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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2005-02-14 「棚をあけておけといったろ」「ぎゃぼーっ」 『CDつきマガジン クラシック・イン(全50巻)』 小学館
2005-02-07 〔短評〕最近の新刊から 『おうちがいちばん(1)』 秋月りす / 竹書房
2005-01-31 〔短評〕最近の新刊から 『燕京伶人抄』 皇なつき / 潮漫画文庫
2005-01-23 〔短評〕最近の新刊から 『蟲師(5)』 漆原友紀 / 講談社アフタヌーンKC
2005-01-16 〔短評〕最近の新刊から 『ホムンクルス(4)』 山本英夫 / 小学館ビッグコミックス
2005-01-11 『庭に孔雀、裏には死体』『13羽の怒れるフラミンゴ』『13羽の怒れるフラミンゴ』『ハゲタカは舞い降りた』 ドナ・アンドリューズ,島村浩子 訳 / ハヤカワ文庫
2005-01-02 そこにいるための戦い,そして戦い続けること 『ホーリーランド』(現在8巻まで) 森 恒ニ / 白泉社JETS COMICS
2004-12-31 〔短評〕最近の新刊から 『バルバラ異界(3)』 萩尾望都 / 小学館fsコミックス
2004-12-30 〔短評〕最近の新刊から 『エマージング(2)』 外薗昌也 / 講談社モーニングKC
2004-12-21 最近の新刊から 『女子大生会計士の事件簿(1)(2)』 山田真哉 / 角川文庫


2005-02-14 「棚をあけておけといったろ」「ぎゃぼーっ」 『CDつきマガジン クラシック・イン(全50巻)』 小学館


 薄手で大判,コーティングの綺麗なカラー印刷をウリにした雑誌には,以前から美術,歴史,旅行・建造物,科学・医学などさまざまなテーマのものがありました。
 最近小学館から発刊された『クラシック・イン』は12cm音楽CDつきの雑誌……というより,2週間に1枚,980円でクラシックのCDが発売されて,それにA4変型20ページのカラフルなブックレットがついてくる,そう言ったほうがわかりやすいでしょう。
 新聞日曜版の1面広告などでよく「魅惑のクラシック全集」とかいって通販されている,あれの隔週バラ売りです。

 全50巻の内容はこちらに紹介されています。
 全体的に宗教色の濃くない(もちろん時代的に宗教曲がないわけではありませんが,「レクイエム」とか「ミサ曲」といった曲名は表向き1曲もありません),また比較すれば若干近代寄りの選曲のように思われます。たとえばバッハやヘンデルはドヴォルザークやストラヴィンスキーより扱いが小さい,ガーシュウィンやロドリーゴがタイトルを飾っている号がある,など。
 とはいえ,従来のクラシック全集に比べて決して冒険的前衛的というわけでは決してなく,びっくりするような選曲は皆無。無難というか,オーソドックス,教科書的な選曲が大半です。

 指揮者,演奏家は,全体にそこはかとなくチープな印象が漂うのはやむを得ないとして,個々を見ればそれなりにメジャー。カラヤンとかバーンスタインとかはおりませんが,小澤征爾が2枚ありますし,千住真理子(Vn)や諏訪内晶子(Vn)など,日本の演奏家も何人か取りあげられていて,とくに昨秋家族でTVドラマを見たフジ子・ヘミング(P)は子供たちも楽しみにしています。

