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ときには機関銃日記

小説書いてまーす

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2003-02-18
2003-02-17 もたくそ物語
2003-02-13
2003-02-12
2003-02-11
2003-02-10
2003-02-09
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2003-02-07
2003-02-06


2003-02-18 W

W 2月18日(火)


わが家の「ダブル受験」。。。午後に届いた第三の吉報で終了しました。

第二も第三も「推薦」で一足早くサクラサクとなったわけで、やっぱり親としては安心しました〜♪

今回の受験では2人とも「芸に助けられた」という感がありますが。。。これまでみんなが遊んでいる時も、塾に行ってる時もひたすら泳いできたのだから。。。そのがんばりに対してのご褒美の「早期合格」だと思いたいです。

なによりありがたいのは、2人とも国立と公立の学校に合格してくれたということ☆特に第二は国立大進学が「県外に出す」必須条件だったので。。。

あらためて、おめでとう♪第二、第三っ!そしてありがとう。
春からは大学生と高校生だなんて。。。なんだかまぶしいよ。

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2003-02-17 もたくそ物語

もたくそ物語 2月17日(月)


その駄菓子屋にはちゃんと「K商店」という名前がありましたが、誰もそう呼んでいませんでした。
「もたくそ行ってきま〜す」と言って玉子たちはこづかいをにぎりしめてその駄菓子屋に通いました。
店番をしているおばあちゃんが「もたもたしているクソばばあ」なので「もたくそ」と言うらしいのですが。。。

いつからそこで商売をしているのかわかりませんが、親子二代でもたくその顧客だったという人もいたので。。。ずっとこの地域のガキのパラダイスだったのだと思います。ときどき「糸つき三角飴」などを玉子にもらったりしました。
遠足の前の日など、もたくその前の狭い道路は子供たちの自転車で埋まります。
決められた遠足おやつの金額内でどれだけ多量の駄菓子を買うか。。。子供たちは
計算しながら駄菓子を買いあさります。

ある日、午後になってももたくその戸が開きませんでした。
「もたくそが死んだ」というニュースはあっという間に地域じゅうにひろがりました。ひとり暮らしのもたくそのばあちゃんは、急病でひとりで亡くなっていたのです。

元気だったころ、もたくそのばあちゃんは売れ残ったミルクパンをノラ猫やスズメに与えていました。いつももたくその前には子供たちと猫と鳥がいました。

もたくそばあちゃんが亡くなって数日後、学校帰りの第三が言いました。
「もたくその前に猫がいた。おすわりしてじっと閉まった戸の方を見ていたよ。スズメもたくさんいた。本当にもたくそ死んだんやね。。。」

それから子供たちはコンビニやスーパーで菓子を買うようになりました。
でも。。。その菓子は衛生的かもしれないけど。。。なんか温かみがないような気がします。
「もたもたしているクソばばあ」失礼極まりない表現だけれど、子供たちは愛情込めて「もたくそ」と呼んでいたのです。思い出をいっぱいありがとう、もたくそ。

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2003-02-13 忙

忙 2月13日(木)


ここんとこ、忙しかったのです。
母が入院してから、なんとなく時間に追われていました。
その母の手術もきのう無事に終わり、折り返し地点を越えたかな〜という感もありますが。。。
はぁぁ〜〜。やっぱり疲れてしまいました。

今日は仕事、お休みでした。お休みだったから忙しかったのか。。。ひぃぃぃ〜。
路上検定の第二を車校まで送り(第二、ようやく車校を終えました〜♪)父と待ち合わせてICUの母に面会(ずいぶん元気になっていました)高校受験を終えた第三をお迎えに行って。。。

そのあと、友人に会いました♪楽しいことがなかったら、ほんとにいっぱいいっぱいになってしまうところでした。
短い時間だったけど、楽しかったです。

最近、疲れているはずなのにあまり眠れませんでした。夜も1〜2時間眠れればいいほうでしょうか。眠いのですが、神経が昂ぶっているというのか、なかなか寝つけなかったのです。ベッドの中で目覚ましが鳴るのを待っていました。

