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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2004-10-08 撮影日記。
2004-10-04 少しだけ芸術世界
2004-09-21 奮闘努力の甲斐もなく・・・
2004-09-19 撮影三昧。
2004-09-04 追悼-その2
2004-09-04 追悼_遅ればせの....
2004-08-31 台風一過
2004-08-25 脳みその皺が減ってゆく.....
2004-08-24 知ったかぶりでスミマセン.....
2004-08-23 2度目の工場送り


2004-10-08 撮影日記。

基本的にナマケモノなので、日記というのはどうも性に合わない。
そういうことを自分で分かっているから日記とせずに独り言としているが、思いのほか皆さんが見ていらっしゃることを聞いて嬉しかったり気恥ずかしかったり。
僕としては、いくら自分よがり、独り言monologueとは言っても公開している以上、どうしても身構えたりカッコつけたりしているが、ずっと見ていただいているとやはりどうしても記事を書く人間の素性というものはバレてしまうのだろう。

夏に入る頃から室内撮影に興味を持ち、機材を買い揃えてきたが、先日の温泉で水着と廃墟の撮影で、その機材が大いなる力を発揮してくれた。
特に嬉しいのは、ずっと前に35-70mmズームをヤフオクで落札したときにおまけで付いてきたストロボが活躍していることである。
相当昔の商品であり、純正メーカーでもない。でも、基本的にマニュアル志向の僕にとってとても扱い易く、もともともらい物に近いので気楽に使えるというメリットもある。それに比べると、最近の純正品で完全にオートを狙ったストロボというのは一番タチが悪い。オートだといっても所詮8割狙いではないか。使っていて感じるのは、撮影にある程度慣れてきた人間が狙うのは微妙にアンダー気味で渋い雰囲気だったり、オーバー気味にハイキーだったりという「雰囲気狙い」の写真ではなかろうか。自然光だったら、見た目の雰囲気に感じさせられてシャッターを押すのであるが、ストロボは人工光である。撮る人間が光を作り出さなければならない。
そういう意図を持った写真を撮りたいとき、現在のオートはどれだけの意味をなすのだろうか。
おまけで貰ったサンパックのクラッシックストロボは、そういう僕の心情を「あんたが言いたいことはよお分かっとうけんね。」という感じで僕の思いに応えてくれるいい相棒になりつつあります。


以下、撮影のヒントにこの独り言を見ていただいている方へのテクニカル・独り言(笑)
温泉で水着と廃墟の写真はカメラに取り付けたクリップオンストロボを、補助光としてオートで露出倍数を-2段ほど落として使用し、メインライトとして、アンブレラを透過させたストロボをマニュアルで光量を調整しながらサイドから焚いたりして使用しています。メインライトは、いわば窓から差し込む光の代理であったり、背中から差し込む逆行気味の自然光の代理であったりします。一方、カメラに取り付けたストロボは、メインライトで生じる影を柔らかくするいわばレフ板の役目をします。
撮っていて感じるのは、人工光が一灯増すだけで、かなり自然な光の演出が可能になるということです。

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2004-10-04 少しだけ芸術世界

昨夜の日記のはずが例によって酔いちくれてしまい、本日の日記になったりして。

日本画家「小川芋銭」(おがわうせん)の世界を見た。
昨日の日曜美術館の特集がこの人だったのだが、初めて聞く名前だった。河童画の大家だという。
既にご承知の方も多いかも知れないが、河童は人間世界、ことに農業を営む人間に悪さをする妖怪なのだが、あるとき捕らえられ、農業の苦しさを知ってからは農家の守り神となった妖怪である。
このあたりは鬼子母神にも通じるような気がする。
いつものように進行を努めるのは日本の女性アナウンサー(今はやりの女子アナじゃないよ)の中にあって、僕的に2本の指(中途半端?)に入ると目する山根基世さん。ホステス役としてはなさん。このはなさんはどういう範疇でくくったら良いのかいまだに知らない。語り口は軽やかなのだが、芸術世界にも造詣が深いらしい。
ゲストは(なぜか)ドイツ文学者の池内紀さんと僕が大好きな漫画家の楳図かずおさん。
小川芋銭という画家は、日本の妖怪である河童の世界を描き世界的に有名になった人だそうだ。
子供の頃から体が弱く、病の苦しみに喘ぎながら厠の中で妖怪を見たのをきっかけとして河童を描くことで自己の世界を表現していく。
社会諷刺画を描くようになり挿絵などを描いていくのであるが、やがて河童の世界で諷刺を表現する事で世間に認められたのをきっかけに河童画にのめりこんでいく。晩年はその河童を世界に紹介するため「河童百図」を著わすのだが、この頃になると、自然の人間の共生という、現代世界にも通じるテーマを画に現していくようになる。
小川芋銭が描いた河童は虫のように小さな姿から人間と同じ大きさのものまで自在に描かれ、それが河童世界の自在性を表現するところまで昇華していく。
死期が迫る頃、沼でたたずんでいるとき水面に河童を始めとする魑魅魍魎の姿を再び見る。
そのときの心境を芋銭は「水魅戯むる」(すいみたわむる)と表現し、自己世界の完結をさらに河童画に表現しながら他界する。

