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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2005-01-04 年の初めの事始め。
2005-01-03 年頭会心作。
2005-01-01 謹賀新年
2004-12-31 今年一年お世話になりました。
2004-12-30 いよいよ大詰め
2004-12-29 一年の総まとめ
2004-12-28 漱石に浸り寝不足気味。
2004-12-27 腹が減ったので食べ物の話でもしよう。
2004-12-26 疲労困憊(ひろうこんぱい)
2004-12-25 心を空にして


2005-01-04 年の初めの事始め。

今日は午後から今年初仕事。
カメラマンをやっている知人から助手を頼まれての撮影助手をやった。
内容は50数名の集合写真。
一口に50人と言うと簡単に聞こえるけど、それは結構な迫力ですよ。
撮影場所に到着してシャッターを押すまでの間が20分程度。その間に背景を考慮して撮影ポイントを決め、4列で撮影するためのひな壇を組み立ててライティングして露出を決め、最後に50数人の皆さんの顔が隠れていないか、みんなきちんと格好よく収まっているか。服装はみなきちんと整っているかなどをチェックしてシャッターを押すわけですから、かなりスピーディに事を運んでいかんといけないワケです。
つまるところ、一番のポイントはいかに手を抜くか、つまり必要以上にキレイな画を作り上げようとしてはいけないということです。必要十分であればそれでいいわけで、それ以上のものを求めるあまり、50数人の方々を待たせてはいけないわけですね。
一応余裕を持って現地に30分前に到着していたんだけど、先方はそんな都合は考えてなどいません。写真なんか、パチっとシャッターを押したらそれでおしまい。それだけのことじゃん。位にしか考えていないわけですから、現地到着を早めにしていたけど、撮影場所まで案内してもらったのがお約束の時間5分前。それから10分くらいでカメラマンと二人でひな壇を大急ぎで組み立てて、皆さんを格好よく並べ(背が低い方、高い方、それに加えて年功序列など色々あるけんね)た後、皆さんの服装チェックを済ませて手の位置、脚のポーズなどを支持してシャッターを切るわけです。
撮影が終るとホッとして気が緩み、いつものことながら、カメラマンに撮影データを聞き忘れるのね。
帰宅してからシャッター速度、ASA感度を聞き忘れたのを思い出した。
遅いっちゅうねん!

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2005-01-03 年頭会心作。

年賀のドタバタも一区切りついて、今日はまったりと過ごした。
一人暮らししている次男も明日からアルバイトが始まるということでアパートでの独り暮らしに戻ったし、長男も今日からアルバイトに出かけた。
カミさんも今日は早朝から仕事始めだし、ごろごろしているのは僕独りばかりなり。
昨日お寺に年始に出て、帰宅したところでカミさんから「記念に一枚撮っとかんね。」と言われ、長男とツーショットを撮った。昨年のお盆を過ぎる頃からにわかに僕の仕事に興味を抱き始めたので、昨年秋から一緒に仕事についてきており、今年は本格的に勉強を始めるため昨年暮れのうちに制服を誂えておいた。それを新年を期して初卸したので、それを着用してのツーショットである。
ライティングを決めてカメラを三脚に据え付けて構図を決め、カミさんがシャッターを切った。撮った写真をプリントするとなかなかの出来映え。カミさんは「カメラマンがいいけんね。」と反り返って自慢するが、長男に言わせると「構図もライティングもお父さんが決めて、お母さんはシャッターを切っただけやない。」と言うことになる。確かにそうだが、それでもセルフタイマーではこんなにいい写真は撮れない。やはりシャッターを押すのは人間でなければならない。写真とは、押す刹那にシャッターを押す人の想いがフィルム(記録メディア)に焼き付けられるものかも知れない。
取り急ぎ家のプリンタで2Lサイズにプリントしてみたが、ペーパーがエプソン製品でなくフジの「画彩」というペーパーだったので画像にしまりがない。
記念写真であるから、保存性も考慮してこれはやはりキタムラプリントしかないだろうということで、昨日のうちにキタムラ向けのレタッチを施してネットプリントで依頼しておいた。
今日、それを受け取って結果を見ると、おおおっ!!なんと素晴らしい!美しい!キレがいい!
諸事情でここに公開することができないのが残念だけど、年頭を飾るにふさわしい一枚となった。
今年は春から幸先いい。昨夜はサーバーが混んでいて日記が書けなかったけど、会心のショットが撮れるとやっぱり嬉しいね。