でも、今日は寝たっ☆☆☆夢も見ないで爆睡しました〜♪こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりかも。
そして今も眠くて眠くてたまりません。やっと「忙」の峠を越えたからでしょうか?ピカチュー抱っこして寝ます。明日また4:30に起きなくちゃ。

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2003-02-12 違

違 2月12日(水)


上映されてた時から見たかった「アイアムサム」のビデオを見ました。
知的障害(7歳程度の知能)のシングルファザーと娘の心温まる作品でした。

配偶者が借りてきて、家族で見たのですが。。。
第一の様子がちょっと気になりました。
第一、最近、ジャッキー・チェンやシュワちゃんなどの映画を良く見ます。今回もいつもどおり一緒に見始めたのですが。。。

父親役のショーン・ペンがとてもうまく(というのも変ですが)知的障害者の演技をしていたのですが。。。第一、うつむいてしまいました。明らかに画面から目をそらしてしまったのです。そのうちこたつにもぐって寝てしまいました。
前にも同じことがありました。それはドラマだったのですが。。。やっぱり知的障害者が主人公のドラマでした。その時も第一、寝てしまいました。

第一、映画の中のサムがそうであるように健常者といわれる人たちと、自分が違うということわかっているのです。その「違い」がどれほどのものか。。。私たちにはたいしたことではないのですが。。。

これから、どうしたらいいのでしょうか?このての映画やドラマは極力、第一に見せないように配慮すべきなのでしょうか?家庭内では「タブー」にしなければいけないのでしょうか?
でも、それって逆になんか現実逃避というか。。。差別みたいな気もするのです。

配偶者に言ったら、彼も第一の様子に気づいていました。
「でも、第一が見たくないなら、今日みたいに自分から見ないだろうし。。。ただ、おまえのひと言がイカンかった」
「え?」
「おまえは(ショーン・ペン、すっごくうまく演じているね)と言ったやろ?あれはつつしむべき言葉やった」

軽率でした。すんまそん。

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2003-02-11 願

願 2月11日(火)


先日の水泳大会。ジュニアオリンピックの予選の大会だったのです。
わがクラブ、ちいさい選手の躍進が目立ちました〜♪

その予選会では本レースで惜しくもJO標準タイムに届かなかった選手に対して、大会の最後に「チャレンジレース」という名目の救済措置がとられます。
あと0.何秒届かなかった選手がJO突破を目指し、再レースに挑みます。
その時の会場の盛り上がりと言ったら。。。それはそれはすごいのです。
他のクラブの選手に対しても、会場一丸となって声援を送るのです。

JOタイムを突破してガッツポーズする選手。その横で惜しくも届かず泣き崩れる選手。。。観戦している人も一緒に泣きます。

玉子たちのクラブの女の子でEちゃんという子。本レースで大ベストを出すも、JO標準記録にはわずかに届かず、チャレンジレースをすることになりました。
Eちゃんのお母さんはギャラリー席で応援していましたが、お父さんの姿が見えません。あとで聞いたのですが、娘が泳いでいるその時間、お父さんは「難関突破」のご利益があるという近くの神社に行って願掛けをしていたらしいのです。
お母さんの応援、お父さんの祈り、Eちゃんの勝負根性、すべてがマックスで作用してみごとJO突破となりました。

私もむかし、祈りました。玉子たちが初めてJO突破した時、泣きました。でもそのうち、JO突破はあたりまえみたいな不遜な気持ちになってしまいました。次は第二が日本選手権の標準記録を突破した時にまた泣きました。でも、いつしかそれさえもあたりまえみたいな感覚になってきました。

そんな中、第三はどんな気持ちでスランプのトンネルの中をさまよっていたのでしょうか。泳いでも泳いでも、タイムは遅くなる一方。。。ライバルたちには追いつかれ、追い越され。。。

先日のレースを見て、私も初心を忘れていたことに気づきました。
「期待」はしません。でも「願い」はします。第三が水泳が楽しいってこと思い出してくれることを。

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2003-02-10 閉

閉 2月10日(月)


