himajin top
あやこの「週刊(?)しりとり雑記」

おはようございます。冬眠している間に一つ年まで取ってしまいました。
20代最後の一日一日をかみしめつつ・・・ふふふ
かんから館HP

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-06-06 しりとり 14:運動会(うんどうかい) 2002/Oct/26(Sat)
2003-06-06 しりとり 13:焼酎(しょうちゅう) 2002/Oct/21(Mon)
2003-06-06 しりとり 12:品の良し悪し(ひんのよしあし) 2002/Oct/20(San)
2003-06-06 しりとり 11:魚肉練り製品(ぎょにくねりせいひん) 2002/Oct/19(Sat)
2003-06-06 しりとり 10:うさぎ(兎) 2002/Oct/17(Thu)
2003-06-06 しりとり 9:領収証(りょうしゅうしょう) 2002/Oct/15(Tue)
2003-06-06 しりとり 8:釣り(つり) 2002/Oct/14(Mon)
2003-06-06 しりとり 7:こたつ(炬燵) 2002/Oct/13(San)
2003-06-06 しりとり 6:猫(ねこ) 2002/Oct/12(Sat)
2003-06-06 しりとり 5:眼鏡(めがね) 2002/Oct/11(Fri)


2003-06-06 しりとり 14:運動会(うんどうかい) 2002/Oct/26(Sat)

 運動会(うんどうかい)
私は足が遅い。というか完全な運動音痴である。要領でカバーしているのでほとんどバレてはいないと・・思う。腕力、脚力、思い切り、瞬発力、持続力、コツコツ等おおよそ運動に必要そうな要素に私は欠けている。走っても50メートル10秒切ったことないし、ボール競技は飛んでくるものや降ってくるものを極端に怖がる所があるのでただ恐いだけだし、泳ぐと唇真っ青でガタガタ震えてほとんど甲羅干ししてるだけだし、本当にいいとこなしである。
こんな私にとって運動会は苦痛であったか?・・NOである。そんな私にとっても運動会は楽しいイベントだった。

この間ニュースで「今の教育を問う」調の特集をやっていた。その中で最近運動会に順位をつけない学校があると紹介していた。運動会で走っても一位二位と順位をつけないというのだ。「みんな一生懸命走りました。だからみんなエライ」といって誉めるのだという。学校側としては体力に差があるのは努力ではどうしようもないのでそういう部分を取り立てて表彰しないことにより平等で仲良く過ごせるということらしい。
何かおかしくないだろうか?そんなに「みんな一緒で平等」が大切なんだろうか?学校でどんなに平等だと守られて育っても世間に出てしまえば紛れもない「競争社会」である。すくすくと栄養満点の花壇育ちの子供が踏まれて折られて、そこからもう一度立ち上がる事なんて出来るのだろうか?それに「勉強はダメだけど運動なら」って子は一体どこで評価してもらえるんだろう。最近の教育ってやっぱりなんかおかしいと思う。

足の遅い私にとって一番の運動会の思い出がある。私はいつも大抵ビリだった。その日私は障害物競走に出ることになっていた。走る順番は一番最後の組で、人数が足りないから普通は6人で走るところ5人で走ることになっていた。私は前の組をずっと注意深く観察していた。そこで、一つ一つの障害に攻略法があることに気がついた。
ヨ−イ、ドン!で走り出した私はズルズルと最後尾、でもここからである。網は人の後ろから隙間をぬって、袋くぐりはまだ新しい袋を選んで、平均台はすいてるやつを選んで・・・・・最期の直線で抜かれてしまったけれど私は二人抜いて3位だった。生まれて初めて「三位の旗」の前に並んだ。人数が少ない組だったけど三位は三位である。私はもううれしくてうれしくてその夜興奮して全然寝付けなかった。