全編を通して小川芋銭が描く日本画の世界に目を潤ませながら浸っていたのだが、ドイツ文学者である池内紀さんの表現力が論理的で分かり易く、それをまとめる山根基世さんの穏やかな語り口の絶妙さ。それを邪魔しないように、それでいて的確な感想、意見を述べるはなさんのコンビネーションが、見ていていかにも愉快で心躍る一時間だった。
そして、何より僕の身を乗り出させたものは、楳図かずおさんが終始身を乗り出すように、目を輝かせて話の中に入っておられたことであった。
相応の年配者であるはずのその目の輝きはまるで少年のそれのようで、思わず見ているこちらまで河童の存在を信じる少年の頃に引き戻されたのだった。

最後に
芋銭の世界に大きな影響を与えた画家に葛飾北斎がいる。
北斎はいうまでもなく偉大な日本画家であり、弟子を指導するために描いたといわれる北斎漫画は、現代漫画の原点かも知れない。
実のところ、不肖あかふじの名もこの北斎の赤富士にちなんだものだったりするのですね。・・・恐れ多いことです(^^;

好きな河童を描きながら一生を終えた芋銭が死ぬ間際に残した言葉
「千里の道を歩み 万感の富を得る」

思わぬところで心の洗濯をさせていただきました。


今夜も相当酔いちくれているので、ところどころ日本語がおかしいところがあるかと思いますが、さらっと流して下さいませ。

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2004-09-21 奮闘努力の甲斐もなく・・・

19日に時間の合間を縫って作成したHTMなどの更新ファイルがどこかにいってしまいました。ああああ、あの時間は何だったのだ!!!
今夜も酒に酔った脳みそを駆使してこれからその更新ファイルの再作成にかかろうと思います。

・・・・・・・ああああああ、二度手間って疲れますねぇ・・・・(^^;

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2004-09-19 撮影三昧。

日記はちょっと間が空いたけれど相変わらず撮り続けています。
何かに取り憑かれたように。

今日はかなりの長文日記を書いていたのだけれど、読み返すとどうもくどい。
思い切って削除して書き直しています。
温泉での撮影に行ってきた。ずっと前から気になっていた一戸建て、離れの湯。
各部屋に岩風呂がついていて、時間か仕切りの温泉とのことで、浴衣撮影や和服撮影にばっちりだと思っていたのだが、この夏はとうとう機を逸してしまった。
季節感はずれるけれど、もう、こうなったらどうでもいいや!的開き直りで、水着を撮ってきました。
きれいです。自分で言うのもなんだけど。
また行きたいと思います。
今回も十分楽しませていただいたけれど、今回の撮影でライティングについて勉強になったので、この経験を活かして今度は料理でもいただきながらまったりと撮影を楽しみたいですね。

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2004-09-04 追悼-その2


ブレッソンにしてもロバート・キャパにしても、露出計など頼らず自らの経験値で露出を決め、撮影の瞬間に備えていたと思う。一眼レフではない距離計連動カメラなのでボケ具合なども全て慣れと勘である。キャパの作品でもっとも有名なのは「倒れる兵士」という、兵士が銃弾を受けて倒れようとする瞬間を捉えたものだが、スピードグラフィックというカメラで撮られたものだと記憶する。当時の写真界では画期的な携帯カメラだということであるが、フィルムは一枚一枚詰め替えないといけないとてつもなく大きいカメラである。そういう機材を抱えて最前線を兵士と行動を共にしたというだけでも信じられないようなことであるが、思うのは共に行動してきた兵士が撃たれた瞬間にシャッターを押せるという、その気迫である。
同胞に手を差し伸べる以前にシャッターを押す。報道写真を知らない人からそしりを受ける行動であるが、撮ることを自分の使命と信じない限りこういう行動は出来ない。これらの写真が報道され世界の目はいながらにして真実を知り得ることができるのである。

