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須木成の「七転び八起き」

〜むかし成田山の占い師に「あんたは大器晩成」って言われたっけ。あせらずに、一歩一歩〜

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-12-07 女満別
2004-11-24 風景論
2004-11-23 生きていく密度
2004-11-15 つくづく僕はおバカやなぁと思う夜
2004-11-12 あなたに出会えていなければいまの自分はないといふこと
2004-11-05 今日のメール
2004-10-28 僕の「即決」くん♪
2004-10-24 やさしさに包まれたなら
2004-10-20 いつくしみの光
2004-10-16 国際福祉機器展と水俣病の最高裁判決


2004-12-07 女満別


最近、月1回の研究会を開催していて、そのテーマやゲストを決めたり、結果をレポートにまとめたりしていると、一日24時間が、あっという間に過ぎてしまう。

って、パソコンを前に、書けない書けないと悩んでいる時間が大部分なんだが(爆)


再来週、久しぶりの北海道への出張が入ってきた!

北見に行くので、利用する空港は女満別。

おぅおぅ、オホーツクへの玄関口ではないかっ!


前日入りの22日の午前中が仕事なので、23日の祝日までいようかなぁ。。。

海の幸がうまいんだろうなぁ。。。温泉とかもあるのかなぁ。。。

さっきから、レポートのまとめそっちのけで、インターネットで検索してたりして(笑)

近くにはサロマ湖も屈斜路湖も、あの阿寒湖まであるではないか!

網走も近いし。


健さん気取って、ちょっち骨休めしてこよっかなっ♪

先頭 表紙

あるまじろさん♪ここんとこ急に冷え込んでるみたいですよねぇ。雪道用の靴、どこにしまったか、また転んでお尻に青アザつくりたくないので、なんとか探してみるっす! / 須木成 ( 2004-12-18 00:51 )
みなみさん♪流氷はさすがにまだみたいなんですよぉ! 網走刑務所行って、ちょっち健さん気取ろうかと(←完全なお○鹿) / 須木成 ( 2004-12-18 00:49 )
ねんねこ先生♪とりあえず、泊まるのは止めましたが、お昼で仕事が終わるので、網走まで行ってみようかな、と。。。 / 須木成 ( 2004-12-18 00:47 )
僕はつい一昨日、北海道の出張から帰ってきました。北海道は雪の便りもようやっとで、冬本番のいい感じです。 / あるまじろ ( 2004-12-15 00:03 )
「女満別」のタイトルに見事釣られました。大学の卒業旅行に、道北オホーツクへ行ったのです☆ 網走刑務所、流氷船、温泉、エトセトラ。楽しかったなぁ。北方民族資料館がおすすめです。 / みなみ ( 2004-12-10 22:34 )
シラウオの踊り食いが美味いで〜 たんと北の味覚味わって帰っておくんなさい。 / ねんねこ先生 ( 2004-12-08 15:40 )

2004-11-24 風景論


昔、柄谷行人の、確か「日本近代文学の成立」みたいなタイトルの本を読んで、そのなかにあった風景論にいたく共感したことを思い出した。


風景とはかつて、人間とは切り離された外部としてあった。

しかし、近代絵画や近代小説が、風景に内部を、すなわち心象を映し出す鏡としての風景を見出してから以降は、風景(外部)は変容してしまった。



記憶違いだったらゴメンなさい(笑)
でも確か、こんな類の言葉が書いてあった。


これで言うと僕が彷徨っているのは近代絵画や小説の世界。
内部の心象風景と、外部の物理的な風景とが混濁している。

最近は、本当に、リアリストになりたいと思う。
以前はロマンチストでいいやと思っていたけれど、
固定された現実を変革できるのは、ロマンチストの精神を保ったままのリアリストでしかありえないと、本当にそう思う。

リアルであるということは、現実を瞬間に理解し把握できる目を持っているということで、それは仏蘭西のランボーが言う、見る人、ということだと思う。


※写真は六本木ヒルズを西麻布方面から夜仰ぐの図。
 日本の甲冑をイメージして設計されたというそれは、まさに砂上の楼閣、バビロンの城のようでした。

※そのまま六本木交差点方面に向かってムツカシイ顔して歩いていたら、
 「おっぱい吸って舐めて揉んで40分7,000円ポッキリ!」
 と言い寄る客引きのおにいちゃんに遭遇して現実に引き戻されました(◎o◎)/~

