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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

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2000-09-27 第六十五夜。 「ピュグマリオーン」(2/2回)
2000-09-27 第六十五夜。 「ピュグマリオーン」(1/2回)
2000-09-26 第六十四夜。 「郷 愁」
2000-09-25 第六十三夜。 「蜜 柑」
2000-09-24 第六十ニ夜。 「人形の家」
2000-09-24 第六十一夜。 「蓄 財」
2000-09-22 第六十夜。 「愛のコレクション」
2000-09-21 第五十九夜。 「友 愛」
2000-09-20 第五十八夜。 「父の死」
2000-09-19 第五十七夜。 「朝のかなしみ」


2000-09-27 第六十五夜。 「ピュグマリオーン」(2/2回)

 
 そのうちにアプロディーテーの祭りが近づいてきました──キュプロスの島で盛大に祝う祭りです。供犠(いけにえ)が捧げられ、祭壇には香が焚(た)かれ、その香の匂いがあたり一面にひろがりました。ピュグマリオーンは祭礼での自分の務めを果たしおえると、祭壇の前に立って、はにかみながら言いました、「神々さま、あなたがたがどんなことでも叶(かな)えてくださいますなら、どうかお願いです、私にお授けください、私の妻として」──彼もさすがに「私の象牙の乙女を」とは言えず、そのかわりにこう言いました──「私の象牙の乙女に似た女性を」。この祭りに臨席していたアプロディーテーは、その言葉を聞くと、彼が言いたかった心の内を悟りました。そこで彼に対する恩寵のしるしとして、祭壇に燃えている炎を三度、空にむけて鋭くもえたたせたのです。ピュグマリオーンは家に帰ると、自分の作った像のところへ会いに行き、臥床に身をかがめて、乙女の口に接吻しました。するとその唇はなんとなく暖かいように思えました。そこで彼はもういちど唇を押しあて、自分の手を乙女の体の上に置いてみました。すると象牙はその手に柔らかく感じられました。そして指で押してみるとヒュメトスの山の蜜蝋(みつろう)のようにへこみました。彼は驚き喜びながらも、半信半疑で、自分が思いちがいをしているのではなかろうかと心配して、いくどもいくども恋にもえる熱い手で、この憧(あこが)れの対象に触れてみます。ところが像はたしかに生きていたのです! 血管は、押えてみると指の下でへこみ、放すと元どおり円くなりました。そこでようやく気のついたこのアプロディーテーの崇拝者は女神に感謝のことばを捧げました。そして自分の唇を自分と同じように血のかよっている唇の上に押しあてました。乙女はその接吻を感じると、さっと顔を赤らめ、内気な両の目をこの世の光に向けてあけると、同時に、恋人をじっと見つめました。けれども、ピュグマリオーンはどうしても、愛する姉にそっくりなこの美しい乙女を抱くことができませんでした。

*1 本歌:トマス・ブルフィンチ、大久保博訳、「ギリシア・ローマ神話 伝説の時代」、1970年12月20日発行、角川文庫
 

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2000-09-27 第六十五夜。 「ピュグマリオーン」(1/2回)

 
 ピュグマリオーンは、愛しい女性がついには自分のものにならないことを悟って、とうとう女性を忌(い)み嫌うようになってしまい、一生独身でくらそうと決心しました。彼は彫刻家で、すばらしい腕をふるって象牙の立像を彫っていたのですが、その作品の美しさは、生きた女なぞ誰ひとりそばにも寄せつけぬほどのものでした。それはまったく申し分のない乙女の姿で、ほんとうに生きているように見えました。そして動かないでいるのは、はにかみのためなのだとしか思えないほどの出来栄えだったのです。彼の技術は実に完璧(かんぺき)でしたから、人工の跡も残さず、できあがったものはまるで大自然の手になるものかとも思えました。ピュグマリオーンは自分自身の作品に見とれ、そしてとうとうこの作りものの女性を恋するようになりました。彼は、この像がほんとうに生きているかどうか確かめでもするかのように、何度も手を触れてみました。そしてそれでもこの像が象牙にすぎないのだと信じこむことができませんでした。そこでこの像を抱きしめたり、若い娘たちがよろこぶような贈り物を──つまり、美しい貝殻や滑らかな小石や、かわいい小鳥や色とりどりの花や、じゅず玉や琥珀(こはく)などを、贈りました。また体には着物をきせ、指には宝石をはめ、首には首飾りをかけてやりました。耳にも耳飾りをつけ、胸にも真珠のくさりをかけてやったのです。着物はよく似合って、彼女は裸でいたときにもおとらぬほど美しく見えました。彼はテュロス染めの布を張った臥床(ふしど)に彼女を寝かせ、彼女を自分の妻と呼び、彼女の頭をすばらしく柔らかな羽根枕の上にのせてやりました。それはまるで彼女がその柔らかみを喜ぶことができると思っているかのようでした。

