月曜日のことだった。
その前日、日曜日には家族三人で県境の伯母を訪ね、伯母に勧められるまま県庁近くの百貨店の地下食品街で少しばかり贅沢な生ハムと押し鮨を買った。帰途、バイパスへの右折路を間違え、小学三年生の秀夫は毎週見ているテレビ番組に間に合わないと後部座席で少しふくれた。絵に描いたように平凡な、そして幸福な午後。
その翌日。
午後三時前に校舎の端で何人かのクラスメートに目撃された後、秀夫がその日どこを通り、誰に遭い、何をされたのか。警察を含む懸命の捜査にもかかわらず、今でも何もわからない。
「ただいま」の声はなかった。秀夫が玄関のドアを開けてズック靴を脱ぎ、ダイニングキッチンに入ってきたのは午後六時過ぎ。彼はランドセルを背負ったまま、まるで道に迷った犬のように膝を曲げてとぼとぼと歩み、たまたま早く帰宅してネクタイを外すところだった私と、何か揚げ物をしていた妻の顔を───その姿をのちに私は何度思い返しただろう───不思議そうに、いや、途方に暮れながら何か思い出そうとするように見比べ、それから何かを訴えるかのように口を開き、だがその開いた口から言葉が漏れることはなく、彼は突然反り返るように倒れ、ほんの数秒痙攣しただけで冷たくなった。
私たち、私と妻は、何度話し合ったことだろう。秀夫は何を伝えようとしたのか。彼は私と妻の顔を見比べるように、何か思いがけない出来事に遭遇し、それを伝えようにもそれを的確に表す言葉を知らず、いや、それ以前に目の前にいる私たち二人が誰なのかわからず、自分がなぜそこにいるのかわからず……。そしてなすすべもない私たちのすぐ目の前で秀夫は白く目を剥き、まっすぐ後ろに倒れ、がづんと後頭部を打つ、思いがけず大きな音がキッチンに響き。
秀夫の死は不審死として行政解剖にかけられ、警察からの担当者の厳しい表情がさらに私たちを途方に暮れさせた。
倒れた際のものと思われる後頭部の打撲の跡を除き、一切の外傷がなかったにもかかわらず、秀夫の脳髄は何者かがむしり取ったかのようにおよそ左半分が喪われ、代わりに純度の高い水が頭蓋骨の内側を満たしていたのだ。これは、秀夫が玄関のドアを開け、キッチンに入り、何かを語ろうとしたことと矛盾する。もし、何者かによってこのように脳髄をむしり取られたなら、彼はその時点で絶命していなければならなかった。
その事実は───事実などというものがこの世にあるとしてだが───その何者かが、私と妻の目の前で、あの、何か語ろうとした瞬間の秀夫から左の脳髄をえぐり取っていったことを意味する。「言いにくいことですが」と警察の使いの声が耳に残る。「その、つまり、まるで爪で掻き出したような跡が」、そしてその声は自らの言葉を否定する。「もちろん、そんなわけはないんですが」
その通りだ。そんなわけはない。あり得ないことだ。だが、事実、秀夫は喪われてしまった。誰に?
それからの幾十、幾百の夜、私はその爪が何者のものであるかを考え、自分に、妻に、問い続けた。どの時点だかは記憶にないが、すでに、妻は私の元を去り、私は一人、夜毎、グラスを片手に考える。一人で寝起きする家は無闇に広く、ノートや玩具など、思いがけないところから秀夫に結びつくものが現れる。そして私は、無理を言って得た、秀夫の頭蓋骨を満たしていた水の納まった小さな瓶を前に考え、考え、考え、考え続ける。誰かが私をむしり取り、代わりに水を満たしてくれる、そのときまで。
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