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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2005-08-19 今夜の独り言は二本立て。超豪華版(?)
2005-08-18 久々のラーメンネタ
2005-08-17 お盆に寄せて
2005-08-11 嬉しい!大興奮!
2005-08-10 ついに新型機導入!
2005-08-06 朝の続き・怒涛の後編その1
2005-08-06 怒涛の後編その2
2005-08-06 こんな夢をみた
2005-08-05 本日のランチ
2005-08-04 酔っ払いの独り言


2005-08-19 今夜の独り言は二本立て。超豪華版(?)

唐突であるが、僕は吉野家のカレー丼が好きである。
僕が今考えるに、この吉野家のカレー丼は、アメリカ産牛肉が輸入できなくなり存続が危ぶまれたときの産物ではないか。依然アメリカ産の牛肉は輸入できない状況ながら、吉野家は(僕が見る限りでは)着実に経営を立て直しているように見える。それは、従来の丼主体のメニューを見直し、豚しょうが焼き定食に代表される「定食モノ」を充実させた点に大いなる変化があったのではないか。僕が吉野家を訪れるのは週に一回以下であるが、店内をべろんと見渡すと、従来の丼一辺倒から定食4、丼もの6位の比率に様変わりしているように感じる。これは、牛丼一筋イノチをかけてきた吉野家にとって非常に大きな改革だったのではなかろうか。小泉内閣の郵政民営化どころの比ではない。小泉さんは総理大臣の職を失しても(恐らく)生死を分かつような人生の大事変は起こらないだろうと踏んでの「改革」気取りだろうが、こちら(吉野家)は、間違えると倒産である。それまでの経緯から、牛丼の吉野家を名乗りながら看板商品の牛丼を売れないというのは、既に息絶え絶えの状況だと思うので、ここで失敗したらもう後がない。
いわば背水の陣だと思うのである。
そこで丼の看板を脇に置くことを覚悟しての定食メニュー充実化である。そしてそれが功を奏し、昼時はそれなりに客足が絶えないように思える。
しかし!それでは僕が冒頭に掲げた一行目が意味を成さないのである。
重ねて言うが、僕は吉野家のカレー丼が好きである。
これには二つの大きな意味があり、ひとつは旨い!安い!
そしてもうひとつが大いなる意義を持つと(僕は)思うのだが、「丼」である。
看板の牛丼は出せない、さりとて丼は譲れない。吉野家にとって、そのギリギリの選択枝がカレー丼だったに違いない。牛丼を売ることが出来なくなって以降、試行錯誤を繰り返しながら定食が開発されるまでの間、いわば起死回生の(小)ヒット商品だったはずである。そのカレー丼が、定食モノが幅を利かせるあまり、窓際に追いやられているのである。その状況が許せない。僕が行く吉野屋の3店は牛丼を取り扱っていないのである。本来、こういう店舗は、取扱商品はどこの店でも取り扱うべきである。「商品の平均化+サービスの平均化」が命題でなければならない。今でこそ、牛丼を扱ってはいないが、黄色い看板を見たら牛丼を食べたくなるという視覚効果を自ら放棄してしまったのである。言葉を変えれば、「牛丼=吉野家=丼モノ」という黄色い看板の持つアイデンティティーを自ら放棄したのである。これはいけない。許せない。

ここまでたたたたっとタイピングしてきてさすがに疲れた。もう止めよう。
いとこがお盆にお仏壇へのお供えとして持ってきた焼酎を飲んで、かなり参っているところである。僕は焼酎が苦手なのだ。それでも飲んだのはおいしいから。欲に負けてしまった。欲に負けながら、意味の分からないカレー談義をたたたたっと打ったものだから脳みそが疲労困憊してしまった。もう止めよう。感情に走るあまり、言葉が跳び跳びになり、自分で読み返してもおかしい。意味が分からない部分もある。かといって、旨い焼酎に脳を犯されてしまった今の僕には校正をする余力もない。
そういうわけで、タイトル返上。もうひとつのテーマ「蚊に刺されたっていいじゃないか」については明日に譲ろうと思う。ああ、軟弱モノ!

