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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-07-20 〔短評〕最近の新刊から 『コミカル・ミステリー・ツアー4 長〜〜〜いお別れ』『恐怖の怨霊絵巻』
2006-07-12 オカズいっぱい イベント多すぎ 『マンホール』(全3巻) 筒井哲也 / スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス
2006-07-06 折り鶴に代えて 「宇宙人 王貞治」 作者不明 / 掲載誌不明
2006-07-05 手に負えていない 『街の灯』 北村 薫 / 文春文庫
2006-06-28 しっ静かに。恐ろしくて悲しいものが過ぎる。 『ZOO 1』『ZOO 2』 乙一 / 集英社文庫
2006-06-24 強い玄人は目で語れ 『哲也 雀聖と呼ばれた男』 さい ふうめい 原作, 星野泰視 画 / 講談社漫画文庫
2006-06-22 〔短評〕最近の新刊から 『コンシェルジュ(6)』 原作:いしぜきひでゆき,漫画:藤栄道彦 / 新潮社BUNCH COMICS
2006-06-18 苦いか甘いか 『コーヒーもう一杯(2)』 山川直人 / エンターブレイン ビームコミックス
2006-06-16 〔短評〕最近の新刊から 『のだめカンタービレ(15)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC
2006-06-10 とまれ,お前は美しい 『図説 絶版自動車 昭和の名車46台、イッキ乗り!』 下野康史 / 講談社+α文庫


2006-07-20 〔短評〕最近の新刊から 『コミカル・ミステリー・ツアー4 長〜〜〜いお別れ』『恐怖の怨霊絵巻』


『コミカル・ミステリー・ツアー4 長〜〜〜いお別れ』 いしいひさいち / 創元推理文庫

 当初は史上まれにみる情けないホームズとワトソンを主人公とした,まがりなりにもオチのある4コマギャグマンガ集だったのだが,4巻ともなるともはやミステリの登場人物に想を得た,さばさばした異界を描くラフスケッチの山となっている。『現代思想の遭難者たち』の作風に近いといえば,おわかりいただけるだろうか……って,読んでなければわからんわぁ!
 今回は『ペトロフ事件』(鮎川哲也)から『追憶のかけら』(貫井徳郎),『赫い月照』(谺健二),『ロンド』(柄澤齊),『九杯目には早すぎる』(蒼井上鷹),『ギブソン』(藤岡真)など,実在する87編のミステリ作品を素材にてけてけと4コマが提示されるのだが,国内モノから海外モノ,本格からライトノベルまで,その対象の無節操なまでの広さに圧倒される。こんなんまで読んどんのかいっ! 驚くべきことは,こちらが元作品を読んでいても,何をもって笑うべきなのかオチがちっともわからないことだ。パロディですらない。いったい何なのだ。
 独りよがりといえばこれほど独りよがりな作風はない。さりとてつまらないわけではない。奇妙にゆがんだ読後感は残る。困ったことにそれが決して不快ではない。『ののちゃん』を持ち出すまでもなく,読者サービスなどいくらでも提供できるこの作者にしてこの仕打ち,どうとらえばよいのか。
 馬鹿げた比較かもしれないが,元作品の人物や設定をパーツにまったく異なる作品を不親切に放り出すあたり,マックス・エルンストのコラージュ作品『百頭女』や『慈善週間』を思い浮かべてしまった。それを「いしいひさいち風」としか評し得ないなら,書評者としては首を吊るしかないのだが。

『恐怖の怨霊絵巻』 山口敏太郎 / KAWADE夢文庫

 この表紙,このタイトルで本当に怖い本を求めたらバチがあたる。そのあたりは織り込み済みだ。実際,稲川淳二や平山夢明のような怖さを求める方には本書はお奨めできない。ある夜とうとう女房が寝ないで待っている恐ろしさに比べれば……いいえ,そういうことではなくってよひろみ。何を言ってるんだオレは。
 内容は,四谷怪談や累ヶ淵といった古典中の古典的怪談から,昭和,平成の都市伝説ふうまで,あるいは狸や猫の妖怪噺から怨霊亡霊譚まで,縦横無尽というか無作為というか,要は節操なしにかき集めたような按配である。文章も一つひとつが短くて演出に欠ける。
 特筆すべきは見開きそれぞれに添えられたイラストの水準で,表紙含めて5人が担当しているのだが,いずれもプロの仕事としてはちょっと信じがたいレベルなのである(網掛けなどの技術はあるのだが,およそデッサンが……)。昭和30年代,創刊当時のマーガレットや少女フレンドの読み物記事の挿絵がこんな感じだったかもしれない。従姉たちと膝小僧つきあわせて読んだ,あれもまた,夏だった。

