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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-09-15 第五十三夜。 「量子力学各論」
2000-09-14 第五十二夜。 「秋の野の笛」
2000-09-13 第五十一夜。 「夜と踊る」
2000-09-12 第五十夜。 「魔 術」
2000-09-11 第四十九夜。 「真 昼」
2000-09-10 第四十八夜。 「湖」
2000-09-09 第四十七夜。 「哀歌(elegy)」
2000-09-08 第四十六夜。 「屯(たむろ)」
2000-09-08 第四十五夜。 「サンダル」
2000-09-07 第四十四夜。 「地獄変 その三」


2000-09-15 第五十三夜。 「量子力学各論」

 
「先生。ついに完成ですね」
「うむ、素粒子をとらえるクォーク顕微鏡の完成……妻に逃げられ、学会に見捨てられ……長かった」
「素粒子と言えば、光エネルギーが当たっただけで動いてしまうもの。ある領域に存在する確立でしか語れなかったのですが、先生の逆マックスウェル理論によって、“たぶんそこにあってはならないものを排斥し、たぶんあるに違いないエネルギーのイメージをファイル化”することが可能になったわけですね。これを科学の勝利と言わずしてなんと言いましょう!」
「いやいや。根気だよ、君。大切なのは、迷信めいた思い込みではなく、真実をありのままに極めようという姿勢なのだ。さ、とりあえず、データを出力しようではないか。コンセントにそのプラグを差し込んでくれたまえ」
「あっ、先生、スクリーンにだんだん像が!」

 しかし、その像が鮮明になるにつれて、二人の表情はやるせないものに変わっていった。
 スクリーンに映った球形のオブジェの中央には、不鮮明ながらはっきりと読み取れる程度に、次のように刻まれていたのだ。

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2000-09-14 第五十二夜。 「秋の野の笛」

 
「秋野さん、秋野さん」
 立ち止まると、見たことのない青年が立っている。どうして私の名前を知ったのだろう。伸江は青年の手に握られたリコーダに目をこらした。小学生が、音楽の授業で使う、あの、縦笛。
「ああ、やっと立ち止まってくれた。スタスタ歩いて行ってしまうんだもの」
 急いでいたわけではない。母と、息子の墓参。家事の合間にふと訪ねたくなる。
 町外れの墓地へ続く道はもうもうと枯れ草に覆われ、あたりに人影がないことに伸江はふと不安を抱く。
「何かご用?」
 青年は最初はにかんだように笑い、それから胸を張って答えた。
「僕、笛が上手いんです」
 不安がにわかに確かな固まりとなって足下から体をつたい上る。
「毎日練習したんです、朝から晩まで。この頃、ずいぶん上手くなったんです」
 イヤだ、この人、少しおかしい。伸江はくるりと踵を返すと、町めがけて歩き始めようとした。
「あ、待って待って、秋野さん。も少し話を聞いてください」
 逆らわないほうがいいのかしら。誰か通りかかってくれるといいのだけど。
「ハメルンの笛吹きの話をご存じでしょう。あれは、本当の話だったんです。すごく笛が上手くなって、そして心をこめて吹いたら、いろんなものを呼び寄せることってできるんですよ」
 ピ。青年はリコーダを口に押し当て、短いメロディを奏でた。
「そう、こうして、心を開いて、おいでよと気持ちを込めて」
 それから青年は、一心に笛を吹き始めた。強く、弱く、激しく、ゆるやかに。そうね、下手ではないわと伸江は思う。この隙に逃げられないかしら。しかし、青年は懸命に指を動かしながらも低い目を伸江からそらさない。
「お母さん!」
 伸江の背後で、不意に、声がした。忘れもしない、その声。
「有人?」
 伸江はそして、振り向き、その目にはっきりと二年前に死んだ息子と、その傍らに静かに微笑む母を見た。まさか、と思いながら目頭が熱くなり、ふらふらとそちらに・・・・。
 パアン、と音がして、リコーダが砕けた。
 残された青年が一人。
「ああ、呼び出すつもりが、あちらへ連れていってしまった。まだまだ練習が足りません、ねえ」
 

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2000-09-13 第五十一夜。 「夜と踊る」

 
 何だろう。背の高い、手足の長い男の人。黒い・・・タキシード? 山高帽というのかしら、やっぱり黒い、大きな帽子。踊るような手足が駅の改札の手前、人々のコートの肩越しに見え隠れする。奇妙なステップ。手首を曲げ、伸ばし、かっくんかっくんと、パントマイム、みたいな?
 その手首が改札の手前でひゅっとひるがえり、何かを高く宙に放り上げ、彼は素早く改札の機械を抜けて地面すれすれでそのモノをキャッチする。そしてダンス。小さな人形か、子供と踊っているよう。それからおもむろに、そのモノの首をひねる。きゅ、っと。
 

