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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
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2004-12-28 漱石に浸り寝不足気味。
2004-12-27 腹が減ったので食べ物の話でもしよう。
2004-12-26 疲労困憊(ひろうこんぱい)
2004-12-25 心を空にして
2004-12-24 復活・・かな?(その1)
2004-12-24 復活・・かな?(その2)
2004-12-23 いよいよダウン。
2004-12-22 アルゴリズム最悪。
2004-12-21 公は民のためにあるんじゃないのか?
2004-12-20 久しぶりの室内撮影


2004-12-28 漱石に浸り寝不足気味。

今日は年の瀬も押し詰まった28日ということで、御用納めの会社も多いのか、福岡市内の車の量も少し落ち着いた雰囲気。
風邪は相変わらずすっきりせず、頭痛が出たり楽になったりの状態が続き、相変わらず腹具合が悪い。
日記を続けだしてから改めて文章の下手さ加減を痛感したので、思い出したように本を読み出した。書こうと思う文章が思いつかないというのはやはり日頃から文章を読んでいないからで、そう言えば、この数年ほとんどまとまったものを読んでいない気がする。以前はそれなりに本を読んだり、小説を読まないときでも週刊誌のコラムなどを結構読んでいたように思う。それがたとえ椎名誠さんの軽妙な旅のエッセイであっても、普段読んでいるだけで、少なくともてにをはの使い方、文節の取り回し方など体が覚えていたような気がする。と書きつつ、そう言えばてにをはって何だ?考えてみれば常用語として良く使うけど、その確固たる意味を知らない。
今までてにをはと言えば文節をつなぐ文字を指すものとばかり思って深く考えたこともなかった。「に」は「〜に」というときに使う「に」。「を」は、「〜を」というときに使う「を」。「は」は、「〜は」というように使うもの。と漠然と解釈していた。じゃあ最初の「て」って何だ?「〜して」「〜だと考えて」とかいうときの「て」で良いのか?それでいいのか?良いような気もするが深読みすると、「〜で」とにごる場合も含むのか、はたまた料理の味付けで使う「さしすせそ」の「せ」のように「醤油」のこじつけみたく何か他の意味があるのか?
考え出すとますます混迷としてきた。ああ、そうでなくても風邪で頭が痛いのになんでこんなときにこんなことが気になりだしたのだろうと自分が苛立たしい。
それもこれも、ここ数日寝る前に思い出し読み始めた漱石のせいに違いない。いや、ここでは漱石みたく「漱石の所為に違わぬ」とか書くべきかね?
嗚呼そんなことはだうでもいい。
今夜もその明治浪漫溢るる漱石の文体に脳ミソをどっぷり浸しながら眠りに就くことにしよう。

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2004-12-27 腹が減ったので食べ物の話でもしよう。

今日は仕事で久しぶりに大牟田市に行った。
帰り道にちょうどお昼時というので、大牟田に行ったときに時々寄っていたうどん屋さんで食事して帰ろうと楽しみにしていたのだが、ラーメン屋さんに店が変わっていたのでがっかり。安くて美味しい店だったのに残念。うどん屋さんとかはそうそうツブれるということはないので、店主が高齢化とか病気とかで店じまいしたのかも知れないなどと考えながら、「中華そば」と架け替えられた看板を横目に通り過ぎた。建物は昔のまま、うどん屋さんのたたずまいだったのが何とも妙竹林だった。
次の仕事が入ってなければ、高速ではなく平道で帰って、うまい安いでお馴染みの瀬高の大八うどんに寄れたのにと、重ね重ね残念なことだった。
店主が高齢化、あるいは病で店じまいと思い至って、ふと我が町にあった美味しいおすし屋さんのことを思い出した。その店は、ネタ、シャリともにとても美味しくて大好きだったのだが、店主が心臓の病で、これ以上続けるのはきついということで店をたたんでしまった。
隣町も含めて、その店以上の腕前の店を知らない。最近のおすし屋さんは修行不足か時代の流れか、おいしいお寿司を握る人が少ないように感じる。もちろん博多の老舗まで足を伸ばせば今でも美味しいお寿司を食べられるのだろうが、値段が怖くてとてもそういう店の暖簾をくぐる勇気は持たんしね。法事などでやむなくお寿司やさんから鉢盛りなど取った事もあるが、美味しいと感じたことがない。回転寿司の方がまだ美味しいものを出すのではないかとさえ感じさせる味の店が多いのに落胆して、最近鉢盛りを取るときは寿司は取らないことにしている。
大牟田のうどん屋さんの話からなぜか寿司の話になって、寿司の話を書いているうちに何だか腹が減ってきた。ささっと風呂に入って夕食でも食べることにしよう。