先頭 表紙

読みに諸説あるのは正倉院の「鳥毛立女屏風」。社会科の教科書では「とりげりつじょのびょうぶ」もしくは「とりげだちおんなびょうぶ」のどちらかだったと思いますが,広辞苑は「とりげりゅうじょのびょうぶ」。「ちょうもうりゅうじょのびょうぶ」説まであって,もう鳥肌立ってしまいます。 / 烏丸 ( 2006-07-22 01:23 )
昔,ネット上でデュシャンの「大ガラス」を「ダイガラスと読む」とコメントした人がいて,自分としてはどっちでもいいけど,シュルレアリスム系の本の索引では「お」の項目に出てくるので「オオガラス」のほうが多数派かもしれませんね,と指摘したら,「あなたのように読みにこだわるのは不毛だ」と逆ギレされて困ったことがあります。先に読みを固定したのはそっちやんかー。 / 烏丸 ( 2006-07-22 01:23 )
『百頭女』は,人に話すときは(十年に一度あるかないかですが)ちょっと気取って「ヒャクトウメ」,でも頭の中では「ひゃくあたまおんな」(なぜひらがな?)と読んでいたのですが……文庫で出した河出書房新社では「ヒャクトウジョ」と読んでいるのですね。「ジョ」はないだろ「ジョ」は(根拠なし)。 / 烏丸 ( 2006-07-22 01:23 )
今回の、なんだかおかしい。ふふ。なぜそんな本を?ところで「百頭女」って、なんて読むんですか? / ぴな ( 2006-07-21 11:58 )

2006-07-12 オカズいっぱい イベント多すぎ 『マンホール』(全3巻) 筒井哲也 / スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス


【…ただし普通の救急車じゃダメだ 感染症の疑いありと言え…!】

 それは,蚊やアブを介してヒトに感染し,右目角膜から網膜,視神経を伝って間脳の視床下部に侵入する。脳組織を食い荒らされたヒトは,摂食や飲水,性行動などの本能行動,怒りや不安などの情動を喪い,自律神経も乱される。
 その未知の寄生虫を日本に持ち込み広めようとする人物。彼を追う二人の刑事。感染の拡散と闘う保険所職員。

 本書のように,背景の白っぽい,効果線をほとんど使わない作品を見ると,この国のコミックにおいて「大友克洋」はすでに模倣やリスペクトの対象ではなく,遺伝子の域に入ったように思われてならない。もしかすると『マンホール』の作者には大友の影響下にあるという自覚さえないかもしれない。紙面を覆う緊張感はすでに技法ではなく様式である。
 ただ,ハードロックにおいて様式化が推し進められた結果それぞれのバンドの個性が見えなくなってしまったように,この種のコミック作品は次のステージに進むのが難しい。
 本書『マンホール』では,顔の皮膚下の寄生虫の動きや,マンションの一室に蚊の乱舞する場面がうざうざと生理的嫌悪を誘う。二人の刑事は寡黙だが所作,もの言いに味がある。首謀者を追う展開は時間との争い含めて読み手に緊張を迫る。……だが,それだけといえばそれだけだ。
 不安や不快感は3巻めともなるとそれなりに慣れてしまう。寄生虫は不気味だが,その生態はしょせん本能に基づいた生物の営みにすぎない。スリルとサスペンス(と言葉にすると古いが),通り過ぎてしまえばそれだけである。犯人のもくろみは多すぎるイベントの中に埋没して見えてこない。

 本書で扱われる新型フィラリアは架空の存在だが,実在する寄生虫の中には,たとえば,ヒツジに捕食されるためにいったんアリに寄生し,そのアリをしてヒツジのエサを食べる時間に草の先のほうに噛み付いて体を固定させしむるという槍形吸虫がいる。また,レウコクロリディウムという寄生虫は,幼虫時にカタツムリの触覚に寄生し,その触覚を鳥の好む芋虫に色・形・動きまでそっくりに擬態させ,カタツムリごと鳥に食べられようとする。あるいは,寄生したバッタの中枢神経をコントロールして水に飛び込ませ,溺死させて水中に躍り出るハリガネムシ。
 これらの寄生虫に比べれば,本書に登場する新型フィラリアは,ある意味穏やかにさえ思われる。そこで著者が持ち出した舞台が「マンホール」なのだが……残念ながら必ずしも成功しているようには思えない。ストーリーを装飾するオカズが多すぎて,振り返ってみると「マンホール」そのものにはたいした必然性がない。

