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ちゃな坊の「テンテコ舞いってどんな舞?」

某地方都市で短大講師として奮闘中。現在37歳。
担当は『情報処理関連教育』。専門は『情報システム監査(経営学)』。
1歳の愛娘と子連れ単身赴任中。旦那は300km以上離れた土地に住んでますw
講義は(半期で)本務校7コマ、非常勤2コマの過激さは変わらず。
その他、学会関係の理事職とかカンファレンスの企画屋とかは相変わらずだったり。
“子連れ単身赴任”でも頑張りますよ。自分と家族と教え子のために!

最近、検索されたりしていろんなところでさらされることが多いので、メルアドは消します。連絡先は変わってません。悪しからずー。

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2006-02-28 鯖のアップデートがうまくいかぬ。
2006-02-22 パソコンの前のメモ
2006-02-18 ハキダメ
2006-02-17 悪いスパイラル
2006-02-08 ある19歳の想い(4) 〜働くということ、生きるということ(2)
2006-02-08 ある19歳の想い(3) 〜働くということ、生きるということ
2006-02-08 ある19歳の想い(2) 〜父と自分と将来の夢(2)
2006-02-08 ある19歳の想い(1) 〜父と自分と将来の夢(1)
2006-02-06 感性を守るための防御壁
2006-01-19 黒部君


2006-02-28 鯖のアップデートがうまくいかぬ。


タイトルとも何の関係もないのですが、突然、コレがすごくほしくなりまして、市内および隣の県庁所在地の複数の本屋をドライブがてらあたってみたのですが、なかなかお目当てのものに遭遇できておりませぬ。
なぜ、コレを買いたいのかというと、学生の教材として利用できないかな…と思いまして。アルゴリズムとかデジタルとか、そういう概念を可視化できることって結構教育では大切なのですよ。で、しかも作って面白みもあるというところが、なかなかそそるわけですな。

しかし本屋の探索なんて、私には逆に毒でして、つい別の本を手にとってよんでしまい、一時間以上…何てこともざらでございます。
…もう、こうなったらネットで買うかなぁ。



さて、タイトルにも書いたお話。

職場で使っているポータル用鯖のアップデートをしているのですが、うまくいってはいないのですぅぅぅ(涙)。
なんかね、MySQLをダウンロードしてコンパイルしてインストールしたんだけど、なーんか、MySQLがうまく起動していないっぽい。
なんでだろう。なにがいかんのだろう。

と、夕方まで粘りましたが、鯖部屋しめるとか言われて追い出されました。
鯖部屋を含めた建物の施錠権限、持ってないの。下っ端だから。
(研究室のあるところは、施錠管理の外なので問題なし。)




・・・そんなわけで、使ってるオープンソースのコミュニティサイトに疑問を投げかけて、やけ酒したら、妙におなか痛いし、頭が熱っぽい。
なぜじゃ。


そうそう、日曜日夜に髪の毛ちょっと切りました。
ひさびさに、ちゃぱつふかーつ!
5歳若返りました(当社比)。


ああ、明日も鯖部屋での作業があるから、ジーンズで出勤だな。
(最近、私の服装には誰も何も口を出してこなくなった(笑))

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KUNさん>こちらこそおひさしぶりですー。大人の科学、結局、我慢しきれずにネットで大人買いしちゃいました(笑)。20ケース注文しちゃったもんねー。早速、男子学生やら、若手職員やらに、「組み立て手伝わせてくださいっ!・・・ついでに遊ばせて〜」と懇願されております(笑)。 / ちゃな坊 ( 2006-04-16 21:52 )
ぷり長>マスクいいですねぇ(笑)。結局、わたしともう一人の職員とが、最近、必然的にやたらMySQLだのPHPだのに長けて来てしまいました(笑)。 / ちゃな坊 ( 2006-04-16 21:49 )
おひさしぶりでーす。大人の科学!某店で大人買いでレジにフガー!と大量に持って行ったら・・・すげー高くて挫折しました(涙 / KUN ( 2006-04-11 14:53 )
お疲れさまでした。作業してても上手く行かないときは、なんかこう後ろ向きな気分というか、いたずらに時間を食っているような感じがありますな。 マスクだったら社員価格で譲りますですよ(笑) / ぷりぷり所長 ( 2006-03-08 02:38 )
うう、そして明日は出前講義でK市ゆき・・・。 / ちゃな坊 ( 2006-03-07 03:50 )
そうそう、鯖のアップデートは成功しました・・・つかれたわ。 / ちゃな坊 ( 2006-03-07 03:49 )
画像は今回とは関係ないのですが、昨年の夏に清水港で出会った海上自衛隊(?)の船でございます。航空自衛隊は基地の近くに住んでいたから良く知ってるけど、海上自衛隊とかってなんだかとても不思議な存在。 / ちゃな坊 ( 2006-02-28 00:58 )