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2004-12-26 疲労困憊(ひろうこんぱい)

ひええっ!文字変換して初めて知った。困憊ってこう書くのね!
いや、そんなことで驚いている段じゃないのだ。
今日は本当に疲れているのだ。肉体的には全く疲れていないのだけれど、精神的にかなりキテマス。僕には叔父が3人おるのだけど、今月始め頃から、なぜか叔父が2人立て続けに倒れて、残る1人の叔父が介護施設の移転でどたばたしておるのです。叔父の一人が広島にいるので、そのお見舞いに広島まですっ飛ばして行ったり、もう一人の叔父の場合は、長崎へ仕事で向かう途中で「危篤」の知らせを受けて、大急ぎでとんぼ返りしたりと、なぜか落ち着く暇のない12月でした。
お陰で2人の叔父はどうやら落ち着いて一安心しているんだけど、もう一人の叔父の方が、施設移転の手続きもどうにか済んでやれやれこれで一安心、といった矢先、今夕、突然電話が鳴って、急におなかの激痛を訴えたという事で緊急入院。
諸手続きであちこち駆け回って「大変、大変!」と騒いでいるのはこちらの勝手な言い分。叔父本人はやはり色んな気苦労なんかが募っていたのだろうなあと、可哀想に思えてきました。移転先の施設がとても待遇、設備とも良くて、本当に嬉しそうにしていたのでこちらも安心しきっていたんだけど、やっぱり本人にしてみれば言うに言えない不安とかが大きかったんだろうと思う。
正月はうちに迎えて、一緒に御節でも食べようと楽しみに話していたのに、恐らく年内の退院は難しそう・・・可哀想だ。

色々考えていると、少し落ち着きかけていたおなかの方がまた痛み出したりして、
はあ・・何だか、災難っていちどきに押しかけてくるものなのかね・・・。

しばらく暗い日記が続くので、今日は明るい話題をと思っていたのにね・・。
HPの更新もほったらかしだし、年内にしなければいけない仕事も山積しているけど、そのうちの一つである年賀状書きと投函を今日バタバタっと済ませたので、それだけが救いといえば救いかも。
さあ、あと一週間、気を持ち直して働き納め、頑張るゾっと。そう、31日の夜までびっちり働かんといかんのです。
僕のバヤイ、日頃怠けているから仕方ないんだけどね。

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2004-12-25 心を空にして


今日は仕事で「しょうけ越え」を越えて飯塚から稲築町に抜けて一仕事。その後、宗像市の方へ向けて走り一仕事終えて、帰りに海岸線を通って走ろうと考えてD70を携帯して行った。冬の潮風が何となく好きで、昔は良く小さな港町なんかをあてもなくぶらついたものだ。
体調がまだ本調子でないので、長く歩く気力もなくただただ潮風にあたりにいっただけという結果になったが、何となくいい気分。明日も特にあてがないのでどこかふらついてみようか。
写真雑誌を見ていると風景なんかも撮りたくなってくるのだけど、ずっとやってないからなかなか撮れないです。来年は少し風景の方にもシフトしてみようか等と考えるけど、実際には変われないだろう。でも、とにかくシャッターを切り続けていたいという欲望があることだけは確かです。
これといって書くこともなく、何を言いたいのかまるで分からない今日の日記ですが、今月無欠勤なので年内は何とか皆勤賞を取りたくてただ書いてます状態。
明日は天気も回復するそうだけど、どなたかモデルになっていただけませんか・・・(^^;
 ・・・・・自分から誘えよ!っていうツッコミはナシで優しく受け流して下さい。

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2004-12-24 復活・・かな?(その1)

