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ひまじんにっき

だるだる〜。






目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-10-24 ※あれから※
2013-10-06 1ヶ月以上たった
2013-09-25 それから☆☆☆1
2013-09-23 父〜諸手続き〜
2013-09-20 父〜お寺さんに納骨〜
2013-09-18 父〜お葬式〜
2013-09-16 父〜お通夜のあと〜
2013-09-16 父〜お通夜まで〜
2013-09-16 父〜地元について〜
2013-09-16 父〜地元に行くまで〜


2013-10-24 ※あれから※

父の四十九日も無事終わり。

あとは、お骨をお墓に納めるだけ。


でもここまでいろいろありました。
詳しくは言えないけど、うちもいろいろあったから。

そして今思うことは。

「過ぎてしまったことは仕方ない。」

それですますには割り切れない部分がいろいろ
家族にはあったようだけど、過ぎた時間は
戻らないし、亡くなった父も戻らない。
問題は問題で解決していくしかない。

同じ一日を過ごすんだから、どうせなら怒ったり
イライラして過ごすよりも、出来うる限り前向きに
ニコニコ過ごしたいものだなあ、とつくづく思いました。

その問題もまあ、ほぼ解決に等しい状態になりまして。
家族…てか、母も落ち着いてまいりました。

まあね。過ぎたことですますには、自分が
申し訳ないこともあるけども(家族よりダンナにだな)
でも過ぎちゃった以上はどうしようもない。

なるべく笑って過ごしたいね。うん。

先頭 表紙

本当に。去年はダンナ父を見送り、今年は自分の父…。見送る側になったのを実感してます。私は自分ですることはほとんどないんだけどね(゜∀。)アヒャ。ダンナ父はダンナが、うちのは母と兄と姉がほとんど全部してくれたので…。こういうの、わからずにやると不安ですよね〜 / JAI ( 2013-10-27 22:00 )
みんな色いろあるよね、私も今年はいろいろありました・・・お義母さん全部嫁いだ義妹にしか頼もうとしないし、義妹の嫁ぎ先から釘刺されるし・・49日に用意するものは結局知恵袋で聴いて、すごく親切にしてもらえて嬉しかった・・・みたいな(笑)??少し前から読みましたが、お疲れ様でした。いよいよ送る世代になっちゃったね。 / ( 2013-10-26 14:22 )

2013-10-06 1ヶ月以上たった

結構忘れたな…。

箇条書きで。

・翌日、今度は檀家じゃない?でっかいお寺に納骨に。
 いく前に、Sちゃんが転んで頭を打って、心配だったので
 妹とSちゃんは居残り。上の子Mちゃんだけつれていった。
 (ちなみに大丈夫でした)
 Mちゃんはとってもイイコで、立派に名代を果たしていた。
 (いや、普段は十分悪いこともするんだけど、こういうときは
  ちゃんとこなすらしい)
・そこからどういう流れか忘れたけど、妹たちは住居に戻ることになった。
 ランチしてからいこう!駅前のホテルでランチしよう!と、
 歩いていったんだけど、私にベビーカーに押し込められて
 泣きわめくSちゃんを任せて、妹は荷物とりにいくとかで、
 母とMちゃんは何故か私の100メートル程後ろからという状態で
 ベビーカーを押して歩いてた。泣きわめくだけで、逃げないから
 まあよかったんだけどね。
・ランチはバイキング。美味しかった。おもしろかったのが、
 やっぱりSちゃん。ものすごい食べてた。妹が
 「私一人じゃバイキングもととれないけど、今ならこの子で
  もととれるわw」
 っていってたことw。兄やホテルで合流した姉も、Sちゃんは
 みるといつでも食べてたねー、っていってたw。
 帰り際に抱いたら、重さが違ったってw。
・妹家族はそのまま戻っていきました。
・その後、兄は仕事を思い出し、メールとか見たら、結構大変な状態
 だったらしく、ずっとパソコンを眺めたりiPadを眺めていて、翌日
 帰っていきました。

・私は8日に帰る予定だったのかなあ。ダンナがその日北海道から帰るから。
 でもその日の朝…。母がまた入院した時の朝と同じ状態になっちゃったΣ(゜д゜lll)。
 お腹下して、吐きまくり。休日診療受けようか、とおろおろしてたけど、
 母が大丈夫、前回よりマシだし、明日いくよ、とか言ったので、とりあえず
 休日診療は受けなかったけど、こんな状態じゃ帰れない!と、ダンナに連絡。
 ダンナは10日から一泊二日の出張だったので、じゃあ11日に帰るね、と
 いってたんだけど…。

