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「猫との日常」他。


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2010-12-12 今日も思い立ったので。
2010-11-20 今日、どうしても。
2010-10-04 プライド
2010-09-10 その後
2010-08-24 夢の中の人は…
2010-07-21 25歳
2010-07-19 癒し
2010-07-10 降り止まぬ雨
2010-07-07 網膜剥離A一部は物語風
2010-07-05 網膜剥離


2010-12-12 今日も思い立ったので。

朝、寝室(1部屋しかないが)を出ると、先に起きていた娘が

「ママ、おはよう。早速ですが、悲しいお知らせがあります。」

というので、ギョっとして(今年いろいろ有りすぎたからね)いると

「キッチンの足元マットの上に、ジョンがウン●をしていました」

「何だってぇええええ〜〜〜〜!#!#!#!#!#!」

あ〜あ、もうぅぅぅ、もうぅぅぅぅぅ。

今まで、トイレ、洗面所、玄関とマットを何枚汚されたことか。
いろいろ考え対策もしたのに、この有様よ。

クッキーには、布団にシーで数枚破棄したし。

もう、猫は絶対に飼わん。この2匹で終了じゃ。


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2010-11-20 今日、どうしても。

今朝のテレビの放送のこと。

ヨーロッパのどこかの国の小学校の様子が放送されてた。
2時間目の朝食の時間(パンと飲み物配給)で、共産圏だったと思う。
「これを食べないと力がでないんだ」と男の子がおいしそうに頬張ってた。
そして3時間目が体育の授業。

内容は日本と全く違う。

おしきせのような体操やボール競技ではな〜い。
大きいシートを皆でつかんで、その中には小さいボールがたくさん。
シートを皆で煽るとボールが中でバウンドする。
それを落とさないように、でもシートを煽るのがとっても楽しそう!
シートを皆で大きく煽る。ボールが落ちそうになる。落ちないように又煽る。

子供たちは叫びながら笑っている。ピョンピョン跳ねている。
お互い顔を見合って笑い転げている。
大人の先生達も笑っている。


あの〜、日本の小学校中学校に通った時に授業で笑ったこと何回ある?
友達と顔を見合って、楽しい意思の疎通をしたことある?

私は思い出せない。思い出せないわ。

なんだかショックを受けた朝のこと。


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2010-10-04 プライド

て何だろう?と『思い』に打ちひしがれる度に思う。

会社のトイレだったり、帰宅途中の地下鉄の中だったり、娘との対話の最中だったり。

個人的には「ビタミンやアミノ酸みたいなもの」と
思ってはいるのだけども。

そのビタミンは今、相当小さいね。私の場合さ。


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2010-09-10 その後

彼の夢をみていないなと思っていたが、
猫姿のクッキーの顔を見て妙な気持ちになる朝がある。

さっきまで、なんというかスキンシップしてた残像というか
思い出せなくてイライラしそうな気持ちになる。

夢には、朝起きて思い出せる夢とそうでない夢があるが、
後者は意味のある夢なのだと聞いたことがある。

思い出せないけど、意味があるのだ。


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2010-08-24 夢の中の人は…

去年辺りから時々、夢の中に知らない男の人が現れるようになった。
その人は私に好意がある様子に思えるシュチュエーションで、
でも、漠然とした面持で年齢もはっきりわからなかった。

離婚する前に3人、手相やら占いやら診てもらいに行きその中の一人が
「再婚する」と断言した人がいた。

正直「それはない」と思ってたのだが、
「もしかして未来の伴侶が夢に出ているのか?」と、ちらっとすこ〜しだけ、
思い始めていた矢先、

ここ1週間、その夢の中の男性が具体化?してきた。

最初は好きな芸能人だったのだが、だんだん顔がはっきりしてきて
でも、其れはどうみても20代で、
「ありえん、ありえん。」と目覚めてからも呟いていた。

そして、目覚めて最初に猫のクッキーに「おはよう」と言った時、
なんだか奇妙なものが胸の辺りから沸いて来た。

「あ、これ、今朝が始めてではないわ………」
 ??????とうす〜い記憶をたどりながら洗面所に行き水を出そうとして

 …………!?………!!!!!!