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2005-08-18 久々のラーメンネタ

3月に胃の調子を悪くして以来、なぜかラーメンを食べたいという意欲が減退してしまったような気がする。その前は、博多ラーメン(屋号です)方面に行った時など、290円ラーメン(消費税込み)が食べられるというヨロコビに体中が打ち震えるほど、昼食時の定番だったのにどうしたことだろう。考えたくはないけど、もしかしてそういうトシになってしまったのか?
今日は、2時頃、大分市で仕事を終えて、遅めの昼食に何を食べようかと考えながらの帰り道、何となく雰囲気が良さそうなラーメン屋さんを見つけたので、中央分離帯が途切れる所からわざわざ大きくユーターンして入ってみた。
初めて入る店なのでメニューをじっくり検討する。
大分とんこつラーメンと銘打ってあるが、僕は基本的に福岡以外ではとんこつは出来るだけ避けるようにしている。山口とか佐賀とかでの失敗に懲りてのことなのだが、今回もそれに習ってとんこつを避けて醤油ラーメンを注文した。注文した後に、テーブルの上を眺めていたら、色んな貼り紙のひとつに「当店の辛子高菜は、もちろんサービスですが、かなり激辛なので充分ご注意下さい。」とある。おお!これはぜひとも食さねばなるまい!と充分ご注意する暇もなく、取り皿に大盛りに取り食べてみるとこれがかなり旨い!この瞬間、醤油ラーメンを注文したことを激しく後悔したのだが、時既に遅し、我が注文せしラーメンは麺のお湯切りを終え、今まさに醤油スープが満たされたどんぶりに移されんとしていた。
仕方がないので、醤油ラーメンをすすりつつ、セットで注文したおにぎりをほおばりながら激辛高菜を食べる。旨い旨い。おにぎりも旨い。これでラーメンスープがとんこつだったら言うことなかったのにと更に後悔が胸を刺す。悔しい判断ミスである。
しかし、この醤油ラーメンもスープがおいしくてそれはそれで正解だったのかも知れない。食べ終わった後隣の席に目をやると、とんこつスープがたっぷり残されたどんぶりが。思わず、ひとすすりでいいから味あわせて!とお願いしたかった。
久しぶりに立ち寄ったラーメン屋さんは、店に入ったときから対応も良く、店内も雰囲気が良く、おまけに味も良いという三拍子。大分市なので、そうそう行くこともないと思うけど、おいしいラーメン(醤油味だけど)をいただけて、久しぶりに大満足の昼食でした。

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昔の人は中華そばとか支那そばとか言いますよね。いわゆる中華そばというのは、とんこつラーメンに代表される日本のラーメンとは若干異なるようですが、昨日僕が食べた醤油ラーメンはその中華そばに近いものかも知れません。おいしかったです。 / akafuji ( 2005-08-19 08:04 )
私もラーメン大好きで、週に一回は必ず食べています。290円というお値段、魅力的ですね〜!最近では、普通のラーメンで800円なんて所もあったりして驚きます。あちこちで新しいラーメン屋がオープンしていますが、ナカナカ口に合うお店はありません(涙)あかふじさん、良いお店に当たられましたね。今、ふと母がラーメンの事を「中華そば」って言ってたのを思い出しました。 / たまのすけ ( 2005-08-19 02:38 )

2005-08-17 お盆に寄せて

ちょっと書き込みを怠っていた積りが、もう一週間経ってしまった。月日の流れは早いです。
今日、仕事で天神付近で路上駐車をして用件を済ませ、車に戻ろうとすると誰やら話しかけてくる人がいるので、声が聞こえる方に目を向けるとそこには懐かしい顔があった。「おおおっ!お久しぶりです!」と話が始まり小一時間。数年前、仕事で色んな意見を交わしたり行事を企画したりした当時を振り返って話は盛り上がったのだが、僕の記憶では、その時の流れが3〜4年に感じていたのだけど、その方が仕事を辞めて既に7年経ったという話になり、時の流れは早いものだとお互い驚くばかり。
「7年経つ割には全然当時と変わりませんね。」
「お互い一緒に年を重ねているから変わらんっちゃろう。」二人でと大笑い。
また、元気で会いましょう。と別れたけど、今日は一日中、心に爽やかな風が吹いている感じだった。
旧知の人に思わぬところで会うというのはとても嬉しい。
20数年前、新婚旅行で名古屋空港に降り立ったロビーで、憶えのある顔にばったり出会った事がある。
僕が学校を卒業して新卒で入社した会社で配属された、当時の営業所の所長さんだった。向こうは営業が主で、僕は整備部署だったので、直接仕事上の指示系統のお付き合いはなかったけど、顔ははっきり覚えていたので、懐かしさのあまり大声で「○○所長さんじゃないですか?」と訊ねると、先方も僕のことを憶えていてくれて、しばし昔話に時を忘れた。福岡空港ならまだしも、名古屋空港で会うというのはどれ程の偶然だろう。世間は狭いとはよく言ったものだと感動に近い思いを感じたものだ。
以来、悪いことは出来ないなあと何かにつけて思うようになった。
清流は浄化作用が強く、昔の人は「三尺下れば水清し」と言ったとか。泥で汚れた手足を川で洗っても、水の濁りは三尺も流れるうちに飲めるほどに浄化されるという話である。息子が小学生の時分、子供に自然の体験を味わってもらいたくて、毎年7月の第二土曜日にキャンプに出かけた時期がある。高校になってそれぞれが学校生活で忙しくなるまでの数年間続けたのだけど、僕らが主に使ったキャンプ場は鳥栖の山奥で、清流で米を洗い野菜を洗い、食器を洗った。その時にその「・・水清し」を僕ら大人も子供も体で実感したものだ。
話が逸れたが、時の流れはその清流の流れと同じかも知れない。
仕事上の意見の食い違いとかで、その当時は口論を繰り返した中でも、10年、20年経つうちに、時の流れがその記憶を浄化してくれ、全てが美しい思い出に変わるのかも知れない。
時が経ち、やがて訪れるであろういまわの際には、そういう美しい思い出の中で息を引き取りたいものだ。