そろそろ運動会シーズンも終わりである。今年もあの音楽を聴いて私はあの輝かしい三位の記録を思い出していた。きっと来年も思い出すんだろうなぁ。

先頭 表紙

いやだわ、おじさま。メアリーはいっつもカワイイことしかかんがえられないの。こんな気の強そうな人じゃないわ☆ねっジョージー☆ / めあり(イメージがぁ・・・) ( 2003-06-10 07:36 )
領収書・・あははは。その通り。名前言うときいつも困りますね。この頃店員さんが、差し出したレシートの裏に「お宛名お願いします」といってくれて、いちいち説明しなくて良くなってきた。書くの面倒だけれど説明不要でこれも良いね。以上面白かったぞ。あのうぶで可愛らしかったメアリーちゃんは、瞬間に、たくましくなってしまいました。 / papa ( 2003-06-09 15:41 )
ウサギ・・子供の時、ペット飼いたくて、学校帰りに箱の入れられた子猫が捨ててあった。持って帰って、祖母に「飼うねん」といったら、うちは四つ脚の動物は飼わないという。「じゃなんで家の中に牛飼っとるんや」(農家なので昔は家の中で飼ってた)。えらいケンカしたの思い出しました。 / papa ( 2003-06-09 15:29 )
魚肉練り製品・・かまい倒されて大きくなられたあやちんさんには、好き嫌いがこれだけとは子育て成功。我家の姫(愚妻とは言わず。おだてりゃ木にも登るブタになぞらえて)は、きゅうり、漬物駄目。きゅうりの入ってない惣菜ってこれが少ないんですね。先日サラダにきゅうりが入ってないの見付け、感動しました。 / papa ( 2003-06-09 15:23 )
品の良し悪し・・金持ちほど、しょうもないところでケチりたがる。なぜか。自分の気の向く所には遊びや服や車などふんだんに金遣うが、気の向かない所にはビタ一文出さない。どんな人でも一度は苦労してる(金持ちの家でも、子供は金なし)。だから人間、金には一言ある。 / papa ( 2003-06-09 15:18 )
以下つっこみないのでここ利用。レモン焼酎・・あっしもこの頃レモンチュウハイにする。明日に残らないのが良い。ところが店によって同じ注文しても出てくるものが違ってる。先に周りを見渡し、チュウハイ系のコップを確かめるなんという馬鹿なことしてま。 / papa ( 2003-06-09 15:09 )
今日は暇なんで、みんな読むぞー。・・そうだね、万年びりの人にはひとつ前の順位になれたら嬉しい、1位にならなくても充分感動してしまいますね。昔ね、立命総長された天野先生が院の授業で(僕は竜大院ね)立命入学の上位20%は不合格にせいと言っていた。理由はすべり止め入学で立命に入った喜びがないから。よく似てるね。 / papa ( 2003-06-09 14:43 )

2003-06-06 しりとり 13:焼酎(しょうちゅう) 2002/Oct/21(Mon)

 焼酎(しょうちゅう)
この間テレビで「焼酎がトレンド」みたいな特集をやっていた。まともに呑めるようになってからずっと焼酎派の私にとっては「何をいまさら」という感じである。流行ってしまうとすたってしまうので出来ることならそっとしておいて欲しかった。

出会いは「ごま焼酎 紅乙女」であった。焼鳥屋さんのメニューに見つけたそのお酒は私の興味をそそっていた。「でも、焼酎っておいしいん?くさいんちゃうん?」という固定観念のあった私は少しためらっていた。だんだんと酔いも回り気の大きくなった私は注文することにした。「あの、これひとつ」と小さく注文すると店員さんは「どうしましょ?」と聞き返してきた。もう私の頭の中はハテナマークでいっぱいである「ん?どうって???????」そこで初めて水割り、お湯割り、ロックとそれぞれにストレート、レモン、梅干しがあることがわかった。強がりの私は迷わず「じゃ、ロックでレモン」と頼み店員さんに「えっ」っと言われた。

(これは今でもなのだが女の子が焼酎をロックで頼むと店員さんの7割くらいは「えっ」となる。やはりいまだに焼酎とはオッサン酒の代表のようだ。まぁその焼酎をくくくっと飲み干しお代わりを注文したときに店員さんが「おおっ」というのが快感でもあるのだけれど・・)

初めて飲む焼酎は日本酒の何倍もキレがよく体にスッと染み渡る水のように素直なお酒であった。「なんちゅうおいしいもんがあったんやぁ!」と感動し「酒は焼酎に限る」人となった。それから3ヶ月ほどして私は「コレだ!」という焼酎に逢った。[韓国焼酎JINRO]である。CMの「たのし〜おさけ」というフレーズにつられて飲んでみた。コレのおいしいことおいしいこと。焼酎には甲類と乙類がありJINROは一度蒸留した甲類焼酎になる。基本的には蒸留しない方がおいしいのだそうでブランド焼酎はたいてい乙類らしい。(聞きかじりなのでウソかもしれません。ごめんなさい)いや、しかぁ〜し!私の口には甲類であるJINROの方が蒸留してあるだけにくせが無く純粋な味がしておいしい。友達は「エチルアルコールの味がする」と言って嫌がるけどさ。

