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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

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2000-08-09 第十一夜。 「手」
2000-08-09 第十夜。 「黒い蝶」
2000-08-08 第九夜。 「捕 逸」
2000-08-08 第八夜。 「水まわり」
2000-08-07 第七夜。 「踏 む」
2000-08-07 第六夜。 「記念撮影」
2000-08-06 第五夜。 「新盆会」
2000-08-05 第四夜。 「抱 擁」
2000-08-04 第三夜。 「首」
2000-08-03 第二夜。 「作 法」


2000-08-09 第十一夜。 「手」

 
 友人のアパートを訪ねると、当人に代わって白い手が留守番をしていた。
 手は言葉を発することはないが、ゆるやかな動きで僕を部屋に導き入れ、温かいコーヒーをご馳走してくれる。たゆたう湯気の向こう、テーブルの上に静かに重なる美しい両の手と対峙している心持ちは悪くなく、おろかで口うるさい女と暮らすよりも、このような静かな手と同棲するほうがなるほど理にかなっているように思えてくる。・・・・無意識のうちにふと差し延べた手に、白い手ははにかみを見せるように揺れ・・・・。
 軽い罪悪感を抱きつつその部屋を後にしたが、友人が絞殺死体となって発見されたのはその数日後だった。部屋はほぼ密室と言えるような状態で、都会のミステリーと一部新聞などでは騒がれたが、やがてそれも下火になった、ある夜。
 誰かが私のドアを静かにノックした。
 

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2000-08-09 第十夜。 「黒い蝶」

 
 記憶は食べられる!
 電気ショックによる条件反射を記憶させたプラナリアを切り刻んでもう一匹のプラナリアに食べさせたところ、そのプラナリアもかなり高い確率で電気ショックに反応した。記憶は食べられるのだ。
 ある科学雑誌でそのプラナリアの実験についての記事を読んだ時、僕はやっと君に会えると思った。
 君が死んだのは雪の降る冬の夜だった。いつも坂道で出会っては僕に頬笑んでくれた少女は病気だった。君が死んだことを偶然知らされた日、僕は泣いた。君のことを何も知らない。僕は君のことをまるで知らなかったのだ。・・・・
 君はその短い十六年の命をどのようにして生きたのか。何を思い何を見つめ何に泣いたのか。僕は君の家を尋ね、友人と偽り君のことを聞いてみた。君の御両親は黙って僕を君の部屋に招き入れアルバムを開き思い出を語ってくれた。彼等はたった一人の娘を亡くしたのだ。僕が喪くしたものは何だったのだろうか。・・・・
 けれど今夜やっと本当の君に会える。花束とともに君がこの地に残された土葬の風習に従って埋められたと聞いた時僕はどれほど喜んだことか。
 手が墓石を押し倒す。シャベルが土をはね上げる。この地下に君の十六年が眠っているのだ。・・・・
 やがて、釘を抜いた柩の蓋に僕は手をかける。蛆のわいた腐った死体は見たくなかった。僕はただ、柔らかな君の脳味噌が欲しかった。・・・・
 力を込めて柩を押し開けた時、僕は闇の為に屍を見ることが出来なかった。僕は黒い影の一段と濃いところに手を伸ばした。そこに冷たく横たわるものに触れるために。
 影の手応えの思いがけない軽さに、僕は思わず手を引いた。まるで、それを合図に待っていたかの如く、その途端さわっという音がして、数千、幾万もの黒い蝶が柩から闇の中に舞い上がった。僕はなすすべもなく、その渦の中に立ちすくんだ。ひたすら、蝶、蝶、蝶・・・・。
 しばらくして、蝶が皆夜の闇にまぎれて消えていった後、僕は慌てて柩の底をまさぐった。あるべき屍はなく、ただしおれた花束が人の形の空間をかたどっている。そしてそれは、たった今まで誰かそこで眠っていたかのように温かい。・・・・
 

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2000-08-08 第九夜。 「捕 逸」

 
 九回裏、二死二、三塁で点差は一点。
 内角高めに入ったストレートを七番バッターはバックネット方向へ力なく打ち上げた。
 キャッチャーフライで試合終了、と球場の誰もが思ったとき、審判の足もとにはマスクと一緒にもげ落ちたキャッチャーの頭が転がっていた。
 

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2000-08-08 第八夜。 「水まわり」

 
 アパートの流しがつまったと、階下の住民達が騒いでいる。逆流してあふれるというのだ。僕は階段を降り、工事人が下水口をさらうのを肩ごしにながめる。
「うああっ」と声が上がり、人の輪が数歩退いた。ブラシの先いっぱいにまとわりついていたのは、どろどろに腐りかけた、長い、髪の毛。
「流行の朝シャンのせいかね。誰だいこんなになるまで流したの」と管理人は不機嫌に目を上げる。僕は階段を昇りながらひとりごつ。

 髪の毛までは、食えなかったのだ。
 

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2000-08-07 第七夜。 「踏 む」

 
 ほんの三十年も前までは、この国でも土葬は珍しいものではなかった。
 棺桶には白木の長方形のものと、桶型のものがあったが、廉価で場所をとらない桶型のものを選ぶ家族も少なくなかったように記憶している。

 少年は蝶を追った。ルリタテハは決して稀な蝶ではないが、動きが素早く、少年の網は幾たびも空を切った。従弟の少年を伴って小高い丘の一角を走り、巡り、それから少年は足下の地面がすっぽりと数十センチ落ち窪んだ衝撃に、自分が走りすぎたことを知った。
 