作文力のない僕は、今夜は何を書こうかといつも頭を痛めるのだが、今夜はタイプを打っている内に話が一人歩きをし始めてくれたお陰で、お盆らしいまとめになった。

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2005-08-11 嬉しい!大興奮!

先日ヤフオクで落札したカメラが到着しました! 早い!早いじゃないかっ!関東からだから明日の到着だと思っていたので大喜び!!
はやる心を抑えつつ、いそいそと開梱しておもむろに取り出して、外観をチェック。想像以上の美しい品に感動の涙。震える手を押さえつつ、レンズを装着してCFメディアを差込み、早速室内でテスト撮影してみた。D1Xを初めて手にしたときの感動が胸に溢れてくる。支払いをどうしようかと落札直後からずっと頭を悩ませていたが、そんなものどうにかなるさっ!と、この感動で不安がどこかに消し飛んでしまった。
ううむ、この勢いに乗って借金もどこかに吹き飛んでくれないかしらん。
早速どこかに撮影に行きたい!が!僕がもっとも多忙なお盆の始まりなので、それもままならん。仕方がないから、今夜は新型機を抱いて寝ようかと思いつつも、興奮で眠れそうにない、蒸し暑い夏の宵なのだった。
取説でも読みながら布団に入ろう・・・

盆開けには、借金返済に充てるため、D1XとAF Nikkor 35mmf2Dレンズを売りに出さないといけない。誰か欲しい方いたら買って頂けません?

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新機種導入に拍手を頂き、ありがとうございます(笑) これでまた気分も新たに撮影意欲を盛り上げていきたいと思っています。 / akafuji ( 2005-08-16 12:15 )
新機種導入、おめでとうございます〜(パチパチ)。新しいカメラがやってくるのは、嬉しいものですよね。あかふじさんの写真がグレードアップされていくので、私も後から負けないように付いて行きたいです。 / たまのすけ ( 2005-08-12 23:00 )

2005-08-10 ついに新型機導入!

