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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2010-10-12 イラストマーケット福岡展に参加させていただきます。
2010-09-29 私的写真論(というほどのものではないけど)
2010-09-27 二人展「夏風味」 終了。沢山のご来場ありがとうございました。
2010-09-24 二人展「夏風味」 いよいよあと二日を残すのみ!!
2010-08-26 夏の終わりはセンチメンタル
2010-08-09 岩合光昭写真展
2010-07-13 追い山ならし
2010-07-05 搬入展示作業終了いたしました。
2010-07-04 降る時には降られるが善き候
2010-07-01 いよいよ追い込み


2010-10-12 イラストマーケット福岡展に参加させていただきます。

今週の金曜日から展示開始のイラストマーケット展の出品に向けて展示作品の取捨選択とプリント作業の真っ只中である。出展のオファーを頂いたのはいつだったろう。先月の二人展間近い日だったと記憶しているが定かではない。そのときの僕は二人展出品への大詰めの段階で、その作業に追われており次の作品展など考える暇もなかった。連絡を頂いたときはお断りしようと思ったのだが、せっかくの機会でもあるし作品制作の時間的余裕もあると思ったのでお引き受けさせていただいた。しかしその時点では二人展のことで頭は一杯だったし受けた後もそしてほんの数日前までは出品作品のイメージも浮かばない状態で、正直なところ安易に受けたことを自分自身後悔していた。しかし、一昨日からプリント作業を開始してその不安と迷いと後悔はみんなみんないちどきに吹き飛んでしまった。

出品作品をどれにしようか、主題を何にしようか迷い続けていて、東京スナップから選んだ25点の作品をプリントしているうちに迷いが吹っ切れたことが何よりの理由だが、それより何より自分の表現したいプリントに近づけるためにトーンの調整を行っているうちにだんだん気分が高揚してきた。モノクロプリントは色がない分、全体を形づくる陰影のトーンと主題を浮き立たせるためのテクニックが大切な要素になってくる。それを模索しながらプリントしているうちにやっと心が浮き足立ってきた。写真のプリント作業は心が高揚してこないと面白味がない。撮影と同じくらいにプリントは楽しくなければ写真をやる意味がない。昔からそうだった。日常の仕事に追われる毎日。暗室に入るまでは腰が退けていてもいったんプリントし始めると気分が高揚してきて、いつの間にか時間を忘れ数時間が経ってしまっている。もともと暗くなってからの作業のため「夜に日暮れはない」の言葉通り時間を忘れ翌日のことなど忘れてプリントに熱中する。そして部屋全体を覆いつくした氷酢酸の酸っぱい匂いの中で眠りにつく。

氷酢酸の匂いはないけど暗室ならぬ明室作業になってもプリント作成の根本は変わらんっちゃね^^♪

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2010-09-29 私的写真論(というほどのものではないけど)

スナップ写真とは何者だろうと考えながら20数年の月日が流れた。もっと遡れば、写真とは何ものだろうと思い続けながら写真を撮り続けてきた。写真はアートなのか単なる複写なのか。それも今の僕には分からない。複写と言えばそうなのだが、それだけではないように思う。単純に複写するだけならこれだけ長い期間、情熱を持って撮り続けることは出来ないのではないか。じゃあアートなのかと言われれば、ううむとうなってしまう。そもそもアートとは何者なのかと最近思うようになってきた。金のために作るのでもなく、人の嗜好におもねるようにつくるのでもなく、ただ自分が感じるままに作り上げるのをアートと呼ぶのだろうか。だったら子供が好き勝手に書きなぐる落書きもアートなのだろうか。いやそれは違うだろう。今の僕が思うのは、その人の好きなように作り出したものが複数の人の心を動かせば、それはアートと呼ぶに足る創作物となる。ということなのではないか。

写真の存在価値のひとつに記録するという役割がある。記録するということはすなわちスナップ撮影なのだろうと考える。そして日常を記録するスナップ写真とは何だろうという考えに行き着く。何のために撮るのか。誰のための撮るのか。ただ日々を記録すれば写真の務めを全うするのだろうか。

僕のトリアタマ的ふやけ脳味噌で思考するにはあまりにも難しい。
難しいから放置しつつ、自分の写真を撮ってきた。

好きこそものの上手なれと昔の人は言う。
まったくそうだとおもう。
好きでもないことに情熱を注げるはずはない。情熱を注げる仕事をやるべきために僕たちは生まれてきたのだ。仕事と趣味の境は何だろう。金を生まないのが趣味。金を生むのが仕事。いや、そうじゃない。夏目漱石は金のために小説を書いたのか。ベートーヴェンは金のために交響曲を作ったのか。全否定はできないだろうが、そうではないと思う。もともと彼らもその仕事が好きでやっていたのだ。好きだからあれこれ試行錯誤しながら、自分が納得いくものにその持てる力を注いで作品を創っていたに違いない。人におもねるわけではないが、自分の好きなものに情熱を注いできた創作物が複数の人々の心を動かすことができたらどんなに嬉しいだろう。

