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口車版「雑学の泉」

 
なんで,こんなにいろいろなどーでもよいこと,知っているのでしょうかねぇ。



口車筆無精乃介、IT業界を語る  口車大王「旅のおもひで」

ふぁんレターはこちら

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-06-13 [近況]明日(あれ?もう今日だ)から3泊5日サンフランシスコの旅
2001-06-10 [雑感]1分間の沈黙
2001-06-09 [近況]小泉内閣メールマガジン
2001-06-08 [近況]とっっっっっっっても驚いた千葉市長選
2001-06-06 [昔話]スッチー今昔物語(38%減量)番外編 ポーランドへの道 後編
2001-06-04 [昔話]スッチー今昔物語番外編 ポーランドへの道 前編
2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 番外 口車、やっぱりてっちゃんでした
2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 第六章 三ノ輪橋から浅草合羽橋へ
2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第五章 熊野前3つの商店街−商店街衰退の理由
2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第四章 都電荒川線熊野前へ


2001-06-13 [近況]明日(あれ?もう今日だ)から3泊5日サンフランシスコの旅

 もう今日ですが、3泊5日でサンフランシスコに行ってきます。

 1か月前から行くこと決めていたのに、フライトの予約入れたのが先週の木曜日で6日前、宿の予約入れたのが昨日(あ、一昨日だ)。しっかしまあ、最近シーズンオフでもなんでこんなに飛行機混んでいるの?帰りは直行便がとれず、ロサンゼルス経由です。なんてこったい。それでも、最初はもう安いチケットないと言われたけれど、安いチケットが入手できました。

 宿もCRS(Computer Reservation System)で調べてもらって空室のあるホテルを確認し、自分でそのホテルのホームページを調べて場所を確認し、電子メールで予約。ほんとに便利になったもんです。

 インターネットで自分でできるようになっとは言え、やはり馴染の旅行代理店があると、便利です。航空券、自分で予約購入できると言っても、各航空会社ばらばらだからねぇ。

 しかし、午後の便で良かった。11年ぶりのアメリカです。しかし、トンボ帰りだぁ。ま、時差ボケになる前に帰ってくるから良しとしよう。

つづく

先頭 表紙

あ、間違えた。 / みんなのくっちー(期間限定) ( 2001-06-20 18:26 )
皇帝瀬名サマ(ぉ)さま、ということで行きの話を書いたダス。 / 口車大王 ( 2001-06-20 18:23 )
さすこさま、アメリカでなんかあったのではなくて帰ってきてからでしゅ。期間限定ムッシュえむの日記をご覧あれい。 / 口車大王 ( 2001-06-20 18:22 )
かごやんどの、梅雨時にサンフランシスコは最高であるぞよ。しかーし、あの昼と夜の温度差は気をつけんと。初日、夜遅くまでTシャツ1枚でいて偉い目にあった。 / 口車大王 ( 2001-06-20 18:20 )
むらくどんさま、時差ボケになる前に帰ってきたのですが、その前の目っ茶忙しい状態が途切れたおかげで、ここのところ放心状態。 / 口車大王 ( 2001-06-20 18:19 )
お土産話、お待ちしております♪ / 皇帝瀬名サマ(ぉ) ( 2001-06-20 17:13 )
アメリカからお帰りになったら、くっちーちゃんになってしまわれたのですね。アメリカで何があったのでせう。。。。。。 / 真賀砂州子 ( 2001-06-20 15:28 )
とんぼ帰りはなかなかキツイかもしんないけどやっぱりアメリカですよねぇぇl♪満喫満喫♪ / かごやん@私もアメリカいきてー ( 2001-06-20 07:27 )
あら〜。もうお帰りですか。夢楽堂も時差ぼけしています。 / 夢楽堂 ( 2001-06-19 20:23 )
ただいま。帰ってまいりました。結局、観光旅行なんもできなかった。 / 口車大王 ( 2001-06-17 20:40 )
いってらっしゃい&おかえりなさいませ。僕もサンフランシスコにはアメリカ人のいとこが二人おります。4年前に行きました。少しでも、遊べるといいのにですね。 / ガス欠コイン ( 2001-06-15 11:44 )
てっちゃんは飛行機も好きっていうのわかる!!例えばKUNさんなんかは飛行機にもめちゃくちゃ詳しいです。ちなみにでむぼも飛行機マニアらしい(でもジャンボに乗ったことないとか・・)お気をつけて! / えむ ( 2001-06-14 11:00 )
いってらっしゃ〜い。ままの遠い親戚さんがいるんだって<サンフランシスコ。よろしく!? / うさこ ( 2001-06-13 17:04 )
いってらっしゃいまし〜(^^)/~ / ちゃな坊 ( 2001-06-13 10:27 )
葵様、仕事です。仕事でなければ、ふつうこんなきついスケジュールはたてないな。ちなみに、おかげさまで、たったまんまではないっす。 / 口車大王 ( 2001-06-13 06:18 )
お気をつけていってらっしゃいませ〜! / ( 2001-06-13 01:34 )
いつぞやの話ではないけど立ったまんまで・・・ちょっとツレ〜! / 葵・ひざの上というてもあったな ( 2001-06-13 01:33 )
取れただけすごいです!で、お仕事ですか? / ( 2001-06-13 01:31 )
だが葵様、席がないんだねぇ。これだってあぶなかったんだから。なんでこんな時期にこんでいるんだ。例えば1日4便飛んでいるUAのフライトは、その3便までがファーストクラスまでパンパン。 / 口車大王 ( 2001-06-13 01:29 )
う、愛人という言葉に弱い口車。 / 口車大王 ( 2001-06-13 01:27 )
ミニモニ並だからいけるよん。だめなら愛人の役で。。。 / ( 2001-06-13 01:25 )
↓のこと? / ( 2001-06-13 01:24 )
3泊5日では、トランクもっていかないのだ。 / 口車大王 ( 2001-06-13 01:24 )
葵様、デイパックよりちょっと大きめのバッグで行くから無理ざんす。 / 口車大王 ( 2001-06-13 01:23 )
うを、びっくりした。本人のつっこみよりはぇー。 / 口車大王 ( 2001-06-13 01:23 )
えむさま、20うん年ぶりのJALかと思ったら、北西航空になっちまった。でも、サンフランシスコからロサンゼルスまで、アラスカ航空とのシェアコード便だから楽しみ。要するに北西航空の便なんだけれど、その実態はアラスカ航空。てっちゃんは飛行機も好きなのである。 / 口車大王 ( 2001-06-13 01:22 )
午後の便ですね。間に合います!ご一緒しましょう。連れてってねん。 / 葵・トランクに隠れてってのだめ? ( 2001-06-13 01:21 )

