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MATTの「ハワイアン・パラダイス」

仙台と世田谷で放送していた(仙台は2009年3月末日にハワイ移住のためしばらく休止、世田谷は2005年3月末に終了)のFMハワイアン音楽番組「ハワイアン・パラダイス」の番組内容を中心にいろいろなこぼれ話をご紹介しています。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-08-29 本日の仙台の放送もサッカー中継のため中止となります。
2004-08-28 世田谷(第21回)はハーブ・オータの演奏を中心にお届けします。
2004-08-22 父親のDNAがレイ・カーネをトップ・ミュージシャンにした。
2004-08-22 仙台(第68回)はレイ・カーネの特集をお届けします。
2004-08-21 世田谷(第20回)はバッキー白片の演奏を中心にお届けいたします。
2004-08-21 日本のミュージシャンの符牒について
2004-08-15 仙台(第67回)はアレアの特集をお送りします。
2004-08-14 世田谷(第19回)はアラン・アカカの演奏を中心にお届けします。
2004-08-08 仙台(第66回)はカヴァイ・コケットの特集です。
2004-08-07 ウクレレ音楽の普及にはビーチボーイ達も貢献


2004-08-29 本日の仙台の放送もサッカー中継のため中止となります。

8月1日に引き続きサッカー中継のため放送が中止となります。

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2004-08-28 世田谷(第21回)はハーブ・オータの演奏を中心にお届けします。

本日放送の世田谷(第21回)はウクレレ奏者のオータサン(ハーブ・オータ)の演奏を中心にお届けいたします。オータサンの演奏は1.エンジェル・アイズ、2.ピーナッツ・ヴェンダー、3.チワワのヘスシータ、4.スシ(鈴懸の径)、5.ハワイ・コールズ、6.ホエア・イズ・マイ・ラヴ・トゥナイト、7.マイ・ハート・ビロングス・トゥー・ダディー、8.ストンピン・アット・ザ・サヴォイ、9.キパフル、10.トッカータとフーガ ニ短調、11.サムシング、12.サヨナラの合計12曲です。

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2004-08-22 父親のDNAがレイ・カーネをトップ・ミュージシャンにした。

レイ・カーネの父親は優れたスラック・キー・ギター弾きでした。そのことだけを聞いたかたは「やはり父親の指導がレイを一流にする基礎をつくったのだ!」と思うでしょう。でも、実際には彼の父親は彼が僅か2歳のときに出奔してしまい、それ以来まったくレイとは会っていなかったのです。夫に去られた母親が再婚した相手ウィリアム・パノケが漁師をしていたので彼も母親と一緒にカウアイ島コロアからオアフ島ナナクリに移住しました。
レイが9歳になったころ、ある日彼が浜辺を歩いていると、テントの中で3人くらいの人たちがギターを弾いているような音が聞こえてきました。そこで彼がテントを覗いてみると、たった一人の青年がスラック・キー・ギターを弾いていたのですが、彼が覗いたとたんにこの青年は演奏をやめてしまったのです。当時のスラックキー・ギターはそれぞれの家族だけが楽しみ、調弦のパターンや演奏法は家族だけにしか教えないという「カプ(英語のタブー)」があったためヨソもののレイが覗いたとたんに演奏をやめたのです。しかしこの演奏に打たれたレイ少年はギターを弾いていた青年アルバート・カヴェロに教えて欲しいと懇願したにもかかわらずアルバートは首を縦に振ってくれませんでした。一計を案じたレイ少年はアルバートに「ボクが毎日魚を持ってきてあげるから、かわりにボクに教えてくれない?」と交換条件を持ち出し、やっとOKを貰い、それから一生懸命スラックキーの勉強をしました。レイが「先生」とクレジットしているのはあとひとりヘンリー・カプアナで、この二人のおかげでレイの腕前はトップレベルになったのです。
1940年代に軍隊に入ったレイは欧州や米本土各地に駐屯していたのですが、どうもギターに対する情熱が冷めてしまったらしく、そのときはギターを持って行かなかったのです。そして除隊してハワイに戻ったときに偶然ギャビィ・パヒヌイの弾くスラックキーを聴いて、再びスラックキーに打ち込むことになったのです。
ところでスラックキーの神様とまで言われたこのギャビィ・パヒヌイは誰に演奏法を習ったのかが長いこと疑問でした。本人いわく「カカアコに住んでいたハーマンというひとに習った。」とのことでしたが、その人物のラスト・ネームがわかりませんでした。そして後日分かったのは、そのハーマンという人物がなんとレイが2歳のときに出奔した父親ハーマン・カーネだったらしいということでした。
この話が真実とすると、レイは父親の弟子であったギャビィの演奏に刺激されてスラックキーに打ち込むことになったという因縁話めいた物語が存在したことになりますね。

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2004-08-22 仙台(第68回)はレイ・カーネの特集をお届けします。