ヤフオクにD2Hが出品されていたので、とうとう我慢できずに落札してしまった。ちょっと前からD2HSの新品同様品が出品されていて、どっちにしようか迷ったけど、値段的に10万円程の差があり断念した。今回落札したのは、35mmf2のDタイプレンズと組み合わせての出品で、落札価格は19万円也。この一ヶ月の間、D2Hの動きを見てきたが、大体17,5万円〜19万円位で動いているようなので、35mmレンズ付きということも考慮して最高額20万円で狙った。今使っているD1Xをオークションで処分すれば20万円のうちのいくらかは回収できると思っての購入である。35mmレンズを覗く価格10万円〜15万円の買い物であれば、デジカメのライフサイクルを考えると2年も使えばまあいいか、と思う。35mmレンズは、デジタルになってから、使うことはそうそうないとは思うが、35mmf2レンズは昔の50mmf2レンズと並んで、Nikonの傑作レンズということもあり、買って損はないレンズだと思う。
先日来のD70使用時の手ブレに落胆して、D1Xでの撮影に戻そうと先日のイベントで使用してみたのだが、D1Xでは初めてのRAW撮影を行った結果、D1Xはやはりデジカメ初期の設計のためか書き込みが遅い。僕は最近撮影枚数を抑えるようになったので、枚数撮りする際のバッファ的には特に問題はないのだけど、シャッターを切った後、ディスプレイに表示されるまでの待ち時間が5秒以上はかかる。体感的に10秒はかかっている感じである。1〜2秒位であれば辛抱するのだが、10秒というのは長過ぎてポートレイト撮影には向かないと判断した。かと言って今更JPEG撮影に戻る気もしないし、D70ではスローシャッター時の手ブレが不安。本当は、Nikonの新型機を待とうと思っていたのだけど、期待されるD100の後継機はいつになるか分からないし、発売されたとしても発売当初の実勢価格は25万を切るとは思えない。何より昔からF〜F4を使ってきた僕としてはやはりフラッグシップ機を望みたい。D2Xは価格よりも、1000万画素というオーバースペックから全く購入対象にはならない(後処理時のパソコンスペックまで要求される)し、D3H、D3Xはまだまだ後の話だし、もし発売されてもすぐに買えるような価格ではないだろう。発売1年の間は、どう安く見積もっても40万円を切るとは思えない。価格がこなれるまでの時間を考えたら、それまでD70では凌げない。というところで、僕が考える「性能・価格・満足度」から、当面買うカメラとしてD2Hの購入に踏み切ったというワケです。

明後日位には手もとに届くはずなので、いじり倒して、初撮影はお盆明けですね。

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2005-08-06 朝の続き・怒涛の後編その1

忘れないうちにと、朝一番に書いた日記(2つ下のスレッド)の怒涛の後編。長文なので2つに分割。

それを考える余裕もなかったのは、やはりマムシに咬まれることの恐怖心が強かったのだろう。
僕が幼い頃、父はマムシを良く捕ってはマムシ焼酎にしていた。僕はその捕獲の瞬間を見たことはないのだが、傍で見ていた母に言わせると、細い針金の先を曲げ、かま首を持ち上げたときにその首に針金の先の曲がったところをからませて捕まえるそうである。捕まえたらすぐ一升瓶の中に入れて瓶の口いっぱいまで水を張る。蛇の雑味を一旦水に吐かせて吐ききったところで水を抜き焼酎に入れ替える。驚くことに瓶一杯に水が入っているのだから全く呼吸できない状態なのに、マムシはそれでも1週間経っても死なないそうだ。何と言う生命力。だからこそマムシ焼酎と言うのは強い薬になるのだろう。こうして作られたマムシ焼酎は食あたりや切り傷、虫刺されの特効薬として我が家で活躍した。マムシ焼酎の効能はそれだけに留まらず、歯の痛みや歯茎の腫れなどにも即効性があった。
朝5時半頃、マムシの夢から覚醒した僕は、すぐにそのことを思い出した。
そうだ!こういう時こそマムシ焼酎を塗れば良かったんだ!我が家には、父が最後に作ったというマムシ焼酎がまだ倉庫に残されていたはずだ。朝起きて一番に母にそのことを尋ねると、ワンカップ清酒の空きコップに少し取り分けてきてくれたので、食後早速塗ってみると、驚くことに10分ほどで痛みは治まった。さすが家伝のマムシ焼酎。今日は土曜日で仕事も暇だろうから、昔からお世話になっている天神の歯医者さんに朝から出かけようと思っていたのだが、痛みも治まったことだし、もう少し様子を見てみることにした。