先頭 表紙

クラッセさん♪僕も現実逃避得意っす!(爆) なかなかリアリストにはなれないっす(笑) / 須木成 ( 2004-12-07 22:54 )
随分難しそうな本を読まれるんですね。私は年々ロマンチストになってるような気がします。早い話が現実逃避ですね(苦笑)。見たくない現実ばかりで・・・とほほ。 / クラッセ ( 2004-11-29 17:54 )
kotarou(♀)さん♪ 財布の中身を確認したって??? ハハハ、それは秘密でしゅ ( ̄∇ ̄;) / 須木成 ( 2004-11-29 00:51 )
現実に引き戻されて、財布の中身でリアルになった? で、行ったの?そうか・・・行ったのか・・・40分間吸われて揉まれて舐められてじゃ結構苦役だよね。これまたリアルな現実( ̄∇ ̄;)ハッハッハ  / kotarou(♀) ( 2004-11-25 21:13 )

2004-11-23 生きていく密度


もう惑わないと言われる歳を過ぎても、
日々、頭のなかはいろんな想いや感情で一杯イッパイ。

なんだかなー。。。


富士山に登ると決めた人だけが富士山に登ることができるんだよ、
なんて後輩に毎日言ってたのに、ふと振り返ると、みんな自分の山に登ってて、
なんだか自分だけが取り残された気分・・・

言葉で理解していることと、その言葉の真の意味を生きることとは違うんだよね。

言葉に酔いやすい僕は、いつも同じ過ちを繰り返す。

言葉は、怖いなぁ。。。


こんな感情を抱いている自分を見つけて、なんだかとても寂しかったし、
そんなことはないよ、おまえがやろうとしていることは、とか、
おまえがいままでしてきたことは、なんて、
自分で自分を叱咤激励しようともしたけれど、
その感情の根っこをやっぱり曖昧にしてはいけないね。


前の社長が死んで、同窓会+偲ぶ会的な催しの話が自然発生的に出てきたけれど、
それぞれの想いや立場の違いが本当に万華鏡のように異なっていて、なんとも言えなかった。

この週末、飛騨で○○さんを偲ぶ会があったけど、やっぱり、というか当たり前だけど、本当にいろいろなスタンスというか、温度差も含めて、人間模様があった。


なんと言えばいいのか、ここんところ、自分のなかの密度が変化しているような気がしている。

なんてね、実際のところは相変わらず仕事に追われたり、夜中まで打ち合わせと称しておいしい料理とおいしいお酒を飲んでいるだけなんだけどさ(笑)。


言葉は自分を縛りもするから、少し言葉を外れて見る人になりたいと思う。

見る人というより、見ることができる人、ということかな。


もちろん、それは自分も含めてなんだけどさ、
それが一番難しかったりするんだよなぁ。

自戒の念を込めて。。。

先頭 表紙

ねんねこ先生♪動くのだけは自信があるのよ! というか、前に進むだけが取得だし(爆) だからそろそろ、ちゃんとした羅針盤を身につけたいと思ってね♪ / 須木成 ( 2004-11-24 06:05 )
見てるだけ〜♪ 動けよ。 / ねんねこ先生@語らず動く人になりたい ( 2004-11-23 20:39 )

2004-11-15 つくづく僕はおバカやなぁと思う夜


先日のお通夜の席で、みんなバラバラになってしまったけれど、これを機会に年内に一度夜に会おうという話になって、早速、幹事役をお願いしたしっかり者の元社長秘書からメールがまわってきた。

できたら(断られなければ)社長の奥様もお招きして一次会は社長を「偲ぶ会」として、二次会はまぁ飲み会かな、ということで返事を書いたら、もう日程が決まりそうな勢いに。


で、冷静に自分の人生をふと出張中の新幹線のなかで振り返っていたら、なんだかホントに僕はおバカなんだなぁと、笑ってしまった。


初恋の女の子が中原中也の詩が好きだと聞いて、中也の詩を読んで、彼の恋敵の小林秀雄にはまり、ヘッセが好きだと聞いては「デミアン」(ヘッセの中期の傑作ね♪)にはまり、図書館で何度も何度も読み返し、結局は大学はドイツ文学科に進んでしまった。

