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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-03-22 最近読んだ本 『頭文字D(28)』『モーツァルトの子守歌』ほか
2004-03-15 最近読んだ本 『のだめカンタービレ(8)』『白夜行』『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』
2004-03-08 こちらのほう,オトナマターということでいかがでしょうか? 『オトナ語の謎。』 監修 糸井重里 / ほぼ日ブックス
2004-03-01 照れずに読めば少年の心もち 『暁の歌』藤田和日郎短編集 / 小学館 少年サンデーコミックス
2004-02-23 機械的トリックの復権? 『予知夢』 東野圭吾 / 文春文庫
2004-02-16 『バジリスク −甲賀忍法帖− (1)〜(3)』 原作 山田風太郎,漫画 せがわまさき / 講談社アッパーズKC
2004-02-08 『社長をだせ!ってまたきたか! “あっちでもこっちでも”クレームとの死闘』 川田茂雄 監修,森 健 取材・文 / 宝島社
2004-02-02 コンビニの棚の前で我を高みにいざなう聖性 「Jupiter」 平原綾香
2004-01-27 『どーでもいいけど 不景気な暮らしの手帖』 秋月りす / 竹書房 バンブー・コミックス
2004-01-19 『紙の中の黙示録 三行広告は語る』 佐野眞一 / ちくま文庫


2004-03-22 最近読んだ本 『頭文字D(28)』『モーツァルトの子守歌』ほか


【場数と経験の量が 自信と技術を作る・・】

『頭文字D(28)』 しげの秀一 / 講談社(ヤングマガジンKC)

 読者諸君はかつて『頭文字D(27)』の私評において,筆者が「プロのドライバーにも勝ってしまったプロジェクトD,今後読み手が納得できる壁はあり得るのか」と疑問を呈したことをご記憶だろうか。

 ……と,ナレーション口調もちょっぴり『頭文字D』ふうだが,新刊では早速それに対する1つの回答が提示されている。拓海ではないが「そうくるか」と思わず納得の展開だ。
 ここで「オトナ」を出してくるとは,やるなぁ,しげの秀一。

 高橋啓介と恭子ちゃんのラブラブファイヤーもあえなく散って,ソリッドな公道バトル路線に戻り,結局のところ,無節操な闘いの拡大再生産にも陥らず,ラブアフェアも飾りの域を出ず,『頭文字D』はそのあたりのストイックさが魅力なのかと思ってみたりみなかったり。

『モーツァルトの子守歌』 鮎川哲也 / 創元推理文庫

 斯界の巨匠ならストイックかというと,当然ながらそんなことはない。
 創元推理文庫から最近立て続けに復刊された<三番館>シリーズ,主人公の探偵が持ち込む謎をバー<三番館>のバーテン氏が快刀乱麻に解いてみせるという典型的な安楽椅子探偵タイプの短編集だが,この名作にして,後半はダレダレにダレてさっぱりだった。

 後半というとどのあたりかというと,
  『太鼓叩きはなぜ笑う』
  『サムソンの犯罪』
  『ブロンズの使者』
  『材木座の殺人』
  『クイーンの色紙』
  『モーツァルトの子守歌』
と全6冊並べて,3冊めの『ブロンズの使者』あたりですでに少し緩んだ印象があり,4冊めの『材木座の殺人』ではすっかり弛緩しきっていた。

 何が違うのだろう。
 この<三番館>シリーズの各作品は,おおむね,まず肥った弁護士が探偵に調査を依頼,探偵が足と口を使って執拗な調査を行うがどうにも埒があかず,<三番館>のバーテン氏に相談したところ,意外な着眼点から事件の様相がまるで異なるものになる……という筋書きである。ところが,後の作品になればなるほど,この探偵の調査が適当だったりそもそも欠落していたりするのだ。つまり,あらゆる可能性が検討された後にバーテン氏の指摘があるからこそ,その推理の見事さに打たれるはずなのに,十分な検討,検証を経たうえでないなら,それは単なる可能性を1つ追加するだけなのである。
 実際,『クイーンの色紙』や『モーツァルトの子守歌』収録作品にいたっては,素人読者にも,ほかの解決案が指摘できそうなものがある。「本格」だの「安楽椅子」以前の問題だろう。

 ただ,作品そのものがつまらなくなる一方,一種の「見もの」として注目に値するのが,各巻の解説である。
 なにしろ,作者は本格の巨匠。東京創元社の抱える資産の中では一番の大物かもしれない。あだやおろそかに扱えない巨匠に対する苦し紛れの世辞追従。
 各巻の解説担当者が,テクニックの限りを尽くして作品をそして鮎川御大を持ち上げるさま(あヨイショ!),春の宵にブランデー片手に味わうだけでも十分豊かでインテレクチュアルな時間を過ごせるように思われるのだがさて如何。

先頭 表紙

2004-03-15 最近読んだ本 『のだめカンタービレ(8)』『白夜行』『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』


『のだめカンタービレ(8)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

 早くも8巻め。1巻が2002年1月発行,つまり2年で8巻。掲載誌が月2回刊であることを考えれば,少しびっくりしてよい刊行ペース。
 しかも,テンションは高まるばかり。

 帯の惹句には「こんなに笑えるクラシック音楽があったのか!?」とあるが,『のだめ』はもはや「笑い」の領域にはない。上質な『ルパン三世』作品においては,ちりばめられたギャグに笑う以前に完成度に見とれるしかなかったように,『のだめ』8巻では一瞬も笑うことができなかった。
 ここに描かれているのは,ただ,正しく音楽である。
 息が詰まるほど感動する以外に何ができるというのか。

『白夜行』 東野圭吾 / 集英社文庫

 少々動機が不純で,最近諸般の事情から長編小説から離れていたのだが,「いけない,このままでは長距離走に耐えられないカラダになってしまう!」なる焦燥感から,ながく本棚で寝ていた本書を手にとった。

 噂にたがわぬ傑作であった。
 もちろん,数行で感想を語り尽くせる作品ではない。

 新本格派と称する作家の多くが「パズル」を強調するのに対し,『白夜行』はそのまったく逆,動機や犯人の心のあり方に重心を置こうとする試みである。文庫にして800ページを越える膨大な記述の果てに,読み手は最後まで描かれなかったものの重みに圧倒される。

