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宙・光子の「ドキッ毒日記」

最近、毒吐いてないなぁ〜。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-12-31 レオ
2001-12-22 ワンコ、ワンコ、ワンコ
2001-12-13 みんなに愛されたレオ
2001-12-12 寂しい
2001-12-11 長い1週間
2001-12-06 天国のレオ
2001-12-05 別れ
2001-12-04 レオ、永眠
2001-12-03 もう頑張らなくていいよ
2001-12-02 信じられない


2001-12-31 レオ


今年1年は、皆さんにとってどんな年でしたか?
私は特別何もない年だと思ってたけど、最後に最大の悲しみがやってきました。
最愛のレオをなくすという、想像もしてなかったことが起こった。
こんなに悲しい気持ちになったのは初めて。
今もその悲しみは、消えていません。
今ここにレオがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・
レオに会いたい、レオに会いたい。 ただ、それだけなのに叶わない(涙)

今日、低血糖だったレオが食べていた甘いお菓子が出てきた。
「もっとあげればよかったね。」
「たくさん美味しいものを食べさせてあげればよかったね。」
そう言って、私とお母さんは涙した。
天国で幸せに暮らしているレオに「大好きだよ。」って言ってあげたい。

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2001-12-22 ワンコ、ワンコ、ワンコ

YDRの代表・北浦さんの家に行って来た。 北浦さんはレオと私を結びつけてくれた人だ。

レオが亡くなって、食べていたフードやガムが要らなくなった。
まだ袋を開けていないフードもあるし、使っていないシャンプーもあった。
今、YDRには20匹の犬がいるというのでもらってもらうことにした。
メールをすると、「レオの幸運を少しでも分けてもらえれば嬉しい。」と言う返事をいただいた。
懸賞で当てた犬のサプリメントもあった。 レオは飲むことがなかったけど・・・(涙)

北浦宅に行くといるわ、いるわワンコがたくさんお出迎え。
大きな犬から小さな犬。 ネコもいる。 みんな、人なつこっくて可愛い。
1匹づつ紹介してくれた。 全部触ってみた。 暖かい。 久しぶりの感触。

それぞれの引き取られた状況を聞かせてくれた。
山に捨てられた猟犬。 わなによって後ろ足の先が取れていたそうだ。
今は、皮膚移植を受けて少しづつよくなってきている。
川原に捨てられていたワンコ。 親子でいた。
他にも生まれたときから野犬だった子。 町で捨てられた子。
しつけ教室でトレーナードッグだった子は、トレーニング以外はずっと小さなケージに入れられていたそうだ。
「この子たちは、今、ここにこられて幸せですね。」と私が言うと
北浦さんは、「そんなことないよ。 やっぱり、家で飼われるのが1番でしょ。
彼らもここは仮の住まいだって思ってるはず。」と言ってた。

たくさん犬がいても、やっぱりレオが1番可愛い。
レオは目がきれいだった。 エメラルド・グリーンで。
あんなに素敵な目をしたワンコには会ったことがない。

「もし気に入った子がいたら、連れて行ってよ〜。 宙さん家にいけば、レオみたいに幸せになれるから。」
”私も妹もまた犬を飼いたいと思ってるんですけど、母がもういやだって言ってて、
今日もつれて来ないでね、言われたんです。”

今すぐはムリでも、いつかまた飼いたいな〜。
ここにいる子達が1匹でも多く、幸せになれるように願いながら帰ってきた。

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2001-12-13 みんなに愛されたレオ

レオが亡くなった朝、近所のSさんが来てくれた。
でも、Sさんはレオがまだ生きてると思ってたので死んだと聞いたとたん
「なんで〜、なんで死んじゃったの?」って驚いていた。
レオを見て、「まだ暖かくて、生きてるとしか思えないね。天国に行ったって顔してるよ。」と言ってくれた。

次の日の夜、Sさんの娘Cちゃん、その娘のSちゃんも来てくれた。
Sちゃんはまだ3歳なので、レオが死んだって分かってないようだ。
ニコニコして、”レオ、レオ〜”って呼んでる。 レオを撫でている。
私たちが泣いてるのを不思議な顔をして見ていた。
今も”レオに会いに行く〜。”って言ってるらしい。

レオをとても可愛がってくれていた近所の焼肉屋さんのAさんご夫婦もお花とお菓子を持ってきてくれた。
買い物で会う度に、「レオ〜」って声をかけてくれていた。
レオも二人の姿を見つけると、すっ飛んで行っていた。
遠くからでも分かるんだよね。 なんでだろう??
最後に会ったのは、入院する2日前の金曜日。
いつもは飛びつくのに、ただじっと座っていた。
そしてさらならをした後、いつまでもいつまでも2人を見送っていた。
そのことをAさんご夫婦も、「あの時、何か言いたかったのかね〜」って言ってた。
きっと、”ありがとう。 さようなら。”って言ってたんだろうと思う。

そして、今日、私の友達で近所に住んでいるHさんも来てくれた。
昨日母からレオの話を聞いて、きれいなお花を持って尋ねてくれた。
彼女の家族はみんな犬好きで、りゅうちゃんという犬を飼っている。
犬きらいのレオだけど、子犬の頃から知っているりゅうちゃんには全然吠えない。
唯一の友達犬かもしれないなぁ。

たくさんの人に愛され、悲しんでもらってレオ、よかったね。
いつまでも忘れないよ〜!!!