はいはいはいはい

床に寝転んでいるクッキーに私は言った。

「夢に出てきてるの、あんたでしょ?」


-----------------------------・・・--------------------------

私は今までクッキーに対して
「大好きでちゅよ〜(スリスリ)クッキーもママが大好きでちゅか〜?」
とか言ってた。
だが、彼は私のこと恋人と思ってるのかも。

ん〜〜ありえんことではない。

そうか、そうか。

 ----------------------------・・---------------------------

私はクッキーに
「今度は夢の中で話しをしてみよう。是非、そうしようよ」と言いましたよ。


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2010-07-21 25歳

今年の誕生日までのあなたの劇的な日々をママは一生忘れないでしょう。
来年は平和で迎えられますように…。


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2010-07-19 癒し

13日から仕事を再開した。

通常は午前9時から午後5時までのフルタイムの契約をしているが、
当分は午後1時までの4時間勤務で入ることにした。

フルタイム働いて、次女に食費を入れてもらってもギリギリの生活なのだが、更に切り詰めを探し、もうそれこそ目を瞑ってやり過ごすしかない。

………と思っていたが3日目の午後に目の奥に違和感を感じてしまい、それからずっと仕事を休んでいる。

今朝、目薬を点すときにそっと左の下瞼を開けてみた。
手術後からの白目の部分は殆ど真っ赤で、1ヶ月程過ぎてもあまり変わらない。
視力は眼鏡のレンズで7段階も落ち、縦横の線が波打っている。

こんな状態で目を酷使する仕事に復帰なんて、やはり無理なんだ。
………自分の左目が不憫で涙が出た。

が、しかしそう思うも、
年老いた母にお金の援助ばかり受けている姉に対しての
身内のあの言葉がズキズキ突いてくる。
「もう、二度と(援助を)されてはならぬ」と突いてくる。

その残酷な言葉が突いて突いて、血が流れる。

この悲しみにはどんな意味が有るのだろう。
その意味はいつ判るのだろう。

数少ない私の友達は皆「何かあったら何でも言って」と言ってくれるけれど、
何を言って何をして貰えばいいのか解からない。

でも、その優しい気持ちは間違いなく「癒し」てくれてるよ。
だから、ありがとね。

「しろうさぎ」さん、ありがとう。


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2010-07-10 降り止まぬ雨

例年よりも続く長雨と、前回よりも盛り上がるサッカーWカップの日々に私は
病室の窓から毎日空を見上げ、色々なことを考えたり悲観したりしていました。

それは、これからの生き方をどうしようかと。
どうしたらよいのかと。

手術して極端に視力が落ちた左目のことはもう諦めるしかないのです。
せいぜい遠くを見たりして、自分なりに視力回復に努めるしかない。
その間は無理をしてでも仕事を続け、生活をしていかなければならない。

「無理しないでね」と誰かは言うけど、それこそ無理なこと。
それは「迷惑を掛けないでね」とも聞こえるんだよね。

長いこと言葉の暴力に悩み続けてきたから言えるんだけど、
ひとつひとつの言葉の裏を見る癖がある。

人に意見をする時には、どうぞその言葉が自己満足の手段でないか確認してからにして欲しい。
自分を肯定したいが為の手段ではないか、問いかけてほしい。

いつか、自分がその立場にならないと誰が言える?
その時自分が何をして欲しいか、何を言ってもらいたいか考える余裕はない?