ブレッソンはキャパ等と共に有名な写真家集団「マグナム」を結成する。
著名な写真家が数多く所属したその理由は、ブレッソンの提唱した「写真家は、新聞社の依頼ではなく、自らの信念で写真を撮らねばならない。」という写真家魂に惹かれたからである。
そして僕が思うのは、そんな厳しい写真の数々を撮り続けた写真家が、数多くのポートレートや、街角の写真をなぜあんなに美しく撮れるのだろうということである。
やっぱり偉大な写真家というものは、カテゴリや対象にとらわれずどんな瞬間でもきれいな画像に写しとめることができるんですね。

写真は愛用のライカを構えるアンリ・カルティエ・ブレッソン
記事から引用させていただきました。
http://www.reuters.co.jp/newsArticle.jhtml?type=topNews&storyID=5876260

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2004-09-04 追悼_遅ればせの....


「決定的瞬間」という言葉で知られた報道写真家のアンリ・カルティエ・ブレッソンが去る8月3日に死去していたということを今朝早くラジオで知った。
95歳だった。
氏は画家を目指していたが、ライカを手にしてから猛烈に写真に興味を示し始め、数々の報道写真、街角写真、ポートレート写真を残した。いずれもその数、質ともに報道性だけでなく高い芸術性を評価され、氏が死去したときはフランス挙げての大ニュースになったらしい。
僕もその名前は知っていたし、いくつかの作品も脳裏に焼きついている。
氏の作品はいずれも卓越した技術とシンプルな構図で知られているが、ネットで探し回ったが僕の脳裏に焼きついている作品は見つからなかった。

ここに氏の業績のほんの一部をご紹介して、ロバート・キャパと並ぶ20世紀の偉大な写真家に哀悼の意を表したい。


写真右側は街角で「決定的瞬間」を待ち続け、その時を鋭く切り取った街角の写真で、写真左側は数々の著名人を撮ったポートレートの中からほんの一部を掲載させていただいた。
写真左の上から、ジャコメッティ、ケネディ、シャガール、ダライ・ラマ。ポートレートだけでも、これ以上にかなりの著名人、一般人を撮っている。

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2004-08-31 台風一過

例年に増して台風の発生が多い今年だけど、今度の台風は怖かったです。
速度は遅いわ、勢力は衰えを見せないわで、おまけに進路が九州縦断。それも、当初の進路予想では九州西部を縦断する感じで、福岡は台風中心部の東側にあたり風力が強くなる感じだったからなおさら怖かった。
日本各地で沢山の被害者を出した台風ですが(まだ北海道を通過中だけど)、被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

このところ色んな写真を撮ってます。
いい写真、悪い写真ないまぜに、自分の本能の赴くままに撮り続けております。
その中には非公開のものも多数あるのですが、公開した写真に対する今までにない批判を受けたりもするし、それによって去る人もいるし寄って来る人もいる。性格的に思ったことをそのまま口に出すので、それで敵も作れば味方も出来る。自分の長所、短所は見えていても、この歳になると変えられるわけもなく。
昔の人は良く言ったものです。まさに「三つ子の魂 百まで」。

性格は変えられそうにないけど、写真については少しずつでも、より完成度の高いものにしていきたいと強く思うこの頃です。

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2004-08-25 脳みその皺が減ってゆく.....

この3年くらい、本を読まなくなった。
書店で読みたいと思う本を買ってはみるのだが、置いたままで読まない。読む気になれない。
それと並行して、なんともいえないイライラ感が年毎に募ってくるような気もする。本を読まないといかんなあ・・そんなことを考えつつ3年が経った。
今日、リビングの椅子の上に芥川龍之介の「トロッコ・一塊の土」という文庫本を見つけた。昔買って読んだには間違いないが、どうも装丁が違う。
背表紙に貼り付けてあるラベルで長男が図書館から借りてきたものだと分かった。
いつも通りの家族揃っての夕食の後、パソコンの前に座る前に無性に読んでみたくなった。トロッコは短編であることは昔読んだので分かっていた。
一気に読んだ。


(前略)そのうちに線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくともいい」−−−良平は今にも言われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起こしたぎり、黙々と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯ず怯ずこんなことを尋ねてみた。
「いつまでも押していていい?」
「いいとも」
(良平の他にいる土工)二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。
五、六丁押し続けたら、線路はまた急勾配になった。そこには両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路の方がいい、いつまでも押させてくれるから」−−−良平はそんなことを考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と言った。良平はすぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の匂を煽りながら、ひた辷(すべ)りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっといい」−−−良平は羽織に風を孕ませながら、あたりまえのことを考えた。「行きに押すところが多ければ、帰りにまた乗るところが多い」-そうもまた考えたりした。(後略)

一気に読んだ芥川の短編はスリリングで面白く、心に穏やかな何かを残した。
やっぱり本は活字で読まないといかんです。

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2004-08-24 知ったかぶりでスミマセン.....


