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ねむり猫の福だより ふくとねむりの近況報告

ふくは元気!飼い主ねむりは大衆芸能鑑賞にはまってます!

目次 (総目次)   [最新の10件を表示]   表紙

2000-08-02 名は体をあらわす
2000-08-01 「ふく」登場 猫による飼い主の評価
2000-07-31 番外編 猫好き姉妹物語 「ふく」との対面
2000-07-29 飼い主の当然のお勤め
2000-07-28 ふくはトイレをいつまで我慢する気か?
2000-07-27 ふく、初めてのお留守番
2000-07-26 そもそも、どんな猫か?
2000-07-25 プロローグ - きみはデブ猫は好きか?


2000-08-02 名は体をあらわす

毎日暑〜い。それでも北海道の35度より東京の35度の方が、心構えが出来ている分まだ[まし]か・・・・・・。さて、猫である。この生き物はは与えられた空間で「一番気持ちのいい」ところを占領するよう運命付けられた幸福モノだ。

ふくのこの家に来て直後の一番の落ち着き先は、逃げるように隠れたTVの台の下のわずかな隙間だった。翌日からは太陽が燦燦とあたる三角形の出窓。そこは外に面してレースのカーテン、部屋に面しては普通のカーテンがあり、ふくにとっては三角形の「秘密の小部屋」といった趣があるらしく、今でもかなりのお気に入りだ。変なところでは、爪研ぎ器の真上もお気に入りだ。長さ50センチ、幅18センチ、高さ5センチ程の段ボールの断面を寄せ集めたような爪研ぎの上に体を丸めると、でっぷりと[しし置き]豊かなふくの肉というか毛皮いうかは、爪研ぎからはみ出して床にくっつきそうになる。そんな狭い場所も気まぐれな猫には心落ち着く場所らしい。

どんどん占領範囲が広がり、ついに飼い主の唯一の財産とでも言うべき「本家本元本当に大枚叩いた豪華ペルシャ絨毯」が「お気に」に加わる。今はこの絨毯の上でなければ身繕いはしない。入念に体中をなめ、寝転び、真っ白いお腹を目一杯晒して、背伸びをしながらのゴロゴロ返りを繰り返し、そのまま絨毯の上で寝る。飼い主は[猫と言えども、本物に触れさせることは大切だ]と理由をつけ、このふくの行動には目をつむっている。それもこれも、[引っ掻きぐせ]の無いふくだからOKなのだ。

厄介なことに、飼い主の日課が、それも掃除の日課が新たに増えた。一日の終りに、「ペットの毛取り用」スポンジを手に持ち(粘着ローラーでは豪華絨毯のきめの細かさに追いつけない)四つん這いになり絨毯の上の猫の毛を入念に拭き取る。「何で、ふくのためにワテがこんな事せにゃならんのや!」なんて気持ちは持たないほうがよい、ふくがあのニャジャラ真っ青の三白眼で軽蔑の眼差しをむけるから。

さて、夏である。ここのところ夜中だって蒸し暑い。今までは一応寝入りばなは絨毯か爪研ぎあたりで寝て、朝方から飼い主のベッドの足元か顔面横にベッタリのするのが恒例だったが、最近は違う。昼間ずーとドライか冷房を入れてっぱなしにしている飼い主も寝るときははOFFにする。その結果、明け方あたりからふくは寝苦しさとともに新たなる「お気に」の場所を見つけざるを得なくなった。[ベッドは硬いに限ると思っているかは別として、明け方からはキッチンのフローリングの「ど真ん中」で仰向けで両足を伸ばし、両手をチョコんと空中に浮かせた器用な姿勢で、大きな寝息を立てながら寝ている。まだ薄暗がり中で初めてその姿を発見した飼い主の驚き(なんて器用な格好で寝ているのか!)と落胆(猫がここまで野生を投げ捨てるとは如何なものか!)の気持ちを誰か察して欲しい。

それにしても、ふっくら、どっしりとした量感あるその白い厚みのある物体は(お腹は白い)、臼から取り出して台に投げ出された餅そのものだ。そう言えばふくの本名は「だい福」だ。

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そーなんだよね。私はペットじゃないけど、花栽培。帰省中もどうしようか対策が必要だもんね。人を雇うか。 / TOMOKO ( 2000-08-03 23:02 )
NYで読んでくれてる人がいるなんて、感激! / ねむり猫 ( 2000-08-03 14:44 )
今日、たまたま岡埜栄泉の大福食べました。そうしたら、このふくちゃんを思い出しました。私はヒマジンでしょうか。 / ビル・クリントン ( 2000-08-03 12:06 )
NYでは犬を飼ってますが、日本では20年生きてくれた三毛猫と住んでました。犬も猫も、あの小さい脳みそで工夫を凝らしている姿を見ると目頭が熱くなります。 / Mme.SENRI ( 2000-08-02 22:41 )