 ところで本シリーズ,ベートーヴェンが髪をふるわせて「なぜ創刊号に自分でなくモーツァルトが」と怒るTV CMが笑わせてくれますが,その創刊号にやや疑問が残ります。
 モーツァルトを選ぶのは安易ながら無理からぬところとは思います(ベートーヴェンでは重すぎるし,ヴィヴァルディでは迎合しすぎでしょう)。ただ,その選曲がバレンボイムのピアノ,指揮による
   ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466
   ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K537「戴冠式」
   ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K331より 「トルコ行進曲」
となると,この手の「創刊号をキャンペーン価格で売りまくり,その勢いで50巻を押し切る」企画雑誌としては,地味に過ぎるのではないでしょうか(録音も1967年,1974年,1984年とやや古くてくすんだ印象。音のクリアさだけを比較すれば,創刊2号のヴィヴァルディのほうがずっとよいように感じられました。チョン・キョンファはそのあたり厳しそうだものな……)。
 モーツァルトは全50巻のうち5巻を占め,企画側が力を入れているのはわかるのですが,その選曲は広く浅くでもなければ深く重くでもなく,なんだか焦点がよくわかりません。

 いずれにしても,『のだめカンタービレ』で重度の“突発性クラシックでも聴いてみようか症候群”に感染した患者の皆さん(俺だ!)にはオススメ。ご一緒に2年間,つまみ食いはいかがでしょう。

先頭 表紙

うーみゅ。「時計じかけ・・・」は、活字でしか知らないのです。あれをどう映像化したのか、見るのが怖くて(‥;) / Hikaru ( 2005-02-22 21:33 )
同じキューブリックでは,「時計じかけのオレンジ」のベートーヴェンも忘れがたいです :-) / 烏丸 ( 2005-02-21 02:52 )
17,23,27あたりは、ちと心引かれますな。(‥ ) 32,34もなかなか... ツァラトゥストラは、美しき青きドナウと組み合わせて欲しいと思うのは、偏ってますか? / Hikaru ( 2005-02-21 00:24 )

2005-02-07 〔短評〕最近の新刊から 『おうちがいちばん(1)』 秋月りす / 竹書房


 どうしちゃったの,というレベル。

 前作『かしましハウス』も実のところ連載開始当初は各キャラクターの味付けが安定せず,手放しで笑えるようになったのは3巻か4巻めあたりからだった。それに比べて,本作はそもそも登場人物に味付けをしようという意志,推理小説でいえば「伏線」にあたる設定すら用意されていない印象。

 1巻を読み終わった時点で,たとえば夫は優しいのかだらしないのか? 有能なのか無能なのか? 趣味,嗜好は? などなど,まるで思い出せない。主人公たる妻のほうも,育児と勤めを両立するしっかり者なのか『OL進化論』のじゅんちゃんの如きうっかり者なのか,印象が散漫だ。主人公夫婦にしてこれなのだから,ほかの登場人物は推してはかるべしである。

 4コマギャグというものは──と大上段に構えるつもりもないが──登場人物に対して,ある程度の毒の調合は必要だろう。作者の仕向けた毒に耐性をもった登場人物たちが,バイタリティあふれる言動で読み手の予想を覆してみせる,たとえばそういう構造が必要なのだ。テレビのバラエティ番組でもそうだが,「ほのぼの」で笑いをとるというのは,非常にデリケートな毒の処方を必要とする高等技術なのだ。

 一見かわいらしくほのぼのした絵柄ではあるが,秋月りすの魅力は意外なまでに毒のきいた味付けだったように思う。帯の惹句にある「子育てに仕事にバリバリ頑張る元気ママ応援します」などという評価は秋月りすの魅力からもっとも遠いものだったのではないか。

 2巻以降の巻き返しに期待。

先頭 表紙

『おうちがいちばん』は,設定の似た『ミドリさん あねさんBEAT!』と比べるとエッジの甘さがよくわかるような気がします。それから,この人は,ほかの世代に比べると子供(幼児)の対象化がヘタですね(と書いて,ふと森下裕美は全世代を幼児として描いてしまうなぁと思ってみたり)。 / 烏丸 ( 2005-02-09 01:49 )
↓ それ,いいですね。竹書房はけっこうハイブリッドな単行本を出してくれるところなので,期待したいですね。 / 烏丸 ( 2005-02-09 01:44 )
「中年ポルカ」と「中間管理職刑事」を合わせて単行本化してくれないかなぁ・・と思ってますが、会社違うから無理かな。 / けろりん ( 2005-02-08 00:05 )
かしましハウス時代は「まんがライフオリジナル」を買ってたんですが、「おうちがいちばん」になってから数号で買うのをやめてしまいました。なんというか誰にも感情移入出来ない中途半端さを感じてしまって。なのでめずらしくこれは単行本買ってませんです。 / けろりん ( 2005-02-07 23:59 )

