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あかふじの独り言

退屈しのぎに日々の思いを綴ります。退屈している人は暇つぶしにのぞいてみてね。
「つっこみ」は削除・訂正できませんので要注意です。

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2010-08-26 夏の終わりはセンチメンタル
2010-08-09 岩合光昭写真展
2010-07-13 追い山ならし
2010-07-05 搬入展示作業終了いたしました。
2010-07-04 降る時には降られるが善き候
2010-07-01 いよいよ追い込み
2010-06-28 暇人の朝のつぶやき
2010-06-23 スナップが楽しい
2010-05-22 野良猫子猫
2010-05-20 macへの誘い☆


2010-08-26 夏の終わりはセンチメンタル

子供のころからお盆が過ぎると夏の終わりを強く感じて、すごく寂しい気持ちになったことを思い出す。その気持ちは中年から壮年になろうとしている今も変わらず、8月の終わりはなぜかもの寂しい。

9月20日からアジパラ・アートエリアで開催させていただく都万さんとの二人展のタイトル「夏風味」というのを考えたのは5月だったか、もう少し前だったか、いずれにしてもはっきり思い出すことができないくらい前の話だった。開催時期が9月ということで撮影時期は7〜8月になるだろうから、夏をテーマにしようと僕が決めて、都万さんにタイトルを考えてもらった。二人展だから、いろんな部分でそれぞれの持ち味を出すことを考えての作業開始だった。
夏から思い浮かべるもの。僕の好きな空、海はすぐ都万さんの口から出たが、もう少し都万さんらしい何かない?と話をつめていったところでその後に続く「あれとそれと」というなんだか意味不明なフレーズが都万さんの口から出て、それ面白い!と僕が決定したサブタイトル。それぞれのスナップを順不同で並べまくり、どちらが撮った写真か来場者に考えていただきながら見ていただくという案と、スナップを撮る都万さん。そしてその都万さんを撮るあかふじ、という二つの設定が頭に浮かび、どちらにしようか都万さんと思いあぐねていたのを後押ししてくれたのがイラストレーターのチイチイさんだった。そのチイチイさんの後者が面白いと思います。という一言で展示作品の流れが決定し、撮影にとりかかった。(続く)


そんな夏への想い。盆過ぎの夏の終わりを感じさせないからりとした「空と海」そして「あれとそれ」の撮影を終えることができたのは何より嬉しい。そしてその嬉しさゆえに、夏の終わりはことさら寂しい。
撮影を終えて、今から展示作品の取捨選択、そしてレイアウト作業に入るが、夏の終わりのセンチメンタルな気分で行う最終作業が、夏真っ盛りに撮った写真の展示公開にどういうプラスアルファの味付けとなるか。それもまたひとつの楽しみである。


☆二人展開催!
  タイトル 
『夏風味』〜空と海とあれとそれと〜

       都万とあかふじ。初の二人展。
       スナップを撮り続けて1年数ヶ月の都万と
       フォトグラファー「都万」を撮るあかふじ。
       それぞれが感じた2010年の夏景色。


会期: 2010年9月20日(月)〜26日(日) 会期中・店休日なし
     12時〜20時(最終日は18時まで)
会場: アジパラ・アートエリア
     福岡市中央区今泉2-4-39拓栄ビル2F(ローソン2階)
     電話 090-2587-4076
     http://www.asi-para.com/artstation/artstation.html

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2010-08-09 岩合光昭写真展


もうそろそろお盆の時期になる。夏もお盆までという気がするが、お盆を過ぎるとすっかり秋の空気を感じさせられて、毎年もの悲しい気分になる。なんだか青春時代に片思いの女の子に打ち明けることも出来ないまま失恋してしまったような、そんな物悲しい気分になって、肩を落とし前かがみで歩きたくなる。もっともいま思えば片思いの失恋は気が楽である。若い頃は失恋して1週間もすれば次に好きな女の子が出来て、失恋の悲しみはどこへやら、ということの繰り返しだったような気もする。これは片思いだから心のキズが浅いからに他ならない。まあたとえて言えば猫に軽く引っかかれた程度の悲しみ、痛み程度だったのかも知れない。