2006-02-22 パソコンの前のメモ


週末で、精神的になんとかふっかつーしました。
土曜日夕方に名古屋駅に迎えに来てもらい、整体にいき、ステーキ屋で満腹になり、それでなんだかご機嫌になってしまいました。
日曜日は、ゆっくりして夕方から仕事をしたり、カニ食べたりしましたし。

忙しいのに、少しだけ時間を割いてくれて、さらに気分的にはかなりイヤな話も嫌がらずに聞いてくれた彼氏君に感謝です。
これで、ついでに私の確定申告やってくれると助かるんだけどな…(笑)。
(自分でやればいいのですが、面倒なので「プロなんだしやってよ〜」って頼んだら、「忙しい上に、たいして複雑じゃないからイヤ」って断られた(^^;)

月曜朝の新幹線で戻りました。そのまま、職場直行しましたけどね。


今日、仕事をしていたら研究室のパソコンからメモが剥がれ落ちました。
付箋紙にメモして、パソコンら手帳やらに貼るという人は多いのではないかと思いますが、私もその一人です。ただ、あまり研究室のパソコンには貼る事はありません。学生もよく出入りする場所ですので、重要事項とか機密事項などは貼っておけませんしね。

そんなわけで、剥がれ落ちたメモにふと視線がいったのでした。
結構古いメモで、ペンのインクがかなり色褪せていました。
写真が、そのメモです。

実は、書いてある内容をみて、ちょっと驚いたのですよ。

  「遵守性、説明責任を守ること、企業倫理を守ることが、
   組織の有効性、能率を向上させることに、どのようにつながるか」

と書かれているのですが、こんなことをメモしていたことに驚きまして。

このメモを読んでいて思い出したのですが、このメモを書いたのは、多分数年前のことだと思います。たしか、三菱がリコールの問題を起こしてゴタゴタしたあと、一度再建計画を出していると思うのですが、そのときのメモだと思うのですね。
私自身の専門分野に、この三菱の問題は直接は関係しないのですが、間接的に影響のあることだと思って、こういうメモを残したのだなと思っています。

メモを残したときには、それほど深く考えていたわけでもなく、多分、「こういうことが今後、影響するから調べておこう」程度に残しただけだと思うのです。
そして、そんなことすら忘れかけていた…。

今、このメモを改めて見ると、自分の研究上重要と思われる要素やそれにつながる要素を見出すことができるわけです。当時の私では、何も生み出すことはできなかったけれども、今の私ならば、ここから生み出すことができるものがあります。


思ったり、考えたり、気がついたりしたことを、何かに書き留めておく、言葉にしておく、形あるものに残しておく、ということは、そこから新たなる何かを生み出すことのできる原動力にもなるわけですね。
私たちは、そうやって、いろんな人たちからもらったものから何かを生み出し、それを次の世代に伝えるために何かを残す。
だからこそ、言葉って大切なのだ、と。


当たり前のことなのですが、そんな当たり前のことにも気がつかせてくれた、この色褪せた自分の手書きのメモのことを忘れないようにしようと、今度はこの日記に記しておこうと思います。

