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Juneの「日々の想い」

日常のちょっとした想いを書き留めてみたいのです

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2015-12-23 年の暮れ
2013-12-19 長い一週間
2012-06-21 レイ・ブラッドベリの訃報
2011-05-03 電気のこと2
2011-05-02 電気のこと
2011-03-18 計画停電 その2
2011-03-17 計画停電
2011-03-16 地震 その後
2011-03-12 長男の誕生日
2011-03-11 東日本大地震


2015-12-23 年の暮れ

今日は 天皇誕生日

お天気は 曇り

今年 2015年も あとわずか

明日はクリスマスイブだけど 家でのクリスマスパーティは もうやってしまったから
もうケーキもチキンも 関係ない って感じ

気になるのは 年賀状と 暮れの大掃除


今年は 結構 ある意味大変な一年だったけれど
過ぎてしまえば 大したことない とも言えるし
まあまあ 平穏とも言えるかな

世界では そうとも言えなかったけれど

いろんな事件もあったし 多くの人が失わなくても良い命を失った
住む所を失って 多くの人が海を渡って逃げ惑っている
それを受け入れる方も 大変な思いをしているし
不条理なこともたくさんある

それでも 来年は そういう事が少しでも減りますように

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2013-12-19 長い一週間

本当に 長い一週間だった

一二月12日 義父が 永眠した

12日の朝 学校へ行こうとしていたら 義母から電話があった
義父の顔色がひどく悪いから 看護婦さんを呼んだ ということだった

とはいえ よく状況がわからないので もう少し わかったら教えて欲しい
と 電話を切った
何か 胸騒ぎがして どうしよう と 何も手につかず 知らせを待つ

そのすぐあとで ヘルパーさんが 息もしていないし 脈も取れない
と 連絡してきた

取り敢えず 学校へ連絡して 今日は休ませてもらい
夫と夫の妹にメールしてから 義両親の家に向かう

家に着くと すでに 看護婦さんとお医者さんは帰ったあとで
義父の 死亡証明書が出る ということになっていた

ヘルパーさんが 義父の入れ歯を入れて 顎が開かないよう抑えていた

ヘルパーさん って そういうこともするんだ と驚いた

私では とてもそんなこと出来やしない

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2012-06-21 レイ・ブラッドベリの訃報

12日の新聞を読んでいたら ブラッドベリ 追悼記事 を見つけた。

六月5日に 91歳で亡くなったそうだ。
昔から ブラッドベリが大好きで よく読んでいた。
漫画家の萩尾望都 が ブラッドベリの小説を題材にしていたので
余計 身近に感じられたこともある。

なんだか 一人 またひとりと さみしくなってしまう・・・

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2011-05-03 電気のこと2

大学時代の同級生に 人間は電気を使うのをやめた方がいい と主張する人がいた。
電気を作り出すために環境を汚すし 原子力なんてもってのほかだ と。
昔の人は それでやっていたんだから そうすればよい と。
私は 彼の極論についてはいけなかった。
電気を使う生活に慣れ切っていたし 昔には戻れないと。
一度知ってしまった快適な生活は 不可抗力で停止されるのでなければ
自分から捨てることはできるはずがない。

けれど 彼の主張はある意味で正しい。
バランスの問題なんだと思う。
あまりにも 私たちは 電気を湯水のように使うことに慣れ過ぎていた。
夜中だというのに 煌煌と明るいコンビニ。 駅だって明るい。
24時間開いている店も数多くある。
家の中も 人がいるいないにかかわらず あちこちあかりがついている。
pcもテレビもつけっぱなしだし シャワーもいつでも使える。

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2011-05-02 電気のこと

福島の第1原子力発電所の危機は まだ去っていない。

計画停電は 一時休止 ということになったけれど
夏の暑さがやってきたら また停電が起こるかも という。

最近 節電の意識が薄くなって お店の電気も全開だし
電車も平常の運行になっている。
スーパーの品ぞろえも ほぼ以前の状態に戻っている。
ここにいる限り あんな災害があったなんて 信じられない。
 
テレビでは 原子力発電について いろいろな人が勝手にしゃべっている。
原子力発電は 国策であって 国が後押しをして 安全神話を作りだしていた
という。
確かに なんでこんなにも自信たっぷりに安全だと言い切れるのか
不思議に思ってはいた。
大学で原子核物理を専攻し 勉強していたけれど
だからこそ 何故にこんなにも大丈夫だと言い切れるのか
腑に落ちないものを感じていた。
だからこそ 去年 福島を見学できる機会があった時
迷わずに見に行こうと決めたのだった。
見もしないで 反対だと言えないと思ったから。
危ないと 言えないと思ったから。

見に行った時 いろいろ説明を受けたけれど
やはり 心配な気持ちは消えなかった。
ただ チェルノブイリのような初歩的な間違いは犯さないのではないか
という期待のようなものはあった。
グループを3つに分けて 休みと勤務と訓練とローテーションにしていること
いつも 想定の危機に対して訓練しているということ
危機に対しての危機感は持っているんじゃないかな
と 何となく感じていた。
それなのに 今回の災害に対して 無策というか
想定が甘すぎる なんとなく安心していた としか思えない。
自分で作った安全神話を 自分が一番信じていたのかも。

