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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2005-04-09 初夏のようなお天気
2005-03-30 諸方面の皆様、昨今の失礼をお詫びいたします。
2005-03-28 嬉しいため息ひとりごと。
2005-03-26 M氏からのメール。その1(下の書き込みに続く)
2005-03-26 M氏からのメール。(その2)
2005-03-24 写真はブラック アンド ホワイト。
2005-03-23 酔っ払いの独り言。
2005-03-23 車の買い替え。
2005-03-22 日記までご無沙汰。
2005-03-14 心からお詫び申し上げます。


2005-04-09 初夏のようなお天気

いやあ、今日は暑かったですね。
今年初めてです。夜までずっとクーラーをかけて運転したのは。
今日は最近月一恒例となっている鹿児島行きだったんだけど、昼間は汗ばむほど。
ほんとにいい天気でしたね。
沢山の宿題を残したまま早や2ヶ月経ってしまいました。
4月からはテキパキやっていこうと心に決めたのに、その4月ももう9日。
今日は帰宅が遅くなってしまったし、明日は朝から仕事と撮影でまたまた宿題が溜まりそうな予感です。
金を貯めるのは全くダメなのに仕事を溜めるのは得意という性格がいかんですね。
いかん、いかんと思いながら齢52歳になってしまった自分が情けない。
とりあえず今夜はもう寝ます(それがいかんのですが・・)
明日もいい日でありますように。

サカイさん、見てるぅ?!(^^)v

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2005-03-30 諸方面の皆様、昨今の失礼をお詫びいたします。

本当に時間が取れません。
色んな方からご連絡やら沢山頂いているのに、今まで即レスしていた僕にとってとても心苦しいことなのですが、ゆっくりレスを返す時間がありません。
明日も早朝から仕事が入っているし、今夜撮ってきたホテルの室内外のレタッチもする時間もなくそのまま生データをお渡しすることになっているのですが、その取捨選択する時間すらありません。
いえ、単なる言い訳なんですけど、こんな自分がとてももどかしく苛立ちさえ覚えます。

そういうわけで、いろんな方から嬉しいお便りなど頂いているのにお返事が遅れている実情をお知らせしたく、今夜は言い訳三昧の書き込みでした。

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2005-03-28 嬉しいため息ひとりごと。

忙しくて腰が危険信号を発しています。
土曜日、そして昨日と何とかしのぎつつ仕事をやったけど、ちょっとヤバそうなので今日はマッサージをお願いしてきました。マッサージより運動するとか、それが無理ならせめて朝晩ストレッチをやるとか、自分で何とかしろよっって話なんですけどね。分かっちゃいるけど止められないというか分かっちゃいるけどやりたくない(やるのが面倒←相当横着もん)という不精もんです。

カラダは日々老朽化していきますが、写真の方は微妙に新境地、というか新たな局面を(望むと望まざるとにかかわらず)迎えているようで、近日、僕にはまったく似合わない合同撮影会を企画実行するハメになるし、明日は建物の夜景外観撮影と室内の撮影を依頼されるしということで、微妙に仕事をやらされています。
このところ、アブナイ腰痛と仕事が過密スケジュールなので、断ろうかとも思ったけど、ここでそれなりの成果を挙げることができれば、自分の自信にもつながるし、何か目に見えない力になるような気がして引き受けました。
本当は明日の午後くらいは家でゆっくりのんびりした気分でパソに向かって、たまりにたまっているレタッチ作業をやりたかったんだけど・・・。

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2005-03-26 M氏からのメール。その1(下の書き込みに続く)

お付き合いが30年近くになるという某カメラ店店長のM氏から嬉しいメールを頂いた。
内容は、僕の日記を読んでのレスで、文章の中に、「30年近く昔に見たセーヌ川のほとりの風景写真の中に写っている街灯の色が、自分の心象的に「赤」だったに違いない。」というものだった。続けて「黒白写真には、そういう見る者に想像(創造)する余地を与えてくれる魅力がある。」とあった。
氏にとってはその街灯の「赤い色」が、ことさら美しい色に見えたに違いない。