2005-01-31 〔短評〕最近の新刊から 『燕京伶人抄』 皇なつき / 潮漫画文庫


 角川書店から単行本として発行された『燕京伶人抄』(1996年),『燕京伶人抄[弐]女兒情』(1997年)の合本,文庫化。

 「燕京」は北京の古名,雅名で,周代にその地に燕の都があったことに由来するそうだ(わざわざ「燕京」と表記しておいて「ペキンれいじんしょう」と読ませるのは少し妙な感じだが)。

 美男美女の笑顔泣き顔拗ねた顔を描く作者の描画は豪華絢爛,随所に挿入されるルビ付き中国語のかもし出す異国情緒とあいまって,こと描画に関しては世評も高い。

 ところで,この1冊には,3つの「作品内時間」が流れている。
 1つはこの作品の舞台となっている北京の1920年代。1つは,そこで主人公たちがかかわる「京劇」の中で流れる時間。そして残る1つが,この作品が描かれた「現在」。

 気になるのは最後の「現在」で,いかに1920年代の北京の人々を描こうとも,結局は現在の作者の生活や目線が反映されるのが当然の理。テレビの時代劇が,服装や住居に時代考証を重ねたあげく,台詞や言動はとことん現代人のそれになってしまうのと同様だ。

 ところが,『燕京伶人抄』に描かれた若者たちの考え方,言動は往々にしておよそ現代的でなく,あまりの古めかしさにしばしば絶句させられる。
 ざっと台詞を抜粋しても,以下のとおり。

  「これまでもずっと待ってきたわ でも 希望が見つかれば待つのはもうつらくない…」
  「大事なあなたのために ご両親が見つけてくださったお相手でしょう?」
  「私が求めて止まないものをこんなにもはっきりと与えてくれたのは… あなただけだわ…」

 (最近は何をしているのかよくわからない)フェミニスト運動家が聞いたら髪の毛を逆立てそうだが,結局のところ作者はこのような生き方を容認しているのか,それとも徹底して作品の向こうに姿を隠しているのか,そこのところがよくわからない。

 つまるところ,おそろしく労力をかけた美麗な「ぬり絵」,絢爛なお人形さんの印象はぬぐえず,この作者は自分の描く登場人物に人間としての尊厳を付与するつもりなどハナからないのだろう。
 実際,第一話「鳳凰乱舞」の如山,第二話「愁雨歳月」の如海など,そのお馬鹿さ加減は思わず目を覆いたくなるほどで,これをみても,作者にとって,美麗な男女さえ描ければ,彼らの人格などどうでもよいということか。

先頭 表紙

2005-01-23 〔短評〕最近の新刊から 『蟲師(5)』 漆原友紀 / 講談社アフタヌーンKC


 昨秋の発刊であり,コミックで「新刊」というには少し間があいてしまったが──。

 動物でもなく,植物でもなく,生物であるかすら疑わしい──それら異形の一群,「蟲」。
 主人公はこの「蟲」を呼び寄せてしまう体質ゆえ定住できず,蟲封じを生業として里や山あるいは海辺の村を放浪する。