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2005-08-06 怒涛の後編その2

さて、皮一枚で繋がった首をだらりと左に垂れたマムシ変身のお嬢さんの話に戻るが、僕を咬もうと跳びかかったその瞬間、かろうじて繋がっていた首がぷっつり切れてごろりと地面に落ちた。それでも、気丈にも僕に跳びかかってはきたのだが、僕を咬もうとして、咬むべき牙を持つはずの口が体から離れ、咬もうにも咬めないことに気付いた。跳びかかりはしたものの咬むことが出来ない己が姿に、あれれ?と数秒戸惑っていたのだが、すぐに自分の置かれている状況を察したらしく、急にだらりと横に倒れてしまった。自分の状況をはかなむ独り言を傍で聞いていた僕は、しばらく躊躇したが、いまわのきわの言葉くらい聞いてやろうと優しい心持になり、横たわった女性を抱き起こした。ここが夢の夢たるゆえんで、抱き起こしたそのときは切れていたはずの首がなぜか繋がっており、寂しげに最後の言葉を口にしようとしていた。
最後の言葉を耳にしたその瞬間、僕は夢から覚めた。
最後にいくつかの言葉を聞いたように思うのだが、お嬢さんが何を言ったのか僕は残念ながらまったく憶えていない。
夢から覚めた僕が起きてしばらくして思いついたのは、痛む歯にマムシ焼酎を塗ろうということであり、やがて夢がそのことを知らせてくれたという不思議に驚いた。夢うつつの中で痛む歯が原因でマムシ焼酎を思い出し、その結果としてマムシ事件の夢を見ていたのなら、起きてすぐマムシ焼酎を塗ることを考えるはずである。不思議な夢だったと、覚醒した頭で女性の顔や最後の言葉を思い出そうとして、初めてマムシ焼酎を思い出し、夢がマムシ焼酎を告げてくれたのではないか?と思い至ったのである。
何とも不思議で、ありがたい夢だったのだが、今こうして書いていて思うのは、歯の痛みが治まったことに対する感謝より、仲良くなろうと話をする余裕もなく、スコップで首をはねてしまい、変身お嬢さんの命を絶った事への懺悔の念である。
もしかするとこのことが、今後縁があるはずべきの一生の女性運を断ち切ってしまったかも知れないと思うと至極無念である。

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2005-08-06 こんな夢をみた

深夜の1時半頃、右の奥歯のモーレツな痛みで目が覚めた。どうしたのだろうと思って、洗面所に行き鏡を見たのだが、日頃から歯だけが自慢の僕なので虫歯のようでもない。歯茎が特に腫れている様子もない。見たところ何とも様子が分からないのに、じっと鏡を見ていても痛みが治まるわけでもないから、今夜はとりあえず寝ようと布団に戻ったのだけど痛みで寝付けないので、パソコンのスイッチを入れて小一時間ネット徘徊していると、次第に眠気がきたので布団に入ったところで不思議な夢を見た。
家の駐車場に一匹の大きなマムシと普通の蛇がたむろしている夢だった。
普通の蛇はともかく、マムシは危険なので退治しようということになり、傍にあったスコップで切りつけようとしたのだが、敵もじっとはしていない。スコップを探しているうちにどこへ行ったのか見えなくなったので、みんなで探すと車の下に逃げ込んでいた。箒を持ってきて車の下から外へ出そうとすると、車の反対側に出て、大きくかま首を持ち上げた。持ち上げたかま首の高さが50cm以上もある大きなマムシである。そのまま飛び掛ってきて咬まれたらたまらないので、こちらも必死になってそのマムシの首を横から払い、スコップで切断しようとしたのだが、大きなマムシにはてんで応えない。まるで自動車のタイヤにスコップを切りつけたかのようにぼよんと跳ね返されてしまった。僕のスコップ横払いなどまるで平気なマムシが僕を小ばかにして笑っているように思えたその次の瞬間、大きく立ち上がったかと思ったら、キレイなお嬢さんに変身したではないか。キレイなお嬢さんでもマムシに変わりはない。隙を与えたらすぐさま飛び掛ってきて咬まれそうである。そんな僕の殺意を感じて、敵がかかってこようとした刹那、再び渾身の力を込めて首の一番細いあたりを目がけて横から切りつけたら首は皮一枚残した状態でぶらりと横に垂れた。不思議なことに血の一滴も出ない。不思議でも何でもない、これは夢なのだ。首は切れて横に垂れたのだが、敵は死にはせず僕に飛び掛ってこようとする。今考えると、キレイなお嬢さんだったのだからスコップで切ろうなどとせずそのまま勢いに任せて飛び掛って来て貰った方が嬉しかったかも知れない。もしくはそのまま何とかなだめて仲良くなった方が正解だったような気もする。敵も僕が喜びそうな女性の姿に変身したくらいだから、僕に気があったのかも知れない。なんとももったいないことをしたものだが、今更悔しがっても後の祭りである。