本日放送の仙台(第68回)はスラック・キー・ギター奏者のレイ・カーネの特集をお送りいたします。曲目は1.プナヘレ、2.ワイ・オ・ケ・アニアニ、3.キラキラ・オ・ハレアカラー、4.パウオア・リコ・カ・レフア、5.モーニング・デュー、6.ウア・ノホ・アウ・ア・クーパ、7.ケ・カウラ・イリ、8.アヒ・ヴェラ、9.モアナ・チャイムス、10.イ・カ・ポー・メ・ケ・アオ、11.ヒイラヴェ、12.アロハ・カ・マニニ、13.ウルパラクア、14.オパエ・エ の14曲です。

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2004-08-21 世田谷(第20回)はバッキー白片の演奏を中心にお届けいたします。

本日放送の世田谷(第20回)はハワイ生まれで日本で一生を送ったバンドリーダーのバッキー白片の特集を中心にお届けいたします。彼のスティール・ギター、唄、ウクレレ・ソロ等をたっぷりとお楽しみください。曲目は1.マウイ・ガール、2.ホノルル・ハウ・ドゥー・ユー・ドゥー、3.ア・オイア、4.素敵なアロハをあなたに、5.ワイキキはごきげん、6.マイ・リトル・チカディー、7.シンギング・スチール・ギター、8.波に乗って、9.みんなで踊ろう、10.ペルシャの市場にて、11.グラナダ、12.エスパニア・カーニ、13.スペインの姫君を予定しております。

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2004-08-21 日本のミュージシャンの符牒について

私がお付き合いをしたプロのミュージシャンたちが独特の符牒で話すのを聞いて、当初は大変違和感を覚えました。ミュージシャンだけではないかもしれませんが、単語をサカサマふうに言う、たとえばギターがターギ、ベースがスーベといった具合です。そんなものを逆にする必要もないと思うのですが「仲間意識」からきたのかもしれません。コードネームやキーに使うアルファベットをツェー(C)デー(D)ゲー(G)アー(A)とドイツ語的な発音で読むにもかかわらず短調ですとマイナー、長調ですとメジャー(本当はメイジャーのほうが近いと思いますが)と英語になります。たとえばAmはアーマイナーと呼ぶのです。ハワイのオータサンは日本での生活が長かったため、日本のミュージシャンと打ち合わせをするときにはこの「アーマイナー」という言い方をします。あるときオータサンに「貴方までアーマイナーというのはなぜ?」と尋ねたところ「だって日本じゃそういうんでしょ」とニヤッと笑いながら言ってました。郷に入っては郷に従えということでしょうか。(ドイツ語読みを徹底するのであればEはエーと呼ばなければいけないのですが、なぜがこれはイーとよびます。一番の問題はBをベーと呼ぶとドイツ式表記の場合のベーは英語表記でのBフラットのことで、混乱します。ドイツ方式ではBはH「ハー」となりますので)
ところでミュージシャンの思い込みでコードネーム表記で間違った省略をしている場合があります。たとえばオーギュメント(aug)やディミニッシュ(dim)がそれです。オーギュメントの正式な表記はaug,ディミニッシュの正式な表記はdim、dim7、○、等なのですが、オーギュメントがメイジャーコードの5度音を半音高くしたもの、すなわちaugumented fifth (+5)であるために本来、たとえばCaugと表記しなければいけないコードネームを単に(C+)と書いて済ませてしまうのです。この表記でもまったくの間違いではないので、大きな混乱はないでしょうが、ディミニッシュはそうはいきません。オーギュメントに対比させてマイナス記号(-)で済ませるすなわちCdimをC-と表記することがよく行われていますが、これはいささか混乱を招きます。というのはマイナー・コードにつける(m)を(-)と書く向きもありますので、スタジオで突然配られた楽譜についている(-)がはたしてディミニッシュなのかマイナーなのか一瞬混乱してしまいます。やはりオーギュメント(aug)同様ディミニッシュでしたら(dim)と書くべきでしょう。
変調、転調、移調という言葉の混乱もあります。「曲の途中で一時的または最後まで調(キー)が変わる」ことをmodulation(転調)と定義されます。ラジオのFMとかAMの「M」はmodulation(変調)ではありますが、音楽用語では「転調」が正解です。
ところが曲全体のキーを変えることを「変調」とか「転調」と言う場合があるので混乱します。これは「移調(transposition)」であって、この「キーを変える」ことを「転調」と呼ぶのは間違いでしょう。
最後にステージなどでこれから演奏する曲のキーをメンバーに伝える「指信号」としてわが国では指1本がC、2本がDという具合に5本のGまで現します。これに対してすべての外国のミュージシャンがそうかどうかは不明ですが、私が見たミュージシャンは指を上に向けるとシャープの数、下に向けるとフラットの数を示していました。たとえば指2本を上に向けると「DメイジャーまたはBマイナー」下に向けると「Bフラット・メイジャーまたはGマイナー」となります。
・・でも、CメイジャーやAマイナーの場合はどうするか見落としました(汗)