そのメールがとても嬉しくて、氏に宛てたメールを今日の独り言として、ここにそのまま掲載させていただく。
(以下M氏に宛てた返信メールです。)←その2に続く

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2005-03-26 M氏からのメール。(その2)

こんばんは、あかふじ(ひらがなです:笑)こと溝口です。

書き込みと直接メールを頂き、ありがとうございました。
ネット上の作業と言うのは一人ぽっちの世界であり、作った写真に対する批評、感想などを
いただけないので、一方通行のようでとても寂しい思いをすることがよくあります。
D1Xを買って4年近くになりますが、面と向かって会えた方から、最近やっと、あかふじさんの写真が
好きです、という嬉しいコメントをいただけるようになりました。でもまだ、批評というには程遠く、
耳に嬉しい褒め言葉ではあっても、自分の写真を向上させてくれる言葉をいただけないというのが実情です。
そんな中で、昔から写真をやっておられる方の一言というのはとても有難く嬉しいものです。

フィルムから遠ざかり、今はデジタルオンリーの作業をやっていますが、「写真=真の姿を写す」
という意味あいからいうとデジタルで撮られた写真を「写真と呼んでいいのだろうか」という想いは
常にあります。
写真=黒白=撮影からフィニッシュまで自分の手でやる、という想いは今も変わっていませんし
実際に自分でフィニッシュまで一貫して行っています。
ただ、デジタルでやっていて、昔のように、定着液の匂いがカラダにしみこむような暗室で、自分で焼いた
黒白プリントの出来に涙するという感激はいまだ得られていないように思えてなりません。

親しいカメラ仲間にいつも言っていることですが、「僕はもうフィルムで撮ることは恐らく一生ないだろう。」と
いう言葉が、今日Mさんから頂いたメールで微妙に揺らいでいます。
もう一度フィルムで撮りたい、という想いが心のどこかに芽生えたような気がします。
ただ、デジタル(明室)での作業に甘えきっている僕にとっては、昔のようにフィニッシュまで一貫して暗室で
行うということは、恐らくないような気がします。

ああ、黒白で撮りたい。撮るならライカ?いや、それは経済的に無理でしょう。
デジタルがメインだということに変わりはないので、デジタル一眼も買い換えていかねばならないし、
両方を一級品でそろえると言うのは貧乏カメラ道楽人にとってはとても出来ない相談です。
カメラはベッサあたりの中古を掘り出し、レンズは最近発売されたツァイスのMレンズでまかなうという
手もありかも知れませんね。

でも先ほど言ったように暗室作業は無理です。
となると、フィルム現像までアナログでやって、後はフィルムスキャナで取り込み、フィニッシュは
デジタルに任せる、というのもアリかな?などと考えています。
これなら、ツァイスの描写やフィルムの粒子までなんとか表現できるのではないでしょうか?

となると、ベッサの中古ボディとツァイスの新品レンズ(まずは35mm一本)を買い求め、同時にNikonの
高級フィルムスキャナを買い求め・・・
あああ、D2Xも買わないといけないのにどうすればいいんだ・・・・
まずはロト6でも買いに行きましょうか。(笑)

また店に顔を出させて頂きます。

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2005-03-24 写真はブラック アンド ホワイト。

今日も相変わらず先日買ったカメラ雑誌をみている。
佐藤秀明さんの「路地」とタイトルされた写真が美しい。じんとくるな、と思いながら最後の解説をみると写真集からの抜粋とある。
忘れられた日本の生活美というようなものを感じさせられた。きっちりと切り取られた構図を綺麗な色で写してある。次にある中国先鋒撮影と名づけられた一連の写真はそのタイトルから想像できるように中国の新鋭写真家達の写真である。
日本の写真学校の生徒さん達の習作を見せられているようで、何だか微妙な感じを受ける。