確かに 信じられないくらいもろくてあやふやな防護策ばかりだったけれど
随分いろいろな人たちが 各々辛辣なことを勝手にしゃべっている。
だけど結局なところその人たちだって 自由に電気は使っている。
だれも 電気は自由に使えるものとして 電気製品を買い込んだり
街に出れば 照明だったり エスカレーター、エレベーターは普通に使うし
テレビやラジオ、携帯、pcや 新聞の様な情報をもたらしてくれるものだって
電気がなかったら 全く手に入らないものを 既存のものとして享受している。
電気会社や政府は そんな国民の期待というか 要望に答えて
なお且つ 地球温暖化や化石燃料の枯渇と折り合いをつけるため
クリーンで経済的なエネルギー確保のために 原子力に頼らざるを得なかった
ということなんじゃないかな。
やり方自体が貧弱で 危なっかしいということは明白になったんだけれど。
原子力は 人間が扱うにはまだ早いというか 禁断の神の火 だったんだ。

  

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2011-03-18 計画停電 その2

予定では6時20分から10時までになっていた。

その時間では もう暗いし もちろんテレビも見れないし 暖房も点かない。
月が結構大きくなっていたから 真っ暗にはならないかも 
と夕方 空を見て思った。
ちょうど夕食時だし 支度もできないし 何か簡単に食べられるもの
と お寿司でも作ることにした。
マグロを解凍し ご飯を炊き 寿司飯を作る。
油揚げを煮て お稲荷さん用にする。

ほとんど支度を終えたのが6時前。
テーブルに 明り用のろうそく LEDのランプ ライター を用意し 
毛布をかぶって テレビを見ながら 明りの消えるのを待つ。

7時になって 今日はもうないのかな と思ったころ 突然消えた。
蛍光灯が まだ光度を保っている間に ランプをつける。
月が 思ったより明るいので ろうそくはやめにする。

静かすぎる時間。
何かをするには暗過ぎて 昔の人は どうしていたんだろう。
明るいことに慣れてしまって この時間を持て余してしまう私たち。
本当に途方に暮れてしまった。
ただ ぴーを抱いて その温かさにほっとする。

そうこうするうち 二男が帰ってきた。
送ってもらったらしい。
暗いね、という。
彼も この時間を持て余している。
しばらく スマートホンをいじっていたけれど
自分の部屋に 寝に行ってしまった。
再びの 一人。
眠ってしまいたいのに それもできず ただじっとしている。

まだ2時間。
と思った時 ばしっ と明かりがついた。
あれ まだ2時間なのに、 でも うれしい。

これが あと 幾晩続くのだろう。
少しは 慣れるのだろうか。

ほっとしながらも 夕食の支度をし
二男と夕食をとることにしよう。 

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2011-03-17 計画停電

福島の原発や その他 多くの電気発電所が被害を受けたこともあって
東京電力は 足りない電力を補うために 計画停電をしている。

昨日は 朝の停電がなくて 喜んでいたら 
寒さのために暖房の電力使用が増えたらしく 二回目の停電があった。
お店で買い物をしようとしていたら 停電になったので 閉店とのこと。
ミルクもパンもなくて どうしよう。
被災者の人に比べたら こんなこと 屁でもない と笑い飛ばしたいところだけれど
残念ながら 便利で快適な生活に慣れてしまった私たちは
こんな ちょっとしたことで 困り果ててしまい 大騒ぎする。

取り敢えず 家に戻り 予定していた車のタイヤを替える準備をする。
電話したら 停電の前に来るように という。
信号機も消えているので 非常に怖い。

無事家に帰り着くと 電気は点かないし テレビももちろん見れない。
幸い まだ明るい時間だったので ぴーに寄り添って 本を読んでいた。
静かな時間。
こんな時間を持つようになるなんて 思いもしなかった。

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2011-03-16 地震 その後

地震後五日経った。

福島は予断を許さないし
報道される 地震と津波の被害は 目を覆うばかり。

こちらは ほとんど被害がなかったというのに
スーパーでは 殺気立って みな買いだめに走っていて
カップラーメンやレトルト食品の棚はからっぽ。
パンも棚に入るや否や 奪うように 買われていく。
野菜も 肉も 果物も いつも通り 山になっているというのに。

ドラッグストアもホームセンターも 人が押し寄せて
これでもか と言うほど 買って行く。
どさくさにまぎれて ビールを箱買いしている人が何人もいる。
一体何を考えているのだろう。
お正月休みか お盆休みと 間違えているんじゃないの
と 嫌みの一つでも言いたくなる。
トイレットペーパーも ティッシュも売り切れ。

ガソリンも手に入らない。 
売り切れ の札を下げてしまっているスタンドも多く
開店しているところは 車の列。
とても買えそうにない。
Bbのガソリンは もう空っぽに近い。
オーリスのも 半分も入っていない。
無くなってしまったら 駅への送り迎えもできない。