 設定は魅力的だし,細い線や点を丁寧に描き込んだ画風も悪くないのだが──なぜか没頭できない。
 最近1巻から通読して気がついた。リアリティに欠けるのだ。いや,妖怪めいた蟲や光脈が潜在することが科学的でない,というのではない。時代も国も明らかでない世界,多くの人々が和服なのに,蟲師ばかりが洋服姿なのは時代設定的に如何,とかいうことでもない。むしろこれらについては違和感なく読めて身になじむ。
 問題は,蟲たちの多くは人の里に災厄を持ち込むが,その大半が致命的でないことなのだ。そんなはずはない。蟲たちは人に寄生しているわけではない。人と全く違う次元で,違うエネルギーを求め,ただ存続しようとするだけである。
 なら,蟲たちが顕在化したとき,もっと惨事が多発して不思議はないのだ。

 しかし,大概の物語では,人々は少しばかり停滞を被る程度で,それも主人公ギンコの処方で現状維持に終わる。作中で死ぬ人間は人の側の事情で死ぬのであり,悲劇はたとえば人に擬態する蟲が人を駆逐するためでなく,その擬態した蟲たちが駆逐されることで起こる。

 いってしまえば,人の側の安全度が高すぎるのだ。
 村人の大半が血へどを吐いて死に絶える,里の大半が迷い出て二度と戻ってこない,そういった現象の比率がもっと高くないと不自然なのである。

 そんな事態を,あるいはそんな事態になすすべもない主人公を同じ淡々とした筆遣いで描けるなら──。


 なお,昨秋には同じ著者の初期作品集『フィラメント』が発刊されている。短編「岬でバスを降りた人」など一部を別として,総体にまだ習作レベルのように思われた。

先頭 表紙

初期の作品は「ファンロード」掲載だそうです。はー。 / 烏丸 ( 2005-01-23 02:01 )
ザコキャラ(キャラでさえないけど)としてよく登場して,ペシっとつぶされて消える蟲たちの姿って,ムーミンのニョロニョロに似ていると思わないでもない今日このごろ。 / 烏丸 ( 2005-01-23 01:59 )

2005-01-16 〔短評〕最近の新刊から 『ホムンクルス(4)』 山本英夫 / 小学館ビッグコミックス


 もともと展開が早いとはいえない『ホムンクルス』だが,4巻めはその傾向に拍車がかかり,実質1つ(細分化してもせいぜい3つ4つ)のエピソードで1冊が終わってしまう。
 大ゴマいっぱいに描かれる登場人物たちの露悪的なまでの存在感のぶつけ合いは量感たっぷりだが,このリアリティははたしてマンガとしてのものなのか,ちょいとCGをミクスしてクローネンバーグあたりに撮ってもらったほうがよいものなのか,そのあたり判然としない。

 たとえば,現在は連載を中断している(らしい)井上雄彦の『バガボンド』,あの記録的ベストセラーを僕は好まない。「圧倒的描写力」と賞されるあの画風を,マンガとして評価することができないためだ。
 マンガというのは,たとえば丸の中に点を2つ3つちょちょいと描いただけで人の顔に見える,それを拡張し,洗練した「技術」だと思う。写実的な描写で本物そっくりに見せる手法はマンガでないとまでは言わないが,そうでないマンガならではの「技術」を僕は尊重したい。しかるに『バガボンド』のリアリティは,結局のところ,武蔵を演じきれる役者と優れたディレクターがいたなら実写映像で具現化されたはずのものだ。マンガのコマに映画的手法を取り入れたのでなく,映画として撮るべきものをなぞって紙に落とした印象である。少なくともそこから得られる興奮は,マンガでなければ表出できないものではない。

 『ホムンクルス』についても,似たような懸念はある。
 ただ,この作者はまだ意識して「マンガの側」に立っているところがあって,年末に発行された宝島社のムック「このミステリーがすごい!2005年版」の表紙の右目をおさえた名越にもそれがうかがえて嬉しい(たとえばそのこめかみの汗が,素晴らしくマンガなのである)。

先頭 表紙

2005-01-11 『庭に孔雀、裏には死体』『13羽の怒れるフラミンゴ』『13羽の怒れるフラミンゴ』『ハゲタカは舞い降りた』 ドナ・アンドリューズ,島村浩子 訳 / ハヤカワ文庫


