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静かに暮れる夢とか妄想とか……


インソムニアで、ジョカトーレなら誰でもカッコイイ♪ というバカ女っぷりで日本代表を愛でていて、ドール者でタカラのファッションドール「たまき」に狂っている日女の日記。


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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-08-28 涼しいを
2004-08-27 爪が
2004-08-26 おい、そこの絶世の美女!!
2004-08-25 涙で前が見えなかった日(変わるわよ〜♪)
2004-08-24 リカちゃんジェニー
2004-08-23 涼しすぎて
2004-08-22 つるりんの一言で抱っこされて、つるつるつるりんと抱っこされるしかないうさぎの悲しい宿命を知っていますか
2004-08-21 眠れる夜を過ごして(またしても読まないほうがいいよ♪)
2004-08-20 続・残暑お見舞い申し上げます(嫌な人は写真だけ見てね♪)
2004-08-20 続々・残暑お見舞い申し上げます(嫌な人は写真だけ見てね♪)


2004-08-28 涼しいを


 今日もまた涼しいですねぇ……。
 今度こそ冬な子を!! と思いましてん♪

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2004-08-27 爪が

 爪が剥けたよ!
 血が出たよ!!
 痛いよ!!!

 傷口の写真はグロなので止めておきます。

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2004-08-26 おい、そこの絶世の美女!!

 私の友人のうちで飼っているオウムは「オイソコノ」と言います。
 WB2の乙女先生の犬がビジンとハンサムだそうで。それを聞いたときはそれもまたすばらしいネーミングセンス(笑)、などと思ってましたが、友人が付けたのではなく、その弟さんが付けたのだそうです。
 テフロン加工されたフライパンとか空焚きすると鳥に有害なガスがでるから……、などと話しつつ、姉である友人が、「このアホ……」と弟さんのことを怒っておりました。
 それは「オイソコノ」を覚えさせたことにあり、それを名前にもした、壮大な(?)計画のせいです。
 オウムはしょっちゅう「オイソコノ」、と窓辺で通行人を引きとめています。
 つまり、弟さんはオウムを利用して片っ端から声をかけておねーちゃんだったら、それを口実にナンパに走ろうってワケです。
 最初からネタでしたか、と聞くと弟さんは「オイソコノ」とオウムに言わせ「いや〜この子の名前なんですよ〜、ハハハ」みたいなナンパ行為にこぎつけることを「オレって頭ええやろ?」と自慢げしてました……。
 でも、「オイソコノ」なんて呼び止められてしまうような女はろくなものではない。

 数日後チョー好みないい女が通りかかったので、「オイソコノ」をやってみたら、「あたしを呼び止めたかったらその先に絶世の美女でもつけたら? ガキ」などと一蹴してツンと通り過ぎてしまったのだとか……(これは良い女だと個人的には思う)。
 どこが頭がええやろ? なんだか……世の中的には成功しているのだろうけど(東京大学理科V類(?)だったかな)。
 気づいたときにはすでに遅し。
 そのいい女の声はしっかり、親のいる家の中まで聞こえ、息子がオウムを語っているのを、おねーちゃんたちがオウムが可愛くて足を止めているのではないことに気づいた。
 そして、東大生は親にひたすら怒鳴られたのだとか……。

 オウム使ってしか女を口説く(ナンパだけど、取っ掛かりとしてね)手段を思いつかないって……日本の男はこれほど情けないのか(ノ_-。)。

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2004-08-25 涙で前が見えなかった日(変わるわよ〜♪)


 国立競技場で、釜本邦茂選手の引退試合(1984)でのこと。
 私にとってのその時の、英雄みたいなものでした。

 それが、
 監督センスゼロで、
 暖簾に肘押し(偶然見たTV番組にて)してしまい、
 扇子で終始扇いでいる汚い大人そのものになってしまって、
 もう、私の釜本邦茂は……英雄から転落しました。何でこんな人英雄だと思っていたんだろう……?? 自分でもわけがわかりません(涙)。

 でもねぃ。

 きっと中田英寿選手も引退したらコロリと変わるわよ、絶対にね。

 だからもう少し中田選手選手をアイドルとして、見させておくれ……。
 ミラ・ジョボビッチには勝てないしなぁ(笑)。

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2004-08-24 リカちゃんジェニー


 何を今更……。今はフローラの時期になっていると言うのに。
 理由は入荷が遅いから。それだけです。
 お目目の色が綺麗で、気に入りました♪ 今年のカレンダーガールたちのお目目の色は鮮やかなな子が多くて……(考え中(^^;;;)いいですね(汗)。
 来年のカレンダーガールのテーマは何かな? 楽しみだ(笑)。

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くまちゃん。さま。私は現物を見たことがまだないですが、ネットで買った人には届いているもいたり、いなかったり……。 / 日女 ( 2004-08-25 04:07 )
そうか・・・もうフローラ出ているのね。 / くまちゃん。 ( 2004-08-25 00:17 )

