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口車大王「旅のおもひで」

 
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2004-06-13 [Czech]カレル橋まで その5
2004-06-06 [Czech]カレル橋まで その4
2004-05-31 [Czech]カレル橋まで その3
2004-05-29 [Czech]カレル橋まで その2
2004-05-25 [Czech]カレル橋まで その1
2004-05-17 [Czech]インペリアル・ホテル
2004-05-12 [Czech]チェコ規格協会
2004-05-11 [Czech]りんご
2004-05-10 [Czech]プラハのホテル 続き
2004-05-06 [Czech]プラハのホテル


2004-06-13 [Czech]カレル橋まで その5


 食事の後同行者とは分かれ、コンサートの呼び込みで入り口でトランペットを吹いていたカレル橋のたもとの教会の、この日のコンサートを聞くことにする。本日の演目を見ると、パイプオルガンをバックにしたアリア集である。日本ではあまり聴かれない曲であるし、歌手とパイプオルガンという組み合わせもまずない。これは、是非聞いてみるしかない。

 入り口で料金を聞くと日本円で2000円ほどであろうか。共産主義の時代に比べれが格段に高くなったであろうが、それでも日本でのコンサートに比べればはるかにお手軽である。そのかわりプログラムも粗末で、チラシ1枚である。その後何ヶ所かプラハではコンサートに行ったが、プラハのコンサートはこのような形式が定着しているようである。

 もちろん、チェコはスメタナやドボルザークといった大作曲家を排出した国であり、大規模なコンサートホールや歌劇場もある。しかし、教会やちょっとしたスペースでお手軽な料金で気軽に1時間半ほどのコンサートを聴くこともできる。それだけ音楽がプラハに定着している証拠である。ウィーンに負けず劣らずの音楽の都と言って良いのではないか。重厚な文化の厚みを感じる。それはプラハの街を形造る建物の重厚さから来るもかもしれないし、文化の重厚さが建物に反映しているのかもしれない。

 ヨーロッパの教会で聴くコンサートは格別である。建物の残響が独特であり、教会内部の装飾と相まって日本では絶対味わえない心地よさを体感できる。教会入口の説明によると、この教会のパイプオルガンはチェコ国内でも最古のパイプオルガンであるという。古いだけあってさすがに鳴らないが、逆にその古さがしみじみとした素朴さを醸し出す。その上に女声と男声のアリアが乗っていく。

 居心地の良いコンサートであった。

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つっちーさま、ヨーロッパの教会で一度は音楽を聴いてみると良いですよ。最近でこそ日本にも良いホールがいっぱいできましたが、かつてはひどいものでした。その象徴がNHKホールです。紅白歌合戦に最適化されたホールで、クラシックのコンサートをやってはいけません。 / 口車大王2号 ( 2004-06-21 01:22 )
素晴らしい建物ですね!こんな所でコンサ〜ト、聞いてみたいです。 / ★つっち〜★ ( 2004-06-16 21:36 )

2004-06-06 [Czech]カレル橋まで その4


 カレル橋を渡って対岸まで行き、そこから引き返してきた。ちなみに、カレル橋は英語ではチャールズ橋になる。

 カレル橋から今来た道を戻り、橋からすぐのレストランに入った。明らかに観光客相手のレストランであり、こういうところのレストランは値段が高めでまずいのが通り相場であるが、なにせプラハに着いて2日目の夜である。現地人が一緒であるわけではなし、土地勘もない。もっとも、少なくともプラハでビールを外す事は内であろう。歩き疲れた事もあって、通りに並んだ屋外の席に座った。一番上の写真のレストラン入口の反対側である。

 さすがにプラハも10月半ばとなると、ストックホルム辺りよりはまだ暖かいとは言え、屋外は寒い。だいたいこんな時期にまだ屋外にテーブルを並べているのが信じられない。しかしながら、各テーブルにはヒーターが用意されてる。このヒーターがなかなかすぐれ物であり、我々の常識を覆すものであった。

 2番目の写真に、頭上に金属の円盤がポールの上に立っているのが見えると思う。これがヒーターなのである。この円盤部にガスバーナーがあって、ここからの輻射熱で暖められるようになっている。ヒーターというと足下に置くものという先入観では、こういう発想は出てこない。スタンドの上に熱源を持ってくる事で、脚がけっ飛ばす恐れもないし家事の心配もない。日本にもこういうヒーターがあったらと思う。