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2001-12-12 寂しい

ワンコと一緒に散歩している飼い主を見ると、羨ましくて仕方ない。
私もレオと散歩したい!
今までは1日に2度〜3度、散歩に行っていた。
雨の日も、雪の日も、寒い日も、暑い日も。
忙しくて行きたくない日もあった。
でも、レオは散歩が好きだったから頑張って行ったよ、私。

寒い日、雪の日の夜中や明け方に、シッコに行きたがるレオ。
すっごく面倒だった。
今はどんなに望んでも、それはできない。
ホントに寂しい。(涙)

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2001-12-11 長い1週間

レオが亡くなって、早くも1週間が過ぎた。
この1週間、泣き通しだったな〜。 家の中がすごく寂しい。
いなくなって初めて、レオの存在の大きさがわかった気がする。
何かやってくれるわけじゃないけど、ただいるだけでいいんだよね。
あの暖かさ、ぬくもりが本当にありがたい。

実は、手術をしたことを後悔している。
手術(といってもただお腹を開けて閉じただけ)をして、たった1日半でレオは逝ってしまった。
その前日まで食欲もあったし、散歩もしていた。
手術がレオに負担をかけてしまったのかもしれない。
でも、あの時は手術さえすれば、レオが元通り元気になると固く信じていた。
だから仕方ないのかもしれないけど、どうしても私が早く死なせてしまった気がしてならない。
食いしん坊だったレオが、最後の2日間何も食べられなくて本当にかわいそうだった(涙)

生きているものは、いつか必ず死ぬ。
みんな、この悲しみや苦しみを乗り越えてきたんだよね。
私もレオの思い出を胸に、頑張って乗り越えます。

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2001-12-06 天国のレオ

初めて発作が起きたのが、9月10日。 そして、3ヶ月弱で逝ってしまったレオ。
そんなに急いで私たちにさよならしなくてもいいのに・・・

手術の次の日、レオを紹介してくれたYDR(ヨコハマドッグレスキュー)の北浦さんが病院に来てくれた。
そのときに、「レオみたいにもらわれてきた雑種犬は親(飼い主)思いで、
あんまり迷惑をかけずにすぐに逝っちゃうよ。」って言われた。 「レオも多分、1週間くらいかな。」
でも、レオはたった1日、正確に言うとそれから6時間しか一緒にいてくれなかった。
ちゃんとお礼もお別れも言えなかった(涙) もう少し、看病させてくれてもよかったのに・・・
自分の苦しんでいる姿を私たちに見せたくなかったのもね。
今、どこにいるのかな? 幸せに暮らしているかな?

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2001-12-05 別れ

本日、無事に火葬を済ませてきました。

昨日の雨がウソのように今朝は良い天気になった。
とうとう、レオと本当にお別れをしなきゃいけない日が来た。
10時に私と母は、お花とお線香を買いに行った。
そして、11時50分の受付に間に合うように10時半には家を出た。
私は車の中で、ずっとレオを抱いていた。 この重みを忘れたくない。

道が空いていたので、11時過ぎには斎場に着いた。
受付を先に済まそうとしたら、今日は1件もないので”すぐに焼きます。”と言われた。
そんなー、ゆっくりお別れさせてー(涙)
係員からレオをビニールに入れ、さらにダンボールに入れるように指示された。
人間と違って、扱いがヒドくない?
お花、フード、お菓子、みかん、メッセージを持たせたぬいぐるみ等を一緒に入れた。 淋しくないようにね。
最後のお別れ、これがめちゃめちゃツライ。 レオ〜、レオ〜って名前を呼んだ。
そして、「ありがとう。 また会おうね。」と言って別れた。

約1時間待っている間、妹はずっと泣いていた。 すごく長かった。
名前を呼ばれ、またペット用の斎場へ。 テーブルにはレオの骨が乗っていた。
それを見たらまた大粒の涙がこぼれてきた。
私と妹、父と母でレオの骨を拾った。 残った骨を係りの人が骨壷に入れてくれた。
それを大事に大事に家に持ち帰ってきた。 形は変わったけど、レオはまた我が家にいる。
今は仏壇の横で、たくさんの花やお菓子に囲まれて眠っている。