彼女は大学は現実的な学科を選択し、しっかり学校の先生になって同僚の方とあっという間に結婚してしまった。


大学で好きになった女の子が広告研究会に入ったので、僕も追いかけるように広告研究会に入った。糸井重里や仲畑貴志に憧れて広告業界に就職したら、広告研究会から広告業界に入ったのは僕一人だった。肝心の彼女は、児童出版社に行ってしまい、やっぱり数年で結婚してしまった。


〜中略〜


僕はただ名刺に名前が書いてあるだけのコンサルタントというか、そういう存在になりたいと言っていた社長に憧れて、僕も頭ひとつで食べていける人間になりたいと独立して仕事をはじめたけれど、そんなことが簡単にできるはずもなく、傷だらけ(の天使)というのはきれい事で、泥と汗と涙とうんP(←まーこさんとこから借用してきました<笑>)まじりみたいな生活をずっと送ってきた。

気がついたら後輩は特殊な業界向けの出版業や医療情報のベンター、中国で工場を立ち上げたりしているベンチャー企業になっていた。


あまりにオバカで、笑うに笑えない。。。(笑)。。。


踏まれては立ち上がる  君に憧れて  君になりたくて


これはゆずの曲だけど、一番憧れたジョンのようにミュージシャンになろうとは一度も思わなかった。

だって、指が短くてギターのコードのFが押さえられなかったのと、音痴だったから(爆)♪

先頭 表紙

あるまじろさん♪ホントに本当? いまからでもミュージシャンへの道、間に合うかなぁ(爆) / 須木成 ( 2004-11-24 06:03 )
うつぎさん♪そのお気持ち、感触、とーってもよくわかりましゅ(爆) / 須木成 ( 2004-11-24 06:01 )
ねんねこ先生♪昔から現実が見えなくて・・・ / 須木成 ( 2004-11-24 06:01 )
自分であきらめたギターを一緒に弾いてくれるセンパイのおかげで再び始め、いまではやっとFも押さえられるようになりました。何のきっかけであきらめたことが復活するか分かりませんねえ。 / あるまじろ ( 2004-11-17 00:57 )
ギター弾けたら格好いいなあって思ってたけれど、弦が死ぬほど固くて、5分でやめました(^-^; / うつぎ ( 2004-11-16 20:50 )
いがったねぇ・・・ストレートな現実が先に見えてて(指が短い・・)寄り道が1箇所減ったじゃん。(爆) / ねんねこ先生 ( 2004-11-16 17:36 )

2004-11-12 あなたに出会えていなければいまの自分はないといふこと

毎日まいにち、日記に書きたいことはたくさんあるのに、ついまたシトリごとになってしまうかなぁなんて躊躇しているうちに、しばらく間があいてしまいました。

またまたこんな話題で恐縮ですが、今夜は僕が独立するまでの11年間勤めた会社の社長さんのお通夜に行ってきました。そしてまたまた、享年74歳でした。

この夏に○辺氏を、この秋にばあちゃんを送り、もう当分ないよねとクリーニングに出していたスーツを慌てて引っ張り出してきて。。。


思えば僕がまだ24、5歳の若造で、自信と勝気と、向こうみずなところと世間知らずなところが同居しているだけだった頃、どういうわけか引き立ててくれて、大きなプロジェクトをガンと任せてくれたり、海外の国際会議や研修に送り出してくれました。

豚もおだてりゃ木に登るで、まるで乾いたスポンジが水を吸い込むように、毎日が楽しくて楽しくて、朝の8時から夜中の10時、11時まで、仕事に没頭していた時期がありました。気がつけば社内のトップセールスを記録し、実質ナンバー2にまで取り立ててもらったのでした。

それはそれは厳しいボスでしたが、実は愛情は細やかで、ただ、その表現の仕方がわからない人にはわからないという感じでした。

だけどその後、僕もなんだかんだといろいろあって、社長とも歯車が噛み合わなくなり、跡は濁さないまでも砂をかけるように退社して、独立しました。

以来、一度も会うことはありませんでした。


で、今夜、久しぶりの同窓会みたいに同期や後輩に会ったら、会社を出た奴はみんな揃って例外なく経営者というか自営というか、おまえもシャッチョさん? みたいな感じになっていて、あぁ、あの頃は僕らは生徒で、あそこは本当に僕らの学校だったんだなぁって、しみじみとあの頃を思い出しました。