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2010-09-27 二人展「夏風味」 終了。沢山のご来場ありがとうございました。

9月20日から7日間開催してきた都万・あかふじ二人展が昨日で終了しました。

会期中、沢山の方のご来場をいただき、また、沢山の暖かいお言葉をいただき、ありがとうございました。
終了後、帰宅する車の中でそれぞれの作品についての反省点を話し合い、今後もさらに高みを目指して写真撮影を楽しんでいこうという思いを確認しあいました。
数ヶ月前に二人展を思い立ち、6月から企画構想を練ってきました。お互いの意見を出し合い、それぞれの思いを写真に仕上げるという作業の中で、それぞれが沢山のことを考え実行に移してきた、その行為ひとつひとつが二人の大きな財産になったような気がします。
またいつか機会とご縁があれば、二人で合同展をやることもあるかも知れませんし、それぞれの個展も開催していくことと思いますが、その時はまた一人でも多くの皆様のご来場をお願いしたいと存じます。
皆様のおかげで充実した作品展になったことを改めて御礼申し上げます。

今日からそれぞれ次のステップへと歩き始めますが、とりあえず今後しばらくの間は、祭りの後の余韻を静かに楽しんでいたいと思っています。

今後ともAkafuji Digital Galleryをよろしくお願いいたします。

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2010-09-24 二人展「夏風味」 いよいよあと二日を残すのみ!!

9月20日からアジパラアートエリアで開催している都万さんとの二人展に今日もご来場いただいた方から暖かいお言葉や、メッセージをいただき、とても嬉しく思っています。正直言って、アジパラさんで行ってきたこれまでの作品展の中で一番と言ってもいいほど思い入れがあった作品展だったので、皆様の生の声をいつに増してとても嬉しく感じています。
何よりも今回の僕と都万ちゃんが企画し公開までこぎつけた思いを皆さんに感じていただけたことが嬉しくてたまりません。

もっともそういう思いを抱いてしまうと次からの作品展に対して自ら敷居を高くしてしまうのですが、それはそれでいいことだと思っています。次の作品展が今回よりテンションが低くてもそれもまた僕の写真世界のひとつの流れだろうと思いますし、そこからまた何か感じることが出来るだろうと思います。

昨年お知り合いになれた写真家のセルゲイ草柳さんがおっしゃった言葉がいつまでも耳について離れません。

「私の作品を発表するという行為は、風を起こすことだと思っています。風はそれを受ける対象があって初めて風の存在を知る。私の作品発表もそれと同じで公開する、発表するということで作品の存在が生まれ得る。風は風。それ以上でもそれ以下でもありません。誰かが受けてくれればそれでいい。誰も受けてくれなくてもそれもまたいい。風は誰かが受け止めてくれることを期待して吹くわけではありませんから。私は作品を発表する、公開するという行為を成し遂げた時点で、私の作品が完成したと安堵し納得するのです。」

うろ覚えなので若干言葉は違うかも知れませんが、大要は違えていないと思います。そのセルゲイさんのお言葉を聞いたとき、目から鱗が落ちた思いでした。そういう心を持って来月10月15日からの合同作品展に臨もうと思っています。


いや、それはまた先のこと。
とりあえずはあと二日を残す二人展「夏風味」です。
どうぞ更なるご来場をお待ちいたしております。

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2010-08-26 夏の終わりはセンチメンタル

子供のころからお盆が過ぎると夏の終わりを強く感じて、すごく寂しい気持ちになったことを思い出す。その気持ちは中年から壮年になろうとしている今も変わらず、8月の終わりはなぜかもの寂しい。

9月20日からアジパラ・アートエリアで開催させていただく都万さんとの二人展のタイトル「夏風味」というのを考えたのは5月だったか、もう少し前だったか、いずれにしてもはっきり思い出すことができないくらい前の話だった。開催時期が9月ということで撮影時期は7〜8月になるだろうから、夏をテーマにしようと僕が決めて、都万さんにタイトルを考えてもらった。二人展だから、いろんな部分でそれぞれの持ち味を出すことを考えての作業開始だった。
夏から思い浮かべるもの。僕の好きな空、海はすぐ都万さんの口から出たが、もう少し都万さんらしい何かない?と話をつめていったところでその後に続く「あれとそれと」というなんだか意味不明なフレーズが都万さんの口から出て、それ面白い!と僕が決定したサブタイトル。それぞれのスナップを順不同で並べまくり、どちらが撮った写真か来場者に考えていただきながら見ていただくという案と、スナップを撮る都万さん。そしてその都万さんを撮るあかふじ、という二つの設定が頭に浮かび、どちらにしようか都万さんと思いあぐねていたのを後押ししてくれたのがイラストレーターのチイチイさんだった。そのチイチイさんの後者が面白いと思います。という一言で展示作品の流れが決定し、撮影にとりかかった。(続く)


