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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2004-12-30 いよいよ大詰め
2004-12-29 一年の総まとめ
2004-12-28 漱石に浸り寝不足気味。
2004-12-27 腹が減ったので食べ物の話でもしよう。
2004-12-26 疲労困憊(ひろうこんぱい)
2004-12-25 心を空にして
2004-12-24 復活・・かな?(その1)
2004-12-24 復活・・かな?(その2)
2004-12-23 いよいよダウン。
2004-12-22 アルゴリズム最悪。


2004-12-30 いよいよ大詰め

いよいよ明日は大晦日。
この歳になると月日の経つのが異常に早くなってくる。
両親など年長者から「歳とると一日が短くなる。」と聞かされてきた若い日のことが現実となってわが身に降りかかってくるような気がする。
朱子曰く「少年老い易く 学なり難し」、或いはあいだみつをさんの「生きているうち 働けるうち 日の暮れぬうち」というのが耳新しい。
朱子よりあいだみつをさんの方がわが身に置き換えるのに分かり易いような気がする。
英語のことわざで良く似たものを探すと”The day is short, and the work is much." というらしいが、東洋人のひいき目かも知れないけど「少年老い易く・・」の方が心情的に奥深いように感じる。夕食を食べながらテレビを見ていると、旅番組も時節に合わせて三社参りや善光寺参り、成田山詣でなどが特集されていた。
普段「私は無神論者ですから」などと強がっていても、多くの人がいざとなると手を合わせて「神様仏様お助け下さい」となる。無神論者が多いこの国でも古今いつの世もカミ頼みというのは多の国と変わらぬ習性なのかもしれない。
明日は早朝から出かけて夕方遅くまで仕事なので、今日はご先祖を祀る我が家のお仏壇に念入りの読経を済ませて、いつもより早く床に就こうと思う。
と言ってもすぐ寝るわけではなく、この数日習慣となっている漱石を読みながら明治の文化人たちの心根に意気感じつつ、静かに眠気が訪れるまでの時間を楽しむのです。

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2004-12-29 一年の総まとめ

総まとめなどと表題を打ったけれども、残した宿題は山ほどあったりして。
ポートレート撮影分が2件、イベント撮影分が2件。それぞれ年内にアップしようと思っていたのに、12月に入って矢継ぎ早に色んな私的事件が持ち上がり、とうとう片付けることができなかった。
朝早くからの電話で、緊急入院していた叔父の容態が一段落したと言うので退院の手続きを済ませた。ただの腹痛だったという事で一安心だけど、このところ冷え込んでいるので、またぶり返すのではないかとちょっと心配。
その後、一般的に仕事納めも済んでいるだろうし仕事も入りそうになかったので、長男の衣装(コスプレじゃないよ)の準備を済ませておこうと某衣装店に長男を連れて行った。あいにく在庫がなく、とりあえずサイズ確認だけ済ませて京都から直送してもらうことにして、せっかく来たのでついでに何か買って帰ろうかと店内を物色していると、店内に展示してあった作務衣に色のいいものを見つけたので普段着にと一枚購入し、ついでに線香の香りのいいものを購入して店を出た。
店を出て時計を見ると頃合も良く12時過ぎ。昼飯でも食って帰ろうかと持ちかけると「まだ未体験の長浜ラーメンを食べてみたい。」と言うので、僕の好きな「元祖長浜屋」で昼食を済ませた。長男はこのところ月に一、二度位親しい友人と連れ立って、福岡市内近郊のラーメン店を食べ歩いているのだが、長浜ラーメンはまだ食べたことがないらしい。相変わらず混み合っている店内に尻を落ち着けて、今年最後のラーメンを美味しく食した。長男は替え玉をしたが、僕は腹具合が悪いのでここはグッと我慢して店を出た。久しぶりに食べた長浜ラーメンは相変わらずの賑わいと味わいで何となく安心しつつ、腹八分のおなかを満足げになでたのであった。
食事も終わり、おなかも落ち着いたところで、前から買おうと思っていたオムニバウンスのゴールドの注文をしなければならないのを思い出し、ヨドバシカメラに向かった。
受付カウンターの女性に年末の丁寧な挨拶を済ませた後、カメラコーナーへ。
目的の注文を済ませた後、長男にライカの現物を見せたり、発売したばかりのF6をいじったり、かねてから気になっているストレージデバイスの品定めをしたりしながら時間をつぶしてのんびり楽しんだ。ストレージデバイスは評判どおりエプソンのものがディスプレイも大きく、操作性も良さそうでまたもや物欲がむくむくと頭を持ち上げるのであった。税込み59,800円。・・・・しばらくは買えないけどね。
明日は特に何もないけど家の正月準備やらで出たり入ったりになりそうだし、明後日は年末恒例の仕事が早朝から夕方遅くまで入っているので、今夜はのんびりして過ごしたい。
買ってきたばかりのお線香を焚きつつ、まったりと日記など書いた後はゆっくり風呂にでも入ってのんびりテレビでも見ようと思う。

