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阿竜の「勝手好き放題劇場」


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2005-01-23 そうだ、海外へ行こう 8(アッリヴェデルチ!)
2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム5 続き)
2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム5)
2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム4)
2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム3)
2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム2)
2004-12-11 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム1)
2004-10-24 そうだ、海外へ行こう 6(実践、4日目 続き)
2004-10-24 そうだ、海外へ行こう 6(実践、4日目 崩壊都市)
2004-10-24 そうだ、海外へ行こう 6(実践、4日目 昼食)


2005-01-23 そうだ、海外へ行こう 8(アッリヴェデルチ!)

宿泊ホテル:PALATINO(パラティーノ)

モーニングコール    8時00分
朝食  6時30分〜各自で
ロビー集合        9時50分

荷物は9時に部屋の外へ
手荷物にパスポート、航空券、免税書類を用意

・12:55  出発(スイスエアライン)
・14:50  チューリッヒ着
・17:50  チューリッヒ発
(ローマよりスイス経由で帰国)

いよいよ帰国の日。
厚いカーテンを開けて、イタリアの朝日を拝む。この景色も見納めともなると、何となく感慨に浸ってしまう。しかし9時までに荷造りを済ませとかなければならないので、粗方整理してから朝食へ。そうそう、最後のチップも置いとかなきゃ。

朝食は昨日と同じメニューで特筆なし。が、ココで食べるのがイタリア料理の食べ収め。目一杯詰め込む…なんてコトは無かったけど、機内のおやつ&お土産との名目でラスクとジャムを幾つかちょろまかすのは忘れず。
部屋に戻ると、9時前なのに既に荷物を取りに来ていた。後ろでは青ざめた友人がトランクと格闘しながら「ちょっと待ってよ〜!」と言ってはいたが、既に整理を終えていた阿竜は薄情にもイベルダちゃん(トランク)を提出済み。やはりこういったことはさっさと終わらせておくべきなのさ。
待っててくれているポーターに「スクーズィ(本当はこの場合はミ スクーズィが正しい…筈だけど)」と言ったら「プレーゴ(如何致しまして)」と返してくれた。そんなうちに荷造りが終了したようで、無事、提出。
さて荷物も出し終え、一応部屋を最終点検。することが無くなったところで別の友達の部屋へ行くと、流石旅慣れているだけある。ドアにしっかり「起こすな」の札を掛け、荷物をおおっぴらに広げて未だ整理の最中であった。

ロビーに下りると、未だ時間には早いが既に何人か集まっていた。
もう遠出は出来ないが、最後なので4人でホテルの周りを散策することに。
切手(国際便で5ユーロ)を買う為にバールに寄る人(ポストは道沿いにあった)、街中・遺跡写真を撮る人、約束・宣言通りに店(ホントに朝から開いていた!)でジェラードを頬張る人(笑)。それぞれ思い思いに最後の時を過ごした。
…そんなうちにとうとう迎えのバスが到着、一路空港(来た時と同じ「レオナルドダヴィンチ空港」)へ。
嗚呼さよなら、ローマ!


[写真]
朝の”フォロ・ロマーノ”
昼と夜でこんなにも印象が変わる。


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2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム5 続き)

さて、席に通されると。

「なんだ、日本人もいるじゃん」と安心したのが甘かった!
飲み物とサラダとリゾットとピザを注文するのはいいが、日本語のメニューは置いてあるだけで「英語で言え」という。しかも、バカにしたように。
テッメーそれが店員の態度か!? ちょっと裏でヤキい(略)!
…という態度を全員押さえ、何とか注文終了、が。「ねぇ…最後さぁ、ピザ2枚って認識してないか?」「そうそう”same”って言ったよね?」という訳でオーダー確認の為また店員を呼ぶ。しかしあからさまに嫌そうだ。
(嗚呼我が国の英語教育はどうなってるんでしょうか。○卒が集っても”4人で分ける”が言えません!)
とりあえず店員の口から呆れ顔で「share」が出てきて何とか通じたので一同安心するが、おーのーれーぇキサマ! 大○本帝国を舐めん(略)!
出された料理(特にピザはローマ風の薄焼きクリスピー♪)でとても美味しかったのに、全くもって台無しだ!
どうもこのテーブルは店の全員にマークされたんだか、取り皿を頼むために声を掛けた別の店員もどこか嫌そうである。先程の奴よりはまだマシだが。