この頃からレモンをたくさん絞って飲むようになった。一杯につきスライスなら最低三枚は絞る。しかも一枚一枚絞りたおして指に付いたレモン汁ももったいなくて焼酎に指を入れて洗うくらい入れる。居酒屋などではレモンを気持ちよく入れてくれないので「別料金払うから小鉢にレモンを盛ってきて」と無茶な客になってしまう。一度店員さんに「レモン」「レモン」と何度も言ったらグラスにくし形のレモンを三つ入れてその上から氷を入れて焼酎が注がれていた。レモンを搾りたいのだが氷がじゃまでレモンには届かない。あんまり指を奥まで入れると焼酎がこぼれてしまう。「うわっ!絞れへんやん!」と思いながら半分くらいはレモンなしで呑んだ。あれは絶対嫌がらせだと思う。ごめんなさい店員さん。でも私レモンいっぱいが好きなんです。

書いてたら呑みたくなってきたのでこの辺で。冷蔵庫にレモンあったかな・・・

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 12:品の良し悪し(ひんのよしあし) 2002/Oct/20(San)

 品の良し悪し(ひんのよしあし)
品の良し悪しは一体何で決まるのだろう。だいたい声の異様にでかい人は品が悪い気がする。でもだからといって声の小さい人が品がいいわけではない。人に不快感を与えない人だろうか?でも何の記憶にも残らない人が品がよいのなら、それはそれで寂しいような気もするなぁ・・・。

 この間私の思うもっとも品の悪い人たちがいた。
私はその時コーヒーを飲んでいたのだが、少し離れた席に年の頃なら50才くらいのおばさまたち3人連れがいらした。そな辺のくたびれたオバサンではなく身なりもパリッとパンツスーツなどを着こなし、手にはヴィトンのバッグ、ブーツというちょっと「やり手」っぽいおばさまたちだった。彼女らの声は大きくとりとめのない話で盛り上がっていらしたのだがその中の一人が突然NHKの受信料について話し出した。
おば1 「なぁ、知ってる?パラボラアンテナ上げたらものすごはよ見つけて受信料取り立てにくんねんて。あいつらどっかで見張ってんのやわ。」
おば2 「へ〜いやらしいな。そやけど私には関係ないわ、NHKなんてはろてへんもん。もったいないし」
おば1 「あ〜そんなんうちかてはろてないよ。前に取り立てに来よった時に『ほんなら2チャンネル返したるし潰していきぃな』言うたってん。しばらくしてもっかい来たときには主人がいて追い払ってくれたわぁ。」
おば3 「だってNHKなんて見いひんもんな」
おば1 「そうやあんまし見いひん」
おば2 「そやけど私毎朝の4時のニュースは見てんねん。NHKて早ぅからやってんねん。」
おば1.3「へ〜早起きやねぇ」
おば2 「はよ目ぇ覚めんねん」
とここからは早起きの話になっていったのだが、私は聞くに耐えず席を立った。

NHKの受信料に関していろんな意見があることはわかっている。私は別にNHKの受信料を払っていないことが品が悪いと言っているのではない。そんな細かいことはどうでもいい。ただきちんとした身なりをしてお金に困っている風でもないのに一応「国民の義務」である支払いをしていないことを、さも得意げに又お金を使わなくて済んだことを自慢げに語るその精神構造が気に入らなかったのだ。しかも見てるやん!
私は「彼女らがもし緊急事態になったときには国の放送を見ずに死んでいけばいいんだ」とさえ思った。

あんな風に品の悪い人間にだけはなるものかと心に固く決意した出来事だった。

*私は特にNHKの受信料や国民放送としてどうだかについて書きたかったわけではありませんよ。(まぁ一応念のため)

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 11:魚肉練り製品(ぎょにくねりせいひん) 2002/Oct/19(Sat)