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2004-12-28 漱石に浸り寝不足気味。

今日は年の瀬も押し詰まった28日ということで、御用納めの会社も多いのか、福岡市内の車の量も少し落ち着いた雰囲気。
風邪は相変わらずすっきりせず、頭痛が出たり楽になったりの状態が続き、相変わらず腹具合が悪い。
日記を続けだしてから改めて文章の下手さ加減を痛感したので、思い出したように本を読み出した。書こうと思う文章が思いつかないというのはやはり日頃から文章を読んでいないからで、そう言えば、この数年ほとんどまとまったものを読んでいない気がする。以前はそれなりに本を読んだり、小説を読まないときでも週刊誌のコラムなどを結構読んでいたように思う。それがたとえ椎名誠さんの軽妙な旅のエッセイであっても、普段読んでいるだけで、少なくともてにをはの使い方、文節の取り回し方など体が覚えていたような気がする。と書きつつ、そう言えばてにをはって何だ?考えてみれば常用語として良く使うけど、その確固たる意味を知らない。
今までてにをはと言えば文節をつなぐ文字を指すものとばかり思って深く考えたこともなかった。「に」は「〜に」というときに使う「に」。「を」は、「〜を」というときに使う「を」。「は」は、「〜は」というように使うもの。と漠然と解釈していた。じゃあ最初の「て」って何だ?「〜して」「〜だと考えて」とかいうときの「て」で良いのか?それでいいのか?良いような気もするが深読みすると、「〜で」とにごる場合も含むのか、はたまた料理の味付けで使う「さしすせそ」の「せ」のように「醤油」のこじつけみたく何か他の意味があるのか?
考え出すとますます混迷としてきた。ああ、そうでなくても風邪で頭が痛いのになんでこんなときにこんなことが気になりだしたのだろうと自分が苛立たしい。
それもこれも、ここ数日寝る前に思い出し読み始めた漱石のせいに違いない。いや、ここでは漱石みたく「漱石の所為に違わぬ」とか書くべきかね?
嗚呼そんなことはだうでもいい。
今夜もその明治浪漫溢るる漱石の文体に脳ミソをどっぷり浸しながら眠りに就くことにしよう。

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2004-12-27 腹が減ったので食べ物の話でもしよう。

今日は仕事で久しぶりに大牟田市に行った。
帰り道にちょうどお昼時というので、大牟田に行ったときに時々寄っていたうどん屋さんで食事して帰ろうと楽しみにしていたのだが、ラーメン屋さんに店が変わっていたのでがっかり。安くて美味しい店だったのに残念。うどん屋さんとかはそうそうツブれるということはないので、店主が高齢化とか病気とかで店じまいしたのかも知れないなどと考えながら、「中華そば」と架け替えられた看板を横目に通り過ぎた。建物は昔のまま、うどん屋さんのたたずまいだったのが何とも妙竹林だった。
次の仕事が入ってなければ、高速ではなく平道で帰って、うまい安いでお馴染みの瀬高の大八うどんに寄れたのにと、重ね重ね残念なことだった。
店主が高齢化、あるいは病で店じまいと思い至って、ふと我が町にあった美味しいおすし屋さんのことを思い出した。その店は、ネタ、シャリともにとても美味しくて大好きだったのだが、店主が心臓の病で、これ以上続けるのはきついということで店をたたんでしまった。
隣町も含めて、その店以上の腕前の店を知らない。最近のおすし屋さんは修行不足か時代の流れか、おいしいお寿司を握る人が少ないように感じる。もちろん博多の老舗まで足を伸ばせば今でも美味しいお寿司を食べられるのだろうが、値段が怖くてとてもそういう店の暖簾をくぐる勇気は持たんしね。法事などでやむなくお寿司やさんから鉢盛りなど取った事もあるが、美味しいと感じたことがない。回転寿司の方がまだ美味しいものを出すのではないかとさえ感じさせる味の店が多いのに落胆して、最近鉢盛りを取るときは寿司は取らないことにしている。
大牟田のうどん屋さんの話からなぜか寿司の話になって、寿司の話を書いているうちに何だか腹が減ってきた。ささっと風呂に入って夕食でも食べることにしよう。

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2004-12-26 疲労困憊(ひろうこんぱい)