2001-06-10 [雑感]1分間の沈黙

 コンフェデーレションカップ決勝の試合については、それこそ強力ライターがそろっているので、口車、試合前のセレモニーについて書いてみたいと思います。

 選手がピッチに出てきて、まずフランス国歌の演奏が始まります。続いて日本の国家の演奏。横浜国際競技場に響く君が代。国歌斉唱とは強制するものではないと、しみじみ思います。サポーターも国際試合を経験しているから、どういうときに何をすべきか、最近は心得たものです。国威発揚というのはこういうところから始まるのであって、政府が強制してできあがるものではない。改めて思った次第です。

 さて、さらに感動のシーンはこの次に用意されていました。

 いざ試合開始のキックオフの直前、フランスの選手はボールに足をかけています。その時突然国際映像に英語でテロップが流れると同時に、場内放送が流れます。

 「6月8日に大阪で起きた児童虐殺事件の被害者に対して、1分間の黙とうを行います。」

 そして、、、

 直前まで応援であれだけやかましかった競技場内が、あっという間に、それこそここにだれもいないのではないかと思うくらい、一瞬にして静まり返ります。横浜国際競技場に応援に来ているサポーターが皆、いかに心を痛めているか、テレビの画面を通して、「沈黙」という形で伝わってきます。

 大阪の事件に限らず、自分のことしか考えない連中の殺伐とした事件の多い今日この頃ですが、日本もまだまだ捨てたものではないと感じさせられる、感動の1分間でした。

先頭 表紙

ガス欠コイン さま、今回コンフェデレーションカップの試合中継見ていて、サッカーとは別に良い意味での国際化というのがサッカーを通して日本に持ち込まれたと思いました。かつては、国歌斉唱と言っても観客は歌わないどころか立とうともしない。それが、相手の国に対してどれくらい失礼なことかも理解しなかった。サポーターが海外の試合を見に行くことによって、こういう、儀礼的なことも学んで帰ってきているわけです。フーリガンみたいなことを持ち込まれると困りますけれどね。 / 口車大王 ( 2001-06-22 11:38 )
くすのき燕さま、先週行ってきたサンフランシスコの会議では、改めて日本のすごさを実感してきました。そして、ひまじんネットの日記を読んでいると、あらゆる年代層にバランス感覚を持った、すばらしい人達が日本にもいっぱいいるのだと実感させられます。 / 口車大王 ( 2001-06-22 11:34 )
すいません、今頃原稿読みました。場内アナウンスが始まった時には、最初何の黙祷かわからなかったのですが、僕が多分そうだと思い伝えました。セリエAなどでは、しょっちゅうやっています。 / ガス欠コイン ( 2001-06-21 22:36 )
そう。まだまだこの国も捨てたものじゃない。何とかすりゃあ、何とかなるって信じてはいるだけど。 / くすのき燕 ( 2001-06-13 17:51 )
えむさま、見事に一瞬にして静かになりました。その後の放送で、アナウンサーと解説者の声がかき消されていたことと対比すると、ほんとうにすごいことです。 / 口車大王 ( 2001-06-13 00:31 )
上月葵様、Jリーグは、関西の3チームを中心に、サッカー教室とかで子供たちのケアをすることを考えていくという発表を今日していました。 / 口車大王 ( 2001-06-13 00:30 )
私もちょうど見てました。それまですごい歓声だったのに、一瞬にしてしーんと静まり返った。まるでテレビの音をミュートにしたみたいに。試合自身もそうだけど、はじめから終わりまでとても感動する試合でしたね。 / えむ ( 2001-06-12 13:12 )
うちも全員で一緒に黙祷しました。スポーツの明るさで日本が良くなるといいですね。 / 上月 葵 ( 2001-06-12 00:54 )
黙とうの時、みんなさっと立ち上がっていた。以前だったらああいうときに必ず立たないやつがいたんですけれどね。本当に、見事に静かになりました。その後の応援のやかましさがすごかっただけに、その対比は見事でした。 / 口車大王 ( 2001-06-11 20:34 )
わたしもジーンときました。 / 真賀砂州子 ( 2001-06-11 13:45 )
知らなかったです。まだまだ日本も捨てたものではないですね。 / ウサ子まま@うさこ ( 2001-06-11 10:17 )
ボクも見ました。ほんとに日本はぜんぜん捨てたもんじゃないです。負けてしまったけどこのパワー、この強い思い、前に向けて発射して欲しいです。 / カルキチ ( 2001-06-11 01:37 )
花園では国歌の前に1分間の黙とうがありました / 八百八六助 ( 2001-06-10 22:54 )
本当にあのボールを足にかけながらの黙祷ジーンとしました。それと試合終了後の表彰式・・メダルを・監督にもスタッフにもかけていた。・・・・初めてみたシーンだったので・・・感動しましたね。・・・なんかサッカーっていいよな。 / ほ肝 ( 2001-06-10 22:21 )
夢楽堂もジーンときました。あの空気が皆に広がれば・・・。少なくとも、あの画面を見ていた人たちの多くはそう思ったでしょう。 / 夢楽堂 ( 2001-06-10 21:19 )
そうなんだ〜。ちょっと感動しました…。じ〜ん。 / JAI ( 2001-06-10 20:59 )
1-0で負けてしまいましたが、良い試合だった。 / 口車大王 ( 2001-06-10 20:57 )

2001-06-09 [近況]小泉内閣メールマガジン

 小泉内閣メールマガジンが、本日から購読者受付を開始した。アクセスが殺到して申し込みできないのではないかと思ったが、信じられないくらい軽快に動き、あっという間に登録できてしまった。でじ太さまによると偉く金をかけているようだが、ちゃんと金をかけるべきところにかけているようだ。

 首相官邸ホームページはひまじんネットと同じで余計なものがなく、デザインもすっきりしているので、軽快に動きしかも読みやすい。政府関係のホームページもここまできたかという感じである。

