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ハマエリ
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2005-01-09 12月28日A遺跡バンテアイスレイ・一之瀬泰造の墓
2005-01-09 12月28日Bタプローム
2005-01-09 12月28日CCHILDREN
2005-01-09 12月29日@今日の移動はチャリ!!
2005-01-09 12月29日A坊主になつかれる
2005-01-09 12月29日B再会
2005-01-09 12月29日C道に迷う
2005-01-09 12月30日 カンボジア脱出
2005-01-09 12月31日@アユタヤ遺跡
2005-01-09 12月31日A死体写真


2005-01-09 12月28日A遺跡バンテアイスレイ・一之瀬泰造の墓

バンテアイスレイ遺跡はシェムリアップから40キロほど離れている。今日は長旅になりそうだ。
のどかな風景が続く。

民家


野牛が田んぼにいっぱいいた。
「牛も地雷踏むことあるんだろうね・・」
カンボジアの牛はインドの牛のような禍々しさはない。



やっぱり夏最高!道はやっぱりガタガタ・・



バンテアイスレイ到着!!!市街からめっちゃ遠いのに観光客だらけだった。
日本人も多かったぞ。韓国人のほうがおおかったけど。


アンコールワット2回目のみどりちゃんが「観光地化されてる!!」とショックを受けていた。



泰造の墓へGO!!人気はないし田んぼの真ん中にある感じ。観光客はゼロ。



これは本物の墓ではない。泰造を慕う日本人が勝手に作ったものなのだ。



綺麗な虫発見!!触っても全然逃げない。カンボジア人はこの虫を食べるらしい。


ティーさんが、カンボジアの薬の話をしてくれた。
「ゴキブリは結核に効きます。小さいころ、水疱瘡にかからせないために子供にココナッツとミミズと人骨(どっかから拾ってくる)を混ぜたものを飲まされます。みんな飲みたがらなくて泣きます。今はあんまりやりませんが」


なぜかうちらに付いてきた男の子。おとなしくて、ただ私たちの近くにいた。
この国は動物も人間もそういう傾向があるように思える。



彼は黙って私たちが去るのを見送っていた。


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2005-01-09 12月28日Bタプローム

いえーーーーーい!!!
一番行きたかった遺跡、タプローム寺院に来たぜ!!!!!

とりあえず腹ごしらえ!!!!

てゆうか、道中長かったのでうちらは疲れていた。
そこに執拗な客引きが来たため、旅女3人衆はキレた。


「飲みもんとメシで3ドルぅ〜??たけーよ!!!!エクスペンシブ!!!!」
ようこちゃんが声を荒げた。
「まけろ!!まけろ!!ディスカウント!!!!」とみどりちゃん。
「安くしてくんなきゃ隣の店行くぞ!!スリーダラーフォースリー!!!!」とあたし。


3人でわめきまくった。あのときの3人はほんとに凄かった。
店のおねえさんは顔をゆがめて一人1.5ドルにしてくれた。
「じゃあ、タバコはど・・」
「いらねーよ!!ノースモーキン!!!」



タプローム寺院は日本のお寺のように涼しげで落ち着いていて、予想以上に自分にしっくりくる遺跡だった。

「崩れ感」が好き。



木の根が遺跡を飲み込む


スポアン(溶樹)



今にも崩れそう



その迫力に誰もが足を止めていた



盛者必衰


ここにこれてマジ感激!!!



↓「トイレどこですか?」って聞いたらこのお姉さんは「ジャングル!!」って元気に教えてくれた。遺跡で野ションはバチ当たりそうだから嫌なんだけど。


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2005-01-09 12月28日CCHILDREN

湖で子供が遊んでた。魚取ってるみたい。









遺跡内で可愛い子発見。



遺跡内に珍しく残されていたリンガ。他のリンガは根こそぎ盗まれていた。
ポルポトが資金集めのために他国なんかに売っちまったらしい。
台座のヨニは安いので盗まれなかったそうな
アバター(女神)の顔も削り取られている箇所がある。



ここにはシバ、ヴィシュヌ、ブラフマーのリンガがあったが、それも盗まれてしまった。



珍しい2階建ての遺跡


プノンバケンの夕日スポット。欧米人、日本人、韓国人が殺到。ちょっとバカみたいだった。




ティーさん、二日間運転ご苦労様でした!!!