 魚肉練り製品(ぎょにくねりせいひん)
私は基本的には何でも食べらる好き嫌いのない人である。しかし二つだけ出来れば遠慮したいものがある。牛乳と魚肉練り製品だ。魚肉練り製品とは「かまぼこ」や「ちくわ」「魚肉ソーセージ」等々である。別に食べられないわけではない「苦手」なのである。魚は好きなのでつみれは平気だ。では何が苦手なのか・・・
まず、あの甘み。「かまぼこ」「ちくわ」など共通する独特の甘みがあるでしょ?もうあれがたまらなくいやだ。
次に、色。とくに「かまぼこ」のあの色。ピンクやらグリーンやら赤やらオレンジやら・・しかもあきらかに自然色ではないあの色味。あやしい、あやしすぎる。
そして歯触り。特に生で食べたときのあの「ぶりんぶりん」「ぐりんぐりん」したあの歯触り・・・うーん書いていて思い出してしまった。

この「魚肉練り製品が苦手」であることは「好き嫌いがない」と自分でも思っていたので高校生くらいまでは気付かなかった。ある日毎日お弁当に入っていた「ちくわのソテー」を見て「残そうかな」と思ったのだ。調子の悪いとき以外は食事を残すのが許せない私はその時初めて自分が「魚肉練り製品」がダメなことに気付いたのだった。それからは地味にさけている。食べられないわけではないので取り分けられているもの(例えばうどんに入っているかまぼこのスライスや、お弁当に入っているちくわの天ぷら)は食べてしまう。特に周りに人がいると「好き嫌いがない」と公言している手前何もいわずに食べてしまうことにしている。(うーん私負けず嫌いなんです)

この間夕方にNHK教育を見ていたら「忍たま乱太郎」というアニメの中に「魚肉練り製品が嫌いだー!」と叫んでいる登場人物がいた。きっと作者か作者の周りにいるんだろうなぁそういう人。と、思って笑ってしまった。

きっとあなたの周りにも隠れ「魚肉練り製品苦手派」がいるに違いない。
もしかしたらそれはあなたかも。

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 10:うさぎ(兎) 2002/Oct/17(Thu)


 うさぎ(兎)
 猫の段でも書いたけど、私は今うさぎさんと暮らしている。生後三ヶ月の男の子だ。
約半年で大人(性成熟)になるらしいので人でいうと8〜10才というところか。名前は頭に点と白いところがあるので「てんのすけ(通称 てんちゃん)」と名付けた。とにかくカワイイ。もうメロメロである。しかし最初はうさぎさんを飼う気はなかった。

 我が家にはここ5年ほどハムスターがいた。一番最初にやってきたのは茶色い普通のジャンガリアンハムスターで名前は「はむきち」といった。「はむきち」は最初巨峰の一粒に手や足、耳などが生えたくらいの大きさだった。それが半年後の秋には丸々と太り野球ボールくらいになった。しかもひっくり返すと自身の脂肪で地面に手が届かず手足を振ってもがいていた。この姿が愛らしくよくひっくり返しては観察した。冬が過ぎ春が来る頃には無駄な脂肪がとれちょっと機敏になっていた。約2年で寿命なのだけれど「はむきち」は3年生きた。最期はもう本当に老衰で安らかに眠っていった。

「はむきち」がもうダメかな?と思い出した頃に我が家に二匹目のハムスターがやってきた。パールホワイトのジャンガリアンで名前は「白雪姫(通称 しろちゃん)」とつけた。決して「はむきち」に見切りをつけたわけではない。「しろ」は輸送途中でどこかに足を引っかけてしまい左後ろ脚の間接で骨が外れてしまい皮だけ残してプランプランしていた。売り物にはもうならないからと店で引き取り手を探していたのをもらってきたのである。本当に真っ白で綺麗だった。不憫だったので名前くらいと思い「白雪姫」とつけたのである。「しろちゃん」はおてんばだったけれどずっとやせたままだった。そして1年半を経て突然他界なされた。

 しばらく何も飼わないでいようかとも思ったのだが、一人暮らしなので家族が欲しかった。その時の条件は「ハムスターくらいの世話でよいもの」だった。
ハムスター、ネズミ、リス・・いろいろ考えてペットショップにも通った。ある日うさぎのケージに新しい仔うさぎさんが入荷していた。前からの子も入れて8匹ほどいたのだが、その中に一匹だけグレー色の子がいた。小さくてフワフワしていておとなしそうで私は一目で釘付けになり前に座り込んでみていた。しかしうさぎさんは「淋しがり」の代名詞のようなペットである。しかも私の性格と暮らしではうさぎさんが可哀想なだけである。泣く泣くあきらめることにした。

