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あやこの「週刊(?)しりとり雑記」

おはようございます。冬眠している間に一つ年まで取ってしまいました。
20代最後の一日一日をかみしめつつ・・・ふふふ
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2003-06-06 しりとり 11:魚肉練り製品(ぎょにくねりせいひん) 2002/Oct/19(Sat)
2003-06-06 しりとり 10:うさぎ(兎) 2002/Oct/17(Thu)
2003-06-06 しりとり 9:領収証(りょうしゅうしょう) 2002/Oct/15(Tue)
2003-06-06 しりとり 8:釣り(つり) 2002/Oct/14(Mon)
2003-06-06 しりとり 7:こたつ(炬燵) 2002/Oct/13(San)
2003-06-06 しりとり 6:猫(ねこ) 2002/Oct/12(Sat)
2003-06-06 しりとり 5:眼鏡(めがね) 2002/Oct/11(Fri)
2003-06-06 しりとり 4:米(こめ) 2002/Oct/10(thu)
2003-06-06 しりとり 3:冷蔵庫(れいぞうこ) 2002/Oct/9(Wed)
2003-06-06 しりとり 2:トイレ 2002/Oct/8(tue)


2003-06-06 しりとり 11:魚肉練り製品(ぎょにくねりせいひん) 2002/Oct/19(Sat)

 魚肉練り製品(ぎょにくねりせいひん)
私は基本的には何でも食べらる好き嫌いのない人である。しかし二つだけ出来れば遠慮したいものがある。牛乳と魚肉練り製品だ。魚肉練り製品とは「かまぼこ」や「ちくわ」「魚肉ソーセージ」等々である。別に食べられないわけではない「苦手」なのである。魚は好きなのでつみれは平気だ。では何が苦手なのか・・・
まず、あの甘み。「かまぼこ」「ちくわ」など共通する独特の甘みがあるでしょ?もうあれがたまらなくいやだ。
次に、色。とくに「かまぼこ」のあの色。ピンクやらグリーンやら赤やらオレンジやら・・しかもあきらかに自然色ではないあの色味。あやしい、あやしすぎる。
そして歯触り。特に生で食べたときのあの「ぶりんぶりん」「ぐりんぐりん」したあの歯触り・・・うーん書いていて思い出してしまった。

この「魚肉練り製品が苦手」であることは「好き嫌いがない」と自分でも思っていたので高校生くらいまでは気付かなかった。ある日毎日お弁当に入っていた「ちくわのソテー」を見て「残そうかな」と思ったのだ。調子の悪いとき以外は食事を残すのが許せない私はその時初めて自分が「魚肉練り製品」がダメなことに気付いたのだった。それからは地味にさけている。食べられないわけではないので取り分けられているもの(例えばうどんに入っているかまぼこのスライスや、お弁当に入っているちくわの天ぷら)は食べてしまう。特に周りに人がいると「好き嫌いがない」と公言している手前何もいわずに食べてしまうことにしている。(うーん私負けず嫌いなんです)

この間夕方にNHK教育を見ていたら「忍たま乱太郎」というアニメの中に「魚肉練り製品が嫌いだー!」と叫んでいる登場人物がいた。きっと作者か作者の周りにいるんだろうなぁそういう人。と、思って笑ってしまった。

きっとあなたの周りにも隠れ「魚肉練り製品苦手派」がいるに違いない。
もしかしたらそれはあなたかも。

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2003-06-06 しりとり 10:うさぎ(兎) 2002/Oct/17(Thu)


 うさぎ(兎)
 猫の段でも書いたけど、私は今うさぎさんと暮らしている。生後三ヶ月の男の子だ。
約半年で大人(性成熟)になるらしいので人でいうと8〜10才というところか。名前は頭に点と白いところがあるので「てんのすけ(通称 てんちゃん)」と名付けた。とにかくカワイイ。もうメロメロである。しかし最初はうさぎさんを飼う気はなかった。