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2005-01-01 謹賀新年


めでたい、とにかくめでたい。
家族が誰一人欠けることなくこうして元旦を迎えることができたのはめでたい。
昨夜、次男が帰宅して久しぶりの家族勢揃いで年越しそばを食べることができたせいか、夜更かししたにもかかわらず、今朝は気分良く目覚めた。
我が家では毎年元旦は顔を洗ってまず最初に家族揃ってお仏壇の前に座り、お経を読むのが慣わしとなっている。今年も例年に習ってみんな元気で揃うことができた感謝と今年一年の無病息災を願いつつみんなで読むのがとても気持ちよい。
押し付けたわけではないが、我が家の息子は二人とも幼い頃からお経を読む。
普段はまったくそんな気配もないけど、元旦だけは一緒に読んでもらうことにしている。宗教宗派を問わず、目に見えぬものに手を合わせるということは素晴らしいことだと思っている。
お仏壇の前に揃って読経した後は、みなそれぞれの一年の抱負を述べてお屠蘇を頂く。
たとえ家族であれ、他の人の前で自分の考えを発表すると言うことは自分の考えをまとめたり再考したりするのにいいことだと思って毎年そうしている。最近ではその方法が効を奏してか、みなそれぞれきちんと考えを発表することができるようになってきた。何ともおぼつかない面白くもない決まり文句を述べるのはただ僕一人のみである。
次男も今年成人式を迎える。
家族が大病もせず、大過なく二人の子供が育ってくれたのが何より嬉しい。
長男は今年の秋、僕が着ていた作務衣の夏物をタンスから引っ張り出して着だした。そして何を思ってか、作務衣に長い髪は似合わぬということでいきなり坊主頭にしてしまった。以来ずっと坊主頭である。歳を食った僕のまばらな坊主頭と違い、息子のそれは若々しく茂った坊主頭なのでとてもカッコよく、少なからず嫉妬の念を抱かずにはおられない。いや、僕も若い頃はああだったんだけどね。
作務衣が似合うよう坊主に切り込んだその心意気に感じて、冬に夏物はなかろうと合いものの作務衣を買ってやった。息子お気に入りの色である。今年はその作務衣を着用しての撮影となった。

お屠蘇を頂いた後は、これまた恒例の家族写真を撮る。
今年はライティングを少し変えて、まず4人に語りかけながら数枚撮った後、僕も入って2枚撮影。後でみんなの表情が良く、目つぶりしていないカットと僕を合成して仕上げた。
このところ集合写真を撮っていて思うのは、セルフタイマーだとみんな表情が硬くなってしまうと言うこと。だから最近は僕が外れて話しかけながらみんなを数枚撮った後、僕も入ったカットを一枚撮ってあとで合成するというやり方をしている。
今回の写真はみなそれぞれいい表情をしているけど、僕だけ固まっていて面白くない写真になってしまった。

というところで、今年もよろしくお願い致します。

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2004-12-31 今年一年お世話になりました。

大晦日恒例の仕事も無事完了したし、これまた恒例の紅白もちびっと見たし、と言っても大塚愛と平原綾香くらいしかみてないけど。
韓流ブームだか何だか知らないけど韓国の女性歌手(?)が登場したとたん見る気がなくなってPCの前に座った。韓国の芸能文化を否定する気はないけどなんであんなに騒ぐのか分からん。
今日は良く働いた。雪がそぼ降る中良く動いたと思う。他の人の倍は働いたと思う。誰も褒めてくれんからとりあえず自分で褒めとこう。そのおかげで風呂と晩酌が事の他気持ち良かった。やっぱり酒は働いた後に飲むものなんだということを痛感。

今年も色々あった。
この歳になったら、もう技術なるものは伸びないだろうと思っていたけど、自分の一年を振り返ってみるとちびっとではあるけど成長したみたい。やっぱり何でも継続していると少しは上手くなるものらしい。
漠然とではあるけど撮ってみたいシチュエーションは色々あったりするので、来年はそのうちの一つでも実現できたらと思う。2003年と2004年、それぞれ自分が嬉しくなるようなパターンの撮影が4度位は出来ていたようなので、来年も欲は言わず4度程度自分が興奮できて満足できる撮影ができたらいいかなと思う。
性格上撮影時にコーフンはしょっちゅうするんだけど、納得、満足がいく写真というのは確立が低いのです。

