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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

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2000-09-07 第四十四夜。 「地獄変 その三」
2000-09-06 第四十三夜。 「密 会」
2000-09-05 第四十二夜。 「コレクター その二」
2000-09-05 第四十一夜。 「コレクター その一」
2000-09-04 第四十夜。 「静 謐」
2000-09-03 第三十九夜。 「怨 嗟」
2000-09-02 第三十八夜。 「ペーネロペー!」
2000-09-01 第三十七夜。 「地獄変 その一」
2000-08-31 第三十六夜。 「重 力」
2000-08-30 第三十五夜。 「白い蜉蝣(カゲロウ)」 (4/4回)


2000-09-07 第四十四夜。 「地獄変 その三」

 
 入口も、そして出口もないフラスコ状の洞窟は天窓からの光に沈み、その底には迫り上がった岩盤で設えられた円形の舞台が広がっている。その周囲を取り巻いてとりどりの衣装で惨劇を見つめているのは、いわば近づく出番におののく素人役者の群れ。僕は壁際に座り込んで煙草を吹かしている。

 まったく、地獄に堕ちてまでお前と一緒とはね。隣に寝そべる友人は片手で不揃いのトランプを繰りながらそう言って子供の顔で笑い、付き合う人間が悪かったのさと僕が言い返すか返さないかのうちに鬼の爪が友人の足を鷲掴み、彼は舞台の上に引きずり上げられてしまう。
 声を上げるだろうか。一瞬不安に見守るが、友人は固く歯を噛みしばったまま、頭蓋を割られ、喉から胸にかけてを裂き開かれていった。

 鬼は、絵本などで親しい青鬼赤鬼の姿とはおよそ似ても似つかない、コモド諸島の大トカゲを直立にしたような風貌で、黒褐色の鱗に幾層にも張りついた血痕がその愚鈍さを示している。彼らは疲れを知らず、八つ裂きにした肉片骨片を踏み捨てては舞台からその爪を伸ばす。

 その爪に選ばれて一人の若い女が金切り声を上げる。癇に触る悲鳴を繰り出すわりに、もがく手足は効を奏さない。たあいなく舞台の中央まで蹴り出され、掴み止めたもう一方の鬼に下着まで一裂きに剥ぎ取られへし曲げられ、女は深々と肛門を犯される。太股を赤黒く血で染めながらなおもわめき続ける壊れたサイレンのような彼女の声帯も、白い肩に掛けられた十二本の尖った爪が肩から尻に向けて背の皮を肉ごと引き剥がしていくにつれて掠れ、細めいて、ついにはえっ、えっ、と問い尋ねるような嗚咽さえむき出しにされた脊椎の中に埋もれてしまう。

 にわかに静まり返った舞台の上では、鬼の厚い掌の間でぐずぐずひしゃげていく老人の頭骨ばかりがひっそりときしみ続け、出番はいまだ僕にまで回ってこない。
 ポケットに煙草はまだ数本残っていたが、マッチを切らしてしまい、僕は舌打ちして周囲に目を移す。洞窟の左奥、肩を寄せてくぐまる老婆の一群れの脇に何か、ふと気に掛かるもの。
 Nの姿がそこにあった。

 彼女は失神の一歩手前(あるいは幾度かの後)らしく、乱れた裾を整えようともせず指を唇に押し当てては惨劇の一々にいまだ恐れおののいている。震える小さな肩、声にならない悲鳴。
 馬鹿、だなあ。もう死んでいるのに。
しかし、相槌を打つはずの友人の声はとうになく、ふいに僕は己の底に突き落とされてしまう。もしも。

