ワタクシと兄の幼少期に何かが欠落しているとしたら、それは祖父母とのかかわりかもしれません。
母は4歳、7歳で両親と死別していたし、父の両親もワタクシの誕生後まもなく亡くなっています。唯一、父方のおばあちゃんに抱かれた新生児のワタクシの写真が残っていますが、もちろん記憶には残っていません。
小学校の頃、夏休みになると仲良しの友だちが「おばあちゃんちにお泊りに行くの」とうれしそうに言っていました。ワタクシはうらやましいとは思わなかったけど、遊び友達がいなくなることがさみしかったです。
また、ちがう友だちがはやりの玩具を見せながら「これ、おばあちゃんに買ってもらった〜♪」とかいうことばを聞いて、おばあちゃんってあまいんだな〜と思った記憶もありますが。。。(わが家はなかなか欲しいものを買ってくれなかった!)
配偶者は両親と幼くして離れ離れになり、おばあちゃんの手で育てられました。
配偶者と結婚して、やっとワタクシにおばあちゃんができました♪
ワタクシ、配偶者のおばあちゃんが大好きでした。おばあちゃんの天然ボケ、教員をしていた頃の話、配偶者のやんちゃな子供時代の話。。。全部大好きでした。
ただひとつだけおばあちゃんに文句を言うとしたら、おばあちゃんが彼の魚の身をいつまでもむしっていたので、配偶者、今でも魚を食べるのヘタクソなんですよっ!猫でももう少しきれいに食べるでしょっ!というくらいヘタクソなんです〜。
そのおばあちゃんももう亡くなりましたが。。。
というワケで、うちの玉子にとって「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼べるのはワタクシの両親だけです。
ワタクシにとっては「いろいろある」母ですが、玉子たちにとっては無償の愛をそそいでくれる存在のようです。
第三をひどく叱ったとき、自転車に乗ってプイっとプチ家出してしまった彼が逃げ込んだ先はワタクシの実家でした。父からこっそり「第三が来ている」とメールをもらって、ワタクシ安心しました。家出した悪党の孫にごはんを食べさせて、おこづかいまで与えて〜っ!でも、帰る時「ちゃんとお母さんに謝らんなんぞ」とたしなめてくれたらしい父。釣り好きの第三につき合ってくれるのも父だけです。最近ではデートのアッシーも父に頼んでいたことが発覚っ!ドアホ〜っ!
成人した第一をパチンコに連れて行ってくれたり、銭湯に連れて行ってくれるのも父です。父よりはるかに背の高い第一を、声かけしながら、手を貸しながらお風呂に入れるのは、人の目を気にしていたらできないことだと思います。これにはすごく感謝しています。
玉子をつれて実家に行くと、やつらは真っ先に冷蔵庫をあさります。母は「勝手に人の家の冷蔵庫を開けて〜っ!」と文句を言いますが、およそ両親の嗜好に合わない飲み物やデザート類が常備されているのはなぜでしょうか?
ワタクシ、幼少時に友だちが「おばあちゃんちに行く」と楽しそうに言ってたわけを、玉子たちを見てようやく理解することができるようになりました。
彼らにとってそこは「なんでもアリの安全地帯」なんだと思います。
おいしい食べ物とおこづかい、もちろんそれも魅力でしょうが、そんなモノではない精神的な安らぎの場なのだと思います。
そして、孫にとってもそうであるのと同じくらい、両親にとっても孫の訪問はかけがえのない楽しみなのだと思います。
ワタクシにはちょっとうざい距離ですが(となり町)、玉子にとっては自転車で気軽に行ける距離の実家。。。まあいいかな〜って感じです。 |