つーか、小さめのフランスパンが10本くらい入ったのを買ったんすよ。
そしたらタケオのオーナーのモムさん(おばちゃん)が、
「これ古いわよ!!おなか壊すかもしれないわよ!!えっ2000リエル??高いわねー 普通1000リエルよ!!
ティーはなんで教えてやらなかったの!!」
と、そばにいたティーさんを責め始めた。
ちきしょうーーーー
ぼられただけならまだしも食えないパンを掴まされるとは・・・


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2005-01-09 12月29日@今日の移動はチャリ!!

今日はタケオでチャリを一日1ドルで借りて、一人でシェムリアップ周辺をブラブラするのだ。



近くのキリングフィールドへ行ってみた。

入り口の看板。


これを読んでたらカンボジアの青年が寄ってきて、勝手にガイドし始めた。
「キリングフィールドに行くとお布施してくれって輩が近づいてくるから気いつけてな」
という言葉を出掛けにみどりちゃんからきいたのを思い出した。

ポルポトに殺されたうちの2000人の遺骨がここに集められている。
昔はケースいっぱいに詰まっていた骨だが、崩れてかさが減ったらしい。



そしてやっぱりお布施を求められてしまった。
ここには日本語学校もあって、お坊さんもたくさんいる場所なのだ。
署名して、1000リエル寄付した。
けちな日本人だと思われたろうな・・


ガイド聞いて、お布施したからハイさようなら、かと思ったら若いお坊さんがめっちゃ寄ってきた!!
わらわら集まって撮影会。
みんな人懐っこいし、若い女は珍しいのだろうか、「どっから来たの?」「何歳?」「ボーイフレンドいるの??」と質問攻めだ。



あたしのメル友と化したお坊さん。23歳。


フランスパンにアイスをはさんだデザートおごってもらった!!!!女は得だぜ!!!!!



日本でもこれくらいちやほやされたい。


坊主のくせに入墨とは!!!しかも「友達に彫ってもらった」って・・ヤンキーかよ



坊主もメロメロ、ハマエリスマイル「にやり」


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2005-01-09 12月29日A坊主になつかれる

キリングフィールドの中にきれいな宗教画がいっぱい描かれているところがあった。
これはブッダの結婚式。・・だったっけ?


若き僧侶のお部屋にお邪魔させていただきました!この子は18歳。
日本語勉強してて、一生懸命めちゃくちゃな日本語で宗教画の説明してくれました★


みんなわけ〜〜よ〜〜〜〜〜



「エリ、ボーイフレンドはーー??」
「いないよ〜」
「ヒュ〜〜〜ウ!!」
こいつらナマグサ坊主か??
「タイでは女はお坊さんに話しかけたりしちゃいけなかったけど、いいの??」
「カンボジアでは全然いいんだよ、でも触っちゃいけないけど」

タイのお坊さんは女の人に触れると修行が最初からやり直しになると言うが、こいつらとはよく手が触れたりしてた。
カンボジアはユルイのか??