わりと利用していた大型スーパーがもうすぐ閉店します。
22年間、地域の大型店としてやってきましたが、近年、もっと大型のスーパーがあちこちにできて、運営が厳しくなったからだそうです。
そりゃあ、私は運転もできるし、そのスーパーがなくなっても別の大型店に行けばいいわけですが、やっぱりその地域の住民、とりわけお年寄りなどは困ると思います。
ここんとこ閉店セールをしていたので、いつ行ってもにぎわっていました。
いつもこれだけのお客さんが来ていたら閉店になんてならなかったかもしれないのに。少しむなしいような、申しわけないような気持ちになりました。

そのスーパーの入り口の横に「インスタント証明写真」のボックスがあるのですが、なんとそのスーパーの従業員のおばさんたちが列を作っていました。
再就職のための履歴書用の写真を撮っているのだと思います。
この時期、中高年の再就職は難しいと聞きます。。。

そのスーパーのラーメン屋さんは閉店が決まったころから、感謝価格としてラーメンを200円で出していました。麺が二つ入った「学生ラーメン」は300円でした。これが食べられなくなると思うと、とってもさみしいです。
よく配偶者と食べたあんみつ。。。ミスド。。。
隣接するペット屋さんで、ワタクシ、いつもイグアナを見ていました。
配偶者が「メジロ」を買ったのもここです。

「閉店」。。。なんとなくさみしいことば。
あ、ワタクシまだ「閉」ではありません、念のため。

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2003-02-09 終

終 2月9日(日)


今日は第二のこの県での最後のレースでした。
私、あんまり行きたくありませんでした。
だって。。。第二の泳ぐ姿。。。ずっと見ていたかったから。
第二は春から関東の大学でまた水泳を続けるけど、これまでみたいに応援できなくなります。やっぱりさみしいです。

第二が選手になったのは8歳。それから10年間。。。本当に水泳一色のわが家でした。一時期は、ステージママならぬプールサイドママになって周りが見えないほど水泳にのめり込みました。試合はもちろん、毎日の練習も見学していました。
玉子の泳いでいる姿を見るのが大好きでした。

第二ははじめはバック(背泳ぎ)の選手でした。コースロープにぶつかりながら短い腕を懸命にまわして泳いでいました。初めてジュニア・オリンピックに出たのもバックでした。
それから個人メドレーの選手になりました。

今日、第二の最後の種目はバックでした。
バックで始まり、バックで終わった第二の水泳観戦。。。
またコースロープにぶつかっていました。小さい時とおんなじ。。。おバカ。

帰りの車のなかでしんみりと第二に言いました。
「ねえ、キミはバックで始まり、バックで終わったね〜」

「そしてバックを覚えた」
このバカ息子っ!とっとと関東に行ってしまえっっっっ!あほ〜〜っ!

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2003-02-08 金

金 2月8日(土)


先日、高校が受験のために自由登校になると同時に第二は髪を染めました。
「今回は思いっきり明るい茶髪にするわ♪」
一本のブリーチで男の子だったら2人できるので第一が帰ってくるのを待って染めました。

結果。。。完璧な金髪の玉子がふたりでき上がりました〜♪ぶっ☆

「こんなヤンキーみたいな金髪になるはずじゃなかった。やべぇ〜!」
だって、キミが買ってきたブリーチの箱には「超明るい茶色」ってちゃんと書いてあったじゃないですか?
「こんな金髪じゃ、車校も行けん。スイミングにも行けん。コーチに怒られる」
案外、根性なしでした、第二。

次の日、またまた少し控えめな色のヘアカラーを買ってきました。
まあ、前の金髪よりはちょっとだけアッシュ系の茶髪にはなりましたが。。。
また、半分の液が残りました。そこで。。。
「お母さんも、ちょっとメッシュにしてみようかな〜。」
ということになり、第三が染めてくれました。
「俺、けっこうこういうこと好きや〜♪」
と言いながら、私の髪に液をつけてくれる第三。
えへっ♪玉子に髪、染めてもらうのも悪くないな〜。ふふん☆いい気持ち〜♪

で、みごとな金髪になった第一。連絡帳によると、作業所の朝礼でみんなギョッとして、その後笑いが。。。でもそのうち見慣れてきて誰も気にしなくなったということでした。第一、ますます山咲トオルに激似です〜♪あはは、親ばか〜〜。