2000-08-01 「ふく」登場 猫による飼い主の評価

みなさん、はじめまして。ふくです。いつのまにかこう呼ばれています。むかしはたしか「みーちゃん」とか呼ばれてました。

車に乗せられて初めてこの家にきたときはには、「なんだか大変なことになる」なんて猫こころに心配しもしたわ。だけどね、ちょっと経つと、この家特に敵の匂いもしないし、飼い主は毎日ご飯を食べさせてくれて、一生けん命眠そうな目をこすりながらトイレもきれいにしてくれて存外悪い人でもなさそうで、あたしも好きにさせてもらっているわけなの。まえは同居猫がいたから、ご飯出されたらその時に食べきらなきゃならなくて、何がつらかったってそれが一番。いまはあたしのご飯はあたしのご飯、好きなときに少しずつたべられるの。でも、たまに「今日はこれじゃいや!」ってご飯が出るときもあるじゃない、赤身とか血合いっぽいのなんか暑い日にはねぇ。そのときは一応食べないで、もしかしてあたしの好きな白身魚にかえてくれないかなぁ、なんて期待して・・・・・・。でも飼い主ったらどうも「甘やかしはしない」なんていっぱしにあたしを教育しようとしているみたいで意外と強情、ムシしたりするの。あたしもおなか空いてるし、食べられない程嫌いなわけじゃないから結局食べちゃうんだけどね。飼い主それでも実のところ「わるいなぁ」って思っているらしくって、そんな時は、いつもはもらえないあたしの好きな「ねこミルク」がこっそりお盆にのっているの。

毎日2回は思いっきり体の毛をなでて取ってくれて、ゴロゴロしてくれるから嬉しいんだけど、それはそれで文句の少しもやっぱりあるわ。一つ目は大好きな出窓のカーテンの裏で寝てるときにいちいちカーテン開けては「ふくー、ふくー」って、子供じゃないんだから、あたしは眠いからかくれて寝てるのよ、ってね。あと一つ、シャワー浴びたあとに服も着ないでソファーで寝てるあたしを後ろから抱えて「ふくちゃーん、ふっくふく!」てのも馬鹿みたいだから止めてもらいたいわ。飼い主はあたしの毛ざわりが気持ちイイらしいけど、ほらあたしその趣味無いから。忘れてたもう一つ、帰ってくるなり電気つけるのもちょっと待って、寝てるときに急に電気が点くと眩しいんだから、ほんと。とにかく、飼い主 が何処かに出かけてるお外が明るいうちがあたしの一番のんびりした時間ね。あ、そうそう飼い主のあたしに対する遊び方はちょっとワンパターン、誰か遊びなれた人が来てくれるといいんだけれど・・・・・・。あーネム、また目が閉じてきちゃった・・・・・・。

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にゃんこ先生と同居してる者には耳の痛いお話です!にゃんこ先生、以後気を付けますー / みゃあ ( 2000-08-01 15:19 )