 この長編は,ある意味,許されない人々がいかに許されないか,を描いた作品である。能天気な翻訳をするなら「白夜行」とは「御天道様(おてんとさま)の下を歩けない」の言い換えである。そして,登場人物たちが自分たちの行く末を「白夜」の下に見据えるように,読み手も生半可な感情移入は許されない。
 だが,これほど苦い物語に,こうまで心洗われる気がするのはなぜだろう。

 なお,細かいことだが,1970年代前半に起きた最初の事件以来,『あしたのジョー』連載終了,山口百恵ブームなど,妙に世俗的な描写が頻出するのに違和感があった。これらが必要だった理由は最後に明らかになる。ただ,文章としてはその何箇所かがどうしても浮いていて,もう少し手はなかったのかという気もしないではない。

『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』 ロイ・ヴィカーズ / ハヤカワ・ミステリ文庫

 ヴィカーズといえば倒叙モノの「迷宮課」シリーズ。

 「倒叙モノ」というのは,犯人の視点から物語を書き起こし,あわや完全犯罪,といったところでちょっとした見落としから探偵に暴かれて大逆転,というミステリの一手法である。
 オースチン・フリーマンの短編集『歌う白骨』を祖として,フランシス・アイルズ『殺意』,クロフツ『クロイドン発12時30分』,リチャード・ハル『叔母殺し』などが追従した,とたいていのミステリ史で紹介されている(本当)。要するに『刑事コロンボ』や(そのパクリで有名な)『古畑任三郎』の展開,あれだ。

 ヴィカーズは,その倒叙モノの短編集『迷宮課事件簿(1)』で知られており,これが1977年にハヤカワ・ミステリ文庫から発売されて,それっきり,音沙汰もなく……。
 と思ったら,今年になって3巻めの『老女の深情け』を書店店頭で発見して「えっ,なぜ第3巻???」。失礼しました,昨年夏に第2巻の『百万に一つの偶然』が発売されていたのですね。それにしたって,2巻が26年ぶりとは。相当に深い「迷宮」にはまりこんでいたとみえる(先に紹介した叙事的な大作『白夜行』で流れた年月にも匹敵!)。

 さて,作品としてはどうか。
 元来,倒叙モノには非常に面白い作品が多く,本シリーズでもハタ,と手を打つ作品もなくはない。……のではあるが,いかんせん,20世紀初頭(1930年ごろまで)を舞台にした作品だけに,犯罪が発覚するきっかけとなる小道具がわかりにくく,そのため,いくつかはどうも今ひとつカタルシスに至らなかった。
 誰も疑いすらしなかった犯行が発覚するのが,犯人が「荘園邸の羽目板細工」を処分したため,と言われてもなあ。なんだそれ。

 コロンボや古畑任三郎がああまで痛烈だったのは,映像ゆえ,なのかもしれない。
 アリバイを練り上げた犯行のサスペンス。不敵な笑みさえ浮かべる犯人。ちょっとした小道具や言葉じりから犯罪が暴かれた際の,探偵の申し訳なさそうな口元……。

先頭 表紙

この作者の頭の中には,マンガはこうでなくては,とか,このくらいの展開が普通,とかいった外からの制限が入ってないようで,そこが嬉しい。音大生たちも,「いかにも」の予断で描かれていないように思います。8巻のあとがきで,ある人物を描きやすいと語っているのはちょっとショックでした。 / 烏丸 ( 2004-03-21 00:05 )
8巻の帯に関しては、ちゃんと「わかっている」人が書いているのかなーと疑問。「自由に楽しく〜」というのはこれから実際に出てくるのだめの台詞なんですが、使い方間違ってマス。 / けろりん ( 2004-03-19 10:21 )
のだめは、すでに9巻のの内容の連載を終えたところで、この春からはなんと舞台は日本を離れます。全然先が読めません。今一番続きが楽しみなマンガかも。 / けろりん ( 2004-03-19 10:15 )

2004-03-08 こちらのほう,オトナマターということでいかがでしょうか? 『オトナ語の謎。』 監修 糸井重里 / ほぼ日ブックス


【むしろ,ぜんぜんウェルカムです】

 ある日,サラリーマン金太郎ならぬサラリーマン烏丸が取引先のとある担当者にものしたメールの一文。

   お世話になっております。

   さて、例のスキームの件なのですが、プライオリティ高ということで、
   上のほうからも週明け午後一に各社様からのお見積りをいただくのがマストと
   指示がふってきております。
   必ずあいみつをとることが弊社内のコンセンサスとなっており,
   お手数ですがなるはやでご対応いただけましたら幸いです。

   よろしくお願いいたします。

 「お世話になって」いて,「お手数ですが」「いただけましたら幸い」とへりくだり,あげくに「よろしくお願いいたし」と頭を下げているのだから,さぞや大切な取引先かと思いきや,何を隠そうこのメールの本音は,再三の「お願い」にもかかわらず週明け午後一に見積もり持ってこなきゃ,あんたんとこの商品は二度と扱わないかんね,という最後通牒なのでありました(そうでなきゃ,取引先に直接「あいみつ」の一口だなんて言いませんよね)。

 つまり,「お世話になって」いる相手に「お願い」して,「対応いただけたら幸い」と申し上げるのは,直訳すれば「やってね」という意味しかないのです。
 なにしろ,サラリーマン烏丸のウィンドウズパソコンには
   おつ ⇒ お疲れさまです。
   おせ ⇒ お世話になっております。
      ⇒ 日ごろはお世話になっております。
   よろ ⇒ よろしくお願いいたします。
      ⇒ 何卒よろしくお願い申し上げます。
がそれぞれ辞書登録されていて,へりくだるのなんざピシパシピシと2文字分で朝飯前。
 この場合もちろん,「おつ」が社内向け,「おせ」が社外向けであり,「おせ」「よろ」のやや丁寧なほうが部長級以上が相手の場合,ということは言うまでもありません。

 このメールのもう1つの特徴は,「スキーム」だの「プライオリティ」だの「マスト」だの「コンセンサス」だののカタカナ言葉,「午後一」「あいみつ」「なるはや」という,中学・高校では勉強しなかったヘンテコな言葉,さらには「例の件」「上のほう」とどうにも曖昧模糊な用語用例がちりばめられていることです。

 このような,サラリーマン社会でのみ通じる(つまり辞書には載ってない,もしくは辞書に載っているのと微妙にニュアンスの異なる)言葉遣いに着目し,それを「オトナ語」と名付けて紹介したのが本書『オトナ語の謎。』です。
 もともとは糸井重里のホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」で話題になったコーナーの単行本化だそうで,烏丸は書店店頭で手に入れましたが,デフォルトでは通販で販売されているもののようです。