 さて、メニューを見るとチェコ料理というよりはイタリア料理に近い感じであった。しかも、安い。中でも驚くのはビール一杯の値段である。空港でも安いと思ったが、さらに安い。料理の味もなかなかであり、こうい観光客相手のレストランとしては合格点である。

 食事中に、カレル橋の方向からトランペットの音が聞こえてきた。食事を終えてから音の源へ戻ってみると、教会の前で来週やるコンサートの、言わば「呼び込み」をやっていた。教会のパイプオルガンとのコンサートであるが、その予告としてトランペットでデュエットをやっていたのである。見れば、今夜もコンサートをこの教会でやっている。

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2004-05-31 [Czech]カレル橋まで その3


 路地を抜けるとちょっと上り坂になって、目の前にカレル橋のたもとの塔が見えてくる。ここでも水害の後の修復工事が行われていて、路面電車の道床の作り直しをしている。水害の深刻さを物語っている。工事用資材の向こう側に、対岸のプラハ城が見えているのが、なんとも痛々しい。

 塔をくぐってカレル橋の上に立つ。カレル橋の上で薄墨色の薄暮は急速にその濃さを増していく。さすが世界で屈指の有名な橋である。人通りが絶えない。歩行者専用の橋であるから、安心してそぞろ歩きができる。車の騒音がないのも良い。ただし、当然であるが、カレル橋の形はわからない。

 橋から川面をのぞくと水面ははるかかなた下、10メートルはあるであろうか。水害が如何にすさまじいものであったか、改めてわかる。河から溢れた水が市内を襲ったのだから。

 それにしても、薄暮の時間帯がこんなに美しい街は、ほかにあるだろうか。夕暮れどきのカレル橋の上からの風景は、本当に素晴らしい。ライトアップした建物が河の両岸に並び、その上にプラハ城が幽玄な佇まいを見せている。

 橋の上はストリートミュージシャンにとって格好の演奏会場である。プラハしないで、カレル橋以外でストリートミュージシャンが演奏しているのは見なかった。この場所だけ許されているのであろうか。完全に暮れてからでも、橋の上で2、3組は演奏している。この日一番観客を集めていたのは、グラスハープの演奏者であった。グラスに水を入れてグラスの縁を指でこすり、音を出すのがグラスハープである。演奏者は地元の人なのだろうか。

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2004-05-29 [Czech]カレル橋まで その2


 秋の広場(旧市役所広場)からカレル橋へ向かう道は、まるで迷路のようである。そしてここは、プラハで一番観光客が行き交う通りでもある。通りの幅はところどころ広くなっているがだいたい4メートル見当、ウィンドウショッピングをしながら歩くには適当な道幅だし、雑踏の込み具合もちょうどよい。行き交うのに苦労するのはもっての外だが、全くもって人が歩いていないというのも寂しい。

 ここら辺りは当然ブルタヴァ(モルダウ)川に近づいているわけで、やはり洪水の傷跡は残っている。中段左の写真を見てみると、溢れた水の圧力で舗装を持って行かれてしまったことがわかる。いったいこの辺りはどれくらいの水深に水没したのであろう。

 さて、先にも書いたように、ここら辺りはプラハで最も観光客の密度が高い。したがって、観光客相手の土産物屋が大変多い。しかしながら、購買意欲をかき立てるような店はなかなかない。チェコはボヘミアングラスで有名であるが、ここら辺りのガラス工芸品を置いてある店の品物は、いかにも観光客相手の安っぽさを漂わせている。実際、ボヘミアンクラスの上質なものはこの辺りでは手に入らない。むしろ日本の方が良いものがある。また、聞くところによるとこの辺りの店の工芸品は、一時期アラブの金持ちが大挙してやってきたので、彼ら向きのデザインが多いそうである。したがって我々日本人から見ると少々うさんくさく見えるということに相成る。これは何もアラブ人をばかにしているわけではない。日本人とアラブ人の感性の違いの問題である。