 さっそく、読者の声を投稿してきました。みなさんも、ぜしぜし(夢楽堂さま風)。

先頭 表紙

皆さま、お役に立ちましたようで光栄至極のいったりきたりでございます。キッズルーム、気がつかなかったぁ。 / 口車大王 ( 2001-06-10 20:24 )
キッズルームをブックマークしてきました。 / カルキチ ( 2001-06-10 18:23 )
はじめまして〜(^o^)丿、、、首相官邸ホームページ、見てみました。見やすいですね。キッズルーム?というコーナーが、簡単でわかりやすく、政治に疎い私にも親しみやすい感じでした(笑)、、、小泉さんには、がんばってもらいたいですよね♪ / ゆかりん ( 2001-06-10 16:12 )
おしえてくれてありがとう。。小泉さんがとても身近に感じたよ。。 / みかりん ( 2001-06-10 08:23 )
事件のこと、投稿してくださったのですね。きっと同様のメールが沢山きてるでしょうね。 / マダム麻美 ( 2001-06-09 23:16 )
登録しました。IT革命といいながら何もしなかったシンキロー。形だけでも首相と対話できるのはいいことです。アンチ小泉もぜしぜし登録。相手を知らないと喧嘩もできません。 / 夢楽堂 ( 2001-06-09 19:58 )
登録しました!アクセスも超スムーズでびっくりです。これなら、日頃感じてること、怒ってることもメールできそうですよね。 / パンドラ ( 2001-06-09 18:28 )
このつっこみが終わったら登録に行くで御座る!教えてくれてありがとうで御座る! / まさや〜ん ( 2001-06-09 18:06 )
早速登録しました。海外にいても読めるところがいいですね。楽しみです。 / りり ( 2001-06-09 14:52 )
どんなのか〜楽しみに見ますね〜♪ わくわく〜☆ / 仙川 ( 2001-06-09 11:57 )
私も登録しました。どんなモノが来るか楽しみですよね〜。 / オーテマチエンヌ ( 2001-06-09 10:38 )
あたしもメルマガ登録してきました。しよう!と思っていたんで助かりました。国会中継が楽しみになる、っていうことがスゴイことです。昔からポスターを近所で見かける「街の有名人(笑)」の活躍に期待!また、ゆっくり読んでみます。<首相官邸 / akemi ( 2001-06-09 10:19 )
早速メルマガ登録してきやした。情報ありがとうございます。 / ほたての肝 ( 2001-06-09 10:09 )

2001-06-08 [近況]とっっっっっっっても驚いた千葉市長選

 今月、千葉市町選挙がありますが、立候補者の名前を見てびっくりした。なんと、前勤めていた会社の、口車の真ん前に座っていた同じグループの先輩が立候補しているではありませんか。千葉県議会議員になっていたのは知っていたのですが。なかなかの熱血漢で仕事熱心な人ですから、当選して欲しいなぁ。

 民主党推薦のKさん、投票権ないけれど陰ながら応援しているっす。

 それにしても、驚いた。

先頭 表紙

チビクロ様、世の中どれくらい狭いか、ここの日記と口車の突っ込みにもアルダス。 / 口車大王 ( 2001-06-09 09:27 )
ということで、ウサ子さま、よろしく。 / 口車大王 ( 2001-06-09 09:24 )
狭いですね、世の中。 / チビクロ ( 2001-06-09 02:38 )
ひえ〜。そうなんだぁ! / ウサ子@千葉市民 ( 2001-06-08 22:36 )
夢楽堂様、テレビのニュースで名前を見て、飛び上がってしまいましたよ。県議会議員になったという年賀状貰ったときもびっくりしたけれど。 / 口車大王 ( 2001-06-08 22:09 )
まあ。口車さんがs太鼓判。頑張っている人に腕を振るってほしいですね。 / 夢楽堂 ( 2001-06-08 21:04 )
JAIさま、すでに政治家にはなっています。「げっ」の理由は、そりゃあーた、他人事のようではなくて。。。 / 口車大王 ( 2001-06-08 18:54 )
正義感のある知り合いが政治家になろうとしてるというのはなんかウレシイ出来事かも♪ / JAI@うちの日記、なぜげっなのか教えていただけたらウレシイですぅ。 ( 2001-06-08 18:52 )

2001-06-06 [昔話]スッチー今昔物語(38%減量)番外編 ポーランドへの道 後編

 楽あれば苦あり。人生なんてちゃんと帳じりが合うようになっています。口車、いよいよバンコックからワルシャワへ向かいます。


 薄暮の中バンコックドムアン空港に到着した口車一行、ここからワルシャワまで、ポーランド航空に搭乗します。乗り継ぎの待ち時間は5時間。当時、30分もあれば市内まで行けるなんてことを知らなかった口車達総勢10名は、ドムアン空港のトランジットルームのカーペットの上に車座になって、酒盛りです。バンコックまでの機内ですでにべろべろ状態の口車達は、もはや冷静な判断力と羞恥心を持ちあわせていませんでした。

 口車達、搭乗最終呼びだしぎりぎりまで酒盛りしてべろんべろん。これが失敗でした。恐るべし共産主義国家。資本主義社会の常識は通用しません。そういや、ドムアン空港で事前の搭乗手続きやった記憶がないなぁ。

 とにもかくにも搭乗開始です。最後の方から乗り込んだ我々は唖然。なんと、座席は「自由席」ではありませんか。我々の席は確保されていない。ひょっとしたら搭乗後に座席が無いのではないかと、青くなりました。

 最後尾の部分になんとか座席を確保して着席。しかしまあ、なんと座席ピッチの狭いことよ。小柄な口車が狭いと感じるんですから、ぶっといポーランド人はいったいどうやって乗るんだ。さらに、頭の上からは水がぽたぽたたれてくる。たまらんなぁ。


 出発予定時刻をやや過ぎて、飛行機が動きだしました。機体はイリューシン62という、ソヴィエト連邦の機体。これはリアエンジンの飛行機で、口車の座席の窓のすぐ外に、エンジンが見えています。いざ飛行機が動きだしたら、やかましいのなんの。なぜ後ろの方の座席があいていたのか、このときよっくわかりました。

 いよいよ機体は滑走路を加速し始めます。しかし、いつまで経っても機体は浮き上がりません。西側の飛行機だったらとっくに上昇し始めているのに、だらだらだらだら、滑走路を走っている。「お、おい、大丈夫かよ。」と、だんだんひじ掛けの手に力が入っていきます。もうこれ以上滑走路を走り続けたらやばいんじゃないのと、ぐっとひじ掛けの手に力が入った刹那、機体はふわっと浮き上がりました。それがまた、全然上昇していかないんだねぇ。ジャンボジェットの半分くらいの上昇率でしょうか。しかし、とにもかくにも、機体は次の寄港地ドバイをめざします。