 我が家にはここ5年ほどハムスターがいた。一番最初にやってきたのは茶色い普通のジャンガリアンハムスターで名前は「はむきち」といった。「はむきち」は最初巨峰の一粒に手や足、耳などが生えたくらいの大きさだった。それが半年後の秋には丸々と太り野球ボールくらいになった。しかもひっくり返すと自身の脂肪で地面に手が届かず手足を振ってもがいていた。この姿が愛らしくよくひっくり返しては観察した。冬が過ぎ春が来る頃には無駄な脂肪がとれちょっと機敏になっていた。約2年で寿命なのだけれど「はむきち」は3年生きた。最期はもう本当に老衰で安らかに眠っていった。

「はむきち」がもうダメかな?と思い出した頃に我が家に二匹目のハムスターがやってきた。パールホワイトのジャンガリアンで名前は「白雪姫(通称 しろちゃん)」とつけた。決して「はむきち」に見切りをつけたわけではない。「しろ」は輸送途中でどこかに足を引っかけてしまい左後ろ脚の間接で骨が外れてしまい皮だけ残してプランプランしていた。売り物にはもうならないからと店で引き取り手を探していたのをもらってきたのである。本当に真っ白で綺麗だった。不憫だったので名前くらいと思い「白雪姫」とつけたのである。「しろちゃん」はおてんばだったけれどずっとやせたままだった。そして1年半を経て突然他界なされた。

 しばらく何も飼わないでいようかとも思ったのだが、一人暮らしなので家族が欲しかった。その時の条件は「ハムスターくらいの世話でよいもの」だった。
ハムスター、ネズミ、リス・・いろいろ考えてペットショップにも通った。ある日うさぎのケージに新しい仔うさぎさんが入荷していた。前からの子も入れて8匹ほどいたのだが、その中に一匹だけグレー色の子がいた。小さくてフワフワしていておとなしそうで私は一目で釘付けになり前に座り込んでみていた。しかしうさぎさんは「淋しがり」の代名詞のようなペットである。しかも私の性格と暮らしではうさぎさんが可哀想なだけである。泣く泣くあきらめることにした。

それから3時間ほどたった頃彼氏が突然「本当にうさぎさんは飼わなくていいのね」と念を押した。その瞬間私の中はあのグレー色のうさぎさんでいっぱいになり、どうしてもあのうさぎさんと暮らしたくなった。私の性格や暮らしなんて変えてしまえばいいんだ!それだけであのうさぎさんと暮らせるのなら!そして私はペットショップに電話を入れグレー色の子を他の人に売らないでおいてもらって引き返した。

そうして私は今そのうさぎさんと暮らしている。今でも運命の出会いだったと信じている。後から調べたらうさぎさんは夜行性で昼間は寝ているので、昼はほったらかして仕事に行っても全然平気とのことだった。トイレもちゃんと覚えてそこでするし、ちゃんと世話をしてやれば匂いも全然気にならない。ちゃんと慣れて歩けばついてくるし、撫でてくれと頭をすりつけたりしてくる。本当にカワイイ。

うさぎさん最高!!!である。

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2003-06-06 しりとり 9:領収証(りょうしゅうしょう) 2002/Oct/15(Tue)

 領収証(りょうしゅうしょう)
私は現在ホームセンターに勤めている。(まぁ社員ではないけどフルタイムです。)勤め出してちょうど4年たつ。私は半年前までの3年半の間サービスカウンターに配属されていた。サービスカウンターの仕事は多岐にわたっているのだが、その中に「領収証の発行」がある。少ない日でも50枚、本当に多いときには一日で150枚から200枚も発行する結構大変な作業である。といってもレシートを受け取り、金額、日付、宛先を明記し渡して終了である。単純ではあるが領収証の宛先には泣かされる事がある。

まず独特の「領収書ルール」のようなものがある。宛先は大抵「お名前は?」と聞き「○○です」と会話で聞き取る事になる。聞いたことを字で書くというのは誤解や思いこみなどもあり割とコツがいるのだがそこで便利なのがこの「ルール」である。簡単なもので「まえかぶ」(株式会社○○という意味で(株)と書く)「あとかぶ」(○○株式会社の意)「まえゆう」(有限会社○○で(有)と書く)「あとゆう」(同じく○○有限会社)などがある。あと個別の漢字を表すものとして「はしごだか」(・のことで高と区別するためにこういう)「えぎょう」(工業のことで興業と区別するためにこういう)なんていったりする。

