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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-08-13 第十七夜。 「誤 差」
2000-08-12 第十六夜。 「白 光」
2000-08-11 第十五夜。 「船酔い」
2000-08-11 第十四夜。 「井 守」
2000-08-10 第十三夜。 「母子像」
2000-08-10 第十ニ夜。 「妻 隠」
2000-08-09 第十一夜。 「手」
2000-08-09 第十夜。 「黒い蝶」
2000-08-08 第九夜。 「捕 逸」
2000-08-08 第八夜。 「水まわり」


2000-08-13 第十七夜。 「誤 差」

 
 魔法使いはぞっとするような高い声で笑い、人魚姫にこう言いました。
「そのかわいい声とひきかえに、飲みぐすりをこしらえてやろう。あした、おてんとうさまが上がる前に岸に上がって、それをお飲み。そうすれば、おまえのしっぽはちぢんで、足ってものになるよ。でもね、その足で歩けば、ひとあしごとに、それはもう、痛いのなんの。まるでするどい剣でさされるようだよ。そのかわり、どんな人間でも、おまえを見れば、ああ、今までに見たこともないきれいな娘だ、と言うだろうよ」

 翌日の明け方。
 波打ち際で発見されたそれは、全長およそ3メートル。海底を這うためか胸ビレが発達し、深海圧に耐える胴はウロコが変じた黒くざらざらした皮膚で覆われている。左右に突き出したまぶたのない目は丸く、口は大きく裂けて小さな尖った歯が並んでいる。地元の漁師の言葉によると、白い肉は水っぽく、およそ美味とはいいがたかったという。
 

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後半だけだったら何も感じないと思うけど前半を読んだ後に後半を読むと夢の世界から突然突き放されてしまったような気がしてなんとも気持ちが悪い(誉めです) / イナホ ( 2000-08-14 01:56 )

2000-08-12 第十六夜。 「白 光」

 
 ドム、ドム、ドム、ドムと、心音をエミュレートした重低音のサイレンが、今夜は週末、狩りの夜だと町中に告知して走る。
 少年は音と光に導かれて狩り場へと急いだ。今夜の狩り場、昼はオフィス街として車やサラリーマンであふれる大通りは、左右からライトを浴びて真昼のような明るさ。
 警備隊がロープで囲った中、クラスメートの顔を見つけて少年は走り寄る。来たね。ああ、来たさぁ。今夜はどのくらい、狩られるだろうね。やあ、もう、地下ではいぶし出しが始まってるみたいだ、ほら。
 クラスメートが指差す向こう、いくつかのマンホールから紫の煙が漏れ上がる。
 そのうちの一つ、思いがけず目と鼻の先のマンホールの蓋がごりごりと音を立てて開き、中から灰色のモノがよろめきながら這い出してきた。ごうごうと歓声が沸く。撃て! 燃やせ! 市民の期待に応えるように四方から赤い炎が走り、そのモノを撃ち倒す。パチパチと火の粉が散り、オレンジ色の渦の中で痙攣(けいれん)する指、足。顎(あご)ががくがくと揺れるのは悲鳴を上げているのだろうか。
 ぐるりと倒れ、油をしたたらせて痙攣するそれに目をこらし、少年は、あ、と晴れやかな声を上げる。あれ、去年死んだお祖母ちゃんだ。
 え、ほんと? そうかあ。クラスメートは悔しそうに目を吊り上げて言う。俺のお祖父ちゃん、まだ狩られてないんだ。次こそ、ぜったい。
 耐火服の役人たちは、ファイアシュートを手に勇壮な狩りの歌を轟かせる。燃やせよ滅っせ、地の虫を。少年たちはなおも続く狩りの炎に頬を染め、新たな獲物の断末魔に腕を振り、歓声を上げる。
 