 素晴らしいのは,苦笑いするしかない,その内容の充実ぶり。
 なぜ苦笑いかというと,そうですね,先週1週間の会議(MTGですな)やメールのやり取りで烏丸が直接使った,あるいは目や耳にしたものだけで,1つ2つ……50ではきかないかもしれない。100近くあるかも。どうやらサラリーマン烏丸は「オトナ語」にまみれたオトナ社会にどっぷり首までつかって生きているようです。

 最初に揚げたメールは先ほどちゃっちゃっとこしらえたマガイモノですが,辞書登録はウソではありません。実際,普段何百通/日とやり取りしている社内,社外へのビジネスメールの大半は,まぁこんな程度のものです。

 本書を読んでびっくりしたのは,これらの用語が決して烏丸の勤めている会社やその周辺独自のものではなく,どうやら広くサラリーマン社会に共通するものらしい,ということ。本書には相当数の「オトナ語」が紹介されているのですが,言葉そのもの,あるいは用法をまるっきり知らなかった,というのはほとんどありませんでした。
 つまり,この日本には「標準語」とは別に,「オトナ語」という共通語があるらしい。語意的にはへりくだっているのに内容は脅しに近い断りだったり(「おっしゃることはよくわかるんですが」「と,おっしゃいますと?」「ご縁がありましたら」「〜さんに言ってもしょうがないんですけどね」),よいことであるはずなのに危機的状況を表したり(「テンパる」「バンザイ」),いったい何だかよくわからなかったり(「ウィン・ウィン」「あいみつ」「いちばんベター」)。いやはや,なんとも味わい深い用語,用法ばかりではありませんか。

 ちなみに新社会人の方は,「コンセンサス」「シナジー」「シェアする」「アジェンダ」といったカタカナ言葉をわりあい早く口にするようになられると思いますが,むしろ「のむ」「泣く」「丸投げ」「手弁当」「織り込みずみ」などの言葉に慣れてこそ一人前といえます。要するに,後者は実際に追い詰められたり嫌な思いをしたときじゃないと覚えないんですね。

 それにしても,最近は「インパク〜インターネット博覧会」の編集長を引き受けてしまうなど,なんとなくパッとしない感のあった糸井重里だけど,こういう着眼点というか,ピックアップはさすがに上手い。ただ,この本もほかのイトイ本と同じように,社内で話題になって,回し読みして,しばらくしたらどこかに消えてしまうのでしょうけど。

 そうそう,烏丸の周りでよく使われる「オトナ語」で,掲載されていないのが1つありました。
 本書にも掲載されている「ざる」はチェックの甘い状態のことを言うのですが,もっとひどい状態のことを「わく」と言います。「ざる」ほどにもひっかかるところがないんですね。

 とりあえず,上記レジュメのほう,ご査収いただけましたら幸いです。
 何卒よろしくお願い申し上げます。

先頭 表紙

2004-03-01 照れずに読めば少年の心もち 『暁の歌』藤田和日郎短編集 / 小学館 少年サンデーコミックス


【命なんざいらん。】

 初期作品のそれを逆に極限までそぎ落としてブレークしたあだち充のような稀有な例を除いて,マンガでは多くの場合「過剰」こそがウリモノである。

 少年サンデー連載の藤田和日郎(かずひろ)『からくりサーカス』はまさにその「過剰」を文字通り絵に描いた大作。努力,勝利,敗北,破壊,悲惨,復活,勇気,友情,恋慕,とっさのひらめき,高揚……ここには少年マンガに求められるものが何でもそろっている。ありすぎると言ってもよい。それらは互いに濃密にからみ合い,まるでラードとソースにひたった熱アツの焼きソバのようだ。

(連載冒頭の,からくり人形を利用した戦闘とゾナハ病をからませ,主人公・才賀勝が自分自身で闘うことに目覚めるまでは実に面白い展開だった。ただ,その後が長い。「波紋の論理」でうならせたあと延々と続いた荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』と,関連人物を増やしては話を引っ張ること,絵柄や個々のイベント,決めゼリフが濃いことなど,いろいろ共通点がありそうだ。)

 さて,その『からくりサーカス』に魅力は感じるのだけれど,あまりの濃さ,ボリュームに単行本ではついていけない……という方には同じ作者の短編集がお奨めである。

 先般発売された『暁の歌』がそれだ。
 ベタが多用されていないにもかかわらず,ページを繰る手が黒ずみそうにこってり描きこまれた線。底抜けにおしゃべりな登場人物たち。その上に,作者好みの設定,場面,展開が織り込まれている。たとえば「瞬撃の虚空」における戦闘シーン,「ゲメル宇宙武器店」における少年の自覚,そして「美食王の到着」におけるマンガでなければ描けない食材描写。いずれも素晴らしい「過剰」ぶりだ。歯の浮くような純情におじさん読者としてはテレテレと面映い思いをせざるを得ないが,トイレでこっそり読む分には許してもらいたい。もちろんストーリーに多少の,いや多々破綻があったって知ったことではない。これは,これこそはマンガなのだ。

 ちなみに,藤田和日郎には『夜の歌』という第一短編集がある(1995年8月発行)。
 描線がまだいかにも下手くそなデビュー当時のいくつかの作品は別として,本書収録の「からくりの君」「夜に散歩しないかね」は必読。この二編を知らずしてこの十年のマンガ短編を語ってはならない! ……と,紹介する口調もついつい「過剰」になってしまおうというものだ。

先頭 表紙

2004-02-23 機械的トリックの復権? 『予知夢』 東野圭吾 / 文春文庫


【「すごいな,これがポルターガイストか」はしゃいだ声を出した。】

 重いの軽いの描き分け,広末主演映画の原作で日本推理作家協会賞を受賞したりしながら,どうにもブレークし切れない東野圭吾。そんなことないと仰るあなたはミステリにお詳しいのだろう。試しに身近な方に「東野圭吾」と書いて「とうの」と読むか「ひがしの」と読むか訊ねてみるとよい。

 さて,『予知夢』は同じく文春文庫に上梓されている『探偵ガリレオ』の続編で,警視庁捜査一課の草薙刑事と友人の物理学者・湯川がさまざまな難事件を解決するさまを描いた短編集。
 建付けとしては,現実にはありそうもない奇怪な現象を,天才物理学者が解明する,という構造になっている。したがって,本のあおりや解説にも「オカルト」vs.「科学」という構図が再三登場する。
 確かに,『探偵ガリレオ』における自然発火,心臓だけが腐った死体,幽体離脱,さらに本作における予知夢,霊視,ポルターガイストなど,事件はオカルトミステリと呼ぶにふさわしい状況を呈し,対する探偵の推理は彼の得意分野である物理学を用いた科学的な……。

 そうだろうか? 東野圭吾の意図するところは,はたして本当に「オカルト」vs.「科学」なのだろうか?