「なんでみんなタトゥーが入ってんの?」
「友達どうしで入れるんだ」
「お坊さんでも別にいいの?」
「いいんだよ」
「私はヘソピがあるぞーー」
調子に乗っておのれの汚いヘソを見せてみた。
「ひゅ〜〜〜〜!!」
「もう一回見せて!!」
こいつらばかだ。

「エリはどのくらい英語勉強してるの?」
「・・・10年くらい??・・かな・・」
「えーーー!!!それで!!!!僕は3ヶ月だよ!!」
「日本人は読むのと書くのは得意だけど喋れないんだよ!!」

言い訳してみた。



「じゃあ、わたしはこれからアンコールワットに行くよ」
と私は自転車にまたがった。
「僕も後からバイタクで行く、向こうでまた会おう」
メル友坊主が言った。
「もう一回お腹見せて!!!」
遠くからチビッコ坊主が叫んだ。
「おらよ!!!」
もうちょっと可愛いヘソピしてくりゃ良かった。


わんわん。


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2005-01-09 12月29日B再会

3回目のアンコールワット。
アンコールワットの前にチャリを止め、中に入ると初日写真を撮らしてもらった子がまたいた。
向こうもあたしのことを覚えててくれた!!!感激★

アンコールワットの絵を描いてた。なかなかうまいぞー

この子は私の「歩き方」を興味深げに見て、いろいろ英語で解説してくれた。


何故か遺跡内にいた、ウエディングドレスのカンボジア女性


アンコールワットの中の売店でアルカリ単4の電池2本組を買おうとしたら、「8ドル」と言われた。
ふっ  ふざけんなーーーーーーー

「ふざけんな!!!2ドルにしろ!!!」←弱気
売店のおばちゃんはふっと笑って
「じゃあ、ジュース一本つけるから3ドルね」

これって日本よりたけーよな〜〜〜

でもこれで交渉成立しちゃったんだよ、バカだから。


アンコールワットを出てさらに北へ20分ほど走り、バンテアイクデイという遺跡に行った。
トゥクトゥクでは悪路だと思ったけど、チャリだとそうでもない。
アンコールワット周囲の湖は綺麗だし、道行くカンボジア人は「ハロー」って挨拶してくれるし、あんまり暑くないし、チャリっていいなって思った。

・ ・・てゆーか、
チャリに田無 警視庁 って書いてあるんだけど!!

これ明らかに日本でセッチャされたやつじゃないかい??


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2005-01-09 12月29日C道に迷う

バンテアイクデイもなかなかだった。
クメール人の伝統舞踊「アプサラ」を描いたレリーフは多数ある。

手で髪をすくアバターは珍しいと思われた。


タケオへの帰り道、野猿に遭遇。



つーか、道に迷った。一本道なのに、迷った。地図も持ってるのに、迷った。何故!!?
いまだにわからない。
帰り道の約10キロに1時間半もかかった。おかげで予定してたシェムリアップのオールドマーケットに行けなかった。

ベトナムの反省から、今日まで撮った写真を近くの店でCDRにやいてもらった。3ドルだった。


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2005-01-09 12月30日 カンボジア脱出

朝6時半に起きて、タイへ帰る準備を始めた。
ガタガタやってんのにみどりちゃんとようこちゃんは起きる気配がない。
私は今日タイへ帰るけど、二人はこれからしばらくシェムリアップに滞在し、そのあとベトナム方面へ行くという。


「良い旅&良いお年を 短い間だったけどありがとう」


と置き手紙し、部屋を出るとき「さよなら」ってふたりに声で囁いた。
そしたら、すごくちっちゃい声だったのに、みどりちゃんが起きた!!
みどりちゃんは寝ぼけてたけど見送りに出ようとしてくれた。
「いいよいいよ、ねなよ」
「うーーん、エリバイバイ」


みどりちゃんは不器用で自分の意見をはっきり言えない子だったけど、本当は人の気持ちを大事にする心の優しいひとだった。ようこちゃんは責任感が強くてしっかり者で頼りになった。
一緒に行動できて良かった。


帰りも行きと同じルート。
今度はマイクロバスではなく大きな観光バスなので揺れは少なかった。
でもバス内は客がびっしりでエアコンがきかず、とにかく暑い。
確実に30度以上ある。
5時間半後、国境に到着。
イミグレを通り抜けるのに1時間半かかった。
めちゃくちゃ混んでた。
その後乗り換えるバスがわからなくて一人でうろうろし、なんて不親切なんだ!!と憤った。