ひええっ!文字変換して初めて知った。困憊ってこう書くのね!
いや、そんなことで驚いている段じゃないのだ。
今日は本当に疲れているのだ。肉体的には全く疲れていないのだけれど、精神的にかなりキテマス。僕には叔父が3人おるのだけど、今月始め頃から、なぜか叔父が2人立て続けに倒れて、残る1人の叔父が介護施設の移転でどたばたしておるのです。叔父の一人が広島にいるので、そのお見舞いに広島まですっ飛ばして行ったり、もう一人の叔父の場合は、長崎へ仕事で向かう途中で「危篤」の知らせを受けて、大急ぎでとんぼ返りしたりと、なぜか落ち着く暇のない12月でした。
お陰で2人の叔父はどうやら落ち着いて一安心しているんだけど、もう一人の叔父の方が、施設移転の手続きもどうにか済んでやれやれこれで一安心、といった矢先、今夕、突然電話が鳴って、急におなかの激痛を訴えたという事で緊急入院。
諸手続きであちこち駆け回って「大変、大変!」と騒いでいるのはこちらの勝手な言い分。叔父本人はやはり色んな気苦労なんかが募っていたのだろうなあと、可哀想に思えてきました。移転先の施設がとても待遇、設備とも良くて、本当に嬉しそうにしていたのでこちらも安心しきっていたんだけど、やっぱり本人にしてみれば言うに言えない不安とかが大きかったんだろうと思う。
正月はうちに迎えて、一緒に御節でも食べようと楽しみに話していたのに、恐らく年内の退院は難しそう・・・可哀想だ。

色々考えていると、少し落ち着きかけていたおなかの方がまた痛み出したりして、
はあ・・何だか、災難っていちどきに押しかけてくるものなのかね・・・。

しばらく暗い日記が続くので、今日は明るい話題をと思っていたのにね・・。
HPの更新もほったらかしだし、年内にしなければいけない仕事も山積しているけど、そのうちの一つである年賀状書きと投函を今日バタバタっと済ませたので、それだけが救いといえば救いかも。
さあ、あと一週間、気を持ち直して働き納め、頑張るゾっと。そう、31日の夜までびっちり働かんといかんのです。
僕のバヤイ、日頃怠けているから仕方ないんだけどね。

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2004-12-25 心を空にして


今日は仕事で「しょうけ越え」を越えて飯塚から稲築町に抜けて一仕事。その後、宗像市の方へ向けて走り一仕事終えて、帰りに海岸線を通って走ろうと考えてD70を携帯して行った。冬の潮風が何となく好きで、昔は良く小さな港町なんかをあてもなくぶらついたものだ。
体調がまだ本調子でないので、長く歩く気力もなくただただ潮風にあたりにいっただけという結果になったが、何となくいい気分。明日も特にあてがないのでどこかふらついてみようか。
写真雑誌を見ていると風景なんかも撮りたくなってくるのだけど、ずっとやってないからなかなか撮れないです。来年は少し風景の方にもシフトしてみようか等と考えるけど、実際には変われないだろう。でも、とにかくシャッターを切り続けていたいという欲望があることだけは確かです。
これといって書くこともなく、何を言いたいのかまるで分からない今日の日記ですが、今月無欠勤なので年内は何とか皆勤賞を取りたくてただ書いてます状態。
明日は天気も回復するそうだけど、どなたかモデルになっていただけませんか・・・(^^;
 ・・・・・自分から誘えよ!っていうツッコミはナシで優しく受け流して下さい。

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2004-12-24 復活・・かな?(その1)

昨夜も早く布団に入ったのが良かったのか、今日はだいぶ体調も整ってきたようで一安心。
昨夜と一昨日の夜と二日の間、節々の痛みと下痢に悩まされながらも布団に潜ってカメラ雑誌を見るのが楽しかった。今夜はその話を書こうと思う。
まず一番最初に目に飛び込んできたのが篠山紀信さんのデジタルグラビア写真。いきなり軽いのが来たな、と軽くページをめくっていたら次が竹内敏信さんの「幽静」というタイトルの厳寒を感じさせる風景写真。その次が「知床の四季−冬」と名づけられた水越武さんの風景写真。どちらも露出をアンダー目に抑えた渋い色調の冬の厳しさを感じさせる重々しい写真。こめかみ深くググっと突き刺さるような風景の連続の後は大倉舜二さんの「東京Freedom」というタイトルの東京景色で少しリラックス。一息入れた後にまた心にずんと響くドキュメンタリー作家である長倉洋海(ながくらひろみ)さんの「ブラジル北東部の人々」と続いていく・・。正しい見方とは言えないかも知れないが、僕の写真の見方として、ドキュメンタリーを見るときは感情を極力抑えてそこにあるものだけを客観的に観るように心がけている。ドキュメンタリーというものは得てして苦しい生活を余儀なくされている後進国の人々や戦禍にさいなまされているような人々がその対象となりがちなのだが、撮り手は大体において無意味な感情論では撮っていない場合が多い。そこにあるものを静かに見つめ、そこにいる人たちと会話を交わしながらあるいは目で挨拶をしながらシャッターを押している場合が多いので、数を重ねているうちに同情や憐れみといった無意味な感情論が消されて、ただ現状を事実として報道、公開したいという報道写真家としての義務感がシャッターを押させているような部分があるように思う。だから観る側も目を極力中道において観なければならないように思うのです。(↓下に続く)