 もし,著者が「オカルト」vs.「科学」を強調したいのなら,手はなんとでもあったはずだ。いかにもオカルティックなおどろおどろした難事件,立ちふさがる怪人,対するにいかにものSFめいた最新科学。
 しかし,『探偵ガリレオ』,『予知夢』ともに,読後の印象はオーソドックスなB級本格ミステリのクールなタッチである。湯川が持ち出す「科学」は必ずしも天才物理学者でなければ語れないようなものではなく,いや,大半は普通に中学,高校で物理,化学の授業を聞き,新聞を読んでいれば知っていそうなものばかり。以前紹介した皆川亮二の『KYO』のほうが,よほど「オカルト」vs.「科学」の雰囲気を明確に打ち立てていたように思われる。

 思うに,本シリーズにおいて東野圭吾が(こっそり)やって見せたかったことは,本格ミステリ,それもとくに密室モノにおいて最近とみに軽んじられる「機械的トリック」の復権だったのではないだろうか。

 島田荘司,綾辻行人以来,「新本格」ミステリはちょっとしたブームとなり,現在にいたるも(クオリティはともかく)綿々と作品は生産され続けている。
 この「新本格」系の作家たちが最重要視するのが「トリック」なのだが,彼らはその「トリック」を重視するあまり,えてして読み手からウケの取れない機械的なトリック──たとえば秘密の抜け穴があった,殺害後に糸で鍵を閉めた,など──をことさらに軽視し続けた。
 ただ,そうなるとどうしても心理トリック,それも叙述トリックと呼ばれるものの比率が増えてくる。早い話,「○○がその部屋にいたとは一度も書いてない」「◇◇が男だとはどこにも書いてなかった」などといった,著者が文章中の表記によって読者をだまくらかすやり口である。

 叙述トリックはミステリのテクニックの一種であるから,それ自身がよい,悪いということはない。アガサ・クリスティのある作品のように,ミステリ史に残る傑作もある。しかし,あまりに叙述トリックばかり続けて読まされると,そのあざとさにうんざりするのもまた事実だし,ポーやドイルが示して見せたミステリの明解な魅力が叙述トリックとは別の次元にあったこともまた事実である。なにより,叙述トリックは,その多くが再読に耐えない。

 『探偵ガリレオ』,『予知夢』は,さりげなくではあるが,ここしばらく軽視され続けてきた機械的トリックについて,まだまだうまくすればけっこう面白いものが書けるのではないか,と主張しているように思われてならない。
 読後感に重厚さこそないが,立証をむねとしたその推理は一種爽快でさえある。
 ただ,その明解さ,爽快さが,電車で読んでそのまま読み捨てられそうな軽さにつながっていることも,また事実なのだが……。

先頭 表紙

確かに、叙述モノは現実にその登場人物になったとしたら「ありえない」って事が考えられますが、機械的トリックはそういう欠陥からは免れられますね。 / あめんほてっぷ ( 2004-02-27 00:12 )
島田荘司の初期の長編は,わりあい機械的トリック,それもかなり大掛かりなものが多くて面白く読みました。どうやらカラスは,叙述モノよりはまだしも機械的トリックのほうが好みのようです。 / 烏丸 ( 2004-02-26 23:31 )
今時の作品はさっぱりなのですが、「本陣殺人事件」古いところでドイルの「ソア橋」なんてとこでしょか。 / あめんほてっぷ ( 2004-02-25 14:42 )

2004-02-16 『バジリスク −甲賀忍法帖− (1)〜(3)』 原作 山田風太郎,漫画 せがわまさき / 講談社アッパーズKC


【見破るとは このわしをか? 蛍火】

  光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった。
  命をかけて歴史を作った影の男達。だが人よ,名を問うなかれ。
  闇に生まれ闇に消える,それが忍者の定めなのだ。
             (『サスケ』オープニングナレーションより)

 というわけで理屈抜きに忍者漫画が大好きだ。

 とはいえその大半は白土三平作品の魅力であり,残る一炎も横山光輝の『伊賀の影丸』に負うところが大きい。会社社会を引退後は都のたつみに小さな庵を設け,晴耕雨読,灯火の下に彼らの作品を紐解いて三昧境に至るがささやかな夢の一つである。

 ただ,残念なことにここしばらく上質な忍者漫画は影を潜め,忍者漫画ファンはいしいひさいちの『忍者無芸帳』に渇を癒すしかない。
 ちなみに少年ジャンプに掲載された桐山光侍『NINKU -忍空-』や岸本斉史『NARUTO』などでは,設定にこそ「忍者」「術」といった言葉が用いられているが,登場人物のファッションなどからも明らかな通り,日本の歴史上の忍者を描くつもりは毛頭なく,単なるファンタジー冒険活劇の一,どちらかといえばアクションゲームの系譜に近いとみなしてよい。

 そこで『バジリスク』である。
 本作は原作に山田風太郎の『甲賀忍法帖』を仰ぎ,化け物じみた忍者同士の荒唐無稽な技対技の対決,殺法ありお色気あり,まこと久々に忍者漫画の王道を歩む作品といえる。

 徳川三代将軍の世継ぎ問題に決着をつけるため,十人対十人で忍法殺戮合戦をして生き残りを懸けることになった甲賀と伊賀。共に愛し合う甲賀弦之介と伊賀の朧は,ついに互いが殺し合う運命となったことを知った!
 というのがストーリーの大枠なのであるが,まぁそういう設定は忘れてかまわない。要はおよそ人の肉体のなせる技とも思えない忍法と忍法,体術と体術の対決がすべてなのだ。土や壁の中を音もなく移動する霞形部,全身の皮膚が吸盤と化して相手の血を吸うお胡夷(こい),あらゆる体毛が尖って武器となる蓑念鬼,かまいたち現象を起こして相手を切り裂く筑摩小四郎……。