ここもまた、私にとっては手書きのメモと同じような場所なのですから。

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雅さま>そうですね。過去の日記を読み返すと、いろんな思いが湧き出してきますが、それも私なんですよね。 / ちゃな坊 ( 2006-03-07 03:48 )
ワタシもひまじん活用してます♪そのときの新鮮なキモチのまま、ここに書きとめておくの。後から読んで恥ずかしいことも多いけどね。人間だから失敗もあるし。成長も? / 雅(みやび) ( 2006-02-22 15:17 )
ある人いわく、「ピンピンとよく跳ねている字」だそうです(笑)>私の直筆。 / ちゃな坊 ( 2006-02-22 03:16 )

2006-02-18 ハキダメ

どんなにイヤでも、仕事をやらねば先には進まない。
いつもどおりに、やるだけだ。

そう心に誓って、研究室で黙々とレポートの採点をし、来期の講義計画に基づいてあれこれと講義用資料・データを作成していた。

そうだ、学内用の学内情報システムもバージョンアップしなければならないのに、スケジュールだけは決めたのに、作業がおいついてない。

そう思って、研究室にこもって黙々とやった。



メールが来る。

仕事のメールや、つまらない迷惑メールに混じって、それはやってきた。


今年度で辞めることが決まっている、ある同僚(とはいっても歳はずいぶん上だけど)からの愚痴メール。

長いメールだった。
すごく長かった。
気力を振り絞って全部よんだ。

・・・・・・・・・・・・・・・萎えた。

私にとっては、一ミリも自分の役にも立たないし、
一ミリも欲しくないメールだった。



彼女が、どれだけ学科内でひどい目にあってきたかは私は十分知っている。
彼女からの愚痴メール、何通もらったのだろう。
そのたびに、あれこれいろいろと学内で根回しして、私は私なりに彼女に誠意を尽くしてきたつもりだ。
彼女も、そのことについては感謝してくれてはいる。


それでもどうにもならなかった。



よんでいて、思ったことはただ一つ。


私は、所詮“ハキダメ”なんだな、と。


愚痴を言っても、誰かの悪口を垂れ流しても、全く影響を受けないと思われている、無用で要らない“ハキダメ”。

いつも、いつも、いつも、辞めることを決めていくメンバーのほとんどが、私に同じようなメールを送りつける。

こんな組織はもうコリゴリだ、とか、
●●なんてホントに最低だ、とか、
私は全く評価されなかった、とか、

そんなこと、私はもう知っていて、それでも自分自身でココに存在しながら自分のやるべきこと、やらねばならないことを考えようとしている。
私にとっては、それはプライドのようなもの。

そんな私に投げかける言葉が、そんなものなのか、と、
ああ、私はハキダメなんだな、と、

メールへの返信をやめて、そのメールをフォルダに捨てた。



仕事も、切羽詰っているものはとりあえず片付けたので、
唯一、私の話を聞いてくれる人間のところで、少し骨休めします。
ちゃんと、学生の前で笑える自分でいたいから。
ハキダメに言葉をぶつける人と一緒ではいたくないから。

(そんなわけで、↓17日の日記の後半部分は消去させてもらいます。読んでいただいた方、ありがとうございました。私は、大丈夫です。)