今年一年お付き合いいただいたモデルの方々、ならびにカメラマンの方々、どうもありがとうございました。おかげさまで少しずつではあるけど、写真が上手くなっているように感じています。
来年も色んな意味でお世話になると思いますが、なにとぞよろしくお願い致します。 

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2004-12-30 いよいよ大詰め

いよいよ明日は大晦日。
この歳になると月日の経つのが異常に早くなってくる。
両親など年長者から「歳とると一日が短くなる。」と聞かされてきた若い日のことが現実となってわが身に降りかかってくるような気がする。
朱子曰く「少年老い易く 学なり難し」、或いはあいだみつをさんの「生きているうち 働けるうち 日の暮れぬうち」というのが耳新しい。
朱子よりあいだみつをさんの方がわが身に置き換えるのに分かり易いような気がする。
英語のことわざで良く似たものを探すと”The day is short, and the work is much." というらしいが、東洋人のひいき目かも知れないけど「少年老い易く・・」の方が心情的に奥深いように感じる。夕食を食べながらテレビを見ていると、旅番組も時節に合わせて三社参りや善光寺参り、成田山詣でなどが特集されていた。
普段「私は無神論者ですから」などと強がっていても、多くの人がいざとなると手を合わせて「神様仏様お助け下さい」となる。無神論者が多いこの国でも古今いつの世もカミ頼みというのは多の国と変わらぬ習性なのかもしれない。
明日は早朝から出かけて夕方遅くまで仕事なので、今日はご先祖を祀る我が家のお仏壇に念入りの読経を済ませて、いつもより早く床に就こうと思う。
と言ってもすぐ寝るわけではなく、この数日習慣となっている漱石を読みながら明治の文化人たちの心根に意気感じつつ、静かに眠気が訪れるまでの時間を楽しむのです。

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2004-12-29 一年の総まとめ

総まとめなどと表題を打ったけれども、残した宿題は山ほどあったりして。
ポートレート撮影分が2件、イベント撮影分が2件。それぞれ年内にアップしようと思っていたのに、12月に入って矢継ぎ早に色んな私的事件が持ち上がり、とうとう片付けることができなかった。
朝早くからの電話で、緊急入院していた叔父の容態が一段落したと言うので退院の手続きを済ませた。ただの腹痛だったという事で一安心だけど、このところ冷え込んでいるので、またぶり返すのではないかとちょっと心配。
その後、一般的に仕事納めも済んでいるだろうし仕事も入りそうになかったので、長男の衣装(コスプレじゃないよ)の準備を済ませておこうと某衣装店に長男を連れて行った。あいにく在庫がなく、とりあえずサイズ確認だけ済ませて京都から直送してもらうことにして、せっかく来たのでついでに何か買って帰ろうかと店内を物色していると、店内に展示してあった作務衣に色のいいものを見つけたので普段着にと一枚購入し、ついでに線香の香りのいいものを購入して店を出た。
店を出て時計を見ると頃合も良く12時過ぎ。昼飯でも食って帰ろうかと持ちかけると「まだ未体験の長浜ラーメンを食べてみたい。」と言うので、僕の好きな「元祖長浜屋」で昼食を済ませた。長男はこのところ月に一、二度位親しい友人と連れ立って、福岡市内近郊のラーメン店を食べ歩いているのだが、長浜ラーメンはまだ食べたことがないらしい。相変わらず混み合っている店内に尻を落ち着けて、今年最後のラーメンを美味しく食した。長男は替え玉をしたが、僕は腹具合が悪いのでここはグッと我慢して店を出た。久しぶりに食べた長浜ラーメンは相変わらずの賑わいと味わいで何となく安心しつつ、腹八分のおなかを満足げになでたのであった。
食事も終わり、おなかも落ち着いたところで、前から買おうと思っていたオムニバウンスのゴールドの注文をしなければならないのを思い出し、ヨドバシカメラに向かった。
受付カウンターの女性に年末の丁寧な挨拶を済ませた後、カメラコーナーへ。
目的の注文を済ませた後、長男にライカの現物を見せたり、発売したばかりのF6をいじったり、かねてから気になっているストレージデバイスの品定めをしたりしながら時間をつぶしてのんびり楽しんだ。ストレージデバイスは評判どおりエプソンのものがディスプレイも大きく、操作性も良さそうでまたもや物欲がむくむくと頭を持ち上げるのであった。税込み59,800円。・・・・しばらくは買えないけどね。
明日は特に何もないけど家の正月準備やらで出たり入ったりになりそうだし、明後日は年末恒例の仕事が早朝から夕方遅くまで入っているので、今夜はのんびりして過ごしたい。
買ってきたばかりのお線香を焚きつつ、まったりと日記など書いた後はゆっくり風呂にでも入ってのんびりテレビでも見ようと思う。