 『バジリスク』に登場する忍者たちは,その化け物度合いといい怪異な面貌といい,まことに申し分ない。それぞれの技の描き方も秀逸で,ことに甲賀の首領,甲賀弦之介がその得意技(これが『バジリスク』のタイトルの源となっているのだが)を発揮したシーンの迫力たるや,ここしばらくのあらゆるコミック作品でも類を見ない。
 そして,これらおよそ無敵の忍法,体術が,戦う相手によって,あるときは優位に,あるときは不利に働くその組み合わせの妙。

 ただ,欲をいえば,コンピュータグラフィックスを多用しすぎた絵柄は,ただ重いばかりでコマごとのメリハリがなく,また忍者漫画としてはやや動きに欠けるように思われる。作品のデジタル化にのめり込んだ寺沢武一の『武-TAKERU』がそうであったように,一コマ一コマの効果にこだわるあまり,白土作品,横山作品に見られる忍者同士が木から木へと素早く飛び移りつつ戦う,そういった動的なシーン(そしてその反動としての静的なシーン)が非常に少ないのである。ただ,その意味で,第三巻の如月左衛門と蛍火の戦いは動きが華やかで出色であった。

 ところで,甲賀と伊賀といえば,なんとなく技や勝負にこだわる無口で硬派の甲賀,どことなく悩みをかかえた美貌のウェルテル伊賀,といったイメージが強い。戦いに勝利してなお敵方を慮る伊賀の影丸の印象が強いせいだろうか。

 もう一点,昔から不思議なのは,多くの漫画作品,時代劇において,忍者たちが刀を帯びていることである。隠密剣士秋草新太郎や浪人矢車剣之助ならともかく,甲賀,伊賀の忍者は帯刀を許されていたのだろうか?
 と思って調べてみたら,広辞苑に「甲賀者」は「江戸幕府に仕えて鉄砲同心を勤めた甲賀の地侍出身者。隠密に秀でたといわれ,伊賀者と並称。甲賀衆」とあり。なるほど。

先頭 表紙

とはいうものの、荒唐無稽な娯楽作品は大好きなので、今度マンガ喫茶に行ったらチェックしてみます。 / けろりん ( 2004-02-17 17:19 )
おのれ、烏丸!逃すかっ!(シュバッ、キリキリキリキリ←鎖鎌)やーん、山田風太郎は「甲賀忍法帖」しか読んでないし、アニメはゆうばり国際映画祭で賞を取ったというから観ただけですぅ〜。普段は少女マンガしか読みませんわ。(ドスッ←とどめ) / けろりん@くのいち ( 2004-02-17 17:18 )
ところで,右上の『バジリスク』第3巻の表紙,主人公弦之介の顔のわきを横切っている銀色の棒みたいなの,何だと思われますか? 刀か矢だろうということは想像できるんですが……。購入して裏表紙まで見て,はじめて納得できました。表紙カバーをかっぱぐと,なんとも実によい構図です。 / 烏丸 ( 2004-02-17 01:01 )
こ,これはけろりん殿。意外なご趣味と申せば失礼やもしれませぬが,山田風太郎からちょいとえっちなovaまでお詳しいとは。この烏丸,足元にもおよびませ……むっ,殺気! たっ,しゅたたたたた(忍者走り)。 / 烏丸@むっ,呑気! ( 2004-02-17 00:55 )
わー、甲賀忍法帖がマンガ化されているとは知りませんでした。ところで『獣兵衛忍風帖』という劇場アニメはご存じですか?オリジナルですが、山田風太郎の世界そのまんま。非常に出来のよい作品なのでオススメです。お子さまと一緒には観るものではないですけど。(^^;)http://www.jvcmusic.co.jp/m-serve/ova/jube/ / けろりん ( 2004-02-16 22:16 )

2004-02-08 『社長をだせ!ってまたきたか! “あっちでもこっちでも”クレームとの死闘』 川田茂雄 監修,森 健 取材・文 / 宝島社


【ふつうのキャンディであれば,何も問題はないでしょう? 犯罪ではありませんよ】

 前作『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』に負けず劣らず,いや,個人的には前作より幾段か面白く読みました。
 カスタマーサポートに少しでもかかわる方,商品戦略にかかわる方,営業にかかわる方,どなたにもオススメ……というありきたりの推奨文のほか,中高生の課題図書にして感想文書かせるてはどうか,なんてことも考えてしまいます。

 前作では著者川田茂雄氏個人の経験を中心に,カメラ製造会社に寄せられるクレームの実態とそれに対する対策が詳細に語られたのに比べて,今回は「食品製造,書店,電気機器メーカー,旅行代理店,定食チェーン,ファミリーレストラン,通信販売,テレビ放送,量販店……」とさまざまな業種のお客様相談室,サポートセンターの担当者にルポライターの森 健氏がインタビュー,そしてそのそれぞれに川田氏のコメントが付く,という構成になっています。

 本来サポート担当者というのは,契約上,業務の裏事情を語ってはならないことになっており,インタビューの了解を得るのは非常に難しかったと想像されますが,それで得られた本書の各章の内容は,かなり実態に即した内容ではないかと想像されます。そして,さまざまな業種を並べたことが,単にバリエーションが増えただけでない,構造的な面白さにつながっているのです。
 どういうことかというと,前作がいわば川田氏のワンマンショーであったのに対し,今回はサッカーや野球のように,さまざまなプレイングスタイルのサポート担当者が,ディフェンス,オフェンス,時と所を変えながらさまざまなクレームに対応するわけです。ファミレスと家電量販店ではそもそもクレームの種類や質も異なりますし,受ける側もその対応はさまざま。本書に展開する世界は,野球やサッカーのような集団競技のようであり,ルール不在の異種格闘技のようでもあります。

 野球やサッカーのチームに優れた選手とそれほどでもない選手がいるように,非常にクレバーで冷静な担当者,温かみのある対応をするサポート担当者,自分が客の立場ならクレーマー扱いされて不愉快な思いをしそうな担当者などさまざま。サポート担当者側からみての勝ち負けだけでなく,そもそも問い合わせをしてきた客のほうが正しいように思われる,つまり決してクレームとは思えないエピソードさえあります。
 また、単にクレーム対応だけでなく,その企業の顧客への意識そのものが透けて読める面もあり,カメラ製造,販売の経験から語る川田氏の分析が,必ずしも彼らの対応とマッチするとは限らないところも微妙な味わいです。