おかげで(?)BGMを提供してたミュージシャンがテーブルにきたときも「何しに来た!」とばかりに思いっきり「No!」と言ってしまった。暫くして諦めたのか他のテーブルを回りだし漸く「あーチップの請求だったのか…」と気付く始末。
(このテーブルを後回ししてくれれば解ったのに、何でよりによって最初に回ってくるかなぁ…ごめんよ。)

そしてお勘定の為のイタリア語も通じず。まぁ会計は済ませたものの、イタリア最後の夕食をこんな思いで締めくくるとはとても残念であった。こんななら直に皆と同じ店に行けば良かったよ、ツアコンにオーダーして貰えたし。
ツアコン曰く、「お国柄だから仕方ない」とのこと。それとどうしてもこの時期本来のイタリア店員は少なく他所から出稼ぎに来ている人が多いようだ。それにしてもあんな態度はイメージダウンだと思うんだがなぁ。我が国でサービス時の態度ってモノを学びたまえよ!
くそぅ、ピザはホントに美味かったがあんな店二度と(略)!

―――というすったもんだはあったものの、ライトアップされた夜のフォロ・ロマーノ撮影にちょっとだけ出掛けたり、荷物の整理をしたりしてそれぞれイタリアの最後の夜を過ごしたのでした。

*(今更ながら)お土産のお買い物
路地にも小物を扱ったお店などは在りますが、やはり言葉が災いしてか(土地柄にも因りますが)気軽に入り難いのも確か。
街中でもあまり無いのが難点ですが、お土産はスーパーとかデパートとかのが全然気楽です。
お菓子等は、空港よりはスーパーの方が確実に安い…筈ですが、何故か帰りの空港ではチョコのワゴンセール(?)をやっていてそこで買ったほうがかなりお得な場合もありました。


[写真]
夜の”フォロ・ロマーノ”。
決死隊を決行して撮影。でも怖かった…!


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それはカッコいい! …今度は、是非ご一緒しましょう(笑)。 / 阿竜 ( 2005-01-23 11:42 )
実は私イタリア語のメニュー読めるんです。それでか、結構レストランでは一目置かれてました。 / ゆめ。 ( 2005-01-22 10:08 )

2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム5)

ホテルへ帰って一休み。
しかしそろそろ夕食の時間。本日の食事はフリーなので、飢えは自分で満たさなければならない。お昼は何とな〜く食べ損ねた(…というよりお腹が空かなかった。折角だからパニーニを一回くらい食べてみたかったけど)ので、夕食抜きは痛い。ツアコンさんにオススメとかを聞く為、順番待ち。

「なんかこう…折角だからピザが食べたい」という意見の元に、検索してみる。が、ツアコンオススメの「EST EST EST」という店は、(名前的に是非行ってみたかったのだが)この時期・この曜日にやっているかが微妙とのコト。しかもホテルからかなり歩く(テルミニ駅より近いが、ちょうど上り坂)との話で、断念。
「とりあえずじゃあ近場を偵察してこよう」とここで再び「どっちかっつーとメンドクサイ」組と「ハイテンション何処でも行こうよ」組(要するに先程の新規ユニット)に別れ、偵察隊はホテルを後に。