 それにしても、バンコックまでの極楽生活のバチが当たったのでしょうか。JALの愛嬌あるミセスすっちーとは打って変わり、まるで「仏頂面」というの名前の動物の檻に押し込まれたようです。ポーランド航空のビヤ樽のようなすっちー達、一体全体、どうやったらああいう表情ができるんだ。食事も、まるで我々は家畜のようです。しかし、人間都合よくできているようで、このときの食事どんなだったか、口車全く覚えていません。いやなことは忘れてしまいました。お酒もほとんど飲んだ記憶が無い。窮屈な姿勢でほとんど寝ていたようです。


 ドバイ、アテネを経由し、飛行機はまるでローカル空港のようなワルシャワオケンチ空港に到着します。もう、体中ばりばり。ここで、またまた驚かされます。ふっと窓の外に目をやると、そこにはなんと機体にハングル文字が書かれたプロペラ機!ひょぇー、ジェット旅客機全盛の時代に、偉大なる領袖の国はヨーロッパまでプロペラ機を飛ばしているんかい!

 今にして思えば、結構なものを見させていただきました。こうして、口車のポーランドでの生活は始まったのでした。

つづく (目次)

先頭 表紙

もんたーにゃさま、ガムテープ一枚くらいならかわいいもんざんす。 / 口車大王 ( 2001-06-08 09:45 )
JAI様、KLMとヴァージンアトランティックとシンガポールは愛想いいざんす。 / 口車大王 ( 2001-06-08 09:44 )
そういえば、ハワイはオアフ島からマウイ島へわたる小さなプロペラ機、機内に「ガムテープ」が貼ってあったのを目撃したんを思い出しました。おじゃまします。もんたーにゃです。 / もんたーにゃ@まさる ( 2001-06-08 03:42 )
私が乗ったことある海外の飛行機は英国航空だけ。ご飯まずかったことしか覚えてません。そっかぁ。やっぱり外国のスッチーさんは不愛想なんですねぇ。 / JAI@酒盛りは楽しそう♪ ( 2001-06-08 00:18 )
あ、まさや〜んでござる。 / 口車大王 ( 2001-06-07 19:15 )
違うでござる。彼が口車の手先でござる。ふっ。 / 口車大王 ( 2001-06-07 19:14 )
はじめましてで御座る!口車殿はまさか仙魔王の手先ではあるまいな(笑) / まさや〜ん@疑ってごめん ( 2001-06-06 23:10 )
たらママ、口車クラコフにはタクシーで行ったから、空港知りません。パイロットは優秀でも飛行機がボロければねぇ。 / 口車大王 ( 2001-06-06 18:07 )
クラクフの「単なる学校の運動場」にしか見えない飛行場を思い出しました。共産国のパイロットは軍人だから優秀と信じてました。 / たらママ ( 2001-06-06 16:39 )
えむさま。行きもすごかったけれど、ポーランドからの帰りもすごかったのよ。なんたって飛行機くらい資本主義の原理が如実に出るものはありません。でもねぇ、強気でがんがんやるといい思いできるよ。口車、しかとしてエコノミーのチケットでビジネス乗ったことあるから(正確には同行者を乗せてあげた)。 / 口車大王 ( 2001-06-06 14:32 )
葵様、我々幸い座れましたが、へたするとそういう雰囲気でした。聞いた話では、ほんとに立ち席でっていう話はあるみたい。 / 口車大王 ( 2001-06-06 14:30 )
すごいすごすぎる(笑)でもなんで外国人のスッチーってあんなに無愛想なんですかね?某北西航空のスッチーもビジネスとエコノミーで態度がえらい豹変する・・ / えむ ( 2001-06-06 10:09 )
自由席のある飛行機。。。座れないのに乗せられるってこともあるのかなあ? / 葵・あったら怖いぞ! ( 2001-06-06 01:51 )

2001-06-04 [昔話]スッチー今昔物語番外編 ポーランドへの道 前編

 スッチー今昔物語、今回は番外編。ポーランド紀行の冒頭でもあります。さて、始まり、始まり。


 19××年3月末、口車は行徳のとある工場の敷地で、水処理試験プラントの運転要員をやっておりました。もうすぐ試運転も終わるかなという頃、昼食後に突然上司に「ちょっとちょっと」と呼ばれる。で、、、

上「5月から9か月の予定で、ポーランド行ってもらうことになったから。」
口「はぁ?それで、なんの仕事で行くんですか?」
上「契約上、お客へ提出するレターは全て英語でということになっていて、その翻訳。」
口「え゛っっ、でで、でも、口車英検2級もっていないっす。」
上「うんにゃ、おまえならできる!」

 と、ぽんと肩を叩かれ、ラテン系の乗りで口車、韓国に続くポーランド出張が決まったのでした。当時は乗りの良い会社だったねぇ。こうして入社以来、大阪、韓国、行徳、ポーランドと、2年間口車の現場出ずっぱりが決定したのでした。

 19××年5月10日、前年に開港したばかりの成田空港北ウィングに集合。口車、初めての成田空港です。いっしょに現地に赴く、四日市の某社の人達と落ち合う。総勢10人の旅です。経路はお客との契約でなるべくLOTポーランド航空を使わなければならないため、バンコック経由。バンコックまでは日本航空でした。今にして思うと、バンコックまでのフライトは、極楽だったねぇ。

 当時、ビジネスクラスなどというものはまだありませんでした。当然エコノミーなのですが、ボーイング747の機体にお客はすかすか。真ん中の席でひじかけ全部とっぱらって、横になっていけるくらい。すかすかに空いている飛行機くらい最高のものはありません。さらに!このときの口車の席の担当すっちーがすんばらしかった。

 バンコックまでの6時間半のフライト、もちろんお約束の酒盛り開始です。当然口開きはビールですが、すっちー嬢「お酒もありますよ。」と来たもんだ。もちろんいただいてがんがん飲んでいましたよ。お食事いただいたあとちょっと静かにしていたら、ギャレーからひょいっと顔出して、お調子2本ほどぶらさげながら、「まだありますよ〜!」と来た。くーーっ、おねぇちゃん、最高!

