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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-09-11 第四十九夜。 「真 昼」
2000-09-10 第四十八夜。 「湖」
2000-09-09 第四十七夜。 「哀歌(elegy)」
2000-09-08 第四十六夜。 「屯(たむろ)」
2000-09-08 第四十五夜。 「サンダル」
2000-09-07 第四十四夜。 「地獄変 その三」
2000-09-06 第四十三夜。 「密 会」
2000-09-05 第四十二夜。 「コレクター その二」
2000-09-05 第四十一夜。 「コレクター その一」
2000-09-04 第四十夜。 「静 謐」


2000-09-11 第四十九夜。 「真 昼」

 
 犬が手首に噛みついた。
 両側から腕をささえられて、
 彼女の制服が運ばれていくのをぼんやりと僕はながめていた。
 

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2000-09-10 第四十八夜。 「湖」

 
「み、水の匂いがします」
「馬鹿な、こんな場所で。オアシスはここよりずっと東にあるはずだ」
「それなら、あすこに見えるものは何なんです。蜃気楼ですか、目の錯覚ですか」
 そこにはとうとうと水をたたえたオアシスが開けていた。古代文明を支え、やがて地下水脈に消え、そしてまたこのタクラマカンに現れたあざらかな湖。
 探検家は叫んだ、「これこそは彷徨える湖だっ!!」

 ニ〇〇X年十月一三日正午。その湖は秋の東京に現れた。
 ちゃっぷん。
 

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2000-09-09 第四十七夜。 「哀歌(elegy)」

 
 あの夜以来、私のことを亡くなった養母だと思い込んできかない妻は、上り電車のその車両に足を踏み入れるやいなや鼻の奥まできな臭くなるような叫び声を上げた。いけない、駄目、ここには人の形をして人ではないモノがあんなにたくさん。落ちつかせようとするが妻の悲鳴は吠えるようにさらに太く、かすれ、痩せてたわわな体はふるえ、こわばり、私の腕の中で、二度と開かぬ棒のように。
 

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2000-09-08 第四十六夜。 「屯(たむろ)」

 
 ガラス張りのショウルームの内側から見える、午後の木立はもうすっかり秋の気配。
 なぁんてね。冷房もいらなくなって、あたしいつになく優しい気持ち。そうねそれから削ったばかりの長い2Hの鉛筆を親指の上でくるりと一回転、お客さまの来ないうちに事務を片付けておこうなんてけっこう前向きな気分じゃない?
 そうしたら、そこで自動ドアが開く音。いーでしょう、どんなお客様でも特上の笑顔でお迎えしてあげる。あたしは顔を上げ、入ってきたお客に明るく「いらっしゃいま……」。
 ふうん。「ま」の形に開けたまんまの口って、あまり人に見せたいものじゃない。でもね、誰もいないの。どーしたのかな。歩道を人が通っただけでドアが開くこともなくはないし、吹き飛んできた紙袋や枯れ葉で開くこともあって油断できない。そんなとこ。多分。
 ま、いっか。あたしはまた、罫線に数字の並ぶファイルに目を落とす。そこで、また自動ドアの音。うーん、ん、ん。
 あたしは、今度は少し時間をかけてドアのほうに顔を向ける。やだなぁ。ドアはあたしの見てる前で、まるで誰かがゆっくり入ってきたみたいにしばらく間をおいて、それから閉じる。でもやっぱり、誰も見えない。ふん、だ。今度は、目をそらしてあげない。そうよ、そうしたら、歩道には誰の姿もないのに、そうなの、しばらくするとまたドアが開くの。あーあー。それも二度、三度。何だろ。だんだん、お店の中の空気が重くなったような気がする。
 そのうち、近所の子かな、フリルのスカートの小さな女の子がスキップしながらお店の前を通りかかって、あーらかわいいじゃない、ウィンドウ越しにあたしのほうをちらっ、と思ったらびっくり顔して走って逃げていっちゃった。
 あちゃーあ。困った。きっと何か見えたんだ。あたし、そゆの、苦手なんだけどなぁ。
 できたらこれ以上増えないでほしい。閉店まで、も少しだし。あれ。やだ。何これ。生臭い何かがむりやりあたしの中に入ってこようとしてる。息、詰まる。いやよ。ヘンなことしようって考えてるんでしょ。あんもー。やだ、ってば。
 あたしは上下の歯を思いっきり噛み合わせる。ぶちん。その途端、グアって痛そうな声が聞こえて、天井の蛍光灯がバリリンって割れた。
 