中には面白い人もいた。宛先を簡略化するのに「うえさま(上様)」で領収証を切ることもあるのだが、きっと慣れていなかったのであろう「かみさまで」とか「とのさまで」なんていう人もいた。「は?」と思って顔を見るのだが大抵大真面目な顔をしているのでこっちも笑えなかったりする。

もちろん困った人もいる。「おなまえは?」と聞くと「とうざいなんぼくの・・・・」と言うので、東西・・と書いていると「みなみで」と続いていた。「みなみ」ていうたら普通「南」以外書きようがないやろ!!と心でつっこみながら「申し訳ありません」と新しいのを切り直した。
こういうのも困る。「おなまえは?」と聞くと「きょうと」でいったん切ったので「京都」と書くと「ちゅうおう」で「中央」、「りくじょう」で「陸上」、「きょうぎかい」「競技会」、「しゅうき」「秋期」、「とくべつ」「特別」、「すいしん」「推進」、「いいんかい」「委員会」、「せいぶ」「西部」・・・・・・最初からゆうといてくれへんかったらそんなようけ書けるかいなぁ!!!!!!これも書く欄がなくなり新しいのを切り直すことになった。

サービスカウンターを離れて半年。ちょこちょこ手伝いには行くがこういう面白い人に会う機会はちょっと減った。みなさんも領収証を切ってもらうときには字や長さに気を付けて切ってもらってくださいね。

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2003-06-06 しりとり 8:釣り(つり) 2002/Oct/14(Mon)

 釣り(つり)
「釣りは短気な人が向いている」らしい。自他共に認める短気な私としてはこの説はどうも納得がいかない。こんな私だが一度だけ釣りに行ったことがある。

私はその頃大学を卒業し「ミスタードーナツ」の社員をやっていた。年が近いのでアルバイトの連中とも仲がよく、いろんな所へ遊びにも行った。その店にはほとんど毎日来る常連さんの家族がいた。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんと就学前の三人の子供たちだった。このおじいちゃんが釣り好きらしく、よく釣りに行った話を聞かせてもらった。そんな話をしているうちに「私たちも連れて行って」という事になり店から4人同行させてもらうことになった。一度も釣りをしたことのない私たちでも楽しめるようにと明石の海釣り公園で「さびき釣り」をする事となった。「さびき釣り」とは釣りの方法のことで針が10個ほどついた糸の先にかごを付け、その中にえさを入れてえさに寄ってきた体長10pくらいの小魚をその針で引っかけるという原始的な乱暴な釣り方である。しかし小魚の群さえ当ててしまえば次々と面白いように釣れる初心者向けの楽しい釣りでもある。その時も本当に面白いほどよく釣れた。一竿で2、3匹釣れるのは当たり前で、多いときは5、6匹釣れた。そんな勢いでどんどん釣るものだからバケツはすぐにいっぱいになった。クーラーボックスを借りて持って帰った。お隣に半分くらい分けて残りを唐揚げや南蛮付けにして食べた。

「さびき釣り」の時私は釣った魚を持って帰ることにこだわった。釣りとは狩猟の一種である。自分が生きていくために又家族を生かすために行われなければならないと思う。ただ楽しみのために釣って終わったら帰す。それではただ自然を傷つけ愚弄しているだけではないのか?昨今は「キャッチアンドリリース」というこの「ただ釣って、帰す」というのが流行らしい。ここで私が「タチが悪いな」と思うのはこの「キャッチアンドリリース」がいかにも「自然を保護し自然とともに暮らす真のアウトドアだ」という匂いを醸し出しているところにあると思う。本当に自然を保護したいなら魚なんて釣らずに見ておけばいいんだ。それより自然の恵みを頂いて自分自信の糧にする方がよっぽど大自然の理にかなったまっとうな行いだ。