ホテル近くで開店準備中のレストラン店員に片言の日本語で話し掛けられながらも難とな〜くスルー、うろうろしてみるもあまり良さ気な店は見当たらず。同ツアーの家族が行こうとしていたレストランはピザが無く、ホテル近くの店(前述の「イエスタディ」事件(苦笑)の店)でジェラードを食す。
(アジア系人が切り盛りしているこのお店、立ち食いしてたら表の椅子を勧めてくれた。ガイドブックには立ち食いと座り食いは料金違うとのコトで暫し躊躇していたが、結局座る。が、なんも請求されなかった。親切な良い店だ!)
結局得たのはホテル裏にピザを扱ってて日本語メニューもあるという店があったという情報だけ。ホテルに戻ると「そこでいい」とのことで、4人で出かけることにした。
(続く)


[写真]
街中にあった1噴水(有名な奴らしいが名前が…)。
背景から、こんなのが如何にフツーに存在してるかが窺える。そして珍しく鳩が居ない。


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2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム4)

北東に向かった目的。
”トレビの泉”も”スペイン階段”も先日見てしまった(そして其処を再訪する案は出なかった)ので、ガイドブックを頼りに阿竜の趣味で”骸骨寺”(どんな趣味だ)を目指した。

(そういえば途中ジェラードを食べようと入った、これぞイタリア人〜って感じでお気軽に「チャオ!」と声を掛けてきた兄ちゃん店員の居る店でまたもや同ツアー客と遭遇した。ローマって狭い…。)

が、残念。時間の関係で開いていなかったので、諦めて偶然見つけた”蜂の噴水”で写真を撮ってローマで有名らしい”リナシェンテ”という高級デパートでも見てみるかと向かう途中、(何時ぞやの日記で書いが気がしますが)アメリカ人(?)の女の子3人組に「写真撮ってくださ〜い(当然日本語に非ず)」とお願いされてしまったので「良いですよ」とデジカメを受け取り「はい、(確かアメリカだとこう言った…?)チース」パチリとすると「ありがとうございました〜(勿論日本語に非ず)」とお礼を言って去っていきました。
か、可愛い…!
たまたま通りかかった人なら誰でも良かったのか、やはりアジア系…というか○○人(今更伏字)は善良に見えるのか。そんなことをちょっと考えつつ国際親善にちょっぴり貢献したのでした。
(自国ではまだしも、こんな異国の地でも呼び掛けられる阿竜とは世間様の目に如何映っているのやら。たま〜に気になりますなぁ…。)

ちょー高級デパート(らしい)リナシェンテでまたまた同ツアーの人発見〜!
そして一応館内を一巡りはしたが…やはり高級。全体的に高い。その割りに特に「コレだ!」という物もなく、またあっても会計が階層ずつ別なので免税システムが解らず買い物は断念。
…ちゃっかり無料トイレは借りてきましたが。

そしてローマ三越。でも「う〜ん、もうちょっと他も回るか…どうせならアレ見たいし」と何も買わずに出て、途中の本屋に寄りつつもテルミニ駅へ。しかし一応写真撮影はしたもののあまり入りたいような店はなく、本屋だけ寄って退出。地図を片手に”サンタ・マリア・マジョーレ寺院”を寄りつつ再びお土産を買いに三越(やはり同ツアー客にも憩いの場。当然会う、会う〜)に戻ったのでした。
そこで(前述の通り)かなりの時間を過ごし、「駅地下のストアーでチョコが安かった」との情報を得て、今度は4人組で再びテルミニ駅へ。
ストアーで買い物中「疲れたしさっさとホテルに帰りたい」組と「えーまだまだ色々見ていたい」組に意見が分かれたので、同行していた友人とコンビ解消、別ユニットを結成して買い物続行。いやはや。
再び本屋に戻って見つけた写真付きのインコの飼育書(当然イタリア語)をかーなーりー買うかどうか迷った挙句、手持ちが少なかった(同行者は「貸してくれる」と言ってくれましたが)のに加え、イベルダちゃん(スーツケース)の隙間不足を予感して「いいか、また来れば!」と泣く泣く諦めホテルへ向かったのでした。

*道案内
主要道の角には必ず”〜通り”の名が付いているので、それと地図を合わせれば結構簡単に辿り着くことを漸く認識(遅い)。
それさえ知っていれば大体何とかなります。


