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akiの「義理家族への愚痴日記」



→ホントのひまつぶし

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2003-08-20 お願い。
2003-08-08 私にどうしろと?
2003-07-30 何も決められない彼女たち。
2003-07-30 文句を言うな。
2003-07-30 食べる順番。
2003-07-15 それでも娘か。
2003-07-15 義実家への手土産。
2003-06-04 下心なんてないのに。
2003-06-03 義父の退院。
2003-06-02 義父の入院。その2


2003-08-20 お願い。


義両親はいつも、私たちがどんな風に生活しているか聞きたがる。

 何時に帰ってくるのか、
 何時に食事をするのか、
 何時に寝るのか、
 何時に起きるのか、
 何時に出掛けるのか、、、etc

親なら心配も当然だろうと思い、毎回丁寧に一つずつ答える。

だから私たちが夜型で、朝は平日でも7時半過ぎまで寝ている事も、
休日は昼前までのんびりしている事も知っている。

オットは普段忙しい分、休日はゆっくりたっぷり寝かせてあげる。
義両親も、この子(=オット)は、そうしてあげないとダメなのよーと言っている。

それなのに、どうしていつも日曜日の朝7時に電話をかけてくるのですか?
なに事があったのだろうと、こちらはビックリして飛び起きる。
で、電話に出てみると必ず義父だ。

そして電話に出たとたん、

 「まだ寝てたんだろう?ハハハ!」

そして、

 「急ぎの用じゃないんだけどね」

と続く。
じゃぁなんでこんな朝っぱらから電話かけてくるんですか?
そしていつもいつも用件もくだらない。

最新のくだらない用件は、

 「魚焼きロースターを2つ買ったから
  もし欲しかったら1つあげるから取りにおいで」

って、もぉーっ!いりませんっ!
  
お願いです。
朝はゆっくり寝かせて下さい、お義父様。

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2003-08-08 私にどうしろと?


義父の通院は相変わらず続いている。

術後の経過も安定しているようなので、
私が付き添うことも少なくなったある日、
義母から電話。

 「最近、お父さん(=義父)の具合が悪そうなのよ。
  足もむくんでるみたいだし・・・
  もしかしてガンが悪化してるのを私たちに隠しているのかしら。
  私たちが心配するので黙っているのかもしれない。。。」

と、ホントかどうか分からないけど心配なご様子。
義姉も義父の事が心配で夜も眠れないと言っているらしい。

 「でも、私たちが病院について行く訳には行かないから(←なぜ?行けよ!)
  akiさんが病院へ行って先生に話を聞いて来てくれないかしら?」

はぁ〜・・・
はいはい、分かりました。行って参ります。

で、また夜になって電話をかけてきて、こんな事を言う。

 「もし先生に、お父さんは余命半年だ!なーんて言われたら
  私たちには言わないでね。耐えられないから」

はぁー???
じゃあ私は何のために話を聞きに行くの?
もし余命半年だって言われたら、自分たちは知らないまま暮らし、
私には一体どうしろと?

義母&義姉は、私にはホントに理解不能。
でも義父が心配なので病院へは行った。

で、先生によると、

・転移したガンの広がりは見られない。
・足はむくんでいない=太っただけ。
・健康維持のため痩せましょう。術後、急激に太りすぎだ。

と言われ、安心して帰ってきた。
もちろん、義母&義姉にもその通りご報告致しました。
しかし、しつこく、

 「でも足がどう見てもむくんでいるのよ。膝が痛いって言うし・・・」

と、さも私がちゃんと話を聞いて来なかったんだ、と言わんばかりに、
自分たちがどんなに心配しているか、
心配しながら義父と暮らしているのがどんなにツライ事か、
などなど、2時間ほど聞かされました。

まったく!
自分達で病院へ行って確かめて来ーい!