2000-07-31 番外編 猫好き姉妹物語 「ふく」との対面

飼い主には二人の姉がいる。同じ家で暮らしていたのだから昔懐かしさを感じる猫も共通だ。
家にはその昔、三毛のメスで超美猫「チョコ」がいた。飼い主からの「大人の三毛猫を飼い始めた」の一報で二人の姉は示し合わせてさっそく視察にやってきた。まず、長姉が到着する。輪郭が同じだからか、はたまた発する匂いか何かが同じなのか、それとも「ふく」が一段とふてぶてしくなったのか、逃げない。もう、自分に慣れたと勘違いをして姉はすこぶる機嫌がよろしい。少し遅れて次女が到着。出先から直接やってきたとは言え、こぎれいなオーガンジー風のあしらいのあるワンピースにストッキング、猫の喜びそうなショールを肩からかけ、何処から見ても猫を視察にきたにしては場違いだ。
ふくは、とりあえず自分の欲求を優先し、歓迎もせず、出窓でこの日10数回目の惰眠をむさぼる。ようやく猫に触りたくて触りたくて仕方が無い二人の前に悠々と出てくる。「かわいい!」「太ってる!」「チョコとおんなじ模様!(実際には随分と違う)」と、二人とも久々の猫体験に興奮気味だ。「餌あげてみる?」という飼い主のオファーに大喜びで器に餌を盛りつける長姉、目を細めながらその様子を見守る次女。猫も楽しいが、猫に興奮する大人を見るのももかなり楽しい。餌はどれくらい食べるのか、トイレの砂の形が昔と違う、夜は何処で寝るのかetcと矢継ぎ早の質問のあと、「何かして遊びたい」という。わたしは「全米何十万の猫が狂喜乱舞した」という猫じゃらしを手渡す。カーペットに顔を近づけはうように猫じゃらしの一端を持ちふくと対峙する。針金でできたその猫じゃらしの特製をうまく生かして、近づける、止める、少し引っかけてirregularな動きを起こす、遠ざけるetc、と実に巧みにふくの気を誘う。流石年の功だ、これからの猫遊びに使わせてもらおうと飼い主もその動きを真剣に見るつめる。ふくも真剣だがそれでも時々手を休めて耳を掻いたり手をなめたりと相変わらずマイペースだ。
何をしていたでもないのに、気がつくと夜11時近く「帰れなくなる」と慌てて、二人は帰り支度を始める。玄関を出ながら「ふくちゃ〜〜ん、またね〜!」と飼い主への挨拶もそこそこ、返事すらしないふくを相手に声を「猫なで声」に変えて挨拶、ドアがしまる。静寂。その静寂をうち破るようにトイレから「ザク、ザック」とあの音がする。我慢してたんだねぇ〜、ふく。

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2000-07-29 飼い主の当然のお勤め

賢明な皆さんは、ふくが「甘えん坊で、かまって欲しくて、私じゃないとだめなの!」と飼い主に思わせるようなネコではないことは既にご存知のことだろう。
飼い主は今までただの一週間でも毎日かかさずに掃除をしたことなんかなった。しかしどうだろう、今では掃除が日課だ、そう、ふくのトイレ掃除だ、こればかりはおろそかにできない。掃除のし忘れで、「スリッパにゴリッパなウンチをされた」なんていうネコの飼い主の悲話は世の中にゴマンとある。ネコは異常にきれい好きなのだ。
今朝も、起きるなりふくの茶碗を洗い(ちなみにこの茶碗は飼い主が自分で手回しロクロでひねった備前焼風の傑作である)、開けたての「フリスキー、たい・白身・ささみ」を見た目よく盛り付ける。飼い主が起きるまで辛抱強く待つことのできるふくには、この時間がたまらなく長いはずだ。茶碗をお盆に載せるなり、ふくは元気に食べ始める。これからがトイレ掃除だ。砂をかき分けて丁寧にウンチを探し、固まったオシッコを掬っては取り除く。減った砂の分、新しい砂を補充して「ざーーっく、ざーっく」と砂を掻きながらふくのためのトイレを整備する。京都は法然院の砂絵描き、または大徳寺龍源院の枯山水に大海原を描く、そんなイージふくらませ自分を盛り立てながら飼い主は朝のおつとめをすすめる。
すると、しゃがんだ状態の飼い主の視界が一瞬狭まる。ふくだ。ふくがこちらに一瞥を加え、思わずひるむ。急に立ち上がるのも何ナノでしゃがんだままでいると、今きれいに均したばかりの砂を両の手で掻き始め、パッと砂に飛びのり小用をすませる。ここで、普通のネコなら匂いをかぎ砂をかけるところ、こちらを見上げて「邪魔したね、続きをどうぞ!」といわんばかりに立ち去るふく。「一体あんたは何者なんだ!」を怒りに燃えようとそのしたその瞬間、「あんたじゃないと、だめなのよ」とでも言うような珍しく甘えた目つきをしながら振り向く。口元が笑ったような気がする。
完全にしてやられた。0.5秒前に怒鳴ればよかったが、しかしもう手後れ、飼い主の負けだ。明日からも修行中の小坊主よろしく、せっせと550mmX350mm程度の「固まる砂の大海原」に波を描きつづけるのだ。

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2000-07-28 ふくはトイレをいつまで我慢する気か?