[写真]
サンタ・マリア・マジョーレ寺院。
オベリスクを全部入れようとしたら左の電柱(?)みたいなものまで…。
それにしても、清々しい色の青空である。たとえ照りつける日差しはキツくても。


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2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム3)

さて、迷いつつも何とか到着パンテオン。
あのラファエロのお墓があり、何だか色々有名らしいが、(もはや彼方に去りつつある記憶によれば確か)改修工事で鉄筋の足場が組まれていたり、布で覆われてたりで情緒があったのかなかったのか…。
なので、残念ながら自分の中では特に思い出深い場所としてインプットされていない。目の前の噴水に羽とが群れていたとか、折角近くに馬車が止まっていたので写真に撮りたかったが、変に料金請求されても困るから結局撮れなかったとかそんな(なくてもいいような)記憶以外は…。

ホテルから大きく右回りで円を描く感じでの名所巡り、次は有名な噴水だらけの”ナヴォーナ広場”へ。写真撮影をしつつ暫くふらふら歩く。
するとそこへ…

ミサンガ売りが現れた!
ミサンガ売りは様子を見ている
阿竜の攻撃
阿竜は呪文を唱えた「No!」
友人は様子を見ている
ミサンガ売りの攻撃
ミサンガ売りは阿竜に襲い掛かった!
阿竜の攻撃
阿竜は呪文を唱えた「No!」
友人は様子を見ている
ミサンガ売りの攻撃
ミサンガ売りは攻撃対象を変更した!
友人の攻撃
友人は逃げ出した!
…逃げられない!
阿竜は様子を見ている
ミサンガ売りの攻撃
ミサンガ売りは友人を追いかけた!
友人の攻撃
友人は逃げながら呪文を唱えた「No!」
…効果が無いようだ
阿竜は呪文を唱えた「No!」
ミサンガ売りの攻撃
ミサンガ売りは友人を追いかけている
阿竜の攻撃
阿竜は呪文を唱えた「No!」
友人は逃げ出した
―――ミサンガ売りを倒した! ちゃっちゃちゃららら〜!
阿竜はレベルが1上がった!
   攻撃力が2上がった!
   防御力が3上がった!
   素早さが1上がった!
   運が2上がった!
   イタリアが2嫌いになった!

*寄ってくるミサンガ売り。
何も知らぬ観光客の手首だかにミサンガを素早く巻き付け、法外な料金を取るらしい。出くわしたらまず逃げよう。
旅行に行く前に色々調べておいて良かった〜。

ここで有名(らしい)”サンタニェーゼ・ イン・アゴーネ教会”に入ってゆっくり鑑賞し、プチ事件のあったナヴォーナ広場を後に、北東へ歩き出した。

*シンデレラの鐘
「ゴォーン、ゴォーン、ゴォーーン…」
昼の12時(だった筈…)になると、辺りの教会から一斉に鐘が鳴り響く。
如何にキリスト教が生活と密着しているかが感じられ、ちょっとした感動を味わえた。

[写真]
広場の中央にあるオベリスク付きの「4大河の噴水」。
下部にある4つの像はそれぞれナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタの4つの河を表している…んだそうだ。


先頭 表紙

2005-01-10 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム2)

”フォロ・ロマーノ”を後にして向かうは”パンテオン”。

(思えばちょっと遠回りして”真実の口”も見とけば良かったのだが、2人とも余り興味が無かった為スルーしてしまった…。
 実はローマ市内の見所は、大体のところ歩いて回れるのである。)

兵士のカッコのオジサンが立っていた”ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂”を(ちょっとだけ写真ストップして)通り抜けて歩く。
…が、何しろ頼りにしてるのがローマ三越で貰った簡易地図で道は一応全部書いてあるらしいが余程の見所の目印しかない為裏道に入りまくり。危ないコトは無かったが、ちょっと怖かった。まぁ詳しくは後ほど述べるとしよう(勿体付けるな〜)。