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2000-08-07 第六夜。 「記念撮影」

 
「えーっ、やだ。ムトウくんとサワダくんが写ってない」
 船上での集合写真を見て騒ぎ出したのは、声の大きいナカムラノリコだった。
「なになに、心霊写真?」
「そんなんじゃないの、二人が写ってないのよ」
 僕はノリコの手の中の写真をのぞきこんで言った。
「どうせどこかで遊んでて、写真撮るってことを知らなかったんだろ」
「ううん、だって。二人とも確かにこのとき私の前にいたし、ほら、ここ。イシダさんのとなり、二人分くらい空いてるでしょ」
 おとなしいイシダカズヨが、いつものようにワンテンポ遅れて顔を上げた。
「そういえば、あの二人だったかなあ、あたしのとなり」
「そうよ、秘密基地がどうのって話してたじゃない」
 そこにいつもの緑のカーディガンを着たタカハシ先生が現れ、女の子たちは口々に異常を訴えた。
 先生は受け取った写真をしばらくいぶかしげに見ていたが、やがて周りに集まった生徒たち一人ひとりの顔を見つめながら静かにため息をついた。
「これはね、しかたないの。サワダくんとムトウくんはこの後、船の後ろのほうに行ったでしょ。だから助かったのね、二人だけが」
 

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こわ〜。 / ねむり猫 ( 2000-08-07 13:28 )

2000-08-06 第五夜。 「新盆会」

 
 ボール遊びから帰ると、課題の文具を買いに出た妹を迎えに行くよう諭される。脱ぎ散らしたズックをしぶしぶ履き直し、角を二つばかり駆け抜けた向こう、小さなスカート姿が頼りなく街灯の下にある。悪戯心に隠れて影の近づくのを待ち、
「わっ」
夜のように腕を広げて脅かすと、妹はひいいと悲鳴を上げて家とは反対の方向に走り出す。これはしまったと、「お兄ちゃんだよ、御免よ」と詫びながら追おうとするが、妹はこの春に死んだことに思い当たり、声が裏返る。
 

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2000-08-05 第四夜。 「抱 擁」

 
 クラブ活動を終えて家に帰ると、知らない女の人が玄関に走り出てきて、泣きながら三日間もどこに行っていたの、と言った。
 

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2000-08-04 第三夜。 「首」

 
 湯屋からの戻り道、とんとまっつぐに帰る気もなければ、そこは夜の散策とひとつしゃれこむのは今宵もまた。こうっと御機嫌でからころ歩くに、宵闇のあちらにぽおと薫るは沈丁花の花垣。こいつあ粋だねとつい手を伸ばすと、ひや驚いた、枝葉を縫うように白い帯のような筒のような。蛇じゃ蛇じゃと思わず手を引っ込めるが、よくよく見ればそんな大蛇が当節町屋にいるわけもなし、なあんだ、さなだ屋の女将の首がひょうひょう伸びて通っていったものらしい。なんでもこの女将ときたひにゃあ、三代目にこれはもうぞっこんとやらで、眠るが早いか首をにょろにょろと伸ばし、このごろでは大川端の宿までそのあで姿眺めにいくとはもっぱらの噂。覗かれるのも相手によりけり、とはこちとらのあさましい考えで、三代目のほうじゃ気がつかぬか人さまに見られることには慣れっこなのか、女将の首が切り落とされたてえ話は耳にしないし、だいいちがまだつながっっているからこその今宵のこのありさま。それにしても力一杯伸ばした首というのもまた一見の妙あるあだっぽさ、青く筋の浮いているところがなんともたまらぬ。これが縮んだら蛇腹かねえなどとついつい手 を伸ばして触ったのがもういけない。恋路の邪魔をされて腹を立てたかそれともしんそこ痛かったか、なま白い首がぷるぷるとふるえたと見るやなんと垣根のずいっとあちらから女将の首の、ええい、首はこのあたりも首、その首の先の、そう、顔のくっついたあたりがしゃああとつばき吐き飛ばしながらこのかたへ飛んでくる。いやもう真っ赤な口をかおかおと開き、恐ろしいの恐ろしくないの。すわ、と裾からげて逃げ出すも、なにぶん宙をすべるように飛んでくる生首には勝てぬ、と見るや沈丁花の枝に首がからまり、やれ助かったと見るやまた追ってくる。繰り返すうちに朝も近付き、屋敷の用人がおっとり門を開けようとしたときにはもう女将の首は伸びるだけ伸びてその屋敷をぐるぐる巻き、お縄が入ったかと主人が隠しておけばすむ懐をうっかり明らかにしたために首を切られたとか首が回らなくなったとか、まあそのへんはずいぶん昔のことだけに、首ひねるばかりで誰にもはっきりとはわからない浜町ろくろっ首のお話。
 

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2000-08-03 第二夜。 「作 法」

 
 遠い縁戚の葬儀に出る。
 作法がよくわからないので部屋の隅に正座して様子を見ていようとするが、しばらくすると喪服の人々がこちらを向いて何か目を交わし合っているふう。やがて見たことのない男の人が低い声に怒りを抑えながら僕の腕をつかみ、庭の木戸から蹴り出すように僕を外に追いやる。
 何かとんでもなくまずいことをしたらしいのだが、見知った人間が周囲にいないので尋ねるわけにもいかず、しかたなく学生服のズホンの灰をはらう。
 

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