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最近の私の悩みと同じなもので、えらく遅いつっこみ申し訳ありません…。私も最近とある友人の愚痴を聞き続けていたのですが、聞いたところで自分を顧みることもなければ私の話も聞いちゃいない。ものすんごく虚しくて、でも切ることも出来なくて(友人なので)ジレンマで苦しいです…。ま、そのうち思うことを言っちゃおう、と思ってますけど^^。 / JAI ( 2006-06-06 16:37 )
(つづき)そんなわけで、聞いていてこちらが気分的にへこんでしまってどうにもならなくなってしまったのです。そんなわけで、こんなおかしなことを書いてしまいました。Web上でこういう内容を書いてしまったことを、少し反省しています。 / ちゃな坊 ( 2006-02-22 03:11 )
まゆまゆさん>心配していただいてありがとう。復活しました、大丈夫です。職場の愚痴をいうことって別に悪いことだとは考えていません。私も、職場の愚痴はいいますし。ただ、この相手の方はあまりにも自分自身が“悲劇のヒロイン”的になりすぎてしまって、被害妄想がすごすぎて、正直、私が聞いていたら頭が変になりそうなそんな話だったのです。 / ちゃな坊 ( 2006-02-22 03:08 )
ハキダメか・・・・。私もよく、愚痴をたらたらとメールでこぼしてしまう。相手にただ、同情してもらいたいだけ。自分を正当化したいだけ。自分は弱くないって言ってほしいがために、友人にぶちまける。相手の立場にたって行動できる人間になりたいと思っているのに、私は自分かってなことばっかりしてるなぁ、って思いました。ストレス、ためすぎないでくださいね。学生の前で笑える自分でいるために・・っていうとこを読んで、すごく心配になりました。 / まゆまゆ@職場 ( 2006-02-20 17:46 )

2006-02-17 悪いスパイラル

普段、いやなことも大量にあってもできるだけそれを認識しないようにしたり、忙しくて頭がぶっ飛びそうでも前向きに考えるように意識をしているわけなんだけど。

時々、ものすごくその反動がくるというか。
でも、仕事柄、そういうのを表に出してしまうこともできないわけで。
夜中に、寝られなくなって鬱々としてしまうときが時々あります。

長期間ではないのですが、自分の中ではそんな悪いスパイラルに時々打ちのめされてしまうときがありまして、
ああ、このままだと、仕事が主な影響のストレスが、仕事に悪影響を及ぼすなぁ…と感じてしまうわけです。


なんとかしなければならないわけですが。



緊急避難的に少し書きます…が、多分後半消します>この日記。

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(この部分は、消去しました。読んでいただいてありがとうございました。2006.2.18)

先頭 表紙

教員一年目さま>ありがとうございます。どこも大変だとは聞いています、どこでも同じだとも思っています。自分を見失わないことが大切かなと思っています。がんばりましょう。 / ちゃな坊 ( 2006-02-18 12:43 )
自分のことを書かれているのではないかと錯覚するほどちゃな坊さんと似た状況です。現在の環境に染まることなく自分が目指していたものを見失わないように…なんとか踏ん張らねばと思っています。お互い頑張りましょう。 / 短大教員1年目 ( 2006-02-17 22:58 )
この土地に住んで、もう四年。まだ、自分がステップアップできていないことに一番あせっています。 / ちゃな坊 ( 2006-02-17 03:50 )

2006-02-08 ある19歳の想い(4) 〜働くということ、生きるということ(2)

(↓のつづきです。)

  * * * * *

 ヒトは貪欲な生き物。常に無いものねだりをする。食物が不足した戦時中、餓死をまぬがれるため、人々は食物を求め必死になった。餓死する人も少なくなかった時代、人々は「生きたい」と思った、どうしても死にたくなかった。食物が溢れる現在、餓死する人はいない。餓死する人がいなくなった今、自らの手によって自らの命を絶つ人たちが現れた。生きることに意義を見い出せない彼らは、「死にたい」って思っちゃうのだ。「死」が当たり前だった時代には「生」を求め、「生」が当たり前になった今、「死」を求めるようになった。まさに無いものねだり。

 キャリアに関してもそう。現在、貴族の家に生まれたら生まれながらにして将来は貴族、農家の家に生まれたら生まれながらにして将来は農家、と言った厳しい身分制度などない。自分のやりたい仕事を自由に選べるようになった。だがその反面、自分がどんな仕事に就くべきなのか、何をやりたいのかがわからない、という悩みを私たちは持つようになった。昔の人に聞かれたら笑われるだろう。これは贅沢極まりない悩みだから。でも、現在の私たちはそのことで真剣に悩み、必死に考えながら生きている。もちろん私もその一人。自分の描いている「理想像」を、「キレイな死に方」を、人間の本能として無意識に求めているからじゃないかな。