余裕、ないかな。


 ………今年はホントに雨が続くね。


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言葉なんて取るに足らないものですよ。わたしなんてほんと面識も無いし ここをのぞいてるだけで 何も手助け出来るわけではないですけど あなたのこと 心配してます。無理しないでねって思います。言葉にするとそうなっちゃいます。だけど 迷惑をかけないでねって意味ではありません。雨は必ず止みます。わたしはそう信じてます。 / しろうさぎ ( 2010-07-11 17:23 )

2010-07-07 網膜剥離A一部は物語風

片目で日記を書いているせいか、誤字脱字だけでなくまとまりのない文章で我ながらびっくりする。
昨日の日記の文章は6回も訂正した。

今日の日記も意味わからない文章になると思いますがすみません。

ところで、
今になってネットでこの病気を検索すると、顔面を殴られるボクサーの方の職業病とか性別では男性が女性より2倍の確立で発病するとかある。

「何故、この私が……」と今更ながらに思う。

手術の事をちょぴっと書きますが、手術前に看護師さんが麻酔の目薬を何度か点眼してくれた。
私は麻酔に安心し「神様、簡単な手術でありますように」と十字をきった。

それなのに手術台に乗ると「痛いときは言って下さいね」と言われ、

「麻酔したのに痛い???痛いと言って???」
 ………一気に痛みの恐怖が沸いてきた。

その後は先日も書きましたし思い出したくないので割愛します。

入院していた時のことですが、
病院の入院棟は殆どが「白内障」のお年寄りばかりだった。
部屋代無料の4人部屋を希望したものの普段、社交的ではない私は退院までの2週間をどう過ごそうかと不安になった。
短期間なので会社に休暇の連絡をして「お見舞い不要」と友達にも伝えていた。

だが、すぐに暇をもて遊ぶようになる。

食事室のテレビは夜10時の消灯まで見てよいことになっているので、最初はそれで時間を潰そうと思ったのだが、片目で見てもちっとも面白くない。
それで、いつもはあまりやらないメールを友達に送りまくった。
だが、目が疲れるし、好きでは無いことなのですぐに飽きてしまった。

娘には留守中のクッキーの写メを送ってもらった。
それを見て何度も泣いた。

しかしその後、知り合えて本当によかったと思える人(同室の方(60代2名)との楽しい時間が待っていようとは入院3日目の私は知る由もなかった。

 ………つづく。  



↓画像は帰ってこない私を玄関で待ち続ける忠猫クッキー。


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2010-07-05 網膜剥離

1年程前左目に「飛蚊症」の症状が出たのはこの日記にも書いた。
その後はサプリ(ハスカップ)を毎日飲み、飛蚊も無くなり症状としては気にならない程になっていた。
だが、6月の中頃に突然多量の飛蚊症状が出た。
その時点ですぐに眼科に行けばよかったのだが剥離初期症状とは知らず、
「ストレスだろう」と仕事を続けていた。
その後6月18日(金)の朝に左の眼球に異常を感じ、19日(土)には視界に多少の異物が出てきた。それは翌日には面積が広がっていた。

さすがに「これはヤバイ」と思い、去年「白内障」の治療をしたという年上の友達にメールをして、彼女が通う眼科を紹介してもらった。

だが日曜日で眼科は開いていない。

次の21日の月曜日は朝から診察を受けた。
そして別の専門病院を紹介され、その夕方には入院し22日に手術をした。

この日記を書いている今は、退院後なのだが視力どころか視界も戻っていない。
今の私の左目の中には、黒くて丸いものがプリンの表面のようにユラユラしている。

この物体は眼球に手術で入れたガス。
それが少〜しずつ抜けていくのだが、ホントに少〜しずつで、
朝、起きた時に確認してがっかりする。
抜けたところで視力が安定するのは3ヶ月後(元に戻るのは1年〜2年だって)なので眼鏡購入は「急がなくてよい→主治医談」なのだそうだ。

片目が正しく見えないというのは本当にイライラする。
テレビを見たり活字を読んだりに集中できない。
家事も上手く出来ない。

なにより仕事復帰ができないのだ。

でも、焦ったからって症状はよくならないと自分に言い聞かせる。
考え始めたら本当にキリがないのだから。

2時間弱かかった手術と、その後のレーザー治療は本当に痛かった。
今まで生きてきて、NO.1の痛さだった。
この場合の「痛い」という表現はあっさりしすぎるぜぇと思った。

今回、人生の全ての「痛い」思いをこの数日間で凝縮したのだと思いたい。


………そうですよね。神様。


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