 さらに、、、

 しばらくして口車のシャツの袖口のボタンがとれてしまいました。そこで通りかかった彼女に、「すんません、針と糸貸してください。」と言ったら、再び戻ってきて、「お着けしましょうか?」ですと。

 「いや、あ、どうも。」

 ちょっとうろたえつつも、口車、天にも昇る気持ちでしたよ。しかし、次の瞬間口車、ちょっとがっかりします。彼女の指にはしっかりリングが。。。はぅぅ。

口「ご結婚されているのですか?」
ス「ええ、そうなんですよぉ。」
口「大変ですね、南回りで。」
ス「ええ、ほんとそうなんですよねぇ。ずっと家はあけなければならないし。」

と、ひとしきりミセスすっちーの「愚痴」を聞かせていただきました。

 当時、南回りのヨーロッパ線は、途中バンコックやインド、中東を寄港していたのですが、寄港の度にクルーは交代していきます。すなわち、そこで一泊。そして徐々にヨーロッパに向かっていき、また折り返して日本に帰ってきます。往復、軽く1週間から10日のお仕事であり、既婚者のすっちーにとっては、決して楽な仕事ではありません。

 ま、というようなことはさておき、口車、今までいろいろ飛行機乗りましたけれど、このときがベストでございます。以来、日本航空の国際線、乗っていないなぁ。

つづく (目次)

先頭 表紙

東京湾岸の春先の風は、とんでもねっす。ある朝現場に出ていったら、窓がガラスが割れて中の書類がぶっとんでいた。 / 口車大王 ( 2001-06-07 23:22 )
行徳。。。沿線です(^^; / ウサ子 ( 2001-06-07 22:56 )
口車も、初めての韓国でホテルのボーイに日本円にして1000円以上わたしてしまって(すなわち通常の10倍)、へんなサービスをしてくれそうになった。当時キーセンツアーがはやっていたからねぇ。 / 口車大王 ( 2001-06-07 19:19 )
おう、ほ胆どんもすごい旅行をしている。260円のころに16万8000円は安いでござる。口車が初めて海外旅行したときの、ロンドン往復が約26万円でござる。 / 口車大王 ( 2001-06-07 19:17 )
ロストバッゲージ・・・どうやら・・カイロあたりにまちがえていってしまったらしいのだ・・2週間ほどして滞在先にもどってきたけど・・鍵は壊れていた。往復16万8000円・・・当時としてはめちゃめちゃ安かった。と思う / ほ肝 ( 2001-06-06 18:27 )
そうそう・・トランジット。それでホテルにいたんだけど・・ベルボーイに小銭がないんで一$あげてしまったら・・・サービスがすごかっただす。260円ぐらいの時代だったかな・・・フランスでは殺人事件にであうし・・いやはや・・もうそれはそれは・・大変な旅でやんした。 / ほ肝 ( 2001-06-06 18:22 )
たらママ様、昔はアンカレッジ経由か南回りしかなかったからねぇ。お客との契約で、バンコックまで飛んでいるからそこまで行かなければならなかったのよ。どうしても便が無いときは提携しているSASでも良かった。機能LOTのホームページ見たら、1年前はあったバンコックまでのフライト、なくなっていた。 / 口車大王 ( 2001-06-06 18:06 )
しっかし、フランスのストライキがなんでオランダの空港に影響するんぢゃ。海に囲まれている日本には、理解のできないことダス。 / 口車大王 ( 2001-06-06 18:03 )
口車、海外旅行のあらゆるトラブルの中で、ロストバッゲージだけはないのだ。その他のトラブルはすべてやったのだ。唯一、昨年ストックホルムに行ったときに、フランスのガソリン値上げ反対ストでスキポール空港内の運搬が滞っていて、乗り換え便に間に合わないかもしれないと言われて、ほんとに間に合わなかったこくらいだな。 / 口車大王 ( 2001-06-06 18:02 )
をを、フライトひどい話自慢、ほ肝どんも参戦だぁ。32時間、これはきっとカラチかなんかでのトランジット込みだな。口車、このときがトランジット込みでほぼ24時間ですか。帰りは帰りですごかったんですわ。 / 口車大王 ( 2001-06-06 17:59 )
そういや昔アンカレッジ経由と南回りとどっちにしよう、なんて話してました。LOTに乗るためにわざわざバンコクですか!私はベルリンから乗り換えました。 / たらママ ( 2001-06-06 16:36 )
照明です・・・間違いを証明しますです。申し訳ない。 / ほ肝 ( 2001-06-06 15:36 )
あちきは25年ほど前に行ったときはアエロフロート(ロシア)・・・・20年ほど前がパキスタンエアーライン・・・どちらも安い物を選んだのでありますが・・・最悪の一言につきる。PAの方は32時間だかの南回り・・・座席の上の証明が壊れていて消えない・・文句いったけど「わかりました」の言葉だけで・・一向に直さない・・・なんにんにもいったのでありますが・・・結局そのまま・・・・拷問のように明るい中でねむったのだ。挙げ句の果てはフランクフルトではトランクが行方不明。悲惨であったっす。 / ほ肝 ( 2001-06-06 15:35 )
わかったかな。その後ポーランドで、ここのリーダーと大げんかをやるのでした。 / 口車大王 ( 2001-06-06 14:29 )
○○○石油わかりました。CMの歌が微妙に頭に残る会社ですね(笑) / えむ ( 2001-06-06 10:10 )
英語は、この時の仕事で随分うまくなりましたね。ポーランド語習った先生、英語も一緒にならったようなものだし。しかし、英語に翻訳する前の日本語が意味不明では、翻訳できんぞ。それでも翻訳して提出しなければならない。まるっきり、口車の作文でした。 / 口車大王 ( 2001-06-05 13:00 )
うう、突っ込みが話の本筋からずれていく〜。 / 口車大王 ( 2001-06-05 12:57 )
えむさま、海辺のコンビナートです。カタカナ3文字です。昔は「新大協和」と言っていました。 / 口車大王 ( 2001-06-05 12:57 )
かごやんさま、一応当時サラリーマンですから、「業務命令」とあれば、戦争やっているところにも行かなきゃならんのですよ。湾岸戦争の時は、口車の席の前に座っていた先輩、イラクの捕虜になっていました。 / 口車大王 ( 2001-06-05 12:56 )
うーん、よくわかんないや。でもきっともっと海沿いのとこだろうなぁ。あそこらへん工場多いから。 / えむ ( 2001-06-05 09:16 )
四日市八日市五日市どこがどこだかわかってなかったりして(^^ゞ / かごやん ( 2001-06-05 08:00 )
つっこみありがとうございます♪ポンと肩をたたかれ出動した口車さんはスゴイですね〜。私ならってゆうか英語自体まーーーたくわかんないので仕事になんないだろうなぁ。 / かごやん ( 2001-06-05 07:40 )
や、ひっかかってくれたか。今だと、○○○石油です。 / 口車大王 ( 2001-06-04 21:18 )
四日市の某社ってどこだろう・・?? / えむ@四日市勤務中 ( 2001-06-04 20:48 )
「前編」と書いちゃったけれど、後編はあるかなぁ。すっちーのお話というよりは、ソヴィエト連邦の飛行機がいかにぼろく、共産圏の飛行機会社のサービスがいかにひどいかという話なんだけれど。 / 口車大王 ( 2001-06-04 19:58 )
過去のお話は、スッチー今昔物語その1スッチー今昔物語その2でござる。 / 口車大王 ( 2001-06-04 19:57 )