 贅沢な時代に、贅沢な悩みを解決するために生まれた、贅沢な学問>>> キャリアデザイン論。こんなステキな学問を学べることをとても幸せに思う。

 まだ19歳、私の人生の最終ゴールは遥か彼方。そのゴールを有終の美で飾るために、自分が納得できるキレイな死に方に少しでも近づくために、私はこれからも悩み、考え、走り続けていきたい。



   * * * * *

私は、学生のこういう文章に出会えるこの職を選択して、つくづく幸せだと思う。
この学生は、悩みながら、苦しみながらも、学ぶことの価値を知っている。そして、学びたいと強烈に願い、学ぼうと努力している。

経済学者のケインズの有名な言葉に、『生きるために働く必要がなくなったとき、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる』というものがある。私の講義ではないが、うちのある教授の講義でこの言葉を知った学生が、「この言葉と出会うことができてよかった。」と私に語ってくれたことがあった。

“贅沢な悩み”かもしれないが、“人生の目的”を真剣に考えるということに直面している若者が今の日本にはたくさんいるということを、知ってほしいと思う。そして、その上で彼らがどのように歩んでいこうとしているのかを、積極的に見守っていくことが私たちの役割なのだと思っている。

先頭 表紙

みなさま>メッセージありがとうございました。今、少し心がバランスを欠いているみたいですので、少し落ち着いたらきちんとお返事させていただきます。それまでは、適当につっこみをしたりするような日々になります。ご容赦ください。 / ちゃな坊 ( 2006-02-17 04:03 )
おくればせながら、お誕生日おめでとうございます!今頃そちらは、空っ風吹き荒れている頃ですかね・・・ああ、あの風が懐かしい・・・信州にはないものだし・・・。 / 瀬名 ( 2006-02-13 18:09 )
遅れ馳せながらお誕生日おめでとうございます! この学生さんの「キャリアデザイン=贅沢な、素敵な学問」という捉え方、いいなぁ。そして身近にいいお手本がいるということが羨ましい。かつての私は正反対で、いっそ江戸時代の町人か、カーストに固定されるインド人に生まれたかったと思っていました(^^;; / みなみ ( 2006-02-11 11:06 )
お誕生日おめでとう!滑り込みセーフ♪ / 雅(みやび) ( 2006-02-09 23:50 )
お誕生日おめでとうございます。彼女たちのような志を持った人たちを受け入れられる社会や教育の受け皿を作ってあげることが我々に課せられた責任と考えます。でもこの文章読んでいてこういう考えを持った人がいることに涙が出るほど嬉しくなりました。 / 走る酔人(PAO) ( 2006-02-09 23:18 )
お誕生日おめでとうございます。素敵な考え方をする19歳さんですね!『生きる』ことを目的にする必要がないからこそ、人生の目的が大事。うーん、耳が痛いけど心に響きます。 / JAI ( 2006-02-09 12:53 )

2006-02-08 ある19歳の想い(3) 〜働くということ、生きるということ

ある学生の文章をここに紹介します(期間限定)。
『ある19歳の想い(1) 〜父と自分と将来の夢(1)』を書いた学生と同じ学生の文章です。


  * * * * *

【マイキャリアデザイン論 〜「働く」ことから考える、私なりの「生きる」ことについて。】


 キャリアデザイン>>> 自分の生涯の職業計画を設計すること。

 トップページの冒頭でも書いたが、私たちは「死ぬ」ために生まれてきて、今「生きている」のである。そう、人生の最終ゴールは「死」なのだ。それならキレイに死にたいって私は思う。キレイな死に方の定義付けは各人様々だが、例えば、豪華な葬式をあげたい人、愛する人にみとられながら死にたい人、長生きしたい人、自分のやりたいことを死ぬまで続けていたい人等...