・11日。朝からのんびり帰る準備してたら、ダンナからメール。
 「親戚のおばさんが亡くなった。」
 ええええええええ?私どうしたらいいの?
 「自分が明日そっちいく。」
 そ、そうか…。じゃあまた帰らないんだな、私。
 12日お通夜、13日お葬式でした。

・飛んで15日。16日からダンナは3泊4日の出張だったから、
 どうしようかなあああ!!と思ってたけど、アンタ一人やと
 帰れないみたいだからカエレ!といわれたので帰りました。

 長い長い帰省になったのでした。

先頭 表紙

2013-09-25 それから☆☆☆1

本来妹は2日に幼稚園と、それにまつわる諸行事があって
住居に帰ろうか悩んでたんだけど、母が調子崩したことも
あってかな。もう数日いようと決めてたんだけど…。

前回の記事の翌日。母は本調子ではないものの、ちょっとマシに
なったそうで、兄とまた、諸手続きに出かけたんだけど、
その間に妹に幼稚園から連絡が入り、園長さんから
なんでこないの?的メールだったらしく、連絡が伝わってない!
帰ろうかな、どうしようかな、とひとしきり悩み、
翌日帰るかなー、でもどうしようかなー、という感じに。

私は一人のほほんと子供たちと遊んだり昼ご飯買いにいったり。
午後に弔問客が来てくれるとのことで、その人が母たちの
帰宅前に来たりなんだりとバタバタしたこともあったけど、
その日は(少なくとも)体調は無事でした。
天気むちゃくちゃ悪くて、心配したけどねえ…。

そうそう。書き忘れてたんだけど、葬式の前日だったか。
私が父の日記を覗いたんですよ。父の日記は、その日の新聞の
見出しとか、日の出日の入りの時刻とか、自分の言葉は
来た人の名前?とお風呂入ったかとかのマーク?くらい。
だったのに…。

亡くなる前日だけ、メッセージが書いてありました。
「今日は姉が世話しにきてくれた。感謝。
 じゃいも妹も電話をくれた。感謝。
 妻は世界一の女房だ。
 来年3月は金婚式。それまでは一日一日を大切に
 がんばって生きよう。」
みたいなの。もう泣けちゃって…。母にも見せたけど
そのときはテンパっててスルーされたけど、のちのちずっと
嬉しそうだった(ように思う)。そして、
「アンタ、私の日記読んでもいいけど、誰にも見せるなや」
といわれましたw。はいと答えておいたけどねw。

ちなみにココに名前のなかった兄は反省した、みたいな
ことをいっていたようだw。その分お母さんに孝行してね…。

先頭 表紙

ブラキヲンちゃん ありがとー!言葉があるのとないのとではやっぱちょっと違うねw。でも兄にも最近本人にいってなかったけど、周りに自慢の息子みたいにいい始めてたらしい。きっとお父さんはさほど後悔もなく旅立ったと思うよ。 / JAI ( 2013-10-01 18:14 )
まるるん。ちゃん 私もそれ怖いw。都合悪いもの消しておきたい気持ちがある反面、ダンナはきっと見ないでいてくれるだろうと…>と、さりげなくここで強要する。見てるかな?とりあえずここはダンナしか知らないしねw。 / JAI ( 2013-10-01 18:13 )
最後のメッセージ、号泣です!残してくれててありがとう!だよね。お兄さんには悔いが残りそうだけど、お父さんも書いとけばよかったぁ〜って思ってるだろうね。 / ブラキヲン ( 2013-09-30 00:31 )
お母さんの気持ち思うと胸いっぱいになっちゃう。…つか、それよりさー私亡き後、PCの履歴からアッチコッチのブログやらなんやら読まれちゃったら大変なことになるなって思ったwww / まるるん。 ( 2013-09-27 08:41 )

