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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
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2005-07-20 ケ・セラ・セラ....なるようになればいいけど。
2005-07-19 なしてこげん眠たいっちゃろか?
2005-07-15 夏の想い出
2005-07-15 降ってはないけど「雨読」の日?
2005-07-13 体力が心配(^^;
2005-07-12 やっぱり写真は面白い
2005-07-11 ちょっと鬱の日
2005-07-10 懐かしいカメラに出会った。
2005-07-09 夢がメインディッシュ
2005-07-06 私のカメラ観


2005-07-20 ケ・セラ・セラ....なるようになればいいけど。

明日はとんでもない一日になってしまった。
思えば、この8年という間にこういう日がなかった方が不思議と言えば不思議なんだけど、重なってはならない仕事が2件重なってしまったのです。どちらかを人に頼めばいいのだけど、それが出来ない仕事がたまたま重なってしまったのですね。ああ、頭が痛い。悩んでも仕方がないと分かってはいても、何とかうまくいけそうだと思ってはみても、内容が内容だけにどうにも心配でなりません。
まあ、悩んでも仕方がないので、明日が安穏に過ぎるよう祈るばかりです。
さて、このところ夏の夜の安眠を妨げているアセモのかゆみの話。毎年冬になると肌の乾燥で同じような体のかゆみを催し、それを防ぐためにとある入浴剤を使用しているのだけど、これをこの2〜3日使ってみたところ、どうやら効いたようで昨夜から体のかゆみが軽くなったような気がする。これはいいかも知れない。今夜は少し涼しいようだし、安眠さえ出来れば明日の重大用件重なり事件も何とか乗り切れそうな気がする。やっぱり夏はなんと言っても安眠が大切やね。食事と睡眠さえクリアできれば夏バテにはならないような気がする。
さあて、それでは明日の決戦に備えて今夜はもう寝るとするか。

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2005-07-19 なしてこげん眠たいっちゃろか?

眠い!カユイ!!
眠いのはですね、暑いさなか野外撮影を二回も続けてやったから。モデルさん、大丈夫だったでしょうか?暑い最中の野外撮影でごめんなさい!
かゆいというのはですね、大体が汗かきなのに、この連続の暑さで汗かきまくり、体中アセモで大変な状態なのですという話!
撮影をやった日も、ちょっと休憩していたら体中がかゆくて掻き回っていましたのです。見苦しくてすみませんでした。
そしてそして、かゆくて夜中に目が覚めて眠れないのと連日の暑さに体が疲れているのとで、独り言を書こうとするとモーレツな睡魔が・・・(^^;
写真のことやら個人撮影の陰鬱のことやら色々書きたいのだけど、眠くてキーを打つ手が全く進まん。すまんです。
あ、誤解しないで下さい。個人撮影の陰鬱というのはうまく撮れたのと露出を失敗したのと両極端がたまたま続いたので、そういった自分の撮影技術に対する陰鬱のことですから。撮影自体はですね、そりゃもう信じられない位楽しい二日間でした。こげん楽しか撮影をさせて貰っていいっちゃろか?と言うほど楽しい撮影を、それも二日も楽しませていただきましたとです。お付き合い頂いた皆様、ありがとうございました!
ということで、色々書きたいこともあるんだけど、今日はヤフオクでも覗いて、もう寝ようと思います。
あああ、色々書きたいことがあるっちゃけどねえ。

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2005-07-15 夏の想い出


夏になると思い出す。
その昔、母は土方をしながら日銭を稼ぎ4人の子供と祖母と、同居していた3人の叔父達の世話をしていた。父が長男だったからそうなったのだろう。道楽者の父は家に生活費を入れることはなかったらしい。どこでどうなったのかは知らないが、母方の祖父が山を切り拓き、自分の力で小さな家を建てた。6畳の間が3部屋、4畳半ほどの居間があり、横長6畳ほどの土間があり、その奥に3畳ほどの「おくどさん」がある家だった。トイレと五右衛門風呂は母屋と別に離れたところにあった。
家から15m程坂を下ったところに祖父は水脈を見つけ井戸を掘った。
農業水利も兼ねたため池のそばに建てられた家の周囲には杉とヒノキが植えられていた。祖父の手になるその家で僕ら家族は生活していた。
夏の暑い日、母は稼いだわずかな日銭の中からやりくりしてトマトやスイカを買ってきてくれた。贅沢な暮らしが出来ない僕ら子供にとって、トマトやスイカは大変なご馳走だった。それを井戸水で冷やし、塩を振ってむしゃぶりついた。この歳になり、年老いた母に残された人生を想うとき、、顔中に噴出す汗をぬぐうことも忘れて、僕が喜ぶ顔見たさに両手一杯のトマトを抱えて細いあぜ道を家に向かって急ぎ足で帰ってくる母の姿が目に浮かぶ。それは、もしかすると昔見た本当の光景かも知れないし、或いは思い出の中からつむぎだされた僕の心象風景かも知れない。
今でもトマトやスイカを見ると、そんな母の姿を思い出す。