猫と言えば、動物写真家の岩合光昭さんの写真と顔が浮かぶ。
岩合さんの猫写真は、ただ可愛いばかりではなく、猫の周辺の人の生活や猫の行動、人との係わり合いなどが一枚の絵に凝縮されており思わず「おお!」という軽い驚嘆の声と微笑みが知らず漏れる。
その岩合光昭さんの動物写真を多数展示した「岩合光昭写真展」―かけがえのない地球 いのちの輝き―
という写真展を見に行った。
岩合光昭さんのライフワークである猫写真ほどの興味はなかったのだが、会場で大きなプリントを見せられて、圧倒的な迫力と動物の動きの素晴らしい一瞬を捉えた写真の数々に、何度もため息や驚嘆の声が口から漏れた。やはり写真はプリントで見るものである。
今まで何度も写真雑誌などで見てきた写真もあったが、プリントされた写真を見るというのは全く別物だと感じた。デジタルカメラで撮ったものとフィルムカメラで撮ったものの両方が展示されていたが、写真の持つ圧倒的な素晴らしさの前では、撮影媒体についての何の評価の必要性も感じなかった。
素晴らしい写真はデジタルでもフィルムでも素晴らしさに変わりはない!岩合光昭さんのデジタルカメラはフォーサーズ(撮影素子が小さい)のはずなのだが、その写真の美しさ、迫力の前では、カメラの種類、デジタル、フィルムの差などを論じるのが無意味に思えてくる。
最後に印象に残ったのは、岩合さんがライオンの捕食中を撮影しているところを撮った一枚。数頭のライオンが獲物を捕らえて食べているところを2mくらいの位置まで近づいて四つんばいになってローアングルで撮影しているシーンだったが、これは動物の生態を熟知しており、それなりの安全を確保した上でなければ撮影できないだろう。またそれらが確保されていても、野生のライオンにここまで近づいて撮るということは、余程の覚悟というか使命感というか、そういうものに背中を押されないとできないのではないか。いや、そんな愚なことより、野生で生きる動物を深く愛しているからこそ成せる業なのかもしれない。
そのスナップ以外に展示作品に捕食しているシーンはなかったが、自然の中で堂々と生の営みを続けるライオンを始めとして、像、キリン、パンダ、ペンギン、鯨 などなど…その自然の姿の美しさとイノチの尊厳をひしひしと感じさせてくれる写真ばかりだった。

「岩合光昭写真展」―かけがえのない地球 いのちの輝き―
会場:山口県周南市美術館
会期:2010年7月30日〜9月23日
http://s-bunka.jp/bihaku/

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2010-07-13 追い山ならし

毎年7月になると博多の町は山笠一色に塗りつぶされる。
店を営んでいるものは店をそっちのけで山にのめり込み、小学校は山笠に出る生徒を山笠の行事に合わせて早退させる。祭りは参加するものが狂喜できる行事だと僕は思う。傍でみる我らは山にのめり込むそんな彼らを少し冷ややかな目で見ることすらある。
雨の中、仕事の通り道で山を前に勢ぞろいした水法被と締め込みの男達のカッコよさに思わずユーターンして戻り、撮影させてもらったら、その意気に飲み込まれて、とうとう櫛田神社まで足を向けていた。

昔は飾り山をそのまま担いで走っていたのだが、市電が走るようになるとその電線に引っかかるからと言う理由で担ぐ山が小さくなったという。しかし今も川端流れだけは飾り神輿を担ぐという話を聞き、ぜひその飾り山が動くところを見たくなって、雨の中で撮影することになってしまった。

現場で見ていると、その緊張感と意気に飲み込まれて、こちらまで熱くなってくるのが分かる。足元はずぶぬれになりながら、もう少しもう少しと撮り歩いた。

山笠が終わると、梅雨明けの博多の町に本格的な夏が来る。

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2010-07-05 搬入展示作業終了いたしました。

今日は朝9時半に会場入り。
月曜日は市の施設は休館日ということで、守衛室を通って二階の展示室に入る。エアコンの効いていない部屋でいきなり汗だく!こんなことならショートパンツをはいてくれば良かったと公開していたら主宰が管理室に掛け合ってくれて、やっとエアコンのスイッチを入れてくれた。いやいや、9時半から搬入作業と分かっているのだから、ちゃんと入れてくれよ。搬入しているのは僕達のA室だけではなくB室、C室の会場を借りているかたも同時なので、事前にとは言わないが、せめて搬入指定時間の9時半には入れて欲しいですな。