似合う、似合わないは別として金髪も悪くないんじゃないっすか〜。

第二、卒業式の時だけは黒スプレーたのみます。

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2003-02-07 群

群 2月7日(金)


私が小学校6年の時のクラスにはふたつの女子のグループがありました。私をふくむ数人がどちらのグループにも属さない集団を作っていたので、はたから見れば三つのグループに見えたかもしれませんが。。。

その2つのグループと私たちの集団の大きな違いは「リーダーがいない」「決まったアジト(この場合、誰かの家)がない」「掟がない」「仲間はずれを作らない」ということでした。
反目し合う二つのグループのメンバーは口をきくことすら禁じられていたようでした。私たちはどっちのグループともおしゃべりしましたが。。。

ついにある日、抗争が起きました。給食時間に担任がふたつのグループのメンバーを教室の前に並べ、全員にビンタをくらわしました。男子と私たちはし〜んと静まり返って冷めたクリームシチューを音をたてないように食べていました。あの味は今でも忘れられません。

ひとりの女の子が、そのグループ内でいじめられました。内部抗争です。はじき出された彼女は自然に私たちと行動をともにするようになりました。
その年の(翌年か〜)お正月に、彼女から届いた年賀状に書かれていたことば。。。
「Mちゃん(わたし)たちのグループに入れてくれてありがとう」
私、不思議でした。なんで「ありがとう」なんだろう?私たちはグループじゃないのに。。。でも、彼女は居場所が欲しかったんだね。。。

私は男の子ばかりだから、あまり「仲良しグループ」みたいなものには縁がありませんでしたが、女の子を持つ友人はよく子供の友人関係のことを心配していました。女の子は群の中にいることで安心するのでしょうか?

ところがっ!子供の世界だけではないのです。おばさんと言われる年齢になっても、女が集まる職場では必ずといっていいほど「仲良しグループ」ができるのです。ちゃんとリーダーがいたりして。。。

本当に女ってヤツは。。。うざい生き物ですわ。。。

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2003-02-06 愚

愚 2月6日(木)


あのですね〜。きのうの日記にも書きましたが実家の母ってすぐになんでも買っちゃうのです。
特に「健康」という殺し文句にすこぶる弱いときたもんだ。

母が何かを買おうと思ったら、やっぱりかなり値がはるものについては父に相談するのですが、父の答えはいつもこう。。。「おまえがいいと思ったんなら買えばいい」
お父さん。。。あなたのそのひと言でこれまで幾多の不用品が物置に眠ることになったかご存じですか?

ある日、テレビショッピングで金魚運動なる妙な運動をさせる「ゆら○ら健康器」なるシロモノが紹介されていました。ワタクシ、いや〜な予感がしました。

翌日、母から呼び出されました。
「テレビショッピングでやってたゆら○ら健康器買ったから、じいちゃんにはアンタに買ってもらったことにしといたからね」
「は〜?なんで私が買ったことになるの〜?」
「いいからっ!アンタに買ってもらったことにすればじいちゃんも文句言わんから」
「そんな〜。私、そんなくだらん物、絶対買わないし〜」
「アンタにも貸してあげるからっ」
「やめてよ〜〜。そんな事後承諾。。。迷惑や」

これまで、だいたい母がなにを買おうとしても、父は反対しませんでした。
その父に嘘をついてでも買おうとするということは。。。母自身もその商品に不安があるんじゃないでしょうか。だから勝手に私からのプレゼントにしてしまう。。。
いいかげんにせいっ!!
そんなあやしいモノ、私が買うはずないやろっ!
私がプレゼントするとしたら「万歩計」か履きやすい「ウォーキングシューズ」だっ!

それでも「ゆら○ら健康器」を手に入れた母。3日目で腰を痛めて病院に行きました。病院の先生にも「あれは腰が痛くない人でも腰を痛める器具だ」と言われ「でも、せっかく娘が買ってくれたモノでしたから。。。」と言ったとか。。。

お母さん。。。これまで架空の娘に買ってもらったモノって物置にどれだけ眠っているのですか?

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