デジカメの普及で、皆さん素晴らしい写真撮影を楽しんでおられるようで、最近撮影に関しての質問を受けることが多くなりました。
そこで、昨日の画像についての作画方法をちらりとご紹介しておきますので、興味がおありの方はゼヒ参考にして下さい。

まず、専門的な話からしますと、空の部分と画像下の地面の部分の明るさの差が4倍強あります。
ですからそのまま撮ると、空が白く飛ぶか(画像左側)地面が黒くつぶれるか(画像右側)のいずれかになってしまい、思うような画像にはなりません。
人によっては右側画像のような空の青さだけ出ればいいや、と思う方もいらっしゃいますが、黒くつぶれたり白く飛んでしまったりすることを極力避ける努力がキレイな写真を作るコツだったりするのです。
そのためには、それなりの経験値と知識が必要になってくるワケですが、最近のデジカメは簡単に両方のイイトコ取りが出来るのです。

まず、地面の明るさに合わせた写真を一枚撮ります。
次に空の明るさに合わせた写真を一枚撮ります。
そしてそれぞれのいいところを合成して上下を合わせたものが昨日の写真というワケです
地面の露出に合わせた写真を撮るには、まずディスプレイの中央部に地面が入るようにカメラを構えてシャッターを半分だけ押します。次にそのままシャッター半押しの状態でカメラを上に振って画面構成をしてシャッターを押します。これで地面の明るさに合った写真(画像右側)を撮ることができます。同様にして、空の露出に合わせた写真を撮ります。
この写真は一眼デジカメではなく、コンパクトデジカメで撮ったものですから、皆さんがお持ちのデジカメでも簡単に作ることが出来ますので、一度体験してみて下さい。
撮りたいけど撮れないとあきらめないで、色々実験してみる。そしてその経験を積み重ねていくことが、自分の望みどおりの写真を撮る作画力となります。この作画方法は他にも応用できるので、カラダで覚えておくと色んなシーンで役立ちます。
デジカメは撮ったものをその場で確認できます。ぜひデジカメの最大の長所を活かし、自分好みの写真を作って下さい。

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2004-08-23 2度目の工場送り


愛機D1Xが2度目の工場送りになりました。
先日の野外撮影時に、かなりピンぼけ写真を製造し、「???」状態だったのですが、今回更に注意してピント合わせ(オートフォーカスね)をしたにもかかわらず、又もやかなりの数のピンボケを発生してしまったので、再びNikonに持ち込んだ。
直れば良いけど・・・。ピンボケになったりきちんと合焦したりするので、「原因不明」とか「正常です。」などとかの返事が返ってきたらどうしよう。それがコワイ。
今日、中央区の埠頭でキレイな夕焼けを見たので手持ちのコンパクトデジカメでショット!
Nikonをサービスセンターに持ち込んだ後の出来事でした。

この後、急激に空腹を覚え、撮影のロケハンに行くため帰宅が遅くなるのでゆ○タウン内のラーメン屋さんに寄って鹿児島ラーメンを食べた。
迷いつつ、赤(辛口)ラーメンのネギ入りを注文。鹿児島ラーメンはあまり好きではないのだが、これは旨かった!730円という値段はちょっと僕としては高値感を否めなかったのだが、旨かったので許す!
昼から無性に旨いラーメンが食べたかったのでこれでやっと一安堵。
愛機故障のブルーな気分も和らぎました。
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最近、撮影に興味を持ち始めた方からの熱心な質問を受けることが多いので参考のために画像データをお知らせしておきます。
空の部分と下の鉄骨資材の部分の明るさの差はおおよそ4倍強。
そのため、一発撮りでは下の部分が真っ黒になるか、上の部分が白く飛ぶかのいずれかになってしまいます。
上下の明るさをそろえて活かすために、空に露出を合わせたものと下に露出を合わせたもの両方を撮り、後でそれぞれの上下を合成しています。
デジタルならではの簡単画像作成。ぜひ実践してみて下さい。

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