 外薗昌也『エマージング』が全2巻,本書が全3巻。バイオハザードをテーマにした作品は,引っ張ろうと思えばいくらでも長くなると思うのだが,いずれも意外と短いのは,「相手」が意思のないウイルスであったり,寄生虫であったりするためだろうか。
 いずれも,描かれた可能性は恐ろしく,それをめぐる物語は面白い。だが,死に方がいささか悲惨とはいえ,ウイルスや寄生虫に感染して死ぬだけなら,それは交通事故の奇禍と大差ない。
 この世で本当に恐ろしいものは何か。それは少なくとも,謎の新型ウイルスや寄生虫の「気持ち悪さ」ではないだろう。

先頭 表紙

『エマージング』の表紙を見て思い出した。エボラやら一部の寄生虫はヒトの目が好き。なぜだろう。美味しいんだろうか。 / 烏丸 ( 2006-07-12 01:43 )
ちなみに、今回は新刊・完結の『マンホール』を取り上げましたが,作品としてはネットワークゲームがリアルを侵食してくる前作『リセット』のほうが五百倍くらいお奨めです。クール。 / 烏丸 ( 2006-07-12 01:41 )

2006-07-06 折り鶴に代えて 「宇宙人 王貞治」 作者不明 / 掲載誌不明

 
 続いてご紹介するのは,発表年,掲載誌はおろか,作者名も何もわからない読み切りマンガ作品である。タイトルは,「宇宙人 王貞治」

 少年マンガ誌の主力が「少年画報」「冒険王」「ぼくら」「少年」等の月刊誌から週刊誌に移りつつあった昭和30年代後半にその表紙を飾っていたのは,一に実在の軍艦・戦闘機,一にゴジラをはじめとする怪獣たち,さらに人気を呼んだのが力士やプロ野球選手たちだった。たとえば少年マガジン創刊(1959年3月26日号)の表紙を飾ったのは当時の人気力士,3代目朝潮太郎である。
 また,当時は野球マンガの勃興に伴い,連載マンガの中で実在のプロ野球選手や監督が登場,活躍することも珍しくなかった(『スポーツマン金太郎』,『ちかいの魔球』,『ミラクルエース』,『黒い秘密兵器』,『巨人の星』,新しいところでは『侍ジャイアンツ』,『アストロ球団』,『あぶさん』などなど。こうして振り返ると,その多くで巨人軍川上哲治監督の存在感が際立っている。さすがは打撃の神様)。

 「娯楽の少ない」などという常套句で時代を括ってしまうのもどうかとは思うが,当時のスポーツ選手の知名度,人気の高さは,たとえば最近のサッカー選手の比ではなかった。先にあげた連載マンガ以外でも,人気スターの生い立ちや活躍を描く実話モノ,一種の伝記マンガがよく見られたものだ。

 一本足打法できりりと構える王選手,その影が頭の大きな宇宙人の姿になっているという表紙の「宇宙人 王貞治」は,そういった作品の一つ。その内容が一風変わっていて,今も忘れられない。
 読んだのはおそらく1965年(王選手が55本のホームラン記録を達成した翌年である),近郊の観光センターに家族と出かけたときに買ってもらった週刊少年マンガ誌に載っていたのだった。ちなみに当時はまだ「少年ジャンプ」,「少年チャンピオン」は発刊されておらず,「少年マガジン」,「少年サンデー」,「少年キング」のうちいずれかということになるが,そのうちどれだったかは覚えていない。

 ストーリーは,名門巨人軍に入団したものの調子が上がらず苦戦していた王選手が,自分の特殊な能力に気がつき一本足打法に開眼する,という,「○○物語」によくあるパターン。ただ,その特殊能力たるや「宇宙人のように,目隠ししても向こうが見える」というものなのだ。しかも,その能力に気がつくのが,成績が上がらないためヤケになって車を暴走させ,岸壁のところまできたとき,そちらを見ていないにもかかわらず,見事に危険を回避した,などという事件から。王は先輩・長島の指摘にその能力を磨くため,目隠しして再度自動車でその岸壁に突進し,なんとそのまま車を沈没させてしまう。
 そのあと,どんな経緯で一本足打法を実践することになったか,そのあたりの詳細はどうしても思い出せないのだが,要は,アンバランスな一本足打法でも,王のその特殊な直観力をもってすればホームランを量産できるという理屈だったかと記憶している。……理屈になってないか。
 ともかく,当時小学生だった僕の記憶ではそういうマンガだったのである。