 そのとき、新しい共演者を求めて舞台を降りる鬼の渇いた重い足音が、洞窟いっぱいに響き渡って。
 

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2000-09-06 第四十三夜。 「密 会」

 
 沼のほとりで一時間は待ったろうか、やがて枯れ草を踏み分ける優しい足音が聞こえてくる。
「おさむさん? ごめんなさい、少し遅くなって」
 少女のコートが茂みの向こうに見えると、ぼくは努めて明るく声をかけた。
「そんなに待ちはしなかったさ。それより、家を出るとき、誰にも見られなかった?」
「ええ」
「おかあさんには、黙ってきたよね?」
「はい」
「おとうさんにも」
「ええ」
「おねえさんには?」
「姉は、いないの。半年前に行方不明になって・・・・」
 ああ、そう。そうだね。ぼくはそのことを知っている。君のおねえさんは、君によく似た優しく素敵なお嬢さんだったよ。
「おさむさん?」
 黙り込んでしまったぼくの目を、少女は下から覗き込む。ぼくはゆっくりと腕を回して少女を抱きしめる。
「おさむさん・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おさむ、さん。わたし、少し、息が苦しいです」
 ぼくはかまわず、少女を強く抱きかかえ、そのまま持ち上げて沼の水面に投げ捨てた。
 少女には、何が起こったのかわからなかったに違いない。悲鳴を上げる暇もなかっただろう。夕暮れの沼に激しく水をかく音がして、少女が浮かび上がろうともがいたとき、沼の中ほどにゆるやかな波紋が起こった。

 かのじょはわずかな間に少女の肉をすべて食いちぎり、やがてそのおもちゃに飽きたかのようにその巨大な姿を岸辺に現した。水をしぶかせて浮かび上がる、ぬめぬめした黒いイボに覆われた美しいそのからだ。ぼくは身を乗り出してかのじょに口づけをする。心から愛する、ぼくの、ぼくだけのこいびと。
 

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2000-09-05 第四十二夜。 「コレクター その二」

 
 わたしは、何もわかっていない子供だったのです。請われるままに結婚して、すぐにそれが間違いだったことに気がつきました。夫に必要だったのは、最初からわたしではなかったのかもしれません。
 郷里の洋館にわたしを押し込むと、夫は、すぐに外の女たちに逢いに出るようになりました。一緒に暮らしていて、わからないはずはありません。いえ、そもそも夫には、隠す気持ちさえなかったのかもしれません。門の向こう、夫と知らない若い女が、馬車を待たせながらわたしのことを笑う声が聞こえてきたこともありました。
 そんなわたしの小さな慰めは、珍しく夫がわたしを連れて出た小さなパーティで知り合ったあるお方でした。その方は、自分のことをお金も肩書きもない醜い小男、とおっしゃいましたが、そんなものなんでしょう。映画のことを本当によくご存じで、温かい目で懐かしそうにお話になるのです。
 いいえ、もちろん、その方とお会いしたのはその一度きり。わたしはその方のお名前も存じあげません。ただほんのしばらく、パーティの席でお話しただけ。

 それからずいぶんたったある朝、いつになく上機嫌な夫がわたしに尋ねました。何か、聞こえないかい。夫はコンコンと壁を叩いて言います。ほら、君がその目で誘い込んだ男が、また罠にかかった。
 けれども、わたしには、もう何も聞こえませんでした。夜のうちに、水を入れておいたのですから。
 

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2000-09-05 第四十一夜。 「コレクター その一」

 
 夫である私の、そして本人の意識にすらそぐわないことに、私の妻はかつて都会で暮らしたころ、その美貌で広く知られる立場にあった。
 すなわち、演技力よりはキネマのスクリーン中央やや右寄りで静かに微笑んでいることに評価が集まるような女優、その一人として。
 秀でた額、揺れる蒼い瞳、かすかに約束をほのめかす唇。もっとも、その都会の片隅で十何年ぶりかに再会した彼女は、私にはあの頃のままの小さなサミーであり、私たちはその日からごくありきたりな恋に落ち、ありきたりなキスを交わし、郷里のガーデンでは凡庸な宴が催され、白いテーブルクロスが風に揺れた。