いつか、どこかでまたレオと会えると信じている。

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2001-12-04 レオ、永眠

午前12時ころ、お腹の真ん中辺り(手術のキズ跡)と足の肉球が少し冷たくなってきて
今夜あたり危ないかなって思った。
荒い呼吸のために波打っていたお腹も少しづつ静かになってきた。
目を閉じて、静かに寝ているようにも見える。
先生から午前2時か3時ごろに発作が起きるかもしれないから、そしたらすぐに病院に連れて来てって言われていた。
私は発作が起きる前に亡くなってくれたらって思っていた。
発作の時すごく苦しそうで見てるのがつらいから。 そしたら、本当にその通りになりました。

12月4日午前2時 レオは息を引き取りました。

最後に大きな目を開けて、涙を流しました。
みんなに看取られて、家で死ねてうれしかったのかな。

そのとき、なぜか私はすごく冷静でした。 おしりの始末をしてあげました。
母は背中を撫でていて、妹はレオの名前を何度も呼んだ。
鼻に手を当てても息をしていないし、心臓も止まった。
3人でレオの体ををきれいに拭いて、ブラッシングもした。
まだ体は温かいけど、硬直が始まった。 ホントに死んじゃちゃったんだね。

レオを真ん中にして、私と妹は川の字に寝た。
レオの死を悲しむかのように、雨が降り始めた。

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2001-12-03 もう頑張らなくていいよ

レオの様子を聞くために夕方病院に電話したら、発作が起きて危ないって言われた。
何で電話してくれないのと怒りながら、急いで母と2人で病院に行った。

看護婦さんがレオを抱きかかえながらやってきた。 もう歩けないらしい。
立ち上がろうとするんだけど、足に力が入らない。
表情も元気な頃と全然違う。 半分意識がないような・・・
40分くらいいたけど、診療時間が始まったので帰ってきた。

そして仕事から帰ってきた妹と父親、母と私のみんなでまた病院に行った。
レオをお世話してくれたYDRの北浦さんもかけつけてくれた。
夕方よりさらに具合が悪そうで悲しかった。
先生の話やレオの様子を見ていると、そう長くはなさそうに思えた。
家に連れて帰るか、このまま病院にいるかどうか話しをした。
私と妹は、病院で1人で死ぬことになったら可哀想だから連れて帰りたいって言ったんだけど、
発作が起きたら筋肉注射をしなきゃいけないので、母は病院にいたほうがいいって言った。
そしたら、ほとんど意識がなさそうだったレオが、むくっと上半身を持ち上げて母にしがみついた。
お腹のキズによくないからだめだよって寝かせるんだけど、また母の腕まで這って行って倒れこんだ。
母の腕に頭を乗せて、離れようとしない。
涙が出た。 レオが家に帰りたかってるのがよくわかった。
家族みんな納得して、連れて帰ってきました。
点滴の機械を借りて、家でブドウ糖を打ちながら寝ていた。
もう自分では何も食べられないので、点滴を止めたら長くは生きられないのだ。(涙)
レオがそんなに状態になるなんて、2日前までは想像もしてなかった。

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2001-12-02 信じられない

手術が終わった頃、病院に電話して結果を聞いた。
”無事終わりました。 成功ですよ。”と言われるのを期待してたのに、思いもしない言葉を聞かされた。
「お腹を開いたら、すい臓が全部腫瘍化してました。 さらに悪いことに肝臓が末期がんに冒されていて何もできなかった。
すい臓のサンプルを少しだけとって、そのまま閉じました。」
目の前が真っ暗になった。 なんで? なんで?
「元気になりますか?」という問いに「う〜ん、むずかしいな。 あとは静かに暮らして・・・」
電話を切ると涙が溢れてきた。 母と妹に「レオ、末期がんだって。」というのが精一杯だった。

母が面会できたらしようというので、もう1度病院に電話した。 すぐに3人で病院に行った。 
レオは看護婦さんに連れられて、よろよろと歩いてきた。
私たちの前に座ると、ぼーとしている。 まだ麻酔が効いているのかもしれない。
レオを見ると、3人とも涙が止まらなかった。
レオの頭や体を撫でながら、「レオ、大丈夫だよ。」 「早く元気になるんだよ。」「元気になってうちに帰ろうね。」と励ましてた。
レオは、全然反応しなかった。 ただじっと座っていた。
あまり長くいるとレオが疲れるので、私たちは帰ることにした。 先生に連れられて、また歩いて行った。

私たちにはどうすることもできない。 ただ、レオの快復を祈るしかない。

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