 クレームの種類も,意図的に謝礼や金銭を狙ってくるものから,寂しさや自己顕示欲から電話を何度もかけてくるもの,どこか歪んだというか壊れた精神状態を感じさせるものなどいろいろで,カメラ業界に限定された前作より「人の業」を感じる例が少なくありません。
 個人的には書店のレジで起こるトラブルのいくつかに胸を打たれます。本来出版物というのは薄利多売で利益を上げるもので,顧客対応に時間や経費をかけるのはたいへんやっかいなのですが,本書に登場した大手書店チェーンの担当者の方の対応には出版の見果てぬ夢を説かれたようで胸が熱くなりました。

 一方,最低だったのは本書中ほどに掲載されたとある業種(会社)です。
 明らかにミスは自社のほうにあるにもかかわらず,強引に顧客に責任をなすりつけ,結局被害の半額を顧客払いにした所長とやらも問題ですが,その経緯を「このケースについて言えば,社内的には所長のゴリ押しは通る話でしょう」と容認してしまう担当者も問題です。この業種にはそのような酷い事件が相次いでいるのではないかと思わせる一節でした。

 本書の巻末には,弁護士と大学教授が法律の専門家として寄稿しています。とくにインターネットでの告発が自分にはね返る可能性を語った後者の論旨は普段あまりお目にかかれないもので,丼のキムチにカエルが入っていたり,修理に出した車が傷ついて戻ってきたり,ビデオの画質が許せなかったりする方々はインターネットに告発サイトを立ち上げる前にぜひとも目を通しておくとよいでしょう。

先頭 表紙

もし、「兼高かおる世界の旅」のタイトルバックのジェット機がその「もく星」号であるなら、それは(1)わが国の戦後最初の旅客機(ノースウエスト航空からのチャーター機)であり、同時に(2)わが国航空史上,最初の大規模墜落事故の「もく星」号である(乗員37名全員が死亡),ということになります。 / 烏丸 ( 2004-02-13 01:06 )
木星のトリビアなんですが、昔の飛行機の機体に「もく星」と書いてあるのを発見したのですが(画像を私のページに貼りました)、それと関係があるのでしょうか? / クラッセ ( 2004-02-12 17:53 )
なにしろ,最近はあまりに巨大化して経費がかかりすぎて,サポートセンターを地方都市や,海外に配置することさえ検討されているご時世……。ちなみに,「グループ全体での概算」というくくりで,一番大きなサポートセンターはどこなんでしょう? やっぱり,NTTかな?(116をサポセンと言ってよいかどうかはよくわかりませんが) / 烏丸 ( 2004-02-09 00:38 )
これは実際のところさほど多くはない数字で,業種によれば問い合わせが一日数万というのもあります。家電としては多い,というつもりだったかもしれませんが,パソコンが主力商品の一つとなっているメーカーなら,こんなオペレーター100人にも満たないであろうちっぽけなサポートセンターでは話にならないはずです。 / 烏丸 ( 2004-02-09 00:37 )
ところで,面白く思ったのは,サポートセンター同士の横のつながりや統計ってあまりないらしい,ことですね。本書のある章に,「大手家電メーカー」の担当者が「うちのお客様センターにかかってくる電話は,おそらく日本でもトップ10に入るでしょう」とあるのですが,その数字が,「グループ全体での概算」で「平均一日に三百五十件」「年間で十万件以上」というのですね。 / 烏丸 ( 2004-02-09 00:37 )
なるほど,告発サイト立ち上げて大企業をぎゅうぎゅう締め上げる参考にされるわけですな。チガウ……? / 烏丸 ( 2004-02-08 23:41 )
前作は、烏丸氏の書評のあと即買いしてしまったワタクシ、この本も先日ビックカメラで見つけ、気になってましてん。かっちゃおうっと。 / あやや ( 2004-02-08 22:08 )

2004-02-02 コンビニの棚の前で我を高みにいざなう聖性 「Jupiter」 平原綾香


【愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない】

 その歌を初めて耳にしたのは昨年の暮れ,たしかときどき立ち寄るブックオフ2Fの文庫コーナーでのこと。清水國明のにぎやかな宣伝歌のあと,この曲が始まったときは,一瞬空間がゆがんだかとさえ思った。
 もっともその瞬間の「頭」の反応は,小柳ゆきがK-1のオープニング用にアメリカ国歌を歌ったのかしら,とかいったものだったけれど。

 その歌,「Jupiter」を歌っているのは平原綾香という新人。祖父,父ともにミュージシャンという音楽一家に育ち,高校を出たばかりの19歳とか。原曲はホルスト『惑星』から「木星」の一部をモチーフに,日本語の歌詞を付したもの。

 その後,コンビニ等で何度か耳にするうちに気になって気になって,矢も楯もたまらず(←これは「火星」のイメージだが)マキシシングルを購入してきた。
 ……ところが,自宅でじっくり聞いてみると,これがコンビニで聞くほどにはよろしくない。

 「木星」をリメークしたコンセプトは見事だし,歌も上手い(残念ながら宇多田ヒカルほど存在感があるわけではないし,ミーシャほど切れるわけでも,小柳ゆきほど揺さぶりをかけるわけでもない。が,新人としては十二分な唱力と言ってよいだろう)。すべてにおいて平均点以上,そのうえあの荘厳な雰囲気,意味深な歌詞……。

 それでもやはり,コンビニで聞いたほうがよく聞こえるのだ。

 たぶん,それはこういうことなのだろう。コンビニエンスストアという,是も非もなく「俗」な空間,そこでカップ麺やらカテキン茶やらアロエ入りヨーグルトやら青年誌やら潤滑ゼリー付きコンドームやらをレジに並べて釣銭をまるめようと財布を開いたところに静かにこの曲が始まる。すると,聞き手は一瞬にして雑然としたレジの前からある種の「高み」にすっと引きずり上げられてしまうのだ。
 目と鼻の先のプチ食欲や性欲をコンビニエントリに処理して済ませんとする自分の耳をつまんで,その音は自分の内奥をいきなり透明に洗い上げ,静謐な境地を垣間見せてくれる,そんなふうに思われるのだ。