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2000-08-11 第十五夜。 「船酔い」

 
 侍は長州の浪人で、わけあって旅する者だと応えた。くたびれた装束の割りに、腰に下げただんびらは素性只ならぬものとうかがわせるに足るもので、私は退屈な公務の道行きに格好の供を得たと喜んだが、彼にとっても果たしてそうであったかどうか。
 時候の浦賀の有り様や藩に残した許嫁のことなど、半時もすると軽口を叩くは己ばかりで、さすがに恥を覚えて黙り込んだが、口が重くなったのはそのせいばかりでないことにやがて気がついた。凪(なぎ)の頃とて波はなかったが、生来船に乗り慣れているわけではない。だらしなくもやがて船べりにへたり込み、口を押さえて青ざめていると、件の侍が迷った気配のあげく、船酔いにも効くやも知れぬとかなんとか口ごもりながら私の首筋に何か冷たいものを両の手で押しつける。膏薬か何かと思い込み、またそれが実に気持ちよく効くものであるから手を伸ばし、その手を引いてアッと驚いた。指の間でふるふると揺れたのは丸々と太った蛭(ひる)である。一体この男はどこにそのようなものを持ち歩いているのか。しかし蛭を私の手から静かにもぎ取って懐に納める男には、もはやそのようなことを尋ねる隙とてない。
 以後固く口を閉ざした侍と船付き場で袂を分かち、私は先を急いだが、のちに同僚から妙なことを聞かされた。私が公務で訪ねた小藩の家老が少しく前に死んだのだが、その死に様がすさまじい。寝所いっぱいに蛭がのたくり、しかも老人は槍を構えて蛭と争って死んだとしか見えなかったというのだ。
 侍の噂は聞かない。私はそれを幸いに思う。船からの降り際に風に煽られて見えた如く、腹から背中にかけていっぱいに蛭を飼う暗殺者の噂など、誰が聞きたいものか。
 

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2000-08-11 第十四夜。 「井 守」

 
 アスファルトの道端にしゃがみ込んで、幼女は困ったような顔でマンホールを覗き込んでいる。何か言ったようだが、じあじあとうるさい壁の蝉にさえぎられ、聞きとることができない。突き出す小さな指につられてマンホールの中を覗くと、そこには赤黒い内臓のようなものがいっぱいにぬめぬめとのたくっている。ぴちぴち、ぎぃぎぃと、そのモノは小さな白い歯を互いに突き立て、浮き、沈む。

「暗いわ。狭くて、息がつまりそうだわ」

 意図してかどうか、短いチェックのスカートの膝を開き、幼女は白い下着を垣間見せる。小さな手で自らの頚を締め上げ、舌を吐き、白目を剥く。

 どうやって逃れよう。
 塩を持ち歩いてさえいれば。

 絵のような空の下、私は自らの真っ黒い影に汗を落とし続ける。
 

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2000-08-10 第十三夜。 「母子像」

 
 アア。何するの。やめて。汚い手でアタシの子に触らないで。
 そこをどいて。ヘンなこと言うのね、そりゃオイシャは想像妊娠なんてバカなこと言ってたけど、想像妊娠で子供ができるはずないでショ。アッ、アッ、アー、ひどい。やめて、どいて、アタシの息子を踏まないで。あの人の子なのよ。アア。アア。早くその足上げて。泣いてるでしょ。マア、怪我をしたのね。かわいそうに産着が泥まみれ。なんてひどい人達。アア。アタシがいけないのね。泣かないで。こんな日に外へ連れて出たママがいけないんだわ。きっと暑さのせいなのね。どこもかしこもヘンな人ばかり。赤ん坊を平気で踏みつけにして。ヘンね。あの人はどこかしら。ここどこ? アア。頭が少し痛い。でもこの娘の三ヶ月検診なんだから。早く行かなきゃ。通してくださいな。何よ、アンタ達。やめて。アタシを通してったら。
 

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2000-08-10 第十ニ夜。 「妻 隠」

 
 Sの故郷は島国で、僕達は長い船旅の末ようやくそこにたどり着く。南国のその小さな島には港があり街並があり、彼女の実家は少し歩いた島の奥にある旧家である。
 初夏の陽光のもと、旅の直前に髪を切ったSの横顔は幼く見え、僕の内奥では旅の目的が次第に醗酵してゆくのがわかる。
 足場を探りながら進む谷川にそった小径は枯草にまみれ滑りやすく、うつ向いて先に立つSの声は幽かな震えを帯びている。
 ―――わたしの母はここから落ちて亡くなったの。まだ赤ん坊だったわたしは木の枝に掛かって助かったのだけれどそのために左手はだめになったのだわ。
 その声が途絶え、振りあおいだ僕はSが灌木の茂みから現れた男達の野卑な声に囲まれうずくまっている様を認める。
 ―――やめろ。
 つぶやくように言いながら指を突き出してにじり寄る僕の目が彼等の映像をブレさせる。
 ―――いね。
 男達の消えた小径でSは細く高い悲鳴をあげはじめる。
 軽い発作を起こしたSを抱きかかえるようにしてたどり着く旧家では一族の老人達がひからびた指をはしゃがせ僕を迎え入れる。
 ―――ま、え、よう来しゃった。よう来しゃった。
 ―――よう来しゃった。上がりなされ、上がりなされ。酒がええかな、風呂がええかな。
 夜ふけに僕は身を起こし、きしきしと鳴る回廊を忍んでSの寝所を窺い見る。彼女は定められた白い装束で床を取っているが眠っているわけではない。
 天井を見つめて身を硬くするSの左腕を慈しむ僕の耳には障子の隙から八ミリを構えて覗き込む老人達のひそめきが聞こえて来る。
 ―――ま、え、御立派な男振りのことじゃて。
 ―――ほんに、まあ。
 ―――あっぱれ、あっぱれの男振りのことじゃて。
 ―――ホヒ、ホヒ、ホヒ、ホヒ。
 ―――ホヒ、ホヒ、ホヒ。
 