 内記稔夫氏の「現代マンガ図書館」で当時の少年マンガ誌を徹底的に探し込めば「宇宙人 王貞治」を発見するのは不可能ではないかもしれない。ただ,小学生のときに読んだ読み切りマンガが,記憶のとおりとは到底思えない。タイトル含め,さぞかしとんちんかんな覚え間違いもしているに違いない。
 しかし,ぐいっと一本足打法を決めた表紙,そして岸壁から車ごと飛び込み,浮かび上がって「ぷはっ」と息をつぐ「宇宙人 王貞治」の姿は40年経った今でも僕の中でありありと生きている。


 福岡ソフトバンクホークスの王監督が,胃の腫瘍の手術のためにしばらく休養するという。

 比類なき業績に比べて,どうも今ひとつツキがないようにも思われる王監督。
 ホークスの監督に就任したその年,不甲斐ない成績にファンから投げられたあの生卵。TBS「筋肉番付」のメンコスタジアムで,一生懸命角度を考え力をふりしぼったあげく,ルールも理解せず適当に腕を振った長島にメンコをはじき出されたあの勝負。
 心無い何者かに持ち去られた奥様のお骨も戻っていないはず。
 それだけに,WBCでの優勝は,よかった。
 手術,治療は大変だろうが,ここはひとつ「宇宙人」の本領発揮,早期快復を心から祈りたい。

先頭 表紙

ナボナの亀屋は万年堂。鶴ならぬフラミンゴ打法の主は千年,それが無理ならせめて百歳くらいまでは活躍してほしいものです。 / 烏丸 ( 2006-07-06 23:17 )

2006-07-05 手に負えていない 『街の灯』 北村 薫 / 文春文庫


【本当に,世の中のことというのは見えにくく,つかみにくいものです。】

 一つのことを成し遂げたなら,作家の評価は高まる。
 だが,作家の評価と作品の評価は本来別ものである。素晴らしい作品を上梓した作家の次の作品も素晴らしい,わけではない。にもかかわらず,一度評価の高まった作家の新作はこれでもかとばかりにデコレートされ,場合によっては醜悪だ。

 北村薫の短編集『街の灯』は,褒めるほどの作品だろうか?

 昭和七年の上流階級を舞台に選んだ作者の筆は,風俗地誌を踏み誤らないよう足元を見るに精一杯で,そこに無理くり埋め込んだ事件と推理は取り出してよくみれば貧相だ。
 つまりは労作だが習作なのである。

 加えて,登場人物,ことに令嬢の花村英子が,とりたてて魅力的とは思えない。対して配置された女性運転手別宮(べっく)みつ子も焦点がはっきりしない。
 昭和七年の人物ならいかにも口にしそう,というセリフがあちらこちらに据えられて,それだけ粘土でこしらえたような肌触りに思われてならない。

 北村薫はもう自分を笑えないのだろうか。鶴太郎じゃあるまいに。

先頭 表紙

おや。どうだったかな……。気のせいではありませんか。ふ。 / 烏丸 ( 2006-07-06 23:19 )
おや〜?最後の1行、前はなかったような(笑) / ぴな ( 2006-07-06 15:36 )
北村薫の〈私〉シリーズについては,こちらから始まってこれこれこれこれの一連の私評,覆面作家シリーズについてはこちらもご参照いただければ幸い。 / 烏丸 ( 2006-07-05 23:07 )

2006-06-28 しっ静かに。恐ろしくて悲しいものが過ぎる。 『ZOO 1』『ZOO 2』 乙一 / 集英社文庫


【その部屋でも多くの人が殺されたのだから,そうしなければいけない気がした。】

 帯に大きく「何なんだこれは。」の賛辞。北上次郎といえば「本の雑誌」の目黒考二,さすがさくりと的確。

 『ZOO 1』『ZOO 2』は乙一の短編集。
 乙一(オツイチ)なる著者名が人を食ったようなら,『ZOO』はオツゼロゼロとも読めてさらに食われた気がつのる。

 『ZOO 1』には5編,『ZOO 2』には6編の短編を収録。いずれも予想外の展開,説明のつかない読後感。
 ……考えてみればそれはよくできた短編小説の条件に過ぎない。