 私は、理想の死に方を見つけ、それに近づくためにはどうすればいいのかを考え、行動に移していくことがキャリアデザインだと考える。なぜならば「生きること」と「働くこと」というこの二つは、ものすごく密接な関係にあると考えるからだ。また、これは個人的な意見だが、私にとって「働くこと」が「生きること」の中に大きなウェイトを占めているからである。

 例えば、寿命八十歳の人が二十歳から定年の六十歳まで働く場合、寿命の半分に当たる四十年間働くこととなる。人生の半分を働きながら生きるのだ。また、衣食住を確保した生活を送るために働かなければならないのは当然だが、多くの人は「好きなこと、興味のあることを仕事にしたい」「嫌々ではなく、可能なことなら楽しく仕事をしたい」と思っている。これらのように、「期間」と「やりがい」という二つの面から見ても、「生きること」と「働くこと」というこの二つは、とても密接な関係にあると言える。



  (・・・続きます)

先頭 表紙

2006-02-08 ある19歳の想い(2) 〜父と自分と将来の夢(2)

ある学生の文章をここに紹介します(期間限定)。
『ある19歳の想い(1) 〜父と自分と将来の夢(1)』より読んでください。


(↓のつづきです)
  * * * * *


 「不動産業に携わりたい」と思うようになったきっかけは、「将来やりたいことが見つかんなかったら、パパの会社でも継げばいいや」という安易で低俗な考えからだった。今はもちろんそんな考えはないが、「継げばいいや」なんていうスタンスでいたら、確実に会社は倒産するし、今まで必死になって会社を創り上げてきた祖父や父に失礼極まりない行為である。

 今は逆に会社を継ぐのが怖い。果たして、私なんかに務まるのであろうか。私が継いだら倒産してしまうのではないか。いや、むしろどんなに私が継ぎたいと思っていても、私なんかに継がせてもらえないかもしれない。不安で不安で仕方ないが、その不安を消すために私は勉強をする。色々な人とコミュニケーションをとる機会をたくさん作る。自分では思いもつかないようなことも含め、なるべく色々なことを体験する。そう、これは最近発見したことなのだが、「自分には役に立たない、無意味だ」と思っていたことから、しばしば意味を見い出せることがあるのだ。

 家を買うこと、マンションを買うこと、アパートを賃借すること等…不動産の買い物は、「この洋服気に入ったから買っちゃえー」とか「このバック買ったばっかりなんだけど、なぁ〜んかイメージと違うから使うのやめよう」というわけにはいかない。不動産の買い物とは、多くの人にとって、一生に一度の買い物、生涯の中で一番高い買い物であるからだ。強い責任感は感じるけれど、そこに携わることができたら、なんてすてきなんだろう、と思う。

 その人にとって、一番ホッとできる場所を、「自分のお家へ帰ろう」と思えるような場所を、住む人の笑顔の絶えない場所を提供できる不動産屋さんに私はなるぞ〜。


   * * * * *

不動産や建築がらみで、法律や倫理を無視した行為を行い、それに対する法律的・経済的・道義的な責任をとろうとしない恥ずかしい大人たちが、残念ながら存在している。責任の擦り付け合い、社会的責任感の欠如・・・など、あげだすときりがないが、プロとして恥ずかしいとは思わないのだろうか。

この学生の、この文章を読んでもまだ、恥ずかしい行為を続けられるというのならば、私はそんな人間たちは“失格”であると言い切ってしまっても良いと思えてならない。


もう一つ、同じ学生の書いた印象的な文章も二回に分けて(バイト数の関係)でご紹介します。

先頭 表紙

2006-02-08 ある19歳の想い(1) 〜父と自分と将来の夢(1)

ある学生の文章をここに紹介します(期間限定)。


  * * * * *

【将来やりたいこと 〜将来の夢は、地域に優しい不動産屋さん♪】


 将来「不動産業に携わりたい」って強く思うようになったのは、つい最近のこと。多分、父の影響がすっごく大きい。ここでは「父の仕事」と「父と自分の関係」を交えつつ、私の「将来やりたいこと」について書いていきたいと思う。

 我が父は、昔から自慢の父だった。かっこよくて、紳士的で、強くて。ちまたでは、「お父さんと歩いているところ見られたくない」などと言った会話が聞こえるが、私の場合はむしろ、「大歓迎、ここぞとばかりにみんなに自慢してやる」ってくらい自慢の父だった。