 その中で、目立ったのが中段右の店と下段の人形の店である。中段右はなかなか感じの良いディスプレイなのであるが、チェコにマトルーシュカってあったっけとちょっと疑問符がつく。下段の店はさすがである。チェコは知る人ぞ知る人形劇の大変割かんな国で、人形劇専門の国立劇場があるくらいである。そう言えば、ロボットはチェコ語である。

 土産物として、このような気の利いた店もあるのだが、少々値が張る。気軽に手頃な値段でおみやげを買い求めようとすると、プラハは少々難儀な街である。

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チチローさま、そうなんですよ、全体的にロシアっぽいのです。こんなところで明らかに観光客相手にこんな感じで商売して成り立つというのがなんか不思議です。 / 口車大王2号 ( 2004-05-31 10:35 )
卵形の置物もロシアっぽいですね。 / チチロー ( 2004-05-30 23:08 )

2004-05-25 [Czech]カレル橋まで その1


 初日(2002年10月14日)の会議の終了後、カレル橋までそぞろ歩きをしてみることにした。チェコ規格協会はプラハの中心にあるので、旧市街を見て回るのには大変便利な場所にある。カレル橋までの通り道には旧市役所広場もあり、散策するにはちょうどよい距離である。

 街中は、まだ至る所に洪水の傷跡が残っている。ちょっと歩くと左上の写真のように道路工事中のところがあるのだが、こういうところはあちこちにある。さすがに観光名所の辺りは優先して復旧したようで、こういう裏通りを歩かないと復旧作業中のところに遭遇しないまでにはなっていた。

 表通りから細い路地に入り、ゲートのようなところをくぐり抜けると、いきなり広大な空間が広がった。旧市役所広場である。目の前には旧市役所の建物がぽんと立っている(2段目左)。この建物の左手には、有名な宇宙時計がある。

 広場の真ん中にはどでかいヤン・フスの銅像がある(上右)。ヤン・フスはプラハ大学学長で、ボヘミア民族主義を背景に宗教改革をやった人で、すなわちプロテスタントの親分みたいな人である。そう言えば、プラハは宗教改革が最初に起こった場所である。しかしながら、チェコ国民の過半数はカトリック教徒である。なぜだろうか?

 振り返ると、すなわち我々が歩いてきた方向にはティーン協会の尖塔が二つそびえ立つ。この時期チェコはまだ夏時間なのであるが、10月も半ばとなると6時過ぎには急に暗くなってくる。夏の盛りの、いつまでも暮れないのとは大違いだ。薄暮の中に見える塔は、憂愁の中に佇んでいる。

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2004-05-17 [Czech]インペリアル・ホテル


 チェコ規格協会の周辺はビジネス街でもあるあらしく、オフィスが多い。初日の会議の昼食時に近所へ出てみたが、レストランはそこら中にあるものの、規格教会に近いところはすでに満員。10人ほどの集団が入れるところはすでにない。このあたりの事情はまるっきり日本と一緒である。2ブロックほど表通りを歩くと、古い立派な建物の1階に、感じの良いレストランを見つけた。外から見た感じ、席も確保できそうである。

 通りからのドアを入ると、レストランは左手のドア、正面はホテルのレセプションとなっている。ホテルの名前を見ると、インペリアル・ホテルとなっている。なんと、ここは当初宿泊しようとしてやめたところである。このホテルだったら、たとえ設備が悪くても、宿泊しても良かったかなと思う。

 このレストランはなかなか当りであった。美味しい。プラハでも有名なレストランのようである。ビールを軽く飲みながらの昼食。以前と比べてだいぶ物価は上がったのであろうが、それでも随分安い。と言っても、日本円で1000円近くしているか。事前にチェコは英語が通じないとか、あまり料理が美味しくないとか聞いていたが、そんなことはない。ビロード革命から10年余、共産主義政権の残滓はほとんどなくなっている。

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2004-05-12 [Czech]チェコ規格協会


 プラハでの会議が行われた建物である。チェコに限らず、ヨーロッパでは別の建物同士がくっついて連なっていることが多い。スペースを無駄にしない合理的な建て方であるが、日本ではこのような建て方にお目にかからない。