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2003-07-30 何も決められない彼女たち。


義父がかなりのワンマンなのは認める。
人に指図されるのは大嫌いだし。

でも、
だからと言って義母も義姉も義父に頼りすぎ。

ずいぶん過去の話だが、義姉は自分が進学する高校すら決められなくて
義父が受験申し込みをしてあげたらしい。
それで、
『あんな学校行きたくなかった、お父さんが勝手に決めた』
と相変わらず今でも文句ばかり言っている。

最近ではこんなビックリする話があった。
駅前で食事をしよう、と義父から連絡があったので待ち合わせをした日の事。
出掛ける間際になって雨がパラパラと来てしまったので、
それぞれカサをさしていた。

ふと見ると、義姉のバッグの中から折り畳みカサが2本突き出ている。
みんなそれぞれカサをさしているのに、更に2本もどうして?と聞くと、
玄関を出た所で雨がパラパラと降って来たので義父が、
『折り畳みカサを持っていく』と言い、
義母も義姉も同じく折り畳みを持ったら、急に義父が、
『やっぱり本降りになったら困るから長いカサを持って行く』と言ったので、
義母も義姉も慌てて長いカサを更に持って出掛けて来てしまった、と言うのだ。

そして、それをまた
『お父さんが色々言うからカサいっぱい持って来ちゃったわ。全く!』
と、やっぱり義父に文句を言う。

どんなカサを持って出掛けるか位の事、自分たちで判断して下さい。全く!

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2003-07-30 文句を言うな。


義父の作る食事は確かに美味しくない。

私たちが行った時は大抵はみんなで外で食べるのだが、
たまに義父が張り切って作ってくれたりする。
オットの事は『長男』、私の事は『長男の嫁』と呼んでお客様扱いなので、
いつも上座に雛人形のように座らされてしまい手伝わせてはくれない。

 以前の日記にも書いたが、義父は家事の一切を自分一人で毎日こなしている。
 義姉も義母も仕事している訳でもなく、ただ暇そうに毎日を過ごしている。
 義父はガンの手術の後も、退院後すぐから家事生活に戻った。

で、いくら美味しくないと言っても、
せっかくしんどい身体で頑張って作ってくれる食事は
頭が下がるほど手がかかっているものもたくさんあり、いつも有り難く頂く。

だけど、義母と義姉は違う。
いつもいつも文句ばかり。ハッキリ『まずい!』と言ったりする。
しかも、

  『味噌汁の豆腐の切り方が大きすぎる』とか、
  『昨日も今日もキャベツを使ったおかずだ』とか、
  『1匹100円のアジなんて食べられない』とか、、、

あげくには
  『なんで古米なんだ』と泣き出したりする。←ホントに。

主婦である私にしか、主夫である義父の苦労は理解できないのかもしれない。
本当にそう言う面では気の毒だ。

文句を言うな!っと、一度でいいから義母&義姉に言ってみたい。
自分たちは義父のお陰で何もしないで暮らせているのだから感謝しても良いくらいだ。
しかも義姉、普通は年老いた両親が病気で苦しんでいるのに、
家事のひとつもして手伝いなさい。

見かねて私は、
『近所に住んで食事の支度だけでもしましょうか?』
と、何度も提案しているのだが、
さすがに私に来られると自分たちが怠けてはいられなくなるので、
義母も義姉も絶対にそれだけは阻止したがる。
そういう彼女達の気持ちが分かるのか、義父も遠慮している。

勝手にしてください。もう私は知りません。

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2003-07-30 食べる順番。


一緒に食事をすると義父はいつも
自分がいかに裕福な家庭で育ったかを自慢し始める。
東京大空襲まではトイレが5つ風呂が3つある屋敷に住んでいた、とか、
駅から自分の屋敷まで他人の土地を一歩も歩かず帰れた、とか。
家族に自慢してどうするんだ。しかも毎回毎回もう飽きたよ。

その話のひとつに「食べ物を食べる順番」というのがある。
自分に出された食事のうち、好きな物は最初に食べるか、最後に食べるか。
義父いわく、
『オレは裕福な家に育ったので、誰に取られる心配もなく食事が出来た。
 だから、好きな物は一番最後まで取っておいてゆっくり食べるんだ』と。

で、必ず私にも聞く。
私は好きな物だけ美味しく食べる方だ。(ややお行儀が悪い!?)
嫌いな物やその時食べたく無い物まで全部食べようとは最初から思ってない。
なので『好きな物は最初に食べます』と答える。
そうすると義父は哀れんだような目で私を見る。

私の実家だって決して貧乏なわけではありません。
食べ物の順番なんて考えた事も無いのが普通じゃないでしょうか・・・
好きな物を一番最後まで残して食べるなんて、
ウチの実家なら卑しい事はするな、と一喝されるでしょう。