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2004-12-28 漱石に浸り寝不足気味。

今日は年の瀬も押し詰まった28日ということで、御用納めの会社も多いのか、福岡市内の車の量も少し落ち着いた雰囲気。
風邪は相変わらずすっきりせず、頭痛が出たり楽になったりの状態が続き、相変わらず腹具合が悪い。
日記を続けだしてから改めて文章の下手さ加減を痛感したので、思い出したように本を読み出した。書こうと思う文章が思いつかないというのはやはり日頃から文章を読んでいないからで、そう言えば、この数年ほとんどまとまったものを読んでいない気がする。以前はそれなりに本を読んだり、小説を読まないときでも週刊誌のコラムなどを結構読んでいたように思う。それがたとえ椎名誠さんの軽妙な旅のエッセイであっても、普段読んでいるだけで、少なくともてにをはの使い方、文節の取り回し方など体が覚えていたような気がする。と書きつつ、そう言えばてにをはって何だ?考えてみれば常用語として良く使うけど、その確固たる意味を知らない。
今までてにをはと言えば文節をつなぐ文字を指すものとばかり思って深く考えたこともなかった。「に」は「〜に」というときに使う「に」。「を」は、「〜を」というときに使う「を」。「は」は、「〜は」というように使うもの。と漠然と解釈していた。じゃあ最初の「て」って何だ?「〜して」「〜だと考えて」とかいうときの「て」で良いのか?それでいいのか?良いような気もするが深読みすると、「〜で」とにごる場合も含むのか、はたまた料理の味付けで使う「さしすせそ」の「せ」のように「醤油」のこじつけみたく何か他の意味があるのか?
考え出すとますます混迷としてきた。ああ、そうでなくても風邪で頭が痛いのになんでこんなときにこんなことが気になりだしたのだろうと自分が苛立たしい。
それもこれも、ここ数日寝る前に思い出し読み始めた漱石のせいに違いない。いや、ここでは漱石みたく「漱石の所為に違わぬ」とか書くべきかね?
嗚呼そんなことはだうでもいい。
今夜もその明治浪漫溢るる漱石の文体に脳ミソをどっぷり浸しながら眠りに就くことにしよう。

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2004-12-27 腹が減ったので食べ物の話でもしよう。

今日は仕事で久しぶりに大牟田市に行った。
帰り道にちょうどお昼時というので、大牟田に行ったときに時々寄っていたうどん屋さんで食事して帰ろうと楽しみにしていたのだが、ラーメン屋さんに店が変わっていたのでがっかり。安くて美味しい店だったのに残念。うどん屋さんとかはそうそうツブれるということはないので、店主が高齢化とか病気とかで店じまいしたのかも知れないなどと考えながら、「中華そば」と架け替えられた看板を横目に通り過ぎた。建物は昔のまま、うどん屋さんのたたずまいだったのが何とも妙竹林だった。
次の仕事が入ってなければ、高速ではなく平道で帰って、うまい安いでお馴染みの瀬高の大八うどんに寄れたのにと、重ね重ね残念なことだった。
店主が高齢化、あるいは病で店じまいと思い至って、ふと我が町にあった美味しいおすし屋さんのことを思い出した。その店は、ネタ、シャリともにとても美味しくて大好きだったのだが、店主が心臓の病で、これ以上続けるのはきついということで店をたたんでしまった。
隣町も含めて、その店以上の腕前の店を知らない。最近のおすし屋さんは修行不足か時代の流れか、おいしいお寿司を握る人が少ないように感じる。もちろん博多の老舗まで足を伸ばせば今でも美味しいお寿司を食べられるのだろうが、値段が怖くてとてもそういう店の暖簾をくぐる勇気は持たんしね。法事などでやむなくお寿司やさんから鉢盛りなど取った事もあるが、美味しいと感じたことがない。回転寿司の方がまだ美味しいものを出すのではないかとさえ感じさせる味の店が多いのに落胆して、最近鉢盛りを取るときは寿司は取らないことにしている。
大牟田のうどん屋さんの話からなぜか寿司の話になって、寿司の話を書いているうちに何だか腹が減ってきた。ささっと風呂に入って夕食でも食べることにしよう。