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チチロー様、ヨーロッパは大抵どこの都市に行ってもビルや住宅がくっついて建っていたりします。土地私有の概念の有無よりは、土地の有効利用に対する概念の違いがあるようです。 / 口車大王2号 ( 2004-05-17 00:52 )
土地私有の概念の有無と関係があるのでしょうか。 / チチロー ( 2004-05-13 23:38 )

2004-05-11 [Czech]りんご


 ホテルから、会議場所のチェコ規格協会の建物までの道筋で見つけた「りんご」。ちゃんとチェコにも代理店があるのである。

 残念ながら、8月にあった大洪水の影響で、オフィスはまだ閉鎖されたままで移転先の紙が張ってあるだけ。プラハの街は、まだ至る所に水害の傷跡が残っている。

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2004-05-10 [Czech]プラハのホテル 続き


 プラハに着いてホテルの自分の部屋にたどり着いたのが午後8時、日本との時差は7時間であるから、日本時間の午前3時である。荷を解いてあっという間に眠りに落ちた。

 翌朝は午前5時過ぎに目が覚める。日本時間の正午過ぎである。すでに路面電車は動き出しており、ホテルの前を独特のモーターオンを響かせながら通り過ぎていき、ちょっと先の停留所に止まる。ヨーロッパの都会に来ると、ホテルの部屋の窓から外を、特に夜景を眺めているだけでくつろぐのであるが、それは東京と異なり、ネオンサインが圧倒的に少ないのと、交通量が少ないからであろう。プラハも例外なく、そんな落ち着く街である。

 昨夜ホテルに着いた時は気がつかなかったが、通りの反対側にスーパーマーケットがある。ここで材料を買ってきてホテルの自室で自炊できるわけである。今回自炊はしなかったが、実に便利にできている。

 そんなことを考えながらぼーっとしていたら、出かける時間が近づいてきた。この建物のエレベーター(リフト)はヨーロッパで良く見るタイプで、自分でドアを開けて乗る。そしてゴンドラ側のドアはないから、目の前を各階のドアが動いていく。3人も乗ったら一杯であろうか。慣れないと怖いのであるが、このエレベーターがヨーロッパに来たということを実感させてくれる。

 上から3段目、左側の写真はレセプション兼食堂の全景である。昨晩はこのレセプションでチェックインを行った。朝食付なのでここで軽く朝食を取り、でかける。グランドフロア(1階)に降りると出入り口のドアまでの廊下が10メートルほど続くが、こんな造りもプラハに限らずヨーロッパで結構一般的に見られる。明るいところでホテルの建物を見てみると、建物の一部をホテルとして使っているのが翌わかる。

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2004-05-06 [Czech]プラハのホテル


 今回のプラハ滞在のホテルは、 http://www.HotelsCzech.com/ というサイトを見つけ、ここで直接手配した。予約したのはPension 2000という、実際に着いてみると、ホテルといってもアパートの一室を改装した、日本で言えばウィークリーマンションのような感じである。建物の外観は古い建物であるが、内装は新しく改装されていてモダンである。台所もついているので、自分で食材を買ってきて調理することもできる。実は、ここよりさらに安い1泊3000円少々というホテルを見つけたのだが、設備の関係で6日間の宿泊はつらいという担当者のコメントでPention 2000に決めた。その安いホテルはImperial Hotelと言い、会議の間3回ほど昼食でレストランに行った。歴史的な建物でそれがために大規模な改装ができないので設備が悪いということであったが、レストランの部分は歴史的建造物だけあって天井も高くゆったりとしており、これだったらこのホテルでもよかったなと、後から思った次第である。

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チチロー様、朝食はついているし、昼と夜は結局仕事仲間と外食していたので、ほとんど使いませんでした。昔ポーランドで7か月、狭いホテルの部屋に暮らしたことがありましたが、自室に台所はありませんでした。ただ、別に会社が家を借りていて、そこの居間と台所が使えたので、交代で晩ご飯を作っていました。 / 口車大王2号 ( 2004-05-10 10:49 )
長期滞在だとキッチンが欠かせませんが、6日間だと微妙ですね。気に入ったホテルがあれば、そっちの方がいいかもしれません。前に10週間ホテル暮らしをしたことがあるんですが、そのときはキッチンつきのホテルにしたので、快適でした。炊飯器も持ち込んで。 / チチロー ( 2004-05-10 00:09 )

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