それから3時間ほどたった頃彼氏が突然「本当にうさぎさんは飼わなくていいのね」と念を押した。その瞬間私の中はあのグレー色のうさぎさんでいっぱいになり、どうしてもあのうさぎさんと暮らしたくなった。私の性格や暮らしなんて変えてしまえばいいんだ!それだけであのうさぎさんと暮らせるのなら!そして私はペットショップに電話を入れグレー色の子を他の人に売らないでおいてもらって引き返した。

そうして私は今そのうさぎさんと暮らしている。今でも運命の出会いだったと信じている。後から調べたらうさぎさんは夜行性で昼間は寝ているので、昼はほったらかして仕事に行っても全然平気とのことだった。トイレもちゃんと覚えてそこでするし、ちゃんと世話をしてやれば匂いも全然気にならない。ちゃんと慣れて歩けばついてくるし、撫でてくれと頭をすりつけたりしてくる。本当にカワイイ。

うさぎさん最高!!!である。

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 9:領収証(りょうしゅうしょう) 2002/Oct/15(Tue)

 領収証(りょうしゅうしょう)
私は現在ホームセンターに勤めている。(まぁ社員ではないけどフルタイムです。)勤め出してちょうど4年たつ。私は半年前までの3年半の間サービスカウンターに配属されていた。サービスカウンターの仕事は多岐にわたっているのだが、その中に「領収証の発行」がある。少ない日でも50枚、本当に多いときには一日で150枚から200枚も発行する結構大変な作業である。といってもレシートを受け取り、金額、日付、宛先を明記し渡して終了である。単純ではあるが領収証の宛先には泣かされる事がある。

まず独特の「領収書ルール」のようなものがある。宛先は大抵「お名前は?」と聞き「○○です」と会話で聞き取る事になる。聞いたことを字で書くというのは誤解や思いこみなどもあり割とコツがいるのだがそこで便利なのがこの「ルール」である。簡単なもので「まえかぶ」(株式会社○○という意味で(株)と書く)「あとかぶ」(○○株式会社の意)「まえゆう」(有限会社○○で(有)と書く)「あとゆう」(同じく○○有限会社)などがある。あと個別の漢字を表すものとして「はしごだか」(・のことで高と区別するためにこういう)「えぎょう」(工業のことで興業と区別するためにこういう)なんていったりする。

中には面白い人もいた。宛先を簡略化するのに「うえさま(上様)」で領収証を切ることもあるのだが、きっと慣れていなかったのであろう「かみさまで」とか「とのさまで」なんていう人もいた。「は?」と思って顔を見るのだが大抵大真面目な顔をしているのでこっちも笑えなかったりする。

もちろん困った人もいる。「おなまえは?」と聞くと「とうざいなんぼくの・・・・」と言うので、東西・・と書いていると「みなみで」と続いていた。「みなみ」ていうたら普通「南」以外書きようがないやろ!!と心でつっこみながら「申し訳ありません」と新しいのを切り直した。
こういうのも困る。「おなまえは?」と聞くと「きょうと」でいったん切ったので「京都」と書くと「ちゅうおう」で「中央」、「りくじょう」で「陸上」、「きょうぎかい」「競技会」、「しゅうき」「秋期」、「とくべつ」「特別」、「すいしん」「推進」、「いいんかい」「委員会」、「せいぶ」「西部」・・・・・・最初からゆうといてくれへんかったらそんなようけ書けるかいなぁ!!!!!!これも書く欄がなくなり新しいのを切り直すことになった。

サービスカウンターを離れて半年。ちょこちょこ手伝いには行くがこういう面白い人に会う機会はちょっと減った。みなさんも領収証を切ってもらうときには字や長さに気を付けて切ってもらってくださいね。

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 8:釣り(つり) 2002/Oct/14(Mon)