2013-09-23 父〜諸手続き〜

納骨した日は日曜日だったので、比較的ゆっくり過ごし、
晩ご飯は姉家族と一緒に兄が奢る!というので、
姉家族を待ってたんだけど、姪っ子が頭痛するというので
姉家族はパス。じゃあどこいこうか?近くのホテルで
食べるか、と外行ったら大雨www。Sちゃんは暴れるし
どうしよか?といってたら、兄がヒョイっとSちゃんを
抱き上げ、これでいこう、と。イヤー、驚きましたね。
力強いわ、おにーさま。拘束されるのが嫌いなSちゃんを
なだめすかしつつ、傘をさしつつ、たどり着いた店は
「すみません、予約で一杯で…」
Σ(゜д゜lll)。ホテルの店がか?!と思ったけど、まあ
文句はいえん。隣のコンビニでなんかかって帰る?と
コンビニに居たら、母が近くに店がある、というので
兄と母で見にいってる間にお酒とか買ってたら、戻ってきて
「いっぱいだったorz」…。
なんでこんなに混んでるのさ。仕方ないのでピザでもとるか、
じゃやっぱり飲み物とか調達しておこう、と買い物して
また雨の中、兄がSちゃんを抱き上げ帰りました。
私はもちろん、じゃい夫もできませんw。やっぱり子供いる
男性は、全員じゃないだろうけど、すごいもんだな、と
思いましたねえ…。雨の中、往復軽く2キロは超える道を、
幼児とはいえ、暴れるのをあやしつつ持ち続けるなんて…。

帰ってピザ頼んで買ってきた飲み物飲んで、その日は終りました。

翌日。

兄が実家に居られる期間は残り…4日?くらい。
その間に出来ることはしておかねば、と使命感に燃えた…のか
どうかしらないけど、すぐに諸手続きを開始。

でも、同居もしてない長男じゃ限りがあるので、母同伴で
市役所いったり銀行いったり郵便局いったりほかにもいろいろ。
しかもどういうイヂワルなのか、大雨続き。
雨じゃないの。大雨!!!!昼帰ってきた時は
まだまともな顔(?)してた母が、元気を出すために
ドリンク剤飲んだあと、気持ち悪いと言い出して、吐き出した。

こういう時も、子供持たない人間は弱いね。近寄れないんだもん…。
いや、みんながみんなじゃないけど、私は弱い。おろおろしてたら、
母自身と妹がちゃっちゃと母を布団にいれました。そして母が
一休みしてたら…。

ぴんぽーん、というチャイムのあと、弔問しに、父の友達が
きてくれました。家族葬は葬儀自体は比較的らくちんだけど、
弔問客が大変、って聞いてたけど、ウチもやっぱりきてくれる人が
いるんだなー、と、きてくださったこと自体は嬉しく思いつつも…
母、パジャマ(というかTシャツとパジャマ?)で寝てるんだけど…。
と、やっぱりおろおろしつつ応対してたら、母、出て来ちゃった…。
その方達がお参りしてくださったあとにも続けていらした方々が
いたりして、結局あんまり休ませてあげられませんでした。

先頭 表紙

2013-09-20 父〜お寺さんに納骨〜

葬式のあと、私とダンナは、ダンナ実家…いやもう私らの家なのか。
石川のお家でお泊まり。なんだか自分の実家よりよく眠れるw。

翌日は、菩提寺に、親戚と納骨に。

ココで覚えてることは、ダンナがもってるお経の本を、
母と姉(と私)が覗いてたこと。みんなで覗くなよw。
姉覗いてたのはダンナ知らなかっただろうなw。後ろだったしw。
あと、お経とかお骨納めにいく場所で、Sちゃん抑えるのに
大変だったことかなw。ちなみに妹ダンナは葬式のあと、
翌日の海外出張へいくため、居住地に戻っていました。
兄嫁さんとそのお嬢さんも。

このあと、母、姉と姪、私ら夫婦、妹とべいべーずで
菩提寺の最寄り駅に歩いて向かいましたが、ベビーカーでベルトを
締められるのがきらいなSちゃんは、ベビーカーで大騒ぎ…。
お菓子上げてる間だけ黙ってたわw。しかし、その道すがらというのが、
私たち家族がもともとすんでいた町並みなので、懐かしいのなんの…。
こうやって家族でこの町並みを歩けるのも嬉しいな、と思ったり。

駅について、現在の居住地の最寄り駅につくまでは、Sちゃんには
シール貼る絵本を用意。黙ってはってくれてるのはいいけど
同じ場所ばっかに貼ってたな。全部貼ったあとはしばらく
もぞもぞしてたけど、寝てくれた(ような記憶)。