 意外性のみならず,再読にも耐える。
 「何なんだ」かは容易に言葉にしがたいが,それだけのものはある。ワカモノ文化ふうに見えて,そこらの自称文学作品に比べても文章が細やかで巧い。あり得ないシチュエーションに思えて,一つひとつが理にかなっている(上の【 】の引用部など,なまなかに出てくるフレーズではない)。

 拉致監禁された姉弟が少しずつ知る事実──残虐のきわみが比類ない切なさに転化する「SEVEN ROOMS」が抜群にいい。読み手のやり場のない焦燥に一点ガス抜きの穴を穿つ「カザリとヨーコ」,その逆に読み手の安穏など一顧だにしない「冷たい森の白い家」「神の言葉」もいい。表題作「ZOO」は乱歩や久作のある作品と同工異曲で乙一にしては凡庸。「陽だまりの詩」はメロウが勝ってよくわからないが映像化したいという欲求はよくわかる。

 などなど。

 若干の夾雑物はあれど,遠く余香漂う自由。

先頭 表紙

2006-06-24 強い玄人は目で語れ 『哲也 雀聖と呼ばれた男』 さい ふうめい 原作, 星野泰視 画 / 講談社漫画文庫


【まさかあの時 儂が見たと思ってたのは・・ 貴様に 見せられていたのか・・・・】

 少年マガジンでこの連載が始まったときは,驚いた……というより,あきれた記憶がある。
 麻雀ブームが九種九牌で流れて久しく,青年誌においてすら麻雀漫画が聴牌(テンパイ)できるとは思えないご時世に,天下のメジャー少年誌,まして若き日の阿佐田哲也(=色川武大,井上志摩夫)が主人公である。ストーリーは『麻雀放浪記』などの阿佐田作品の裏スジで,古くさい絵柄と合わせて「妙な連載が始まったな。すぐにハコ割って打ち切りかな」と思われたものだ。
 ところがどうだろう。
 『哲也』はその後,マガジン連載陣でもしぶとく浮き続け,西入北入の長期連載と化した。基本は「強力な敵の玄人(バイニン)が登場,それを運と力で打破」のワンパターンだが,たまに旅打ちに出る以外はやたらと手牌を欲張ることもなく,随所に初期の重要人物(房州,印南)を迷彩にからめ,西場北場はさすがにダレたものの,なんとか大きく破綻することなく哲也がアウトローの世界から小説家を目指す海底(ハイテイ)までメンゼンで描き切った。

 本作は連載中もかかさず読んだし,単行本も読んだ。場所を食うので単行本は売りさばいてしまったのに,漫画文庫化されたところでまた山を積んで読み直す。馬鹿だ。
 ギャンブルマンガとしての緻密さ深さには欠けるかもしれない。捨牌から牌勢を読む奥行きや打牌の機微は阿佐田作品や専門の麻雀マンガに及ばない。強運任せのツモり合戦という『哭きの竜』顔負けのタコ1級戦も少なくない。……それでも,何度読んでも面白い。役満は無理でも,タテホンにドラが載ってダマであがれたときの痛快さが繰り返される感じだろうか。

 二の二の天和,ツバメ返し,ドラ爆,エレベーター等々,11PMや麻雀マンガでなじみのイカサマ技や『麻雀放浪記』でも謎が解かれることのなかったガン牌,さらにはいかにも怪しげなコンビによる通し技など,繰り出される技やイカサマの数々とそれを打ち破る主人公坊や哲の読み。房州や印南など,マンガのキャラとしては信じがたいほど情けない容貌であるにもかかわらず,その笑顔がぐっとくる。その死に,目頭が熱くなる。
 全体にこれ以上ないほど荒唐無稽な勝負の連発なのだが,ドサ健との対決など最も重要ないくつかの対決ではサマなし,ヒラでの勝負に徹するのも味があり,テンポがいい,リズムがいい。終戦直後の泥臭さをまとったまま堂々単行本41巻分描き切って,気がつけば読み手はハコテンだ。もう百点棒もない。