そして夕方5時半、やっとカオサンに帰ってきた。
シェムリアップから11時間。疲れたーーー


1日目に泊まった宿にまた泊まっても良かったが、せっかくなのでみどりちゃんが教えてくれたCH2というゲストハウスに行ってみた。

カオサンロードの奥のほうで、暗い、あんまり人通りのない道ぞいにCH2はあった。
1階はネットカフェで、秋葉系の日本人がちらほら。

フロントの子はよっしーに似てた。
鍵を受け取って階段を上がると、階段も廊下もほとんど照明がなくて真っ暗。。


こえーーー!!

カオサントラベラーズロッジのほうが安全そうな雰囲気だった。
鍵はなんか適当な感じだし泥棒だの強姦だの、あっても全然おかしくない。

そして、シングルの部屋に入ると、
そこは独房。

ベッドとファンがあるだけの部屋。
また新入り気分。。
1泊120バーツ(360円)じゃこんなもんか・・・

朝なのか夜なのかわからん部屋。

シャワー、トイレは共同。
つーかシャワー出なくて、下にホースがついてて、ホースで水を浴びることに・・・
普通にさみーよ!!!


1階にはツアーオフィスがあったので、そこで明日のアユタヤへの日帰りツアーを申し込んだ。
500バーツはちょっと高いんでないかい??って思ったけど、カオサンにいても暇だし。

つーかツアーオフィスのおにーさんはちょっとおかしな人だった。
手が震えて字が上手くかけないし、挙動不審だし、軽くオカマっぽかった。
彼はあたしに
「あ、あ、あ、明日朝7時にここに来て、フロントの人にお、お、起こしてもらいなさい」
てな感じで言った。いい人そうではあった。


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2005-01-09 12月31日@アユタヤ遺跡

朝は10時くらいまで寒かった。
欧米人だらけのツアーバスに乗って、バンコクから2時間ほどのアユタヤに着いた。
アユタヤの遺跡は、アンコールワットを見た後では凄いショボイと思った。

売店の焼きバナナはうまかった・・・一本5バーツ。立続けに2本食べた。











遺跡はバスで何箇所か回った。アユタヤも遺跡群なのか??

韓国人カップルが、首のない仏像から首を出して写真を撮ろうとして、警備員に笛吹かれて怒られてた。
そいつらは怒られてる間も手つないでて、ちょっとうざかった。

あたしも遺跡に登っちゃって笛吹かれた。はうー






トイレに犬が!!

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2005-01-09 12月31日A死体写真

このツアーはランチつきだった。
外人ツアーのためか、香草がきいてないご飯でよかった。

ご飯を食べた後、地元の新聞に人が群がっていた。
例の津波の被災地の写真だ。

この国は新聞に平気で死体写真をのっけてしまうのだ。
死体が赤黒くなってしまっているのは腐っているからなんだろうか??
ちなみに写真の場所はピピ島。




↓この仏頭より頭を高くして写真を撮ってはいけない。




夕方4時半にはアユタヤからカオサンに帰ってきた。
カオサンでお土産を買いまくる。
物価高いよここは!!
でも服とかアクセとかいいのがいっぱいあると思う。
会社へのお土産は30バーツのお菓子。
自分へのお土産には2000バーツくらい買ってしまった・・異常。


カオサンで3回も食べた「パッタイ」25バーツ。(75円)
麺が何種類かあって選べる。野菜と混ぜて炒める、いわゆる焼きそば。うまい!!


カオサンロードにあった募金箱。
おばちゃんがドザエモンと化した写真、デブ欧米人の青白いトドのような死体がゴロゴロ海岸に転がってる写真とかあった。
おいらも1バーツ寄付。



あ、そういえば今日大晦日じゃん!!


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