姉と姪は家に帰り、残りのメンバーは実家へ。
ダンナが斎場で撮った写真をPCでみんなに見せたり、
Sちゃんがイタズラするのを止めたりしてたような…。

なんか本当に備忘録状態。以前は読んでもらうために書いてたけど、
なんだかすっごく自己満足になってきたなあ…。でもこういう場所が
あるのは助かるわw。

先頭 表紙

エラい早めの納骨になったらしいけど、家族が遠方にすんでる人が多いから仕方なく。 / JAI ( 2013-09-20 16:15 )

2013-09-18 父〜お葬式〜

お葬式前に特にコレといった記憶はない。

お葬式中の記憶といえば、お坊さんの栞が入浴券だったこと…。
笑いそうになるじゃないかw。やめてよwww。と思ったな。

あとはやっぱり、出棺のとき。

大好きだった(私がプレゼントした)石原裕次郎のCDから
流れる「夜霧よ今夜もありがとう」をBGMにしつつ、
みんなで最後のお別れをしました。

この瞬間は、あんまり知らない人の葬式でも泣けちゃう私が
当事者なんだから泣かずにはいられなかった。いや、我慢する
必要もなかったが。もうあえなくなるんだな、っていうのが
ひしひしと…。みんなの父とのお別れ見るのも切なかった。

コレはあとで聞いた話だけど、出棺の挨拶を終え、
CDを止めたタイミングが、ちょうど「夜霧よ〜、今夜も〜
ありが〜とお〜〜〜」というありがとうが終った瞬間
だったらしく、父からの最後のお礼だったのかなあと
母がいってました。ご丁寧だ、父。イヤ偶然ダロけど。

そのあと親戚一同と斎場へ。火葬前に姪っ子が
「おじいちゃんだから一緒に火葬場入っていい?」と
姉に聞いて、一緒に入ったら燃えるわっ!てか、
燃えるとこみたいんか?!とつっこんでました。
すごいな、姪っ子。そして火葬の間、兄妹とその家族が
集まって、歓談しました。みんな仲良く(・∀・)。みんなが
仲良いって嬉しいね。ダンナは一人で写真撮りにいったり
私らの写真撮ったりしてくれてました。

お骨拾いのあと、斎場にかえり、カンコツ?の
お参りのあと、精進落とし?の御膳を食べて、帰りました。

先頭 表紙

娘としてはお茶目というよりワガママいってたイメージが強いけどw、いないと寂しいし、一人暮らしになったままは寂しいだろねー。でもちょっと元気になったよ^^。私も元気!でも改めて病院行くのがイヤでイヤで(゜∀。)アヒャ。いくけどさ。 / JAI ( 2013-09-19 13:01 )
じゃいちゃん、お疲れ出てない?ママは落ち着かれてるかしら?お茶目な裕次郎さんだから、いらっしゃらなくなった寂しさは想像はつかないでしょうね。ご冥福をお祈りします。 / レイ ( 2013-09-18 23:05 )

2013-09-16 父〜お通夜のあと〜

お通夜が始まるまえに、久しぶりに会う従妹たちと会えました。
同い年の従妹が二人いて、会うのが楽しみだったんだけど、
中学時代の同級生と結婚した従妹が開口一番

「相変わらず細すぎやな〜、働け!」

・・・あいかわらず口悪いやっちゃw。
もう一人の同い年の従妹は柔らかい感じなんだけどねw。
でも面白くて、この口の悪い従妹も大好きで嬉しかったw。

とかなんとか言ってる間にお通夜の始まり。
ぼんやりしてたら、特に席に規定もなかったようで、
後ろの方に座ることに。妹も結構後ろの方だったし、
いいんだけどねー。隣に座ったおばさんたちがちょっと
泣いてて、なんだかありがたかった。

お通夜のあと、ダンナがカメラもって歩いてたので
従妹たちと一緒に写真撮ってもらいました。
ダンナカメラ係してたなあ〜。頼まれたわけでもないのに。
コレもあとでありがたがられてた。

そして、食事。予定にはなかったけど、従妹たちにも
参席してもらうことに。私は例の同い年の従妹たちと
口悪い方wのダンナさんと弟さん夫婦と座りました。
そのダンナさんも元同級生だけあって、ふたりで言いたい放題w。
言い返してやったけど、一番秀逸だな、と思ったのは
私をナマケモノナマケモノって言うのでつい、
「私はペットやしいいんや!」
と、プライドの欠片もないことを言ったらw。