こうやって、昭和一桁の世代が終戦後の混乱のなかから身につけてきたものを、僕らの世代が受け継いでいけたらいいのかなと、そんなふうにも思いました。


あなたに出会えていなかったら、いまの僕はなかった。

会社を辞めて自分一人で仕事をはじめると言ったとき、「おまえは経営者には向いていない!」と言われましたが、社長! それは本当でしたっ!(爆)
後輩のほうが、みんな会社をおっきくしてるんだもんね(涙)

だけどね、社長! 僕のボスはあなただけって(あるいはもうボスは懲り懲り?(笑)って)、そう思って、もう誰かの下にはつかないって、そう思っていたんですよ、僕は。。。

先頭 表紙

みなみさん♪ホントにそこには、なんかキラキラした時間がありました。それを人は学校と呼ぶのだと思います。獏さんがいた学び舎も、宝石のように光り輝いているんでしょ♪ / 須木成 ( 2004-11-15 23:01 )
まーこさん♪へへへ、照れまんがなぁ・・・(*´∇`*) / 須木成 ( 2004-11-15 22:53 )
わたしは「あの頃は僕らは生徒で、あそこは本当に僕らの学校だったんだなぁ」がイイなぁ……素敵です。かけがえのないものをその会社で作られたんですね。 / みなみ ( 2004-11-15 20:41 )
最後の二行・・・イイなぁーとっても(*´∇`*)  / まーこ ( 2004-11-14 03:28 )

2004-11-05 今日のメール

毎日いろんなメールが来ます。情報過多の時代に情報を選択することは難しいのですが、やはり情報リテラシーは必要だと思いました。


ブッシュ vs ケリー

やはり、というのか、なんでなんだ、というのか、ブッシュ大統領が再選されました。

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午後になると各メディアからは「ケリー優勢」という雰囲気の報道が漠然と流れるようになってきました。例えば「ブッシュ陣営は敗北宣言のスピーチ原稿を用意したらしい(NBCのノラ・オドネル)」などというコメントです。

〜中略〜

ただ、この頃からこれらの3州での投票締め切り時間が延びそうだという報道が入り始めました。基本的には両陣営の立会人が有権者の資格に「疑義」を唱えると、その結果として投票所で本人の資格審査が行われるのです。特にオハイオでは投票まで5時間待ちとか9時間待ちというケースまで出ているのだそうでした。

その「立会人」ですが、日本のように静かに投票を見ているのではなく、ワシントンから送り込まれた「プロ」が選挙区の町の様子を丹念に調べておいて「町のムードとは合わない人」が来ると猛然と「疑義」を唱えるというような「手口」を使うのだそうです。特に「白人居住区なのに、黒人のグループが投票に来た」というケース、「中流の上の住宅地なのに、労組関係のような人が来た」という感じだと、徹底的にやるのだと言います。結果的に、本人証明のあいまいな有権者の票は「保留票」となるのですが、とにかく、これで時間が異様にかかっているということでした。
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民主主義が最も進み、世界のポリスを自称する国が、発展途上国の選挙のような妨害があったり、世論を操作するような報道が選挙時間中にあるなんて、驚きです。


小千谷から
「大人用紙おむつ」「女性用生理用ナプキン・パンティライナー」「カイロ」を送ってください


新潟の地震災害地にボランティアで行っているという方からのメールがいくつも転送されてきました。

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現場はまだまだ混乱しているし、人出も足りていません。そんな状況下で、マスコミの取材陣が50人近く現場付近を陣取っています。小千谷市役所の正面に車を止めて、そのために、救援物資を運ぶトラックは遠くに止めることしかできず、ボランティアの人たちがせっせと現場に物資を運んでいますが、報道陣は、それを手伝う気配すらありません。

心労と肉体的疲労が積もっている被災者のかたがたに、当然のようにマイクを向け、24時間カメラをまわし続ける神経もさっぱり理解できません。現地では今、「大人用の紙おむつ」が不足しています。「赤ちゃん用の紙おむつ」は足りています。

あとは、トイレが使えなかったり、下着をかえられなかったりするので「パンティライナー」があると重宝しますが、こちらではもう品切れで手に入りません。

夜の寒さが厳しいです。お年寄りは使い捨てカイロをもむことすらできないので、「貼るカイロ」が必要です。マスコミの仕事は、こういった情報を伝えることだと思うのですが?