深く魅入ったのはいづれも黒白で撮られた写真であった。
まず、宇井眞紀子さんの「イヤイライケレ」。語感から感じられる通り、アイヌの方を取材した写真である。写真の中心となる人物であるアシリ・レラさんは言う。
「大地のものは、命ある全てのもののためにある。人間だけのもの、国のものはない。」という言葉が写真を際立たせる。アイヌの生活には祈りや感謝が常にある、という言葉にも深い感銘を受けた。人類全てがいつもこういう静かな生活を送っていられたら、きっと戦争なんて起こらないのだろうな、と思わせられた。
 次にみた「老いの風景」という写真には思わず「ううむ・・・」と声にならない声で唸らせられた。撮影は山本宗輔さん。
島で生きる静かな老人達の生活を淡々と撮っているのだが、最後のページにあった、神式の死に装束姿となった老人の姿に息を呑んだ。神々しいという言葉がぴったり当てはまるようなその死者の表情を美しいと感じた。これがカラーだったら生々しい悲しみとか死に対する恐れとかが先立ったかも知れない。
改めて黒白写真の持つ力の大きさを感じると同時に、今自分が撮る事ができないもどかしさを少し感じさせられた。

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モノコロームの世界。本当に印象的な世界ですよネ。黒白なのに / れいチャン ( 2005-03-26 00:32 )

2005-03-23 酔っ払いの独り言。

この記事画面は夜になると極端に重くなるので、出来るだけ回線が空いている夕方早めの時間帯に書くようにしている。
そういった理由から、食事前に日記を書き、晩酌を済ませて久しぶりにのんびりとした気分で、昨日買ってきたカメラ雑誌を見ていた。昨日パラパラっとみていたので、今日は少しじっくりと記事なども読み進んでいったのだけど、いつも読む写真評論家・赤城耕一さんの「ワタクシ的名機」の冒頭に僕の大好きな森山大道さんと荒木経惟さんが最近発表した「森山 新宿 荒木」という写真展のことが書いてあった。
嬉しくて読み進んでいくと、かつて20年ほど活動休止した森山さんが活動再開したときに使用したカメラがペンタックスSVというカメラであった。というところから始まり、このカメラの素晴らしさを紹介していくというものであった。
僕も今のNikonを使う前はペンタックスを使っていた。
もっとも、SVではなくSVにTTL露出計を組み込んだペンタックスSPというカメラであったが、その優しい描写と持ち歩くのに疲れないコンパクト性が好きだった。小型の普及期でありながら、昔のカメラは当然真ちゅう製であり、精密機械だということをボディ全体で主張しているような雰囲気がいい。

記事の中に記された一節が、一旦置いたグラスに再び酒を注いだくらい妙に嬉しかったので、ここに転載させていただく。興味ない人はスルーして下さい。

「森山さんは淡々とリコーGR21で撮影してゆくというスタイル。荒木さんはプラウベルマキナでアグレッシブに撮りまくるという、お馴染みの光景で、見ていて楽しいが、私が気になっているのは両機ともすでに製造中止になっていることだ。
ふたりが今後使うカメラは何か?ということに興味を持つのは不真面目なのかもしれないが、つまらないメカニズムの薀蓄から最も遠いところにいる写真家が使用するカメラの背景には、思想が必ず潜んでいると信じている私は、少なからず興味をそそられるのである。」

そしてこのコーナーは次のような言葉で締めくくられていた。

「シャープさと優しさを併せ持ったようなSVに触れていると、よりモノを見つめてゆく行為を再確認したくなるのである。」

僕が使っているNikon D1Xを始めとして、現在メーカーが作り出しているカメラの中でこういう気にさせてくれるカメラが果たしてあるだろうか、としみじみ思ってしまった。ごく最近Nikonがデジタル全盛の世に送り出したフィルム一眼レフのフラッグシップ機であるF6が真ちゅう製であったならばあるいはその一つになれたかも知れないと思うのは僕だけだろうか。