と、釣りをしない私は思ってしまうのである。

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2003-06-06 しりとり 7:こたつ(炬燵) 2002/Oct/13(San)

 こたつ(炬燵)
寒くなってきた。私の家は畳の部屋なので暖房手段と言えばやはりこたつである。
こたつはいい!とにかく手軽で暖かい。一度入るとこたつの魔力によってなかなか動かない人になってしまう。しかしこんなこたつ好きの私に、7年くらいこたつのない期間まさに「冬の時代」が存在する。

私はこたつの大好きなおばぁちゃんみたいな子供だった。学校から帰ってきて(カギっ子だった)電気を付けてこたつを付けてテレビを付ける。そうしたが最後こたつに入って二度と出ない。親が帰ってきて晩ご飯になってそのままテレビを見てミカンを食べて、親がうるさいからいやいやお風呂にはいるためにこたつから出てお風呂から上がったらまたこたつに入ってそのままうとうとと眠り、また親がうるさいのでいやいや冷たい布団に入って眠る。冬になると毎日がこれの繰り返しである。本当に何もしない。しかも肩口まですっぽりと潜り込む。かたつむりならぬ「こたつむり」である。
こんな冬を何年も過ごして私は少し大人になったけれど、やっぱりそのままの冬を送っていた。しかし高校2年生のある冬の日悲劇が起きた。その日親は仕事が休みで帰ると母がいた。「ただいま」と帰った私を母が妙にニヤニヤした顔で出迎えてくれた。そして私はそのニヤついた母の向こうに信じられない光景を見て叫んだ。「あーーーーっっっ!!こたつがない!!」すると母は「そやねん。あんたがあまりにもこたつにばっかり入るし捨てたってん。これであんたも少しは動くやろ」と言ってのけた。そんな無茶苦茶な。暖房手段はどうするのかと聞くと「ストーブあるやん」と言う。私は泣かんばかりに抗議をしたがあっさり却下された。
あまりの寒さに母も新しいのを買う羽目になるだろうとかすかな期待もあったが、母は全然平気そうであった。

そこから数年がたち、訳あって両親が家を出たその年の冬何よりも一番にこたつを手に入れたのは書くまでもない。そろそろこたつの季節である。やはり未だにこたつに入ると私は本当に何もしない。今度は彼氏にこたつを捨てられるかもしれないと思う今日この頃である。

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2003-06-06 しりとり 6:猫(ねこ) 2002/Oct/12(Sat)

 猫(ねこ)
子供の頃住んでいたマンションの隣の部屋には「夜のおねぇさん」が猫とともに暮らしていた。その猫はペルシャ猫で子供心ながらにも「高そう・・」と思わせる猫だった。
色はシャンパンゴールドで背中にスッと一本線が入り、目は青く細身でしなやか、顔も小さくて気品に満ちあふれていた。私がじっと見ても近づいても「フン子供なんて相手に出来ないわ」って感じで「にゃ」と短く啼いて相手にもしてもらえなかった。
その無駄にこびない所が大好きになり私も猫とともに暮らしたくなった。しかし賃貸マンションだったので本来はペットを飼ってはならずウチの親は飼わせてくれそうもなかった。そのときに決めたのだ。「私は絶対に大きくなったら猫とともに暮らすぞ!」

約10年後。高校生の私は仲良しの家に遊びに行った。
そこの家には猫が二匹同居していた。全身に綺麗な縞の入ったトラちゃんだった。私はうれしくなってなで回し、追いかけ回し、ぎゅっと抱きしめたりした。しばらくすると私の目は腫れて涙目になり、咳が出て息苦しくて喘息のようにのどがヒューヒュー鳴った。「風邪かな?」と思い早めに帰った。でも家に帰るとしばらくして直った。
また猫にあいたくてその子の家に行き、猫と遊んだ。するとやっぱり調子が悪くなって帰る羽目になった。でもやっぱり帰ると直るのである。
そこでふと考えた。その子の家にあって、私の家にない物。・・・・・・猫だ。え?これってもしかして「猫アレルギー?」でも、そんな馬鹿な。私は子供の頃からずっと猫と暮らしたいと夢見る猫好きなのだ。その私が「猫アレルギー」だなんて!!そんな酷いことがあってたまるか。そこでほかの猫でも実験してみた。ダメだった。しかもどんどんアレルギーはきつくなっていき、とうとうその子の家に行くだけで症状が出るようになってしまった。
悲しかった。猫が好きでいつか一緒に暮らすことを夢見ていたのに「体」が受け付けない。これではまるで大好きな大好きな王子様のために声をなくし最後は泡になってしまう人魚姫と同じくらい悲しい話ではないか。と思春期真っ盛りの夢見る乙女は悲しみに打ちひしがれたのである。