まあともかくエアコンの効き始めた会場で、滞りなく搬入、展示作業が終わったのは2時くらい。
展示した作品をみて自己満足の喜びに浸りながら会場を後にした。

モノクロ作品、総数7点。
いつもの僕の出品数からすると圧倒的に少ない点数ですが、その分一枚に込めた思いの深さを感じ取っていただければ何よりの幸せに存じます。

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。

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2010-07-04 降る時には降られるが善き候

今日明日は午前中仕事で、後は人と会ったり合同展の最終準備や確認をしたりしながら過ごします。
今回は合同展で8名の参加者がいるので、来場者がいない時間帯も誰彼となく会場にいる可能性が高く、来場者の応対をしていないときもそれなりに色んな出会いや得るものがあるような気がして、ちょっとワクワクしています。
個展と違って8名それぞれに対して来場者があるだろうから、単純に考えて来場者数は個展の8倍(^^)
展示会というのは、反応がある方、無反応ですぐ去られる方、人それぞれながら、来場者の反応が何よりありがたいので、それが8人の合同展となるとまた倍加するわけで、その分楽しみも増します。

そんなことを考えているだけで、個展とはまた違ったワクワク感を感じて、梅雨の雨空もなんのその!という明るい気持ちで過ごしています。


合同作品展までいよいよあと2日です。

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2010-07-01 いよいよ追い込み

今日も色んな思いを胸に一日が暮れた。
なぜか懐かしくて買い求めた井上陽水の「センチメンタル2」と「氷の世界」という二枚のアルバムを聴きながら、合同展でロビーに掲示するポスターを作製中である。 一階のロビーに掲示されるであろうこのポスターを見て、一人でも多くのお客様が二階の市民ギャラリーA室まで上がってきていただけるよう、思いを込めてデザインさせていただいた。 自分の作品の準備を終えて、後は主宰のお手伝いを少しでもさせて頂くことが出来れば、8人それぞれの次へステップへの力になると思う。そんな思いを込めていま印刷の真っ最中。
Mac Bookから流れる井上陽水は「東へ西へ」に変わったところである。

♪ だからがんばれ みんながんばれ 夢の電車は 東へ西へ

合同展まであと5日です。

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2010-06-28 暇人の朝のつぶやき

最近、夜中に目が覚めて眠れないことが多い。
大体3時頃に目が覚めてしばらく眠れないので、枕元に置いているMac Bookを開いてインターネットをしながら眠気を待つという生活が続いている。

今朝目覚めたのは4時過ぎ。
昨日ちょっといじったMac標準画像編集ソフトのi-photoが面白かったので、その高機能バージョンであるAperture(アパーチャ?アパチャー?)を買ってから初めていじってみた。慣れないコマンド名にとまどいながらも何となく感触をつかめて、初めて使ったソフトなのに、1時間半くらいの時間でJPEG350枚の現像処理を済ませてしまった。初めて使っただけなので決め付けることは出来ないが、フォトショップみたいなレイヤー機能もないし変形とか焼き込み、覆い焼きなどの処理は出来ないが、ある意味フォトショップより写真本来の暗室処理に近いような気がする。マニュアルも読まずに体感的にいじっただけなので、正しい使い方をしているのかどうかは分からないが、処理した画像がそのままプリントアウトできるようならこれはかなり大きな力になるかも知れない。とりあえず処理済のデータをWindowsに移して検証を済ませてからの話ではある。

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2010-06-23 スナップが楽しい

最近の僕のスナップの中心は天神周辺である。
なぜ天神周辺なのかというと、僕が好きなスナップ写真家の一人である森山大道さんが東京にあって新宿を撮り続けるのと同意語である。なぜ新宿なのか、なぜ天神なのか僕にもよく分からない。よく分からないけどとりあえず真似てみる。学ぶは真似ぶが語源と聞く。自分の考えが及ばぬ時はとりあえず真似てみるのがよい。優れた人は真似ぶより先に自分の道を見出すのだろう。そして人はそれを天才と呼ぶのかも知れない。しかし凡人の僕はとりあえず真似ぶことから始めねばならぬ。

だから天神なのである。

本当は中洲なのだが、中洲は正直怖い(笑)
何かあったときに逃げおおせる脚力が僕にはない。
かつて、森山大道さんは撮るより逃げる方が多かったと語った。
断りもなく人様を撮るという行為は、犯罪とは言わぬまでもおおよそそういうものかも知れない。最近は「盗撮」という何か悪しき言葉がまかり通る。盗撮と言われたら、スナップ写真家は成す術がない。盗撮ではない、隠し撮りなのだと撮る側はいう。いちいち断っていたらそれは非演出の域をはみ出てしまう。スナップは非演出が原則である。