2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 番外 口車、やっぱりてっちゃんでした


 第一回東京一筆書きの旅はこうして終了。浅草駅から都営浅草線で品川方面へ向かいます。

 駅で次に来る電車を見ると、快速特急三崎口行き。新橋でJRに乗り換えてと言っていたかねちゃん様、そのまま横浜まで京浜急行乗車に決定。そうこうするうちに、電車がやってくる。で、電車を見て口車、思わず「ををっ!」と叫んでしまいました。

 添付の写真を見て、口車が叫んだ理由がわかったあなた。あなたは立派な「てっちゃん」です。

 浅草駅ではカメラがうまく動かず危うく乗り遅れそうになり、次の駅で落ち着いて撮りました。

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先頭 表紙

ところで、この写真にはもうひとつ秘密があるのだな。 / 口車大王 ( 2001-06-08 22:04 )
そーいうことでしたか!実は私京成も都営浅草も身近なもので、三崎口行きはよく乗っておりました。成田空港から三崎口まですんごく長いですよね。お尻が痛くなる電車です。 / フィー子 ( 2001-06-08 21:50 )
フィー子様、お答えダス。京浜急行と都営浅草線は直通運転をやっていますが、現在都営の電車はほとんど羽田空港行きです。横浜方面もたいていは途中まで。それが、三崎口まで快速特急で運用というのは大変珍しく、口車も初めて見たのでした。ああ、やっぱりてっちゃんだぁ。 / 口車大王 ( 2001-06-08 20:30 )
つっこみありがとうございました、次回からは、だ〜いお〜め〜と呼ばせていただきます♪ / ゴットぱぱ ( 2001-06-04 07:24 )
ひちゃのさま、名古屋やっぱりむりだぁ。ところでビルってなんのこと? / 口車大王 ( 2001-06-03 23:56 )
これたら来てね。名古屋。どのビルかわかったーー 隣にGODIVAのお店があるところでは???? / ひちゃの ( 2001-06-03 23:50 )
見せました♪ / JAI ( 2001-06-03 21:58 )
わかんない〜。だけどこの列車ウサ子んちの方通る。 / ウサ子 ( 2001-06-03 21:54 )
フィー子様、本文の中にもヒントは書いてあるから、もうちょっと悩んでみてね。 / 口車大王 ( 2001-06-03 16:59 )
ついでに乗車券情報。今回は都営交通のみの一日乗車券を利用しましたが、その他にこれだけの一日乗車券があります。でも、今回の経験から、東京フリー切符でもととろうと思ったら、かなりきつい。 / 口車大王 ( 2001-06-03 16:59 )
なになに?叫べない〜。何に驚いてらっしゃるの? / フィー子 ( 2001-06-03 15:07 )
ひえー、こちらも素早い突っ込み。JAIさま、ご主人もこの写真見たわけですか? / 口車大王 ( 2001-06-03 14:40 )
私のダンナはてっちゃんです(笑)。納得してましたよ! / JAI ( 2001-06-03 14:35 )

2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 第六章 三ノ輪橋から浅草合羽橋へ


 熊野前から町屋を経由して、電車は終点の三ノ輪橋に到着します。三ノ輪橋電停は商店街に囲まれるような停留所で、「ひっそり」といった言葉が似合いますか。JR常磐線のガードをくぐり、明治通りへ。ここから浅草へ抜ける路線バスがあるはずなんだがと思っていると、なんと目の前を浅草寿町行きのバスが走り抜けていく。あわててバス停に向かって走り、なんとか間に合いました。

 大関横丁停留所を出たバスは国道4号線を越えてしばらく明治通りを走り、日本堤へ。バスの進行方向左手、清川という地名があるのですが、ここは「山谷」と言われていました。そして、日本堤の次は吉原大門。そうです、このバスは吉原のど真ん中を走り抜けていきます。

 浅草という繁華街が栄えたのは、吉原へ至る「門前町」としてでした。すなわち、浅草でちょっと飲んだりしてから吉原へ繰り出すというのが、かつての「遊び」だったのです。昭和32年4月1日に「売春防止法」が施行され、買春が非合法化されたのと期を一にして、浅草は衰退していきます。夜遅くは客が吉原に移動してしまうせいか、浅草の繁華街は夜の9時を過ぎるともう真っ暗。これでは客が離れていくというものです。

 さて、バスは国際通りを走り抜け、終点の浅草寿町に到着します。ここから上野へ浅草通りを数ブロック歩くと合羽橋道具街です。実は、浅草通りのこの辺り、仏壇屋さんの街でもあります。仏壇を眺めながら東京本願寺を抜け、合羽橋道具街へ。東京本願寺周辺、住んでいる人達の街への愛着が伝わってきます。

 合羽橋道具街は、浅草通りから言問通りに至る約800メートルにわたる通りの両側に、ずらっと飲食店関係の道具や家具、電気屋、内装屋が並んでいます。日曜日のそれも夕方でほとんど店が閉まっているにも関わらず、ウィンドウショッピングが楽しい。圧倒されました。

 合羽橋道具街から言問通りへ右折し、国際通りへ戻ってきます。浅草を訪れる観光客もこの辺りまではほとんど来ません。六区へ足を踏み入れるともう人が閑散としている。場外馬券売り場があるのですが、夜の7時前後で周辺に人がほとんどいないというのも、繁華街としては問題ありです。