自分はお育ちの良い坊ちゃんだと言いながら、
ボロボロと口からこぼしながら食べ、唾を飛ばし、食事中でもタバコをガンガン吸う。
呆れたお育ちだと思うのですが・・・

また、義父・義母・義姉で必ず食べ物の交換が始まるのも我慢ならない。
自分の好きな物・嫌いな物、家族の好きな物を譲り合い、交換し合うのだ。
そのとばっちりは、たまに私やオットにも来る。
自分の食べたい物だけ黙って食べろ。食べたく無い物は残せ。
どうしても譲り合いたいのだったら、
せめてお店の人に頼んでシェアしても良いか聞いて、お店の人にサーブしてもらえ。

・・・と、一度大きな声で言ってみたい嫁なのでした。

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2003-07-15 それでも娘か。


義姉の行動は、私にはほとんど理解出来ない。

義父のガンが転移している事は、
やっと大手術を終えてホッとしている本人には
しばらく話さないでおこうと思っていた。

義父は退院するなり、大酒飲み&ヘビースモーカーに元通り。
あんなにツライ手術を受けて、
あんなに大きな傷が身体に残っているというのに懲りない人だ。
更に、服用している薬の副作用で身体が熱いと言って、
毎日アイスを5本もいっぺんに食べてしまう。バカ。

打つ手無し。

しかし、そこで義姉。とうとう義父に言ってしまったのだ。
『ガンが転移してるんだから、少しは自分の身体をいたわれ!』と。

それを聞いた義父はさすがにショックだったらしく、
何日間か口もきかず自分の部屋に閉じこもってしまった。
せっかく『これで命がつながった』と喜んでいたのに。
実の娘のくせになんて残酷なんだ。
言いたい気持ちは分かるけど、それをグッと堪えるのが普通でしょう。

そして数日後、なにかが吹っ切れたのか、
義父は更に酒&タバコがパワーアップしてしまったのだ!

この親子は、ホントに理解出来ない。疲れた。

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2003-07-15 義実家への手土産。


滅多に持って行かない。
たまに持っていくと、無駄使いした、と言われる。

それでも父の日だとか母の日だとか各々の誕生日だとかに、
相手が喜びそうな物を用意しておくと、何故か夫がとてもうれしそうにするので、
義家族のためではなく、夫のために用意する。
妻が自分の家族を大切にしてくれると思ってうれしいのだろう。

それでたまには持って行くハメになる。

すると一応、義両親は『ありがとう』とは言ってくれる。
どうしてなのか義姉は必ず迷惑そうな顔をする。理解出来ない。

そしてそのままテーブルの上にポンっと置いたまま放っておかれ、
そのうち新聞やら何やらの下敷きになって見えなくなっていく。
又は、部屋の隅に置かれネコが箱をけ飛ばしている。完全放置状態。なぜ?

それでも私は贈り物を選ぶ時は色々と考えては、
義両親のためにわざわざ有名店まで買いに出掛けて行ったりする。
嫌みと取れる程、高級で珍しい物を持って行っては、
いつか興味を示す時が来るだろうと頑張ってしまう。

そして、必ず後悔するのだけど。これこそ、骨折り損。
いつか“食べた感想”などを聞いてみたいものだ。

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2003-06-04 下心なんてないのに。


義父は私たちが結婚すると聞いた頃から、ずっと私たちの家を建てる話に夢中だ。
頼んでもないし、期待してもないのに、
義父は早くも間取りを書き、各住宅メーカーに見積依頼している。
逆に、

  おまえ達が突然結婚するなんて言い出すから
  家建てるのが間に合わなかったじゃないか!

と、怒っているもよう・・・

しかし、その家を建てようとしている土地には現在アパートが建っていて、
もちろん住人もいるのだ。息子の家を建てるから出ていってくれ、と言うのだろうか。
しかもその貸し部屋の一室は、義実家の倉庫代わりにしていて、
ガラクタがたんまり保管してある。それらをどうするつもりなのだろう。

私は嫁という立場上、家の事については夫と義父が話合って決めてくれれば良いし、
建て売りを買ったと思って義父の考えた間取りでもガマンするから、
私には一切、その話は振らないで欲しいとお願いした。
なるようになれば、それに従うから。勝手にしてくれ!
しかし私の本音は、その家だけではなく、遺産一切の相続放棄だけどね。