今夜も酔いに任せて誰に語るともなく自分流の写真論を打ちまくる。(ペンならぬキーボードだからね^^)

絶対非演出の一枚が撮れた時、僕も名フォトグラファーの仲間入りを果たすことができるような気がして、今日も街角で盗撮ならぬ隠し撮りを続ける。

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2010-05-22 野良猫子猫

今日、ちょっとした補修をするために物置小屋に置いている鋸を取りに入ったら、子猫が3匹ほどドタドタと逃げ出したのを目撃。ああ、そう言えば、昨年もこの時期だったか子猫の鳴き声が盛んに聞こえていたことを思い出した。いわゆる繁殖期なのだろう。
うちの物置小屋は隠れ場所に適しているらしく、ここ数年、野良猫の寝床になっている模様。野良猫に餌をやらないで下さい、という看板をよく目にする。確かに通りすがりの人間が、その地域に住んでいる方の状況も知らないまま、単にネコが可愛いということで餌をやることの賛否両論あることは理解できるし、可愛いというだけの単純思考で、野生動物に餌をやるというのは、人間のひとつのエゴだと思う。もともと飼われていた猫が捨てられて野良猫になる。その野良猫が子猫を生んで繁殖し、野良猫が増殖する。これは言わば自然の成り行きであり、いたし方ないことである。しかしその原因は捨てた飼い主にある。野良猫を嫌うそこのあなた!敵を間違えてはいけない。敵は捨てた人間であり、猫ではない。捨て主恨んで捨て猫恨まず。というのが正しいように思う。ただ、僕の身上として、捨てられた元ペット達は、自分の力で生きていかなければならない。飼い主のエゴで捨てられ、野生化して生きていかなければならない彼らに手を貸すことは人間の傲慢だと思っているので、家に仮住まいする野良猫達に餌は一切やらない。憎くはないし、むしろ可愛いくらいなのだが、僕に一宿一飯の挨拶もしない彼らに餌を与える責任もないし、彼らも恐らく僕と同等の思いで生きているはずで、その証拠に、宿を提供している僕と目が合っても会釈ひとつしようとはしない。僕はたとえそれが野良猫であろうが、家の庭にいるところにでくわしたら、「こんにちは、今日もいい日和ですね。」くらいの挨拶をすることくらい心得ているし、正直、きちんと挨拶をする。「和顔愛語」(わげんあいご)の精神である。でも、彼らは僕をじっと見る(観察する)だけで、ニコリともしない。もっとも猫がにっこり笑ったという話をいまだ聞いたことはないが。

かように、それぞれがそれぞれの立場で生きている。ただそれだけのことである。

手助けはしない。だけど、寝る場所までは奪わない、それが僕の彼らに対する接し方である。

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2010-05-20 macへの誘い☆

知り合いのカメラマンさんが数年前からプレゼン用とか持ち歩き用にmac bookを使っており、写真の編集とかしているところを見ていると、かなり使い勝手が良さそうで心が揺れていた。そこへもってきて今年初めにうちの長男も仕事上、macも使えたほうがいいというのと、i-phoneを使っていてとても快適だという理由から、ノートをmacに変えたのをそばで見ていてmacに激しく心惹かれる毎日。何がいいかというと写真編集が格段に楽な点。感覚的に色んな作業ががwindowsと比べてワンアクション少なく行える感じ。

昨年の初めに買ったパナソニックのノートの中古売値との差を見てみると、もしかして今が買い替え時かも知れないと思い、今日、ヨドバシでmacのインストラクターさんに色々尋ねてきた。
僕の知人は仕事上mac一辺倒で、いつも会う度に、なぜそんな使いにくいもの(windows)を使っているのかと聞いてくるが、一度macで写真編集をやってみて、その意味が今になってすごく理解できた。
インストラクターさんと話をしていると、画像編集ソフトのアップバージョン版も紹介してくれて、実際簡単な作業をやってみせてくれたが、全画像の閲覧から選択した画像処理への流れがシンプルでかなり使いやすい。しかも15000円程度と安い!これがあれば高価なフォトショップなんか要らない感じ。
折りしも、昨日新型が発売されたところで、値段の割にはかなり良くなっているようで、心が大きく揺れた。

うむ!いよいよノートはmacに変えるか!

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