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山口敏太郎の妖怪日記

妖怪ライター山口敏太郎の妖怪日記

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2004-10-05 いよいよUMAプロジェクト開始
2004-10-04 猿鬼ツアー・猿鬼伝説
2004-10-04 猿鬼ツアー2・愛知万博
2004-10-04 猿鬼ツアー・駒寄
2004-10-04 猿鬼ツアー・黒川
2004-10-04 猿鬼ツアー・猿鬼歩け歩けウオーク
2004-10-04 猿鬼ツアー4・気多大社1
2004-10-04 猿鬼ツアー1・品川足止め
2004-10-04 猿鬼ツアー・宮
2004-10-04 猿鬼ツアー5・気多大社2


2004-10-05 いよいよUMAプロジェクト開始

Uooとは別件で、UMAプロジェクト開始。来年春の新刊の制作について。絵師は希望するもののみ参加させる方向にする。

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2004-10-04 猿鬼ツアー・猿鬼伝説

ここで猿鬼伝説を整理しよう。猿鬼は元々は大西山に棲んでいた。その姿は、人間でもなく猿でもなく鬼でもない事から「猿鬼」と呼ばれていた。そして、猿鬼は部下の猿を率い田畑を荒らすなど悪事を働いた。そこで大西山近隣の住民が、太鼓を打ち鳴らし、大声・奇声をあげて猿鬼を追い出した。この時、猿鬼はほとほとまいったらしく
「ほとほとと行くや当目の岩屋堂へ、二度と帰らぬ釜ん谷」
と歌を刻んで逃走したという。
 その後、猿鬼一派は、柳田村に本拠をはる。だが相変わらず近隣で悪事を働いたので、出雲で神々の会議が行われ、気多大社を大将、大幡神杉姫を副将にして神軍が結成された。神軍は柳田村まで進軍し、現在で言うと「駒寄」という場所に馬をつないだ。一方 猿鬼は今がチャンスとばかり、配下の猿を使い迎撃した。不意をつかれた神軍は撤退を余儀なくされ、「神和住(かみわすみ)」と今も呼ばれる場所まで逃げのびた。、
 ここで思わぬ問題が浮上する。猿鬼に弓矢効かないのである。実は猿鬼たちは柳田村に移住した後、全身をうるしに塗り固める事を覚え、弓矢を跳ね返す体をつくりあげていたのだ。
(いったい、どうすべきなのだ)
神軍が後退した場所で神杉姫が猿鬼の撃退を考えていると、突如お告げがおりた。
「猿鬼を倒すには、筒矢で射よ」
とお告げであった。筒矢とは筒の中に矢が入ったものである。これで射ると貫通する可能性が高くなるらしい。ちなみにお告げの降りたこの浜を「歌波の浜」という。早速、神杉姫は筒矢をつくり、弓の先には毒を塗った。この毒を塗った場所が「千毒」(現在は千徳)となったのである。
 そして、再び両軍が交戦した。まず猿鬼が不意打ちで、気多大明神に襲いかかった。
(危うし、気多大明神!!)
だが、その刹那 神杉姫の放った矢が猿鬼の左目に刺さった。
「ぎゃーっ」
猿鬼の絶叫がこだました。今度は筒矢で、しかも毒が塗ってある。
見事、弓矢は猿鬼に突き刺さり、毒で苦しみながら猿鬼は退却した。
 千毒川を渡り、野原へ猿鬼は逃走。途中、その左目から黒い血が流れ出た事から「黒川」という地名が生まれた。(異説では神杉姫の刀で斬られた猿鬼の傷から出た血が黒く川を染めたからとも言われている)
 また猿鬼が薬草の車前草(おおばこ)で目の傷の手当てをした場所が「大箱」という地名になったと言われている。結局、逃げまくった猿鬼だったが、最後は追いつめられ、首をはねられてしまった。そして、その首を埋めたところが現在の「鬼塚」となったのだ。その後、村人たちは、猿鬼をあわれと思い、その霊を奉ったのが岩井戸神社(猿鬼の宮)である。


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2004-10-04 猿鬼ツアー2・愛知万博

ホームでうろうろしていると、愛知県で開催される「愛の地球博」の告知イベントで大騒ぎである。そのうちさんちゃんと、けふくん、やいばちゃんとばったり遭遇。金沢狭すぎである。取りあえず皆でお土産あさりに撤する。
佐野くんの話によると もりぞーというキャラらしい。それにしても声が割れて何をいっているのだが…わからん。

http://www.expo2005.or.jp/
愛の地球博


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2004-10-04 猿鬼ツアー・駒寄

次ぎに訪問した駒寄の石碑である。神軍が馬を止めた場所である。しかも、最近までここに村役場があったそうである。
(うむむっ…やはり、権力者側のベースキャンプは、後の世までも「村役場」という中央権力の伝達期間であったか)
体制側、反体制の伝説の場所というのは、現代でも引き継がれていることが多い。


