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「猫との日常」他。


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2009-01-16 記事的日記(この冬は寒い?)
2009-01-13 そしてベッドもあるし。
2009-01-12 仕事があって眠る部屋があって。
2008-12-26 相棒にも感謝。
2008-12-25 努力なしでは生きられない。
2008-12-24 主は来ませり。
2008-12-06 やっぱり、諦めそうになったよ、でも。
2008-12-04 アラファイブの奇跡
2008-11-04 人生は勉学か学習か?
2008-10-27 栗拾い


2009-01-16 記事的日記(この冬は寒い?)

今年の冬は去年より寒いんだっけ?
去年はウール毛布と薄掛羽毛布団で通したし、ストーブもあまり使用しなかった。
なのに、今回は厚めの羽毛布団使用してるしストーブの設定温度は昼22℃夜24℃の日々(よって加湿器はつけっぱなし状態)。
オーバーコートなんか毎年5日位しか着用しなかったのに毎日着てる始末。

誰かにおことわりをしますが、私は別に南国に住んでるわけではなくいつも薄着なんです。よってもう10年以上風邪をひいてません。(20年以上かも。)

話題は変わりますが、娘はやはり今の勤務先を辞める決意をしてるそうです。
新しい職場を探して面接を受けたりしてる様子です。
職場が変わったからって「どうなんだろう…」と思う母です。
そして、1世帯分の寮の荷物をこの1LDKに詰め込むという無謀を押し付けられて頭も痛いです。
「父親の家にある自分の部屋に預ける」という案は却下されました。
其処には近づきたくない何かがあるみたいです。

話題は変わりますが、今日の休みの日に朝から地元の情報番組を見て郊外にドライブに行きたい衝動にかられました。
でも私は方向音痴なので、実家に帰る道以外の高速道路を運転できません。


実は…「パートナー」が欲しい…とこの頃思うことがあるです……あ〜あ…。


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2009-01-13 そしてベッドもあるし。

正直もちろん今の会社に採用されて感謝の気持ちは変わりない。
が、時給750円で7時間労働の収入では低所得層者でありキツイ。
私が住む部屋の家賃は駐車場込で¥65000。
光熱費や携帯電話料、ネット料金などの諸生活費をプラスしたら食費が殆どない。
もちろん「衣」「医」「娯」用費も無し。

なんとかせねば。

仕事中に「言葉のDVD」のPTSDが未だに襲い掛かりパニックになりそうにもなったり。

今年も生きることの課題は、山積てんこもり。

人ってさ、
「あ〜あ、楽になりた〜い」てよく思うじゃん。
でも、なれないのかも。
楽になったような錯覚が何度かあって、それでもっと楽になれるように頑張って努力してその前に人生終わるんだきっと。


ま、それでもいいっか。ベッド有るし。


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2009-01-12 仕事があって眠る部屋があって。

年末に母とこんな会話をした。
「(今年はいろいろあって)どうなることかと思ったけど、何とか正月迎えられるね」と。
がしかし
正月明けて、仕事始めの翌日の昼休みに娘の上司からの着信に気付いた。
そして娘が仕事に出られずに居ることを知る。

でもね、私は頑張ってるよ。
あきちゃん。

今年はさ、恋をしたいもんだね。
「慣れない営業」という山から滑落しないように努力しながら。
でないと給料が10万円のままやけん。

そして出来るだけ早く二世見たいよ。











ドナドナ


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2008-12-26 相棒にも感謝。

クッキー君へ。

私の所に来てくれてありがとう。
毎日、笑わしてくれてありがとう。
キッチンや洗面所で足にまとわりついたり、お風呂やトイレに入って姿が見えないと探してくれたりして
ありがとう。
出かける時は見送ってくれてありがとう。
仕事や外出から帰ってきて、ドアの郵便受けから(わざと)「ただいま」と言うと、
「ニャ−」とおかえりをしてくれてありがとう。
そして玄関のタタキで仰向けになり、ゴロゴロして帰宅を喜んでくれてありがとう。
夜は私と枕を共にしてくれてありがとう。
私のお腹の上で「フミフミ」をして便秘解消を促してくれてありがとう。

