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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2005-03-26 M氏からのメール。その1(下の書き込みに続く)
2005-03-26 M氏からのメール。(その2)
2005-03-24 写真はブラック アンド ホワイト。
2005-03-23 酔っ払いの独り言。
2005-03-23 車の買い替え。
2005-03-22 日記までご無沙汰。
2005-03-14 心からお詫び申し上げます。
2005-03-12 昨日の日記
2005-03-10 自家用車買い替え
2005-03-10 昨日の日記


2005-03-26 M氏からのメール。その1(下の書き込みに続く)

お付き合いが30年近くになるという某カメラ店店長のM氏から嬉しいメールを頂いた。
内容は、僕の日記を読んでのレスで、文章の中に、「30年近く昔に見たセーヌ川のほとりの風景写真の中に写っている街灯の色が、自分の心象的に「赤」だったに違いない。」というものだった。続けて「黒白写真には、そういう見る者に想像(創造)する余地を与えてくれる魅力がある。」とあった。
氏にとってはその街灯の「赤い色」が、ことさら美しい色に見えたに違いない。

そのメールがとても嬉しくて、氏に宛てたメールを今日の独り言として、ここにそのまま掲載させていただく。
(以下M氏に宛てた返信メールです。)←その2に続く

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2005-03-26 M氏からのメール。(その2)

こんばんは、あかふじ(ひらがなです:笑)こと溝口です。

書き込みと直接メールを頂き、ありがとうございました。
ネット上の作業と言うのは一人ぽっちの世界であり、作った写真に対する批評、感想などを
いただけないので、一方通行のようでとても寂しい思いをすることがよくあります。
D1Xを買って4年近くになりますが、面と向かって会えた方から、最近やっと、あかふじさんの写真が
好きです、という嬉しいコメントをいただけるようになりました。でもまだ、批評というには程遠く、
耳に嬉しい褒め言葉ではあっても、自分の写真を向上させてくれる言葉をいただけないというのが実情です。
そんな中で、昔から写真をやっておられる方の一言というのはとても有難く嬉しいものです。

フィルムから遠ざかり、今はデジタルオンリーの作業をやっていますが、「写真=真の姿を写す」
という意味あいからいうとデジタルで撮られた写真を「写真と呼んでいいのだろうか」という想いは
常にあります。
写真=黒白=撮影からフィニッシュまで自分の手でやる、という想いは今も変わっていませんし
実際に自分でフィニッシュまで一貫して行っています。
ただ、デジタルでやっていて、昔のように、定着液の匂いがカラダにしみこむような暗室で、自分で焼いた
黒白プリントの出来に涙するという感激はいまだ得られていないように思えてなりません。

親しいカメラ仲間にいつも言っていることですが、「僕はもうフィルムで撮ることは恐らく一生ないだろう。」と
いう言葉が、今日Mさんから頂いたメールで微妙に揺らいでいます。
もう一度フィルムで撮りたい、という想いが心のどこかに芽生えたような気がします。
ただ、デジタル(明室)での作業に甘えきっている僕にとっては、昔のようにフィニッシュまで一貫して暗室で
行うということは、恐らくないような気がします。

ああ、黒白で撮りたい。撮るならライカ?いや、それは経済的に無理でしょう。
デジタルがメインだということに変わりはないので、デジタル一眼も買い換えていかねばならないし、
両方を一級品でそろえると言うのは貧乏カメラ道楽人にとってはとても出来ない相談です。
カメラはベッサあたりの中古を掘り出し、レンズは最近発売されたツァイスのMレンズでまかなうという
手もありかも知れませんね。

でも先ほど言ったように暗室作業は無理です。
となると、フィルム現像までアナログでやって、後はフィルムスキャナで取り込み、フィニッシュは
デジタルに任せる、というのもアリかな?などと考えています。
これなら、ツァイスの描写やフィルムの粒子までなんとか表現できるのではないでしょうか?