午前中にも、数名の政治家さんが小学校に来ましたが、トイレはどこかとたずねられ、仮設トイレを案内したところ、「わたしに仮設トイレを案内するつもりかね?」と、いわれたそうです。

いったいこの国は、どうなっているんでしょう....。
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この国だけでなく、どこもかしこもおかしいのかもしれないけれど、そういう自分こそおかしく見えてるかもしれないぞと、自問自答する僕でした(笑)。

先頭 表紙

チョコさん♪なんか、テレビで見ているだけではわからないことって、いっぱいいっぱいありますよねぇ。だけど、全部が全部、わかるのは無理だしぃ。。。 / 須木成 ( 2004-11-12 01:26 )
お久し振りです。主人の実家も新潟でしたが、今回は幸い被害のある地域ではありませんでした。でも、マスコミの取材にはあちらの友人たちも憤っていますよ。TVでみていても、だんだん腹の立つものが増えている気がします。「家がなくなってどうですか?」って、どういう答えをさせたいのか!?阪神の震災の時も女性用の生理品の重要性を指摘されていましたね。 / チョコ ( 2004-11-05 22:06 )

2004-10-28 僕の「即決」くん♪


へへへ。

先日、ついついオークションで、ポチ、しちゃいましたぁ・・・


バイクの盗難にあって数年。
しばらくずっと我慢していたのですが、なんだか呼ばれた気がして、ついつい、気がついたら希望落札価格をポチっと。。。


名義変更も終えて、結構快調に相棒と一緒に都内を走っています。

僕を助けてくれるターボ・チャージャーということで、名前は「ターボくん」にしようかと思ったんだけど、やっぱり名前は「即決くん」にしようかと思います!


走れ、即決くん(笑)!

先頭 表紙

ねんねこ先生♪ 僕もそれは少しは考えたのですが、いかんせん、この指先がポチっとな、しとりましたぁ(爆)。でも、まじんこでかなりリーズナブルな価格でしたわん♪ / 須木成 ( 2004-11-05 01:19 )
あるまじろさん♪ なんか気づいたらかっとんでます(爆)! / 須木成 ( 2004-11-05 01:16 )
うげげげ・・・@@;小心者の私には万の単位の入札はこの上なくオトロシイ。バイクなんてあーた命を預けるもんなんて、試乗して試乗して乗り倒して・・( ̄ω ̄;)!! でも、調子いいようで、おめでと〜 / ねんねこ先生 ( 2004-10-31 16:18 )
かっとびそうですね、黒いいですね。 / あるまじろ ( 2004-10-29 00:35 )

2004-10-24 やさしさに包まれたなら


先日、深夜にテレビをつけたら(←いっつもやん! 仕事せんかぁ!)、飯倉にある『キャンティ』というお店の歴史を探るような変な? 番組をやっていました。

加賀まりこが、ムッシュかまやつや岸恵子、井上順や堺正章、そして松任谷由実が現れて、キャンティの思い出を語っていました。

僕は知らなかったのですが、ここのオーナーは川尻夫妻という方々で、英語はもちろん、フランス語やラテン系の言語に堪能な奥様と川尻氏が出会ったのはヨーロッパ。その後、二人は結婚され、1960年、飯倉片町に『キャンティ』という名のお店をオープン。当時、都内にはイタリアン・レストランというものは皆無に近かったらしいのですが、二人は豊富な海外経験をもとに、美味しい料理を供すると同時にここを主人と客同士が語り合い、くつろげるヨーロッパ風のサロンにしたいと考えたそうです。店の設計は、川添氏の友人で、ル・コルビジェの最後の弟子といわれる建築家の村田豊が担当し、店内のインテリアは、かつて彫刻家を志ざし、エミリオ・グレコのモデルをしたこともある梶子さんが担当。居心地のいい、まるで夫妻の居間のような店内には、開店当初から様々な作家、芸能人、デザイナー、文化人らが集まり、一流の大人たちの溜り場となりました。三島由紀夫、安部公房、黒澤明、岡本太郎、小沢征爾、黛敏郎、浅利慶太、篠山紀信、ミッキー・カーチス、加賀まりこ、安井かずみ、かまやつひろし、そして中学生の松任谷由実など。なんだか羨ましいような空間でした。