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2000-09-12 第五十夜。 「魔 術」

 
 さあ。
 とまず魔術師は言った。
 さあ。
 ご覧くださいこのピストルには
 確かに実弾がこめられております。
 ───魔術で大切なことは
 言うまでもなく嘘のつき方。
 タネの知れた手品だって
 名人がしてみせればやっぱり摩訶不思議。
 問題は
 どのように指を見せるか。
 舐めるようにピストルを裏返す長い指。
 あの
 指なのだ彼を
 この地位にまで押し上げたものは。
 では試しに。
 と言って彼は一発ぶちかます。
 堅く厚い樫の板を貫いた穴は本物だ。
 そこの方 ええ眼鏡をかけた。
 彼は前列の客を呼び寄せる。
 本物の銃だということを見せるのだ。
 固唾を飲む満場の客。
 耳に残る銃声 慣れない火薬の匂い。
 さあ。
 ともう一度魔術師は言った。
 さあ。
 撃ちます。
 にこにこ笑いながら
 己のこめかみに銃口を押し当てる彼。
 彼はどんな魔術にも失敗したことはない。
 世紀の魔術師がご覧に入れる
 史上最高のマジック・ショウ。
 栄光の指が
 一瞬ぴたりと定まり
 やがて静かに引き鉄を引いた。
 鈍い音。
 そして会場は静まり返る。
 期待に目を輝かせる観客達。
 彼はいつだって思いがけない決着をつける。
 彼の指は常に新しい興奮を呼んできた。
 スペードのクイーンを微笑ませ
 真っ二つの美女をライオンと入れ替えた彼。
 魔術師は一瞬顔をしかめ
 それからゆっくり半回転して音もなく倒れた。
 さあ。
 と誰もが思う。
 さあそれで?
 最初に気づいたのは舞台袖の付き人だった。
 こんなのは今日のプログラムにないと言うのだ。
 座興の一つさと笑う声。
 ひょっとしてと揺れる心。
 あげくに太った支配人がステージに現れ
 こわごわ魔術師を抱き起こした。
 期待に目を輝かせる観客達。
 さあ。
 と誰もが思った。
 さあ それで?
 支配人は立ち上がって苦しそうに首を振った。
 死んで いる。
 悲痛な声が観客を十分に納得させる。
 死んでるんだ。
 魔術師は本当に死んでるんだ!

 史上最高のマジック・ショウ。
 

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2000-09-11 第四十九夜。 「真 昼」

 
 犬が手首に噛みついた。
 両側から腕をささえられて、
 彼女の制服が運ばれていくのをぼんやりと僕はながめていた。
 

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2000-09-10 第四十八夜。 「湖」

 
「み、水の匂いがします」
「馬鹿な、こんな場所で。オアシスはここよりずっと東にあるはずだ」
「それなら、あすこに見えるものは何なんです。蜃気楼ですか、目の錯覚ですか」
 そこにはとうとうと水をたたえたオアシスが開けていた。古代文明を支え、やがて地下水脈に消え、そしてまたこのタクラマカンに現れたあざらかな湖。
 探検家は叫んだ、「これこそは彷徨える湖だっ!!」

 ニ〇〇X年十月一三日正午。その湖は秋の東京に現れた。
 ちゃっぷん。
 

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2000-09-09 第四十七夜。 「哀歌(elegy)」

 
 あの夜以来、私のことを亡くなった養母だと思い込んできかない妻は、上り電車のその車両に足を踏み入れるやいなや鼻の奥まできな臭くなるような叫び声を上げた。いけない、駄目、ここには人の形をして人ではないモノがあんなにたくさん。落ちつかせようとするが妻の悲鳴は吠えるようにさらに太く、かすれ、痩せてたわわな体はふるえ、こわばり、私の腕の中で、二度と開かぬ棒のように。
 

