言いたい事は 隠さず溜めず お互いに言い合えば
そのときはバトルになっても 意外とすっきりして 理解しあえるもの。
それでだめだったら それは そういうものとして受け止めて あとをひく事もない。
私の回りではそれが普通である。
私もジェームズとはそのやりかたでやってきたからこそ
信頼関係もできあがって
本当にいろんなことが話せる いい付き合いができている。
付き合いはじめてからもうすぐ1年のうち
半年以上を 遠距離 で過している私たちには それが必須である。
ジェームズに限った事だろうか?
いや、ちがう。日本でもアメリカでも 長続きする友情 の秘訣はこれである。
だから
そのつどそのつど我慢して
あとになって 私はこんなに我慢しているのに
なんていうのは はた迷惑な話しだし その人の体にだって良くない気がする。
言葉に出さなくてもわかってくれる とか そういう依存性がうっとおしい。
どうしてわかってくれないの って言う前に
わかってもらえるように その都度言うべきである。
言わなきゃわかってもらえないことのほが断然多いのだ。
だから 言葉 ってものがあるんじゃないか。
なんのために 毎日しゃべっていると思っているのでしょう。
コミュニケーションの重要性なんて今更説教されないとわからないものなの?
その都度いうのがいやだから我慢するなんて 結局 常套句ですまされてしまう。
日本人は争いごとが嫌い
意見をはっきり言わない
そういう傾向ってやっぱりあるんだなぁ と実感する。
意見をはっきり言うといっても
もちろん TPOを考えて言うべきではある。
そのへんの加減が難しいんだけれど
英語ってストレートな言語だから
私の場合もともとの性格もあって 慣れてしまえば
日本語より 英語のほうが自分らしさがでるときが多い。
日本語だと 人に勘違いされてしまうときもある。
それでも日本語は とてもきれいな言語 母国語 として 好きである。
争いごとを避けようとすることだって ときには必要かもしれないけれど
やっぱり 自分のためにも コミュニケーションの対象 相手 に対しても
言い合ったほうが 信頼関係というのは築きやすい。
というのが私の信条。でも これをだれかれかまわず押し付けてしまうのが
私の 悪いクセだ。そういうやり方ができない人たちって損してるよなぁ
かわいそうだよなぁ なんて思っておけばいいんだけど。←性格わるっ
もちろんこれは 友達 家族 恋人 に限定した話だから
仕事は別だろうね。ストレスたまるよなー きっと 仕事場での人間関係って。
っていうか もう大学のバイトで思い知ったけどさ(笑)
私がなぜ幸せ者かといえば 2つの文化を客観的に見られること。
アメリカに行ってからまだ2年ほどだけれど
その間に学んだ事は 大学での授業の中に限った事ではない。
なんていう私も もうあほらしくて 意見を言う ことを自分から拒否することが
たまにあって だいたい そのとき は それで済むけど 結局あとになって
ごたごたしたり 自分にストレスが溜まるだけで 全然いいことはない。
人生そんなもんなのかな。いやですね、まったく。
でも こういうときに 自分の事をわかってくれる人 が
ひとりでもいれば 人間救われるわけで
それは だいたい 私の場合 特定の友達だったり ジェームズだったりする(笑)
いろんな強がりをいっても 人間ひとりでは生きていけない。
いろんな人が 交代で私の面倒をみてくれるわけだ。うむ。
今年1年間 どうもお世話になりました。 2001年もどうぞよろしく。 |