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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-08-24 第三十夜。 「猫鳴き」
2000-08-23 第二十九夜。 「水死者」
2000-08-23 第二十八夜。 「スピンクス」
2000-08-22 第二十七夜。 「虫めずり そのニ」
2000-08-21 第二十六夜。 「凪(なぎ)」
2000-08-21 第二十五夜。 「サニーサイドアップ」
2000-08-20 第二十四夜。 「トマト」
2000-08-19 第ニ十三夜。 「虫めずり その一」
2000-08-18 第二十ニ夜。 「時 計」
2000-08-17 第二十一夜。 「爪」


2000-08-24 第三十夜。 「猫鳴き」

 
 土産にもらった茶色い紙袋を開けると、猫の生首が入っていた。眼孔には緑のガラス玉が嵌まり、振ると鳴き声を模した音がする。
 喉の骨のところに金具と生皮で細工が施されており、一定角度傾くと円筒の鞴(ふいご)が鳴るようになっているのだ。娘に渡そうと思ったが、よく乾いてなかったのかジャケツの袖が血で汚れ、不愉快になって捨てることにした。
 

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「ムミャー、ムミャー」ってな乾いた鳴き声だったのでございましょうか? / ねむり ( 2000-08-24 16:11 )

2000-08-23 第二十九夜。 「水死者」

 
 しばらくのざわめきがあって。
 やがて は しずまって。
 闇の底の流れがゆっくり元に戻ったとき
 彼は人形のようにぽつねんとそこに立っていた。
 すべての意味が音もなく彼の足元に沈んでいく。
 しずしずと肩に降り積もる海の雪。
 動いては いけない。
 語る言葉は ない。

 彼はピンポンとは言わず丁寧にPing-Pongと発音した。
 左に来るスマッシュは苦手です なにしろ
 このとおり
 カタリ
 と彼は白い義眼を緑の台に上に落とした。
 お気を悪くなさらないでください
 彼は再びそれを目にはめ込みながら付け加えた
 これでなかなか見えるものもあるのです。
 それから三十分ゲームをして
 別れ際にマイアミへ行くのだと聞かされた。
 船で?
 ええ。船で。
 

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2000-08-23 第二十八夜。 「スピンクス」

 
「魔物よ、女面獣身なる妖怪変化よ。汝(なんじ)か、行人に謎を掛け、答えられずんばこれを食い殺すとて恐れらるるは」
「これなり。聞け、脆弱なる戦士よ。我が名はスピンクス。我が謎を解き、テーバイなる民草の心鎮めし者かつてなし、向後また永久(とわ)にあるまじ」
「魔物よ、我こそは勇士オイディプス。我必ず汝(な)が命ぞ奪わん。速やかに謎出し、我にその醜怪なる首与えよ」
「笑止。されば問う。何か、朝に四つ足、昼に二つ足、夜に三つ足なる動物の名は」
「抜山蓋世、我が智、未だ人に劣ることを知らぬものを、我、かく動物の名を得ず。我答うるところを知る莫し」
「呵呵。かくて勇士とはよくぞ自ら称えける。我、汝を一口にて食い破らんと思う。これにて我が餌食、じゃすと千を数う。善哉、善哉」
「待て。気忙しき魔物よ。冥土のすうべにあに謎の解をば聞かまほし」
「しからば説かん。そは人間なり。始め両手両足で這う赤子にて、次に二つ足、汝もそう。かくて老いぬれば杖も数えて三つ足なり。いざ速やかに我が牙にかかれ。んが」
「待て。待て。浅薄なる魔物よ。されば問う、這い這いの時分に死にし稚児は人にあらずや。我二つ足のまま汝に食われれば、我は人にあらずや」
「否。我らがこととすべきは一般論なり」
「魔物よ、獣身女面なる妖異魍魎よ。されば聞く、人間とは何ぞや。人、一人とは何をか言うらむ。かつて我、父並びに母の身の一滴を受けてこの世に生まれん。されば我は父母の身の一部なり。人間は何れもかくの如き縦横の繋がりの中にあり。見よ。これは我が右腕なり。人は皆、この右腕の如く我とその身を同じにす。我がテーバイの民も皆、人は皆、我が身なり。我は民、民は我。人間とは我ら皆の網綱を言うが誠なり。されば朝に四つ足、昼に二つ足、夜三つ足なる動物の名は人間にはあらず。如何」
「我答うるところを知らず。勇士オイディプス、汝、見事我を破りたり。我は死なんと思う。されど。されど、聞け。汝、汝の持つ運命(さだめ)は知らじ。汝、テーバイの王となりて爾後王妃をば娶らん。されば思い起こせ、汝の放ちし言の葉、人間は皆一つとぞ言う。汝、必ずや父の命を奪う朝、母と寝初む夜のあるを知らん。汝の言の葉、断じて汝を許さじ。汝、目(まなこ)を抉り、流浪の果て、雷鳴のうちに死なん。されば思い起こせ、我が謎の答うるところを」
 スピンクス、かく言い終えて自ら岩より落ちて死ぬ。オイディプス、スピンクスが台詞鼻であしらい、凱旋、テーバイへ向かう足取りも軽し。
 