「もっとカワイイペット飼えばいいのに!」

悪かったなあ!www。これは翌日の葬式まで、みんなに
からかわれたw。でも、ああ言えばこう言う会話は
やっぱ楽しかった。端から見ても楽しそうだったようで、
途中からおじさんが参加してきたり、姉の義理の息子が
一緒に座ってくれたり。ダンナと従妹ダンナさんが話してる
姿がどっちが年上かわからなかったりねえ…。ウチのダンナ
丁寧だからな…。

父のことが書いてないけど、まあ、結構ばか騒ぎで
終ったお通夜だったかな…。実家でダンナと妹一家、
母とともに休みました。ちなみに、斎場に泊まったのは、
兄と姪と親戚。姪は父からはなれたくなかったんですよねえ。

先頭 表紙

まるるん。ちゃんありがとー!故人を思って泣くのが、故人へのなによりの供養らしいから、それでいいんだよ。お父さん喜んでるよ、きっと。…そういう意味ではちょっと親不孝だ、私(゜∀。)アヒャ / JAI ( 2013-09-17 17:54 )
じゃいパパお疲れさまでした。何か読んでて号泣しちゃったよ…もう何年も経ってるけど、どうしても自分ちのオヤジと重なっちゃう(ごめんちょ) じゃいちゃんもお疲れ様。 / まるるん。 ( 2013-09-17 12:04 )

2013-09-16 父〜お通夜まで〜

姪っ子は宿題だったかなんだったかで、ひとまず帰宅。
兄は仮寝だったか打ち合わせだったか…。母も眠れなかったので
帰宅して休んでたか美容院か…とにかく、妹一家と私だけ?くらいに
なって、私は主に子守りしてました。…でもねえ〜、男の子二人の
お母さんだから大変で当たり前なんだけどねえ〜…。
妹が怒るのがコワイコワイwwww。ちょっと怯えてた頃に
ダンナが飛行機で到着。姪っ子や母だったかも戻って来たので、
お昼ごはんをダンナと二人で食べにいきました。

あまり食欲なかったので、あんまり食べれんかったけど、
ダンナと二人が嬉しかったwww。どんだけコワかった、私!!

でもかわいいんだよな〜。特に下の子。一分たりとも
目を離せない、ダンナ曰く「ワルガキ」www。
機嫌悪く名前を呼ぶと絶対来ないけど、笑顔を作って
「○○ちゃ〜〜ん、おいで〜〜〜♪」
とやると、私でもトテトテトテと駆けてくる。カワイイっ!
拘束すると大暴れするけどな。

話がそれたけど、一度実家にいって、喪服を借りてきた。
そしてすぐ、納棺の儀。とりあえず甥っ子を大人しくさせて
おくのに忙しかった…のかな。あんまり覚えてない。
ただ、お父さんが喜ぶだろう、と、阪神のバスタオルを胸に
かけてあげたり、大好きだった洋服とか、いろいろ棺に入れて
ましたね。ちょっと顔拭いたり、旅支度の支度のひも結んだり
いろいろしました。

祖母の葬式の時も褒められましたが、ダンナは今回も
飛行機で早く来たこと褒められて?いたような。なんでそんなに
急いで来たの?って感じだったかもしれないけどw。
納棺昼過ぎだったしね。でも「じゃいの実家の一大事だから
当たり前!」と言ってくれて嬉しかったです。

お通夜葬式は本人の希望で家族・親族のみにして欲しいとのこと。
そこからお通夜が始まるまで、ほとんどまた子守りw。
下の子…Sちゃんとしておきますか。じっとさせとくと機嫌悪かったり
暴れたりするので、お散歩に連れ出したりしてたらエレベータの
ボタンを押すのがお気に入りになってしまったΣ(゜д゜lll)。
幸いウチ以外は利用者がなかったので、好きにやらせてたけど
(葬儀場の人も温かく見守ってくれたけど…すみませんでした)
お通夜が近くなるとそうも行かないので、他に気を向けさせようと
いろいろしてたけど、親戚が来たら挨拶しなきゃいけないし、他にも
することはあるしで、目をそらしたら、一人でエレベーターボーイしてた
らしいorz。いろいろ困らせてくれたわ…でもかわいかったわっ♪