ふくのトイレは飼い主のトイレの右隣にある(ペットルームの無い庶民の悲しさである)。並んでトイレ、何てこともあるのだ、いや本当の話。普段トイレの扉は閉まらないよう最新の注意を払って出掛ける飼い主は、昨晩帰宅後いつもより強めにパタンしてしまったらしい。もちろんカチャっと音がするまで閉めたわけではない。

本題に入る前に・・・、ふくは爪を立てたり、引っかいたり、無理矢理引っ張たり噛み付いたりという飼い主の困るようなことを[一切しない]かなり行儀のいい娘(こ)だ。過去の複雑な猫生から、猫なりに人間との共生の仕方を体得してきたのだろう。

さて、昨晩のふくである。飼い主はテレビを横目で見ながらソファで新聞を読んだりしていた。ふくはやたらとトイレ付近に行っては戻ってくる。最初はさして気にかけていなかったものの、3回目くらいになると流石にこちらも「アレっ?」という気になり、次の機会にそっと後ろからふくを見守ることにした。皆さん「ドラえもんの手」をご存知だと思う。ふくの手はまさしくそれ、手首に力が入ると白い手先に大き目の白玉をつけたようになるのだ。閉まりかけている2〜3センチ弱の隙間にその白玉状が太くて入らないらしい。手を近づはけて(なぜか頭も隙間に対して平行に傾ける)一旦下に降ろし、ためらい、もう一回隙間に近づけてみてはうつむく。そう、隙間に爪を引っかけて開けることに抵抗があるらしい。これがもしも飼い主の外出中の出来事なら、無理に開けてふくは[何かの殻を破る]ことが出来たのだろうか・・・?
ともあれ、トイレを我慢していたふくには大変悪いが飼い主はドアを全開するなりソファに戻り、[ドラえもんの手]を思い出して大爆笑した。砂を蹴る音がみょ〜に大きかった。

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ふくちゃんエライ!かんどおしました。 / ドラへい太 ( 2000-07-29 22:50 )

2000-07-27 ふく、初めてのお留守番

最近新聞で読んだところによると、今や飛ぶ取り落とす勢いの脚本家三谷幸喜氏は大人になってから猫にはまってしまったらしい。今回は飼い主の個人的趣味で文章を「三谷幸喜調」で書いてみる。似ていようが似ていまいが、私にも彼にも全く責任はない。

さて、本題である。
私は昨日定時の5時15分を過ぎると直ぐ、正確に言うと5時16分ちょうどに会社を出た。この1分は人目を気にする私の微妙な気の使い方の現われである。ではなぜ人目を気にしてまで16分に会社を出たのか。それは私には家で待っている最愛の彼女がいるからだ。16分に会社出て恵比寿駅まで走り、山の手線に飛び乗りひと駅で渋谷に着き、昨日撮影を終えて今朝出したばかりの彼女の写真をピックアップする。急げば5時30分発の幡ヶ谷行きバスにぎりぎり間に合うはずだ。天も我を味方し私はかろうじて切り抜け、バスは雨の日の夕方のラッシュ時にもかかわらず、旧山手通りと開かずの東北沢の踏み切りを順調に通過し、56分に大山町の停留所に停車した。バスを降りた私はそこで日常と違う行動を[つい]とってしまった。小走りに走ってしまったのである。いつもは周りを見ながらのんびり歩くが昨日は別だ。誰か知っている人が見ていた「なんでXXXさんは走っているのだろう、雨の中」なんて、余計なことを言われているかもしれない。にもかかわらず走ってしまったのである。門を抜け入り口の扉を開けて、一旦そこで鳴き声が聞こえたりしないか立ち止まる。静寂。首尾は上々だ。57分だ。階段を上り、静かに鍵穴に鍵を入れる。彼女は声は立てずとも入口の近くで私を待っているに違いない。声を立てないのは彼女が集団住宅では大声はいけないという常識があり気が効く娘(こ)だからだ。私はゆっくりとドアを開けた。またしても静寂。靴を脱いで、入るなり体を反転させてソファの方を覗き込む。彼女だ。するとどうだ、窓の前で頭だけこちらに向けて「あ〜ら、もう戻ったの・・・」といわんばかりに思いっきり睨み付けられた。年甲斐もなく、珍しく小走りしたりした自分が情けない。忘れていたのだ相手は「ふく」だったのだ。

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2000-07-26 そもそも、どんな猫か?