【おりよくそちらを眺めていた場合は,犠牲者の頭が唐突に人込みのなかに消え,そしてたいていの場合,そのあとに少量の料理と飲み物が飛びあがるのが見える。】

 (BGMは「春の海」)酉年のはじめにあたり,私ども「くるくる回転図書館」におきましても,何か干支の鳥にまつわる本をご紹介いたしたく存じ上げありおりはべりいまそがり。

 さて,「鳥」がタイトルにあってお奨めとなりますと,やはり,中年女性ジャズピアニストの切なくも笑える時空の旅を独特なテンポと文体で描いた『鳥類学者のファンタジア』あたりが白眉でしょうか。……え? すでに「くるくる回転図書館」でも取り上げられている? そでしたっけ。えと。くりっく,くりっく。や。確かに。ごほん,失礼。
 では,ヒッチコックの映画「鳥」の原作ともなった,重厚な中短編集『鳥 デュ・モーリア傑作集』をば……。はいっっ? これもすでに紹介されてる? うーん,そういえばそうだったかも。はは。
 え〜,それでは。鶏の写実に目を見張るような成果を残し,年末のテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」にも掛け軸が持ち込まれた(残念ながら偽物でしたが)伊藤若沖の画集はいかがでしょう。……ほえ? これも2年前のお正月にNHKのドキュメンタリーをからめて取り上げたぁ? たはは,は。いや,年をとると記憶力がちょっと。

 ……困った。ほかに何かよい鳥の本はありましたかねぇ。

 はた! ポンッ! はたはたポンポンはたポンポン。あったありましたよ,年のはじめにふさわしい,おめでたくも楽しい鳥の本が。
 ドナ・アンドリーズの鳥シリーズです。

 (BGM,「軍艦マーチ」に変わる)既刊は4冊,

   『庭に孔雀、裏には死体』
   『野鳥の会、死体の怪』
   『13羽の怒れるフラミンゴ』
   『ハゲタカは舞い降りた』
       (いずれも,島村浩子訳,ハヤカワ文庫)

 主人公は鍛冶職人のメグ・ラングスロー。彼女はただ平穏に日々を送りたいだけなのに,家族,親族,さらにはご近所の人々までがそれを許さない。今日も朝から無理難題あめあられと押し付けられ,おまけに死体まで……というお話。

 古今東西「ユーモア・ミステリ」という称号の作品は少なくないけれど,たいていは血なまぐさい事件を描いても登場人物たちが少しばかりぼんやりしている程度で,電車の中で笑いが止まらないものはめったにありません。たとえば赤川次郎の作品は(しいていえば)ヌルさユルさが魅力だし,クレイグ・ライスの作品は小粋な会話が楽しみではあるけど,爆笑を誘うかといえばちょっと違います。

 ところが,ドナ・アンドリューズの作品,とくに第1作『庭に孔雀、裏には死体』や第3作『13羽の怒れるフラミンゴ』は,ともかくぶはぶは笑える。素っ頓狂で強引な家族,親族がわらわらわらわら現れてはこれでもかそれでもかと身勝手弓の嵐,嵐。それをまた主人公メグが強引なパワーでなんとかしのいで,かたして,仕切ってしまうから話が余計ややこしくなってしまう。
 このあたりの事件やキャラクターのありよう,リズムは実に坂田靖子的で,実際,本シリーズの表紙イラスト,また第3作,第4作の解説(か?)も坂田靖子その人によるものです。早川書房の編集氏もわかっておられますね。

 まぁ,ともかくだまされたと思って第1作から手にとってみてください。
 アメリカ南部の田舎町のおおらかでダイナミックな結婚式(花嫁が「孔雀が欲しいわね」とのたまえば──あきれつつも──即注文するのだ),それを母親の分,親友の分,弟の分と3つもまとめて面倒をみなくてはならなくなったメグが仕方なくついでに(?)明らかにする殺人事件の真相……。

