義実家に行きたくない嫁ばかりだし、で割と仕事は嫌がられない。私は芽の出まくった玉ねぎを見て、緑いいなあと思って植物を見に行った。部屋に土があるのが嫌だったが、ゴキブリも出そうにないし、出たらやめようと決めた。玉ねぎはやっと捨てた。

やる気ない介護施設、できる介護施設、残念な嘱託医
90代女性。肺炎、脱水、尿路感染。都会の3次救急では断られるのだろう。介護施設での様子を聞くと、量も、水分も、食の楽しみも、たり無い感じ。なるべくしてなったのだろう。家族も、面会は月に数回と。どういう風に終末期を迎えようと、なんで前もって話し合わないのかといつも思う。施設にも、嘱託医にも、家族にも、気づいて行動できる人がいないのだろう。それで救急病院に行く。肝心の本人は、食事は苦痛でしかない様子。本当は好きというから、やるべきは食が苦痛な原因精査や、体調整えてのリハビリでどう変わるか。検査っていったって、高齢でリスクの高いことや侵襲的なことは望まないと言われれば、本当にもう、何しに来たのか、何しに足りないお金使ってるのか、誰にも言えない。ついでに、看取り希望といった時にじゃあうちでは見れませんという施設がある。看取りのできない施設に存在意義はあるのか。
80代女性。施設で看護師が異常に気づいて医師に相談したけど様子見ろと。やはりおかしいから翌日病院へ。やはり異常であった。早く来てればできる治療もあったり、障害の程度は違ったかもしれないのに。そこの医師は、以前うちで働いてた医者の父親。病気も専門領域のはず。あいつは都会の優れた病院から来たけど、性格は最悪だった。何度、かわいそうな患者さんを見たことか。1年で去っていった。

生活保護
50代男性。生活保護。今まで生活保護の人で唯一応援したいと思った人で。この方は50代で重い病をして、解雇されてしまった。それ以降も、もう若くないのもあるのか、なかなか雇ってもらえない。そんな中、また別の病気になってしまった。まあ、正直、生活習慣が割と悪かったようで、病気になってもしょうがなかったのかなという想像はつく。でも今は、質素な生活をして、できることをしている。生活保護の人といえば、大体に無理なことを言ってるか、何かしてもらうのを待ってるか、あるいはもうアルコールで壊れた脳をお持ちで、大体にため息が出る。

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明けましておめでとうございます。。ごめん、爆笑した。拙者の行く病院のナースも義実家行きたくなくて皆勤務してた。 / しん ( 2018-01-03 20:12 )

2017-12-31 最近の職場

最近の患者さん

仕事は、家族を壊す
80代女性。娘が学校の先生。食事を準備するのは夫。本人は軽い麻痺があってできなくなった。介護を受けるほどではない。家族の食事を準備するのも夫。娘は忙しい。孫の朝ごはんを娘の夫が簡単なものを準備することはある。孫が冬休みで家にいるから長い時間留守できない。服薬指導、栄養指導をしたいが、という話を提示した際に、要は今の生活以上のことはできないと夫の大変さを聞く。まあ、こういう方は多い。栄養士はそれに合わせた話ができます。
家族に誰か仕事の無い人がいると家庭は回りやすい。嫁がそれにあたりやすい。NHKのおはよう日本のアナウンサーが放送終了後9時に食堂に行って昼ごはんにあたるものを食べていた。何時に寝るんだろうか。色々な形が自己実現とはいえ、やはりこの女の人はこのままじゃ母になれないし、この男の人は家庭を持っていてもおかしくない。何が言いたいわけでもない。ただ仕事に生きる人がいると、家族の誰かが大変だということ。

借金、自分勝手な人、でもかわいい患者さん
60代男性。借金、離婚、かくまってもらった親族の家を逃げ、借金は兄弟へ。身元引き受け人は見つかったが、面会拒否。本人も自分勝手な性格。迷惑行為ばかりで手がかかる。ご飯も食べない。痛みを人のせいにする。物を壊す。疲れ果てたが、カンファレンス。こんな人のためにカンファレンスとか優しい世界だなと本音。でも毎日それと向き合わなきゃいけない。色々考えて、いい方向に変わってきた。そうなるとかわいいと思う。うまくいかないとかわいいと思えないのか。
こういう手に負えない人は精神科紹介、とみんなが口にする。でもこの人は違う気がした。ナースコールの線を抜いて人を呼ぶ、大声で人を呼ぶ、ということを覚えてしまったのも、そうしないと人が来ないからであって、病棟で作ってしまった症状、もちろん元の性格がひどいのもあるが、と感じていた。それを反省せずに恥ずかしげもなく精神科紹介、なんて言って、恥ずかしい同僚達だなと思ってた。もちろん、話していてかなりムカつく人だし手もかかるし他の仕事が回らなくてイライラするから、もう辛いことは分かる。それで精神科紹介されたけど、大した薬は出ず睡眠薬が変わっただけだった。私は勝った、と思った。

不機嫌な人は、プライベートがうまくいっていない
40代女性職員たち。1人は、最近不機嫌。能力低いくせに、年功序列を盾に年下に当たってくるから、どうすればああいう風にならずに生きていけるか、本当に悩む。大体平社員。管理職は忙しいし家庭を犠牲にしてるから嫌だ。その人が最近不機嫌な理由はわかる。子供が巣立ち、残ったのが高校生の娘。前からソリが合わないらしい。夫は単身赴任になった。2人暮らし。もう1人は、前から不機嫌。姑と同居。我が強いあの人が。

先頭 表紙

もうちょっと書きたくなりました。私もよく読みに行ってます / ヒポコトリ ( 2018-01-02 19:28 )
今日の日記、すごいおもしろい。。良いお年を。 / しん ( 2017-12-31 15:38 )

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