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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2014-10-08 個展、続けています。
2014-10-08 変わらぬ喜び。
2014-09-15 思わぬ再会
2014-09-06 出会いは突然に
2014-08-30 機械フェチ
2014-08-28 旧友再会フォーエバー
2013-12-08 コスプレイベントに思う
2013-11-28 つれづれ
2013-06-02 梅雨と母と梅干。
2012-12-17 夏目漱石「彼岸過迄」を読む。


2014-10-08 個展、続けています。

写真の個展を始めて早や足掛け7年になる。
以来、年に一度以上、何度か一年に二回の個展を開催させていただいた。
そして、今年は思わぬ機会を得て、3月、10月、12月と、三回もの個展を開催させていただく機会を得た。
継続は力なりと人は言うが、だらだらと続けている自分の写真を支援していただける方がおられることに感謝したい。

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2014-10-08 変わらぬ喜び。

日記を書かなくなって幾久しい。
ずいぶん放置していながら、ふとひまじんネットを思い出して検索してみたら
まだ自分の記事が残っていた。
しかも、書き始めた1番目の記事から残っていることに、感動したので、
これを機に、気が向いたときだけでも自分の思いを書いていこうと思う。

ひまじんネットの管理人さん、ありがとうございます。

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2014-09-15 思わぬ再会

昨日は中洲ジャズフェスティバルで今日は結婚披露宴。そして明日はイベント参加。人の幸不幸は死ぬ寸前に本人が感じることが全てだと思っているので、僕の人生の幸不幸はいまだ五里夢中。 そうそう、昨日フェスティバルを徘徊中にお二人のコスプレイヤーさんとバッタリ。お互い笑顔でご挨拶できるのは今が幸せだから。

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2014-09-06 出会いは突然に


昨日の一枚。初対面から30分の打ち合わせ、
何となくいけそう?と思いついたロケ地までの移動時間が1時間。到着後30分での一枚です。 
ということで、運と出会いの一枚。

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2014-08-30 機械フェチ

僕が昔から好きなカメラは、35mm版のレンジファインダーカメラはライカ、35mm一眼レフはニコン、中版カメラはハッセルブラッド。ふとしたことで気になりヤフオクで見つけたハッセルブラッド。この機能美、無駄がそぎ落とされたデザインはデジタルカメラでは作れない。機械はやはりデザインの完成度も重要だと思う。

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2014-08-28 旧友再会フォーエバー

久しぶりに、昔の写真仲間のスタジオを訪ねた。相手は仕事としての撮影業務、技術の話をさらりとするけど、その端々になるほど!が潜んでいる。お互いの会話に「昔は良かった」的なものがない。今を生きているのがいい。 その後、モデルさんと次の企画撮影の打ち合わせ。 久々に今日は充実の一日。

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2013-12-08 コスプレイベントに思う


コスプレイベントになぜこんなに魅力を感じているのか。
被写体と、それを写すカメラマン相互の生き生きしている姿かも知れないと最近思いだした。誰しも自分が共鳴できる部分には、持てる力を全部注ぐもの。コスプレイベントにはそれがあるような気がして今日も熱く撮ってきた。そんな今日の一枚。

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2013-11-28 つれづれ

宿題を済ませて布団に入って愛読書を見る至福のひととき。夜に弱い僕は、11時過ぎまで起きてると、翌朝が辛いのだが、せめて10分くらいは本を読んで寝たい。

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2013-06-02 梅雨と母と梅干。


例年になく早い梅雨空の下、我が家の梅が大粒の実を実らせている。
一日降り続いた雨も今日は小雨になり、朝から町内の道路愛護に参加して帰宅した。道路愛護で使う鎌を出すために、庭に作った物置にいったとき庭を眺めたのだが、雨に濡れそぼった梅の実を見ていると、梅雨とはよく言ったものだと毎年思う。
母が、長兄の誕生の年に植えたというから今年で65年になるこの梅の木は、毎年それなりの収穫をもたらせてくれるのだが、去年は不思議なくらい全く実がつかなかった。僕の記憶の限りでは始めてのことである。老いて日ごとに弱っていく母の死が近いことを知らせてくれていたのかも知れないと思ったりする。
晩年の母は、よく早く死にたいとつぶやいていた。その度に「そんなこと言ったらいかん。行きとったらいいこともあろうが!」と言っていたのだが、死ぬ2年ほど前からその言葉もあまり聞かなくなった。年毎に弱り行くのを感じていたのが、半年毎に弱り行く姿を感じ始め、やがてはひと月足らず毎に目に見えて弱っていくのをみていると、こうして人は老い、死んでいくのだと無言のうちに感じさせられていた。そうして、やがて食事も摂らなくなった姿を見たとき、まだ元気なときに言っていた「早く死にたい」という言葉を言う体力さえなくなったのだと感じさせられた。
思えば、そんな手順をきちんと踏んで死を迎えてくれたことが、母の死に対する悲しみを和らげてくれたに違いないと思う。だからこそ、読経のときに涙をこらえられたし、通夜と会葬時のご挨拶もきちんとできたのだろう。僕の背中を支えてくれる母の暖かい両手のぬくもりと微笑が、葬儀を終えるまで確かに感じられ、そんな母の笑顔に見守られながら僕は葬儀を終えることができた。母の死後、会う人毎に言っていた、「最後まで子供思いの母でした。」というのは、そういう最後の姿に対する感謝の念からである。

母がまだベッドではなくリビングの食卓で食事を摂れていた時分から、梅干作りを始めた。
分からないところは母に聞きながらの作業だったが、そのときすでに母の記憶は曖昧になっており、確たる指導を受けることができなくなっていたため、2回の梅干作りは失敗に終わった。今年こそと意気込んでいた去年は、なぜか梅が実を結ばず、梅干を漬けることができなかったのだが、たわわに大粒の実をつけた今年の梅の木をみながら、母の元気なときの微笑が梅の実と重なって見えた。
そして、今年こそ上手に梅干を漬けんといかんばい!と励ましてくれる母の笑顔と優しい声が聞こえた気がした。

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2012-12-17 夏目漱石「彼岸過迄」を読む。

「彼岸過迄」を超スローペースで読んでいる。布団に入って眠りにつくまでの10分程度。一日二話づつほどのペースで読んでいる。
解説を読むと当時の朝日新聞に一月一日から四月二十九日まで連載されたとあるので、壱月が31日。弐月が28日。参月が31日。四月が29日ということであれば、119日連載されたことになり、一日二話のペースでいけば59日程度で読み終えることになる。
しかし、漱石の小説は三分の二くらい、もしくは四分の三くらい話が進んだあたりから話がグングン面白くなって、その結果ぐんぐん読み進んでいくことが常なので、たぶん今のペースでも40日程度で読み終えるのではなかろうかと予想している。
毎日に読んでいると、脳内がじわじわと漱石が生きた時代の時間進行に染まっていくのがとても心地よい。主人公が人を訪ねると今は死語となっている「書生」だの「下女」だのが取次に出てくるなどということは、今の世の一般家庭でそうそうあるまい。そういう世界が当たり前のことのように書かれているあたりがとても心地よく、読み始めるとやめられなくなってくるのである。

最近写真をまじめに撮っていない僕としては、まじめに小説を書いていた漱石の姿が行間に読み取れるような気がして、しらず無言の説教を受けているような心持になるのがうれしい。

そんなこんなで、写真を撮らずとも撮ったような気にさせてくれる読後感がたまらなくて、今夜も一、二話であるが、漱石の世界に足を踏み入れるのである。

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