となると、ベッサの中古ボディとツァイスの新品レンズ(まずは35mm一本)を買い求め、同時にNikonの
高級フィルムスキャナを買い求め・・・
あああ、D2Xも買わないといけないのにどうすればいいんだ・・・・
まずはロト6でも買いに行きましょうか。(笑)

また店に顔を出させて頂きます。

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2005-03-24 写真はブラック アンド ホワイト。

今日も相変わらず先日買ったカメラ雑誌をみている。
佐藤秀明さんの「路地」とタイトルされた写真が美しい。じんとくるな、と思いながら最後の解説をみると写真集からの抜粋とある。
忘れられた日本の生活美というようなものを感じさせられた。きっちりと切り取られた構図を綺麗な色で写してある。次にある中国先鋒撮影と名づけられた一連の写真はそのタイトルから想像できるように中国の新鋭写真家達の写真である。
日本の写真学校の生徒さん達の習作を見せられているようで、何だか微妙な感じを受ける。

深く魅入ったのはいづれも黒白で撮られた写真であった。
まず、宇井眞紀子さんの「イヤイライケレ」。語感から感じられる通り、アイヌの方を取材した写真である。写真の中心となる人物であるアシリ・レラさんは言う。
「大地のものは、命ある全てのもののためにある。人間だけのもの、国のものはない。」という言葉が写真を際立たせる。アイヌの生活には祈りや感謝が常にある、という言葉にも深い感銘を受けた。人類全てがいつもこういう静かな生活を送っていられたら、きっと戦争なんて起こらないのだろうな、と思わせられた。
 次にみた「老いの風景」という写真には思わず「ううむ・・・」と声にならない声で唸らせられた。撮影は山本宗輔さん。
島で生きる静かな老人達の生活を淡々と撮っているのだが、最後のページにあった、神式の死に装束姿となった老人の姿に息を呑んだ。神々しいという言葉がぴったり当てはまるようなその死者の表情を美しいと感じた。これがカラーだったら生々しい悲しみとか死に対する恐れとかが先立ったかも知れない。
改めて黒白写真の持つ力の大きさを感じると同時に、今自分が撮る事ができないもどかしさを少し感じさせられた。

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モノコロームの世界。本当に印象的な世界ですよネ。黒白なのに / れいチャン ( 2005-03-26 00:32 )

2005-03-23 酔っ払いの独り言。

この記事画面は夜になると極端に重くなるので、出来るだけ回線が空いている夕方早めの時間帯に書くようにしている。
そういった理由から、食事前に日記を書き、晩酌を済ませて久しぶりにのんびりとした気分で、昨日買ってきたカメラ雑誌を見ていた。昨日パラパラっとみていたので、今日は少しじっくりと記事なども読み進んでいったのだけど、いつも読む写真評論家・赤城耕一さんの「ワタクシ的名機」の冒頭に僕の大好きな森山大道さんと荒木経惟さんが最近発表した「森山 新宿 荒木」という写真展のことが書いてあった。
嬉しくて読み進んでいくと、かつて20年ほど活動休止した森山さんが活動再開したときに使用したカメラがペンタックスSVというカメラであった。というところから始まり、このカメラの素晴らしさを紹介していくというものであった。
僕も今のNikonを使う前はペンタックスを使っていた。
もっとも、SVではなくSVにTTL露出計を組み込んだペンタックスSPというカメラであったが、その優しい描写と持ち歩くのに疲れないコンパクト性が好きだった。小型の普及期でありながら、昔のカメラは当然真ちゅう製であり、精密機械だということをボディ全体で主張しているような雰囲気がいい。

記事の中に記された一節が、一旦置いたグラスに再び酒を注いだくらい妙に嬉しかったので、ここに転載させていただく。興味ない人はスルーして下さい。

「森山さんは淡々とリコーGR21で撮影してゆくというスタイル。荒木さんはプラウベルマキナでアグレッシブに撮りまくるという、お馴染みの光景で、見ていて楽しいが、私が気になっているのは両機ともすでに製造中止になっていることだ。
ふたりが今後使うカメラは何か?ということに興味を持つのは不真面目なのかもしれないが、つまらないメカニズムの薀蓄から最も遠いところにいる写真家が使用するカメラの背景には、思想が必ず潜んでいると信じている私は、少なからず興味をそそられるのである。」

そしてこのコーナーは次のような言葉で締めくくられていた。

「シャープさと優しさを併せ持ったようなSVに触れていると、よりモノを見つめてゆく行為を再確認したくなるのである。」

僕が使っているNikon D1Xを始めとして、現在メーカーが作り出しているカメラの中でこういう気にさせてくれるカメラが果たしてあるだろうか、としみじみ思ってしまった。ごく最近Nikonがデジタル全盛の世に送り出したフィルム一眼レフのフラッグシップ機であるF6が真ちゅう製であったならばあるいはその一つになれたかも知れないと思うのは僕だけだろうか。

