少しハンドルへの集中が散漫になっていたに違いない。
対向車もまばらになったころ、突然、左の脇道から路肩に乗り上げるように現れた大きな黒い車に、俺は慌ててランドクルーザーのブレーキを踏んだ。
明らかにこちらが優先の幹線道路なのに、乱暴な運転だ。ランドクルーザーは大きく前後にきしみながら黒い車のテールすれすれに急停車し、俺は大きく息をついて再度アクセルを踏んだ。鼻の奥に焦げた臭いがする。
「な、なに。危ないわね」
一泊おいて助手席の鏡子がいさかいの続きそのままに不機嫌そうにつぶやく。ブレーキの衝撃で、シートベルトが薄手のセーターの胸を締め付けたらしく、窮屈そうに体をねじらせている。
「後ろの車が離れていて、よかった。車間距離が狭かったらちょっと危なかった」
「ね、今の車、見て」
声をひそめて鏡子が前方を指差す。言われるまでもなく、俺も気がついていた。ランドクルーザーのライトに照らされた黒い大きなキャデラックは、平たい車体の上に金箔と黒檀の宮型をあしらった霊柩車だった。
「こんな真夜中にお葬式?」
「葬式とは限るまい。病院から自宅まで運ぶとか、いろいろあるんじゃないか」
「そうか、そういうこともあるんだ」
「いや、詳しくは知らないけどね」
「たいへんよね、こういうお仕事も」
「そうだな」
けたたましいクラクションの音が長く尾を引いた。対向車が鳴らしたものだ。
「ねえ、なんだか、へんじゃない?」
前方を走る霊柩車の幅広いテールは左右に揺れ、ブレーキランプが明滅している。その運転は明らかにどこかおかしかった。
「運転手が酔っ払ってるわけじゃないだろうな」
「まさか」
しかし、酔っているとでも思わなければ説明できないほど、霊柩車のハンドルさばきは異様だった。左の歩道をかすめるかと思うと、センターラインを踏み越え、再三対向車の激しいクラクションを浴びる。
「なんだかわからんが、危ない。離れたほうがよさそうだ」
そう言ってアクセルを緩めたとき、左の路肩に乗り上げた霊柩車が大きくバウンドし、後ろの扉がばくりと開いた。
「きゃ」
鏡子が小さな悲鳴を上げる。
霊柩車の開け閉じして揺れる観音扉の隙に、白木の棺が見える。それだけではなかった。
「なんなのあれ。あれ、なに」
「ああ」
気丈な、局内でも男まさりで知られる鏡子の声が震えている。俺も手足が冷たくなる思いにかられた。
蛇行する霊柩車のばたばた開いては閉じる扉の間から見える白い寝棺の左右、死者を悼むように正座してこうべを垂れる数人の人影があった。だが、目をこらしてよく見ると、その霊柩車の台座は棺を置くとほぼいっぱいで、本来左右に人が座れるようなスペースはない。では、あそこに見えている者たちはいったい何なのだ。
「ね、も少し前につめてっ」
鏡子が体をよじって後部座席から商売道具のカメラを取ろうとする。
「あれ、写真に写るかしら。撮れるならスクープだわ」
雑誌の取材と偽って家を空け、こうして週末になると県外に足を伸ばす鏡子との関係。妻の父親の重篤時にも、俺の携帯電話の電源は切れていた。
「なにしてるの。早くスピードあげてってば」
棺の左右に正座する白い影の、そのうつろな顔が静かにこちらを見上げている気がする。下り坂に速度を上げる霊柩車。タイヤの焦げる臭いがしそうなスリップ音。助手席では鏡子が一眼レフを構えてカメラマンの気迫をほとばしらせている。
俺は抗うこともできずただアクセルを踏み、汗の冷えた掌でハンドルを握っている。フラッシュが棺を照らし、鏡子の口から歯をきしるような音が漏れる。 |