そんな夏への想い。盆過ぎの夏の終わりを感じさせないからりとした「空と海」そして「あれとそれ」の撮影を終えることができたのは何より嬉しい。そしてその嬉しさゆえに、夏の終わりはことさら寂しい。
撮影を終えて、今から展示作品の取捨選択、そしてレイアウト作業に入るが、夏の終わりのセンチメンタルな気分で行う最終作業が、夏真っ盛りに撮った写真の展示公開にどういうプラスアルファの味付けとなるか。それもまたひとつの楽しみである。


☆二人展開催!
  タイトル 
『夏風味』〜空と海とあれとそれと〜

       都万とあかふじ。初の二人展。
       スナップを撮り続けて1年数ヶ月の都万と
       フォトグラファー「都万」を撮るあかふじ。
       それぞれが感じた2010年の夏景色。


会期: 2010年9月20日(月)〜26日(日) 会期中・店休日なし
     12時〜20時(最終日は18時まで)
会場: アジパラ・アートエリア
     福岡市中央区今泉2-4-39拓栄ビル2F(ローソン2階)
     電話 090-2587-4076
     http://www.asi-para.com/artstation/artstation.html

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2010-08-09 岩合光昭写真展


もうそろそろお盆の時期になる。夏もお盆までという気がするが、お盆を過ぎるとすっかり秋の空気を感じさせられて、毎年もの悲しい気分になる。なんだか青春時代に片思いの女の子に打ち明けることも出来ないまま失恋してしまったような、そんな物悲しい気分になって、肩を落とし前かがみで歩きたくなる。もっともいま思えば片思いの失恋は気が楽である。若い頃は失恋して1週間もすれば次に好きな女の子が出来て、失恋の悲しみはどこへやら、ということの繰り返しだったような気もする。これは片思いだから心のキズが浅いからに他ならない。まあたとえて言えば猫に軽く引っかかれた程度の悲しみ、痛み程度だったのかも知れない。

猫と言えば、動物写真家の岩合光昭さんの写真と顔が浮かぶ。
岩合さんの猫写真は、ただ可愛いばかりではなく、猫の周辺の人の生活や猫の行動、人との係わり合いなどが一枚の絵に凝縮されており思わず「おお!」という軽い驚嘆の声と微笑みが知らず漏れる。
その岩合光昭さんの動物写真を多数展示した「岩合光昭写真展」―かけがえのない地球 いのちの輝き―
という写真展を見に行った。
岩合光昭さんのライフワークである猫写真ほどの興味はなかったのだが、会場で大きなプリントを見せられて、圧倒的な迫力と動物の動きの素晴らしい一瞬を捉えた写真の数々に、何度もため息や驚嘆の声が口から漏れた。やはり写真はプリントで見るものである。
今まで何度も写真雑誌などで見てきた写真もあったが、プリントされた写真を見るというのは全く別物だと感じた。デジタルカメラで撮ったものとフィルムカメラで撮ったものの両方が展示されていたが、写真の持つ圧倒的な素晴らしさの前では、撮影媒体についての何の評価の必要性も感じなかった。
素晴らしい写真はデジタルでもフィルムでも素晴らしさに変わりはない!岩合光昭さんのデジタルカメラはフォーサーズ(撮影素子が小さい)のはずなのだが、その写真の美しさ、迫力の前では、カメラの種類、デジタル、フィルムの差などを論じるのが無意味に思えてくる。
最後に印象に残ったのは、岩合さんがライオンの捕食中を撮影しているところを撮った一枚。数頭のライオンが獲物を捕らえて食べているところを2mくらいの位置まで近づいて四つんばいになってローアングルで撮影しているシーンだったが、これは動物の生態を熟知しており、それなりの安全を確保した上でなければ撮影できないだろう。またそれらが確保されていても、野生のライオンにここまで近づいて撮るということは、余程の覚悟というか使命感というか、そういうものに背中を押されないとできないのではないか。いや、そんな愚なことより、野生で生きる動物を深く愛しているからこそ成せる業なのかもしれない。
そのスナップ以外に展示作品に捕食しているシーンはなかったが、自然の中で堂々と生の営みを続けるライオンを始めとして、像、キリン、パンダ、ペンギン、鯨 などなど…その自然の姿の美しさとイノチの尊厳をひしひしと感じさせてくれる写真ばかりだった。