君が居てくれてどんなに私の心が救われたことか。

感謝の言葉は尽きないですが、ずっと一緒にいようね。


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2008-12-25 努力なしでは生きられない。

12月1日に入社して4週間程過つが、毎日ヘロヘロになって帰宅しています。
某大手カタログ通販会社のオペレーターとして採用されたわけですが、接客も営業も経験ゼロの身には毎日が修行でございます。
同期の若い二人に比べて、仕事の吸収と理解が遅い私は劣等生そのもので、指導のSVに叱咤されっぱなし。
覚える事が多すぎ、覚えたはずのことを間違え、そして怒られ、頭の中が真っ白になり、電話の向こうにはお客さまが居るというのに『あわあわあわ…状態』になる始末。
1ヶ月に1度は必ず本社からモニタリングの採点をされるシステムになっていて、それが時給に反映されるのですが、大丈夫か、わたし。
おまけに慣れてきたら、営業もしなくてはならないのだ。
ノルマがあるわけではないが、同期の子がもう営業を始めて実績を出しているんだよ。
実績=手当てになるわけですね。
遅れをとってるわけですね。
負けたくないと思っているんです。気持ちでは。
でも、まだ余裕がない。トークも完全とは程遠い。

昔、私は努力が苦手だった。
勉強が大嫌いで大学進学もしなかった。勉強から一日でも早く遠ざかりたかった。
でも、努力も勉強も一生しなくては生きていけないみたい。
私のこの日記のタイトルがその証拠。

頑張ります。神様。


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2008-12-24 主は来ませり。

仕事を終えた6時過ぎ、教会に向かった。
街に溢れた人を縫って、教会の前の信号に立っていると鐘が鳴り始めた。
駆け足で天主堂前の階段を駆け上がりると、そこにも大勢の人、人、人。
毎年、クリスマスにはカトリック信者の倍程の一般の人がミサにやって来るのだ。

仕方なくいつもは足を踏み入れない2階の席に空を見つけ滑り込み、着席をした。

クリスマスの夜は例年、実家の教会のミサで母と一緒だったが、今年はやっと手にいれた大事な仕事を休むわけにはいかない。

よって、一人のクリスマスになった。

でも、幸せ。

ミサの後半に照明が落ち、全ての人に配られた蝋燭に火が燈った後、ラテン語の聖歌隊の合唱が始まった。
演奏はパイプオルガンとフルート奏者が奏でる美しい音。

手に持つ蝋燭の火を見つめながら、私はこの1年に起こったいろいろな事を思い出していた。
辛かった、苦しかった、悲しかった、情けなかった。
全て解決したわけではない。
が、ふと顔を上げて周りを見ると皆同じように、じっと蝋燭の火を見つめていたよ。
きっと、皆、同じだと思った。
そして、教会の中の何百人の人が同時に手元に燈る蝋燭を見つめる光景は何とも荘厳でありました。

全ての人にメリークリスマス!!!


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ありがとう!今年も若く見られる様に努力しますわ。。 / johanna ( 2008-12-26 13:15 )
メリークリスマス。お誕生日おめでと。 / ほのぴ〜 ( 2008-12-25 18:57 )

2008-12-06 やっぱり、諦めそうになったよ、でも。

無職が続いた日々、
「帰ってくれば?」と何度か母に言われたが、その気にはなれなかった。
「もうちょっと待って」と返事をし続けた。
もうすでに生活苦になり始めていたが、どうしても帰りたくなかった。

毎日ハローワークに行く。
仕事の情報誌を見て電話をする。
登録の派遣会社に何度も連絡をして仕事紹介を頼む。

「否」の結果連絡が続く日々は、
朝から仕事に向かう人々が、どんなに羨ましかったことか。
アパートの前を笑顔で行き交う人をどんなに恨めしく思ったことか。
街に出かける余裕もなく部屋に居てテレビを点けると、景気の悪いニュースばかり。

毎日、毎日ウォーキングシューズを穿き朝も昼も歩き、夕方も歩いた。

歩けない天気の悪い日は「今、死んだとしたら1週間は誰も気付かないな」とか思ったりした。
日によってグラグラグラグラしていた。

が、神様に祈ることだけは続けた。
神様に対して疑問を持つことだけはしなかった。

今の会社で、面接をしてもらっている時に
「もしかして、ここに来るために数十社の会社に落選したのかも…」とチラッと思った。
でも、自信なんて少しもなかった。
会社説明会には相変わらず、私より若いたくさんの求職者が来ていたからね。
でも、採用された。

だから今日も言いたい。
「毎日の労働に感謝」
「諦めないでよかった」

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2008-12-04 アラファイブの奇跡

2ヶ月近く無職でした。
娘の病気は更に酷くなるし、
でも、諦めずに神様に祈り続けました。

娘は今年一杯、休職させることにしました。
そして、
そして、私の仕事が決まりましたあぁぁぁぁぁぁ!!。
30社近くの落選後に奇跡です。

このご時世、採用側も厳しいので、
今回も競争率高かったけど、採用されました(涙)。

派遣ではなくパートです。大手の会社で頑張れば長く働けますとのこと。
社会保険にも加入しました。
ちなみに私の同期はたったの2人で30歳と32歳!
よく受かったわあ(涙)。

今日の私はもちろん「ポジティブ岬」に立ってます。
神様と実家の母に感謝です。

ばんざ〜い!