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2005-03-23 車の買い替え。

自家用車の買い替えと営業車の買い替えが同時になってしまい、大出費となってしまった今年の春だけど、営業車が格安で見つかったのでかなり喜んでいるところです。喜びついでに次に買い換えるときはカーナビも付けようと考えていたので、ただ今カーナビを物色中。とりあえずカーショップに行って調べたらば、高い!新品だと何と30万強ですよ、あなたっ!
15万円も出せばそこそこの物が買えるだろうとタカをくくっていたのに、とんでもない状況になっています。なぜそんなに高いのかと言うと、地図検索がDVDからHDDになっただのDVDを見ながら地図も見ることができるだの、何とも高機能。
地図は程々で構わないので安いもので十分と思っていたのだが、聞いてみるとHDD内臓タイプはCDを録音しておけるらしい。とりあえず中古で見つけた2003年製でもCDアルバムが100枚録音できるとの事。CDを何枚も車に積んでおかなくてすむのでこれは便利そう。100枚は必要かどうか首をひねるところだけど、でも便利。
そんなこんなで、色んな説明を受けるうちに30万円の意味が分かってきた・・・ように感じるけど、それでも高過ぎ。なんでこんな無茶苦茶な値段になってしまうのでしょうね。ううむ・・・それでも買う人がいるからこんな値段設定になるんだろうなあ。

ということで密かに狙っていた新型デジカメは当分後になりそうです。

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2005-03-22 日記までご無沙汰。

ある方から、チラシに掲載する写真の撮影の依頼を受けた。
相手の思いに近づけるような撮影と言うのは、自分の撮影の幅を拡げるのに大変有意義だと思っているので快く受けさせて頂いたのだが、それなりに撮れたようで一安心している。
その前に、有料で受けている仕事の中でA3全面という大きな印刷物の撮影をやり、出来上がった印刷物を頂きその結果から、500万画素でもそれなりにいけるのだという実感を持てたのは大変有意義だった。一連の撮影の中で、今までの趣味の撮影のようにモデルになって頂いた方に喜んでいただけるのももちろん大切なことだけど、依頼を受けた相手の要求に対して60点でもいいからとりあえず及第点を頂けると言うのはまたそれなりに嬉しいことだと改めて感じた。
この2ヶ月くらい、何だかバタバタしていて、本を読むこともなく、好きな写真誌に掲載されている作家の写真を真剣に見ることもなかったように思う。
とりあえず昨日で仕事が一段落したので、今日は書店に立ち寄って好きな写真誌を2冊買ってきた。先ほどパラパラとみてみるとなかなか面白い写真や記事が掲載されているようなので、この日記を打ち込んだ後、布団に入ってじくじくと見るのが楽しみです。
2冊のうちの一冊はデジタルカメラなどと言うものが存在どころかかけらもなかった時代から脈々と続いている雑誌であり、もう片方はその名も「デジタルカメラマガジン」という、まんまデジタルものであるということが時代の流れを感じさせて面白い。
写真は写真だから一緒だろうと言うなかれ。掲載されている写真が片やアナログ表現であり、片や微妙にデジタル表現だというのが妙に考えさせられるのです。
そして、デジタルの本を読みながら、決してデジタルオタクにならないよう、自己規制という大切な要素も頭に叩きいれつつ、両者を楽しんでいくのです。

実はこの日記を打っていても言葉が出てこないことにもやもやイライラしているのです。2行前の「自己規制」という単語は使いたくなかったのですね、実は。
言いたい言葉が出てこない。いやこれは今に始まったことではなくこの5年ほど前から頻繁に起こり始めており、加齢に寄るボケなのか、デジタルものに首の根っこまで浸かりきっているためのある種の現代病なのか判然としないあたりに「真綿で首」式の恐怖を感じずにはおられないのであります。おお、コワイコワイ。

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2005-03-14 心からお詫び申し上げます。

すみません、すみません、HP放置しっぱなしで!
撮影させて頂いた皆様、本当にすみません!
なんだか最近身の回りが慌しくて、更新する意欲が消沈しきってます。
やろうと思えばやる時間はあるはずなのですが、じっくりパソコンの前に座る時間が取れなくてイライラもやもやしています。
きっと近いうちにアップさせて頂きますので、いましばらく寛大なお心で見守ってやって下さいませ。(激しく陳謝!)・・ん?ちょっと日本語アヤシイ?(^^;