 父の仕事は町の不動産屋さん。亡き祖父が設立した会社を今は父が受け継いでいる。第三者に不動産屋の娘だと言うと、「お金持ちなんだね」とおっしゃる方は未だに絶えないが、決してお金持ちではない。あっ、別に貧乏ってわけでもないが。

 短大に入学して少しだけ経営学を学び、会社経営の難しさ、経営者の苦悩というものを初めて知った。父が今まで味わってきただろう苦労を想像したら、涙が出た。それと同時に、今までよりも、より深い部分で父のことを尊敬し直した。我が「父」として、一人の「人間」としてこれまで尊敬してきたことに、一人の「経営者」としても尊敬することが加わったからだと思う。

 自営業を営んでいる父が当たり前で、そんな父の姿を幼い頃からずっと追いかけてきたが、今でも会社を存続させている、私たち家族を養える、ということは、本当にすごいことだと痛感した。自営業って聞こえはいいみたいだけど、現実は決して甘くはないと思う。自分のことをほとんど語ってくれない父だが、今まで大変だったことも多々あったと想像する。もしかしたら今も大変なのかもしれない。でも、娘には辛い顔、疲れた顔一つ見せない父は本当に偉大だと思う。

 いつの頃からか、そんな父を尊敬するとともに、父のことをもっと知りたいと思うようになった。どんな道を歩んできて、今の父があるのか。若い頃はどんな仕事をしていたのか。こんなに完璧な父にも弱い部分があるのだろうか。辛くて泣いたり、弱音を吐くことがあるのだろうか。会社の経営状況は今どうなっているのだろうか。また、父のようになりたいと思うようになった。父のように強く、美しい人にはなれないけれど、少しでも近づきたいと思う。


  (・・・続きます)

先頭 表紙

2006-02-06 感性を守るための防御壁


1月下旬の週末に、旅行に出かけた。湯河原で一泊し、熱海や伊東(サンハトヤ(笑))にも立ち寄った。
天気が良くて、富士山はバッチリ見えたし、宿の料理は死ぬほどたくさんあって、さらに海の幸も食べまくって、帰ってきたのでバッチリ太りました(笑)。

旅行中は、ひたすら相方君(笑)とあれこれ話をしていました。
充実した旅でした。


明日(というか今日)で、定期試験が終了します。採点など、かなりキツイ状況になっています。先週から今週まで、ほとんどレポート採点、答案採点、試験監督などに追われています。
締め切りがかなり近いので、採点時間以外に、ゆっくりじっくりとレポートや答案を読んでいられないのですが、いろんな意味で考えさせるレポートや答案をみつけ、時々、トリップすることがあります。

学生って、本当に面白いなと思います。
18歳ぐらいの学生たちって、文章も、表現方法も、考え方も、その子自身の感性がむき出しの状態なのですね。表現は悪いけど、裸の状態で向かってきているというか。
動物的な嗅覚なのか、それとも家庭の中で培われた“感覚”なのか、それはわかりませんが、そんな“感性”をむき出したままで、いろんなことに関わろうとするのが、今の若者なのかな・・・と思っています。

当然、そんな感性同士がぶつかり合えばうまく行くわけはないわけで、学校という場でそれを解消するための“積極的な方法”を身に着けていくことができた子は、社会での適応能力が自然とつくわけです。ただ、最近は“消極的な方法”を選択する子も増えていて、そういう子達は、自らが存在している場をどんどん否定し、撤退していってしまうので、苦しくなるのではないか…と私には思えるわけです。

それぞれの持つ感性を大切にしつつ、社会での適応能力を向上させるためには、当然、感性のまわりの防御壁のような“論理的な思考能力”は必要だと思うわけです。
なんとなく、日本には“論理的な思考能力”を排除したり、軽視したりする傾向があると思うのですよ。これは、確か電ボ君が指摘してましたね。
論理的に説明して、理解させて納得させる交渉よりも、対象者の“気持ち”に訴えかけることの方が効果を発揮するという風土があるからなのかもしれません。