(つづく)

 

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2000-09-26 第六十四夜。 「郷 愁」

 
「つまりね、恐竜の図版ではたいがいの恐竜は現存する爬虫類、たとえばアリゲーターやコモドオオトカゲのように灰色のざらざらした肌で描かれる。ティラノザウルスはなぜだか薄茶色で、同じ肉食竜でもアロサウルスは緑色だ。しかし、これらの色については実はなんの確証もないんだね」
「化石では色はわからない、ということかい」
「そう。アナコンダのように派手な模様があったかもしれないし、体温を維持するために羽毛で覆われていたという説だってある。なにしろ骨や足跡は残っていても、皮膚の形状が残っていることは珍しく、ましてや色まではわからないからね」
「それが、どうしてこうしてアリゾナの砂漠で夜なべすることになるんだい」
「だからね、このあたりは恐竜の化石が多いんだが、どうやらそれは生きたまま崖崩れで下敷きになったらしい。人間だって無念が残れば幽霊になって出てくるだろう。で、幽霊を見れば、お岩さんがどんな着物を着ていたかわかるってもんじゃないか」
「おい。なんだそりゃ。冗談だろ」
「それがまんざら冗談でもないのさ。ああ、そろそろ草木も眠る丑三つ時だな。しっ」
 うながされて私も耳を澄ました。テントの外、遠くかすかな足音が聞こえる。それは何かとても重い生物が、大きな歩幅でこちらに向かうような音。
「おい、これは・・・」
 カメラを取り、急いで立ち上がろうとした私を、友人は肩に手を置いて制した。
「無駄だよ。目には見えない。この幽霊はね、音だけなんだ」

 足音は少しずつ数を増やし、その一団はやがてテントの脇を思ったよりずっと速く通り抜け、それからまた遠くに消えていった。何億年の彼方に。
 

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2000-09-25 第六十三夜。 「蜜 柑」

 
 フリーライターになる前はそこそこ名の知れた会社に務めていたおかげで、明日をも知れぬこの職についてからも多少の無理は利く。その日、俺は大手新聞社の資料庫にこもり、ある雑誌社から依頼された次回のコラムのネタを捜していた。
「マイクロフィルムの扱いはけっこううるさいんだ、あんまり無茶は言わないでくれよ」
「そういってちゃんと古い事実を調べもせず、ずさんな記事書いてられるのがあんたらだろ」
「耳が痛いね。ま、お手やわらかに頼むさ」
 大手新聞の記事の「小学生の自殺が増えている」という表記の嘘を暴いたのが、最近の俺の手柄の一つだ。哀れな子供、愚かな大人の数や比率というものは、洋の東西、時代の古今を問わず、そう変わらないものらしい。俺の仕事は、統計値を元に社会の常識に巣くう嘘を暴くものとして、読者にそこそこ人気を博しているらしい。人様に自慢できる仕事じゃない・・・・しかし、世間は常に人が犬を噛む話を求めているのだ。

 大正八年一月の新聞に目を通していたとき、他愛ない記事がふと気にかかった。
 中村千代という十二の娘が、列車から転落死したとある。神奈川の農家の次女である彼女は、新橋へ奉公に赴くために横須賀発上り二等客車に乗り、県境の隧道を抜けて踏切に達したあたりで窓から墜落している。線路わきの柵に追突後、車輪に巻き込まれ、即死であった。
 それだけならどうということはない。私が妙に気になったのは、彼女の墜落の折に居合わせた三人の弟の言である。彼らは奉公に出る姉を見送るためその踏切のところに立っていたのだ。千代は、その踏切の手前で、餞別のつもりか弟たちに蜜柑を投げた。
 上の二人の弟たちは蜜柑を追ったが、足の利かぬ末の松吉は姉の墜落を目撃した。松吉によれば、姉は蜜柑を投げた後乗り出した身を客車に戻そうとし、急に身をよじらせるようにして客車内を振り返り、それから抗うように墜落したというのである。松吉は怖い顔の細面の男が姉を突き落としたと主張したが、何分幼少のこともあり相手にされなかったことが新聞の文面からも伺える。また、騒ぎが起こった後、その車両にほかの乗客の姿がなかったことも車掌によって確認されている。
 しかし・・・・すると。

 大正八年四月に発表された作家Aの掌編の末尾にある、
「私はこの時始めて、伝ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである」
 という一節ははたしていかなる意味をもつのか。偶然かも知れないが、Aはこの記事が載った二か月後には海軍機関学校嘱託を辞し、今私がこうしてマイクロフィルムをあさっている新聞社の社員としてほぼ専業作家生活に入っている。この事件の記録が彼をして作品にしたためさせたのか、あるいは逆に松吉の証言したところの・・・・。
 無論今となっては、誰にも確認のしようのないことだ。