先頭 表紙

2006-06-22 〔短評〕最近の新刊から 『コンシェルジュ(6)』 原作:いしぜきひでゆき,漫画:藤栄道彦 / 新潮社BUNCH COMICS


【おれは あいつの人生には 何の役にも 立たなかったわけだ】

 コミックバンチに連載中の『コンシェルジュ』,新進ホテルの総合世話役というかよろず相談承り係たちの心配りを描く読み切り短編集の新刊。

 連載開始当初に比べて人物造形のデフォルメが極端になり(丸いかとんがるか),またストーリー的にもワンパターンというかマンネリ化が明らかで……とソファに寝転がって流して読んでいると,巻なかばでいきなり重量級のショックを受ける(かならずしも主人公たちのコンシェルジュ業務に直接かかわる挿話ではないのだが)。やられた。

 どうもこの作者は,とくに人の生き死にについて,妙に透徹した表現力を持っているようだ。ときどき,数冊に一度程度だが,長い刃物,あるいは大きな翼で刺し通されるような気分になる。それは作品として決して不快なものではない。

先頭 表紙

2006-06-18 苦いか甘いか 『コーヒーもう一杯(2)』 山川直人 / エンターブレイン ビームコミックス


【はい ブラックでしたよね】

 ストーリーの小道具として必ず珈琲が登場するほろ苦いショートストーリーズ,第2巻。太い描線が木彫の人形劇を見るようで,登場人物の思慕や郷愁の情がごつごつしたタッチで静かに描かれる。

 この作者は新聞,雑誌などでまれに取り上げられるが,取り上げられるとなるとたいへん評価が高い。その高評価の理由を少し意地悪な目線で考えてみよう。

 昨今はアシスタント制や作画のディジタル化が進んで複雑な図柄の作品が少なくないが,かつて,こういった手造り感のあるマンガは少なくなかった。あまりにも安易で,できれば使いたくないレッテルではあるが,この作品の印象を言葉一つで共有するなら,やはり「叙情的」ということになるのだろう。こういった素朴な叙情性には,現代でも,多数派ではないにしても,一定のニーズはあるのだろう。
 ただ,煎じ詰めれば,一部の作品はわたせせいぞう,一部の作品は西岸良平と同じ枠の中で描いているかとも思われ,つまりは「俗っぽい叙情性」を珈琲に託した短編集,という見方もできないわけではない。いくつかの短編にいたっては,もし文章やほかの絵柄で描かれていたならひどく甘すぎるか,ひどく不快なものになりかねない。だが,この絵柄で描かれたからこの作品はこの作品なのである。

 結局のところ,書店店頭でぱらぱらめくって,この絵柄に期待し,購入した読み手にはまず間違いなく絶賛されることだろう。書評においても同様,本書を取り上げる書評家はその魅力を語り,否定的な書評家はそもそも本書を取り上げないに違いない。

先頭 表紙

やや,お知り合いでしたか……。この『コーヒーもう一杯』や『口笛小曲集』は密度が高いて悪くないと思いますが,こういった「叙情」「癒し」「手作り」「ほんわか」系の作品って無条件にほめられてしまうのが気になります。「叙情」には「叙情」で松竹梅があるだろうに。 / 烏丸 ( 2006-06-18 23:36 )
コミティアでときどき挨拶する程度の間柄ですが、ご本人も作品同様年齢不詳?素朴な方です / けろりん ( 2006-06-18 18:11 )

2006-06-16 〔短評〕最近の新刊から 『のだめカンタービレ(15)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC


【僕は 演奏するよ】

 パリに行ってからはなんとなく登場人物のあの人やあの人の「ちょっと心あたたまるいいお話」集になってしまっていた『のだめカンタービレ』,今回は久しぶりに,もう,まっすぐにいい気持ち。おいしゅうございました。

 以前,12巻発刊の際に「変わらず稀有な作品ではある。ではあるのだが,もはやあの『のだめカンタービレ』ではない」と書いたが,これを(喜ばしく)訂正させてもらうなら,15巻は正しくあの『のだめカンタービレ』である。3巻のSオケの演奏シーン以来,久しぶりに全身しびれるような音楽に浸ることができた。
 紙から聞こえる,などという域ではない。紙でしか,描けない音楽。
 これがあるから,二ノ宮知子はあなどれないのだ。


 ところで。
 毎朝毎朝,口をとんがらせてけんけん人のことを叱ってばかりいる桜子ちゃん。ピアノというものは(たとえば)このように弾くものなのだよ。少しは精進なさい。