 釣り(つり)
「釣りは短気な人が向いている」らしい。自他共に認める短気な私としてはこの説はどうも納得がいかない。こんな私だが一度だけ釣りに行ったことがある。

私はその頃大学を卒業し「ミスタードーナツ」の社員をやっていた。年が近いのでアルバイトの連中とも仲がよく、いろんな所へ遊びにも行った。その店にはほとんど毎日来る常連さんの家族がいた。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんと就学前の三人の子供たちだった。このおじいちゃんが釣り好きらしく、よく釣りに行った話を聞かせてもらった。そんな話をしているうちに「私たちも連れて行って」という事になり店から4人同行させてもらうことになった。一度も釣りをしたことのない私たちでも楽しめるようにと明石の海釣り公園で「さびき釣り」をする事となった。「さびき釣り」とは釣りの方法のことで針が10個ほどついた糸の先にかごを付け、その中にえさを入れてえさに寄ってきた体長10pくらいの小魚をその針で引っかけるという原始的な乱暴な釣り方である。しかし小魚の群さえ当ててしまえば次々と面白いように釣れる初心者向けの楽しい釣りでもある。その時も本当に面白いほどよく釣れた。一竿で2、3匹釣れるのは当たり前で、多いときは5、6匹釣れた。そんな勢いでどんどん釣るものだからバケツはすぐにいっぱいになった。クーラーボックスを借りて持って帰った。お隣に半分くらい分けて残りを唐揚げや南蛮付けにして食べた。

「さびき釣り」の時私は釣った魚を持って帰ることにこだわった。釣りとは狩猟の一種である。自分が生きていくために又家族を生かすために行われなければならないと思う。ただ楽しみのために釣って終わったら帰す。それではただ自然を傷つけ愚弄しているだけではないのか?昨今は「キャッチアンドリリース」というこの「ただ釣って、帰す」というのが流行らしい。ここで私が「タチが悪いな」と思うのはこの「キャッチアンドリリース」がいかにも「自然を保護し自然とともに暮らす真のアウトドアだ」という匂いを醸し出しているところにあると思う。本当に自然を保護したいなら魚なんて釣らずに見ておけばいいんだ。それより自然の恵みを頂いて自分自信の糧にする方がよっぽど大自然の理にかなったまっとうな行いだ。

と、釣りをしない私は思ってしまうのである。

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 7:こたつ(炬燵) 2002/Oct/13(San)

 こたつ(炬燵)
寒くなってきた。私の家は畳の部屋なので暖房手段と言えばやはりこたつである。
こたつはいい!とにかく手軽で暖かい。一度入るとこたつの魔力によってなかなか動かない人になってしまう。しかしこんなこたつ好きの私に、7年くらいこたつのない期間まさに「冬の時代」が存在する。

私はこたつの大好きなおばぁちゃんみたいな子供だった。学校から帰ってきて(カギっ子だった)電気を付けてこたつを付けてテレビを付ける。そうしたが最後こたつに入って二度と出ない。親が帰ってきて晩ご飯になってそのままテレビを見てミカンを食べて、親がうるさいからいやいやお風呂にはいるためにこたつから出てお風呂から上がったらまたこたつに入ってそのままうとうとと眠り、また親がうるさいのでいやいや冷たい布団に入って眠る。冬になると毎日がこれの繰り返しである。本当に何もしない。しかも肩口まですっぽりと潜り込む。かたつむりならぬ「こたつむり」である。
こんな冬を何年も過ごして私は少し大人になったけれど、やっぱりそのままの冬を送っていた。しかし高校2年生のある冬の日悲劇が起きた。その日親は仕事が休みで帰ると母がいた。「ただいま」と帰った私を母が妙にニヤニヤした顔で出迎えてくれた。そして私はそのニヤついた母の向こうに信じられない光景を見て叫んだ。「あーーーーっっっ!!こたつがない!!」すると母は「そやねん。あんたがあまりにもこたつにばっかり入るし捨てたってん。これであんたも少しは動くやろ」と言ってのけた。そんな無茶苦茶な。暖房手段はどうするのかと聞くと「ストーブあるやん」と言う。私は泣かんばかりに抗議をしたがあっさり却下された。
あまりの寒さに母も新しいのを買う羽目になるだろうとかすかな期待もあったが、母は全然平気そうであった。

そこから数年がたち、訳あって両親が家を出たその年の冬何よりも一番にこたつを手に入れたのは書くまでもない。そろそろこたつの季節である。やはり未だにこたつに入ると私は本当に何もしない。今度は彼氏にこたつを捨てられるかもしれないと思う今日この頃である。

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 6:猫(ねこ) 2002/Oct/12(Sat)

 猫(ねこ)
子供の頃住んでいたマンションの隣の部屋には「夜のおねぇさん」が猫とともに暮らしていた。その猫はペルシャ猫で子供心ながらにも「高そう・・」と思わせる猫だった。
色はシャンパンゴールドで背中にスッと一本線が入り、目は青く細身でしなやか、顔も小さくて気品に満ちあふれていた。私がじっと見ても近づいても「フン子供なんて相手に出来ないわ」って感じで「にゃ」と短く啼いて相手にもしてもらえなかった。
その無駄にこびない所が大好きになり私も猫とともに暮らしたくなった。しかし賃貸マンションだったので本来はペットを飼ってはならずウチの親は飼わせてくれそうもなかった。そのときに決めたのだ。「私は絶対に大きくなったら猫とともに暮らすぞ!」