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2004-12-26 疲労困憊(ひろうこんぱい)

ひええっ!文字変換して初めて知った。困憊ってこう書くのね!
いや、そんなことで驚いている段じゃないのだ。
今日は本当に疲れているのだ。肉体的には全く疲れていないのだけれど、精神的にかなりキテマス。僕には叔父が3人おるのだけど、今月始め頃から、なぜか叔父が2人立て続けに倒れて、残る1人の叔父が介護施設の移転でどたばたしておるのです。叔父の一人が広島にいるので、そのお見舞いに広島まですっ飛ばして行ったり、もう一人の叔父の場合は、長崎へ仕事で向かう途中で「危篤」の知らせを受けて、大急ぎでとんぼ返りしたりと、なぜか落ち着く暇のない12月でした。
お陰で2人の叔父はどうやら落ち着いて一安心しているんだけど、もう一人の叔父の方が、施設移転の手続きもどうにか済んでやれやれこれで一安心、といった矢先、今夕、突然電話が鳴って、急におなかの激痛を訴えたという事で緊急入院。
諸手続きであちこち駆け回って「大変、大変!」と騒いでいるのはこちらの勝手な言い分。叔父本人はやはり色んな気苦労なんかが募っていたのだろうなあと、可哀想に思えてきました。移転先の施設がとても待遇、設備とも良くて、本当に嬉しそうにしていたのでこちらも安心しきっていたんだけど、やっぱり本人にしてみれば言うに言えない不安とかが大きかったんだろうと思う。
正月はうちに迎えて、一緒に御節でも食べようと楽しみに話していたのに、恐らく年内の退院は難しそう・・・可哀想だ。

色々考えていると、少し落ち着きかけていたおなかの方がまた痛み出したりして、
はあ・・何だか、災難っていちどきに押しかけてくるものなのかね・・・。

しばらく暗い日記が続くので、今日は明るい話題をと思っていたのにね・・。
HPの更新もほったらかしだし、年内にしなければいけない仕事も山積しているけど、そのうちの一つである年賀状書きと投函を今日バタバタっと済ませたので、それだけが救いといえば救いかも。
さあ、あと一週間、気を持ち直して働き納め、頑張るゾっと。そう、31日の夜までびっちり働かんといかんのです。
僕のバヤイ、日頃怠けているから仕方ないんだけどね。

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2004-12-25 心を空にして


今日は仕事で「しょうけ越え」を越えて飯塚から稲築町に抜けて一仕事。その後、宗像市の方へ向けて走り一仕事終えて、帰りに海岸線を通って走ろうと考えてD70を携帯して行った。冬の潮風が何となく好きで、昔は良く小さな港町なんかをあてもなくぶらついたものだ。
体調がまだ本調子でないので、長く歩く気力もなくただただ潮風にあたりにいっただけという結果になったが、何となくいい気分。明日も特にあてがないのでどこかふらついてみようか。
写真雑誌を見ていると風景なんかも撮りたくなってくるのだけど、ずっとやってないからなかなか撮れないです。来年は少し風景の方にもシフトしてみようか等と考えるけど、実際には変われないだろう。でも、とにかくシャッターを切り続けていたいという欲望があることだけは確かです。
これといって書くこともなく、何を言いたいのかまるで分からない今日の日記ですが、今月無欠勤なので年内は何とか皆勤賞を取りたくてただ書いてます状態。
明日は天気も回復するそうだけど、どなたかモデルになっていただけませんか・・・(^^;
 ・・・・・自分から誘えよ!っていうツッコミはナシで優しく受け流して下さい。

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