先頭 表紙

2006-06-10 とまれ,お前は美しい 『図説 絶版自動車 昭和の名車46台、イッキ乗り!』 下野康史 / 講談社+α文庫


【同じことをやろうにも,いまのクルマに,確固たる意義や意味なんかないものなあ。】

 クルマ雑誌の編集者を経て現在はフリーライターの筆者が,古いクルマに乗って乗って乗りまくる本である。そのラインナップがすごい。

  いすゞベレット1600GT !!
  日野コンテッサ1300クーペ !!
  ホンダS800 !!!
  トヨタ200GT !!!
  日産ブルーバード1600SSS !!!!
  スバル360スタンダード !!!!
  ダイハツ・ミゼット !!!!
  三菱デボネア・エグゼクティブ !!!!
  マツダ・コスモ・スポーツ !!!!
   :   :   :

 ……実は,こう見えてクルマオタクだった。
 だった,とは読んで字の通り過去形。それもかなり期間限定である。そのため,クルマの歴史に詳しい兄ちゃんや峠の走り屋さんと知り合っても話が盛り上がることはあまりない。

 クルマにどっぷり入れ込んだのは1968年から1970年までの3年あまり。
 はじまりは小学校高学年だった当事,親がスバル360デラックスを買い,週末には家族で出かけるようになったことから。もとより自分で走る投げるよりマブチ15モーター,単二乾電池好きでハンダゴテと糸ノコばかりいじっていたメカ好き子ども心に火がついた。

 なかなか徹底的だった。クルマに関するカタログや広告など,身近なあらゆる資料をかき集める(本書の著者も書いているが,1960年代には新聞の広告も子どもには貴重な資料だった)。路上のクルマは前後左右から見る,触る,覗き込む。当事は鍵も窓も開けっぱなしで放置しているクルマが少なくなかった。垣根の栞戸を開けて,隣近所が縁側まで遠慮なく出入りしていた時代である。
 当時の新車,たとえば三菱コルト何々というクルマは何cc何馬力でディスクブレーキを採用していて,とか,今度のファミリアはスタンダード,デラックス,スーパーデラックス……等々のモデルがあってそれぞれの違いは,とか,そういったカタログスペックをまるごと食べるように頭に入れた。

 ドアノブが,丸いポッチを外から押すタイプ中心だったのが接触事故の際にドアが開いてしまうからと引き手タイプに変わり始めたころである。フェンダーミラーが小学生のランドセルをひっかけて死傷事故が相次ぎ,可動式フェンダーミラーが採用され始めた時代でもある(現在はさらにパタンと閉まるドアミラーに置き換わっている)。
 トヨタがコロナの新ラインナップとしてマークII 2ドアハードトップを発表(当時としては画期的だった新聞2ページの見開き広告が今でも目に浮かぶ!),サニーにはサニークーペ,カローラにはスプリンターが登場してオシャレな若者の人気を競い合った。♪マイサニー,マイサニー,サニークーペ,♪わたしのスプリンタ,と,クルマのCMソングのセンスも格段に進歩した。テレビドラマでいえば「キーハンター」の時代である。

 町中のクルマオーナーから見たら,毎日うろうろしてはクルマを覗き込む怪しい小学生だったに違いない。珍しいクルマ,たとえばロータリークーペに出会ったら,しばらくそのまわりから離れなかった。たいがいの国産車なら,ヘッドライト,テールライト,もしくはドアノブを見るだけで,車種を当てられた。ダイハツ コンパーノのトラックタイプのドアノブの形状をラフで説明できるというのは相当に不気味な子供だったに違いない。もちろん,小学生のことだから,運転できるわけでもない。エンジンや足まわりの知識はカタログによるしかなかったし,どんなあこがれのクルマもただ見つめるだけだった(なので,HONDA1300のシャーシがエンジンに追いついていない,とかいう話題にはついていけないし,タコメーターという概念も当事はなかなか理解できなかった)。

 当時,一番好きだったのは117(丸目4灯ハンドメイドモデル)だったろうか。HONDA1300,ロータリークーペなどはカタログスペックだけでも天地がひっくり返るほどショックだったし,当時現役にしてすでに伝説の域に入りつつあったプリンススカイラン,日野コンテッサ,いすゞベレットは妖しい魅力で駐車場にあるだけで空気が揺らぐようだった(ちなみにキャロルはどこでも見られる軽の大衆車でありながら,不思議なことにコンテッサやベレットにつながる妖しさを感じさせた)。
 一方,日産縦ライトセドリック,プリンスグロリア,三菱デボネアなどの重厚感も好きだった。今,カタログスペックを見ると,それらが実は案外小さく,またエンジンパワーも最新のボックスワゴンに比べてもたいしたものではないことがわかる。だが,これら往年の名車が身にまとっていた分厚い空気は,現在,いかなる高級車も漂わせてはいない。