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2000-08-22 第二十七夜。 「虫めずり そのニ」

 
 今は昔、風の強い晴れた日に、都大路をどんどんと太鼓のような大きな音を立てて走るものがあった。先の戦で無念な死に方をした侍が鬼となったものだとも、地上に落ちた雷神が雲の登り道を探して走るのだとも言われ、その音の聞こえる間は誰一人として門を開けようとしなかった。
 高山から訪れていた陶林人がこの音を耳にするなり、大路に出て腰を低くし、ふところから出した扇を広げて何かをすばやく掬い上げ、「これがあの音を立てるタツミバシリだ」と言って見せたが、集まった人々が顔を寄せる間もなくその扇は何かとてつもなく重いものを乗せたかのようにわきわきと折れてしまった。
 それからしばらくして、豪胆で近在に知られる五位の者が、陶林人の真似をしようとしたのであろうか、扇を手に音の響く大路に出てみたが、恐ろしいものなど何も見えなかったと言って戻ってきた。男はその夜から寝込み、やがて死んでしまった。鬼神はその姿を見たときだけでなく、見ることができないときにも恐ろしい目にあうものだ、とこう語り伝えられているということである。
 

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2000-08-21 第二十六夜。 「凪(なぎ)」

 
 風が止む。
 甘く湿った潮の匂いが鼻腔を満たす。
 上背のある妻の加也子が大きなフォルムで波を掻き分け、掻き分けするのを、私は嬉しく遠望する。

 夏の盛りを過ぎても、この南国では陽光は力を失わない。だが今はさすがに夕刻近く、バタフライの似合う日に焼けた背筋が海獣のように踊り、吼える波の色も淡い。
 余人の立ち寄らぬ、この外海に向いて荒れた岩場を加也子はことのほか好み、ときにはその豊かな肺活量を生かし、驚くほど長く水に潜り、滋養に満ちた魚介類を両手に戻ったりもする。

 やがて。
 ざばり、と加也子が思いもかけない近場に姿を現した。首を右に振って耳孔に入り込んだ水を切る。長い髪が乱れ、メデューサのように私を石に変える。身、動き、ならない私は、ようよう肺に空気を補充し、陸(おか)から加也子に声をかける。

「今日は、なかなか、よい、調子ですね。クラゲはいませんか」
「クラゲは大丈夫。だけどあの岩の陰で、こんなもの、見つけたわ」
 加也子はそう言って、水から引きずってきたらしいものを両腕で抱き上げ、私に見えるようにする。腐乱して膨張し、下半身のちぎれた老婆。
 激しい吐き気に襲われ、私はその水死体が身にまとっている旅館の浴衣らしきものをそれ以上目に捉えることができない。

「あの岩のね、向こうっ側。多分、西のとんがりから落ちたんだな。流されるかもしれないし、放っておくわけにはいかないから持ってきた」
「け、警察に、連絡、しなくてはね」
「そうだね。自分で飛び込んだんだか、誰かに突き落とされたのか。第一、どこの誰だかもわからないし」
 加也子はそう言うや、すでに人間の顔とは思われない、腐敗に溶け、魚や蟹どもについばまれた老婆の顔を覗き込む。
「ああ、加也子さん、あなたはどうして、どうして、そういうことが平気なのだろう。去年の夏の、あのときといい」
「そうか。普通の女はこんなときはきゃあきゃあと悲鳴を上げるんだな。でもまあ、いいじゃないか。こんなあたしだから、そんな、あんたと、結婚したのだし」