さらに10数年後。大人になって誰と暮らしてもよくなった私は今、うさぎちゃんと暮らしています。幸い猫以外の動物はアレルギーになることもなく、いつかは犬と暮らそうと夢を代えて生きています。
でもダメだと言われるともっと好きになっちゃうのよねぇ。あぁ、猫さんと暮らしたいなぁ。

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2003-06-06 しりとり 5:眼鏡(めがね) 2002/Oct/11(Fri)

 眼鏡(めがね)
私はどちらかというと視力のよい方である。今はたぶん1.2くらいだと思う。高校生までは驚異の視力2.0(これ以上は測れないの)あった。その頃は本当に何でも見えた。すごく遠くにある道路標識や遠くの方の看板、ちょっと離れたところの広告のPOP内容など特に見えなくてもいいけど、まぁまぁ便利だった。クラスメイトには「野生児やで」と言われたし自分でもサバンナでも生きていけるかもとか思って楽しかった。あのころに比べると確実に視力は落ちている。でも日常生活では十分目のいい人である。親に感謝しておこう。
だから私自身が眼鏡のお世話になったことはない。しかし私は眼鏡と聞くと「ムフフ」と思ってしまう理由がある。

私は眼鏡に弱い。というか「眼鏡君」に弱い。しかもずっとかけているのではなくて「たまにかける眼鏡」これにメチャメチャ弱い。普段は裸眼やコンタクトでいる友人や知り合い(男の子)がいたとする。そんな人が何かの理由でたまたま眼鏡をかけていた。「くらり」である。フラフラと近づいて「すき・・」と言ってしまいそうになる。
しかもどうやら私は「視力の悪い人特有の目つき」これにも弱いようだ。
眉を少しひそめてまぶたに少し力をいれたあの感じ、よく視力の悪い人が「めつきこわいって言われる」っていうあの独特の「めつき」。何かクールで格好いいと思いません?さわったら切れそうな感じ。「う〜ん。たまらんなぁ」

実際今まで好きになったり、いいなと思った人の90%くらいは視力が悪い。
そのうえ「ひとえまぶた」なら完璧である。ごく個人的に断言するならば「ひとえまぶた」の男の人の方が「格好いい!」さらに目つきが悪くなって「目力:めぢから」が出ているような気がする。
かといって別に私はものすごく恐い顔が好きなわけではない。普段は優しくて、眼鏡もかけていなくてそんな人がふと見せる「クールな目つき」や、時折かける眼鏡によわいのだ。やっぱり恋ってギャップから生まれるのよね・・・・

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2003-06-06 しりとり 4:米(こめ) 2002/Oct/10(thu)

 米(こめ)
言わずと知れたアジアの主食である。こういう文章を書こうとすると見慣れているせいか「米は日本人の主食である」と書きそうになる。「日本人の主食は米である」と書くならまだしも「米は日本人の主食である」という文面を見るとなんだか「ん??」という感じがしてならない。だって韓国も朝鮮も中国もタイ、ベトナム、香港・・・等々米を主食にしている国はたくさんあるのだ。何かこういうところに「単一民族国家なのだ。ガハハハハ!」という「くそくらえの理念」がちらっと見える気がして胸が悪くて「おえっっ」となる。(まぁ、私の気の回しすぎ、考え過ぎなんだろうとは思うけど)そういう点から見て私の大好きな表現がある。ずいぶん前の炊飯器かお味噌かなんかのCMで女優 三田佳子の言っていた言葉「お米の国の人だもの」というやつである。
この表現はいい!なんだかアジア全体を柔らかく包む感じで、お尻に蒙古斑のある人たちみんなが兄弟や家族みたいな感じに思えてくる。