2004-08-23 涼しすぎて


 涼しすぎて、35℃に慣れきった身体には辛いものがあります。はっきり言うなら、寒いッスよ!!
 そんなわけで、秋な子を引っ張り出してきました。本音を言うなら、冬な子が良かったのだけど。その時、テトリス状態に積み重ねられている人形部屋から彼女を救い出したら他の構ってもらえていないお人形さんたちが地盤沈下という無言の一斉蜂起を起こし、朝っぱらから片付けの一手間を食らわされました……(^^;;;。

 わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪ チェコ目が好き♪

 で、この後どうなるかと言いますと、今度はこの子が一番上に置かれるわけです。反省なし……すまぬ、娘たちよ。お休みになったら一緒に遊ぼうね。

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くまちゃん。さま。遊んでいなくてもかわええ〜! と愛でるのもありかな(笑)。 / 日女 ( 2004-08-25 04:03 )
遊んであげていない子はうちにもだくさんいるよ〜 / くまちゃん。 ( 2004-08-25 00:16 )

2004-08-22 つるりんの一言で抱っこされて、つるつるつるりんと抱っこされるしかないうさぎの悲しい宿命を知っていますか

 意味はなし。
 ベージュ・ベッカムの近況。
 ゲージに指を入れると頭を下げてきます。それからゲージに手を入れると、無理やりにでも私の手の下に潜り、ひたすら「撫でてくれ〜!!」と迫ってきます(笑)。

 ま、応えられるときと応えられないときがあるわけで。
 その上、指だけで撫でると怒ります。この人。

 抱っこもあんまり好きなほうではなく、

 つるりんの一言で抱っこされて、つるつるつるりんと抱っこされるしかないうさぎの悲しい宿命を知っていますか!?

 というわけです(笑)。

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2004-08-21 眠れる夜を過ごして(またしても読まないほうがいいよ♪)


 昨日の日記で分かると思いますが、私、絶不調です。イライラが酷くて眠れなくて、プチッと切れてました。
 人は死にたい人を生きる元気がをなくしているだけで死にたくなんかないだよ、とか言うけれど、永久に生きる元気が沸いてこなかったら? それとも、周りに死にたいなら死んじまえ、という人や、死にたい人に完全自殺マニュアルや自殺したミュージシャンの曲や作家の本をプレゼントしてくれるような人がいたら?
 まぁ、私はどれも経験している、というかそれの先にいるんですれけどね……根に持つなというほうがムリってもんです。私、そんなにキャパシティー広くないんです。

 もう何かを欲するのを止めたい。何かを買うのもやめたい。だけど、すべては生きるのなら必要で、死ぬのなら要らないもの。

 で、だ。イライラ止めの薬を飲みうとうとしながらぐだぐだ虫やっている私に、母はスリッパを買ってきてくれました。気がつきゃ、スリッパが冬用のままでした。よっぽどここの所私はストレスを溜めていたんだなぁ……、と気づく。

 私は悪魔の血を引くキャパシティーの超狭いフィラメントのような女で、変態の血を引く人形者でサッカー選手にしか興味のない脚フェチで、PTSDのせいで異性に興味がまったくない上に同性に走る勇気もない女ですが、まぁ、何とか生きてます(笑)。

 で、そのスリッパです。ヒョウ柄ですが、イグサで涼しいのです♪

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2004-08-20 続・残暑お見舞い申し上げます(嫌な人は写真だけ見てね♪)

 父方の祖母と祖父は一緒に暮らしているとき、何もしないで働いている母を待っているだけだった。待っているだけならまだしも終始、具合が悪いのよ、などと言ってぐだぐだ、そのくせ窓から仕事に行く母と保育園に連れて行く私のことを監視していた。帰ってきたら小間使いか家政婦(家政婦さんのほうがいいね、給料もらえるから)のように母を働かせ、朝早くから掃除洗濯家事に加えて子供に赤ちゃんの世話までしなくてはならなくて、とてもフルタイム働くことの出来ない母の給料が低いと「もっと稼いで来い」とか言って、「もっとちゃんと働け」とか叱っていた。いい家政婦が手に入ったとでも思っていたんだろう、普通の家政婦はお金までは運んでくれないものね。やることと言ったら、キッチンで灰皿を洗って置いてある食器を灰で汚したり、人のコップで入れ歯を洗ったり……そんな嫌がらせに加えて、ジイサンは激昂しやすいガキのような人で母に手を上げたこともあった。
 私も、このジイサンに三、四歳の頃、預けられたとき、鼻血が出るまで殴られたことがある。理由も覚えている。洋服にオレンジ色の汚れをつけた私に、ジイサンは何で汚したのか聞いた。私は気がついたら出来ていたので分からない、と応えた。そうしたらジイサンは答えないと保育園に電話して何で汚したのか聞くぞ、と言ってきた。私は多分、お昼のミートソーススパゲッティか、遊んでいたときに使ったマジックかもしれない……と応えた。どっちなんだ! と聞かれ、ごみくずのように殴られたのだ。
 この際も母が殴られたときも、父は両親の肩を持ち、絶対に認めない悪くないを繰り返した。特に父は一緒に暮らし始めてから妄信的に両親の肩を持つようになっていた。
 まるで母に欠陥があるように、バアサンの口から出てくるのは父親がどれだけ優秀な頭を持っていて超有名大を出た、とか、同じく某有名大学教授の叔父を誉めて自分たちだけは特別なんだと浸る台詞。親は子を誉め、子は親を誉め、兄弟は兄弟を誉め……自分たちで褒め称えるのに、そのくせ他人はとことこ貶める。異常です。だから母の前で誰かがいれば、そのまま叔父の妻のS義叔母さんの悪口。そのくせ、やはり病気だ何だと言ってそのS義叔母さんからお金を巻き上げている。そのお金も一億なんてのは軽いです。で、今度は叔父の前になれば手のひら返して私の母の悪口です。従兄弟が家に泊まりに来て、義叔母の櫛を隠す、というちょっとした事件が起こったのだけど、母が出かけていたからバアサンは私にこう言った。「○○君(従兄弟)は櫛を隠したりするような悪いことは一度も今までしたことがないんだよ、隠したのはあんたでしょ」と。「知らないよ」と言ったのに、しつこく疑ってきてまたジイサンに殴られるかと思った。そしたら、ちょうどその時、母が帰ってきたら「知らないってよ」とあっさり引き下がった。つまりはあの家にいるときは、すべてがそう言うことなのだ。
 その叔父も叔父で金銭感覚がめちゃくちゃで、ドイツに留学していた際、大学側から支給されたン百万というお金を一ヶ月かそこいらで使い切って、S義叔母さんから毎月送金させていた。後々知ったことだが、S義叔母に送金させたお金はドイツにの叔父の元に行って、日本のジイサンとバアサンのところへ送られていたらしい。