約10年後。高校生の私は仲良しの家に遊びに行った。
そこの家には猫が二匹同居していた。全身に綺麗な縞の入ったトラちゃんだった。私はうれしくなってなで回し、追いかけ回し、ぎゅっと抱きしめたりした。しばらくすると私の目は腫れて涙目になり、咳が出て息苦しくて喘息のようにのどがヒューヒュー鳴った。「風邪かな?」と思い早めに帰った。でも家に帰るとしばらくして直った。
また猫にあいたくてその子の家に行き、猫と遊んだ。するとやっぱり調子が悪くなって帰る羽目になった。でもやっぱり帰ると直るのである。
そこでふと考えた。その子の家にあって、私の家にない物。・・・・・・猫だ。え?これってもしかして「猫アレルギー?」でも、そんな馬鹿な。私は子供の頃からずっと猫と暮らしたいと夢見る猫好きなのだ。その私が「猫アレルギー」だなんて!!そんな酷いことがあってたまるか。そこでほかの猫でも実験してみた。ダメだった。しかもどんどんアレルギーはきつくなっていき、とうとうその子の家に行くだけで症状が出るようになってしまった。
悲しかった。猫が好きでいつか一緒に暮らすことを夢見ていたのに「体」が受け付けない。これではまるで大好きな大好きな王子様のために声をなくし最後は泡になってしまう人魚姫と同じくらい悲しい話ではないか。と思春期真っ盛りの夢見る乙女は悲しみに打ちひしがれたのである。

さらに10数年後。大人になって誰と暮らしてもよくなった私は今、うさぎちゃんと暮らしています。幸い猫以外の動物はアレルギーになることもなく、いつかは犬と暮らそうと夢を代えて生きています。
でもダメだと言われるともっと好きになっちゃうのよねぇ。あぁ、猫さんと暮らしたいなぁ。

先頭 表紙

2003-06-06 しりとり 5:眼鏡(めがね) 2002/Oct/11(Fri)

 眼鏡(めがね)
私はどちらかというと視力のよい方である。今はたぶん1.2くらいだと思う。高校生までは驚異の視力2.0(これ以上は測れないの)あった。その頃は本当に何でも見えた。すごく遠くにある道路標識や遠くの方の看板、ちょっと離れたところの広告のPOP内容など特に見えなくてもいいけど、まぁまぁ便利だった。クラスメイトには「野生児やで」と言われたし自分でもサバンナでも生きていけるかもとか思って楽しかった。あのころに比べると確実に視力は落ちている。でも日常生活では十分目のいい人である。親に感謝しておこう。
だから私自身が眼鏡のお世話になったことはない。しかし私は眼鏡と聞くと「ムフフ」と思ってしまう理由がある。

私は眼鏡に弱い。というか「眼鏡君」に弱い。しかもずっとかけているのではなくて「たまにかける眼鏡」これにメチャメチャ弱い。普段は裸眼やコンタクトでいる友人や知り合い(男の子)がいたとする。そんな人が何かの理由でたまたま眼鏡をかけていた。「くらり」である。フラフラと近づいて「すき・・」と言ってしまいそうになる。
しかもどうやら私は「視力の悪い人特有の目つき」これにも弱いようだ。
眉を少しひそめてまぶたに少し力をいれたあの感じ、よく視力の悪い人が「めつきこわいって言われる」っていうあの独特の「めつき」。何かクールで格好いいと思いません?さわったら切れそうな感じ。「う〜ん。たまらんなぁ」

実際今まで好きになったり、いいなと思った人の90%くらいは視力が悪い。
そのうえ「ひとえまぶた」なら完璧である。ごく個人的に断言するならば「ひとえまぶた」の男の人の方が「格好いい!」さらに目つきが悪くなって「目力:めぢから」が出ているような気がする。
かといって別に私はものすごく恐い顔が好きなわけではない。普段は優しくて、眼鏡もかけていなくてそんな人がふと見せる「クールな目つき」や、時折かける眼鏡によわいのだ。やっぱり恋ってギャップから生まれるのよね・・・・

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)