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2人共ありがとう。ホントにありがとう。採用してくてた会社に感謝を忘れずに頑張るわ。 / johanna ( 2008-12-25 10:43 )
おめでとうございます。わたしも うれしぃ。 / しろうさぎ。 ( 2008-12-05 12:51 )
あ!ねえちゃんだ!よかったね〜〜〜がんばれ〜〜〜 / ほのぴ〜 ( 2008-12-04 21:36 )

2008-11-04 人生は勉学か学習か?

私は今、『ネガティブ湾』という名の海の岸辺に住んでいる。
夜は月明かりも星明かりも無く、よって暗い海に落ちてしまい波に引きずり込まれそうになるが、必死に岸の岩にしがみつき今のところはかろうじて生きている。
だが指も手の平も血だらけになり、痛くて痛くて涙を流す。

朝になり、神様にお祈りをしに行くもつい
「2人の娘が心身共に毎日健やかに暮らせますように」と祈ってしまい、
たくさん祈ったら神様の怒りをかいそうで
「一日も早く仕事が見つかりますように」という祈りを飲み込んでしまう。

それでも、神様に祈って帰る途中の山道からは『ポジティブ岬』が見えてくる。
そして「この山を越えたらキラキラ光る海が見えるかも」と思えてくる。

単純なのかイマイチ人生学習できてないのか。

【あの日】からもう2年になる。
里に降りたつもりがそうではなかったのか。
爽やかな自由な風にふかれてたつもりがそうではなかったのか。

見えたり隠れたりするポジティブ岬への道は、今日から一体何キロ先なのか?
そうして迷って夜になると又、海に落ちるのか?

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ありがとう、ほのぴちゃん。この後ちょっとお願いしたよ。 / johanna ( 2008-12-25 10:48 )
自分のお願いもしてもいいんじゃないの?これからはちょっとだけ欲張ってお祈りして感謝したっていいじゃないのよ。里におりたんだし。山にはもう帰れないわよ。 / ほのぴ〜 ( 2008-11-04 19:34 )

2008-10-27 栗拾い

母から「家賃代を渡すから取りに来るように」と連絡が有り実家に帰ってました。
独り年金暮らしの母から援助してもらうことを、
「必ず恩返します」と感謝して帰ってきました。

写真は、実家の裏の雑木林に有る栗の木と、それで作った渋皮煮(母手製)です。
母は3`程拾ったそうで、「まだ落ちてるかも」と2人で家の裏側のJRの線路に行きました。栗の木が線路側の斜面に有るからです。でも、猪が食べ散らかした後が有り20個ほどしか収穫できませんでした。
実は、この栗の木の存在に母が気付いたのは今年が始めてだったのです。
樹齢数十年は経ってると思われるような大きな木なのに。

毎年秋になると私が「隣の林に栗の木が有ったよねえ、採っちゃあダメかねえ。」
と聞くと「藪になってるから入らない方がいい。猪も来てるみたいだし。」と、とりあってくれませんでした。
でも栗の木は数本有り、線路側の数本からは毎年たくさんの栗が落下していたようで、それに私の家族は数年間(数十年?)全く気が付いてませんでした。もちろん、家族以外の人も。だって線路上だから。

「来年は猪に渡さないぞ〜。多分、10`以上は収穫できるはず。」と母と誓いあいました。


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きくちゃんがしてくれたことだから。そうそう。私のお気に入りの棚には一緒に写した写真大切にかざっとるよ / ほのぴ〜 ( 2008-10-28 19:49 )
北はもう冬なんやね。最近、北の大地を訪れた時のことを時々思い出すよ。あの時は本当にありがとう。栗は「栗おこわ」も作ってもらいましたし1ヶ月分の食料も持たせてもらいました。感謝感謝です。 / johanna ( 2008-10-28 10:37 )
お母様は母なんだな〜〜〜。栗はおいしかったかい? 熊には鈴とかがいいみたいだけど、猪にはきかないかね?こっちはそろそろ雪よ。今朝出勤気温は2度。 / ほのぴ〜 ( 2008-10-27 19:47 )

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