****話は怒涛の後編に続く。
・・かも知れない。

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2005-08-05 本日のランチ

思いっきり上あごをヤケドした。
上あごヤケドと言えば・・そう!これはもう熱いスープかラーメンか、はたまたうどんかそのあたりですよね。今日ヤケドしたのは熱いスープ。常日頃御用達の某ファミレスで、日替わりランチをライス大盛りで注文し、スープとアイスコーヒーを取りにいって、主室・・ってなんだこの変換は!今更おバカIMEに目くじらを立てていても仕方ないので気を取り直して・・「おもむろ」にスープをすすったらいきなりヤケド。いえ、もともと猫舌なので、警戒しつつ少しずつ飲む性質だし、そんなグビっと大量に飲んだわけではないんですが、ちびっとヒトすすりで思いっきり上あごをヤケドしたというわけです。
このところ胃が思わしくないせいもあってか、あんなに好きだったラーメンを食する気にならず、昼食はトーストか某ファミレスの日替わりランチ。暑さしのぎにけだるい午後の一休みをかねて入るのですが、いやあ、コストパフォーマンスが高いです。今更ながら。
ご飯大盛りでドリンクバーまで付けて478円。アイスコーヒーを3杯、ホットコーヒーを一杯は大体いつも飲むので、それを考えると安い安い。先日などは最近好んで読んでいる(見ている)鬼兵犯科帳の漫画版を持ち込み、食後にコーヒーなど頂きつつ、漫画をじっくり読んでの一休み。
クーラーは効いているしタバコの煙はこないし、快適なモンです。
今日は上あごをヤケドしたので、ひりひり感を感じつつも開き直ってスープを3杯もお替わりしてしまいました。
それでも478円(税込み)、いやあ、安い安い。

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2005-08-04 酔っ払いの独り言

ゆれる心をもて余しながら日々が過ぎてゆく。
いや、そんな大仰なことではないのだが、最近使わなくなっているD1Xについて思いを馳せた。デジタル機器は日進月歩ならぬ秒進分歩というが、カメラについてもやはりそうなのだろうか?とふと思った。思った理由は他でもない、このところ主に使っているカメラの描写性能についてはなはだ疑問を感じたからである。先日撮った画像についてレタッチ作業をしていて一番気になったのが偽色。コントラスト差が著しく激しいシーンで主に発生しているようなのだけど、それはカメラとして許されて良いのか。デジタルカメラは名機足りえないと先の独り言で書いたけど、果たしてそうなのか。D1Xを産み出した技術者が僕の発言をもし聞いていたらかなりの剣幕で怒られたに違いない。例によって、直情型の人間だから、感じたらすぐその場で言葉にしてしまう悪い癖があるのだが、そんなことを感じながら、酒に酔った勢いで、このところ撮影に持ち出していないD1Xを持ち出し、シャッターを切ってみた。撮った結果はこれからレタッチをしてみて出るのだが、その結果を待たずにこうして独り言を書いている。結果を待っていたのでは直情型人間の名が廃る。
恐らく、撮った画像は僕の期待に応えていてくれるはずである。
色んな意味でデジタル世界に埋没しかかっている自分を見直すために、この数回のRAW撮影はかなり意味があったかも知れない。

久しぶりに持ってみたD1Xは思いのほか重く、手にずしりときた。
その昔、PENTAX SPを使っていた僕がNikon Fを手にした時の感触とあるいは同じかも知れない。重さがスローシャッター時の手ブレを防いでくれるというのが僕の持論だが、24mmレンズ使用時で1/6秒のシャッターを切っていても不安感を全く感じさせない安心感がD1Xにはある。
先日からの撮影で85mmレンズを使用して1/15秒のシャッター撮影時、3枚ともブレていたD70とはやはり違う安心感がある。いくつかの課題をクリアしないといけないけど、もう一度D1Xに戻ろうかと真剣に考え始めている。

先頭 表紙

僕の記憶に間違いがなければ、CanonはNikonの技術者が分離独立して興した会社だったように思います。CanonがF-1を開発したときNikon Fを凌ぐものを作ろうという意気込みがあったはず。Canon F-1の改良機New F-1がNikon Fよりブレにくかったとは初めて聞きましたが、その結果をみてCanonの技術陣が飛び上がって喜んだかも知れません。さすが、たまのすけさんも薀蓄が深いですね。(^^ / akafuji ( 2005-08-04 23:01 )
偽色は私も悩まされています。普及機を使っているユーザーには、そこまで追求はしないのはだろう―と思われるほどですね。銀塩では考えられなかった事で頭を痛めています。そう言えば、20年以上前にドイツのカメラ雑誌で「カメラ(本体)は重いほど手ブレが少ない」とデータと共に結論が出ていました。ちなみに当時世界一手ブレしにくいカメラはCANON NF−1でした。 / たまのすけ ( 2005-08-04 22:17 )

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