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2004-08-20 続々・残暑お見舞い申し上げます(嫌な人は写真だけ見てね♪)


 ジイサンとバアサンは将来的には、私に老後の面倒を見させようとしていた。アトピー性皮膚炎の私にアレルゲンである、母がくれないような添加物たっぷりのお菓子を食べさせようとしたこともあった。何で私だけカラフルなおやつが食べられないのか、かなりぐずったこともある、お寿司もダメで。そのお寿司屋さんに勝手に保育園からつれて行かれて、とある寿司を食べさせられて、アナフラキシー起こして、一週間くらいあの世を覗いてきたこともあった。私のアレルギーに対しても、母に問題があるように言ったこともあった。
 母はお嬢だけど、お嬢じゃなくても耐えられないと思う。家を出た。
 引越ししているのを、父方の祖父と祖母は物珍しそうに見ていた。すぐに帰ってくるだろうとでも思っている感じだった。だがジイサンは帰ってこないことに痺れを切らし、祖父(このときは祖父は母に復縁するように言っていた)から母の家(当時の仮住まい)や、私の通う小学校や、妹の保育園を聞き出し、ストーカーのように付きまとい行為をして母にペンを抜かせかけた。
 
 しばらくして、S義叔母さんも別居した。S義叔母さんは母の実家に行き、父方の祖母と祖父がどう言う人なのか、母をどう言っていたのか、すべて説明してくれた。
 それで、祖父はもう何も言わなかった。

 それから、今にいたっているわけで、結局帰ってません。そして父親も、毎日具合が悪そうにしていたジイサンもバアサンも未だに生きているんですけどね……。

 精神科の厄介になり始めた小学校高学年頃、親戚のバカは原因は父親に会えないこと! などと勝手に決め付け、私と母と祖父までだまして、無理やり父に会わした。父は母のことを「忘れられない病」だ、母に戻ってくることを遠巻きに言っていた。

 そんな病あるか! それなら私が「忘れられない病」だ!! 貴様は私に何をしたか、忘れたのか!?

 何で私が父親が嫌いか。あまり語りたくないので遠巻きに。
 私は小さい頃病気で落ちつく、ということができなかった。ADHDというヤツです。
 突然走り出したりして、何か一つのことをやったりするということができず、そう言うときは必ず二階のベランダに連れて行かれ、外に長時間、放り出された。八月の暑い日にもそんなことがあって、私は熱中症だったかになって救急車のご厄介になったことがある。それでも父親は変わらず、私をちょっとのことで殴ったり、外に出したりした。それからエロ雑誌の女性のヌードやアダルトビデオ見せたり、胸を触ったり下着の中に手を入れ尻を触ってきたりした。気持ちの悪いこの行為の意味を理解したのは、これまたある程度の歳になってからであり、その時に自分が「穢れて」、すでに汚れた存在だと理解した。
 以後私は性的関係を「そんなことはたいしたことはない、私はまだ処女なんだ」と軽んじてみたり一生拒否して生きて行くしかなくなってみたり……ふくろう症候群になってみたり、接食障害になってみたり、「時々死にたくなるけど私は正常だ!!」とか叫んでみたり……。

 それで、祖父が私が父親を嫌うのか理解してくれた。
 自分で言うのも変だけれど、私は祖父の孫の中で一番可愛がってもらっていると思う。そして祖父は言うのだ。「お前は大好きな人形集めて、サッカー見て、映画の仕事していればそれで良い」と。

 私も母も祖父もS叔義母もお金でカタがつくなら二度と会いたくない、と真剣に思っている。

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