そのなかでとても印象深かったのは、川尻氏の奥様は『タンタン』と皆から呼ばれていたそうです。タンタンとはスペイン語(だったかな?)で、おばさん、という意味で、実は川尻氏は再婚で、前妻の息子さんが二人いて、その二人を前に梶子さんは、「私のことはおかあさんと呼ばなくていいのよ。これからはタンタンと呼んでね」と言ったのだそうです。以来、お店の常連さんも、皆がこのお店のマダムのことをタンタンと呼び、慕ったのだそうです。

で、松任谷由実がナビゲーターというかナレーションを入れていたのですが、最後にムッシュかまやつやアルフィー、なんとか竹善をバックに、「やさしさに包まれて」を唄っていました♪


先日ようやく、懸案の(Z旗!)大型のプロジェクトを受注できました。不思議なものでそれと前後して、懐かしい方から仕事を継続中の方、そしてお初の方に到るまで、なんだか徐々にですが、いろいろお声をかけていただく機会がありました。

それはなんだか1999年の頃に似ていて、仕事になりそうか、お金になりそうかということよりも先に、目の前にいただいた問いに対して、とにもかくにも誠実に対応しようとした積み重ねが新しい窓を開いたということを実感したと年のことを思い出しました。

そう、そして、その頃によく聞いていたのが、きらめくようなメロディと心躍るような歌詞の、ユーミンの「やさしさに包まれて」だったのです。


小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても奇跡は起こるよ
カーテンを開いて
静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことはメッセージ

小さい頃は神様がいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱開くときはいま
雨上がりの庭で
くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことはメッセージ



※写真は牛腸さんの遺作、『幼年の時間(とき)』からです。

先頭 表紙

まーこさん♪ホントぉ??? 結構、ブリブリしてたような気配が(笑)♪ / 須木成 ( 2004-11-15 22:52 )
ブリブリならしてないよぉーー。ちゃんと普通の車で制限速度内に走り、ゆったりカーステレオ聴きながら歌詞に浸ってましたゎ(笑) / まーこ ( 2004-11-05 11:02 )
あるまじろさん♪おぉ、↓のまーこさんや僕とは世代がひとまわり以上違うんやねぇ(笑) その当時の彼女とか、ここに書いちゃってもいいのん? / 須木成 ( 2004-11-05 01:15 )
まーこさん♪ >中央フリーウエイ車でぶっ飛ばしたっけ・・ って、もしかしてその頃かなりブリブリならしてた(爆)??? / 須木成 ( 2004-11-05 01:12 )
僕の時代は冬にスキー場に行くときには必ずゆーみんでした。色々な思い出とともにその当時の彼女のこととか思い出しました。 / あるまじろ ( 2004-10-26 19:31 )
ユーミンかぁー。そういや19歳位の頃の友達が「高校から付き合ってる彼が冷たい」って言うから『卒業写真』の歌詞手紙に書いて送れってソソのかし、彼女送ったら そっくりそのまま彼氏から返送されてきたなぁー←彼女には悪い事したなぁ〜でも、その彼と彼女・・結婚したからイイカ(笑)競馬場・ビール工場・・・ハイッ中央フリーウエイ車でぶっ飛ばしたっけ・・(もち助手席) 懐かしかぁですなぁー。 / まーこ ( 2004-10-26 00:56 )
ねんねこ先生♪ >魔女の宅急便 >あぁ、そうなんだぁ(←遠い目) しかし、あの番組でも、ムッシュかまやつだけは年とってなかったなかったですよねぇ(謎) / 須木成 ( 2004-10-26 00:22 )
うつぎさん♪ お久です! そそそ、苗字は佐藤でしたね、ごみん。とっても素敵な声で、なんかかわいかったっす。 / 須木成 ( 2004-10-26 00:20 )
見てましたよ〜。オトナが大人だった時代の思い出ですね。やさしさに包まれて、猫娘世代には魔女の宅急便だそうです。 / ねんねこ先生 ( 2004-10-25 10:09 )
なんとか竹善は、きっと「佐藤竹善」ですな。   この写真かわいいですね。。 / うつぎ ( 2004-10-24 15:34 )

