「お正月になったら、一緒に遊ぶから」と子どもに約束してあったので、子どもに付き合っていろいろ遊ぶ。
すごろく、トランプ、カルタ、ポケモン福笑い(カレンダーの裏紙で作成)、100円ショップで買ったゲーム盤など、いろいろとゲームをする。
し、しかし・・・、うちの子はどうしてこう、負けず嫌いかね?(^^;よそのお子さんはどうでしょうか。
トランプやカルタは、ともかく私が負けてやる。旦那は大人げないのか、それとも「人生の現実を教え込む」とのスパルタ方針なのか、ほとんどマジである。(笑)
わざと負けよう、負けようとする八百長満載のゲームなのだが、すごろくだけは、八百長が通用しない。サイコロの目はごまかせないもの。
「ふりだしへ戻る」というマスがある。私がそこに止まると嬉しいのだが(子どもが喜ぶ)子どもはそこへ止まると、途端にやる気をなくし、「もうやめる」と降りてしまうので、冷や冷やする。(^^;しかし運命とは皮肉なもので、負けよう負けようとしている者が順調に進み、勝ちを焦るものが、あちこちつまずくことが多い。
また、息子と娘はお互い真剣勝負なので、常に自分だけが勝利するということは、ありえない。
子どもらはぷいっとそっぽを向いたり、涙ぐんだり。楽しいゲームのはずが、喧嘩で終わったり。
まあこういうことも必要なのかも。
息子は現実世界では早くものび太くんである。先日も私に言った。
「お母さん、オレ、脚が遅いみたい。2人で走ると2等で、3人で走ると3等で、4人で走ると4等になるんだ」
おお、旦那に似ていればひょっとして?と思ったが、やはり私系か。(私はスポーツの個人競技で、ビリから2番目になったためしがない)
子どもというものは一等賞が大好きで、金メダルが大好きで、いつも勝つことが大好きである。(うちの子だけか?)息子が幼稚園の時「オリンピックのウェイトリフティングの選手になりたい」などと言ったのは、スポーツが好きだからではこれっぽっちもなく、単に金メダルが欲しかっただけなのだ。しかし体操選手とかは見ていて難しそうだし、走る競技の人は自分より速い人がいくらでもいそうだから、重いものを持ち上げるのなら簡単そうで自分でも金メダルとれるかも、と思ったのがその理由だそうである。
(ウェイトリフティング選手のみなさんに失礼である)
まあ、勉強でも何でも、負けず嫌いからがんばるようにはなってほしくないので(他人より卓越することをモチベーションに勉強している子は、あまり伸びないのは予備校勤務時代見ていて実感したことである)今からいい意味で負け癖がつくことはよいことだと思う。勝つためでなく、好きだからという理由で、物事に取り組んでほしいからねえ。
これからもいろんなことが思い通りにいかなくて、涙を流したり、ふてくされたりすることがあるんだろうけど、そうやって世の中が自分中心に回ってるんでないことを徐々に悟っていって、他人への思いやりというものも生まれてくるものなのかもと思うから、それは大事なことかもと思う。世の中には天に二物も三物も与えられている人がいて、本当に世の中が自分中心に回っていると思い続けることができたまま大人になってしまう人もいる。でもそれって実は不幸なこと、あるいは非常にリスクの大きいことだと思うのよね。 |