確かに、人間は感情で左右される生き物ですから、気持ちを大切にするのはとても重要ですが、それは最後の手段でよいのではないかと思うわけです。というのも、感情で仮にこじれてしまった場合は、たとえ論理的に正しかったとしてもうまくいかないというケースは多々あります。論理的に正しいものなら、論理的に攻める方が王道でしょう。
感性に頼りすぎるというのは、芸術などを除いて通常の生活では、実はかなりハイリスクな行為だと、私は思っています。

昔と違い、感性がむき出しのままの若者を受け入れ、気長に指導しながら彼らの中に防御壁が生まれるのを待っていてくれるほど、世の中はそれほどやさしくなくなっています。かといって、高等学校以前で本来されるべき基礎的な論理的思考能力の養成も、あまり実を結んでいないままに大学・短大に入学しているのが現状です。
下と上に挟まれ、たった二年間という短い間で論理的思考能力を育てる…という責任を、自分自身が負っているのだということが、正直、私自身を苦しめています。


難しい課題だけれども、このむき出しの豊かな感性を持った学生たちのために、私は生かされている。
きっと、できるはずだ。と私は、自分自身の弱い心にそういいきかしている。

先頭 表紙

いいお天気の芦ノ湖ですね。  うちも9日が最終学年の成績締め切りで、先生方がテンパってらっしゃいます・・・。これから入試シーズンですね。やれやれ。 / こまち ( 2006-02-06 12:00 )
写真はどこだー。芦ノ湖だー(笑)。 / ちゃな坊@よっぱらい。 ( 2006-02-06 02:53 )

2006-01-19 黒部君


先週の金曜日に母からメールがあり、実家で飼っていた黒部(オス、19歳)が永眠したそうです。

年末年始で帰省したときにはかなり老衰がひどくなっていて、まともに歩くことすらできなかったので、覚悟はしていました。
今になって思えば、遠くに住んでいて普段は会うことのできない私が正月に帰るのを待っていてくれたのかな・・・と思えてなりません。


私にとって、黒部はかけがえのない存在でした。
母から火葬にしてもらい、位牌の写真を送ってもらってもなんだか実感がわかないでいます。
実家に帰って確認をしたい気持ちが強くなっていますが、今週末もまた土日がすべて仕事(オープンキャンパスやセンターの試験監督など)で帰ることができず、今でもなんだか信じられない気分ですごしています。


本当に、天国にいってしまったのかな。ねぇ、黒部。

先頭 表紙

ごぶさたです。19歳とはこれまた大往生でしたね。そこもまた彼らしいところだったかな、と思います。近い将来、犬を飼おうと思ってますが、ペットロストには備えられるのかなぁ…。 / clouds ( 2006-02-07 08:36 )
御無沙汰しています。愛犬との別れ。これほど辛く寂しいものはありません。。。あ、人間は言うまでもありませんが。(^-^; / うららん ( 2006-02-06 12:12 )
瀬名ちゃん>そうね、なんとなくまだ「身近にいる」気がしています。 / ちゃな坊 ( 2006-02-06 01:33 )
ぷりちょ>そう、野武士というのが彼には似合っていたかもしれない。 / ちゃな坊 ( 2006-02-06 01:33 )
長年連れ添った愛犬、死んじゃってもまだ「生きてる」感じがするんですよね・・・悲しみが薄れてくると、それを実感します。この間実家に帰ったとき、庭にある主不在の小屋を見て「ああ、死んじゃったんだっけ。。。」と泣きましたが・・・なんか、今は生きているときと変わらない。これが「心の中に生きている」ってことなのかなぁ・・・って思ってます。 / 瀬名 ( 2006-01-24 23:45 )
ええええぇ。ヤツはいつも強そうだったのになぁ。ただ咆えられてただけじゃなくて、あの野武士みたいな風合いが。おいらにとっては今でも強敵。  何もしないまま時間が経ちすぎた、自分を振り返るとそう思う。 / ぷりぷり所長 ( 2006-01-19 02:40 )

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