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新井素子テイスト。 / okka ( 2000-09-08 17:22 )

2000-09-08 第四十五夜。 「サンダル」

 
 あんーん。
 あうーんんん。

 あん。あん。
 あう。あう。あんあんあんあん。
 うー。るーっ。あんっ。
 あんっ。あんあんあんあんっ。
 あうあうあ ぎゃぶっ。


 ず。

 ず。

 ずる。
 ずれり。
 ずず。ずり。

 ず。
 ずろり。

 ず。
 ずざ。

 ずぞ。




 ぼたっ。
 
 

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2000-09-07 第四十四夜。 「地獄変 その三」

 
 入口も、そして出口もないフラスコ状の洞窟は天窓からの光に沈み、その底には迫り上がった岩盤で設えられた円形の舞台が広がっている。その周囲を取り巻いてとりどりの衣装で惨劇を見つめているのは、いわば近づく出番におののく素人役者の群れ。僕は壁際に座り込んで煙草を吹かしている。

 まったく、地獄に堕ちてまでお前と一緒とはね。隣に寝そべる友人は片手で不揃いのトランプを繰りながらそう言って子供の顔で笑い、付き合う人間が悪かったのさと僕が言い返すか返さないかのうちに鬼の爪が友人の足を鷲掴み、彼は舞台の上に引きずり上げられてしまう。
 声を上げるだろうか。一瞬不安に見守るが、友人は固く歯を噛みしばったまま、頭蓋を割られ、喉から胸にかけてを裂き開かれていった。

 鬼は、絵本などで親しい青鬼赤鬼の姿とはおよそ似ても似つかない、コモド諸島の大トカゲを直立にしたような風貌で、黒褐色の鱗に幾層にも張りついた血痕がその愚鈍さを示している。彼らは疲れを知らず、八つ裂きにした肉片骨片を踏み捨てては舞台からその爪を伸ばす。

 その爪に選ばれて一人の若い女が金切り声を上げる。癇に触る悲鳴を繰り出すわりに、もがく手足は効を奏さない。たあいなく舞台の中央まで蹴り出され、掴み止めたもう一方の鬼に下着まで一裂きに剥ぎ取られへし曲げられ、女は深々と肛門を犯される。太股を赤黒く血で染めながらなおもわめき続ける壊れたサイレンのような彼女の声帯も、白い肩に掛けられた十二本の尖った爪が肩から尻に向けて背の皮を肉ごと引き剥がしていくにつれて掠れ、細めいて、ついにはえっ、えっ、と問い尋ねるような嗚咽さえむき出しにされた脊椎の中に埋もれてしまう。

 にわかに静まり返った舞台の上では、鬼の厚い掌の間でぐずぐずひしゃげていく老人の頭骨ばかりがひっそりときしみ続け、出番はいまだ僕にまで回ってこない。
 ポケットに煙草はまだ数本残っていたが、マッチを切らしてしまい、僕は舌打ちして周囲に目を移す。洞窟の左奥、肩を寄せてくぐまる老婆の一群れの脇に何か、ふと気に掛かるもの。
 Nの姿がそこにあった。

 彼女は失神の一歩手前(あるいは幾度かの後)らしく、乱れた裾を整えようともせず指を唇に押し当てては惨劇の一々にいまだ恐れおののいている。震える小さな肩、声にならない悲鳴。
 馬鹿、だなあ。もう死んでいるのに。
しかし、相槌を打つはずの友人の声はとうになく、ふいに僕は己の底に突き落とされてしまう。もしも。

 そのとき、新しい共演者を求めて舞台を降りる鬼の渇いた重い足音が、洞窟いっぱいに響き渡って。
 

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2000-09-06 第四十三夜。 「密 会」

 
 沼のほとりで一時間は待ったろうか、やがて枯れ草を踏み分ける優しい足音が聞こえてくる。
「おさむさん? ごめんなさい、少し遅くなって」
 少女のコートが茂みの向こうに見えると、ぼくは努めて明るく声をかけた。
「そんなに待ちはしなかったさ。それより、家を出るとき、誰にも見られなかった?」
「ええ」
「おかあさんには、黙ってきたよね?」
「はい」
「おとうさんにも」
「ええ」
「おねえさんには?」
「姉は、いないの。半年前に行方不明になって・・・・」
 ああ、そう。そうだね。ぼくはそのことを知っている。君のおねえさんは、君によく似た優しく素敵なお嬢さんだったよ。
「おさむさん?」
 黙り込んでしまったぼくの目を、少女は下から覗き込む。ぼくはゆっくりと腕を回して少女を抱きしめる。
「おさむさん・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おさむ、さん。わたし、少し、息が苦しいです」
 ぼくはかまわず、少女を強く抱きかかえ、そのまま持ち上げて沼の水面に投げ捨てた。
 少女には、何が起こったのかわからなかったに違いない。悲鳴を上げる暇もなかっただろう。夕暮れの沼に激しく水をかく音がして、少女が浮かび上がろうともがいたとき、沼の中ほどにゆるやかな波紋が起こった。