さて、ふくである。
外観は何処から見ても日本猫、正統派の三毛猫だ。飴茶色と黒のコントラストがはっきりしている。頭は人間の髪の毛の部分、体は肩から腰にかけて布を掛けたようにその2色が交互に広がっている。お腹面と両手両足はほとんど真っ白と言っていいだろう。
3歳といえば、人間で言えば10代から20代、「ハジケテ」「箸が転んでも・・・・」という年齢か。しかし、ふくにとってはこの家が住む家としては3軒目、一時野外生活を強いられた事も考えると、寝床としては4個所目である。[家につく]と言われる猫にしては、かなり波乱に富んだ猫生を送り、地獄ぎりぎりだって見てるかもしれないのだ。したがって無条件で愛想良い訳が無い。一方、飼い主は変わっていると言われればそれまでだが、所謂[ちょっと無愛想 ]な猫を飼うことが夢だった。誰にでも愛想の良いのは苦手なのだ。しかも、猫は必ず自分になつく、と猫に対しての自信は相当なものだ。
引っ越してきてから、ふくは思いのほかすぐに家に慣れた。飼い主の家には他の猫や犬の臭いが全く無かったからだろう。移ってから数時間後には家の中をうろつき、夜のうちに見事にトイレで初オシッコ、翌朝にはご立派なウンチも済ませた。これで食欲もあるのだから、新飼い主にとって何を他に心配する事があろうか。
しかし、不愛想は一日二日では簡単に直りそうもない。なかなかの外観なのに勿体無い。何だかかすねている。前の家では一緒に飼われていた[エンターテイメント型オス猫]が周囲の注意を一手に引いたいたため、ふくは自分が注目を浴びることにどうも慣れていないようだ。下から睨み付ける、しかも恐ろしい事にちょっと三白眼ぎみ。目付きが悪いときは一世を風靡したあの「What's Michael」ニャジャラのようなのだ。大きく、ぼてっとした体を横たえ「悪いわね、あたしこの場所気に入ったから、あんたはしばらくどこかに座っててちょうだい!」といわれているようなのだ。牢名主?この家を乗っ取られはしまいか?しかし飼い主は誓う、仕方ない、まだこの家に慣れきっていないふくのため、暫くは、そうホンの暫くは[下手にでてあげよう、と。
明日は仕事だ。初めて一日中家を空ける。ふくは大丈夫だろうか?寂しくて泣き喚きはしないか?そして、もしそうなったら近所から苦情が来るだろうか???様々な不安も一つ一つクリアーして行かなければならない。これからふくと長い付き合いなのだから・・・。

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2000-07-25 プロローグ - きみはデブ猫は好きか?

飼い主は、無類の猫好きだ。何といっても本人が「猫に育てられた」と思っているのだから当たり前、といえば当たり前だ。
その昔、飼い主の家にはメスの三毛猫がいた。色気のある美猫であった。人間で言えば、いつもすごく込んでいるわけではないけれど何時行っても「これはうまい!」とうなるような酒肴が2、3品出てきてゆったりと呑める飲み屋の美人女将といった雰囲気だった。しかもその猫は人間の言葉が分かった(というか、コミュニケーションに困ったことが無かった)。
その猫は飼い主と同じ年の春に生まれたから師走産まれの飼い主より半年から8・9ヶ月お姉さん。当然物心ついた頃の飼い主は「言葉の分かる猫」が実の姉よりも身近だった。両親は今も健在だが、ともかく幼少期の両親との記憶が悲しいかな猫との記憶に負けるのだ。しかし猫だけでさすが飼い主は育つわけもなく、躾厳しき祖母と三毛猫の連携で無事、人格形成期を乗り切ったのだ。
犬も嫌いなわけではない。実際今も両親の家にはオスの黒柴がいる。可愛いとは思う。ただ一年に何回も会わず、ほとんど遊んであげたりしないのに、[あまりに]喜びすぎなのだ、犬という生き物は。飼い主にはその喜びが[重過ぎる]。動物も異性と同じだ。こちらが与える以上に与えられると、つい引いてしまう。どうも悪い癖だ。
となると、やはり猫である。
しかも、先の話で分かるように、飼い主は仔猫には慣れていない。道を歩いて、太った猫に出くわした一日は幸せな気分になれる。「猫めくりカレンダー」がデブ猫の日はウキウキする。やはり飼うしかないではないか、デブ猫を。インターネットで巡り合った、ボランティアでかわいそうな猫の里親を探している芸術家Tさんと、泣く泣く猫を手放さなければならなかった芸能人のHさんのおかげで、ここにめでたく飼い主は、メス猫、3歳、三毛猫、6キロ弱との共同生活を始めるに至った。

命名:「だい福(本名)、愛称:ふく 」。とにかく[ふくふく(福々)]している。

※東松山在住先輩K氏宅に「ふくちゃん」という猫がいた(残念ながらもう亡くなってしまった)。故ふくちゃんに敬意を表し、あえて本名は変えてみた。

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いらっさいませ。ひまネットへようこそ。日記設定でヘッドラインを書いてくださいませね。ではでは。 / システム管理者1号 ( 2000-07-25 18:30 )

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