 Aがベロナアルを服毒して自殺したのは、その事件から八年後、昭和二年七月のことである。
 

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2000-09-24 第六十ニ夜。 「人形の家」

 
 三人並んで写真を撮ると、真ん中の人は魂を抜かれるのよ。

 わたくしがそう申しましたら、可愛い姪が、じゃああたしたちはクラス三十九人で並んで撮影したので三人に一人は魂がなく、念のためにともう一度撮影したので、さらに三人に一人魂がなくなって、叔母様、あたしは魂が残った方なのでしょうか、それとも。そう申しますので、わたくし、魂がある者でなければ、嘘は、つけないと。

 鳥も猫も、写真に撮られることによって時というガラスの中に封じ込められ、永遠の生を得ます。ファルーン鉱山の坑夫のように緑色に結晶した死を生きること。コンピュータがチクタクと時を刻むとき、生きる者は静謐な死を、命なき人形は、あやかしの生を得る。タロウカードには、そんなふうに出ておりますけれど。
 

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2000-09-24 第六十一夜。 「蓄 財」

 
 (前略)こごえそうな足を必死で運んで、キリギリスは、アリの家のドアをノックしました。ああ、夏の間、働くアリたちをあざわらったことをキリギリスはどれほど反省したことでしょう。ドアが開き、アリたちが姿を現します。どのアリの顔にも、心からの笑みが満ちています。それはそうでしょう。さしもの冬支度にもかかわらず、そろそろ尽きかけていた食料が、わざわざ向こうから足を運んできたのですから。
 

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2000-09-22 第六十夜。 「愛のコレクション」

 
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 ホルマリンの瓶の中の脳のない胎児。
 

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2000-09-21 第五十九夜。 「友 愛」

 
 私は投げる、ジョン、ボズ、シドが追う。

 犬を飼い始めたのは数年前。少々苦い問題を抱えていたころのこと。
 妻の美沙子は動物の世話が苦手でいい顔をしなかったが、私には犬たちの目にまさる慰めはなかった。犬を死なせるような映画や小説は、それが絵空ごとでも嫌いだ。

 最初にとらえたのはボズだった。彼はそれをくわえると一目散に戻ってくる。途方に暮れるほかの犬たち。意気揚々と尾を振るボズからそれを受け取り、私は再び投げ上げる。静かな信頼が結んだ、豊かで完璧な訓練。

 気配に振り向くと、草の向こう、見知らぬ男たちがこちらに向かうのが見える。刑事だろう。私はジョンから美沙子の大腿骨を受け取り、再びそれを投げるべきかどうか考える。
 

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2000-09-20 第五十八夜。 「父の死」

 
 夜。
 今は人手に渡った郷里の家に、少年の自分が眠っている。
 箪笥も文机も見当たらない奥の間は畳の匂いが新しく、蒲団の外に広々として寒い。目を覚ましたのは磨り硝子の向こうの爆ぜるような白い音と光のため。
 花火? いや、塀の外の街路灯がショートしているに違いない……。
 腕を伸ばし窓を細く開けるが、柾(まさき)の生け垣に囲まれた庭には風もなく、街路灯が遠く静かに蒼い。
 夢、か。
 舌打ちして窓を閉ざす、その途端、硝子に再び細い光が走り、ぴしぴしと神経を掻くような音がする。立ち上がり、息を詰め、今度は一気に硝子戸を開けるが、昔死んだ犬の小屋の上に枇杷の梢がことさら黒いばかり。
 何か、ひどく恐ろしいことが起こっているに違いない。心細さに思わず小さな声を漏らし、それを聞きつけたのだろうか、覚えのある足音が二階から降りてくる。
 人影はもう燃してしまった夏物を纏った父で、上を向けて開かれたその厚い掌にはほの白く塩が盛られている。

 ああこれは父が死んだ日のことだと思い出し、取り囲む縁戚の者たちに無言で示されるまま、父の掌から塩をつまんで廊下に散らす。塩はさらさらと円を描く。一度、今一度。
 

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2000-09-19 第五十七夜。 「朝のかなしみ」

 
 目が覚めて、君が死んだことを聞かされた。
 妻はいつものように朝食の支度をし、窓からの光は暖かな湯気を揺らす。コトコトと鍋の蓋は鳴り、いつもと何の変わりもない、朝。
 ただあまりにも静かだったので、自分のしてしまったことを思い出し、僕は少し涙をこぼした。
 日曜日。
 

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