 JRAの建物の反対側に、「初音小路」と書かれた看板を発見。昔ながらの飲食店街の雰囲気に思わず突入してびっくり。今でこそ普通の飲食店街に見えますが、元々は「ちょいの間」の「小路」だったようで、なんと、未だに現役で客引きのおばさんが一人、路地の真ん中にぽつんと座っていました。吉原から浅草、風俗の歴史博物館のようです。

 初音小路のはずれの暗やみの中、正体不明の危ないおじさんの前を身構えながら通り抜けると、木馬座と木馬館の前へ出ます。木馬座は大衆演劇、木馬館は寄席です。木馬館の木戸銭にびっくり。1500円で映画より安い。これはまた、改めて来なくては。古典芸能ファンの皆さま、ここは必見ですぞ。

 木馬座の前を抜けて浅草寺を横目に仲見世を歩きます。夜の7時だというのに、修学旅行生の一行とすれ違います。こんな時間帯にやって来るなんて、なかなか粋な学校です。我々一行は仲見世から横丁に入り、お好み焼きもんじゃ焼の「ひょうたん」で一服。このお店は観光客を相手にしていますが、お客に変に迎合せず、東京のお好み焼きやもんじゃ焼きの基本をはずしていません。そのあたり大変好感が持てます。月島商店街のもんじゃ焼き屋のほとんどが、やたらお客に迎合していることとは対照的です。

 ここで軽く一杯やって、本日の打ち上げです。

つづく

先頭 表紙

浅草は、観光地として魅力的なところです。そしてもうひとつ、歓楽街としての側面を持っているわけで、そっちがどうもねという状態です。 / 口車大王 ( 2001-06-08 15:49 )
外人や地方の人が東京に来て「どこが名所か」と尋ねると、ついつい浅草をすすめてしまいます。 / たらママ ( 2001-06-06 16:34 )
かごやんさま、画像処理ソフトを使ってひとつにまとめてからアップします。これはGraphic Converterというソフトを使っています。ひまじんではPhotoShopがはやっていますが、そういう高級ソフトを使わなくてももっと簡単で安いやつでできます。Photoshopの簡易版もあるし。 / 口車大王 ( 2001-06-05 12:54 )
写真、何個ものせられるんですね♪すげーすげー / かごやん ( 2001-06-05 07:59 )
結局、浅草は女性客の集客に失敗したことが、繁華街としての失敗です。六区をROXと言おうが、吉原門前町体質から脱却できなかった。大規模な再開発は結局、女性のことを考えていなかった。でも、今回立ち寄った「ひょうたん」のように、ちゃんと女性にとって魅力的な場所もあります。 / 口車大王 ( 2001-06-03 22:14 )
akemiねいさん、ひょっとして後楽園ホール行くのに浅草橋経由しているのですか?浅草線使っているのなら、三田で三田線乗り換えて水道橋行けますが。 / 口車大王 ( 2001-06-03 22:08 )
のんびり、ゆったりそぞろ歩き…は、日が落ちてからですよね。浅草橋駅のとこの「とんやき」で一杯やったら、うまそうだな〜。とプロレス観戦(水道橋ね。笑)前に立ち寄り思いました。 / akemi ( 2001-06-03 21:41 )
そういう意味で、浅草と横浜中華街、似たようなところがありますね。横浜中華街も、決して交通の便が良いわけではありません。 / 口車大王 ( 2001-06-03 21:20 )
横浜の中華街も、実はほとんどの料理屋さんは9時にはしまってしまいます。しかし、人は集まってくる。そして、9時過ぎに中華料理屋が閉店した後も人の流れを吸収するものがちゃんとある。この違いが繁華街として大きい。そしてこの吸収している部分、客層の転換に成功し、現在に至っています。 / 口車大王 ( 2001-06-03 21:05 )
ほんとに。いくら繁華街として人が集まったとしても、今の渋谷のようになることが目標ではないと思います。 / 口車大王 ( 2001-06-03 20:58 )
あえてきつい言葉を書きますが、人が入れ替わって街は出来る。時間を止めたり人の流れを止めることもない。何かあると交通の便が悪いから、そんな言い訳をするけど、どこか違う。 / 夢楽堂 ( 2001-06-03 19:47 )
をを、すばやい突っ込み。ジモティーがいるのわかっているから書きづらかったのですが、思うところを書いてみました。自分のペースを守っている人達が多いというの、わかりますね。繁華街として衰退してしまったことを嘆いている人達と、「別にいいじゃない。」と思っている人達と、両方いるような気がします。それで、嘆いている人達、どう考えても衰退した理由のポイントをはずしているような気がする。そんな思いで書きました。 / 口車大王 ( 2001-06-03 14:39 )
大関横町は、町名表示が「横町」、バス停の名前が「横丁」でした。 / 口車大王 ( 2001-06-03 14:02 )
浅草は夢楽堂が幼少時代を過ごした場所、東京の田舎。店は早く閉まるし、自分たちの生活のペースを守っている人が多い。千束は夢楽堂が名義上の社長になっている事務所があるので、ちょこちょこ行きます。 / 夢楽堂 ( 2001-06-03 14:00 )

2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第五章 熊野前3つの商店街−商店街衰退の理由


 特に当てもなくただぶらぶら歩いていると、突然思いがけない出会いがあるものです。

 路地を抜けて熊野前商店街に戻り、行きに見つけていた甘味処に入り休憩します。いつものお客の雰囲気と違うせいでしょうか、いきなりママが話かけてきます。新しくお店を尾久銀座に移転して開店すること、現在のお店の周辺の商店主達のこと、常連のお客のことなど、半ば愚痴のように話します。ママは訛りから生粋の土地の生まれ育ちです。

 ママの話の内容からすると、周囲の人達と基本的なものの考え方が全く異なる。ママは東京人特有の裏表のないということがすぐわかるのですが、周囲の人達は言うこととやることが違う。「甘いもの好き」と言いつつ全く店に来ない花屋、隣だと思ってずっと魚を買い続けたのに一度も店に来ない魚屋、その店で買い物しないと通りで会ってもそっぽを向いていて、買い物すると手のひら返したように愛想を作る洋品店主。要するに自分のことしか考えていないし、上っ面だけでしかない。そして他人のことばかり気にして、ねたみから足を引っ張るようなことを平気で言う。商売の基本的なことを全く守っていません。驚いたのは、現在ママが店を開いている場所の家賃。相場の3倍も取られている。ママも「しろうとが始めたから」と言っておりましたが、そういう足下を見るような行為は「いなかもん」のやることであり、結局天に向かってつばを吐くようなものです。