2004-10-20 いつくしみの光


週末、時間を工面して三鷹まで行って写真展を見てきました。

牛腸茂雄 (ごちょう しげお)

1946年新潟県生まれ。3歳のとき胸椎カリエスに罹患。1983年、逝去。享年36歳。

彼のこの写真を初めて見たとき、本当に魂が吸い込まれていくように感じました。冷静に見れば、霧にかすむスタジアムのなかを走り去っていく子供たちの後姿を撮影したモノクロ写真に過ぎないのですが、それはなにか見るものに、人という存在の、生と死と、豊穣さとはかなさを、静謐に訴えかけているように感じました。

このカメラマンは何者なのだろう?

調べてみると、俗に言うせむし男で、背をいからせたような姿勢で、眼鏡をかけ、小さな体躯に比べて妙に顔と手の大きな、ポートレート写真が残されていました。

数年前、偶然にも彼と桑沢デザインで同期だったというデザイナーの方とお会いし、彼からもらったというこの写真の実物のプリント(当然、牛腸さんが暗室で焼いたもの)を見させていただき、以来、ずっと、こころのなかで不思議な存在を占める写真家の方でした。

その牛腸さんの作品を一堂に会した初の本格的な写真展が開催されていることを知り、とにもかくにも、出かけてみることにしました。

その中期頃までの作品は大きく二つに分かれ、一つは遠景のなかに子供たちの姿が点描のように写しこまれているもの。もう一つは、室内で撮影された青年期の若者や熟年カップルのバストアップのポートレートでした。ただ一つだけ、例外的に、顔がはみ出るほどにアップで撮影されていたポートレートは、彼のおかあさんの写真でした。


牛腸さんについて語ろうとすると、なかなか言葉を紡ぐことができないのですが、ちなみにこの写真が最終ページに掲載された彼の自費出版の写真集は、『セルフ&アザーズ(自己と他者)』といいます。

そしてこの写真が掲載された対向ページには、次のような哲学者の言葉が引用されていました。

「ある人間にとって世界を生き生きとしたものにするために、あるいは、人がそこで身を寄せている現実を一瞥で、一つの身振りで、一つの言葉で味気ないものにしてしまうために、もう一人の人間ほど効果的な作因は存在しないように思われる。」

誰かを笑わせるために生まれてきたのだと確信しているのに、その誰かを悲しませるようなことばかりしてしまったり。人間というのは、どうしようもないものだと思いますが、とにもかくにも走り続けていきたいと思います。


※この桑沢デザイン時代の作品からインクブロットやマーブリング(ロールシャッハ・テストのような左右対称の絵や墨やインクの流し絵)も含む展覧会は、10月24日まで東京都の三鷹市美術ギャラリーで、10月30日から11月28日まで、山形市の山形美術館で開催されています。

先頭 表紙

ぷりんさん♪ おぉ、カメラを片手に秋を探しに行かれたんですね! 僕もイロイロあったけど、人生イロイロ、会社もイロイロ、って、それじゃアホな小○首相だって(笑)! 冗談はさておき、人間は因果だけど、だからこそいとおしかったりもするんですよね。むつかしいもんです。 / 須木成 ( 2004-10-26 00:19 )
あるまじろさん♪ホント、写真って、つくづく不思議だと思います。ただシャッター押すだけのことなのに、なんでこんなに違うんでしょ?  / 須木成 ( 2004-10-26 00:14 )
まーこさん♪やっぱり、なんか感じてしまう写真ですよ(^o^)  はかなく感じるのは、きっと人間の生そのものや幼生がはかないからなんだろうと思いますよ。やすらぎをいつももとめるのはみんな一緒だし(笑) / 須木成 ( 2004-10-26 00:12 )
始めたばかりの素人写真ですが、ここ2ヶ月くらいイロイロあって、あまりカメラを持つ気になれませんでした。 昨日この写真を見て、またカメラを持ちたくなって、今日は野田の清水公園まで花を撮りに行って来ました♪ 幸せにしたい人を心ならずも悲しませてしまうのはままある事。 人間って因果なものですね。  / ぷりん ( 2004-10-22 21:33 )
誰でも撮れる写真、でも誰にも撮れないものを撮る人、カメラって難しいですね。何を見てるか、常に問われているような緊張感があります。 / あるまじろ ( 2004-10-22 14:03 )
なんとも言えない独特の雰囲気のある写真ですね・・・。見る人によってコノ画像から先の話を いくつでも作れそうな画像!はかなさを感じる私は 何か やすらぎを求めているのかなぁ! / まーこ ( 2004-10-20 23:13 )