 難をいえば,4作品ともに真犯人の正体はそうびっくり仰天というわけではないのですが,それでも犯人探しの試行錯誤は楽しいし,真犯人発覚から逮捕(捕獲?)までのイベントは毎回趣向がきいているし,読み終わってみればそれなりに伏線が張られていたこともわかって納得です。

 また,このシリーズ全体を通してみると,昨今のミステリ作品でますます難しくなった「素人探偵が警察の協力をあおがずに犯人を暴く」設定,展開が,思いがけない形で実現していることに気がつきます。
 なにしろメグは,殺人事件が起こるたびに,犯人扱いされたくて意図的にうろうろしたり,容疑者扱いされていることにすら気がつかないぼんやり家族,親族たちを(やる気のない!)警察の容疑者リストから消すためにしかたなく真犯人を探すハメにおちいるのですから。

 というわけで,年男のカラスマルも鳥族を代表してオススメの本シリーズ,年度末の多忙な時期の気分転換にひとついかがでしょう。
 は? トシオトコって今年で何歳かって? それはもちろん……24歳。しゃばだばだ〜,べび。

先頭 表紙

2005-01-02 そこにいるための戦い,そして戦い続けること 『ホーリーランド』(現在8巻まで) 森 恒ニ / 白泉社JETS COMICS


【きっと 僕がこれからする事は 今はもう ない 僕の聖地への 手向けなんだ】

 2005年の年頭にあたり,ヤングアニマルに連載中の格闘マンガ『ホーリーランド』をぜひとも取り上げたい。なにしろ,ここしばらく単行本を読み返して,いっこうに飽きないのだ。

 しかり,古今東西,面白い格闘マンガは少なくなかった。
 最初はおよそ強いとはいえない主人公が(何かに巻き込まれる形で)戦いに目覚め,拳を交わした相手と友情を結び,さらに強い相手とめぐり合うことで当人も成長していく……黄金パターンである。これで競技を選べば連載は決まったようなものだ。

 だが,連載開始当初はともかく,主人公が戦い続ける理由を明確に設定した作品ははたしてどれほどあったろうか。
 たとえば,ボクシングをテーマにして秀逸な『はじめの一歩』。この作品では,いじめられっ子が強さにあこがれてボクシングを始めるという初期の設定は単行本数冊で薄まってしまい,とくに日本チャンピオンとなって以降の一歩が何のために戦っているのか,単行本を読み返しても実はよくわからない(そのため,最近は主人公より脇役達のほうが格段に存在感が鮮明だ)。
 『明日のジョー』も,半歩引いて見ればジョーがなぜリングに上がり続けたのかはよくわからない。だが,彼の深い目に何かありそうに見えたあたりがあの作品独特の魅力だったように思う(逆に,同時期の『巨人の星』は,飛雄馬がマウンドに立つ理由の空疎さこそを描いた,ある意味野球マンガの壮大なパロディだった)。

 さて,『ホーリーランド』に登場する神代ユウは,やせて,デイパックを背負い,およそ格闘マンガの主人公らしからぬ風貌をしている。

 彼は中学生のころ苛烈な「いじめ」にあい,いわゆる「不登校」となる。そして,ただ鈍化し,何も感じなくなることを望み,部屋にこもって毎日何千と数えながらパンチを振るようになった彼がやがて自分の居場所(ホーリーランド)を求めたのは,学校ではなく夜の街だった。
 しかし,自衛のために相手を殴り返し,やがて“不良(ヤンキー)狩り”と呼ばれるようになるユウは,勝てば勝つほど夜の街に居られなくなるというジレンマに陥るのだった。……

 この作品は全編さまざまな若者達のジレンマに満ちている。主人公のユウはもちろん,それ以外の夜の街にたむろする不良(ヤンキー)達も,あるいはレスリングや空手,剣道に励む青年達も,一人一人,行き違い食い違う現実に対してゆがんだり遠回りしつつ,結局は誠実に対処していこうとする。そうしなければ居場所を失うからだ。