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2005-03-23 車の買い替え。

自家用車の買い替えと営業車の買い替えが同時になってしまい、大出費となってしまった今年の春だけど、営業車が格安で見つかったのでかなり喜んでいるところです。喜びついでに次に買い換えるときはカーナビも付けようと考えていたので、ただ今カーナビを物色中。とりあえずカーショップに行って調べたらば、高い!新品だと何と30万強ですよ、あなたっ!
15万円も出せばそこそこの物が買えるだろうとタカをくくっていたのに、とんでもない状況になっています。なぜそんなに高いのかと言うと、地図検索がDVDからHDDになっただのDVDを見ながら地図も見ることができるだの、何とも高機能。
地図は程々で構わないので安いもので十分と思っていたのだが、聞いてみるとHDD内臓タイプはCDを録音しておけるらしい。とりあえず中古で見つけた2003年製でもCDアルバムが100枚録音できるとの事。CDを何枚も車に積んでおかなくてすむのでこれは便利そう。100枚は必要かどうか首をひねるところだけど、でも便利。
そんなこんなで、色んな説明を受けるうちに30万円の意味が分かってきた・・・ように感じるけど、それでも高過ぎ。なんでこんな無茶苦茶な値段になってしまうのでしょうね。ううむ・・・それでも買う人がいるからこんな値段設定になるんだろうなあ。

ということで密かに狙っていた新型デジカメは当分後になりそうです。

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2005-03-22 日記までご無沙汰。

ある方から、チラシに掲載する写真の撮影の依頼を受けた。
相手の思いに近づけるような撮影と言うのは、自分の撮影の幅を拡げるのに大変有意義だと思っているので快く受けさせて頂いたのだが、それなりに撮れたようで一安心している。
その前に、有料で受けている仕事の中でA3全面という大きな印刷物の撮影をやり、出来上がった印刷物を頂きその結果から、500万画素でもそれなりにいけるのだという実感を持てたのは大変有意義だった。一連の撮影の中で、今までの趣味の撮影のようにモデルになって頂いた方に喜んでいただけるのももちろん大切なことだけど、依頼を受けた相手の要求に対して60点でもいいからとりあえず及第点を頂けると言うのはまたそれなりに嬉しいことだと改めて感じた。
この2ヶ月くらい、何だかバタバタしていて、本を読むこともなく、好きな写真誌に掲載されている作家の写真を真剣に見ることもなかったように思う。
とりあえず昨日で仕事が一段落したので、今日は書店に立ち寄って好きな写真誌を2冊買ってきた。先ほどパラパラとみてみるとなかなか面白い写真や記事が掲載されているようなので、この日記を打ち込んだ後、布団に入ってじくじくと見るのが楽しみです。
2冊のうちの一冊はデジタルカメラなどと言うものが存在どころかかけらもなかった時代から脈々と続いている雑誌であり、もう片方はその名も「デジタルカメラマガジン」という、まんまデジタルものであるということが時代の流れを感じさせて面白い。
写真は写真だから一緒だろうと言うなかれ。掲載されている写真が片やアナログ表現であり、片や微妙にデジタル表現だというのが妙に考えさせられるのです。
そして、デジタルの本を読みながら、決してデジタルオタクにならないよう、自己規制という大切な要素も頭に叩きいれつつ、両者を楽しんでいくのです。

実はこの日記を打っていても言葉が出てこないことにもやもやイライラしているのです。2行前の「自己規制」という単語は使いたくなかったのですね、実は。
言いたい言葉が出てこない。いやこれは今に始まったことではなくこの5年ほど前から頻繁に起こり始めており、加齢に寄るボケなのか、デジタルものに首の根っこまで浸かりきっているためのある種の現代病なのか判然としないあたりに「真綿で首」式の恐怖を感じずにはおられないのであります。おお、コワイコワイ。

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2005-03-14 心からお詫び申し上げます。

すみません、すみません、HP放置しっぱなしで!
撮影させて頂いた皆様、本当にすみません!
なんだか最近身の回りが慌しくて、更新する意欲が消沈しきってます。
やろうと思えばやる時間はあるはずなのですが、じっくりパソコンの前に座る時間が取れなくてイライラもやもやしています。
きっと近いうちにアップさせて頂きますので、いましばらく寛大なお心で見守ってやって下さいませ。(激しく陳謝!)・・ん?ちょっと日本語アヤシイ?(^^;

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