 おだやかな数年ののち、ある日、私は地元の名士の集う小さなパーティに招かれる。その日、妻を同伴しさえしなければ。後悔の幾千万の針が、今も私の胸を刺す。
 名前だけ耳にしたことのある、黒い長い衣服、何か妙に背の低い、鳥のように口の尖った男が私たちの前に現れた。彼は舐めるように妻を見つめ、若いころの妻の仕事の一々を誉め、今も変わらぬ美貌を称え、それからひょいと爪先立って左手の薬指で宙に長方形を描き、それから右手でその空間をぺりぺりと引き剥がした。あたかも、彼の視野にかたどられた妻の肖像を切り取るように。

 妻はそれからの数年間を白い抜き絵として暮らし、ある朝、悲鳴も上げないまま、上半身を黒焦げにして死んだ。
 あの男が、妻の肖像に飽きて燃やしたのだろう。
 

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2000-09-04 第四十夜。 「静 謐」

 
 その気になれば歴史のあちらこちらに彼の痕跡を認めることができる。

 彼は長ずるに百年を要し、老いるためにはさらに千年を要した。

 人並みに食べ、歩き、あるときは愛し、やがては疎まれた。ときおり若い女を殺すことはあったが、癒されることはなかった。

 彼の墓は残っていない。千年を生きようとも、何事もなさず、何物にも巡り合えなかった男の墓など、誰も振り向きはしないものだ。
 

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2000-09-03 第三十九夜。 「怨 嗟」

 
 梅雨明けやらぬ空は低く、田舎駅でも夕暮れ時はさすがに改札口が慌ただしい。右肘に違和感を覚え、ふといぶかしく思う。いくら混み合っているといって、定期、切符を持つ手が、前の者の半袖の手に触れるものか。
 すり、おきびきと言う言葉も脳裏をよぎるが、もとより取られて困るほどのものを持ち合わせているわけでもない。
 それはほんの一瞬で、駅から十数分の新興住宅街、土産物の紙袋をキッチンのテーブルに投げ置き、居間に踏み入りながらネクタイを外す。キッチンから妻の高い悲鳴が聞こえた。

「蛇が」
 

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2000-09-02 第三十八夜。 「ペーネロペー!」

 
 中央の帆柱に括り付けられた老人は、ときどき思い出したように頭(こうべ)を振り、力なく声を上げた。
 おい。セイレーンの危機はもうとうに過ぎ去ったのだ。安心してわしをここから放してくれ。
 しかし、耳に蜜蝋を詰めた漕ぎ手たちは、どんなに叫んでも、どんなに暴れても、決して綱を解くなという主人の命を固く守り、黙々と櫓を漕ぎ続けた。
 

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2000-09-01 第三十七夜。 「地獄変 その一」

 
 南国のある地にて。

 いつの頃からか、しゃふしゃふと溶岩より吹きいずる蒸気が、人の顔のように見えると、近隣の者、口々に申す。
 朝まだき早い頃、北の権現より見下ろすに、子供や年寄りや男や女があたかもひしめき、苦悶するがごとし。恐れおののきてそれを指差し、騒ぐ者、後を絶たず。

 僧のなりしたる者、たまさか通りかかり、愚かしや、それは目の迷いなり、と断ず。人々がされど確かに、と説伏せんとするも、僧のなりしたり者いわく。この地にいずれあらわるる地獄は、そのような他愛なきものではないわ。人々これに驚き、さらに法を請わんとするも、僧の姿とうになく、ただびょうびょうたる斜面に蒸気吹き上ぐる風の音ばかり。
 

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2000-08-31 第三十六夜。 「重 力」

 
 まばゆさに目を上げれば、ケシに似た、三かかえほどの赤い花弁の上にいる。

 なぜ、いつからそこにいるのか、わからない。
 ただ、花弁の組み合わさったところ、茎の真上にあたる蘂(しべ)の束の中に座り、じいっとしていられればよいが、少しでもバランスが失われると、花弁ごと数十メートル下に倒れてしまいそうでひどく恐ろしい。

 目を遠方にやって気を散じようとしても虚しく、かすかな風にも細い茎は大きく揺れ、たわむ。生来、高いところには弱い性質(たち)なのだが、それが実はこうして高いところから落ちて死ぬ予感であったかとさえ思われ、心乱れ、大きな揺らぎが訪れれば、頭上に固い地が迫るような思いがする。それが繰り返されるうち、ついにはバランスを取るためにかたわらの妻の首を引き抜いて背に投げ、乳をむしり取って横に捨て、あげく自らの指を噛み切り、肘を抜き、足をもぎ、目をむしる。
 