昨夜も早く布団に入ったのが良かったのか、今日はだいぶ体調も整ってきたようで一安心。
昨夜と一昨日の夜と二日の間、節々の痛みと下痢に悩まされながらも布団に潜ってカメラ雑誌を見るのが楽しかった。今夜はその話を書こうと思う。
まず一番最初に目に飛び込んできたのが篠山紀信さんのデジタルグラビア写真。いきなり軽いのが来たな、と軽くページをめくっていたら次が竹内敏信さんの「幽静」というタイトルの厳寒を感じさせる風景写真。その次が「知床の四季−冬」と名づけられた水越武さんの風景写真。どちらも露出をアンダー目に抑えた渋い色調の冬の厳しさを感じさせる重々しい写真。こめかみ深くググっと突き刺さるような風景の連続の後は大倉舜二さんの「東京Freedom」というタイトルの東京景色で少しリラックス。一息入れた後にまた心にずんと響くドキュメンタリー作家である長倉洋海(ながくらひろみ)さんの「ブラジル北東部の人々」と続いていく・・。正しい見方とは言えないかも知れないが、僕の写真の見方として、ドキュメンタリーを見るときは感情を極力抑えてそこにあるものだけを客観的に観るように心がけている。ドキュメンタリーというものは得てして苦しい生活を余儀なくされている後進国の人々や戦禍にさいなまされているような人々がその対象となりがちなのだが、撮り手は大体において無意味な感情論では撮っていない場合が多い。そこにあるものを静かに見つめ、そこにいる人たちと会話を交わしながらあるいは目で挨拶をしながらシャッターを押している場合が多いので、数を重ねているうちに同情や憐れみといった無意味な感情論が消されて、ただ現状を事実として報道、公開したいという報道写真家としての義務感がシャッターを押させているような部分があるように思う。だから観る側も目を極力中道において観なければならないように思うのです。(↓下に続く)

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2004-12-24 復活・・かな?(その2)

写真論を論ずるような知識人でもないので、難しい話はこれくらいにしておいて、さて、今夜、クリスマスイブということでシャンパンを抜いた夕食を済ませてミュージックステーションを見つつ、再びアサヒカメラをぱらぱらめくりつつ今掲げた写真家さんたちのオン年を確認してみると、なんと!篠山紀信さんが64歳、竹内敏信さんが61歳、水越武さんが66歳、まだまだ若いだろうと思っていた大倉舜二さんがなあんと!67歳。次に長倉洋海さんが少し若くてそれでも52歳。僕より一歳年上!ううむうううっ!ほとんど60歳オーバーではないか!
それなのになんと若々しい感性と行動力!
さらに更に驚くことは、世界の三浦と呼ばれて久しいプロスキーヤーの三浦雄一郎さんを撮り続けておられる三浦敬三さん(雄一郎さんのお父上)は、ヨーロッパアルプスやモンブランを滑走し続ける我が子雄一郎氏を、Nikon F5に28-80mmレンズを着け首からぶら下げて自分も一緒に滑りながら撮り続けておられるとか。その歳なんと!100歳!!恐るべしっ!
風邪引いた、下痢した、くらいでもたついてんじゃねえよっ!ってカツ入れられそうです。すみませんすみません。私がまだまだ軟弱でした。誤ります!

何はともあれ、ここにおいでの皆さん、とりわけ、デジカメの普及で最近写真に興味を持ち始められた皆様、たまには書店でアサヒカメラなるカメラ雑誌をめくってみて下さい。そこには芸術と呼ばれるにふさわしい写真家達の作家たる所以が感じられる作品群が毎月発表されています。とりあえず分かり易い写真ということで今月号のオススメは大倉舜二さんの「東京Freedom」。書店で立ち読みして下さい。そして気に入ったらどうか購入して隅々まで読んで下さいませ。

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2004-12-23 いよいよダウン。

昨夜、悪寒と節々の痛みを覚えたので早めに寝たのだが、夜中に体の痛みと激しい下痢で目が覚めた。今日は朝から大切な仕事が入っていたし、昼からはお引越し二軒分というハードな労働が待っていたので、不安な一夜を過ごし、朝7時半頃身体を引きずるように起きだした。
下痢が怖かった。びろうな話で申し訳ないが、午前中の仕事が席を立てない厳粛な業務で、トイレにも行けないので、朝から水も飲まずおなかを整えた。一仕事終えて帰宅して、昼からの仕事までに少しだけ時間があったので、30分ほどではあるがとりあえず少し寝ていると、ちょっとだけ体が楽になってきた。
でも、その後の仕事もキツくて、終ったときには、ホント、心底ホッとしました。3時頃帰宅して、やっと食事を済ませて、汗を流し、夕食までの間寝ていたら少しだけ楽になったようなので、昨日買ってきたアサヒカメラでも見ながら、今夜も大事を取って早寝することにしよう。