いつも仕事に出かけるときは母の部屋に顔を出して「行ってきます」と声をかけるのだけど、今日も声をかけようとしてふと母の後姿に見入ってしまった。急いでカメラを取りにいき、そっと後姿を撮った。悲しいくらい細くなったその後姿をカメラに収めながら、なぜか涙が出て止まらなかった。

母の長生きは、母が僕に示してくれる最後の子供孝行なのだと感謝しつつシャッターを切った。

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あの世に先立った人の事は、何かにつれしみじみと思い出されますよね。僕も次世代にそういう姿を残したいと思うこのごろです。 / akafuji ( 2005-07-22 08:17 )
先日、実家の洗面所の水道管が破裂しました。実家の水道配管は、亡くなった父が真夏の昼間、汗と泥にまみれて一人でやったものでした。夏の暑い日、父の「あの姿」を思い出します。ちなみに7月17日は父の誕生日でした。 / たまのすけ ( 2005-07-17 22:08 )

2005-07-15 降ってはないけど「雨読」の日?

昨日は仕事も暇だったので、最近ちょっと親しくなったレイヤーさんに連絡し昼食を一緒に食べようとファミレスに呼び出した。
お昼のひと時を食事でもしながらお話しようという軽い気持ちだったのだけど、写真の話から仕事の話、果ては車の話から僕の青春時代の話まで話が弾んで思いのほか長時間の語らいの場となってしまった。僕のメール着信音に気がつけば早や7時10分。そう言えば外がすでに薄暗くなっている。おやおやと長時間引き止めたことにお詫びしつつお別れしたけど、時間を忘れさせられた楽しいひと時だった。
色んな話の中でちょっと驚いたのは、そのレイヤーさんが写真にはまっていた時期があったというお話。ちょこちょこっと話をすればどの程度の知識、経験があるか分かるので、その意外なほどのレベルに驚かされた。いつも思うことだけど、こういう人に限って自分の経験やスキルを自分から語らないもの。表面だけ捉えて、コスプレ好きのただの普通のお嬢さんとあなどってはいけない。
写真の話に限らず、今までにも何度かこういうことがあった。それは、車の運転技術の話であったり、車の整備に関する話であったり、または他の趣味の話であったりいろいろあったけれど、その人の意外な一面を知ったときの嬉しい驚きというのは、こうしてちょっと親しくお話しする機会を持たないと中々知ることができないものだ。座右の銘という程の言葉ではないけど、色んな人にでくわしたときいつも心の中で唱える言葉が僕にはある。それは、フォトスタジオで助手をしていたとき、そこのカメラマンさんにバーでウィスキーをご馳走になったとき聞かされた「人はそれほど偉くもないし、馬鹿でもない」という言葉だ。自分の力で推し量ることの出来ないほど偉大な力を持つ人に出会ったときにこの言葉を唱えると、無意味に威圧されることなく客観的にその人の素晴らしい部分だけを見ることが出来るし、逆に自分からすると見下すほどの低いレベルと「思える」人に出会ったときにこの言葉を唱えると、よくよく付き合ってみると実はその人が思わぬスキルを持った人だったりしたときに、ヘンに小ばかにした態度をとった自分に恥をかかずにすむ。必要以上にへりくだる必要はないし、逆にたとえ目下の人に対しても偉そうに振舞ってはいけないという両面を併せ持つ奥深い言葉である。
いずれにしても人と知り合うということは苦しいこともあるけど、やっぱり楽しいことだ。出会うのは、決して気が合う人ばかりではなく、同じ数だけ気が合わない人とも出会わなければいけない。楽しいことを得ようとすれば苦しいことも覚悟しなければならないということか。
四苦八苦の中にある「怨憎会苦」と「愛別離苦」とはこういうことやね。

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2005-07-13 体力が心配(^^;