歩き回ってる途中で同ツアーの人とまたも(最初は”フォロ・ロマーノで家族連れと、今回は別夫婦と)遭遇。皆大体同じコースを巡るらしく当たり前といえば当たり前なのだが、何だか異国の地で知り合いと会えたってのはどことなく嬉しい気がしてしまう小心者。
それはさて置き、友人の要望で街中に乱立(という表現がぴったりなほど沢山ある)するとある1つの教会へ戸惑いつつも入ってみた。

―――荘厳。
薄暗い中をなるべく音をたてずに歩く。
鎮座する祭壇。壁を飾る絵と彫刻。しんと静かに眠る空気。
静かに静かに鑑賞し、静かに静かに椅子に座って辺りを眺め、静かに静かにその場を後にした。

*教会の中は大抵薄暗い。
お線香代わり(?)に捧げる蝋燭が置いてあった。
(コインを入れて勝手に持っていく仕組み。無人…まぁ他の旅行客が居たり居なかったりはするが…だが、あの雰囲気の中で普通の人は悪さは出来ないと思う…。)
壁際に絵が飾ってある絵の周りも勿論暗い。で、コイン(お賽銭?)を入れることでランプがともる仕組みになっている。上手くいけばおこぼれで一緒に鑑賞出来る…かなりセコイけど。


[写真]
撮っていいのか解らなかったが、一人撮影者が居たのでこっそり便乗撮影。
適当に入った教会の一つでこの作り…宗教に対する厚みが違う。


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2004-12-11 そうだ、海外へ行こう 7(実践、5日目 永遠の都でフリータイム1)

宿泊ホテル:PALATINO(パラティーノ)

朝食  6時30分〜各自で

何時に起きたんだっけなぁ? 食堂に行くと結構な混雑振りだった。
本日は自由行動の日なので、基本的に全部セルフ。
(当然寝坊も思いのままだが、そこは貧乏性。そうそう遅くまでは寝てられない)
ジュース、パン、ラスク、シリアル、コーヒー、紅茶、フルーツコンポート、チーズ、ハム、卵(プレーンオムレツというか、スクランブルエッグというか…)等。
ココに来て初めてゆで卵じゃない卵があった。あんなの調理楽だろうに、初めてって…イタリアではそんなに卵食べないのかな?

そういえば、この日だか翌日だか朝食を食べ終わって部屋に戻る際、友人がハンカチを忘れていった。椅子に落ちた(?)ハンカチに気が付いたのはウェイトレスだが、「友達のです」と言って手を出したら渡してくれ…ない。手元まで出して”ひょい”と取り上げやがっ(略)!
しかも無表情でそれをやるので本気なんだか遊んでんだか解らないんだよ。笑ってやってても気分悪いけどさ…。
結局弄ばれた(?)のはちょっとで、すぐ返してくれたんだけど、不愉快…くそぅ俺様の忘れ物じゃないのに。嗚呼文化の壁は厚い。


適当に支度して出発。
コロッセオに程近いこのホテル、今日の目的は『適当に市内観光』の為、まず歩いて数十メートルの遺跡”フォロ・ロマーノ”へ。
カエサルの格好をしたオジサンが身振り手振りで「写真どう?」と聞いてきたがそれをかわして遺跡へと階段を下りた。
そこは何と説明したらよいのか…街中に普通にある自然公園とでも言うべきか。
所々に凱旋門や神殿跡が残るがその石柱は朽ち、辺りを草花が茂り蝶が舞う光景は「兵どもが夢の跡」の言葉そのもの。金銭に換算できない値打ちの歴史的建造物の立ち並ぶ中を散歩するのはなんとも贅沢だが、佇まいがあまりに普通で特に感慨も無いような辺りが凄い。
それが…無料。"パラティーノの丘”は有料だが、その手前まで(それでもかなり広い)はほぼ自由に散策出来る。歴史に身近に触れ合える場所として一度はオススメ。しかも現在未だ発掘途中で、そのおかげか無料トイレまで設置してあった。

*将来的に入場が有料になる話も出ているそうです


[写真]
朽ちた遺跡を見上げて。青空とのコントラストが何処か悲しい。
この写真だけでもかなりの階層があり、建築技術が発達していたことが窺える。


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2004-10-24 そうだ、海外へ行こう 6(実践、4日目 続き)

ポンペイを去り、ナポリを通り、そしてローマへ。

ナポリ見学はバス上にて。
「アレがヌォーボー城です」「ふぅ〜ん」
「アレが〜です」「へぇ〜」
「アレが〜です」「ほぉ〜」
…ゆっくり見ないと解んないよ!