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2004-12-24 復活・・かな?(その2)

写真論を論ずるような知識人でもないので、難しい話はこれくらいにしておいて、さて、今夜、クリスマスイブということでシャンパンを抜いた夕食を済ませてミュージックステーションを見つつ、再びアサヒカメラをぱらぱらめくりつつ今掲げた写真家さんたちのオン年を確認してみると、なんと!篠山紀信さんが64歳、竹内敏信さんが61歳、水越武さんが66歳、まだまだ若いだろうと思っていた大倉舜二さんがなあんと!67歳。次に長倉洋海さんが少し若くてそれでも52歳。僕より一歳年上!ううむうううっ!ほとんど60歳オーバーではないか!
それなのになんと若々しい感性と行動力!
さらに更に驚くことは、世界の三浦と呼ばれて久しいプロスキーヤーの三浦雄一郎さんを撮り続けておられる三浦敬三さん(雄一郎さんのお父上)は、ヨーロッパアルプスやモンブランを滑走し続ける我が子雄一郎氏を、Nikon F5に28-80mmレンズを着け首からぶら下げて自分も一緒に滑りながら撮り続けておられるとか。その歳なんと!100歳!!恐るべしっ!
風邪引いた、下痢した、くらいでもたついてんじゃねえよっ!ってカツ入れられそうです。すみませんすみません。私がまだまだ軟弱でした。誤ります!

何はともあれ、ここにおいでの皆さん、とりわけ、デジカメの普及で最近写真に興味を持ち始められた皆様、たまには書店でアサヒカメラなるカメラ雑誌をめくってみて下さい。そこには芸術と呼ばれるにふさわしい写真家達の作家たる所以が感じられる作品群が毎月発表されています。とりあえず分かり易い写真ということで今月号のオススメは大倉舜二さんの「東京Freedom」。書店で立ち読みして下さい。そして気に入ったらどうか購入して隅々まで読んで下さいませ。

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2004-12-23 いよいよダウン。

昨夜、悪寒と節々の痛みを覚えたので早めに寝たのだが、夜中に体の痛みと激しい下痢で目が覚めた。今日は朝から大切な仕事が入っていたし、昼からはお引越し二軒分というハードな労働が待っていたので、不安な一夜を過ごし、朝7時半頃身体を引きずるように起きだした。
下痢が怖かった。びろうな話で申し訳ないが、午前中の仕事が席を立てない厳粛な業務で、トイレにも行けないので、朝から水も飲まずおなかを整えた。一仕事終えて帰宅して、昼からの仕事までに少しだけ時間があったので、30分ほどではあるがとりあえず少し寝ていると、ちょっとだけ体が楽になってきた。
でも、その後の仕事もキツくて、終ったときには、ホント、心底ホッとしました。3時頃帰宅して、やっと食事を済ませて、汗を流し、夕食までの間寝ていたら少しだけ楽になったようなので、昨日買ってきたアサヒカメラでも見ながら、今夜も大事を取って早寝することにしよう。

皆さんも風邪には気をつけて下さいまし。

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2004-12-22 アルゴリズム最悪。

昨日から体がダルイと思っていたら、どうやら風邪らしい。
今朝は朝から腹の調子が悪くて、いまだ回復せず。

明日は朝からお勤めがあることだし、きついだの言っておられないので、こんな日はジキナ(置き薬ね)を飲んで早く寝るに限る。
このところ何だか精神的に張りがないようなダラダラした日々が続き、そのあたりが気の緩みとリンクして風邪など引いたのかも知れない。まさに気の病かも?情けない・・・。
撮りたい気はあるけど、そういう精神状態なので撮影予定を入れても生半可になりそうなので、年明けまで撮影しないで置こうかとも思っているのだが、明日は昼から体が空くので何となくもったいないような気もしないではない。あああ、中途半端ですね。
夕方、少し時間があったので仕事の待機事務所で久しぶりに週刊誌など読んでみたら、面白いエッセーに出会った。やっぱり文章を読まないといかんですね。このところ、自分の駄文に辟易しているのだけれど、日頃文章を読んでいないからこういうことになるのだ!と自分に活を入れたい気分です。
ということで、文章ではないけれど、毎月購読している「アサヒカメラ」を買ってきたので、今夜はそれを見ながら眠りにつきます。

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