 現在,夜の街にたむろする若者の生態がどのようなものか,僕は知らない。今どきのケンカはこうかという疑問もある。さらに,作者の語る格闘技の薀蓄がどの程度正確なのか,門外漢ゆえよくわからない。
 だが,それらの疑問を抱えてなおかつ圧倒されるだけの切実さがこの作品には満ちている。

   僕は拳を固めてきた
   話をしに来たワケじゃない
   無事に済むとも思ってない
   怖くないワケでもない
   それでもボクは
   これからも悪意に対して
   暴力で答える

 これをただ暴走と言ってよいのだろうか。
 僕は言わない。僕は神代ユウの側にある。……四捨五入すればとうに五十歳のオヤジがそう述懐するに足る力が,この作品にはある。

先頭 表紙

ひまじんネットの皆様,今年もよろしくお願いいたします。今年はどんな本と出合えるのでしょうか。それとも,本の中のリアリティなど圧倒してしまうような事件が相次ぐのでしょうか。…… / 烏丸 ( 2005-01-02 20:14 )

2004-12-31 〔短評〕最近の新刊から 『バルバラ異界(3)』 萩尾望都 / 小学館fsコミックス


 飛ぶ子供。
 青羽。
 火星。
 時空を超えてシンクロする夢。

 キーワードを並べてみれば,『バルバラ異界』が『スターレッド』のもう1つのフェノメノンであることは明らかだ。

 ただし……。
 今回萩尾望都は,なんというか,リミッターを外したようなところがあって,読み手にエンターテイメントを提供せんとするサービス精神をさておいて,自身の前頭葉からほとばしるものをあふれて踊るに任せているように思われてならない。
 実のところこの第3巻,購入して数日,すでに何度も読んではいるのだが,最初から通しでは一度も読めていない。通して読もうとするとひどく疲れてしまって,ぱらぱらあちこちつまみ食いのように読むしかなくなるのだ。

 つまるところ,まるで感性のままに書かれた散文詩集のようにこの作品はある。

 にもかかわらず,並みの作家には到底到達し得ない複雑かつ堅牢な構造……。萩尾望都が萩尾望都たるゆえんである。

先頭 表紙

ちなみに,大島弓子や樹村みのりも,コレクターとしては似た領域にあります。 / 烏丸 ( 2005-01-16 00:11 )
そんな彼女の作品で一番わななくのが「ドアの中のわたしのむすこ」,一番愛しているのが「小夜の縫うゆかた」,一番ささっているのが「ポーチで少女が子犬と」,一番大きいのが「グレン・スミスの日記」でしょうか。古いのばかり……。最近20年間の作品は,別に僕などがプッシュしなくても有名なので。 / 烏丸 ( 2005-01-16 00:09 )
萩尾望都については,語りたいことが多すぎて何から書いていいのやら状態です。デビュー作からスターレッドの時代までの大半の作品(2作除く)を“雑誌からの切り抜き”で持っている(ポーはもちろん,心臓や千億の連載含む)というと,思い入れの強さをご理解いただけるでしょうか。 / 烏丸 ( 2005-01-16 00:04 )
萩尾望都だいすき。この作品もおもしろいです。 / YIN ( 2005-01-15 00:10 )

2004-12-30 〔短評〕最近の新刊から 『エマージング(2)』 外薗昌也 / 講談社モーニングKC


 前回「タダではすまない。注目である。」と紹介を締めた『エマージング』だが,存外にあっけなく2巻で終わってしまった。

 話題作人気作をいたずらに引っ張ることの少なくない当節では,いっそ天晴れとその潔さを(前作『犬神』を延々引っ張った外薗昌也だけになおさら)評価したい。ただ,その分結末は安易といえば安易。めでたくもご都合主義的なエマージングウイルスの終息は,本作が今後名作として歴史に刻まれることを阻むように思われてならない。