「岩合光昭写真展」―かけがえのない地球 いのちの輝き―
会場:山口県周南市美術館
会期:2010年7月30日〜9月23日
http://s-bunka.jp/bihaku/

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2010-07-13 追い山ならし

毎年7月になると博多の町は山笠一色に塗りつぶされる。
店を営んでいるものは店をそっちのけで山にのめり込み、小学校は山笠に出る生徒を山笠の行事に合わせて早退させる。祭りは参加するものが狂喜できる行事だと僕は思う。傍でみる我らは山にのめり込むそんな彼らを少し冷ややかな目で見ることすらある。
雨の中、仕事の通り道で山を前に勢ぞろいした水法被と締め込みの男達のカッコよさに思わずユーターンして戻り、撮影させてもらったら、その意気に飲み込まれて、とうとう櫛田神社まで足を向けていた。

昔は飾り山をそのまま担いで走っていたのだが、市電が走るようになるとその電線に引っかかるからと言う理由で担ぐ山が小さくなったという。しかし今も川端流れだけは飾り神輿を担ぐという話を聞き、ぜひその飾り山が動くところを見たくなって、雨の中で撮影することになってしまった。

現場で見ていると、その緊張感と意気に飲み込まれて、こちらまで熱くなってくるのが分かる。足元はずぶぬれになりながら、もう少しもう少しと撮り歩いた。

山笠が終わると、梅雨明けの博多の町に本格的な夏が来る。

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2010-07-05 搬入展示作業終了いたしました。

今日は朝9時半に会場入り。
月曜日は市の施設は休館日ということで、守衛室を通って二階の展示室に入る。エアコンの効いていない部屋でいきなり汗だく!こんなことならショートパンツをはいてくれば良かったと公開していたら主宰が管理室に掛け合ってくれて、やっとエアコンのスイッチを入れてくれた。いやいや、9時半から搬入作業と分かっているのだから、ちゃんと入れてくれよ。搬入しているのは僕達のA室だけではなくB室、C室の会場を借りているかたも同時なので、事前にとは言わないが、せめて搬入指定時間の9時半には入れて欲しいですな。

まあともかくエアコンの効き始めた会場で、滞りなく搬入、展示作業が終わったのは2時くらい。
展示した作品をみて自己満足の喜びに浸りながら会場を後にした。

モノクロ作品、総数7点。
いつもの僕の出品数からすると圧倒的に少ない点数ですが、その分一枚に込めた思いの深さを感じ取っていただければ何よりの幸せに存じます。

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。

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2010-07-04 降る時には降られるが善き候

今日明日は午前中仕事で、後は人と会ったり合同展の最終準備や確認をしたりしながら過ごします。
今回は合同展で8名の参加者がいるので、来場者がいない時間帯も誰彼となく会場にいる可能性が高く、来場者の応対をしていないときもそれなりに色んな出会いや得るものがあるような気がして、ちょっとワクワクしています。
個展と違って8名それぞれに対して来場者があるだろうから、単純に考えて来場者数は個展の8倍(^^)
展示会というのは、反応がある方、無反応ですぐ去られる方、人それぞれながら、来場者の反応が何よりありがたいので、それが8人の合同展となるとまた倍加するわけで、その分楽しみも増します。

そんなことを考えているだけで、個展とはまた違ったワクワク感を感じて、梅雨の雨空もなんのその!という明るい気持ちで過ごしています。


合同作品展までいよいよあと2日です。

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2010-07-01 いよいよ追い込み

今日も色んな思いを胸に一日が暮れた。
なぜか懐かしくて買い求めた井上陽水の「センチメンタル2」と「氷の世界」という二枚のアルバムを聴きながら、合同展でロビーに掲示するポスターを作製中である。 一階のロビーに掲示されるであろうこのポスターを見て、一人でも多くのお客様が二階の市民ギャラリーA室まで上がってきていただけるよう、思いを込めてデザインさせていただいた。 自分の作品の準備を終えて、後は主宰のお手伝いを少しでもさせて頂くことが出来れば、8人それぞれの次へステップへの力になると思う。そんな思いを込めていま印刷の真っ最中。
Mac Bookから流れる井上陽水は「東へ西へ」に変わったところである。

♪ だからがんばれ みんながんばれ 夢の電車は 東へ西へ

合同展まであと5日です。

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