2004-10-16 国際福祉機器展と水俣病の最高裁判決


今日は仕事の合間を縫って、お台場の東京ビックサイトまで国際福祉機器展の取材に行ってきました。

この見本市は、もう30年以上も続いているもので、最初はとても小さな展示会だったようなのですが、ここ10年ぐらいで出展企業も来場者も飛躍的に伸びて、いまではビッグサイトの東側全体を埋め尽くし、今年も初日から4万人の来場者を数えるまでになった入場無料の催しです。福祉機器というぐらいですから、もちろん車椅子や福祉車両から、お風呂やトイレまわりから食器に至る様々な介護用品が展示されていますが、リハビリ用のゲーム機や流動食なんかも紹介されています。

一昨年にはここで、友人の方々のお力もお借りて、ユニバーサルデザインのセミナーを開催したこともあります。今年は映像カメラマンに同行してもらい、来場者にいろいろお話を聞いてきました。

普段、何を使ってどのように移動しているのですか? 街中を気安く移動できますか? 実際に街に出ると、どんなことが不便ですか? どんな乗り物や道路だったら、もっと移動しやすくなれるのでしょう?

こんな質問を、車椅子に乗っていらっしゃる方々から年配のご夫妻、福祉関連の学校の学生さんやカップルの若者などに片っ端から聞いてまわったのですが、とくに車椅子に乗っていらっしゃる方々は、とっても素直に質問に答えてくれました。僕も気を遣ったつもりで膝をついて話し掛けていたのですが、子供たちはまったく屈託のない笑顔で、自分の病状のことと結びつけて具体的に率直に答えてくれていました。そのことで、こちらのほうがなんだか気圧されるぐらいな感じでした。

健常者の方は、やはりどうしても、ちょっと最初はいかがわしそうな目でこちらを値踏みされるんですよね(僕がインタビュアーじゃ仕方ないか(^_^;A )。

本当は見本市ですから、いわゆるメーカーとバイヤーのための会場なのですが、看護関連の学生さんから、ボランティアの若者と一緒の福祉施設や学校の団体さんまで一般の方々がバス等で多数来場されていて、実際に取材してみると意外な発見が沢山ありました。

格好良い車椅子に乗っている若者を見つけて声をかけたら、自分は車椅子のメーカーに勤めていて、これは自分で作ったんだとうれしそうに答えてくれました。聞くと、アクセルとブレーキを手動に改良しただけのクルマで、名古屋から東京まで自分で運転してきたんだそうです。僕のいまにそんな体力あるかなぁ?


これを書いていたら、いま、水俣病の責任が国と熊本県にもあるという、村山内閣当時の政治決着(和解案)を逆転する、ある意味で画期的な最高裁の判決が、今日、下されたとニュースで解説されていました。

なにが本当のリアルなのか。
最近は、自分の未熟さに日々恥じ入るような毎日なのですが、
今日もいろいろ考えさせていただくことができた一日でした。

先頭 表紙

いまだにレイチェル・カーソンと産業界・行政の対立の構造から抜けられないのですよね。しかし、もっともっとこの件も大きく報道して欲しいですよね。いまだに環境省は、認定規準を変えるつもりはないみたいで、呆れてます。 / 須木成 ( 2004-10-26 00:09 )
水俣について話がこじれたのは当時の有識者が水銀と病気との関連を認めなかったことが大きかったといいます。「これでいいのか」と権威を持つ人は自問することを忘れて欲しくないし、その義務があると思います。 / あるまじろ ( 2004-10-19 23:24 )

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