 くひひと唇のはしで笑う加也子の言葉が、尖った海胆(うに)の針のように私の心臓をぶすりぶすりと刺しては折れ、刺しては折れる。そう。それは全くその通り。加也子だから。加也子でなければ。この私のごとき。

 唐突に、夕凪の中で私は加也子の過剰な肉体を思う。今は黒く小さな水着がきつく締めつけている、ほの白い、私だけが知る固い下腹部の筋肉を、そしてそれが私の納められた瓶の上でほぐれてしなる夜を思う。

「ね、早く、それ片付けて、加也子さん」
「早く片付けて? どうするんだい、昭一さん」
 波打ち際まで上がって胸を張り、女神のようにそそり立ち、彼女の膝までしかない私をまっすぐに見下ろした加也子が、唇ゆがめてさらに笑うのが見える。ぱんと張った両の腕(かいな)や太腿が自信満々たけり、黄金色の産毛が水をはじくのが見える。加也子には、私の声がうわずっていることがわかったのだ。それが、水死体を迎えて狼狽したせいでないことも、わかってしまったのだ。だがもう、私は瓶からはみ出しそうな赤黒い自分を抑えることができない。わ。私は。私を。早く。か、加也子さん。
 

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2000-08-21 第二十五夜。 「サニーサイドアップ」

 
 彼は偉大なマジシャンだった。彼が指をパチンと鳴らすとライオンの檻には美女が頬笑み、スペードのジャックはくるくる回って白ネズミに変身した。ブラボー。彼自身は小さなステージを好み、巧みな話術でボウルやリングを心から楽しんだものだが、一方、大掛かりなショウも辞さなかった。ことに彼の函抜けの術は図抜けており、世界中のマジシャンたちが彼の勇気と技術にはシャッポを脱いだ。彼はそして世界中の子供たちと、それから子供の心を持ったままの大人たちに愛されながら死んだ。もちろん死ぬ間際には過去の著名な魔術師や発明家が繰り返した件の約束を忘れなかった、「大丈夫、私はきっとあの世から抜け出して見せるさ」 。

 ある朝、彼の妻が目を覚ましてみると、隣のベッドには腐乱した彼の死体があった。
 彼の妻は「まあまあ、律儀な方。本当に約束を守ってくださったのね」と歌うように言い、彼に口づけし、それから朝食の支度に取り掛かった。けれど、さしもの彼も抜け出すのが精一杯だったせいか、せっかくの朝食に手をつけることはできなかった。
 

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2000-08-20 第二十四夜。 「トマト」

 
 喉の奥がごぼごぼと鳴って、アイボリーのサニタリーが朱に染まる。
 妻は彼の背中をさすりながら「トマトを食べ過ぎたのね」と言った。トマト。
 いつ食べたのだろう。覚えがなかった。だが妻が言うのならそれに違いない。
 そうして彼はトマトを吐き続けた。翌日も、その翌日も。
 

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怖いよー。でも大好物なので今日も2,3個食べてやるー、ごぼごぼ。 / イナホ ( 2000-08-20 14:49 )

2000-08-19 第ニ十三夜。 「虫めずり その一」

 
 今は昔、高山の旧家に、タタミウズという虫が出ることがあった。
 タタミウズは畳表のすぐ裏、藺草(いぐさ)と藁(わら)の隙間を食らうと言われていた。幅ニ、三寸、長さ三尺あまりのこの大きな虫には厚みというものがなく、平たい大百足のような形をしていた。新しい青畳や、逆に摩り減った古畳の裏に出ると、まるでこぼれた水が這うようにゆっくりと影が流れ、敷居に当たってはゆき戻った。
 タタミウズの進む道に太めの網針を刺すと、布が裂けるようにこの虫は二つに分かれ、てんでんに這い、やがて出遭っては子をもうけた。陶林人はこの虫あそびが好きで、彼の庵は往々にして乱れ舞うタタミウズでいっぱいに彩られていた、とこう語り伝えられているということである。
 

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最近テレビでやっている「顔ダニ」の話も怖いです。 / イナホ ( 2000-08-19 17:52 )
ちょうど666ヒットでした。 / こすもぽたりん ( 2000-08-19 17:11 )