ナポリ市民じゃないと入れないらしい卵城(名前の由来は基盤に卵が埋められてるから。コレが壊れるとナポリも滅びるという伝説付き)を尻目に前述の通りややこしい交通事情を(運転手チプリアーノさんが)乗り切ってポジリポの丘(一家にに一台クルーザーは当たり前すんげぇ高級住宅街)へ到着、短い間の写真撮影ストップ。
前に載せたナポリ湾の風景写真がそれ。
(自分としては「カプリに行って死ね」なのでそれ程感慨深くもなかったりなのだけど、夜景を見たらまた変わるかな?)
今度はナポリにも泊まらなくちゃなぁ。

さて、一通りナポリを見たら高速に乗ってまたローマへ帰る。
歩き疲れて皆一眠りした(起き続けていたツワモノも居たらしいが)あとトイレ休憩を兼ねて一度パーキングエリア(?)アップルグリル(って名前だった気がする。違ったっけ?)へ。ココのトイレは20セント。
それぞれに商品をひやかしたり、水分を買ったりして、またバスに乗車、そしてコロッセオ近くのホテルへ。
ここで、2日目からずっと運転手をしてくれたチプリアーノさんとはお別れ。長い間お疲れ様、そしてありがとう。
「Ciao!」
と言ってくれたので、コチラも返す。
「Arrivederci…Ciao!」(さよなら…また!)

コロッセオから程近い(歩けばすぐそこ)のホテル。
残念ながら晩御飯がなんだったのか全く覚えていない…が覚えてないってことはたいしたものが出なかったってことじゃないかなぁ(酷)。
ただココでの夕食で世界は狭いと実感。相手も同じ年齢ぐらいの二人組みだったので食事も同じテーブルになることが数回あったのだが。
「ねぇねぇ、何処住んでる?」
「え、○○県…」
「えっ同じだ」
「じゃあ何市? こっちは○○市」
「一緒!? え、駅は!?」
「○○駅」
「えーっ!! 家何処!?」
「駅から〜で、〜で○○の近く」
「ウチの近所…って程近くないけど通り道…」
「絶対会ってるよ」
「…だね」
なんと一本違いで同じ電車に乗ってることまで判明。世界って狭いと心から思った。
(ナイアガラの滝で友達に逢った人もいるそうだが…)


[写真]
ポンペイ遺跡、赤に青にと美しく装飾された壁。既に有羽人(天使?)のモチーフが使用されているのが驚き。この彫刻からも如何に高い文明度を誇っていたかが伺える。
そういえば。馬車道を横切る大きな石があり、ガイドさんは進入防止用馬車止めだと説明していた。でも道に残る轍の跡とその石の隙間が同じ幅だったのに密かに納得いかなかった。
…後日TVのポンペイ特集で”雨の日用横断歩道”との解説が。おいおい、ガイドでしょ〜!?


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南部、良いですよ〜特にカ(以下略)! 今度は是非北部に行きたいです〜。 / 阿竜 ( 2004-11-01 20:34 )
イタリア南部は行ったことないんですけど、素敵ですね。 / ゆめ。 ( 2004-11-01 08:10 )

2004-10-24 そうだ、海外へ行こう 6(実践、4日目 崩壊都市)