皆さんも風邪には気をつけて下さいまし。

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2004-12-22 アルゴリズム最悪。

昨日から体がダルイと思っていたら、どうやら風邪らしい。
今朝は朝から腹の調子が悪くて、いまだ回復せず。

明日は朝からお勤めがあることだし、きついだの言っておられないので、こんな日はジキナ(置き薬ね)を飲んで早く寝るに限る。
このところ何だか精神的に張りがないようなダラダラした日々が続き、そのあたりが気の緩みとリンクして風邪など引いたのかも知れない。まさに気の病かも?情けない・・・。
撮りたい気はあるけど、そういう精神状態なので撮影予定を入れても生半可になりそうなので、年明けまで撮影しないで置こうかとも思っているのだが、明日は昼から体が空くので何となくもったいないような気もしないではない。あああ、中途半端ですね。
夕方、少し時間があったので仕事の待機事務所で久しぶりに週刊誌など読んでみたら、面白いエッセーに出会った。やっぱり文章を読まないといかんですね。このところ、自分の駄文に辟易しているのだけれど、日頃文章を読んでいないからこういうことになるのだ!と自分に活を入れたい気分です。
ということで、文章ではないけれど、毎月購読している「アサヒカメラ」を買ってきたので、今夜はそれを見ながら眠りにつきます。

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2004-12-21 公は民のためにあるんじゃないのか?

今日は心底疲れました。
お役所の縦割り社会と言うのを目の当たりにして、激しくやり切れない気分で疲れ果てています。と、ここまで書いて今日の日記はおしまいにしようと思っていたけど、あまりに暗いのでもう少し頑張ってみよう。
今日は弁当がなかったので、久しぶりにお昼にてんぷらを食べてみようと思い、件のてんぷら屋さんに行ってみた。実は数日前にも行ったが、隣に人気のうどん屋さんが新規オープンした影響か、とても混んでいたので入らずに帰ったのだった。今日は大幅に時間をずらして行ったので、結構空いていてゆっくり食べることができた。
おなかの方も結構空いていたのだが、定食だけで腹いっぱいになってしまった。このところ健康を考えて昼と夜の食事を減らしているので、どうやら胃が小さくなったらしい。以前、定食だけでは物足りず、小ご飯を追加したら満腹になって苦しい思いをしたのを憶えていたので、今日は追加をぐっとこらえたのが、どうやら大正解だったようだ。
僕が食事中に隣に座った30代前半と思しき二人連れの男性が、定食にあなごを追加注文していたが、結構おなかいっぱいになるね、ともて余し気味の会話をしていたので、ここの天ぷらはやはり結構腹にたまるのかもしれない。
天ぷらは美味しいし、イカの塩辛とお漬物が好きなだけ食べられるというのもウリなのだが、そちらの方は吉塚の天ぷら屋さんの方に軍配が上がるとみた。
でもまあ、天ぷらは脂っこ過ぎて一年に数回でいいような気がする。
暗い話題をカバーしようと食べることを書いてみたがやっぱり暗いね。
気分が暗いとどうしても文体が暗くなるのだろう。
今日は、早めに布団に入って、早寝します。おやすみなさいまし。

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2004-12-20 久しぶりの室内撮影


今日は昼から久しぶりの撮影をやった。
室内撮影は久しぶりだったけど、壁が白だったということもあって比較的撮りやすかった。
室内撮影をやり始めたころは、ストロボが一灯しかなかったということもあり、天井や壁にバウンスして光を回し気味に撮っていたのだが、ストロボを複数手にしてからは、透過光を主光源にして撮るようにしている。その方が光がクリアになり、僕好みのシャープな写真が撮れるから。
バウンスさせないとは言え、光量の少ない携帯ストロボを使用するので、壁が白い方が光が回るため絞ることが出来て撮りやすい。今日の撮影は、どんなものを撮るかと言うのをモデルさん任せにしたので、パターンが決まっていたため撮影カットも少なく、比較的短時間で撮影を終えてまったりと語れたのもお気楽で楽しかった。普段、レイヤーさんと親しくお話しすることが少ないので、楽しい話も聞けてなかなか愉快だったし、コスモードの撮影をやってきたということで、東京での撮影について色々聞けたのも面白かった。プロはどういう撮り方をしているのかというのは、なかなか知る機会がないので興味深い情報だった。レフはどれくらいのサイズのものを何枚使っているかとか、ストロボはどういう形のものをどういう使い方をしていたかとか結構しつこく聞いたけど、モデルになったレイヤーさんが質問に対してきちんと答えてくれたのが意外だった。どう撮って欲しいとか、こういう写真が欲しいとかはもちろんあるだろうけれど、写真機材や撮影手法について詳しく憶えていたというのがオドロキ!
プロに限らず、キレイな写真を見たとき、どういう撮り方をしているのかというのは結構興味があるので、そういう情報をいただけるというのはかなり有難いものです。

そんなこんなで久しぶりのプチ撮影会を楽しんだ午後でした。

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