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2000-08-30 第三十五夜。 「白い蜉蝣(カゲロウ)」 (4/4回)

 
「あっ、そこは」
 小さく悲鳴が上がる。彼のものが少し下に滑り降り、やがてぐいと内奥を突き上げた時、彼女は左の腕を宙に浮かせ、掌を握り、それから開いた。福山の指がその指にからむ。顔が左右に振られ、声にならない喘ぎがほとばしる。当人の意志と関わりなく、彼の動きに合わせて濡れ、まとわりつく襞の感触は、彼女が初めてでないこと、しかしどこか未開発なぎこちなさ、硬さを感じさせ、さらに彼を高ぶらせる。
 福山は、そのまま女の胸に手を巡らせ、彼女自身の手で乳房をもみしだかせるようにする。こらえ切れず、鳴咽のような声が女の口から漏れる。
(非道いことをしてやったほうが、彼女のためなんだ)
 わけもなく、そんな身勝手な思いが繰り返し湧いた。つながったまま背中から両手を回し、女の上体を強引に引き起こす。そして、ソファに腰を沈め、白い両の太股を膝の裏から支え、広げ、後ろから激しく突き上げた。切れ切れの悲鳴が飛び散る。その声は、彼女の日頃の地味で大人びた印象と噛み合わない、痩せぎすで淡い少女を思わせる。
 何かのはずみで束ねていた髪留めが解け、予想外に長い彼女の髪の毛が彼の肩から体を覆うようにばさりと垂れた。何千何万本という髪の穂先が彼の体中をさらさらと走り、刺し、その一本一本の刺激が血管を通して彼の頭に集まり、それは花火のように音を立てて炸裂した。

「どうも、僕が伺っていい話ではないような感じですね。若輩者にはちょっと刺激が強すぎます」
 福山の真意を測れず、祐介は息を詰めた。どうすれば笑い話にできるかと二、三考えたが、手に負いかねた。
「いや。この話にはまだ続きがある。気がついたら、佐原律子という女の姿はなかった(フルネームは後で分かった)。俺はなんだかほっとくと自分がどんどん本気でその女の方に落ち込んでいくような気がして、その夜は車で家に帰った」
「はあ」
「そうしたら、次の日の朝刊に、佐原律子といううちのOLの死体が富士の裾野で見つかったとあるじゃないか。不審な点もあるが、自殺らしい、と、そんな記事だった」
「え」
「今でも、実はよく分からない。後で分かったことだが、彼女の失恋の相手というのが、俺が主任になる前に、その机に座っていた男らしい。それにしても、朝刊に載るということは、少なくとも前日のうちに発見されているはずだ。すると、あれは、全部夢だったのか。それとも、日付については俺の勘違いで、佐原律子が死ぬ前に俺の前に現れたのか。あるいは……」
 福山は、最後まで言葉を継がず、飯をかき込んだ。

「……いや、凄い話ですね」
 福山の返事はない。祐介は弁当の折を傍らに寄せ、椅子を滑らせて自分のマシンのキーボードを叩く。社内メールが一通届いているというメッセージが四角い窓に表示されている。開いた。斜め読みして、祐介は声を荒げた。
「非道いなあ。誰のいたずらだろう。福山さん、人事報で、福山さんが出張先のホテルで心不全で倒れてそのまま亡くなった、なんて書かれてますよ。通夜は明日、喪主は奥さんの……」
 祐介は、どういう表情をしてよいのか途方に暮れながら振り向いた。しかし、そこに人の気配はなく、福山が口にしたはずの弁当の折詰は包みを解かれた気配もなく静かにそこに置かれている。祐介が随分前に注ぎ足した湯飲みの烏龍茶だけが、まるでたった今注がれたかのように湯気を立てている。

(「白い蜉蝣」了)

 

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