ちなみに、今までで一番好きな葬儀の飾り付けでした。余計なものを
一切省いた感じ。いい葬式になりそうな予感がしました。

先頭 表紙

2013-09-16 父〜地元について〜

駅近くの葬儀場で仮通夜、通夜、葬式の連絡が来てました。
なにぶん、着くのに6時間くらいかかるので…。
もう葬儀場に家族・親族集まってるとのことなので、
私もまっすぐ葬儀場に。

私より一足遅く出た妹たちは既に到着。
甥たちが元気に駆け回っておりました(゜∀。)アヒャ。
私は貧血のことを言いふらされてた上に顔色が
悪かったようで病人扱いされてなんだかなー、
でしたが、私は電車から降りてしばらくは大抵
車酔い症状でてるだけなんだよ…。

父は安らかそうに寝てました。ずっとずっと
痛くて思うように寝られなかった父。楽になったね。
と、手を合わせて焼香しました。ふと、線香の側を
見たら、寝ている父の似顔絵が…。姪っ子が書いた
らしい。上手なんだ、また。姪っ子はもう、ご遺体に
触ったり布団覗こうとしたり、なんだか亡くなった
実感がないのかな?母たちは隣に寝ないかと心配する
レベルに父に寄り添っていたらしい。

久しぶりに会うおじさんおばさんたちや、妹のべいべーずと
歓談?してたら、葬儀の打ち合わせということで、母と姉と
おじさんが別室へ。1時間ちょいして戻ってきたんだけど、
入り口で母が素っ転んだ!!!手を強打して、なんだか
痛みが酷そうなので、まだやってた病院へ一人で行きました。
骨が折れてる可能性も十分考えられる感じだと、レントゲンを
撮ったそうですが、ヒビすら入ってませんでした。
「お父さんが張り切りすぎるなって転ばしてくれたんだね…」
とか言ってたけど、周りは
「いや、お父さんが守ってくれてその程度ですんだんだろう!」
とつっこんでましたw。母もその意見に納得してくれましたw。

その日は、妹一家は近くの実家でお泊まり。私と母と
夜遅くに来る兄、そして父と離れたくない姪が葬儀場に
お泊まりすることに。ダンナは翌朝来るというので、
みんなが居ない時間に電話してました。

兄が来て、姉が葬儀の段取り等を説明して、いろいろ
話してたら、夜遅くなったので、姉は帰宅、兄は徹夜で
仮通夜するそうで、私と母は寝ました…とはいえ、母は
寝れなくて兄と話してたみたいですけどね。

先頭 表紙

2013-09-16 父〜地元に行くまで〜

私視点の話に。

先日血が人の半分といわれて、エコー検査を9/1にするよーと
いわれてたんですが、それまで薬もつのかコレ?と眺めてたとき
だった気がします。母から電話がありました。

「お父さんまた倒れてん!みんなにいうといて!」ブツ。

口挟む間もない。私はどうしたらいいのん?と思ってたら、
第二弾。

「ヤバいかもしれん。帰る用意した方がいいかも」

そういう事情で帰省の可能性高いなら薬もらってこようかなと
病院へいって、父が危ないので帰省するので、エコーの日を
変えてもらって新たに薬もらえますか、といったら、21日分も
だしてくれた。合間合間ににーちゃんと電話でやり取りしてたんだけど
現場に居ないもの二人ではなんもわからん。で、姉に電話したら
何となくそこまで急ぐもんじゃないか?と思いつつ家に帰ったら
母から電話第三弾。

「大丈夫かも。まあ念のため家掃除しとき」

えええええ?!この状況で掃除?!と思いつつ掃除しかけたんだけど
誰と電話したんだったかな?とりあえず一度石川にすぐいった方が
いいってことになって、掃除はヤメてwww、喪服ももたず、
駅で切符かってホームで待っている時でした。妹から。

「お父さん、もう亡くなったって」

Σ(゜д゜lll)。よりによってココで聞くか…。家帰って準備して
いった方がいいのかな?と思ってたら、続けて姉から電話。
どうしたらいいかと聞いたら、ちょうど乗るつもりだった電車が来ました。

「乗ってまえ!」

といわれて、電車に乗って石川に来ました。

ダンナはちょうど出張中。しかも電波の繋がりにくいところ。
一応逐一報告は入れていたので、電車の中で連絡がついて、
諸手続き(生協だのガスだの届くはずのテーブルだの)をした上で
なるべく早く石川に来てくれるとのことでした。ありがたや。

電車の中で、ちょびっと泣いたのは秘密です。

先頭 表紙


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