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2005-03-12 昨日の日記

昨夜は夜更かししてしまい、日記を書く時間的余裕もなく寝てしまった。
先週の中洲村での夜更かし以来どうも眠くていけません。一週間以上経つというのにね。もっとも、その後も微妙に夜更かしが続いているのでそのせいもあるのだろうけど。
今日はこの数ヶ月第二土曜日恒例の鹿児島行き。
雪が降らなくて良かった。鹿児島に行く程度の道程であれば雪自体は全く問題ないのだけど、高速道路が通行止めとかなるのが辛い。時間的、疲労度が全く違うもんね。
明日も撮影を一件入れているので降らなきゃいいけど。

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2005-03-10 自家用車買い替え

平成元年に新車で購入した我が家の自家用車がこの4月で車検切れになるのを機に買い換えようということになった。
今月初めにいつもお世話になっているトヨタディーラーの方に安い中古車の出物があったらよろしくお願いします、とお願いしていたのだけど、昨夕、手頃な車が見つかったので今日は午前中に一仕事終えて午後一番に約束をして、その車を見せてもらった。ううむ、これと言って問題はないし、もちろん今の自家用車より数段新しいのだけど、どうも車を買い換えるという新鮮な喜びがない。なぜだろうと考えてみると、車が同じ車種で変わり映えしないということと自分が主体で乗る車ではないと言うことがあるかも知れない。
予算的なものも含めてあれこれ我ままを言わせて頂いたけど、快く応じて下さった営業の方に感謝です。

実は今回購入を考えたディーラーは、僕が学校を卒業後、就職した会社ということもあり心情的に中々離れられないのです。今乗っている車の点検、修理、車検についても、当時同期入社のサービスの方にあれこれ便宜を計らってもらっているし、安心してお任せできるというのが何よりなのです。


本音を言うと、最近はトヨタ車よりニッサンの車造りの方が気になってきていて、新車を買うなら魅力的なニッサンの方がいいかも?などと考えていたりもするのですが・・・これは内緒。

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2005-03-10 昨日の日記

昨日は慌しい一日で、トドメに夕方5時位から長崎行きの仕事が入り本当に慌しい幕切れとなった。
長崎市は幾度となく行っているのだけど、今回は初めて行く場所、しかも暗くなっての現地入りだしいつもの事ながら急ぎの品ということで少し不安。
そして恐るべきはその不安的中。
地図通りに行っているはず、しかもそれなりに幹線道路(のはず)なのに全く違う場所に向かっていることに気付いたのは分岐点から4〜5kmも走った辺りでのこと。方角的に違うな?と思った時点で人に聞こうにも人影、家影無し状態。いえ、こんなことはしょっちゅうなので慌てもしないけど、やっとめぐり合った道路工事のガードマンさんに尋ねるとやっぱり全く方向違いに来ていることが判明した。
ガードマンさんは片側通行の指示をしている状況だったので詳しく聞くのも危険だと思い、目指す町の方角だけ聞いてそのままその方向へ走りながら道を聞けそうな人影を探す。2km程走って、犬の散歩をさせているご婦人をみつけ、訊ねると何とも大変な道案内ぽい。でもとりあえず方角的につかめたのでその案内通りに走るのだが、ご承知の通り長崎は坂の町。かなり急勾配の峠みたいな道を上がり下がりしてやっと幹線道路に戻る。・・・何だかかなり遠回りさせられた感強し。
何とか目的地に到着できてホッと一息ついた。
帰りに長崎駅までの距離を測って、来たときの距離と比べたら8kmほど余分に走っていた様子。わずか8kmだけど峠の細いくねくね道を入れてのことだし夜道と言うこともあり、軽いパニック状態になっていたのは確かです。急送品なので自分の中にある到着予定時間を20分も過ぎるとかなり焦ってしまうのです。

ほうほうの態で何とか遅延のおとがめがない程度の時間で届け終えることができて帰宅したのは11時半。なぜか長男が早寝しているのでパソコンの電源も入れることができず、夕食を終えて床に就いたのが12時半くらいだった。

この商売を始めて20年ほどになるけど、先日の雪道峠の一件といい、まだまだ未熟者ですね。反省!

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