 ところが,自宅のごく普通のオーディオ機器でそれを流すとき,この曲は単なる「ちょいとコンセプトの巧い,新人の佳曲」に過ぎなくなる。
 たとえば宇多田の「COLORS」や元ちとせ「ワダツミの木」のように,繰り返し聞けば聞くほどに胸のうちで大きな領域を占める,そういったレベルの楽曲ではない。そのうち,心に残ったのは,実はそもそものホルストによる原曲のメロディであることに気がついたりもする。

 結局のところ,平原綾香の「Jupiter」が与えてくれる音のシャワーは,コンビニや古本屋といった有線放送の似合う空間でだけ,生活の向こう側のありようを指し示してくれる「聖性」なのかもしれない。

 ただし,それはそれで得がたいものであることもまた事実。
 安ホテルのシャワーなどより格段に心を洗ってくれるものが,少なくともそこにはあるのである。

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 今週のトリビア。

 ジャーナリスト 兼高かおるが1959年から1990年の31年間にわたって(ギネスブック承認)ナレーター兼ディレクター兼プロデューサーとして活躍した「兼高かおる 世界の旅」(TBS系)のオープニング,ジェット機をバックに流れる爽快な音楽が,ホルスト『惑星』の「木星」だった。

先頭 表紙

お前の倒した譜面台は金の譜面台、それとも銀の譜面台? いえいえ、「木星」だけに木製の譜面台。にゃんてな。銀の譜面台5つで金の譜面台と交換できます。はい、いらっしゃいませ〜♪ / 烏丸 ( 2004-02-10 01:54 )
補足トリビア:1986年12月、福岡市民会館で「木星」を演奏したあややは、演奏後、立ち上がったところで譜面台を倒した。 / あやや ( 2004-02-09 12:55 )

2004-01-27 『どーでもいいけど 不景気な暮らしの手帖』 秋月りす / 竹書房 バンブー・コミックス


【当たり前の生活なんだが これを不況というらしい】

 先に取り上げた『紙の中の黙示録 三行広告は語る』に少し遅れて,1992年から2001年まで,いわゆるバブル経済崩壊後の「失われた10年」を(結果的に)描き上げた四コママンガ,それが秋月りすの『どーでもいいけど』だ。
 『どーでもいいけど』は朝日新聞土曜日夕刊の「ウィークエンド経済」欄に掲載されたもので,単行本化が待たれていたが,最近ようやく全373編がまとめられて竹書房から発刊された。

 本連載,おそらくもともとは夕刊の経済欄にその折々の時事ネタを織り込んでくすぐりと風刺を,といった程度の狙いだったのだろうが,単行本のサブタイトルに「不景気な暮らしの手帖」とあるとおり,全編を隙なく覆う閉塞感はふり払いようがない。どこから読み返してもうんざりするほどに「不景気」ネタのキンタロアメ,それも「銀行は定期預金者につまらぬ粗品をよこすくらいなら金利を上げて」,とかいった世知辛い題材のオンパレードである。

 妙な言い方だが,こうやって一望にしてみると,1990年代の不景気さは一種「たいしたもの……」とさえ思える。
 経済欄という発表の場からか,『どーでもいいけど』には阪神・淡路大地震,オウム・地下鉄サリン事件はほとんど扱われていないのだが,そうなるともう目ぼしい事件がほとんど残らない。都市博の中止や山一證券の倒産,和歌山毒物カレー事件など,もちろん大事件ではあったのだが,その大半は中止,倒産,喪失,失敗といった負のベクトルの事件であり,あとに残るのはただしみったれた閉塞感ばかりである。

 ただし,『どーでもいいけど』に横溢する閉塞感をただ時代のせいにするのは,それはそれでまたスジ違いというものかもしれない。

 まず,秋月りすという作家は,何人か(何組か)の登場人物を並列的に描いて,だんだんそれぞれに愛着や味つけを加えていくのが得意な作家である。これはたとえば連載開始当初は決して面白いとは思えなかった『かしましハウス』が,4巻,5巻あたりから三女のみづえ,次女のふたばの個性を強調することでこの作品ならではのノリを獲得していったことでも明らかである。
 ところが,『どーでもいいけど』は,経済欄の週一連載という特性もあってか,とくに誰を主人公とするわけでなく,市井の若夫婦や独身OL,子供たちをその都度語り部とし,そのために,最後まで登場人物たちが踊らなかったきらいがある。
 となると,秋月りすの描く人物のただ塗りつぶされた黒い「目」はアクティブに世相を映す力を失う。学習雑誌のイラストカットのように,妙に硬直したカメラ目線での説明的セリフ,そんな印象のコマが少なくないのだ。

 もう一点,発表の場が朝日新聞であることも少なからず影響したのではないか。
 たとえば単行本の前半で再三登場する「人員整理」という言葉,通常は「肩たたき」ないし「リストラ」という言葉が使われそうなものだが,それを厳密に「人員整理」と表記するあたり,朝日新聞校閲部の
  「リストラ」は「リストラクチュアリング(restructuring)」の略であり,本来企業等の組織・事業内容を再編成,再構築することであって,単なる人員整理のことではない
とかいった指摘の声が聞こえてきそうな気がする。
 朝日朝刊で読売の社長をおちょくれるモンスターいしいひさいちならともかく,秋月りすが朝日の経済欄担当者とのやり取りに全く影響を受けなかったとは考えにくく,直接の修正依頼はなくとも,場の圧力によって作品が伸びやかさを削がれたとみるのはあながち間違いではないだろう。

 だとすると……。

 秋月りすはこの連載を経て否が応でも1990年代の「不景気」の構造を学習し,正面から見据え,それはひるがえって代表作『OL進化論』の足枷ともなった。
 『OL進化論』の好々爺たる社長,スーパーキャリアウーマンたる社長秘書らが登場の場を失い,ジュンちゃんのダメダメぶりがOLとしてではなくプライベートライフにおいてばかり強調されるようになったのは偶然ではないような気がする。
 「人員整理」はもはや「まさか」と笑って過ごせるジョークの素材ではなく,会社は,1980年代までのように呑気で楽しい永遠の楽園ではないのである。

