縛 12月21日(土)
たぶんこの日記は削除するだろうね。読んで不愉快になったらごめんなさい。
私は実母から逃れたい。今の正直な気持ちです。
母との確執を書くときりがない。。。書くと後悔するだろうね。
でも、あの人の異常な行動には何度も泣かされました。
今の会社で働き始めて数年たったころ。。。どうしても仕事が終わらなくて珍しく長時間残業になったことがありました。ちょうど冬休みで玉子たちは家にいたので「どうしても帰れないからお腹すいたらカップめんとごはん食べていてね」と電話しておいたのですが。私の留守中、何度も母から電話があったらしいのです。「お母さん、まだ仕事」と答える玉子に「あんた達、ごはんは?」「カップめん食べた〜♪」
上司が仕事場に来て「mooさん、もう帰って」と言う。「え?もうすぐ終わりますが」「いま、お母さんから電話があってすごいケンマクで怒鳴られた。。。」電話を受けたのは係長で、受話器からもれる母の怒声は事務所中に聞こえたとか。「子供がお腹すかしているのに、母親を何時までも帰さないとはけしからん」という内容だったらしい。。。私、仕事やめざるを得ないと思いました。恥ずかしくてもう続けられないよ(といいつつもまだ勤めていますけど)
もうひとつ。。。ことばの遅かった第一が特学に通っていたころ、先生と私との間でちょっとしたもめごとがありました。まあ、あの頃私も若かったし学校で泣いてしまったのです。
家に帰ってきても沈んでいると、運悪く母から電話が。「あんたどうしたん?」と問われるままに今日のできごとを母に泣きながら吐き出してしまったのです。ちょっと母に甘えたかったのかもしれませんが、あさはかな行動を今も悔いています。
激怒した母がその後、どうしたかもうおわかりでしょう?当事者の先生に電話かけて怒鳴ったそうです。。。
交通事故で入院した私。手術室に向かうストレッチャーの上の私に「玉子のことは心配せんでもいいからね。がんばっておいで」と言ってくれた母。
いきなりわんぱくな3人玉子の世話を任された母。。。大変だったと思います。やっぱり母ってありがたいって思いました。
ひざを複雑骨折してじん帯も切断していたので、当初から4ヶ月はかかると言われていました。私もはやく家に帰りたかったので吐きそうなほどつらいリハビリもがんばりました。で、松葉杖で病院の周りを散歩したりできるまでに回復したころ、突然婦長さんが暗い顔でやってきました。
「まだリハビリ途中なので退院はさせられないんだけど。。。明日、退院してください。いま、お母さんからお電話があり。。。」
これは親しくなった看護婦さんから聞いたのですが「うちの娘、もう退院できるのに病院がもうけるためにいつまでもひっぱっている」という内容の電話だったらしいのです。私、この足の状態で家庭生活できる自信なかったのでもう少し入院させてくださいって頼みましたが、婦長さんは首を振りました。
母さん、私が嫁いで何年たったかわかりますか?私はもう母であり、妻であり、主婦であり、外では社会人なのですよ。そりゃあ、ずっとあなたの娘であることには間違いはありませんが。今はそれを拒否したい気持ちなんです。
なんで、もっと認めてくれないの?自立したひとりの人間と見てくれないの?
むかし、兄にのみそそいでいた愛情を拒否されたからといって、まんま私に向けないでくれない?愛情の向けるべき相手は一番近くにいる父でしょう? |