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2000-09-08 第四十六夜。 「屯(たむろ)」

 
 ガラス張りのショウルームの内側から見える、午後の木立はもうすっかり秋の気配。
 なぁんてね。冷房もいらなくなって、あたしいつになく優しい気持ち。そうねそれから削ったばかりの長い2Hの鉛筆を親指の上でくるりと一回転、お客さまの来ないうちに事務を片付けておこうなんてけっこう前向きな気分じゃない?
 そうしたら、そこで自動ドアが開く音。いーでしょう、どんなお客様でも特上の笑顔でお迎えしてあげる。あたしは顔を上げ、入ってきたお客に明るく「いらっしゃいま……」。
 ふうん。「ま」の形に開けたまんまの口って、あまり人に見せたいものじゃない。でもね、誰もいないの。どーしたのかな。歩道を人が通っただけでドアが開くこともなくはないし、吹き飛んできた紙袋や枯れ葉で開くこともあって油断できない。そんなとこ。多分。
 ま、いっか。あたしはまた、罫線に数字の並ぶファイルに目を落とす。そこで、また自動ドアの音。うーん、ん、ん。
 あたしは、今度は少し時間をかけてドアのほうに顔を向ける。やだなぁ。ドアはあたしの見てる前で、まるで誰かがゆっくり入ってきたみたいにしばらく間をおいて、それから閉じる。でもやっぱり、誰も見えない。ふん、だ。今度は、目をそらしてあげない。そうよ、そうしたら、歩道には誰の姿もないのに、そうなの、しばらくするとまたドアが開くの。あーあー。それも二度、三度。何だろ。だんだん、お店の中の空気が重くなったような気がする。
 そのうち、近所の子かな、フリルのスカートの小さな女の子がスキップしながらお店の前を通りかかって、あーらかわいいじゃない、ウィンドウ越しにあたしのほうをちらっ、と思ったらびっくり顔して走って逃げていっちゃった。
 あちゃーあ。困った。きっと何か見えたんだ。あたし、そゆの、苦手なんだけどなぁ。
 できたらこれ以上増えないでほしい。閉店まで、も少しだし。あれ。やだ。何これ。生臭い何かがむりやりあたしの中に入ってこようとしてる。息、詰まる。いやよ。ヘンなことしようって考えてるんでしょ。あんもー。やだ、ってば。
 あたしは上下の歯を思いっきり噛み合わせる。ぶちん。その途端、グアって痛そうな声が聞こえて、天井の蛍光灯がバリリンって割れた。
 

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新井素子テイスト。 / okka ( 2000-09-08 17:22 )

2000-09-08 第四十五夜。 「サンダル」

 
 あんーん。
 あうーんんん。

 あん。あん。
 あう。あう。あんあんあんあん。
 うー。るーっ。あんっ。
 あんっ。あんあんあんあんっ。
 あうあうあ ぎゃぶっ。


 ず。

 ず。

 ずる。
 ずれり。
 ずず。ずり。

 ず。
 ずろり。

 ず。
 ずざ。

 ずぞ。




 ぼたっ。
 
 

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2000-09-07 第四十四夜。 「地獄変 その三」

 
 入口も、そして出口もないフラスコ状の洞窟は天窓からの光に沈み、その底には迫り上がった岩盤で設えられた円形の舞台が広がっている。その周囲を取り巻いてとりどりの衣装で惨劇を見つめているのは、いわば近づく出番におののく素人役者の群れ。僕は壁際に座り込んで煙草を吹かしている。

 まったく、地獄に堕ちてまでお前と一緒とはね。隣に寝そべる友人は片手で不揃いのトランプを繰りながらそう言って子供の顔で笑い、付き合う人間が悪かったのさと僕が言い返すか返さないかのうちに鬼の爪が友人の足を鷲掴み、彼は舞台の上に引きずり上げられてしまう。
 声を上げるだろうか。一瞬不安に見守るが、友人は固く歯を噛みしばったまま、頭蓋を割られ、喉から胸にかけてを裂き開かれていった。

 鬼は、絵本などで親しい青鬼赤鬼の姿とはおよそ似ても似つかない、コモド諸島の大トカゲを直立にしたような風貌で、黒褐色の鱗に幾層にも張りついた血痕がその愚鈍さを示している。彼らは疲れを知らず、八つ裂きにした肉片骨片を踏み捨てては舞台からその爪を伸ばす。

 その爪に選ばれて一人の若い女が金切り声を上げる。癇に触る悲鳴を繰り出すわりに、もがく手足は効を奏さない。たあいなく舞台の中央まで蹴り出され、掴み止めたもう一方の鬼に下着まで一裂きに剥ぎ取られへし曲げられ、女は深々と肛門を犯される。太股を赤黒く血で染めながらなおもわめき続ける壊れたサイレンのような彼女の声帯も、白い肩に掛けられた十二本の尖った爪が肩から尻に向けて背の皮を肉ごと引き剥がしていくにつれて掠れ、細めいて、ついにはえっ、えっ、と問い尋ねるような嗚咽さえむき出しにされた脊椎の中に埋もれてしまう。

 にわかに静まり返った舞台の上では、鬼の厚い掌の間でぐずぐずひしゃげていく老人の頭骨ばかりがひっそりときしみ続け、出番はいまだ僕にまで回ってこない。
 ポケットに煙草はまだ数本残っていたが、マッチを切らしてしまい、僕は舌打ちして周囲に目を移す。洞窟の左奥、肩を寄せてくぐまる老婆の一群れの脇に何か、ふと気に掛かるもの。
 Nの姿がそこにあった。

 彼女は失神の一歩手前(あるいは幾度かの後)らしく、乱れた裾を整えようともせず指を唇に押し当てては惨劇の一々にいまだ恐れおののいている。震える小さな肩、声にならない悲鳴。
 馬鹿、だなあ。もう死んでいるのに。
しかし、相槌を打つはずの友人の声はとうになく、ふいに僕は己の底に突き落とされてしまう。もしも。

 そのとき、新しい共演者を求めて舞台を降りる鬼の渇いた重い足音が、洞窟いっぱいに響き渡って。
 

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