ずっと前から企画していた撮影がいきなり重なり、今度の土、日は連続の野外撮影となった。月曜日のイベントと合わせるとなんと3連チャン。雨はイヤだけど、晴れたら暑いだろうし、どちらにしても体力が持つか不安です。この頃めっきり年老いてしまって迫力ないモンねえ。でもでも、いずれも前々から楽しみにしている企画なので張り切って撮ってきます。今度もRAWとJPEG同時記録で撮ろうと思っているので、撮影枚数を考慮して買っちゃいましたコンパクトフラッシュ。ずっと使っているということもあり、僕としては業界標準のサンディスクよりむしろ信頼しているかも知れないという「ハギワラシスコム」製のハイスピード仕様の1GBですたい。今まで使っていた512MBが三枚と1GBが一枚あるので、合わせて3.5GB。撮影枚数でおおよそ500枚ほど。「どうだ!」って感じですな。
D70はディスプレイの表示が色、精細度ともにとてもわびしいものの、先日の野外イベントで85mmを使ってみたところ、D1Xのようなピントのボケボケもないみたいだし、今回は85mmも積極的に使おうと張り切っています。
さあて、どんな写真が撮れるかなあ。楽しみ楽しみ。雨よ降らないで、ね!

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2005-07-12 やっぱり写真は面白い

このところ個人撮影時にモデルさんに対する表情の注文が多くなってきている。それは自分の思いを写真に込めたいというのももちろんあるけど、モデルさんと撮影を重ねるに従い、ある程度僕の写真に対する信頼を得られるようになってきたので、そろそろ表情に対する注文をお願いしても嫌われないだろうと思うようになってきたということもある。本来のポートレートとは違い、企画されたポートレート写真はある意味で「演技を写し取る」ものだと思っている。特定の服装と場所、そして天候が揃えばそれは演技する舞台であり、それには最終的に表情がマッチしなければならない。表情が作られていない舞台写真は「画竜点睛」を欠いたものとなる。それには演技が求められるのだけど、演じることが逆に自己表現になることもあるし、趣味で撮る写真なのでそれくらいの遊びがあった方が楽しいと思う。そういう意味でコスプレ写真は面白い。モデルさんが自分で選んだコスプレは、そのキャラクターに何かを感じたから、キャラクターに憧れや共感を感じたからお金をかけ、手間ひまをかけて衣装を作るのだろう。だからその衣装を着たときは少しだけ自己実現ができたはずである。そのときを写し取るのに、きちんと表情が伴わないというのは中途半端でもったいない。
表情を作るということは難しいことだけど、だからこそ面白いと思うようになってきた。
そういう演技をしない、自分の中から自然とにじみ出てきた表情を捉えたものが本来のポートレート写真に求められるのだということは承知の上である。
後で見直すと陳腐な写真も多いかも知れないけど、そういう作られた写真を撮ることによって、自分が今何を撮りたいのか、何を表現したいのか考えながら撮る作業を繰り返しながら、いつの日にか本物のポートレート写真が撮れるようになりたい。
モデルになっていただいている皆様、今後ともご協力よろしくお願い致します。

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2005-07-11 ちょっと鬱の日

香椎のイベントに行ってきた。
数回使ったにもかかわらず、なぜかまだD70の操作系にとまどいがち。ディスプレイも相変わらず青く感じられてイメージがつかみ難いし、慣れるまでもう少し時間がかかりそう。環境の変化に順応できない状況に、脳が老齢化してきているのを痛切に感じます。
最近、強烈にカメラマン化してきたコスプレイヤーさんの撮影画像をディスプレイで見せていただいたけど、巧いのに驚いた。縦位置、横位置の使い分け、構図の取り方などどれをとっても巧い。次のステップを越えれば更に巧くなるだろうという感じです。
そして別のカメラマン化コスプレイヤーさんから撮影依頼を頂いたのがとまどいつつも嬉しかった。撮る側になって、自分の写真が少なくなってしまったので撮って欲しいとのこと。ナルホド、僕が若い頃からカメラを持っていることが多かったため、色んなイベントでの自分の写真が少ないのと同じ状況だ。写真が上手な方だから、何とも面映いのだけど、撮るからには自分の写真を撮らねばと思う。撮影のショット数が少ない分、色んな方とゆっくり語り合うことができて、ちょっと方向性は違うもののそれなりに楽しめたイベントでした。このところ、撮影イメージが湧かないため撮影意欲が減退しているのだけど、この傾向から逃れるのは、やはり撮るしかないと痛切に思う今日この頃です。と言いつつ、次に予定している撮影の撮影場所に悩んでいたりして。