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2004-08-15 仙台(第67回)はアレアの特集をお送りします。

本日放送の仙台(第67回)は男性グループ「アレア」の特集をお送りします。曲目は1.カプナホウ、2.マプ・マウ・ケ・アラ、3.ハパ・ハオレ・ガール・オブ・マイ・ドリーム、4.カナナカ、5.カヴォヒクカプラニ、6.プア・ククイ、7.ホロ・ワアパ、8.プア・ツバローゼ、9.カウボーイ・メドレー、10.ヘ・マイ・ノ・カ・ラニ、11.クウ・イポ・プア・ローゼ、12.レイ・オ・コハラ、13.ポー・ライライ、14.モク・キア・カヒ、15.プリンセス・プープーリー の15曲です。

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2004-08-14 世田谷(第19回)はアラン・アカカの演奏を中心にお届けします。

本日放送の世田谷(第19回)はスチール・ギター奏者のアラン・アカカの演奏を中心にお届けいたします。彼の演奏は1.ハウ・ドヤ・ドゥー、2.パラダイス・アイル、3.アロハ・イア・ノ・オ・マウイ、4.ハワイのわらぶき小屋、5.ヒロ・マーチ、6.フィスパリング・ララバイ、7.KHBCフラ、8.お手々見つめて、9.ビューティフル・カハナ、10.ナニ・ワイメア、11.ブルー・ハワイアン・ムーンライト、12.オン・ア・ココナッツ・アイランド、13.ハパ・ハオレ・フラ・ガール、14.アロハ・オエの14曲を予定しています。

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2004-08-08 仙台(第66回)はカヴァイ・コケットの特集です。

本日放送の仙台(第66回)は男性歌手カヴァイ・コケットの特集です。曲目は1.ネエネエ・マ・ア・ピリ、2.ハナウマ、3.カ・ヴァイ・レフア・アアラ・カ・ホヌア、4.ワヒネ・ホロリオ、5.パウオア・カ・リコ・レフア(普通使われているタイトルと語順が違います)、6.カウラナ・カウアイ、7.ナー・モク・カウラナ、8.ハノハノ・ワレ・ノー・ナ・カウボーイ、9.フラ・オ・カ・フイ・カア・ヴァイ、10.ラエ・ラエ、11.コモ・ポノ、12.ナニ・マノア、13.グリーン・ランターン・フラ、14.パリサ の14曲です。

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2004-08-07 ウクレレ音楽の普及にはビーチボーイ達も貢献

ハワイ出身のオリンピック・メダリストであったデューク・カハナモク(本名:パオア・カヒヌ・モコエ・フリコホラ・カハナモク)は1912年のオリンピックで米国チームに所属し、100メートル自由形の金メダルを獲得しただけでなく、その後のオリンピックでも水球チームのメンバーとしても大活躍をしたため、ハワイでは彼に「デューク」という愛称を与え、それからはデュークと言えば彼のこととまでいわれるようになりました。彼はサーファーとしても有名であり、ワイキキの海岸にに彼がサーフボードをかかえている銅像が建っているのをご覧になったかたも多いと思います。ところでハワイには「ビーチボーイ」と呼ばれる人たちがいます。ビーチボーイというのは職業の名前ではなく、「浜辺で屯している男たち」といった感じの人たちで、泳いだり、浜で甲羅干しをしたり、サーフィングをしたり、時には安全監視人の役割をしたり、今でいう「ナンパ」をしたり・・・といろいろなことをしている男たちです。20世紀初頭のハワイではこのビーチボーイたちが海からあがってきたときにみなウクレレを持って歌ったりウクレレのソロを弾いたりするのが流行っていたようです。有名なオータサンやモエ・ケアレ、エディー・ブッシュ達も本当のビーチボーイかどうかは別としても、彼らビーチボーイたちに混じってウクレレを弾いて遊んでいたようです。エディー・カマエがはじめてオータサンに出会ったときオータサンは裸足だったのでびっくりしたそうですが、そのエピソードからすると、オータサンもビーチボーイ達にしっかりと混じっていたのでしょう。
オータサンの名演奏で知られる「ラバー」は当時のビーチボーイたちの「必須曲」であったようで、デューク・カハナモクが主催した「ビーチボーイ・パーティー」というアルバムでもファット・カーラがこの曲をオータサンの演奏とほとんど同じに演奏しています。この演奏のオリジナルはペリー・バトキンのようで、なんとかこのオリジナル演奏を聴いて見たいと思っていたのですが、オータサンのご好意でこの演奏のコピーを入手することができましたので、本日のハワイアン・パラダイスでご披露いたします。

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