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2004-10-04 猿鬼ツアー・黒川

いよいよ我々一行も、柳田村に到着した。
昔ながらの風景が旅情をくすぐる。まず最初に訪問した場所は「黒川」。
あの猿鬼は血を流して逃げた川である。今も若干黒く見える水面が太陽を反射している。
「この川を渡るとき、猿鬼はなんと思ったのであろうか」
私は人間サイドにより狩られてしまった怪物の末路が哀れに思えてきた。
それにしても、こうして猿鬼伝説を聞いてみると、猿鬼が果たして有害な化け物であったのか疑わしくなってくる。少なくとも、死後神社に奉られたという事は地元住民はさほど猿鬼を嫌ってはいなかったのかもしれない。
 


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2004-10-04 猿鬼ツアー・猿鬼歩け歩けウオーク

 ふと近くのバス亭に目が止まり仰天した。
”猿鬼歩け歩け健康ウオーク”
どうやら、地元では町おこしとして、猿鬼を大会名に使った歩け歩け大会が開催されているようだ。やはり、猿鬼という妖怪は地元のヒーローなんだ。1000年以上の時を越えて奴も浮かばれるだろうな。
 でも、左目やられて逃げ回った猿鬼つかまえて”歩け歩け”はないだろう(笑)奴は怪我人だぜ〜。いや怪我妖怪か。
 


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2004-10-04 猿鬼ツアー4・気多大社1

気多大社(〒925-0003 羽咋市寺家町ク1番地) に到着。この神社の祭神は大国主命だが、今は女性誌に人気の縁結びの神様らしい。かわいらしいお守りなどが目につく。我ら妖怪マニアには不用の物よ。と斬り捨てる中。女性のファッション誌がうずたかくつまれている。いずれも同社の記事ばかり。なかなか柔軟な神社である。それでいて、能登の一ノ宮としての風格・趣・社格を醸し出している。さすがだ。
またこの神社が文献に登場するのはなんと万葉集である。大伴家持が参拝しているというからいかに歴史のある神社かわかるだろう。
http://www.keta.jp/


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2004-10-04 猿鬼ツアー1・品川足止め

一度、北陸につたわる妖怪「猿鬼」の史跡を見てみたい。これはかねてからの願望であった。かつて地元住民を恐れさせ神々に討伐された猿鬼とはいかなる化け物なのか。私は大変興味を持っていたのだ。幸い今回大学時代金沢に住んでいた渡辺たいち氏の主宰ツアーで猿鬼訪問が実地される事になり、二つ返事で参加する事にしたというわけだ。
http://www.ishikawa-c.ed.jp/~toumye/saruonikunndukuri.htm
猿鬼を子供たちがつくっています
http://www.ishikawa-c.ed.jp/~toumye/saruoninoohanasi.htm
猿鬼のお話

さてその前日の10月3日の事。前日の台風接近に一抹の不安を感じながら筆者は妻を伴い金沢に向かった。品川発の新幹線で東海から北陸にぬける作戦である。そして一日早く北陸入りして「肉付きの面」を見るのもプランのひとつであった。だが、無惨にも台風のため新幹線はストップ。あえなく引き返す事に決まった。この中止で妻は気持ちがそがれ脱落、その夜の金沢の宿泊はキャンセルした。
翌日筆者は、朝4時に起き、始発で金沢に向かった。長い道中、ひたすら読書と睡眠に明け暮れたのだが、途中の通過駅で「たけふ菊人形」という看板が目に入った。筆者のサイト妖怪王の常連「キャスパーさん」が坂本龍馬?いや、沖田総司を演じているのはこのイベントか。ほうとうなづきながら、列車は金沢駅へ到着した。
http://www.city.takefu.fukui.jp/hp/kiku/
たけふ菊人形

写真はたけふの駅(通過しただけだが…)


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2004-10-04 猿鬼ツアー・宮

更に降りたあと、山中の川沿いに歩くと、お宮がその流れの横にあった。
「ここが猿鬼の霊を奉ったお宮か」
なんとなく悲しげである。でも雪除けの仕組みであろうか。アクリル版でお宮の前半分が覆われている。まさしく、駕籠の鳥である。自由に暴れまくった怪物も退治されてしまうと気の毒である。


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2004-10-04 猿鬼ツアー5・気多大社2

なんでまたこの気多大社に寄ったかというと、この神社の大明神を大将に、三井の大幡神杉姫を副将として猿鬼が退治されたからである。


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