 あこがれは尖がったスポーツタイプ,黒塗りの高級車だけではなかった。トヨタのパブリカ(珍しい800ccカー。36万円はちょうど当時の1000$)はいつ見てもいかにも平凡でつまらない,と思いつつそれでもついつい中を覗き込む。酒屋のスバルサンバーを見ると,自分なら荷台に何を積んで,と夢が転がる。早い話が,クルマなら何でもよかったのだ(プラモデル好きがパンサー戦車,大和にロータスヨーロッパ,ガメラにサンダーバード,はては姫路城まで,何でも作りたがるのと似ているといえば似ている)。

 現在のボックスワゴンにつながる自分のための空間感覚……,いや,それ以上に,子どもにとって,当時のクルマは軽トラ含めてすべて夢の底のほうで「秘密基地」につながっていたのではないか。
 だから,雨の日曜日には,よく,父親のスバルにこっそり一人乗り込んでは日が暮れるまで探偵小説に読みくれたものだ。シートの匂い,ガソリンの匂い。117やコスモなど当時あこがれだったクルマが現役で走っているのを見かけると,思わず目が追いかける。手が伸び,声が出そうになる。初恋の少女が,当時のままの姿で夕日の中を駆け去っていくようなものだ。

 クルマ趣味に浸ったのは1970年まで,と明確に言えるのは,最後に近所の試乗会場を覗きに行ったのが日産最初のFF車,チェリーが発売されたときだったからだ。薄いビニールのコースターをもらって帰ってペン立ての敷物にしたのを記憶している。なんとなく憑き物が落ちたような感じで,そのあたりから新聞記事を集めたり路上のクルマを眺めたりということがなくなってしまった。
 中学に入って通学,勉強に時間をとられるようになったこともある。が,それ以上に,興味の中心が別のメカ,つまり「言葉」に移ったためである。

 クルマについてはさっぱりすっきりそれっきりで,免許を取るのも大学卒業年の夏だったし,数年は親のクルマを借りて走らせていたものの,それ以降20年以上無事故無違反の立派なペーパードライバーだ。なので,本書も,後半の,シティ,ソアラ,MR2,スターレットなど,1980年以降のクルマについてはほとんど何もわからない。もちろん車名やデザイン程度は知っているが,テレビCMで耳に入った,友人が乗っていた,程度の知識しかない。炊飯器や蛍光灯の機種名に興味がないのと変わらない。

 一つ思うのは,マーケティングというのは,やればやるほど製品の個性が丸まってしまうことだ。どのクルマ会社も,丁寧にアンケートを繰り返した結果,最もマスのニーズに応えることになった。ずんぐりした背の高いボックスワゴン,セダン,スポーツタイプ……外車も含めてどれもこれも似たような丸いシルエットだらけになった現在のクルマに,往年の「ツラがまえ」「ツラ魂」はない。ウソだというなら,1960年代のクルマのフロントビューと比べてみるとよい。

 だから,本書の次のような一節を読むと,電車の中で人目はばからずぼたぼた泣いてしまう。バカだ。

 いすゞの乗用車開発チームは,このあと,117クーペをつくり,フローリアンをつくり,ジェミニをつくり,ピアッツァをつくり,アスカをつくり,そしてもう,なにもつくらなくなった。

先頭 表紙

男子もラファエル・ナダルが連覇。まだ20歳。クレーコートで60連勝ってのがすごい。逆に,ピート・サンプラスに憧れてプロになったロジャー・フェデラー,グランドスラムに全仏を残すことまでサンプラスに似ているのが不思議。ウィンブルドンで勝てなかったレンドル,全米で勝てなかったボルグ……。合掌。 / 烏丸 ( 2006-06-12 17:35 )
エナン・アーデンが全仏連覇。いいなー,この人のすいっと両手広げて踊るようなバックハンド。でっかいプレイヤーがパワーにまかせて打ちっぱなしても勝てないところがフレンチオープンの魅力かと。ずざざーっ。 / 烏丸 ( 2006-06-11 02:29 )

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