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2005-07-10 懐かしいカメラに出会った。

昨日、注文していたプリントを受け取りに行き着けのキタムラカメラに行ったのだが、中古カメラのコーナーを覗くと懐かしのF3が一台出ていたので見せてもらった。50mmf1.4付で39,800円という魅力的なお値段。しかも、僕が好きなノーマルファインダーのタイプということで心が揺れる。F3は、後に出たハイアイポイントが多く出ているので、この普通のファインダーは少ない。確かに実用性から考えるとハイアイポイントの方が視認性が良く使いやすいのだけど、デザイン的にはやはりノーマルタイプの方がすっきりしてまとまっている。手にすると、ずっしり感が懐かしく心地よい。F5などと違い、モータードライブ部が別付けになるので、無駄な部分がなくすっきりとコンパクトにまとまっている。思わず衝動買いしたくなる心にブレーキをかけたのは、買っても恐らくフィルムは使わないだろうという気持ち。もしこれがF2だったら買っていただろう。F2は電池がなくても作動する最後のF一桁なので、余計なものがついていないという点で持つ喜びを感じさせる最後のカメラだと思っている。
触ってみると、レンズもオートフォーカスのものではないので、ヘイコイドの感触がしっとりと心地よい。いいなあ・・・と思いつつも、さすがの僕の物欲も心のブレーキの力に勝つことが出来ず、店を出た。

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2005-07-09 夢がメインディッシュ

昨夜(日にち的に言うと一昨日になるけど)、夕方から北九州市行きの仕事があったので、仕事が完了した時点で、八幡西区で修行中の長男に電話を入れて一緒に夕食を食べた。修行後のお互いの夢や希望を語り合いながらゆったりした気分での食事だったのだが、長男の今後に過大な期待をしては負担をかけると思っていたので、僕の希望を言うことを控えていたのだけれど、修行を重ねるに従って、僕が言う以前に、僕が望む方向に自分で道を決め始めたようで、話をしながらワクワクし通しだった。今後どうなるかはなはだ未然形ではあるのだけど、とりあえず進むべき道が見え始めたのは、お互いにとってとても嬉しいことには間違いないようだ。仕事以外にも、食事をしながら色んな話をした。嬉しかったのは、僕の写真熱に対して、とても理解を示してくれており、今僕が楽しんでいるRAW撮影に関してのことやD1XからD70に移行している現状など思ったよりはるかに理解しているのに驚かされた。仕事については僕が示した道を選択してくれた事を望外の喜びと感じているのだけど、いっそのこと写真を趣味として始めてくれないかしらん、等といらぬ期待をかけたりして・・・そんな楽しい夢を感じさせてくれると同時に、会う度に成長を感じさせる長男のそんな姿を見て、今後の自分も生活を正さなければならないと思わせる濃密なひとときだった。

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2005-07-06 私のカメラ観

先日来、D70を使い始めて新たな経験を重ねているけど、その中で思うのは、デジカメは機械が変わると撮り方も変えなくてはいけないという、フィルムカメラでは考えられなかった点だ。デジタルカメラは画像処理エンジンという、いわばある種の現像処理施設をカメラ内に内蔵しており、そのエンジンは、いわゆる日進月歩ならぬ秒進分歩のデジタル技術界にあって、カメラが新型になるたびに新たな処理が施されて登場する。当然ながら撮り手は機械毎に対処法を変えていかなければならない。D1XからD70に変えて、その変化は顕著に感じられ、機械的にはD1Xが優れているのだが、撮るときに一番神経を使う画像処理部分については、約4年の年月を経て発売されたD70が圧倒的に優れている。D70を使うに従って、NikonがD100の後継機を出し渋っている理由が何となく分かるような気がしてきた。確かにファインダーのお粗末さ加減やオートフォーカスポイントの心もとなさなど、物足りない部分は多いが、撮った画像を見てみるとそんなハード面などどうでもいいようにさえ思えてくる。一番不安の種である耐久性とかはD1Xの足元にも及ばないだろうけれど、D70で撮った画像をレタッチしていると、同じスティルカメラでありながらも、デジタルカメラというのはフィルムカメラと全く異質の映像機器なのだとしみじみ感じさせられる。フィルムカメラは、撮る喜びはもちろんのこと、所有する喜びという面があった。撮影しないときでも暇があればバッグから出して意味もなく磨いてみたりシャッターを切ってみたりしてため息をついたものであるが、デジタルカメラになってその部分が薄くなってきたように思えるのである。時代の変化に伴い、デザインが変わり、現代風デザインに見合う加工がしやすいということで材質が真鍮からマグネシウム合金に変わったというような部分ももちろんその理由のひとつとしてあるだろうけれど、デジタル技術に重きを委ねるデジタルカメラにおいては、一世代前の技術を搭載した機械など、ただの鉄の塊に過ぎなくなったのかも知れないなどと思い至るに、4年間働いてくれたD1Xを前に感無量である。

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このところのNikonはその戦略がせこく思えます。Nikon党として本当につらいです。 / akafuji ( 2005-07-12 07:35 )
カメラが進化して変わって行く部分もあるけど、やっぱり変わらないものもあります。メーカーの戦略に踊らされず、賢いカメラ使いになりたいですねv / まりりん ( 2005-07-07 11:24 )

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