さてさて。
ぱんぱんに膨れた腹を抱えて、ポンペイへ。

ポンペイ…皆の抱くイメージとしては”繁栄しながらも火山により一夜にして滅んだ都”程度だろう。では、その繁栄具合はどれ程のものだったのか?
―――それは”現代と比べても遜色ないほど”とでも言うべきか。ヴェスヴィオ火山に飲み込まれた町は想像以上の栄華を極めていた。
・道は整備され、今尚馬車の轍のあとがくっきり残る。
・鉛製の水道管が街のあちこちを走っている(驚くべきことに現在もその一部が飲料水用水道管として使われている)。
・整備された大通りには二階建ての商店がずらりと並ぶ。
・床に敷き詰められたのは見事なモザイク絵(有名なのが「猛犬注意」)。
・ファストフード店、男女別大浴場、薬屋(看板は蛇の絵。蛇と医療のイメージは万国共通?)、井戸、挙句は娼館(ご丁寧に○シーンの絵が飾って(?)ある…各部屋はかなり狭いことからポンペイ人は小柄と推測)なんてものまでが綺麗に残っている。

今回我々が見回ったのは遺跡の極一部で、遺跡自体はかなり広く今尚発掘が続けられているそうだ。広場に、簡単に張られていたテントの中で、発掘品が無造作に並べられていた。途中何やら人だかりが出来ている…火山灰で埋もれて出来た穴。そこに流した石膏が造ったのは、人型。ポンペイ人だ。
予想通り我々と比べてもかなり小さいが、その様々なポーズが伝える生々しさは半端ではない。暴れたのか奇妙に身体の捩れた犬。お腹を庇って倒れた妊婦。襲い掛かる恐怖からどうにか逃げようとする者、最後まで諦めずもがく者、愛しい人をその身を呈して庇う者。祈るように、また泣き叫びながら、そして眠るように消えていった命は無言ながらも確かに何かを伝えていた。
高が石膏の塊、されど。写真に撮るのは流石に気が引けて、その場を後にした。


[写真]
ポンペイ遺跡。後ろに聳える(都市が滅びた原因の)ヴェスヴィオ火山の雄大さが何となく皮肉。
柱の構成から建造物は2階建てだったと推測されている。


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2004-10-24 そうだ、海外へ行こう 6(実践、4日目 昼食)

アナカプリ観光が終わるとまたバスで戻り、そのまま港へ行って船に乗る。
未だ観光は続くけど、カプリ島はコレで最後の後ろ髪。
…いいや、また来るから。
そう密か(?)に誓い、船の振動に揺られながら暫し思いを馳せるのでした。

ナポリで名物ピッツァ。
港からまたバスで移動、昼食へ。
席に着き、飲み物を注文し、サラダが出てきた。そして、その次のメニューに一同唖然。
「え、え、スパゲッティー出てきたよ!?」
ピザは、ねぇピザは!? コレはメニューの一部なの!?
いくらうろたえようが肝心のツアコンは何故かこういうときに限って居ない。誰も文句も質問も出来ず、疑問符を掲げながら仕方なく食べる。しかも味までペスカトーレ風トマト味。せめて前と違う味なら…と皆食べ終わった頃にようやくツアコンと共にピザ登場。
「いや〜別ツアーの客と人数一緒だったようで、間違えちゃったみたいです。あ、スパゲッティーはサービスなんで(笑)」
…そういう問題じゃないんだけど(怒)。
適度に膨れた腹に更にピザを詰め込む。ナポリのピザはふかふか生地で、一人前も大きめ。空腹なら余裕で入ったが、今となっては…。
美味しいんだけどさぁ…もっと空腹のときに食べたかったよ…持ち帰りにしてくれよ…なんで今頃出て来るんだよ…。一同ぼやきながらもくもくと食すが、泣く泣く残す人続出。管理人も縁だけ残して、と頑張りましたが最後の1,2切れは流石に食べられなかった。
その姿に呟くツアコン。
「…これからポンペイ歩くのに大丈夫かな…」
…だーかーらーさぁ、なんであの場に居なかったのってばぁ(怒)!?


[写真]
「ナポリを見て死ね」で有名なナポリ湾の風景。
右手の奥がヴェスヴィオ火山、真ん中辺りの海に浮かんで見えるのが卵城。


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