それなのに。

義父の退院後の病院通いに、義母も義姉も全く付き添って行ってないと聞いて、
週一回の通院に私が付き添う事にした。
ガンが転移していることも心配だったし、
ちょっと体調に心配事があっても、格好を付けたがる義父は先生の前ですら
弱みを見せず、元気そうに振る舞い、具合が悪くても相談しないのだ。
何のために通院しているのか・・・呆れる。

で、私が義父と一緒に診察室に入り、
横からあーだこーだと先生に質問したりして帰ってくる。
最初は迷惑そうだった義父も、そのうち診察日に病院へやってくる私を
うれしそうに見て、帰りに一緒に食事をしたりするようになった。
ちょっと嫁として心が通じた気がして、私もウレシカッタ。

だがある日、義父は私にこう言った。

 『そんなに気を使わなくても、ちゃんと家は建ててやるから心配するな』

そんなつもりじゃないのに。心から義父の身体を心配していたのに。
ショックだった・・・

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2003-06-03 義父の退院。


義父が退院する日。
車で義母を迎えに行ってから病院へ。

義父は
「退院するだけなんだから、おまえは来なくて良いのに」
と義母に言いつつも、かなりうれしそう。やっぱりそうよね。ウレシイよね。


すると義母、

 「そう言われたって、
  こんなに毎日akiさんが来てるのに、私も来ない訳には行かなくて・・・」

なぁんて言う。そういう問題なの?

お義母様ったら、私が義父のお世話をしている間、
自分は何もしなかった事が後ろめたかったのね。そして迷惑だったのですか?

呆れました!

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2003-06-02 義父の入院。その2


義父のガン病巣部はキレイに取れた。
しかし、血液検査では転移しているようだ。
どこに転移しているかはまだ分からない、との事。

大手術を終え頑張った義父を励ましたくて、私は
 「ガン、全部きれいに先生が取って下さったよ。良かったね。頑張ったね」
と、転移については義父に話さないでおいた。


退院までの間、私と義姉が数日ずつ交代で見舞いに行く事にした。
24時間看護だが、やはり寂しいだろうし心細いだろうし、
洗濯物も思った以上にあるのだ。

数日が経つとだんだん義姉に腹がたってきた。
義姉は本当に「見舞い」にしか来ないらしい。

 洗濯物は一応持って帰って洗濯してきてくれるのだが、
 寝間着もT字帯もクシャクシャで丸まったまま紙袋に入れて持って来た上、
 その紙袋のまま病室に放置してある。

 義父のコップも洗ってあげてない。

 サイドテーブルやテレビの上がホコリだらけなのに放ったまま。

 新聞も雑誌も数日分が積み上がってるのに捨ててない。

など、まだまだ身体の不自由な義父のために、せっかく見舞いに来ているのだから、
義父が快適に過ごせるように気を使ってあげられないのだろうか。

 洗濯物はアイロンをかけてパリっとしている物を身につけると気持ち良いし、
 義父や看護婦さんが見つけて使いやすいように
 クロゼットの引き出しに入れてあげるのが普通でしょ。

 コップも1日中ほうじ茶などが入っていれば、茶渋でいっぱいだ。

 寝ているすぐ鼻の先のテーブルがホコリだらけなんて可哀想でしょ。
 まぁテーブルはともかくも、お風呂に入れない義父の顔や身体を
 拭いてあげようとは思いもしないのだろう。

 ゴミ箱だって、収集に来る前に捨ててあげれば義父も快適なのに。


とにかく、彼女は何をしにきているつもりだろうか。ムカムカ。

病院の食事に付いてくる夏みかんを、義父は大好きなのに、
むくのが面倒だと言って冷蔵庫に貯めていた。
それを聞いたら普通は義父にむいて食べさせてあげるでしょ。
でも義姉は自分でむいて自分で食べたと聞き本当に呆れた。
私がむいてあげると、義父は嬉しそうに全部一気に食べたのだ。
食べたいのに、まだその体力すらなかった義父。可哀想に・・・


ところが、そんな私のムカムカもすぐに治まった。
2週間ほど経つと、義姉は「風邪をひいて具合が悪い」と言って、
見舞いすらも来なくなったからだ。

何もしないなら来ない方がまだマシだ!やれやれ。

でも、そんな義姉でも、義父にとっては可愛い娘。
義父は私の前でもずっと義姉の話ばかりする。
義姉の事が心配で心配でたまらないのだ。

そして私には「まぁまぁ良い嫁だな」と言った。ムカムカ。

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