2000-08-18 第二十ニ夜。 「時 計」

 
 夜半。何か気配があって目を覚ました。

 布団の足元の方にある押し入れの襖が開き、その上の段に一段と濃い陰がある。目をこらすと、だらしなく丹前をはだけた義父が正座し、こちらをねっとりと見おろしているのだ。

 義父の眼孔は窪み、尖った舌は胸のあたりまで垂れている。その舌がひゅうひゅうと左右に大きく二回揺れて、あたしは今、午前二時を回ったところだと知る。
 

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なんとも不思議な・・・。 / イナホ ( 2000-08-18 22:45 )
なんとも不気味な・・。 / ねむり猫 ( 2000-08-18 13:00 )

2000-08-17 第二十一夜。 「爪」

 
 月曜日のことだった。
 その前日、日曜日には家族三人で県境の伯母を訪ね、伯母に勧められるまま県庁近くの百貨店の地下食品街で少しばかり贅沢な生ハムと押し鮨を買った。帰途、バイパスへの右折路を間違え、小学三年生の秀夫は毎週見ているテレビ番組に間に合わないと後部座席で少しふくれた。絵に描いたように平凡な、そして幸福な午後。
 その翌日。

 午後三時前に校舎の端で何人かのクラスメートに目撃された後、秀夫がその日どこを通り、誰に遭い、何をされたのか。警察を含む懸命の捜査にもかかわらず、今でも何もわからない。
 「ただいま」の声はなかった。秀夫が玄関のドアを開けてズック靴を脱ぎ、ダイニングキッチンに入ってきたのは午後六時過ぎ。彼はランドセルを背負ったまま、まるで道に迷った犬のように膝を曲げてとぼとぼと歩み、たまたま早く帰宅してネクタイを外すところだった私と、何か揚げ物をしていた妻の顔を───その姿をのちに私は何度思い返しただろう───不思議そうに、いや、途方に暮れながら何か思い出そうとするように見比べ、それから何かを訴えるかのように口を開き、だがその開いた口から言葉が漏れることはなく、彼は突然反り返るように倒れ、ほんの数秒痙攣しただけで冷たくなった。
 私たち、私と妻は、何度話し合ったことだろう。秀夫は何を伝えようとしたのか。彼は私と妻の顔を見比べるように、何か思いがけない出来事に遭遇し、それを伝えようにもそれを的確に表す言葉を知らず、いや、それ以前に目の前にいる私たち二人が誰なのかわからず、自分がなぜそこにいるのかわからず……。そしてなすすべもない私たちのすぐ目の前で秀夫は白く目を剥き、まっすぐ後ろに倒れ、がづんと後頭部を打つ、思いがけず大きな音がキッチンに響き。

 秀夫の死は不審死として行政解剖にかけられ、警察からの担当者の厳しい表情がさらに私たちを途方に暮れさせた。
 倒れた際のものと思われる後頭部の打撲の跡を除き、一切の外傷がなかったにもかかわらず、秀夫の脳髄は何者かがむしり取ったかのようにおよそ左半分が喪われ、代わりに純度の高い水が頭蓋骨の内側を満たしていたのだ。これは、秀夫が玄関のドアを開け、キッチンに入り、何かを語ろうとしたことと矛盾する。もし、何者かによってこのように脳髄をむしり取られたなら、彼はその時点で絶命していなければならなかった。
 その事実は───事実などというものがこの世にあるとしてだが───その何者かが、私と妻の目の前で、あの、何か語ろうとした瞬間の秀夫から左の脳髄をえぐり取っていったことを意味する。「言いにくいことですが」と警察の使いの声が耳に残る。「その、つまり、まるで爪で掻き出したような跡が」、そしてその声は自らの言葉を否定する。「もちろん、そんなわけはないんですが」

 その通りだ。そんなわけはない。あり得ないことだ。だが、事実、秀夫は喪われてしまった。誰に?
 それからの幾十、幾百の夜、私はその爪が何者のものであるかを考え、自分に、妻に、問い続けた。どの時点だかは記憶にないが、すでに、妻は私の元を去り、私は一人、夜毎、グラスを片手に考える。一人で寝起きする家は無闇に広く、ノートや玩具など、思いがけないところから秀夫に結びつくものが現れる。そして私は、無理を言って得た、秀夫の頭蓋骨を満たしていた水の納まった小さな瓶を前に考え、考え、考え、考え続ける。誰かが私をむしり取り、代わりに水を満たしてくれる、そのときまで。
 

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