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 というわけで,最後は,今週のトリビア。

 「リストラ」なる言葉を商標登録しているのは,2度にわたる大規模な人員整理で話題をまいた当の富士通である(第3324766号)。

先頭 表紙

イブニングの『中年ポルカ』はかなり前に終わりました……Webで検索してみると2002年の1月あたり。『喰いタン』と入れ代わりだったみたいですね。 / 烏丸@おっと,未ログインだった ( 2004-02-04 02:10 )
おおお!覚えていますそのパーティドレスネタ。確かに「毒」が抜けて「ほのぼの」系ネタが増えてますね。そういえば「中年ポルカ」ってまだ続いています? / けろりん ( 2004-02-04 00:49 )
一番「怖さ」を感じたのは,家事と子育てでやつれた若奥さんが,たんすの上にパーティ用のドレスをしまっていて,それを見つけた亭主に「パーティなんて」と指摘されて目が泳ぐ,というもの。このネタは,今思い返しても怖い。最近は,ギャグの質こそそう落としていないものの,まったくの予想外なネタはほとんどありませんね。 / 烏丸 ( 2004-02-02 21:14 )
それはともかく,『OL進化論』含め,秋月りすの作品において,全体に「毒」の要素がますます少なくなっているような気がします。↑の本文に書いたことだけが原因ではないと思いますが,それにしてもきっぱりはっきりしたキャラも,裏を考えれば実は怖い,というネタも,少なくなりました。 / 烏丸 ( 2004-02-02 21:14 )
トリビアの泉の高橋さんふうに言うと……「私の場合・・令子さんに叱られるのが,夢です」 / 烏丸 ( 2004-02-02 21:14 )
ネタの変化はなんとなく感じていたものの「OL進化論」から社長秘書・令子さんが消えたというのは言われてみれば「ああ!」という感じです。個人的には「おうちがいちばん」より「かしましハウス」の方が好きだったんで連載終了はちょっと残念でした / けろりん ( 2004-02-02 19:26 )

2004-01-19 『紙の中の黙示録 三行広告は語る』 佐野眞一 / ちくま文庫


【近所の人達は誰れも知らぬ。過去と今後の進路は一切問わぬ。重病の父に一目だけでも会って欲しい。真佐子】

 佐野眞一といえば,読売新聞,日本テレビ,プロ野球巨人軍の上に君臨した正力松太郎を取り上げた『巨怪伝』,ダイエーの中内功を主軸に戦後の流通史を描き上げた『カリスマ』,そして『だれが「本」を殺すのか』『東電OL殺人事件』など,骨太で長大な著作で知られるノンフィクション作家。
 一方で彼は生活に密着した低い目線のルポルタージュ雑誌連載も得意で,ゴミや業界紙といった身近な素材から現代日本を浮き彫りにしてみせる。
 本書『紙の中の黙示録 三行広告は語る』は,新聞の三行広告をトリガーに,さまざまなメディアの小さな広告群から浮かび上がる社会の実相に着目した作品である。

 読み手はまず,巻頭に例示された赤瀬川原平収集による三行広告に圧倒される。そこでは,なんらかの経緯で家を出た「隆」に対するその母親らしい「真佐子」の執拗なまでの語りかけが繰り返されている。十五回にわたるその尋ね人広告の中で,隆の父は倒れ,入院し,死んでいく。当人たち以外にはわからぬドラマが短い活字の向こうで展開され,消えていく。
 そして,これら尋ね人広告,お詫び広告,黒枠広告の裏でしのぎをけずる新聞,広告代理店の面々。

 面白いのは,
  「三行の活字の裏側にひそむ社会の諸相と,この時代のみえない底辺を,文字通りフィールドワークしていきたい」
という著者の作業そのものが,本書が「モノマガジン」に連載された1988年から翌89年,つまりバブル経済最盛期(バブルがはじける直前)の世相を期せずして克明に描き上げていることである。

 たとえば,
  「未曾有の好景気による求人広告出稿数の激増ぶり」
  「もはや給与面の待遇など,一点だけをアピールするだけでは,なかなか人が集められない時代」
といった表記を,現在のリストラクチャ当事者たちはどう読むだろう。
 もちろん,バブル最盛期とはいえ,財界の大物のレポートを得意としただけあって著者の視点にブレはなく,
  「三行広告は,ふくらむだけふくらんではいるが,内部の空洞もそれだけ広がっているゴム風船のような日本経済そのものを象徴している」
の一節は,流石と評価してなお余りある。

 ただ,雑誌連載のメリハリに窮してか,大阪・釜ヶ崎,訪問販売業者,求人情報誌など,素材や対象を広げ過ぎてやや散漫な印象があるのが残念。
 また,『東電OL殺人事件』などでも時折りみられた,
  「そのカラフルな頁には,時代という名の共犯者に追従し,彼らが無意識のうちに犯してきたその咎(とが)もまた,あぶりだしのように滲みだしている」
  「もし三行広告に声があるとするならば,時代と社会の澱の底からわきあがるようなおらび声やうめき声が,紙面の背後から聞こえてくるはずである」
といったウェットに過ぎる表現が気にかかる。
 これほどに扇情的にあおらず,事実の積み重ねだけで読み手を圧倒するのが,ルポルタージュのあるべき姿ではなかっただろうか。

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 ところで,三十余年を経た今も記憶に残る,尋ね人広告について,一ネタ。
 おそらく1971年の秋だと思われる。講談社・少年マガジン本誌の『巨人の星』の連載が完結し,少年マガジン別冊として厚さ2cm程度の『巨人の星』総集編本が発売された。マンガの単行本文化がまだ発達しておらず,人気連載マンガを追体験するにはそういった別冊を購入するしかなかった時代である。
 さてその『巨人の星』総集編本の最後を飾る1巻の,そのまた巻末に掲載された埋め草ページ,読者の声やイラストにちょっとしたギャグをあしらったその見開き,新聞の体裁をとった確か左ページ右下にその尋ね人広告はあった。

  「飛雄馬 パーフェクトかたついた帰れ 一徹」

先頭 表紙

クラッセさま、いらっしゃいませ。本書を読まれるかもしれない方には、今回の私評は余計なお世話の領域まで書いているのではないかと少し心配しています。もちろん、この程度で本書の内容を伝えられたなどとおごったことを考えているわけではないのですが。 / 烏丸 ( 2004-01-24 02:55 )
はじめまして。本屋で買おうか迷った本のタイトルを目にしてやって来ました。とても参考になりました。過去の日記も参考にさせて頂きます。私も「なんたってショージ君」を同じ頃に読んでいたので、何となくおかしかったです(11/30と12/18の日記に書いてあります)。デペッシュモードは「See You」の頃からのファンです。 / クラッセ@突然おじゃましました ( 2004-01-23 19:06 )

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