直接は関係ないがこの「お米の国の人だもの」を体感したことがある。
大学生の頃仲良し4人組であこがれの海外旅行「グァム」に行った。(私も何年か前までは女子大生だったのでぃす)といっても沖縄に行くよりも安かったからという庶民的な理由からグァムに決まったのだけれど・・・。調べてみると「グァム」は東南アジアに位置していた。てっきり「ハワイ」の隣くらいにあると思っていた無知な私は少なからず驚いたのであった。飛行機に乗って3時間。あっという間にグァムに着いた。食事の全くついていない貧乏ツアーであったため、ガイド本片手にいろんなものを食べまくった。具がた〜っぷりと乗ったピザ、これぞアメリカ領!ってかんじのTボーンステーキ、BBQチキンを頼んだら鶏が半分出てきた。旅も三日目になり占領主アメリカの物ではなく地元のことも知ろうということで現地「チャモロ人」の経営する「チャモロ料理」のあるレストランに行くことになった。メニューを見ながらあやしい英語で何とか注文をすませた。私の頼んだ物は「EGG NOODLE」たまごめんである。出てきた料理はベトナムのうどん「フォー」とインドネシアの焼きそば「ミーゴレン」の間くらいの汁っぽい炒め麺状の代物であった。初めてのものを食べるときの「興味」と「おそれ」の混じった独特の興奮状態の中で私は一口目を口に運んだ。味わったその瞬間私は思ってもみなかった不思議な感情にとまどった。なんと泣きそうになったのである。その麺が特別おいしかったわけではない。懐かしい味がしたのだ!高級料理には出せないお母さんの味のようなそんな「ほっとする味」がした。もちろん食べたことのない初めてみる料理だったのにもかかわらずだ。後の三人も同じ事を感じたらしく少しニヤついてから後は一言もしゃべらず食べ続けた。すごく不思議な体験だけれどそのときに思ったのだ。
あーやっぱり「お米の国の人」なんだなぁ・・・と。

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2003-06-06 しりとり 3:冷蔵庫(れいぞうこ) 2002/Oct/9(Wed)

 冷蔵庫(れいぞうこ)
三年ほど前に冷蔵庫を買い換えた。一人暮らしを初めてちょうど二年くらいたった頃だった。訳あって今まで住んでいたところに私が残るという一人暮らしだったため、電化製品はもう全体的に古くなっていた。その冷蔵庫は私が生まれた頃からウチにあった年代物で上が霜がいっぱいつく冷凍室、下が冷蔵庫という昔ながらのシンプルな物だった。壊れてもいないのに買い換えられるほど余裕があるわけもなくその冷蔵庫は夏を前にして突然壊れてしまったのである。仕事から帰りドアを開けると冷蔵庫特有の低いモーター音がかなりの音量でうなっていた。「ん?」と思い近づくと冷蔵庫はなぜか大量の「おもらし」をしていた。よく見るとどうやら冷凍室の方がおかしくなったらしく霜が大量にはり、その霜が押す格好でドアが開きその霜が融けていたのだった。私はとりあえずその霜を割りもう一度ドアを閉め直ってくれることを祈った。しかし次の朝私は大きなモーター音で目が覚めた。冷蔵庫はまた大量に「おもらし」してくれていた。冷蔵室の方のドアを開けると冷風どころか生暖かい温風が出てきた。こうなったらもうダメである。私は観念して電気屋さんへと向かった。