 ママの一方的な愚痴でないことは、商店街の人通りが物語っています。これでは商店街が衰退しても当然です。さらに、消滅して看板しか残っていない「熊の渡し商店街」も、昔は大変賑わっていたのだそうです。ママ曰く地元では「土地持ちが商売やっているからしようがない。」と言っているそうですが、それだけではないでしょう。熊野前商店街は村社会の「いなかもん」の集合体であり、どうもそういう連中が集まってしまっている一角のようです。東京土着でも「いなかもん」はいますし、そこに地方からの「いなかもん」が集まってしまったのでしょう。日本人の悪い面が集積したような場所です。通りひとつ隔てて熊野前商店街とは対照的に賑わっている尾久銀座という商店街があるのが、とても不思議です。どんな人達が商売をしている商店街か、熊野前商店街と比較すると手に取るようにわかります。「これで尾久銀座に脱出できて、ほっとしているわよ。」というママの言葉が印象的でした。なぜこの甘味処に足が止まったか、入ってみて良くわかりました。

 常々衰退している商店街の人達の言うことを聞いていると、外的要因にばかりその原因を求めていることが多い。しかし、情況の変化は起きて当然なのであって、自分たちで努力しないで「けしからん」とやっているばかりでは、結局衰退するばかりでしょう。しかも、商売の基本の一度でも買ってくれたらお客という感覚を忘れてしまったとしたら、外的要因もくそもありません。熊野前の3つの商店街、改めてそういう商売の基本を考えさせてくれました。

 再び電車に乗り三ノ輪橋に向かいます。途中町屋を通るのですが、ここは京成本線と千代田線との乗換駅でもあります。車窓は町屋へ向かって心なしか潤いを取り戻していく。町屋周辺が古くからの街並みだったことがわかります。

つづく

先頭 表紙

相場の3倍ぼられてるママさん、可哀相。ところで、↓の記事ですが、東京外大は府中に移転しています。西ヶ原に残っているのは関連の研究所です。 / たらママ ( 2001-06-06 16:32 )
それにしても、相変わらず繁盛している商店街と、さびれた商店街と、完全に消滅してしまった商店街が隣り合わせに3つそろっているなんて、ものすごく貴重な経験でした。経営学とか勉強している人、この熊野前の商店街で論文ひとつ書けるな。 / 口車大王 ( 2001-06-03 09:45 )
夢楽堂もそう思いますよ。周囲の環境が変わっているのに、昔からの商売ではね。ニューカマーをひきつけて、回転をよくしていくのが商売だと思う。 / 夢楽堂 ( 2001-06-02 23:11 )

2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第四章 都電荒川線熊野前へ


 今回と次回は、辛口です。

 佃島を後に、月島駅から我々一行は春日を経由し、巣鴨をパスして西巣鴨へ。都営三田線西巣鴨駅からから都電荒川線新庚申塚電停まで歩き、三ノ輪橋へ向かいます。電車が遅れているうえに、お客が一杯待っている。今回の旅で、新庚申塚から王子駅前までの電車が一番混んでいました。

 ようやく電車が到着し、電車は西ヶ原の東京外大周辺の住宅地を抜け、滝野川、王子へ。飛鳥山公園のところで左に曲がり、明治通りに入って公園をぐるっと迂回するように坂を下ってJRのガードをくぐります。

 王子駅を境に荒川線の沿線風景は一変します。正直言って車窓から見える街並みに潤いがない。ところどころ感じの良い住宅はあるのですが、例外的です。その理由が、後々わかることになります。

 途中、「熊野前」で降りてみます。なぜここで下車したか。ここは1985年、「天才・たけしの元気が出るテレビ」の第一回で取り上げられた場所なのです。商店街の空洞化が言われて久しいですが、すでにこのころ問題になっていたわけで、その後の熊野前商店街がどうなったのか、見てみたくなったのでした。しかし、ここで思いがけず、全くすたれてしまった商店街、すたれつつある商店街、元気な商店街の3つを見比べることとなってしまいました。

 電停を後にした我々は、電車通を挟んで「熊の渡し商店街」と「ハッピーモール熊野前」というふたつの看板を目にします。まず「変な名前」ということで「熊の渡し商店街」へ足を踏み入れてみました。しかし、驚いたことに電車通りから入ると美容室があるくらいで商店がありません。さらに歩くと酒屋があるくらいで商店街と言えるものではありません。無残に街路灯の看板が残っているだけです。

 そこで取って返して電車道を渡り、「ハッピーモール熊野前」、すなわちテレビに登場した熊野前商店街に足を踏み入れてみます。「熊の渡し商店街」よりはましですが、写真を見てわかるように、人通りがほとんどありません。途中には店じまいセールをやっている呉服屋もあり、シャッタがー目立つ。典型的な「シャッター街」になってしまっています。結局、テレビは一過性のものでしかなかったわけです。ところが、さらに足を進めて商店街の奥へ進むと、通りが狭くなってその奥には「尾久(おぐ)銀座」の看板が見えます。近づいてみると、熊野前商店街とは打って変わってお客も多く賑わっています。むしろ都電の停留所に近いほうの商店街がすたれていて、駅から決して近いとは言えない商店街が栄えている。両方の商店街の境目の道には銭湯があって繁盛しているくらいですから、決してお客が来ないわけではない。

 ここで商店街から外れて平行する道を元に戻ります。一帯は大田区と並ぶ町工場の集まる地域で、工場が多く見受けられます。工場が多いということは地方からの労働力を集めたわけで、この辺りは地方出身者が多いということでもあります。すなわち、東京は仮の住み処であって自分たちの故郷とは決して思っていない、そういう人達が多いわけ。残念ながらそういう感覚が街並みに現れてしまい、殺伐としてしまいます。緑が少ないのです。そこが、高輪や佃と大きく異なるところです。本来の地元の人は、少数派となってしまっているのです。同じ下町と言っても、こうして比較してみるとその差は際立ちます。見かける町工場には味わいがあり、仕事場を大事にしているのは伝わってくるのですが、残念なことです。

 そして、この3つの商店街の違いの謎解きをしてくれる出会いがあります。

つづく

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