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2000-08-09 第十一夜。 「手」

 
 友人のアパートを訪ねると、当人に代わって白い手が留守番をしていた。
 手は言葉を発することはないが、ゆるやかな動きで僕を部屋に導き入れ、温かいコーヒーをご馳走してくれる。たゆたう湯気の向こう、テーブルの上に静かに重なる美しい両の手と対峙している心持ちは悪くなく、おろかで口うるさい女と暮らすよりも、このような静かな手と同棲するほうがなるほど理にかなっているように思えてくる。・・・・無意識のうちにふと差し延べた手に、白い手ははにかみを見せるように揺れ・・・・。
 軽い罪悪感を抱きつつその部屋を後にしたが、友人が絞殺死体となって発見されたのはその数日後だった。部屋はほぼ密室と言えるような状態で、都会のミステリーと一部新聞などでは騒がれたが、やがてそれも下火になった、ある夜。
 誰かが私のドアを静かにノックした。
 

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2000-08-09 第十夜。 「黒い蝶」

 
 記憶は食べられる!
 電気ショックによる条件反射を記憶させたプラナリアを切り刻んでもう一匹のプラナリアに食べさせたところ、そのプラナリアもかなり高い確率で電気ショックに反応した。記憶は食べられるのだ。
 ある科学雑誌でそのプラナリアの実験についての記事を読んだ時、僕はやっと君に会えると思った。
 君が死んだのは雪の降る冬の夜だった。いつも坂道で出会っては僕に頬笑んでくれた少女は病気だった。君が死んだことを偶然知らされた日、僕は泣いた。君のことを何も知らない。僕は君のことをまるで知らなかったのだ。・・・・
 君はその短い十六年の命をどのようにして生きたのか。何を思い何を見つめ何に泣いたのか。僕は君の家を尋ね、友人と偽り君のことを聞いてみた。君の御両親は黙って僕を君の部屋に招き入れアルバムを開き思い出を語ってくれた。彼等はたった一人の娘を亡くしたのだ。僕が喪くしたものは何だったのだろうか。・・・・
 けれど今夜やっと本当の君に会える。花束とともに君がこの地に残された土葬の風習に従って埋められたと聞いた時僕はどれほど喜んだことか。
 手が墓石を押し倒す。シャベルが土をはね上げる。この地下に君の十六年が眠っているのだ。・・・・
 やがて、釘を抜いた柩の蓋に僕は手をかける。蛆のわいた腐った死体は見たくなかった。僕はただ、柔らかな君の脳味噌が欲しかった。・・・・
 力を込めて柩を押し開けた時、僕は闇の為に屍を見ることが出来なかった。僕は黒い影の一段と濃いところに手を伸ばした。そこに冷たく横たわるものに触れるために。
 影の手応えの思いがけない軽さに、僕は思わず手を引いた。まるで、それを合図に待っていたかの如く、その途端さわっという音がして、数千、幾万もの黒い蝶が柩から闇の中に舞い上がった。僕はなすすべもなく、その渦の中に立ちすくんだ。ひたすら、蝶、蝶、蝶・・・・。
 しばらくして、蝶が皆夜の闇にまぎれて消えていった後、僕は慌てて柩の底をまさぐった。あるべき屍はなく、ただしおれた花束が人の形の空間をかたどっている。そしてそれは、たった今まで誰かそこで眠っていたかのように温かい。・・・・
 

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2000-08-08 第九夜。 「捕 逸」

 
 九回裏、二死二、三塁で点差は一点。
 内角高めに入ったストレートを七番バッターはバックネット方向へ力なく打ち上げた。
 キャッチャーフライで試合終了、と球場の誰もが思ったとき、審判の足もとにはマスクと一緒にもげ落ちたキャッチャーの頭が転がっていた。
 

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2000-08-08 第八夜。 「水まわり」

 
 アパートの流しがつまったと、階下の住民達が騒いでいる。逆流してあふれるというのだ。僕は階段を降り、工事人が下水口をさらうのを肩ごしにながめる。
「うああっ」と声が上がり、人の輪が数歩退いた。ブラシの先いっぱいにまとわりついていたのは、どろどろに腐りかけた、長い、髪の毛。
「流行の朝シャンのせいかね。誰だいこんなになるまで流したの」と管理人は不機嫌に目を上げる。僕は階段を昇りながらひとりごつ。

 髪の毛までは、食えなかったのだ。
 

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