どうせ買い換えるなら今の物よりランクアップさせないと気が済まない。私は何でも冷凍保存しておく方なので冷凍室と容量にこだわることにした。
まずは容量。絶対に今ある物より大きくないといけない。一人暮らしには無駄かもしれないが250Lは欲しい。
次に冷凍室。これにはこだわりがあった。ホームフリージングをするために「急冷アルミ板」がついていること。あこがれの「引き出し式」冷凍室であること。私にとっては一番使う場所なので、真ん中についていること。
この条件を満たした上で予算に見合う物ということになる。
一番苦労したのが意外にも「真ん中に冷凍室」であった。普通は「野菜室」をもっともよく使うらしく上から「冷蔵室」「野菜室」そして一番下に「冷凍室」という作りになっていた。(その頃の流行らしかった)「野菜室なんか一番下でえーねん!」と思い、いろいろ見て回ったがどうやらそのタイプが主流だった。しかしどこの世界にもちょっと変わり者がいるもので「SANYO」と「富士通」だけは「真ん中冷凍室」を守っていた。
「エライ!!」と心の中で賞賛しつつ「SANYO」の270Lを選んだ。

あれから三年、このあいだ電気屋さんの冷蔵庫売り場を何気なくのぞいたら、「真ん中冷凍室」は「SANYO」の一機種のみになっていた。とうとう時代の波に押されてしまったのね「SANYO」さん。でも一機種だけでもいいからどうか次の買い換えの時まで守ってねと願う今日この頃である。

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2003-06-06 しりとり 2:トイレ 2002/Oct/8(tue)

 トイレ(toilet)
私はトイレが遠い。もうむちゃくちゃ遠い。沖あい5キロってなくらい遠い。(なんのこっちゃ)少ないときは朝、夕、帰宅後の三回くらいである。こういうときは大抵、よく知らないところに仕事ややむを得ない事情で出かけたときにこうなる。安心感がないと出ないのである。引っ越したときはしばらく家ですらなかなか出なかった。嫁入り前の乙女の書くことではないが文字通り「出ない」のである。便秘ではない「液体」がでないのである。

もう「出そう」と思えば思うほど緊張してどこかへ行ってしまうのだ。今から思えば子供の頃からそうだった。風邪などで病院に行くと大抵「検尿」がある。名前の入った紙コップを持って母が言う「あやちゃん。お願いやから今日ははよしてやぁ」この言葉は大体裏切った。母は私にリンゴジュースの紙パックを持たせ目から「飲め〜飲め〜、出せ〜出せ〜」光線を出していた。その光線を浴び二本目のジュースを飲みきって頃になってようやく私はトイレに向かうのだ。しかしここで安心してはいけない、最後の難関が待っているのだ。トイレに他の人が居ると「出ない」のである。隣の個室に人が入ってしまうともうダメだ、気が散って「出ない」さんになってしまうのだ。
そんなこんなで検尿だけに一時間半から二時間もかかってしまっていた。大人になってからは「今は無理です」と断るか病院に行く前からトイレを我慢しておきいつでも出るようにしておくようにしている。

この「出ない」さんはなにも病院に限ったことではない。先日ドライブの途中でどうしてもトイレに行きたくなりコンビニに寄ってもらった。トイレのドアには「トイレはレジに一声おかけください」という張り紙がしてあった。私はここで店内をぐるりと見回した。店員さんチェックである。もし店員さんが全員男の人ならばもうそのトイレでは「出ない」。ぐるりと見回すと店員さんは女の人が二人、ビンゴである。レジに一人とお菓子売り場に一人、ちなみにお客さんは男の人ばかり7、8人。レジに行こうとしたがお客さん(男)が並んだのでお菓子売り場の店員さん(18才くらい)にコソコソと「あのぉ、トイレ借りてもいいですか?」と聞いた。するとその店員さんはなんとレジに向かって大声で「トイレお願いしまーす」と言ったのだ。どうやらレジにトイレのドアを遠隔操作する鍵があるらしい。しかしレジの人は接客中で聞こえないらしい、お菓子売り場の店員さんはさらに大きな声で「トイレお願いしま〜す!!!」といった。レジの人が鍵を開けてくれるとその店員さんは事もあろうに私に向かって「トイレどうぞ」と言ってくれた。
もちろん私が「出ない」さんになってしまったことは書くまでもない。
コンビニの店員さんよもうちっと気を使ってね。

何でもないトイレの話である。

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