早く 正常な秩序を取り戻して欲しい。
計画停電だって 仕方ないと受け入れている。
あまりにも非日常なことと それでいて 普通の生活があって
なんだか 混乱している。

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2011-03-12 長男の誕生日

朝起きると 頭が重く だるかった。

昨日のことは 夢だった と思いたいけれど
テレビをつければ 惨状を流し続けている。

息子が珍しく起きていて 何かをしている。
何してるの? と聞くと サッカーの代表戦のチケットが欲しいという。
こんな時に やるの? と聞くと 取り敢えず 販売は始まっているという。
電話をかけ続けても 御話し中か 断りのアナウンス
ネットも繋がらないという。
こんな時に ただでさえ 電話が繋がりにくい という状況なのに
サッカーでもないと思う反面 日常的なことに執着することで
不安な気持ちをすり替えているのか とも思う。
やっと繋がったかと思うと 売り切れだという。
そんなに 夢うつつの人がいるのかと 半ばあきれる。

夢であって欲しい と願う現実があって
それにもかかわらず まったくの平常の生活がある という
まったく相反するものが 何事もなく並列に存在することの矛盾。

留守電にメッセージが入っているのに気付き メッセージを聞く。
3日まえのもので 注文しておいたアンドロイド携帯が入荷しました との事。
今日は 何日だっけ と日にちを数えると 今日は 長男のお誕生日だったことに気づく。
ちょうどお誕生日のプレゼントになる。

こんな時に携帯がどうの なんて言ってる場合じゃない と思うのと
とはいえ こちらは こちらの現を生きている訳で
容赦なく 平常の時間は進む。

テレビから流れ続ける映画のような現実と
夕方になれば 夕食の支度をしなければ というこちらの現実。
頭が混乱して ぼうっとしてしまうけれど
家族のお誕生日には お祝いのケーキを焼く という習慣に動かされ
夕方 近くのスーパーに行ってみると パン 豆腐 レトルト食品
カップめん もやし ミルク が 棚から消えていた。
それどころか かごを抱えた人たちの殺気の様なものさえ 感じた。
一体これは 何なんだ?
この辺りは 全くと言っていいほど 被害はなかったはず。
訳が分からず 立ち止りそうになる。
萎えそうな気持ちをふるい起して
イチゴ 生クリーム 肉などをかごに放り込み
あたふたと 店を後にした。

ごちそうを食べ ケーキを食べ お風呂につかり 温かいベッドで眠る
そんな 今までと同じ生活に 罪悪感を感じながらも 感謝して眠る。

まずは 長男のお誕生日を祝えることの幸運に 感謝。

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2011-03-11 東日本大地震

3月11日 午後二時46分 今まで経験したことのないくらい大きな地震があった。

二年生の授業が 午後にあったけれど 私の義務の時間じゃないので
早めに帰ることにした。
買い物もせず どこにも寄らず まっすぐに家に帰った。

家に着くと 珍しく 息子たちは二人とも家にいた。
ぴーちゃんが 散歩から戻ると ずっと吐き続けているよ 
と 下の息子が心配そうに言う。
ぴーも 何故か くっついてきて 体を触っていないと落ち着かない。
雷でも 鳴っているのかな と不思議に思っていた。

地震は かなり長く 強さも強かった。
思わず 見ていたテレビを押さえ 息子は揺れるペンダントを押さえ
ぴーだけが テーブルの下に隠れていた。 えらい!

テレビでは すぐ地震速報に代わり 津波の状況を刻々と伝えている。
ただただ 茫然と見ているしかなかった。
娘たち 主人 実家 と 連絡を取ろうとしたけど
電話は全く繋がらず メールだけがたまに送れるだけだった。
それでも メールはちゃんと送れているようで
娘たち 実家 主人 と次々メールが帰ってきた。
無事だということが分かって 一安心。
気になっていた 主人の実家とも 四時半くらいにやっと電話が通じた。
こちらも 被害なし。

まるで 映画を見ているような画面をぼんやり見ているだけで
何も手に付かない。
ただ 花粉症の症状がひどくなって 鼻水がひどく 目がかゆく
おまけに ぴーは吐き戻し 三人と一匹で ティッシュの山を作っていた。
地震で スギの花粉がいつもより多く飛んだんだろうか?

電気が消えるかもしれないと気付いて あわててご飯を炊く。
二男は こんな時でも バイトだからと出かけて行き
長男と二人 あり合わせの夕飯を食べる。
その後 彼女が心配だからと 出かけて行った。

何もする気になれず ただ ぼんやりテレビの画面を見ているだけだった。
想定外の津波に なすすべのない人間の無力さ。
チリやインドネシアの津波で 多くの人が亡くなったけれど
途上国だから 対策がなかった のではなくて
日本でも 訓練したり 対策を立てていたにもかかわらず
こんなことになるなんて 自然の力の恐ろしさをまざまざと感じられた。

泊まりかな と言っていた主人も 夜遅くなって 私鉄が動き始めたので
無事 帰りつくことができた。
ぴーは まだ 吐き続けていたけれど
ゆっくり眠ることのできる幸せをかみしめている。

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