 かのじょはわずかな間に少女の肉をすべて食いちぎり、やがてそのおもちゃに飽きたかのようにその巨大な姿を岸辺に現した。水をしぶかせて浮かび上がる、ぬめぬめした黒いイボに覆われた美しいそのからだ。ぼくは身を乗り出してかのじょに口づけをする。心から愛する、ぼくの、ぼくだけのこいびと。
 

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2000-09-05 第四十二夜。 「コレクター その二」

 
 わたしは、何もわかっていない子供だったのです。請われるままに結婚して、すぐにそれが間違いだったことに気がつきました。夫に必要だったのは、最初からわたしではなかったのかもしれません。
 郷里の洋館にわたしを押し込むと、夫は、すぐに外の女たちに逢いに出るようになりました。一緒に暮らしていて、わからないはずはありません。いえ、そもそも夫には、隠す気持ちさえなかったのかもしれません。門の向こう、夫と知らない若い女が、馬車を待たせながらわたしのことを笑う声が聞こえてきたこともありました。
 そんなわたしの小さな慰めは、珍しく夫がわたしを連れて出た小さなパーティで知り合ったあるお方でした。その方は、自分のことをお金も肩書きもない醜い小男、とおっしゃいましたが、そんなものなんでしょう。映画のことを本当によくご存じで、温かい目で懐かしそうにお話になるのです。
 いいえ、もちろん、その方とお会いしたのはその一度きり。わたしはその方のお名前も存じあげません。ただほんのしばらく、パーティの席でお話しただけ。

 それからずいぶんたったある朝、いつになく上機嫌な夫がわたしに尋ねました。何か、聞こえないかい。夫はコンコンと壁を叩いて言います。ほら、君がその目で誘い込んだ男が、また罠にかかった。
 けれども、わたしには、もう何も聞こえませんでした。夜のうちに、水を入れておいたのですから。
 

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2000-09-05 第四十一夜。 「コレクター その一」

 
 夫である私の、そして本人の意識にすらそぐわないことに、私の妻はかつて都会で暮らしたころ、その美貌で広く知られる立場にあった。
 すなわち、演技力よりはキネマのスクリーン中央やや右寄りで静かに微笑んでいることに評価が集まるような女優、その一人として。
 秀でた額、揺れる蒼い瞳、かすかに約束をほのめかす唇。もっとも、その都会の片隅で十何年ぶりかに再会した彼女は、私にはあの頃のままの小さなサミーであり、私たちはその日からごくありきたりな恋に落ち、ありきたりなキスを交わし、郷里のガーデンでは凡庸な宴が催され、白いテーブルクロスが風に揺れた。

 おだやかな数年ののち、ある日、私は地元の名士の集う小さなパーティに招かれる。その日、妻を同伴しさえしなければ。後悔の幾千万の針が、今も私の胸を刺す。
 名前だけ耳にしたことのある、黒い長い衣服、何か妙に背の低い、鳥のように口の尖った男が私たちの前に現れた。彼は舐めるように妻を見つめ、若いころの妻の仕事の一々を誉め、今も変わらぬ美貌を称え、それからひょいと爪先立って左手の薬指で宙に長方形を描き、それから右手でその空間をぺりぺりと引き剥がした。あたかも、彼の視野にかたどられた妻の肖像を切り取るように。

 妻はそれからの数年間を白い抜き絵として暮らし、ある朝、悲鳴も上げないまま、上半身を黒焦げにして死んだ。
 あの男が、妻の肖像に飽きて燃やしたのだろう。
 

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2000-09-04 第四十夜。 「静 謐」

 
 その気になれば歴史のあちらこちらに彼の痕跡を認めることができる。

 彼は長ずるに百年を要し、老いるためにはさらに千年を要した。

 人並みに食べ、歩き、あるときは愛し、やがては疎まれた。ときおり若い女を殺すことはあったが、癒されることはなかった。

 彼の墓は残っていない。千年を生きようとも、何事もなさず、何物にも巡り合えなかった男の墓など、誰も振り向きはしないものだ。
 

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