 ポイントは言うまでもなく,登場人物の多くがエマージングウイルスに「感染」はしても死ななかったことだ。
 それはつまり,この作品が描こうとしたものは「感染」であって,決して死に至る「病」ではなかったということだ。

 「感染」に徹底してフォーカスを当てたことを評価すべきか(少なくともそのような作品にはあまり記憶がない),死をも含む重層的な内容を描き切れなかったことを惜しむべきか……とりあえず結論は先送り,そんな感じだ。

先頭 表紙

2004-12-21 最近の新刊から 『女子大生会計士の事件簿(1)(2)』 山田真哉 / 角川文庫


【今度の仕事は五年分の数値を打ち込んで〈年次推移表〉を作成し,その変動を見るという〈分析的手続〉だ。】

 すでにお気づきのことかと思うが,不肖この烏丸,学習マンガが好きだ。「好き」というより「スキスキッ」とライトでスプライトなフェイバリットである。
 さまざまなジャンルの知識を提供するという建付けの中,たとえば,口の立つ少女に圧倒されてばかりの少年が,挽回せんとことごとにムキになる。そんな微笑ましくも幼い恋愛絵巻が懐かしく,愛しい。

 角川からこの秋に文庫化された『女子大生会計士の事件簿』は,マンガではないが,そんな味わいたっぷりの逸品である。

 今回文庫化されたのはすでに4巻発行されている単行本から
   DX.1 ベンチャーの王子様
   DX.2 騒がしい探偵や怪盗たち
の2冊。それぞれ書き下ろしが加えられていたり,「やさしい会計用語集」「英語で学ぼう会計用語集」,さらには登場人物たちによる各編のまとめや読者からの質問コーナーまで用意されて,まことににぎやか・なごやか・まことしやか。

 おっと,肝心の本編についての紹介が後回しになってしまった。
 『女子大生会計士の事件簿』は,現役女子大生で「公認会計士」の〈萌さん〉こと藤原萌実と新米「会計士補」の〈カッキー〉こと柿本一麻がコンビを組んで訪れる監査の先々で,粉飾会計,会社乗っ取り,クーポン詐欺,領収書偽造,原価率操作,インサイダー取引など会計にかかわる謎や事件を解決し,それによって会計の仕組み,会社の仕組みを教えてくれる,というものだ。
 もちろん,こんな軽い短編やその注釈を読んだだけで会計の仕組みがわかるほどその世界は甘くないだろう。それでも会計,経理にうとい者には「なるほど,そだったのか!」と膝を打つ点も少なくない。
 各編に取り上げられた事件は他愛ないといえば他愛ないが,なにしろ素材がバラエティに富んで飽きることがない。1冊1時間もあれば読み終わるライトノベル感覚だが,そのバラエティ,人物の爽やかさをもって,十分再読に耐える。

 とくに「DX.2 騒がしい探偵や怪盗たち」に掲載された「監査ファイル6 〈十二月の祝祭〉事件 ──数字の話──」は,萌実がなぜ若くして公認会計士の道を目指したかを解き明かすちょっぴりハートフルな物語となっていて泣ける。「ちょっぴり」「ハートフル」などという言葉は性分がら使いたくないのだが,ほかによい言葉が浮かばない。

 難をいえば,萌実が「あれ〜、そうだったかしら〜?」等,セリフの中で「〜」や「…」を連発するのが少し目障りな印象。キュートでおじさん受けがよく,利発で聡明,キャラは十分立っているのだから,仕事の現場での会話はもう少しきりっとしたものでよかったのではないか。

 なお,文庫カバーの久織ちまきのイラストは秀逸。迷ったが,ここではDX.1の表紙を転載することにした。かわゆい……。
 ちなみに某社の監査にたずさわる会計士と言えば……言わぬが花のサンフランシスコ・ザビエル。

先頭 表紙


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